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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
昭和天皇は、日米戦争の原因の一つにアメリカに於ける排日の人種差別をあげていた。
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2024年5月26日 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「人種差別や排斥、米国で今も 排日移民法、成立100年
米カリフォルニア州のエンジェル島でパスポートのチェックを受ける日本人。排日移民法成立前の1920年ごろとみられる(ゲッティ=共同)
【ロサンゼルス共同】1924年に米国で日本人移民を全面的に禁じた排日移民法が成立して26日で100年。多様な背景を持つ移民と子孫から活力を得てきた米国だが、人種差別や排斥は1世紀を経た今も社会にはびこる。移民の問題は11月の大統領選でも主要争点となり、有権者に国のあるべき姿を問いかける。
排日移民法の正式名称は「1924年移民法」で、出身国や人種に基づき「米国にふさわしい人物」を決める考え方に依拠した。南欧や東欧からの移民制限も狙い、移民の年間受け入れ上限数を、1890年の国勢調査時点に米国に住んでいた外国出身者数の2%に引き下げると定めた。
米国では近年、メキシコを経て不法に流入する中南米出身者らが急増し、厳格な移民政策を歓迎する有権者が増えている。大統領返り咲きを目指すトランプ前大統領は昨年12月、不法移民が米国の「血を汚している」と発言した。
排日移民法の推進者らは当時、新たな移民が「国の根幹を成してきた血統を汚す」と主張した。かつての議論が1世紀を経た今日の差別的な言動と重なる。
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32 日本という国「戦争と⼈種差別への怒り」
⽇本を⾒つめ直し、楽しく⽣活、仕事しましょ、シリーズ。
私達⼀般的な⽇本⼈は、肌の⾊などの⼈種の違いにあまり偏⾒がなく、無頓着なところがあります。これは、縄⽂1万年など⽇本の⾧い形成過程で、⽇本にたどりついた民族と争うことなく混ざり合い、助け合い、⽇本語圏の国をつくり、歴史上、他の民族から独⽴と国体を失うほどの凄惨な侵略を受けたことが無い、稀な民族であることが理由の⼀つかもしれません。
しかし、⻄洋における民主主義の発祥古代ギリシャにおいて、アリストテレスの著書「政治学」に記されているように、”知性の有無によって、⽣まれながらに⾃由⼈と奴隷と定められた⼈間が存在し、奴隷⾃⾝も⾃由⼈に擁護されることが有益である”という民主主義と奴隷が社会構造として両⽴するという認識は、その後、優秀な⽩⼈と劣等な有⾊⼈種という⼈種間の優劣の観念を形成し、植民地政策と凄惨な虐殺を正当化しました。
幕末、これを⺫の当たりにした私達の先⼈は、⾮⽩⼈として唯⼀、⻄洋に全てを学び、対抗する⼒を蓄え独⽴を死守するという選択をします。
⽇清・⽇露戦争に勝ち、第⼀次世界⼤戦で戦勝国側となった⽇本は国際連盟の常任理事国となり列強国として扱われるようになります。しかし実態は、特にアメリカにおける⽇本⼈に対する⼈種差別は激しいもので、1906(明治39年)サンフランシスコ学童隔離、1913(⼤正2年)カリフォルニア排⽇⼟地法成⽴など⼈種差別がおこなわれていました。
1919(⼤正8年)、第⼀次世界⼤戦後のパリ講和会議で世界史で初めて国際社会に⼈種差別撤廃条項が⽇本から発議されますが否決されます。その後1924年、排⽇移民法がアメリカ全⼟で発布され、これは1952年まで⾧きにわたり続きます。
太平洋戦争(⼤東亜戦争)※の原因について、昭和天皇の独⽩録の冒頭の発⾔を抜粋します。 ”原因を尋ねれば、遠く第⼀次世界⼤戦後の平和条約にある。⽇本の主張した⼈種平等案は列国に認められず、⻩⽩の⼈種差別は依然存在し、排⽇移民拒否の如きは⽇本国民を憤慨させるに充分で、かかる国民的憤慨を背景として、軍が⽴ち上がった時に之を抑えることは容易な業ではなかった”と述べられています。
私たちは先の戦争において、悪い軍の暴⾛でおこり、単純に国民が受け⾝で犠牲者であったと語られることが多いですが、昭和天皇のお⾔葉のとおり、事実と異なります。
先の戦争に⾄る経緯、原因は⾮常に複雑なものでしたが、民主国家にとって戦争への民の意識は重要で、国民の怒りは戦争に⾄る原因の⼀つとして重要なものです。また、その怒りをあおったマスコミの存在も忘れてはなりません。
※⼤東亜戦争は昭和16年閣議決定の正式名称。 戦時中に⾏われた初めての⼈種解放アジア⾸脳会議、 ⼤東亜会議を連想させるため、戦後GHQが使⽤を禁⽌。太平洋戦争に書き換えることを命じられる。
忘れがたい経験(抜粋) W・E・Bデュボイス
「最後の日に、私が東京の帝国ホテルで料金を支払っていると、大声でしゃべる典型的なアメリカ人白人女性が割り込んできた。アメリカであればただちに彼女のほうを向いて、彼女の対応をしないまでも、詫びを言うか言い訳をするところであろう。しかし、東京では違った。 彼は目で合図もしなければ頭をめぐらせることもなかった。彼は注意深く私の対応を終えると、ゆっくりと日本式の丁寧なお辞儀をして、それからアメリカ人女性の方に向き直った。」 後に、フロント係の毅然とした態度に、これまでの白人支配の世界と違った、新しい世界の幕開けを予感した、と語っています。
1936(昭和11年)ピッツバーククリア紙掲載。
アメリカ公民権運動指導者・黒人初の博士号取得
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2015年8月1日 産経新聞「日本軍が変えた「白人優位」 『人種戦争』
『人種戦争-レイス・ウォー 太平洋戦争 もう一つの真実』ジェラルド・ホーン著、藤田裕行訳、加瀬英明監修(祥伝社・2000円+税)
『人種戦争-レイス・ウォー 太平洋戦争 もう一つの真実』
太平洋戦争は人種差別をめぐる戦いだった、と本書の著者、ヒューストン大学の黒人歴史学者ジェラルド・ホーン教授は言う。
第二次世界大戦に日本が参戦するまで、世界は白人優位の絶対的な秩序のもとで成り立っていた。「純血の白人」以外は人にあらず、とまで言われるような、有色人が虐げられる劣悪な状況である。これを、日本軍が変えた。
そもそも日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議で、世界で最初に人種差別撤廃提案をした国である。しかし、英米などの反対により、かなわなかった経緯がある。
日本はこうした白人至上主義をくつがえすことを試み、この戦争を、太平洋における白人支配に対する防衛として位置づけた。
そしてヨーロッパの人種差別と植民地政策を逆手にとり、植民地化されていた地域の有色人たちとの間に同盟関係を築いていったのである。
本書には、香港をはじめアメリカ、東南アジア、インド、オーストラリアなど、著者が世界各地で取材した、たくさんの有色人の声が収録されている。
1941年12月、日本軍が香港に侵攻した際、反日感情の強い中国人がこれを支援したという記述も興味深い。このように日本では知りえなかった真実がここに描かれている。
白人至上主義が依然として根強く残っている現代にも、警鐘を鳴らす異色の問題作である。ぜひご一読いただきたい。(ジェラルド・ホーン著、藤田裕行訳、加瀬英明監修/祥伝社・2000円+税)
評・竹口栄一(祥伝社書籍出版部)
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軍国日本の戦争は、日清戦争以来の領土拡大を目的とした戦争犯罪の侵略戦争ではなく、江戸時代後期からのロシア・中国・朝鮮の侵略者から天皇・母国・民族を守ろうとした積極的自衛戦争であった。それが、靖国神社である。
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日本で反米意識が高まったのは、排日移民法(1924年移民法)からである。
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アメリカで反日意識が高まったのは、1937年9月11日の宋美齢による涙演説からである。
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アメリカは、対日戦争を人種差別戦争にしない為にファシスト中国や中国共産党、キリスト教系朝鮮人テロリストなどのアジア人を隠れ蓑に使用し、強制収容所の日系アメリカ人を兵士に半強制的に志願させて日本との戦争に投入していた。
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中世キリスト教会・イエズス会伝道所群と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として世界中に売り飛ばしていた。
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2021-04-29
💟2¦─1─中国人移民に対する人種差別。1882年「中国人移民排斥法」~No.2
2021-04-30
💟2¦─2─「排日移民法」と関東大震災。渋沢栄一。~No.3No.4
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2021-03-16
💟3¦─1─日本のイギリスに対する宣戦布告・最後通牒は「真珠湾攻撃前」の指定時間に行われた。1941年12月7日~No.5No.6No.7 *
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💟4¦─1─ルーズベルトの大統領令9102号。人種差別主義者による日系アメリカ人に対する迫害。1942年~No.8No.9No.10 *
2023-07-13
💟4¦─2─“地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史。~No.11
2021-03-26
💟4¦─2─日系アメリカ人は檻に閉じ込められ、幾人かは自殺した。カナダの日本人強制収容所。1942年4月~No.12No.13 *
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