💒88」─8─米西戦争。アメリカは、外交交渉でハワイ共和国を併合し、軍事力でフィリピンを植民地として40万人を大虐殺した。1898年~No.294No.295No.296@ ・

日露戦争と韓国併合――19世紀末-1900年代 (岩波講座 東アジア近現代通史 第2巻)

日露戦争と韓国併合――19世紀末-1900年代 (岩波講座 東アジア近現代通史 第2巻)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本海軍は、軍事力でハワイ王国を併合したアメリカを仮想敵国と定めた。
 日本陸軍は、秘かに反米のフィリピン独立派を支援した。
 アメリカと日本との戦争の運命は、この時から避けられない定めとなった。
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 アメリカは、ハワイとフィリピンを手に入れる事によってアジア・中国への航路を確保したが、航行の安全の為に障害となったのが日本であった。
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『マタイによる福音書
「第5章第39節 わたしは言っておく、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったなら、左の頬をも向けなさい。
 第5章第44節 わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
 第10章第34・35節 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
 第26章第52節 イエスは言われた『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』」
『ローマの信徒への手紙』
「第12章第19節 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。」
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 エラスムス「キリストの教えをあまねく究めなさい。すると見出されるものは、平和の息吹のするものばかり、友愛の響きのするものばかり、慈愛の美味ばかりである」 
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 新聞王ハースト「新聞の売り上げを増やす為なら、国を戦争に追い込む事も辞さない」
 イエローペーパーは、総人口の0.1%しかいない日本人移民がアメリカを侵略して来ると、日本脅威論を書き立てた。
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 1898年 スペイン領キューバ。混血児(メスティソ)や黒人奴隷達は独立を求めて反乱を起こし、反乱鎮圧に出動したスペイン軍を撃退し、植民地行政庁を追い詰めた。
 スペイン人が植民地化する以前に住んでいた先住民インディオ数十万人は、疫病の蔓延と奴隷的使役で絶滅して生き残っていなかった。
 アメリカの理想主義者は、王制打倒と植民地解放を訴えて、キューバ独立運動を支援し、スペインの横暴を告発した。
 アメリカ人地主は、砂糖きび畑の農地を拡大するべく、独立運動に軍資金を出して活動家を支援していた。
 ハワイ共和国は、砂糖輸出の競争相手であるスペインのカリブ海植民地諸島が、アメリカ砂糖資本の支配下に入る事に危機感を感じた。
 1月 マッキンリー大統領は、キューバ暴動が激化するや、キューバ在留アメリカ人の現地保護を目的として戦艦「メイ ン」号を派遣した。
 ハバナ港内に停泊していたメイン号が、原因不明の撃沈し、乗務員266名が死亡した。
 アメリカの好戦的新聞社や雑誌は、爆発・沈没はスペインの仕業であるとして「リメンバー・メイン号」を合言葉に開戦へと世論を扇動した。
 国民世論は、「リメ ンバー・メイン」を叫び、奴隷制度を持つ植民地帝国スペインを懲らしめるべく戦争を望んだ。
 スペインは、アメリカ調査団による原因解明を受け入れ、たとえ不利な結果でもアメリカとの戦争が回避できるのであれば歓迎する腹づもりであった。
 アメリカは、スペインの監視下では正確な調査ができないと難癖を付けて、スペインの戦争回避の譲歩案を全て拒否した。
 セオドア・ルーズベルト海軍次官は、スペインとの戦争は不可避として、アメリカ艦隊の一部を香港に送り、スペイン領フィリピン攻略の為に開戦するまで待機させた。
 アメリカは、表向きスペインとキューバ問題を平和的に解決するべく交渉を続けながら、裏では戦争を決意して着々と開戦準備を進めていた。
 アメリカ軍は、スペインとの戦争を計画し、用意周到に準備を行っていた。
 アメリカ外交は、欺瞞的話し合いを行いつつ、マニュアルに従って戦争準備を同時進行させていた。
 後年。同じ様な手口で、日本と戦争をする為に、表向き和平交渉で日本に期待を持たせて油断を誘い、裏で対日戦計画に従って戦争準備を進めていた。
 それが、「リメンバー・パールハーバー」である。
 これは、アメリカが戦争を始める為の常套手段である。
 2月 ニューヨーク・ジャーナル紙は、スペインの駐ワシントン公使エンリケ・デロームキューバの友人に宛てた私書を不正な手段で入手した。
 デローム公使は、個人的な手紙でまさか奪われるとは思っていなかったので、アメリカの不誠実やマッキンレー大統領の悪口を書き並べられていた。
 2月9日 ニューヨーク・ジャーナル紙も、国家元首である大統領への非難中傷は主権国家アメリカの名誉を傷つける侮辱であると、国民に訴えた。
 当然の事ながら、アメリカ世論は新聞の愛国的論調に煽られて激高した。
 2月15日夜9時40分 ハバナ港に停泊していたアメリカ戦艦メイン号が爆沈し、乗務員354人中252人が即死した。近くに碇泊していたスペイン海軍巡洋艦アルフォンソⅩⅡ号とアメリカ蒸気船シティー・オブ・ワシントン号は、救助活動を行った。
 2月17日 ジャーナル紙は、爆沈原因がわからないにもかかわらず、スペイン陰謀説を捏造して報道した。
 ワールド紙など他の報道機関も、戦争に発展させない様な冷静な報道ではなく、戦争を呼び寄せる様な過激な紙面作りをおこなった。
 それが、「リメンバー・メイン!」である。
 国民世論は、報道機関に煽られてスペインへの制裁を求めた。
 2月25日 セオドア・ルーズベルト海軍次官は、対スペイン戦は不可避と判断し、マッキンレー大統領の許可を得て、スペイン領フィリピンを攻略するべくアジア艦隊司令官ジョージ・デューイに戦闘準備の状態で艦隊を香港に終結させる様に命じた。
 デューイ司令官は、石炭や軍需物資の運搬を確保する為に、イギリスから蒸気船二隻を購入した。
 3月 セオドア・ルーズベルトは、スペインとの開戦の為に海軍統合本部を組織し、フィリピン及びキューバへの艦隊派遣作戦の準備を急いだ。
 アメリカ陸軍は、創軍いらい敵の侵入を想定した作戦計画を立案し、海外派兵を想定していなかった為に、戦争準備が予想以上に遅れていた。
 4月11日 マッキンレー大統領は、議会に対して、スペインとの開戦を要求した。
 議会は、ラテン系キューバ人を国民としない為に、キューバを併合しない事を条件として承認した。
 4月19日 米西戦争アメリカは、「キューバの民をスペインの圧政から解放する」として、スペインに対して宣戦布告した。
 スペインにはアメリカと戦う理由がなく、スペイン軍には勝利への戦意がなかった。
 アメリカ軍は、各地でスペイン軍を撃破し、地元民から解放軍として歓迎された。
 4月21日 マッキンレー大統領は、キューバの海洋封鎖を宣言して、戦争に突入した。
 4月22日 アメリカ議会は、2万8,000人の陸軍常備兵力ではスペインとの戦争は出来ないとして、各州ごとで志願兵を募る事を決定した。
 4月23日 マッキンレー大統領は、総兵力を12万5,000人にする大統領令を決め、対応の遅いラッセル・アルガー陸軍長官とネルソン・マイルズ総司令官に失望した。
 スペインは、アメリカとの戦争を避けようとしたが、避けられないと判断してアメリカに宣戦布告した。
 ハワイの併合推進派は、併合の好機として、太平洋防衛の為にアメリカ併合を行うきであるとの議会工作を進めた。
 ハワイ共和国は、局外中立を求める声を無視して、アメリカに戦争協力する事を明言した。
 4月29日 本国のスペイン艦隊は、大西洋のケープ・ヴェルデ諸島を出港してカリブ海に向かった。
 5月1日 デューイ提督が率いるアメリ・アジアカ艦隊は、マニラ湾に停泊していたモントホ提督のスペイン艦隊を攻撃し撃滅した。
 だが、スペイン陸軍は健在でマニラ周辺の守りを固めていた。
 バチカンは中立を維持し、カトリック教会は静観していた。
 ハワイ人王制復活派は、ハワイ王国の存亡の危機として、日本人移民団に王国復古の協力を要請した。
 だが。日本移民団は、滅びたハワイ王家復活よりアメリカ市民になる道を選び、王制復活派の協力要請を拒否した。
 5月2日 セオドア・ルーズベルトは、マニラ湾開戦に勝利したデューイ提督に祝電を送った。
 ホワイト・ハウスに、陸海軍合同統合本部が設置された。
 5月10日 セオドア・ルーズベルトは、劣等人種の移民増加で衰退し堕落した最優秀人種WASPの活力を回復させ、アメリカ・エリートに開拓精神のアメリカ魂を取り戻す為に、前線に立つて戦うべく海軍次官を辞任した。
 5月12日 アメリカ上院外交問題委員会は、ハワイ併合法案を可決して本会議に送った。
 アメリカは、ハワイ共和国に併合の条件として、日本と外交問題となっていた約1,100人の自由移民上陸拒否に伴う賠償問題の解決を求めた。
 マハン「私の意見を集約すれば、つまりこういうことです。我が国はより強力な海軍力を必要としています。一度戦争が起こる様な事態になれば、太平洋岸の領土を防衛する事は出来ません。それだけではありません。ハワイ諸島を他国(日本)が占領する事を阻止する事さえも出来ません。しかし我が国が此の島を先に占領し、要塞化してしまえば、アメリカ太平洋岸を侵略する事は難しくなります。ハワイに海軍基地を保留せずして、我が国を攻撃する事はまず不可能なのです」
 5月16日 アギナルド将軍は、アメリカ艦隊の手引きでマニラ湾に上陸した。
 ディーイ提督は、フィリピン人のスペイン支配から独立を艦隊を派遣して支援すると口約束したが、文書にする事を拒否した。
 「アメリカ人の名誉にかけて、私が約束した事は単なる文書よりも重い意味を持つ」
 5月19日 セルベラ提督率いるスペイン艦隊6隻は、アメリカ海軍の警戒網の裏を掻いてキューバのサンチャゴ・デ・クーバ港に入港した。
 5月29日 アメリカ艦隊11隻は、サンチャゴ・デ・クーバ港沖に到着して、港内に閉じこもるスペイン艦隊を対峙したが、攻めあぐねた。
 アメリカ軍は、スペイン艦隊を撃滅する為に、キューバ反乱軍の協力を得てダイキリ上陸作戦を発動した。
 6月 反マッキンレー派は、強引に海外領土を拡大する膨張政策に反対して、ボストンで反対集会を開いた。
 日本海軍は、米西戦争が終了する8月まで、フィリピン在留邦人を現地保護する目的で二等巡洋艦「浪速」をマニラ湾に派遣した。
 アメリカにとって、日本海軍はことある事にアメリカの国策に干渉し国益を侵害する仮想敵国であり、軍艦「浪速」は悪魔の使者と憎悪した。
 連邦議会内では、スペインとの聖戦意識が高揚する中で、フィリピンでのアメリカ軍を支援する為に、ハワイを併合して補給基地・真珠湾を確保すべきだとの声が高まった。
 国民世論も、対日脅威論からハワイ併合を支持した。
 アメリカ海軍は、マリアナ諸島のスペイン領グアム島を占領した。
 日本は、自国の安全と太平洋の平和の為にハワイ併合に反対である事を鮮明にした。
 6月1日 フィリピン攻略部隊は、ハワイ・ホノルルに到着した。
 ハワイ共和国は、アメリカ併合の為の戦争協力として、政庁となっている旧ハワイ王朝のイオラニ宮殿前広場で盛大なる歓迎式典を催した。    
 ハワイ併合法案は、6月15日に下院で、7月6日に上院で、圧倒的多数の賛成を得て成立した。
 6月12日 アギナルド将軍率いるフィリピン独立軍は、アメリカとの約束を信じて、スペイン軍陣地を背後から攻撃した。
 そして、フィリピン独立を宣言して、初代大統領に就任した。
 スペイン軍は、フィリピン革命軍の攻撃に追い詰められ、マニラ旧市街に立て籠もった。
 6月22日 アメリカ陸軍は、キューバ反乱軍の手引きで、ダイキリにサンチャゴ・デ・クーバの背後にあるサンファン高地攻略部隊1万5,000人を上陸させた。
 セオドア・ルーズベルトは陸軍中佐として、志願兵部隊「ラフ・ライダーズ」の副隊長となってキューバに上陸した。
 7月 日本は、巡洋艦浪速をハワイに派遣して損害賠償を求めると同時に、ハワイ併合に抗議する姿勢を無言で表した。
 ハワイ共和国は、金で解決できるものは金で解決するとして、損害賠償として7万5,000ドルを支払う事を決めた。
 日本の、旧ハワイ王家への信義としての支援活動は終了した。
 アメリカの駐英大使ジョン・ヘイ(任期1897年3月19日〜98年9月12日)は、スペインとの戦争に際してイギリスの介入を防ぐ為の工作を行った。
 イギリスは、ボーア人との間で戦争に発展しそうな南アフリカ問題で手一杯で、アメリカとスペインの紛争に介入するゆとりはなかった。
 イギリス首相ソールズベリーは、ヘイ大使に「スペインに同情は感じるが、米西両国の問題には関与しない」と答えた。
 清国は、日清戦争の敗北で弱体化をさらけ出し列強によって分割されつつあった。
 ロシア帝国満州を、フランスは広西・雲南両省と海南島を、ドイツは山東省を、日本は台湾と福建省を。
 イギリスは、アヘン戦争以来築い来た中国国内の既得権益が後発国に奪われ、それらの国々が支配する地域で排他的経済圏を設けてイギリスを締め出すのではないかと警戒した。
 南下してくるロシア帝国を食い止める為に、日本を支援し、宿敵アメリカに急接近した。
 清国海関長官のイギリス人ロバート・ハートは、開港地でイギリス商品に対しての免税措置を行う様に工作し、ロシア帝国が同様の免税を支配地で行えない様にするべく部下のヒップスをアメリカに派遣した。
 ヘイ大使は、イギリスの苦境を救う手立てとして、中国大陸に進出する全ての国に対して中国市場の開放を求める米英共同声明の発表を、ワシントンに提案した。
 7月1日 セオドア・ルーズベルトは、大佐に昇格し、ラフ・ライダーズを指揮してサンファン高地のケトルヒル攻略を攻略した。
 この軍功によって、セオドア・ルーズベルトアメリカの英雄となった。
 リチャード・デーヴィス「ルーズベルトは自らの行動を通じて、図太い度胸を示した。ダーウィン主義の考えでいえば、文明の発展に伴って不可避的に社会に蔓延した無気力な性癖を叩き直したという事になる。生来持っていた人間の残虐な面を解き放ったのだ」
 7月3日 サンチャゴ・デ・クーバ軍港に碇泊していたスペイン艦隊は、降伏を潔しとせず、アメリカ艦隊が待ち構える湾外に出撃して全滅した。
 日本海秋山真之大尉が参加した外国の観戦武官団は、アメリカ軍艦に乗船して戦闘の模様を観戦した。
 7月7日 連邦議会は、日本脅威論のもとでハワイ併合が議決した。
 7月30日 サンフランシスコ財界は、中国市場への参入の為に、ハワイ共和国とフィリピンの領有を希望する声明を発表した。
 カリフォルニア州労働組合は、フィリピンから低賃金労働者が大量に押し寄せてくるとして、フィリピン併合に反対していた。
 カリフォルニア州選出の上院議員2名は、非白人移民反対の労働組合の意向に従ってパリ条約批准に反対していた。
 カリフォルニア州経済界首脳は、2人の上院議員に批准決議に賛成する様に圧力をかけていた。
 8月 スペインは、アメリカとの戦争を望まなかっただけに、4ヶ月足らずで休戦を希望して、フランスに仲介を依頼した。
 アメリカは、戦争宣言を行った。
 キューバは、スペインからの独立を宣言するが、アメリカ軍の占領下に置かれた。
 アメリカは、キューバ保護国として傀儡政権を樹立し、軍事同盟や互恵通商条約などの対米従属の屈辱的条約を押し付けられた。
 アメリカは、スペインからプエルトリコ、グアムを割譲させ、プラット修正という条項で軍事占領したキューバ保護国化した。
 アメリカは、キューバに、人民主権という自由と民主主義の理想を持ち込んだ。
 傀儡政権は、アメリカの要求を無条件で受け入れ、アメリカ人地主が多くの土地を所有できるように便宜を図り、賄賂を貰って国際資本にキューバ経済の支配を委ねた。
 独立運動を戦った地元民にとって、スペイン人支配者の農業奴隷からアメリカ人地主と国際資本家の奴隷的労働者に代わっただけで、それ以外の改善はなかった。
 略奪的資本主義下で、依然にまして人種差別と富の格差が酷くなった。
 貧富の格差が広がるにつれて、社会不満も増大して犯罪や暴動が頻発した。
 上流階級は、富の独占を維持する為に私兵を雇って自己防衛し、格差社会の底辺にいる不満者に暴力を振るい、リンチにかけて殺害した。
 貧困者は、格差の是正を求めて犯罪集団を組織して反体制暴動を起こした。
 富の格差は、社会を急速に崩壊させ、共産主義革命につながった。
 現代に続くキューバ問題は、この時から始まった。
 アメリカは、フィリピン人に独立を目指す「革命軍を援助する」というふれこみでスペイン軍と戦わせたが、勝利を得ると一方的にスペインと講和条約を結んだ。
 そして。スペインから、フィリピンとグアムを2,000万ドルで買い取った。
 スペイン領フィリピンでは、反スペインの民族主義者に独立を約束して味方に付けたが、戦争に勝利するや約束を反古にし、フィリピンを植民地とした。
 アメリカは、パン=アメリカン主義で、中南米諸国に影響力を強める為に軍事的・経済的な内政干渉を行った。
 同様に、カリブ海沿岸諸地域を独立させて新生国家を樹立させて保護国とした。
 南米のパナマは、アメリカの後押しを受けてコロンビアから分離独立し、運河建設の為にアメリカに謝礼として国土の一部を提供した。
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 アメリカ軍がフィリピンに進駐するや、人種差別主義者のアメリカ人兵士は手当たり次第にフィリピン人女性を強姦し、そして混血児(アメラジアン)を産ませて棄てた。
 オペラ「蝶々夫人」ピンカートン「港ごとに女を置いて遊ぶのがヤンキーというものさ」
 アメリカ政府は、1982年法を制定し、ベトナム、タイ、カンボジアラオス、韓国などで生まれた混血児に移民枠を与えて救済したが、フィリピンの混血児は売春婦との子供であるとして除外した。
 フィリピンはアメリカの植民地であった為に、他の国々とは差別した。
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 8月1日 リリオウカラーニ前女王は、アメリカ訪問から帰国し、最後の国王としてイオラニ宮殿で最後の宴会を開いた。
 カイウラニ前王女や王制復活派はもちろん、数百人の王党派ハワイ人が集まった。
 8月7日 マニラのジューデネス総督は、戦況不利として、アメリカ側に降伏を打診し、スペインの体面を保つ為に見せ掛けの抵抗をする事を申し込んだ。
 アメリカは、国際電信網を操作して、マニラとスペイン本国との交信を遮断した
 8月12日 アメリカとスペインは、停戦する為に講和条件の仮調印を行った。
 ハワイ共和国の支配層であるアメリカ系ハワイ人達は、宿願としていたアメリカへの併合が叶い、旧イオラニ宮殿で併合を記念する式典を開催した。
 旧ハワイ王族と王制支持派のハワイ人と日本人移民らは、併合不服を示す為に式典に参加しなかった。
 アメリカ系ハワイ人は総人口の3%弱に過ぎなかったが、原住民ハワイ人と日本人移民の合計は人口の50%以上を占めていた。
 アーネスト・サトウ駐日イギリス公使からソールズベリー侯への8月18日付け書簡「東京とワシントンの関係は極めて良好の様だ。おそらくアメリカ政府がハワイ政府に対して圧力をかけ、補償問題にけりを付けさせた事が功を奏したものだろう」
 アメリカは、中国への海上航路開設の為に北太平洋西半分の制海権を手に入れたが、その前に立ちはだかったのが海洋国家日本であった。
 アメリカは、日本の圧力を考慮して、ハワイを領土としてハワイ州とはせずハワイ準州(米自治領)とした。だが、事実上の併合には変わりなかった。
 ハワイは、アメリカの太平洋支配の拠点となり、オアフ島パールハーバー真珠湾)には対日戦用の大海軍基地が建設された。
 アジア・太平洋地区では、フィリピンやグアムを獲得して日本包囲網を強めた。
 日本を封じ込める為に必要としたのは、中国であった。
 その為にも、日本と中国が友好ムードで関係を強化する事を警戒し、中国内に反日親米派を拡大する事であった。
 ハワイ準州政府は、ハワイ国旗に代わってアメリカ国旗を掲揚する式典への招待状を、「ジョン・ドミニス夫人」として発送した。
 リリウオカラーニ前女王はもちろんカイウラニ前王女ら元王族や王国関係者は、出席を拒否した。
 ごく少数の政府関係のハワイ人以外も出席せず、抗議を込めて全ての店がシャッターを下ろしてホノルルはゴースト・タウンとなった。
 カメハメハ王家を偲ぶハワイ人は、リリウオカラーニ・ドミニスが住むワシントン・プレイスに集い、静かにその瞬間を過ごした。
 アメリカが正義とする人民主権の自由と民主主義の理想によって、一つの王国が消滅した。
 ハワイ準州政府は、アメリカとの併合は、ハワイの国際化の為に必要な変革である事を宣伝するべくアメリカから合併委員会を呼び、島々で講演を行った。
 ハワイ人の多くは、講演には出席せず、リリウオカラーニ・ドミニスが訪れる所に集まった。
 王制廃止派は、依然としてリリオウカラーニ元女王の人望が篤いのに危機感を抱き、王制復活派の団結を削ぐべく、フィリピン人や中南米人などの大量入植を実行した。
 こうして、ハワイは人種のるつぼと化した。
 世界史に於いて。異民族の大量移住は、原住民の団結心を薄め、民族間対立を煽って共同体を砕く常套手段である。
 ハワイ人以外の島民を増やす事によって、ハワイ人を少数派にしてハワイ王家へのノスタルジーをハワイから消そうとした。
 8月13日 ウェズレイ・メリット将軍率いるアメリカ陸軍部隊は、マニラ旧市街を攻撃して占領した。
 スペイン軍には、戦う意志はなかった。
 8月14日 マニラ市内のサン・オーガスティン教会で、アメリカ軍とスペイン総督の間で降伏調印式が行われた。
 アメリカ側は、スペイン軍との戦いにフィリピン革命軍を手駒として利用しただけで、本気でスペインからの独立を支援する気はなかった為に、アギナルド将軍の式典参加を拒否した。
 アギナルドら民族独立派は、アメリカの意図を警戒しながら、別の修道院で独自の独立式典を行った。
 9月 マッキンレー大統領は、ヘイ大使をワシントンに呼び戻して国務長官に任命し、門戸開放に関する声明の作成を指示した。
 13年以上駐北京公使を務めていたチャールズ・デンビーが、アメリカが対中国外交で優位に立つ為にはフィリピンの領有は欠かせないとして、ワシントンに復帰した。
 9月13日 ニューヨーク・ジャーナル紙「ホワイトハウスでの挨拶を終えたデンビー公使は、記者のフィリピン問題についての質問に対して、アメリカは永久的にフィリピン諸島を領有すべきであると答えている。この島嶼をスペインに返還するような事になれば、その領有をめぐってヨーロッパ列強の争いとなり、場合によっては戦争の可能性もある。それと同時に、東アジアにおける市場をそれなりに確保しようとするのであれば、フィリピンの領有をアメリカにとって有利になる事は間違いのない事である」
 カリフォルニアなど西海岸諸州の経済界は、国内市場では捌ききれなくなった商品を巨大市場である中国に売り込む為にも、フィリピンの領有を歓迎した。
 アメリカ海軍は、海軍力の強化を図る日本海軍の脅威を無防備な西海岸から遠ざけるという安全保障の理由から、フィリピンの戦略的重要性を訴えていた。
 10月1日 パリ終戦会議。ジョン・ヘイ国務長官は、占領したフィリピンの譲渡を要求した。
 スペインは、戦争に負けて植民地を失うという屈辱を回避する為に、2,000万ドルでの金銭譲渡を提案した。
 10月8日 アメリカの下院選挙で、与党の共和党が勝って過半数を占めた。
 中国貿易の拡大を目指す親中国派官僚(チャイナハンズ)と財界は、香港のイギリス海軍の保護下に甘んじていただけに、アメリカ独自の対アジア外交を展開する為にフィリピンに大海軍を置く事を切望していた。
 11月 鉄鋼王カーネギーらは、植民地戦争に反対する反帝国主義者同盟を結成した。 カーネギー「新たな領土拡大によって大きな軍隊が必要になり、その維持の為に一層の税金が必要になる。アメリカは、極東や太平洋地域の紛争に巻き込まれざるを得なくなる」
 11月8日 セオドア・ルーズベルトは、共和党からニューヨーク州知事選に立候補し、サンファン高地攻略の英雄として絶大な支持を得て当選した。だが、その差は約1万7,000票に過ぎなかった。
 12月10日 パリ講和条約の調印。スペインは、キューバの独立を認め、太平洋のグアムとカリブ海プエルトリコを含む西インド諸島アメリカに割譲し、フィリピンを2,000万ドルで金銭譲渡した。
 アメリカの上院は、フィリピン購入に2,000万ドルを支出するする事に否定的であり、3分の2の賛成が得られるかどうか微妙なとこであった。
 カーネギーは、個人資産から2,000万ドルを出してフィリピンを買い取り、フィリピン人に譲渡すると訴えた。
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 アメリカは、スペインからフィリピンを手に入れて。
 マッキンリー大統領「自由な者による征服は救いであり……自由、民権、宗教の自由、教育、家庭の恵みを受け、先々の子孫までフィリピンを解放し、フィリピン人を世界最高の文明の道へ導いた事についてアメリカに好意を持つ様な国となる日を待望したい」
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 アメリカは、自由と民主主義の理想を掲げ、フィリピンを植民地とするや独立させるという約束を反故にした。
 独立軍を非正規軍であると宣言し、国際法で保護する必要のないゲリラ・盗賊であると名指しした。
 反米派抵抗武装組織の殲滅の為に、捕らえたフィリピン人独立派を世にもおぞましい方法で拷問にかけて、仲間の名前や隠れ家を吐かせた。
 アメリカ軍は、謀略を駆使して独立派を追い詰めて暴発させ、自衛行動として鎮圧に乗り出した。
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 アーサー・マッカーサーが率いるアメリカ軍とアギナルドの独立軍(民兵)は、マニラ郊外サンファン橋を挟んで睨み合っていた。
 アメリカ軍は、一発の銃声を合図に即座に大攻勢をかけ、優勢な火器で独立軍の3分の1を殲滅させた。
 独立軍は、山の中に潰走して徹底抗戦した。
 アーサー・マッカーサー「山に逃げたらもはや正規軍ではない」
 アメリカ軍は、独立軍をゲリラ認定して、投降者や捕獲者を捕虜とは見なさず処刑した。
 フィリピン全土が戦場と化し、アメリカ軍は殲滅戦を繰り返した。
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 アメリカの新聞「これは文明化された戦争ではない。彼らにわかる唯一の言葉は力であり、暴虐で残虐な行為である」
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 4年間の平定戦で、フィリピン独立派数万人を虐殺し、その家族20万人以上を虐殺した。
 アーサー・マッカーサー将軍は、サマール島で38名のアメリカ兵が殺害された事に対し、報復としてサマール島とレイテ島の全島民10万人以上を皆殺しにした。さらにバタンガス地区を掃討し家や農地や家畜を焼き払い、20万人以上を餓死もしくは病死させた。
 「捕虜は要らない。弾丸は、捕虜に食わせる米よりも安い」
 アーサー・マッカーサーは、「10歳以下は除け」と命じた。
 掃討戦を終えて帰還した部下は、「10歳以下の子供はいませんでした」と報告した。
 捕虜の一週間処刑。1日目に左膝、2日目に右肩、3日目に右膝、4日目に左肩、5日目の金曜日に頭を撃って殺した。
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 民族主義を破壊する為の同化政策として、キリスト教を国教とし、英語を公用語とした。
 フィリピン人キリスト教徒は、上流階級の一員として特権を与えられ、異教徒フィリピン人を支配し、農園領主として貧困階級フィリピン人から搾取を続けた。
 キリスト教会は、貧困階層のフィリピン人に困窮に絶える事は信仰の証しであるとして、アメリカ支配を享受するように洗脳した。
 アメリカは、フィリピンを国際化する為に、親米派フィリピン人に命じて民族主義派テロリストを弾圧して、数十万人の革命派活動家と協力者を極悪な犯罪者として処刑した。
 フィリピンは、民族中心的宗教や文化を守ろうとする民族主義者にとっては生き地獄であった。
 独立派残党は、日本に支援を要請した。
 日本政府は、対ロシア帝国戦略で手一杯で、アメリカと敵対する事は自殺行為であるとして拒否した。
 日本軍部は、将来を見据えて、秘かにアジア各地の民族派に武器弾薬を送って独立運動を支援した。
 アメリカは、対日戦に供えて、親米派による傀儡政権を樹立し、12万人のフィリピン人部隊を創設した。
 フレデリック・J・ターナー「空き地がある。空き地は後退し、アメリカ人の定住地が西に広がる。これがアメリカの発展という事だ。……拡張はアメリカ人に共通する気質である」
 日本とアメリカの新たな国境は、台湾とフィリピンの間のバシー海峡に画定した。
 日本海軍は、目の前でアメリカ人王制廃止派がハワイ王国を滅亡された事実を見てきただけに、アメリカが掲げる自由と民主主義という理想主義への不信感が強かった。
 後年。東郷平八郎は、対米戦に備えて海軍力の強化を訴え、アメリカが強要する海軍軍縮要求に猛反対した。アメリカの要求を鵜呑みする幣原喜重郎天皇の権威を損ね不忠の徒と毛嫌いし、大国におもねる国際協調主義は神国日本を破滅に向かわせる亡国論として猛反対した。
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 アメリカで、金融恐慌が起き、4年間近く不況に見舞われた。
 政府は、通貨用金属として金と銀の二本立てておこなわれてきたが、金のみを裏打ちとする事を発表した。
 ロンドン・シティー金融市場も、対米融資の担保に金を要求した。
 アメリ財務省は、ドルの信用を回復させる為に、政府が備蓄していた金を金融市場に放出した。
 南北戦争による産業発展で多くの企業や銀行が誕生していたが、銀を資産として保有していた銀行や企業は資金繰りに苦しくなって倒産に追い込まれた。
 全米だ、1万5,000の企業、600の銀行、74の鉄道会社が倒産し、失業率は25%に達して失業者が路上に溢れた。
 失業者は、富の格差社会に不満を抱き、政府と資本家に抗議して各地で暴動を起こして治安を悪化させた。
 アメリカ政府は、暴徒を鎮圧する為に軍隊を派遣し、暴力的に流血を持って押さえ込み、多くの者を有罪・冤罪に関係なく容赦なく逮捕した。
 欧米諸国では、市民の暴動には断固たる処置をとり、武力を持って鎮圧した。
 アメリカの金融不況は、1899年に金本位法が成立して収束した。
 ウォール街の金融資本は、将来、有望な企業を買収して傘下に収め、産業・金融を再編してJ・P・モルガンやロックフェラーなど幾つかの巨大グループを形成した。
 アメリカの産業・金融を支配する約60家の超裕福階層が誕生し、表面的には自由競争による競合を装いながら、姻戚関係で結束して排他的なトラストを組んだ。
 富の独占による格差社会が進んで、貧困階層の敵意をかわすべくキリスト教会などの慈善団体に大口の寄附を行ってた。
 ジャーナリストのジョセフ・ピュリッツァーは、J・P・モルガンがクリーブランド大統領を抱き込んで引き起こされた陰謀であると内幕を暴いた。
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 ベン・アミー・シロニー「20世紀初頭のヨーロッパ世界は、このキリスト教徒ではない二つの民族の(日本民族ユダヤ民族)の台頭に非常に驚いた」「(西洋人にとって)それまで白色人種でキリスト教徒が独占していた分野に、非キリスト教徒で白色人種でもない人種が入り込み成功する等という事は考えられないことだった」
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 白人キリスト教徒は、ユダヤ人の危険を訴え、そして日本人の危険も訴えた。




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古代天皇のすべて

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