🎄62」─1─ニューヨークのユダヤ人合同配分委員会は、A級戦犯の保護がなくなった為に上海のユダヤ人難民達を救出した。イスラエル建国。1946年~No.211No.212No.213 @ 

アメリカのユダヤ人迫害史 (集英社新書)

アメリカのユダヤ人迫害史 (集英社新書)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 シャルル・ド・ゴール「国家間に友情などない。あるのは国益だけだ」
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 第二次世界大戦の死亡者。第二次世界大戦は、ヨーロッパの戦争で、ナチス・ドイツソ連の死闘であった。
 死亡者。
 ソ連   …2,000万人。
 ドイツ  …  970万人。
 ポーランド…  603万人。
 フランス …   52万人。
 イタリア …   40万人。
 アメリカ …   33万人。
 イギリス …   32万人。
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 その他の虐殺
 スターリンの虐殺…約2,000万人。当時のソ連総人口は、約1億人。
  強制収容所で1,200万人。粛清で100万人。農村で600万人。その他で100万人。
  ポーランドウクライナバルト三国少数民族における虐殺は、不明。
 ナチス・ドイツホロコーストで、ユダヤ人虐殺は600万人。
 キリスト教世界に於ける虐殺は、目を覆いたくなるほど悲惨であった。
 毛沢東による虐殺も、世界史に残る規模であった。
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 モンゴル人は、南北に分断された民族を統一して民族国家を建設する事を悲願としていたが、大国のエゴで成立したヤルタ協定で打ち砕かれた。
 内モンゴルは、中国に忠誠を誓う為に、日本軍指導将校団38名を処刑した。
 世界最強の近代的騎兵団の一つとされたモンゴル騎兵団は、日本軍が指導育成した。
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 ナチス・ドイツは、国内の労働者不足を補う為に、戦争捕虜や占領地の住人数百万人を強制連行して工場や農場に送り込んだ。
 戦後。ポーランドユーゴスラヴィアなど共産主義独裁国家となった東欧諸国やバルカン半島の出身者は、帰国を拒否した。
 ソ連軍占領地では。出身国に帰国させられた者の多くが、地元の共産主義者から反革命派若しくはファシスト協力者として虐殺された。
 アメリカ・イギリス両国軍の占領地では。帰国するかどうかは本人の自由とされた為に、帰国せず連合国救済復興機関(UNRRA)の保護下に留まった。
 連合国は、帰国せず留まった者数百万人を強制移住者(DP)と呼んだ。
 西欧諸国は、救援物資を、強制移住者よりも自国民に優先的に配った。
 連合国救援復興機関は、各国が自国優先に走った為に必要量の救援物資が手に入らず、難民救済は混乱した。
 生活に困窮する各国の国民も、働きもせず無駄飯食いとして彷徨う強制移住者への嫌悪から、人種差別を募らせて嫌がらせを行った。
 強制移住者の多くは、人種差別から逃れるように、希望していたヨーロッパ定着を諦めてアメリカやオーストラリアや中南米諸国へ移住していった。
 強制移住者で最大の問題は、ホロコーストで生き残ったユダヤ人難民であった。
 西欧諸国は、ユダヤ人難民を引き取る事を嫌がった。
 アメリカも、大量のユダヤ人難民を受け容れる気はなかったので、イギリスに対して委任統治パレスチナに10万人を移住させるように要請した。
 イギリスは、10万人のユダヤ人を入植させると、地元のアラブ人が反発し暴動が起き内戦に発展する恐れがあるとして同意しなかった。
 文化・宗教・言語による地元意識が強い地域に、異文化異宗教異言語の移民が数万人入植すると拒否反応から殺し合いが起きる事は、歴史が証明していた。
 リチャード・クロスマン(英労働党下院議員)「問題は善悪ではなく不公平の度合いだという事……パレスチナのアラブ人を不当に扱うのと、ユダヤ人を不当に扱うのとでは、どちらがましかを決断しなければならない」
 ダヴィド・ベン=グリオンは、アメリカや西欧諸国の内諾を得て収容所に収容されているユダヤ人難民に対して、「貴方の望む所に行くがいい、でも外の世界に対しては、パレスチナにしか行きたくないと明言しなさい」と強要した。
 アメリカは、イギリスに対して、ユダヤ人難民の96.8%がパレスチナ行きを希望していると迫った。
 イギリスは、パレスチナに入植させたユダヤ人の優遇措置をアメリカに求め、アラブ人の反発を承知でユダヤ人の入植を始めた。
 アメリカは、ユダヤ人入植者をアラブ人から護る為に武器と軍資金を援助した。
 ヨーロッパに於ける長年深刻な問題であったユダヤ人問題はこうして解消されたが、大量のユダヤ人移民を押しつけられたアラブで新たなユダヤ人問題が起きた。
 数万人超える移民を受け容れる事は、深刻な問題を引き起こし、最悪、流血事件を引き起こす。 
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 上海に避難していたユダヤ人難民を保護したのは、日本軍であってファシスト中国=国民党ではなかった。
 ましてや中国共産党ではない。
 上海の日本租界にあったユダヤ人避難民の歴史的記憶遺産は、日本軍部が人道的貢献をした記念すべき遺構である。
 それが、たまたま中国・上海に残っているだけの事である。
 中国・上海にあるからというだけで、中国共産党とは無関係である。
 ユダヤ人難民ゆかりの歴史的記憶遺産というのは、日本軍部の人道的貢献を称え後世に残す事である。
 称えるべき人物とは、日本人兵士であり、昭和天皇であり、東条英機松岡洋右板垣征四郎松井石根A級戦犯達である。
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 1946年 アメリカ軍は、白人優位の軍隊であり、非白人は差別され弾除けに激戦地に送り出されていた。 戦争が終結されるや、国外で戦っていたアメリカ軍のアフリカ系アメリカ人兵士(黒人兵)は、英雄として故郷に帰還した。
 だが、そこは依然として人種差別と貧富の格差が存在する階層社会であった。
 南部を中心として、アフリカ系帰還兵に対するリンチ殺人事件が多発した。
 白人キリスト教徒の人種差別主義者は、56名のを殺害し、それ以上のアフリカ系帰還兵に重軽傷の怪我を負わせていた。
 2月25日 テネシー州コロンビアの黒人居住区ミンクスライド襲撃事件。
 サーグッド・マーシャル(全国有色人種向上協会)「テネシー州警察によるコロンビア黒人居住区の弾圧と意図的かつ無差別な発砲はこの国の警察ではなく、むしろドイツの突撃隊の振る舞いだ」
 3月 オーストラリアは、国内産業発展の資金をユダヤ系国際資本から引き出す為に、「人道主義の一環として」ユダヤ人難民の受け入れを表明した。
 白豪主義を主張する人種差別主義者は、ユダヤ人難民の受け入れに猛反対した。
 オーストラリアは、移民の国であったが、47年7月1日から51年12月31日までに18万2,159人の移民を求めたが、ユダヤ人難民は8,172人に過ぎなかった。大半の移民はアジア系で、労働力不足の為に奴隷的重労働をさせる為であった。
 後に。その非白人移民増加が、深刻な移民排斥運動に繋がり暴動事件の原因となった。
 4月 中国で、国共内戦が本格化した。
 チベット、モンゴル、ウィグルなどの少数民族は、中国から独立すべく運動を激化させた。
 7月18日 上海を出発したユダヤ人難民164名は、サンフランシスコに到着した。
 ジョイントは、上海のユダヤ人難民を移送する為にアメリカ軍輸送船を使用する許可を得た。
 上海のユダヤ人社会は、昔から住んでいた地中海・中東系セファルディ・ユダヤ人社会、ロシア革命ご移住したロシア系アシュケナジィ・ユダヤ人協会、ナチス・ドイツの迫害を逃れて来た中東欧系ユーディシュ・ゲマインデ親日派満州ユダヤ人組織など、数多くに分裂し、互いにいがみ合って統一性がなかった。
 ジョイントは、各組織の対立を調整する事に忙殺されていた。
 47年11月1日迄に、ジョイントは、上海からユダヤ人難民5,806人を42ヵ国に移住させた。
 上海の白系ロシア・ユダヤ人約8,000人は、数千万人を反革命分子として処刑した共産主義が支配するソ連への帰国を拒否し、自由を求めて西側への移住を希望した。
 アメリカやイギリスなどは、彼らの中にロシアのスパイが紛れ込んで潜入する事を警戒した。
 中国人暴徒は、外国人住民がいなくなった商店や住宅を襲って奪えるモノは全て持ち去り、廃虚とした。
 中国人家主は、ユダヤ人難民がジョイントなどから生活費を得ている事に目を付け、多額の保証金と法外な家賃を要求し、払わなかったら警察を使って追い出した。
 7月22日 シオニスト右派軍事組織イルグン・ツヴァイ・レウミは、エルサレムのキング・ダヴィド・ホテル内のイギリス軍司令部に爆弾テロを行って、イギリス軍兵士90名を含み多くの人間を殺害した。
 夏 上海は、台風による甚大な被害を受け、さらにコレラ赤痢の伝染病が蔓延して多くの被害者を出した。
 9月 リンチ撲滅の為のアメリカ十字軍議長ポール・ロブソンと全米ユダヤ議会のアーヴィング・ミラーらは、トルーマン大統領に人種差別による集団リンチをなくす法律を成立させる様に要請した。
 ジブリー夫人(全米商工会議所前会頭夫人)「これでは、ヨーロッパでユダヤ人を弾圧したファシズムと同じではないか」
 アインシュタインの手紙「大多数の人々は、違法な暴力を受けない安全な生活を求めている」
 トルーマンは、保守的白人階層の反発を恐れて、リンチ禁止法の成立は時期早々として拒否した。
 シカゴディフェンダートルーマン、リンチ対応に尻込み」
 11月 中間選挙民主党は、有色人選挙民からの支持を失って大敗した。
 12月5日 トルーマンは、次期大統領選挙で当選する為に有色人選挙民の支持を得るべく、大統領令9006号を発表し、公民権に関する委員会を設立した。
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 1947年 アメリカで、リンチ禁止法が制定された。
 ソ連との冷戦で、アフリカ・アジアで共産主義政策を採用するの発展途上国が急増した。
 オランダやフランスは、日本に奪われた植民地を奪い返した為に軍隊を派遣して、数百万人の独立派を弾圧した。
 トルーマンは、ソ連と情報戦に負けない情報機関を作るべく、OSSを中心に諜報機関を統合してCIAを創設した。
 情報戦とは人間不信であるの原則から、二重スパイを警戒し、CIAの暴走を監視する為に、FBI、陸・海・空軍における別個の諜報機関など数多くの組織を設置して敵対させた。
 現代。NSC(国家安産保障会議)には、15の情報機関のトップが出席している。
 CIAの情報収集担当者は5,000人以上いて、その下に事務員を含めて3万人前後の専用職員がいる。
 そして、世界中の工作員を含めれば5万人以上になる。
 そして、機密費を含めて莫大な予算が組まれている。
 敵の機密情報を得る為には相手を味方に引き込む事が最善の方法として、マネー(M)とイデオロギー(I)とコンプロマイズ(C。強制的服従)とエゴ(E。欲)を最大限に利用した。
 諜報工作員の大原則は、日本人が最も嫌う、家族・友人・同僚までも疑う「人間不信」で、国家機密情報を守る為には他人はおろか家族友人でも殺害する「冷血な非情さ」であった。
 その覚悟がない日本の政治家では、情報機関はおろか諜報機関も作れない。
 1月 マーシャル特使は、中国を二大政党みよる民主主義国家とする為に圧力をかけた。
 蒋介石は、アメリカの調停案を拒否した。
 毛沢東も、話し合いにいる平和的解決を拒否し、昔ながらの戦争による武力決着を望んだ。
 中国人ほど、戦争を好み民族も珍しい。
 マーシャルは、調停工作の失敗を認めて、中国から撤退する様にアメリカ軍に命じた。
 アメリカ資本も、アメリカ人も、国の命令に従って引き上げを開始した。
 アメリカが中国から完全撤退した為に蒋介石は、極秘にソ連軍の支援を受けた中国共産党軍の猛攻を受けて窮地に追い込まれた。
 2月 イギリスは、ユダヤ人テロに手を焼きパレスチナ問題を国連に委ねて、責任を放棄した。
 3月12日 トルーマンは、反ソ連共産主義演説を行い、自由諸国を支援するのはアメリカの使命であると宣言した。
 アメリカは、ヨーロッパの共産主義化には神経を尖らせていたが、アジアの共産主義化には関心が薄かった。
 GHQは、収監中の日本共産党員やプロレタリア活動家ら共産主義勢力を釈放し、反共産主義天皇主義者や軍国主義者らを公職から追放した。
 4月22日 上海のユダヤ人8,000人は、かっての日本人居住区のあった虹口で反英抗議集会を開催した。
 7月18日 上海のユダヤ人組織は、パレスチナ問題の対応に抗議するける決議文をイギリス総領事に手渡した。
 ユダヤ人急進派は、イルグンの様な軍事組織を結成し、兵士を育成し、48年に約100名を反英兵士としてパレスチナに送り込んだ。
 7月19日 エクソダス号事件。イギリスは、ユダヤ人難民4,500人のパレスチナ上陸を拒否した。
 ユダヤ人難民は、アメリカやフランスからも入国を拒否しされ、最も嫌ったハンブルクへ連れて行かれた。
 11月  中国共産党は、満州にあった日本資本による経済力を手に入れるや、大攻勢に出た。
 11月29日 国連は、パレスチナユダヤとアラブ両国に分割し、エルサレムを国際管理とする「パレスチナ分割決議案」を採択した。
 国家が建国されるや、無国籍として嫌われていたユダヤ人難民の人権が認められ、諸外国は国籍保有者として保護の義務が生じた。
 無国籍者は、犯罪者として保護の対象とはされていなかった。
 11月末 蒋介石夫人の宋美齢は、キリスト教会を通じてアメリカに支援の増額を取り付けたが、敗北は時間の問題であった。
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 1948年5月14日(ユダヤ暦:5708年イヤール5日) イスラエル独立宣言。 ユダヤ人は、「民族言語」及び「民族中心の文化と宗教」を守り通したお陰で、中東パレスチナユダヤ人国家イスラエルを建国した。
 欧米諸国は、ユダヤ人にイスラエルを建国させる事によって、キリスト教世界にあったユダヤとの対立をイスラエルパレスチナ・アラブに転化した。
 つまり。キリスト教徒対ユダヤ人を、イスラム教徒対ユダヤ人に。
 イスラエルは、この対立を、世界の中心たる欧米・キリスト教文明圏対世界の地方であるアラブ・イスラム教文明圏の衝突にすり替えた。
 内なる者の異端者を外に排除して起きる中央と地方の対立は、世界中で紛争として起き始めている。
 テリー・イーグルトン「テロリズムとは、フランス革命のように最初、国家によるテロとして始まったが、その内なる野蛮、内なる荒ぶる力を強制的に排除し、外部に追いやった後、この抑制された者達が回帰する。これが現代におけるテロ行為であり、テロとは文明を脅かす狂気と暴力である。だがその根底には文明の側(あるいは西洋の側)の暴力と排他的抑圧があった。テロリズムとは最初は国家テロとして始まった。それを思い出せ」(『テロリズム 聖なる恐怖』)
 中央の豊かさから異質として排除され地方の貧しさに押し込められた者達は、中央の豊かさに対してテロを行う。
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 1949年 イスラエル初代首相デヴィッド・ベングリオンは、周囲を敵に囲まれたイスラエルを守るには世界最強の情報機関を創設する事が急務として、諜報機関ハガナーを中心として民間の情報組織・テロ組織であるイルグンやスターンを統合してモサドを設立した。
 世界三大情報機関であるモサドは、首相直轄の組織として、政府や外務省はおろか軍からも独立して絶対の権限を持ち独自に行動している。
 ベングリオン「一番大切なのは情報だ。幾ら強い兵隊を抱えていても、彼らが何処を攻撃すべきか、情報がなければ分からないからだ」
 マーカス・ヴォルフ(元東ドイツ諜報機関シュタージ)「我々諜報員は戦争を止める為に存在する。戦争を始めるのは、何時も何も知らない政治家だ。知らないと怖くなり、怖さから相手に挑もうとして、戦争を始める。それに対して、我々は双方の国にとって利益になるように動いている」
 イスラエルの指導者の多くが、諜報機関に関係した者達である。
 5月23日 西ドイツは、直接占領統治から独立して、憲法としてドイツ連邦共和国基本法を制定し、ソ連・東陣営の侵略から祖国を防衛する為に再軍備を行った。
 秋 スターリンは、ソ連軍が占領している東ドイツで軍隊に近い待機警察を設置する様に命じた。
 西ドイツでは、ソ連東ドイツ共産主義陣営から祖国と自由・民主主義を守る為に、憲法改正再軍備を求める世論が起きた。
 力には力で対抗するのが、世界史、人類史の常識であった。
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 1960年代 西欧諸国は、労働者確保の為に積極的にイスラム圏などから移民を行った。
 景気の良い時は何ら問題が起きなかったが、経済が悪化して企業のリストラが本格化するや、自国民の労働者は失業する恐怖から移民排斥運動が起きる様になった。
 2014年に、
 フランスにおける移民数は、470万人で、全人口の7.5%。
 ドイツは、500万人で、全人口の5%。貧困率は、6人に1人。 
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 2015年8月9日 産経ニュース「【歴史戦】中国、上海ユダヤ難民資料を記憶遺産申請へ 旧日本軍が保護の史実を隠蔽 「抗日戦勝70年」の一環に
 「世界記憶遺産」として登録申請の準備を進めている中国上海市内の上海ユダヤ難民記念館(河崎真澄撮影)
 【上海=河崎真澄】戦前に欧州を追われ、上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民の資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業が中国で進んでいることが8日、関係者の話で分かった。ユダヤ難民は旧日本軍が当時、上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いて保護した経緯があるが、中国側はこうした事情をほぼ封印し、「抗日戦争勝利70周年」の一環として、中国がユダヤ人保護に貢献したかのように国際社会にアピールする考えだ。
 今回の申請作業を進めているのは、戦時中は摩西会堂(ユダヤ教会)と呼ばれ、現在は上海市虹口区当局が管轄している「上海ユダヤ難民記念館」。記念館が集めた難民の名簿や遺留品、旧日本軍が管理した隔離区(通称・ユダヤ難民ゲットー)に関する資料、難民から聞き取った証言などをまとめ、中国政府とともに登録を働きかけている。
 申請作業と並行し、9月3日に北京で大規模な軍事パレードなど一連の抗日戦勝利70周年記念イベントを行うのに合わせ、記念館や「リトルウィーン」と呼ばれたユダヤ難民の住居やダンスホール、カフェなどが立ち並ぶ、当時としては自由を謳歌(おうか)したエリアの建築物改修を終える予定だ。
 戦前の上海では、アヘン戦争(1840〜42年)を経て英国などが設置した租界や、1937年の日中戦争の後にできた日本人居留区への上陸には必ずしも正式な書類は必要なかった。
 元駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)氏が人道的な見地から発給し続けた「命のビザ」を手に、日本を経由して、当時は世界でも限られた難民受け入れ地だった上海に向かったユダヤ難民も少なくなかった。
 42年、ナチス・ドイツが日本に「最終解決」と称してユダヤ難民の殺戮(さつりく)を迫ったが、旧日本軍はこれを拒否。43年に「無国籍難民隔離区」を置き、許可なく域外に出られない制限を加えてナチス・ドイツに説明する一方、ユダヤ人の生命を守った歴史がある。
 日本がユダヤ難民を保護した理由として、上海社会科学院歴史研究センターの王健副所長は、「旧日本軍がユダヤ難民を当時の満州などに移住させて利用しようとした『河豚(ふぐ)計画』が背景にある」とみている。
 中国は昨年6月、「南京事件」と「慰安婦」を世界記憶遺産に登録申請し、日本政府が反発している。
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 10月2日 産経ニュース「記憶遺産登録なら反日宣伝拡大の恐れ 「南京事件」「慰安婦」中国申請2件の可否焦点 4日から審査会議 日本も2件申請
 10月1日から始まっている「東寺百合文書展」の事前公開の様子=9月30日、京都市左京区京都府立総合資料館(志儀駒貴撮影)
 世界記憶遺産への登録を決める国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国際諮問委員会の会議は4〜6日まで開かれるが、日本からは大戦後のシベリア抑留の関連資料と国宝「東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)」の2件が審査を受ける。海外案件で注目されるのは中国が申請した日中戦争時の南京事件慰安婦に関する資料2件。日本側が「政治的利用だ」と抗議、取り下げを要請したが中国側は応じなかった。
 日本側が申請したシベリア抑留資料は舞鶴港に引き揚げた人々の手記などで、舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)が所蔵する570点。ヒット曲「岸壁の母」のモデル、端野(はしの)いせさんが息子に宛てた手紙や、抑留者がシラカバの皮に心情をつづった「白樺(しらかば)日誌」も含まれる。
 東寺百合文書は、京都市の東寺に伝えられてきた奈良から江戸時代の約2万5000通に及ぶ寺院運営に関する古文書。足利義満の直筆や織田信長の印が入った文書もある。
 一方、中国が登録申請した南京事件慰安婦の関係資料は、当時の日記や写真、映画フィルム、旧日本軍の戦争犯罪を裁いた南京軍事法廷の記録文書などとされる。
 記憶遺産に登録されると、「歴史的に貴重な資料」と公式に認められ、最新技術で保存されたデジタルデータで一般公開されることになる。中国の2件が登録されれば、ユネスコの“お墨付き”を得たとして反日宣伝がさらに強まりかねない。
 菅義偉官房長官は2日の記者会見で、中国の登録申請について「過去の一時期の負の遺産をいたずらに強調しようとしていることは極めて遺憾だ」と強い不快感を示した。
 登録審査は2年に1度。9月に国内候補として選定された外交官の杉原千畝(ちうね)氏の資料(杉原リスト、所在地・岐阜県)と日本最古の石碑を含む「上野三碑(こうずけさんぴ)」(群馬県)の2件は、2017年夏ごろに審査を受ける見通し。
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アメリカのユダヤ人 (岩波新書)

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アメリカのユダヤ人

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