🗽28」─1─対日黄禍論。西海岸諸州の日本人移民排斥運動。南部諸州の人種差別。1900年~No.115No.116 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ニーバー「人間とは、自分に都合の良いちっぽけな利益を 『絶対的な正義』に擬装して、生臭い殺戮を続ける存在」
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 ウォルツ「インターナショナリズムや〝私心なき理想主義〟を振りかざして、〝悪い国を叩き潰す〟外交を繰り返してきたのがアメリカなのだ」
 「〝正義〟を客観的に定義するのは不可能だ。だから強大国は常に、自国の都合の良い〝正義〟を弱小国に押し付ける誘惑にかられる」
 アメリカは自国の選挙民と企業の利益を国益とし、アメリカの国益を守り増やす為に「世界基準」という名目で相手国とその国民の利益を無視してアメリカ・ルールを強引に押しつけてくる。
 その最たる例が、懲罰的に敗戦国日本から永久に自主防衛能力を剥奪した第九条を持たせた日本国憲法である。
 日本は悪、中国・韓国は善という二元論を定着させる為に行っている。歴史的証拠に基づく日本の説明を否定し、事実を無視してねつ造・歪曲した虚偽の強弁を行う中国や韓国の肩を持つ姿勢である。
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 1900(〜01)年 義和団(拳匪)の乱。義和団は、仏教系の反体制的白蓮教の流れを汲む武芸的秘密結社であり、「正義と平和の拳」を信仰して中国を侵略者の外国勢力から守ろうとして女子供に関係なく虐殺を繰り返した。
 世界史的に。宗教は、体制維持と共に体制打倒に利用されることが多かった。
 中国人は、自分に都合の好い神や仏を信用するが、都合の悪い神や仏は信用しなかった。
 ましてや、キリスト教が唱える絶対真理としての創造紳などは愚の骨頂に過ぎず、弱者や貧者に愛の手を差し伸べるなどは馬鹿な事に過ぎなかった。
 中国人は、宇宙規模の普遍的真理に於ける神や仏を信じない無宗教民族である。
 中国人は、アジアで最も殺人や強奪や強姦を好んで行う気の強い民族である。
 中国化していた朝鮮人は、我利我欲が強いだけに、中国人と同じ行動を行う可能性が強かった。
 清国は、飢餓や洪水で悲惨な状況にある自国民の救済をよそに、義和団を容認し正規軍に編入して日本や欧米諸国に宣戦布告した。
 正統派儒教を信奉する中国人は、歴史ある神聖な郷土を邪悪な異教徒から守るべく、3人の司教と31人の司祭と45人の宣教師を含む外国人250人(子供50人)や中国人キリスト教徒3万2,000人(〜25万人。一説には100万人)を中国風に虐殺した。
 宣教師の多くは、隣国の朝鮮ではなく天皇支配国家日本に避難した。
 8カ国からなる多国籍部隊は、北京に孤立化した諸外国の居留民団を保護する為に義和団と政府軍を攻撃した。
 日本以外の諸外国軍は、武装しか中国兵はもとより武器を持たない一般の中国人も見境なく虐殺した。
 宣教師も加わった外国人は、中国人の財産を略奪し、町を焼き、女性を強姦した。
 中国人暴徒は、利得として、清国軍と義和団が敗走にて無法化した北京市内で、外国軍と同様に強奪と殺害を行った。
 諸外国軍は、正義の戦いとして中国人5,000人〜2万5,000人を殺し、北京の大部分が破壊し、天津の3分の1を瓦礫とし、通州を完全に破壊した。
 日本軍のみが、国際法を遵守し、虐殺も略奪も行わなかった。
 中国人は、日本人に感謝するどころか、虐殺も略奪もできない弱者と認識した。
 日本を含む諸外国は、清朝に対して自国民保護の名目で北京郊外に自国軍を駐留する事を認めさせた。
 全アジアの覇王を任ずる清朝は、日清戦争に対する復讐戦に備えて、帝政ドイツから軍事顧問団を招聘しその指導の下で最強の新建陸軍を創設したが、義和団と共に消滅した。
 中国の近代の為に、数万人の優秀な中国人青年を日本に留学させて西洋文化を学ばせた。
 裏の外交として、日本への再度の懲罰戦と台湾及ぶ沖縄の奪還と朝鮮の宗主権の回復を目的として帝政ロシアと秘密同盟を結んだ。
 中華思想の中国は、一度たりとも日本を対等の国家と認めた事はなかった。
 清国は、義和団に味方して諸外国に宣戦布告し、正規軍に諸外国の公館への攻撃を命じた。
 ロシア帝国は、アジアへの領土拡大する為の軍事基地を建設する目的で、1899年の三国干渉で日本から清国に返還された遼東半島を25年間の期限で租借権を得た。
 満州をロシア領に編入する布石として、南満州鉄道の敷設権を獲得した。
 歴史的事実として、帝政ロシアは一度手に入れた土地は決して手放す事はなかった。
 帝政ロシアは、さらに朝鮮半島を手に入れるべく反日派に接近した。
 高宗ら反日朝鮮人は、敵国日本を滅ぼす為にロシア帝国の日本侵攻に協力した。
 一部は、各地で反日義兵闘争を繰り返していた。
 キリスト教会は、反天皇の立場から、反日朝鮮人を改宗させて行った。
 日本は、ロシア帝国の勢力拡大を自国の安全を脅かすと警戒し、中国から独立させた朝鮮を味方に引き入れるべく親日派を支援した。
 近代的天皇制度国家日本は、前面で世界最大の軍事大国ロシア帝国の軍事的外圧に晒され、内部で反天皇派日本人の天皇暗殺などの策動に戦々恐々とし、後方で反日派の朝鮮人や中国人の謀略に脅かされていた。
 小国日本は、絶望的境遇で、援軍を送ってくれる同盟国を持たず、無謀にも一国でロシアの大軍を迎え撃とうとしていた。
 北京議定書。日本を含み諸外国は、清国には治安を維持する能力はないと判断し、自国民の保護を目的として軍隊を駐屯させた。
 後年。大陸に地盤を築いた軍国日本の行為は、大陸に侵略する為の犯罪として批判された。
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 日本・イギリス・アメリカとロシア帝国・フランス・ドイツ帝国は、中国での利害関係で対立を深める。
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 1900年 カリフォルニアに上陸した日本人移民者は、約1万2,000人であった。
 日本人移民の大半が20代後半から30代の貧しい家庭出身の男性で、出稼ぎ労働者であった。彼等は永住を希望せず、金を貯めたら帰国するつもりであった。
 日本人にとって言語、文化、風習が全く異なる異国の為に、自然と出身地ごとに固まって何々県人会などという共同体を形成し、中国人のように地元の白人社会とは積極的に交流をしようとはしなかった。
 日本人移民は、中国人に比べて同化のスピードが遅かった。
 日本人以外とは交わろうとはしない排他性ゆえに、地元白人から誤解され、そして警戒された。
 日本人移民の多くが百姓であった為に、アメリカに渡っても農業に従事し、各地の農園を季節農業労働者として渡り歩いていた。
 ブライス卿「余所者が色々な所からやって来て、それぞれが独特なマナー、習慣あるいは信条を持っていた。カリフォルニアという土地柄は、決まった考え方とかやり方には支配されず、また流動性も高かった。その事が社会の不安程度を高めていた。アメリカの中でもその度合いは突出していた」
 他国の移民は、地元の社会が安定し不満がないときは排斥されなかったが、経済不況で失業者が増大するや地元民は凶暴な牙を剥き出しにして移民を襲った。
 移民も、当初は言葉が分からない為に地方の農業や都市の誰もやらない単純作業に耐えたが、言葉が分かるようになり幾らかでも賃金の高い仕事に就く為に移動を始めた。
 その結果。地元住民の仕事に従事するようにあれば、雇用者は賃金の高い地元労働者を解雇して賃金の安い移民を雇用した。
 大量に解雇された地元住民は、雇用者ではなく、移民への憎しみを増加させ排斥運動を起こした。
 こうした外国人移民への排斥運動は、何処の国でも起きる事であり、日本も例外ではなかった。
 日本人移民は、臆病に、白人社会を刺激しない様に排斥を受け入れた。
 朝鮮人移住者は、感情を爆発させ、日本人への敵意を露わにして犯罪に走った。
 日本は、アメリカの日本人移民排斥運動を沈静化させる為に自主規制をした。その結果、移民数は5,269人と前年に比べて半減した。
 支那人移民は、1882年の支那人排斥法の成立で新たに移住する事は出来なくなっていた。
 アメリカ人系経営者は、新たに安価な労働者として日本人の移住に力を入れていた。
 アイルランド系労働者は、支那人移住を阻止して職場を確保したと安心した所へ、日本人移民が職場を奪いに移住してきたとして激怒した。
 サンフランシスコの人口。白人は、32万5,378人。中国人は、1万3,954人。日本人は、1,781人。
 ニューヨーク州共和党執行部は、党の意向に逆らって独自政策を強引に推し進めるセオドア・ルーズベルト知事を疎ましくなり、大統領選挙を利用して追い出し工作を始めた。
 ウォール街の金融資本家は、民主党大統領候補のウィリアム・ブライアンの銀を金同様に流通貨幣として認めるという金銀複本位制に危機感を抱き、マッキンレー大統領の再選を確実にする為に、国民に人気の高いセオドア・ルーズベルト知事を副大統領候補に推す事に決めた。
 セオドア・ルーズベルトは、ハワイ併合の為にはフィリピンの領有は欠かせないとの持論から、スペイン併合に反対のブライアンが大統領に当選する事を阻止する為に、副大統領候補になる事を承諾した。
 「ブライアンなど死んでしまえ」
 1月 上院。共和党議員アルバート・ベヴェリッジ「フィリピンは永遠に我々の領土である。フィリピンの向こうには無限の可能性を持つ支那市場が待っている。……我々は、東洋に広がるこの絶好の機会を逃してはならない。我が人種は、世界の啓蒙を神から託されているのだ。その使命を決して忘れてはならない。……列強は、清国内に影響力を行使できる地域を持つ事で支那市場に接近を図っている。アメリカも、フィリピンの獲得で極東市場の何処にでも対応できる橋頭堡えお持ったのである」
 1月1日 ワシントン・ポスト紙「海外の領土は、我が国のものである。領土拡張政策反対論は、カササギの声と同様に無意味である」
 アメリカは、対アジア・太平洋戦略から軍国日本を仮想敵国と認識した。
 ワシントンで、全国市民連合(NCF)が組織された。
 E・H・ハリマンやJ・P・モルガンなどの実業家が、建国の精神で国家の発展に貢献する事を目的として労働組合の指導者らを加えて結成した組織である。
 マフィアは、企業家から金を得て、反抗的な労働運動を行う活動家らを脅迫し、従わなければ殺害した。
 市政の幹部や汚職警官は、マフィアから賄賂を受け取って犯罪行為を見過ごしていた。
 マフィアは、縄張りをめぐって抗争事件を繰り返していた。
 アメリカ南部では、人種差別主義者によるアフリカ系アメリカ人ユダヤ人に対するリンチが横行していた。
 警察官は、リンチ殺人事件が白人の仕業と分かるや見て見ぬ振りをした。
 3月 ヘイ国務長官は、各国の反応を見極めて、中国に対する門戸開放通牒の内容は有効であると宣言した。
 日本だけは、この宣言に対し異議を申し立てた。
 アメリカは、門戸開放は諸外国が承認する国際的な政策になったと反論した。
 ヘイ国務長官は、義和団の乱の後に、日本の反論を無視して、各国に領土保全を強調した門戸開放通牒を再送した。
 3月6日 サンフランシスコのチャイナ・タウンで、中国人男性が線ペストで病死し、さらなる犠牲者が出た。
 サンフランシスコ市長ジェームス・フェランは、線ペストの流行を押さえる為にチャイナ・タウンを閉鎖し、中国人と日本人を指定地区に隔離した。
 ハースト系新聞社は、ペスト伝染病の発生を全州で報道し、日本人移民排斥の人種差別的記事を書いた。
 不衛生な中国人は当然の処置で合ったが、潔癖性の日本人には言い掛かりでしかなかった。
 が。白人からすれば、日本人も中国人の同じ非白人種であった。
 アメリカの政治家は、過激な反日発言を繰り返し、日本人移民排斥を訴える事で票を得て当選した。
 知事選から市議会選まで、選挙が行われる度に日本人排斥が公約となっていた
 5月7日 サンフランシスコ労働評議会は、反日本人大集会を開催した。
 スタンフォード大学社会学教授エドワード・ロスは、日本人排斥の演説を行った。
 1,彼等は、アメリカ社会に同化できない。
 2,彼等は、低賃金労働を厭わず、アメリカ人労働者の生活水準を低下させている。
 3,彼等は、アメリカ人にはとても受け入れられない生活水準を喜んで甘受する。
 4,彼等は、アメリカ民主主義を理解できない。
 日本人は、アメリカに同化できない民族と決め付けられた。
 サンフランシスコ・コール紙「ロス博士は、どうしてもと言うときには、我々は銃をとってでも、日本人移民を乗せてやって来る船を追い払わなければならない」
 保守的上流階級の多くは、中国人移住者をハウスメイドやハウスボーイとして雇っていた為に、中国人排斥が再燃する事を恐れ、不本意ながら日本人排斥を支持した。
 7月 日本政府は、義和団事件を理由に南下してくるロシア帝国への対応を最優先として、アメリカとの関係悪化を回避する為に、渡米する契約労働者のパスポート発給を一時停止した。
 第一回自主規制である。
 夏 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、黄禍論に関する演説を行った。
 ヴィルヘルム2世の日記「上手くいっている。愉快な事だ」
 ロシア皇帝ニコライ2世も、キリスト教による世界統一を妨げる日本人ら非白人種を排除する為に黄禍論を利用し、満州から朝鮮・日本への侵略を正当化した。
 日本は、ロシア帝国から日本を防衛し、天皇を守る為に軍事力の増強を急いだ。
 だが。黄禍論が、キリスト教圏で強い支持を受けている以上、根拠無き人種差別と分かっていても打ち消すだけの国力が無かった。
 帝国主義時代に於いて、軍事力を伴わない正論は負け犬の遠吠えで、誰も見向きもしなかった。キリスト教会でも、然りであった。
 サンフランシスコの排日団体は、日本人移民を排除する為に黄禍論を取り入れた。
 『アメリカ歴史事典』「黄禍論は、白人至上主義で過激なナショナリズムであるアメリカ白人種の東洋人移民に対する態度から発生し、その起源は太平洋岸地域で支那人労働者に始めて接触した白人種の抱いた感情に因っている」
 フランク・ピクスレイ「支那人は、神が創造した全ての人種の中でも最も劣った人種である」(1876年 カリフォルニアの新聞編集者)
 8月 マニラのディーイ提督は、フィリピン独立軍のゲリラ戦に手こずり、さらに6万人の増派を要請した。
 アメリカ軍は、フィリピン独立派を殲滅する為に、民間人に化けてゲリラ戦を行う便衣隊を正規兵と認めず非人道的拷問を行った。
 11月6日 現職マッキンレー大統領は、100万票差を付けて圧勝した。
 セオドア・ルーズベルトは、政治的実権のない副大統領に就任したが、「太平洋の支配」という年来の希望を叶えるべく友人のマハンやロッジ議員等と海軍力増強を協議した。
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1901年 セオドア・ルーズベルトは、日本人の移住が増える事はアメリカに於ける白人支配を脅かすとして、議会に対して日本人のみを帰化不可能人種と定める法案を提出した。
 議会は、提出された人種差別的法案を却下した。
 コネチカット州法に基づき、インターナショナル・バンキング・コーポレーション(IBC)を設立した。
 重役に、鉄鋼業のH・C・フリック、鉱山業のI・ギッゲンハイム、鉄道業のE・H・ハリマンらが参加した。
 この銀行州法は、アメリカ政府の外交とは別に、州経済の発展の為にアジア貿易及び鉄道建設投資の促進を目的とた法律である。
 アメリカの利益になる事を最優先として、相手国の法規制をも超越する強力な万能法であった。
 イギリスは、スエズ運河運営をもとにして、アメリカが中米地域で独占的に運河経営を行う事は国際的公平性に反するとして反対していた。
 マッキンリー大統領は、イギリスと交渉し、アメリカが単独で運河を建設し運河地帯にアメリカ軍が駐屯する事を認めさせた。
 1月 アイルランドアメリカ人は、カリフォルニア州労働連盟を結成し、カリフォルニアは絶対神の御心で白人に与えられた土地であり、非白人非キリスト教徒の日本人を白人の楽園から追い出すべきであるとして活動を強化した。
 労働連盟は、激しい排日発言を繰り返すユージン・シュミッツ市長候補を全面支援した。
 サンフランシスコ・クロニクル紙やサンフランシスコ・コール紙らも、排日運動は民意であるとして支援した。
 1月8日 カリフォルニア州知事ヘンリー・ゲージは、アイルランド政治団体の圧力に押されて、州議会で日本人移民問題が存在する事を発表した。
 7月 組合活動家は、労働者の権利を拡大する為に組合労働党を結成した。
 カリフォルニア州労働連盟は、大規模なゼネストを行って物流に大打撃を与え、サンフランシスコ経済をマヒさせた。
 マッキンレー大統領は、叛乱が止まないフィリピンを安定させる為に、併合反対派であったウィリアム・タフトを民政長官に指名してマニラに送り込んだ。
 タフトは、優生学を信奉し、アングロ・サクソン人種は世界の支配層になるべきであると確信していたが、劣等人種を抑圧し差別し搾取する事には反対であった。
 当時の民政長官は、軍政長官アーサー・マッカーサー少将が兼務し、武力支配を行っていた。
 タフト民政長官は、人心掌握の懐柔策としてアメリカ化政策を採用し、武力鎮圧の武断統治を改めた。
 フィリピンに殖産興業の気運を高める為に、禁止されていたフィリピン人の教育を認め、文化度を高め為に英語の普及を最重要課題とした。
 大地主であったスペイン人や友好的フィリピン人エリート階層の土地を、買い上げて貧困農家に低金利で払い下げた。
 さらに、カトリック教会が所持していた教会領も、バチカンを説得して開放させた。
 武装闘争をしていたフィリピン独立派の多くは、武装解除して投降した。
 フィリピンは、アメリカに同化し、公用語を英語とする事を受け入れて安定した。
 タフト民政長官は、産業振興の為に、ワシントンに対して、フィリピン産商品のアメリカ輸出に際しての無課税と支那人排斥法の適用除外を求めた。 
 ワシントンは、要請を拒絶した。
 アメリカの砂糖業界は、フィリピン産の安価な砂糖が大量に注入すること警戒した。
 人種差別主義者は、フィリピンを経由して中国人が移住してくる危険があるとして猛反対した。
 アメリカは、キリスト教価値観を共有する白人の移民を歓迎したが、キリスト教を崇拝しない非白人の移民には国家への忠誠心がないとして否定的であった。
 日本政府は、サンフランシスコ市の日本人排斥運動に配慮して、契約労働者として渡米しようとする者へのビザ発行を停止した。
 9月6日 マッキンレー大統領は、カナダ国境に近いバッファローで開催されている汎アメリカン博覧会を訪れ、ポーランドカソリックの青年によって狙撃された
 アメリカの自由と民主主義は、反対派による大統領暗殺を伴う。
 9月14日 マッキンリー大統領が死亡して、副大統領のセオドア・ルーズベルトが新たな大統領に就任した。
 45日後。犯人は、国家元首殺害の罪でスピード裁判が行われて処刑された。
 如何なる主権国家に於いても、国家元首を傷つけたり殺害した者は凶悪なテロリストとして、理由の如何に拘わらず死刑にされるものである。
 計画倒れで終わった無能者は重禁固刑であったが、暗殺計画を実行して失敗した者はやはりテロリストとして処刑された。
 国家元首暗殺テロリストとして英雄として祭り上げているのは極少数の国家で、それは韓国と北朝鮮である。
 セオドア・ルーズベルト副大統領は、マッキンレー大統領死去に伴い昇格して、43歳の若さで大統領に就任した。
 10月 日本政府は、アメリカからの要請があったセントルス万国博覧会参加を決定した。
 日本は、日本人移民排斥運動でギクシャクしている日米関係を修復する機会ととらえて、積極的に日本を売り込もうとした。
 セオドア・ルーズベルト大統領は、パナマ運河を完成させ、太平洋艦隊を充実させるまで、両国関係を平穏に維持する為に積極的な親日外交を展開した。
 国際外交とは、狡猾で、強かでなければできない。
 それが、真の外交能力である。
 11月 アメリカ海軍は、本土有事に備えて、大西洋・カリブ海と太平洋をつなぐパナマ運河の必要性を訴えた。
 だが。アメリカは、国力の脆弱な時代であった1850年4月19日にイギリスとクレイトン・ブルワー条約を結んでいた。同条約は、中米で運河建設を行うときは排他性を防止する為に共同で開発する事と定めていた。
 ヘイ国務長官は、イギリスがボーア戦争とアジアに於けるロシア帝国の南下で国力を削がれている今が好機であるとして行動を起こした。
 イギリスの駐米大使ポウンセフォートは、アメリカに恩を売る為に、クレイトン・ブルワー条約の破棄に同意し、新たにヘイ・ポウンセフォート条約を結びアメリカ単独での運河建設を認めた。
 アメリカは、カリブ海を内海として制海権を独占し、カリブ海の諸島群の支配権と周辺諸国への指導権を得た。
 アメリカ軍による、中南米諸国への軍事介入が本格化した。
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 1902年 アメリカ議会は、新規の中国人移民を完全に遮断する為に、移民留保を無期限に延長し、在米中国人を帰化不能者として帰化権の改めて剥奪した。
 アメリカは、中国に滞在しているアメリカ人の生命財産を保護する責任は清国側にあると要求した。 
 植民地主義者は、西欧列強に倣って中国に租借地を獲得する為に、中国人の面子を潰し、清国を挑発して戦争に持ち込もうとした。
 アメリカの要求は、両者が同等の義務を負うという双務方式ではなく、相手だけが義務を負いアメリカに義務がないという片務方式であった。
 軍国日本は、事なかれ的稚拙な外交交渉を繰り返して、アメリカの片務方式で日米戦争へと追い込まれ。
 清国は、国家の名誉を守る為に中国人移民への差別に抗議したが、国外に出た中国人は中国を棄てた裏切り者として棄民扱いした。
 日清戦争に敗北した清国は、腐敗堕落した社会で内戦・暴動が絶えず混乱し、国土が西洋列強の植民地として蚕食されていても止める事ができず、アメリカへの対抗手段を取るゆとりがなかった。
 アメリカは、中国市場進出の為に清国に圧力を加えていたが、西洋列強や日本の既得権に妨害されて目的を果たせず苛立っていた。
 アメリカ国内で低賃金の労働者を必要とする企業や工場は、新たな労働者を必要とした。
 人材斡旋業者は、中国人にかわってハワイで急増している日本人移民に目を付けた。
 ハワイの日本人移民は、より高い賃金が貰えるアメリカ本土への移動を希望し始めた。
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 1904年 高知県出身の奥村多喜衛は、キリスト教に改宗し、日本人移民の為にマキキ聖城教会を開いた。
 「神は我が城、我が高き櫓、悩める時のいと近き助け」
 奥村牧師は、1932年に高知城天守閣を模した教会を建てた。
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 1905年4月 日本政府は、アメリカの日本移民排斥運動への配慮からハワイ移民を一時中断した。
 5月 サンフランシスコ市と周辺の57の労働組合は、日本人移民を対象としたアジア人締めだし連盟を結成し、日本は圧力をかければ反論せずに後退するとして、ワシントンに対して各種の反日決議案を可決するように陳情攻勢をかけた。
 各地の日本人移民は、人種差別種意義者から迫害を受けていたが、抵抗もせず嫌がらせにひたすら耐え忍んでいた。
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 1906年12月16日 ニューヨーク・タイムズ紙は、人種差別として、日本を激しく批判し、中国に好意的な記事を掲載した。
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 現代に於いて。
 国家元首昭和天皇暗殺未遂を英雄視するのは韓国と北朝鮮で、それを正当化しているのは中国である。
 韓国と中国が主張する未来志向の三国共通歴史認識とは、そうした歴史である。
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 2014年 ハワイ人独立運動家達は、アメリカからの独立とハワイ王家の復活、伝統文化や独自の宗教といった民族性に根差した地域国家の樹立を求めている。
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 1920年代 白人至上主義団体「KKK」会員は、南部を中心に600万人までに膨れ上がっていた。
 行動的人種差別主義者である彼らは、各地で集会を開いて十字架を燃やし、黒人や黒人を擁護する白人に凄惨なリンチを加え、放火や殺人を繰り返していた。




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