💒88」─7─日本海軍は、ハワイを日本防衛の要と認識し、明治天皇の裁可を得て抗議目的で軍艦を急派した。1895年~No.290No.291No.292No.293@ ・

ハワイ王朝最後の女王 (文春新書)

ハワイ王朝最後の女王 (文春新書)

   ・   ・   ・   
 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗  
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 日本は、宣教師の子弟が建国したキリスト教国家・ハワイ共和国への抗議の為に軍艦を派遣した。
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 明治天皇は、ハワイ王国を救えなかった事に心を痛めた。
 ハワイ王国が消滅すれば、次は日本であった。
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 日本人は、中国人や朝鮮人とは違っていた。 
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 アメリカは、太平洋を内海化する世界戦略から、その障害となる日本を戦争をしてでも潰し排除しなければない仮想敵国と定めた。
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 リトル・トウキョウの日本人は、チャイナ・タウンの中国人の様に共同体を守る為に暴力には暴力で立ち向かう事はせず、日本人が襲われ日本人商店が掠奪されても見て見ぬ振りをして助けなかった。
 中国人は、日本人に主君に忠を尽くすという縦の「武士道」精神があっても、仲間の窮地を助けるという横の「侠」精神はないと軽蔑していた。
 チャイナ・タウンには、義兄弟の契りを交わした強力な暴力的互助組織の秘密結社が存在していた。 
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 1894年7月4日 臨時政府は、アメリカの独立記念日をわざわざ選び、イオラニ宮殿ハワイ共和国の独立宣言を行い、初代大統領にサンフォード・ドール首班(宣教師の息子)を任命した。
 ハワイ共和国の高官は、宣教師の息子や高額所得者であるアメリカ系移民の子供が占めた。
 ハワイ共和国は、私邸のワシントン・プレイスに謹慎していたリリウオカラーニ女王を過去の人として完全に無視した。
 王制廃止派は、王制復活派を政治権力から排除するべく、高額の財産を持ち納税できる者にのみ選挙権を与え、王政復古に加担しないという宣誓を行い、英語かハワイ語を読み書きできることという条件をつけた。
 自由と民主主義の新憲法は、国民としての権利を白人には認めたが、大多数のハワイ人に認めなかった。
 アメリカ人移住者の子孫は、支配者としてハワイ人やアジア人を労働者として重労働を課し、唯一の上流階級としてハワイ諸島の富を独占した。
 ハワイは、白人有利の貧富による格差社会となって行った。
 イギリスは反対せず黙認し、諸外国も傍観した。
 キリスト教会は、新生ハワイ共和国を祝福し、民族宗教を消滅させてハワイ諸島絶対神に捧げるべく布教活動に力を入れた。
 宣教師は、各島をキリスト教化すべく、全ての島民に向かって「人は、生まれながらにして絶対神の言い付けに逆らったという原罪を背負っている。絶対神の御子であるイエス・キリストは、自己犠牲として、人々の罪を引き受けて十字架にかけられてのです。故に、貴い血を流されたイエス・キリストに罪を告白し、許しを受けなさい。そして、絶対神の隣人愛を受け入れて信仰を誓い、永遠の命を授かるのです」「悔い改めなさい」と布教した。
 ミクロネシアから伝えられた海の民としての民族宗教は、普遍宗教の拡大によって急速に失われていった。
 謹慎していたリリウオカラーニ女王は、ハワイ憲法で認められた正統な統治者はハワイ国王の自分であるとの抗議文を、アメリカのウィリス公使に伝えた。そして、クリーブランド大統領に書簡を送った。
 ハワイ人は、王制復帰を求め、白人支配の象徴である共和国に反対する民族集会を各地で開いた。
 明治天皇と日本は、友好国のハワイ王国の存亡とハワイ王家の存続に最大限の危惧を抱いていたが、李氏朝鮮王家の反日謀略にはまり身動きがとれなかった。
 日本政府は、ハワイ王国が消滅した事を理由にして官約移民を廃止した。
 これ以降の日本人移住は、白人農園主との私約移民と言われ、日本人移民の待遇はさらに悪化して奴隷的生活と重労働が課せられた。
 イギリスは、日本の要請を受け入れて不平等条約改正を行った。
 連邦議会の併合推進派は、ハワイ共和国の樹立をハワイ住民の権利を保証する行為であるとして歓迎した。
 一部の新聞社以外は、ハワイ共和国を好意的に報道して支持した。
 アメリカは、表面的に奴隷解放を宣言したが、本質は依然として人種差別国家であった。
 日本政府は、ハワイ王国が完全に消滅した為に、官約移民を廃止した。これ以降は、国家の保障がない民間の移民となり、私約移民と呼ばれた。
 7月25日(〜95年4月) 日清戦争。豊島沖の海戦。
 日本と清国は、朝鮮独立問題を巡って戦争を開始した。
 イギリスは、国家として中立を表明したが、ユダヤ関係の民間企業は清国軍を支援した。
 アメリカは、ハワイ問題で日本との関係を悪化させる事を恐れて局外中立を維持した。
 高陞号事件。東郷平八郎艦長の「浪速」は、中立国は戦闘行為中の国家に協力してはならないという国際法を無視した、イギリス船籍汽船「高陞号」と遭遇した。高陞号は、英国商船旗を掲揚げて、清国兵約1,200人を朝鮮に輸送中であった。
 東郷艦長は、国際法上の手続きを経た後に同船を撃沈し、イギリス人船長と船員を救助したが、1,000人以上の清国兵を見捨てて溺死させた。
 当時の日本は弱小国であり、清国は世界的な軍事大国であった。
 諸外国は、軍事常識から、日本は大敗して清国の属国となるか、独立を保てたとしても領土の一部を失うと分析していた。
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 1890年後半 フランスで、黄色人種脅威論として「黄禍論」が流布され始めた。
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 1895年 ハワイの民族主義者は、ハワイ人による王制を復活させるべく、各地で反対集会を開いた。
 共和国政府は、自由と民主主義を守り王制復活を阻止する為に、政府庁舎を武力で守った。
 リリウオカラーニ女王は、平和的な対話による解決を望み、王制復活を望む民族派に武力衝突の自粛を希望した。その心労が重なって健康を害し、病に倒れて安静を余儀なくされた。
 アメリカ海軍大学は、スペインとの戦争は不可避と判断して、卒業生全員に対スペイン戦の論文を課した。
 1月 王制復活派のサミュエル・ナウレイン大佐は、密かに病床のリリウオカラーニ女王を訪ねて、リベラル党党首ロバート・ウィルコックスの反乱決行を伝えた。
 「もしハワイ人の大部分が決起を選び、束縛を解き放とうとするのであれば、私は何も言う事はありません。しかし、単なる暴動には賛成しません」
 キリスト教の布教により洗礼を受けた改宗ハワイ人は、絶対神への信仰から、キリスト教会が祝福を与えない異教徒のハワイ王家への忠誠を拒否した。
 キリスト教徒ハワイ人は、世俗の王公よりも神聖な絶対神を最優先し、民族的ハワイ王家を見捨てた。
 江戸時代。徳川幕府は、他宗教に対する完全不寛容な教義を見ぬき、布教して国を乗っ取る手法を知り、国際社会で孤立し発展から遅れようともキリスト教を禁教とした。
 1月6日 王制復活派約200名は、反乱を起こして警察署や郵便局を武力で占拠した。
 ハワイ王家に忠誠を誓うハワイ人の多くが、反乱を支持した。
 共和国政府は、王制復活派内のスパイから反乱計画を察知して対抗策を進め、反乱鎮圧の為に軍隊を派遣した。
 リリウオカラーニ女王は、私邸ワシントン・プレイスの裏にある女子修道院に身を隠した。
 政府軍は、激しい銃撃戦の後に反乱軍をホノルル市街地から排除した。
 1月16日 政府は、イオラニ宮殿とワシントン・プレイスから大量の銃器が発見された事を理由にして、リリウオカラーニを反乱の首謀者の容疑で逮捕して、イオラニ宮殿に幽閉した。
 王位継承者候補カラニアオレ王子など王族や王室に関係する者は、全て国家反逆罪で逮捕された。
 カピオラニ元王妃「王子が悪い事をしたのならば、当然、処罰されるべきでしょう。しかし、何の罪もないのに彼を刑務所に送ったりしたなら、あなた方すべてに呪いを。……他人に悪をなしたる者に呪いを」
 1月22日 王制復活派の武装反乱は平定され、400名以上のハワイ人が逮捕された。
 王制廃止派は、裁判所で反逆罪で有罪判決を受けた王制復活派を流罪にするか処刑した。
 1月24日 政府は、リリウオカラーニ女王に対して、王制復活派200名の命と引き換えに退位の公式書類への署名を強要した。
 リリウオカラーニ王女は、忠誠を誓うハワイ人を救う為に「リリウオカラーニ・ドミニス」と署名した。
 ハワイ王朝は、王制廃止派であるかっての臣下であった白人移民の子孫や宣教師の子供達によって滅亡した。
 2月8日 政府は、自由と民主主義の正義の名の下で、二度と王制が復活させない為に、囚人リリオウカラーニ・ドミニスを国家反逆罪で公開裁判にかけた。
 2月27日 リリウオカラーニ・ドミニスは、国家反逆罪の隠匿の罪状で有罪判決を受けた。そして、5,000ドルの罰金と5年間の重労働が宣告された。
 政府は、現在のクリーヴランド大統領下でのアメリカ合併は不可能と分析した。
 96年12月の大統領選挙で合併賛成派の共和党候補が当選すれば、97年3月以降に実現可能となる判断した。
 後二年の間で合併を前進させる為に、テキサス方式で土地の大半を白人が所有するべきであるとの結論をだした。
 この時、アメリカ公使ウィリスとキリスト教会がどう行動したかは不明である。
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 4月 下関条約。清国は、日本の圧力に屈し、中国の属国であった朝鮮の独立を承認し、朝鮮人を家僕的状態から解放した。
 朝鮮は、正統派儒教に従って1000年以上、中国の属国として臣下の礼をとり、半島を支配する為に中国皇帝から一蛮族王との承認を受けていた。
 国王承認の見返りとして、要求された人数のキーセン(宮中慰安婦)や宦官を中国皇帝に献上していた。
 欧米列強は、国際法の手続きを踏んだ日本外交を正当と認めて、朝鮮を自主独立国と承認した。
 ロシア帝国は、北欧・中央アジア・極東への侵略政策を実行し、日本の生存権を脅かし始めていた。
 イギリスは、ロシア帝国の南下政策を阻止するべく、バルカン半島中央アジアでロシア軍と戦争をしていた。
 かって。江戸幕府は、ロシア帝国の南下侵略政策から、蝦夷地・北海道と北方領土を守る為に北辺紛争を起こし、国土を奪われない為にロシア軍艦対馬占拠事件の解決に取り組んだ。
 江戸幕府は、決して外圧に屈する事なく、非力であっても外敵と戦っていた。
 サムライは、守るべきモノの為に、命を捨てて戦争をする覚悟があった。
 天皇制度国家日本は、自国の安全の為に、ロシア帝国からの侵略に備えて、朝鮮を中国から切り離し自主独立国として防衛同盟を結ぶ事を希望していた。
 国際法に基づいた正規の手続で、中国領台湾を割譲させ、合法的に日本領土とした。
 一部の台湾人が、日本領になる事を嫌って暴動を起こした。
 琉球王国に対する日本の主権を宗主国・清国に認めさせ、琉球人の意志を無視して日本領に編入した。
 琉球では、台湾のような暴動は起きなかった。
 もし清国が拒否していたら、琉球・沖縄は中国領となっていた。
 当時の国際情勢から、琉球王国は一独立国として存在できない運命にあり、日本か中国を選ぶしかなかった。
 琉球人が、日本憎しから日本人になる事を拒否したら、台湾人同様に中国人となっていた。
 世界は、弱肉強食の実力・能力で生き残る帝国主義の時代であった。
 アメリカのアジア侵出戦略として、琉球王国か中国領台湾の何れかを植民地化するという口には出さなかった秘めた希望があったが、日本に先を越されて夢は潰えた。残るは、老大国スペインの植民地フィリピンだけであった。
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 三国干渉。日本は、超軍事大国ロシア帝国を仮想敵国とし、ロシア帝国の侵略から国家の安全を守る為に国力の充実と軍備の拡張を急いだ。
 李氏朝鮮の国王・高宗とその后・閔妃反日勢力は、朝鮮を日本から守る為に謀略をめぐらし、日本海の支配と太平洋への道を確保しようとするロシア帝国との秘密攻守同盟を希望した。
 反日朝鮮人は、目の前から日本人を排除する為ならば、如何なる国とも敵日攻守同盟を結ぼうとしていた。
 朝鮮は、古代から日本を仮想敵国とし、両国の間に友好関係など存在していなかった。
 清国は、アジアの覇権国としての面子から、劣等国日本に復讐戦を仕掛けるべくロシア帝国と極秘に軍事秘密同盟を結んだ。
 ドイツ帝国は、日本の目の前にある山東半島を獲得して、アジアにおける利権拡大の足掛かりとして日本に圧力をかけてきた。
 フランスは、上海に租界地を持ち、インドシナ半島を植民地化していた。
 オランダは、インドネシアを植民地としていた。
 スペインはフィリピンとグアムを植民地とし、ポルトガルマカオと東部ティモールを植民地としていた。
 イギリスは、香港と上海に租借地を持ち、日本資本の大陸進出を警戒して清朝を支援していた。
 タイ王国は、フランスの侵略を食い止める為に、イギリスと友好関係を強化しつつあった。
 華僑とインド商人とユダヤ人商人は、アジアの経済を共同で支配し、新たに参入しようとしてきた日本人商人を排除しようとしていた。
 キリスト教会は、欧州列強の植民地で民族宗教を撲滅しながら布教活動を行い、中国や朝鮮や日本をキリスト教化すべく多くの宣教師を派遣した。
 熱心な信者は、隣人愛の信仰に勤しみ、絶対神との個人的契約を守る為に神を僭称する異教徒の天皇制度を廃止するべく宗教活動していた。
 日本人は、祖先と自然を神として祀る民族宗教を守る為に、日本独自の孤立した宗教観を破壊しようとする普遍宗教・キリスト教を嫌った。
 小国日本には、アメリカを敵に回して、ハワイ王家と王制復活派を支援するゆとりはなかった。
 島国日本の周囲には、味方として攻守同盟を結べる周辺国は一つもなく、むしろ安全を脅かそうとする敵対国に囲まれていた。
 新興国日本は、欧米列強の植民地ならない為に、富国強兵政策として生糸や茶を輸出して軍艦を購入した。
 軍国主義化への殖産興業政策は、ようやく始動し始めた所で、輸出できるような有力工業製品がなかった。
 日本の国力は近代産業を持たないだけに貧弱で、軍事力も脆弱であった。
 天皇制度国家日本は、世界はおろか、アジアでも孤立していた。
 日本にとって、古代から、朝鮮は喉元に突きつけられた毒塗りの短剣で、いつ寝首を掻かれるか分からない恐ろしい凶器であった。
 朝鮮問題は、日本の安全を脅かす危険をはらんでいた。
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 6月 共和党下院議員セオドア・ルーズベルトは、ニューヨーク市公安委員長就任要請を受け、無法都市化するニューヨーク市の浄化に打ち込んだ。
 「もし我々アメリカ人が男らしさというものを見失い、アメリカ人としての誇りを捨て、金儲けが全てだと考える様になれば、私達は古代文明が衰退したよりも早いスピードで退廃してしまうだろう」(『アメリカの理想とアメリカ社会及び政治についてのエッセイ』)
 ウォール街の銀行家は、セオドア・ルーズベルトに社会の浄化を期待した。
 10月 ハワイ共和国は、日本人移民の増加は経済的に必要と解っていたが、政治不安の原因になるとして規制に乗り出し、差別的嫌がらせ政策を実行した。
 白人指導者は、ハワイ人と日本人移民者によるアメリカ併合反対同盟結成を警戒していた。
 10月8日 三浦梧楼公使は、軟禁状態に置かれていた高宗の実父・大院君を担ぎ出し、反閔妃朝鮮人と協力して閔妃を殺害した。
 高宗は、身の危険を感じてロシア公使館に逃げ込んで保護を求め、ロシア帝国の軍事力を借りて反日的謀略を続けた。
 日本は自国の安全の為に、ロシア帝国も自国の安全と領土拡大の為に、朝鮮と満州をめぐって戦争を起こそうとしていた。
 アメリカは、独立いらい支援してくれたロシア帝国に好意を寄せいていた。
 ユダヤ人は、反ユダヤ政策を行っているロシア帝国を憎んでいた。
 反日朝鮮人活動家の多くは、キリスト教に改宗し、世界中にあるキリスト教会を利用して反天皇テロ活動をしていた。
 10月23日 ヤマト新聞「我々は、黄色人種対白人種の戦いのリンクの中に放り込まれた。過激な物言いからもしれないが、白人種との共存共栄は不可能である。日本人2万5,000人はその僅か6分の1に過ぎない白人連中に足蹴にされている様なものだ。余力で、戦いに勝利しなくてはならない。そうでなければ、アメリカ本土から放逐された支那人と同じ運命を辿る事になる」
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 ハワイ人の人口は最盛期40万人以上いたが、入植した白人が伝染病を持ち込んだ為に、疫病が発生して人口は減少した。
 白人地主は、サトウキビ農園を切り開いたが、労働者とするべきハワイ人が不足した為に中国人を入植させた。
 不衛生な中国人移民は、致死性に高い伝染病を持ち込んだ為に、疫病が度々発生してハワイ人の人口は4万人以下までに激減した。
 中国は、古代から領民が国外に出る事を禁止していた。
 許可なく国外に移住する事は、主君を裏切り、国を捨てた不忠者として、帰国したら死刑に処した。
 国禁政策は、絶えず外敵の侵略に脅える中国や朝鮮のほうが、日本よりも厳格に守られていた。
 陸続きの中国や朝鮮の方が、海に囲まれた日本よりも取り締まりがし易かった。
 正統派儒教価値観から、国外移住者を棄民として切り捨て、他国で差別され奴隷にされ様が、虐待されリンチで殺されようが、野垂れ死しようが、一切保護を与えなかった。 
 カラカウア国王は、天皇とサムライ・武士を信用し、日本人のハワイ移住を促進させるべく日本と渡航条約を結んだ。
 カラカウア国王の真意は、ハワイを私有地化しようとする白人キリスト教徒に対抗する為に、同じ専制君主国家として非キリスト教徒日本人との共同防衛にあった。
 1895年当時。日本人移住者は、中国人移民はおかアメリカ人移住者を抜き、ハワイ人に次ぐ人口に膨らんでいた。
 かって。リリウオカラーニ女王は、白人勢力から祖国ハワイを守る為に、高額納税者に限られていた選挙権をハワイ人や日本人移民に与える憲法改正を急いだ事があった。
 ハワイ共和国は、これ以上の日本人移民を受け入れる事は国家を危うくするとして、日本人を対象にした上陸規制に乗り出した。
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 9月6日 ハワイ共和国は、幽閉中のリリウオカラーニ女王を仮釈放するにあたり国家への忠誠を求めた。
 リリウオカラーニ女王は、一般市民として静かに余生を送るという誓約書に署名して解放され、姓のない王族ではなく未亡人・ドミニス夫人と呼ばれる事となった。
 自由と民主主義による人民主権を追求し続けた王制廃止派の完全勝利で、カメハメハ大王以来のハワイ王家は消滅した。
 天皇中心の国體を守ろうとする日本臣民は、王制打倒を正義とするアメリカの暴挙に脅威を感じた。
 庶民に落とされたリリウオカラーニ・ドミニスは、自宅とされたワシントン・プレイスに帰宅した。
 ハワイ人達は、リリウオカラーニ元女王を暖かく、そして熱狂して迎えた。
 ハワイ政府は、リリウオカラーニが王制復活派と組んで反乱を起こす事を警戒して監視を強化し、人が集まる教会や公共の場が陰謀密議の場になる恐れがあるとして出席する事を禁じ、オアフ島から出る事も禁止して行動の自由を奪った。
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 1896年
 ハワイ総人口…10万9,020人
 ハワイ人………3万1,019人(28.4%)
 混血ハワイ人…… 8,485人(7.8%)
 白人……………2万2,438人(20.6%)
  ポルトガル人…1万5,191人(13.9%)
  その他の白人… 7,247人(6.7%)
 日本人…………2万4,407人(22.4%)
 中国人…………2万1,616人(19.8%)
 その他…………… 1,051人(1%) 
 1900年
 日本人…6万1,111人(39.7%)
 中国人…2万5,767人(16.7%)
 猿谷 要「日本政府はハワイへ移住者を送り出すにあたり、日本の移住者にも当然参政権が与えられることを望んでいたのである。 それが実現しないうち王朝が転覆したので、この機に日本政府は一層強く参政権を要求し続けた。 この目的達成のためにホノルルに『日本人同盟会』が組織され、『布哇新聞』が創刊された」(『ハワイ王朝最後の女王』P.219,220)
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 1896年 ウィリアム・ハーストのニューヨーク・ジャーナル紙とジョーゼフ・ピューリッツァーのワールド紙は、新聞を売る為に、読者が興味を持ちそうな記事を書いた。
 どんな些細なたわいない事件でも、スクープ記事のように歪曲し捏造し改竄していた。
 両紙は、捏造報道を続けて、短期間の内に数十万部を売り上げる大手新聞紙に成長した。
 犯罪記事がマンネリ化してニューヨーク市民が興味をなくし始めるや、キューバ独立紛争を取り上げ始めた。
 キューバは、1898年頃の人口は約160万人で、スペイン系白人が100万人で残りが混血系キューバ人や黒人奴隷の子孫や中国人苦力であった。
 スペイン人以外の住民が、スペインからの独立を求めて独立軍を編成して叛乱を起こし、各地にあるサトウキビ農園を焼く焦土作戦を展開していた。
 スペイン軍は、ゲリラ戦に不慣れな為に毎年3万5,000人以上の犠牲者を出していた。
 スペインのキューバ総督は、主力産業である砂糖生産を守る為に、ゲリラ封じ込め作戦として民間人9万5,000人以上を餓死や病死させた。
 ワールド紙とニューヨーク・ジャーナル紙は、記者と画家をキューバに送り込み、ニューヨーク市民が独立派に同情する様なスペイン軍の残虐記事を掲載した。
 1月 アメリカ海軍は、対スペイン戦の報告書を提出した。
 2月6日 ハワイ政府は、急増する日本人移住者に対抗し、日本人とハワイ人が手を組まないようにする為に、ハワイ人に人望のあるリリオウカラーニ夫人を完全釈放すると決定した。
 7月 スペイン軍は、ベリッツ大佐暗殺計画容疑で18歳のエヴァンジェリナ・シスネロを逮捕して、ハバナの監獄に投獄した。
 ワールド紙とニューヨーク・ジャーナル紙は、暗殺事件に関係なく、少女救出嘆願運動を始め、スペインを激しく攻撃した。
 ハーストは、少女がアフリカ北部スペイン領セウタに送られる事が決まるや、看守や港湾関係者を買収し打て脱獄させてアメリカに密入国させた。
 ニューヨーク・ジャーナル紙は、救出劇を報道し、少女が語るスペインへの激しい非難の声を掲載した。
 アメリカ世論は、部数増加を狙う新聞紙の偏向報道を信じて、キューバ独立軍を支援しスペイン非難の声を上げた。
 アメリカは、攻撃したい相手に対して、幼気なる少年少女を使った虚偽報道を行って国民の支持を取り付けていた。
 悪意に満ちた新聞報道で、両国関係は悪化した。  
 アメリカの投資家は、約5,000万ドルという多額の投資をキューバに行い、貿易額を広げる事で利益を得ていた為に、マッキンレー大統領に軍事介入などの強攻策をとらない様に要請していた。
 イギリスのロスチャイルドも、ヨーロッパで紅茶ブームが起きて需要が高くなってきた事に目を付け、キューバの砂糖ビジネスに多額の投資を行っていた。
 マッキンレー大統領も、キューバ紛争の激化を避ける為にスペイン政府に外交圧力をかけていた。
 アメリカのプロテスタントの保守派は、100万人以上のキューバ人をアメリカ国民とする事は、新たな民族問題が発生するとしてキューバの併合に反対していた。
 スペインは、アメリカの妥協案にしたあって、キューバ人の権利拡大に前向きに対応しようとしていた。
 独立派は、スペイン支配からの完全独立を譲らずゲリラ闘争を続けていた。
 ニューヨーク・ジャーナル紙とワールド紙は、戦闘を激化させる為に、独立派に好意的な記事を競って掲載し、植民地を放棄しないスペインを激しく非難した。
 11月3日 アメリカの大統領選の結果、共和党のウィリアム・マッキンレー大統領候補が当選した。
 ハワイ政府は、来年3月4日にマッキンレーが大統領に就任するに合わせて、ワシントンの合併賛成派に働きかけを強めた。
 12月5日 リリウオカラーニ夫人は、ハワイ政府に対して、サンフランシスコへの旅行の許可を申請した。
 ハワイ政府は、リリウオカラーニ夫人が、退任寸前にある現職のクリーヴランド大統領と会っても合併に影響はないとして許可した。
 暮れに、リリウオカラーニ夫人はアメリカに向かって旅たった。
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 1897年 マーク・トウェインエジプト人も、バビロニア人もペルシャ人も興り栄え、地球を様々音色や怒号で満たした。しかし、儚き夢の如く消え去っていった。ギリシャ人とローマ人がこれに続き騒々しく音を立てて去った。他の民族が躍り出てしばしの間、松明を掲げたがいずれも焼き尽くし、今や黄昏の中に佇むか、消え去るかしてしまった。……万物が滅びて行く。だがユダヤだけはさにあらず、他のあらゆる力が過ぎいくとも、彼等は残る。一体、彼等の不滅の秘密は何なのか」
 フランスの高官ルイ・ヴィニョンは、人種差別主義者として、ルヴュ・ポリティク誌に「黄禍」と言う論文を発表し、白人社会に警戒する様に訴えた。
 1月23日 リリウオカラーニ夫人は、ワシントンに到着した。
 数日後。リリオウカラーニ夫人は、旧友であるクリーブランド大統領にハワイ王国への変わらぬ支援を要請した。
 クリーヴランド大統領は、在任中、連邦議会が提出したハワイ合併法案に二度も拒否した。
 2月 ハワイ共和国は、日本人移民が増え、ハワイ人に次ぐ第二勢力に成長する事を恐れて、新規移民の上陸を厳しい条件での規制から完全拒否に切り替えた。
 日本政府は、ハワイ移民上陸拒否事件は日本人移民を受け入れるという条約に違反するとして、抗議を込めて三たび、巡洋艦 「浪速」をホノルルに派遣する事を決定した。
 3月 ワシントンの駐米ハワイ共和国公使ハッチは、アメリカに早期併合の希望を伝えた。治安及び国防力の脆弱なハワイ政府では、ハワイの日本人が暴動を起こしたらアメリカ人の生命財産の保護が困難であると訴えた。
 「私には急速に日本人問題の危機が近づいているように思われる。どこかで断固とした 処置が講じられないと、あの国(ハワイ)を日本にやってしま うことになる」
 アメリカ外遊中の伊藤博文首相は、米紙のインタ ビューに答えて、「日本がハワイを併合しようとしているというのは、まったく根拠のないことだ。日本国民が望んでいるのは、公平な待遇であり、ハワイとの条約上の権利にしかるべき 配慮がなされることである」と述べた。
 日本には、ロシア帝国の軍事的圧力が増大しつつあったこの時期に、アメリカと事を構える余裕はなかった。
 日本脅威論者は、海軍戦略家マハンの「海上権力」理論を根拠として、ハワイ併合を強く訴えた。
 マハンは、「日本とハワイの間の移民紛争は目覚めつつある東洋文明と西洋文明の来るべき大闘争の前哨戦に過ぎず、真の争点は、太平洋の要を支配し優位を占めるのが野蛮なアジアか、それとも西洋文明国のアメリカかという事」であるとして、アメリカの安全と発展には大艦隊の建設と植民地獲得が急務であると主張していた。
 3月4日 共和党のウィリアム・マッキンレーが、大統領に就任した。
 マッキンレー大統領は、海軍国として急成長する日本を警戒して、マハンの『海上権力史論』を信奉するセオドア・ルーズベルト海軍次官に任命した。
 セオドア・ルーズベルト海軍次官は、日本脅威論者として、国防上の観点からハワイ併合を推進した。嫌日家として日本を研究し、新渡戸稲造著『武士道』を読んだ。
 マハンへの手紙「もし私に手立てがあるなら……私は明日にもハワイを併合し、星条旗を島の中に立てたい。我々は、日本の新しい戦艦二隻がイギリスを離れる前に行動を起こすべきだ。我々はニカラグア運河(パナマ運河)を早急に完成させ、12隻の軍艦を建造し、その半分を大平洋に配置したい。私は、日本の脅威を現実のものとして感じている」
 3月4日 共和党のウィリアム・マッキンレーは大統領に就任するや、当選できた論功行賞としてセオドア・ルーズベルト海軍次官に任命した。
 ウォール街の銀行家達は、セオドア・ルーズベルトのワシントン復帰を歓迎した。
 セオドア・ルーズベルト「ハワイは、絶対に併合しなければならない。ハワイの戦略的重要度は、キューバの比ではない。ハワイが他の列強の手に落ちれば、もはや、永遠に併合のチャンスは来ない。翻ってキューバについてだが、仮にいま併合できなくても大した事はない。衰退している国の手にあるだけだから、いつでも併合できる。しかし、ハワイはそうはいかない。今、ハワイを獲らなかったら大きな悔いを残す事になる。ハワイを、アメリカ防衛の前哨戦基地とするのか。逆に、アメリカに敵対するであろう国のアメリカ本土攻撃に前線基地にさせてしまうのか。我々は、いま重要な決断を迫られている」
 マハンへの私書(5月5日付け)「もし私に何らかの手立てがあるなら、明日にでもハワイを併合したい。もし併合ができなければ、とりあえず保護国化するだけでも構わない。また、ニカラグアに直ぐにでも運河を建設し、新型の戦艦1ダースほど建造すべきである。その半分は太平洋方面へ配置される必要がある。新型戦艦は石炭積載量を増やし、その行動半径を広げなければならない。私は日本の危険性をしっかりと認識している。私は日本がアメリカに好意を持っている事もよく知っているが、そうした気持ちを斟酌せず、直ちに行動を起こす心構えが必要だ。つまり、できるだけ早く戦艦をハワイに送り、星条旗を揚げなければだめだ。戦艦『オレゴン』、必要なら『モンテレイ』まで投入するべきだ。併合の理由付けは後でどうにでもなる」
 4月(〜9月)「浪速」(黒岡帯刀艦長)と「高千穂」が、ホノルル港に入港した。
 日本外務省は、ハワイ政府に対して、毅然と、日本人移民が蒙った損害への賠償と今後は同様の行為を行わないように強く要請した。 
 ハワイ政府は、対日交渉を引き延ばして、「日本から迫り来る危険」を連邦議会アメリカ海軍に訴えた。
 アメリカの新聞や雑誌に、日本脅威論として「陰険な日本人」という捏造記事を掲載した。
 アメリカの新聞社は、日本の侵略に脅えるハワイを救うべくであると国民に訴えた。
 アメリカに於ける日本移民排斥運動は、こうして始まり、そして過激化した。
 5月28日 海軍次官セオドア・ルーズベルトは、対日戦に備えてハワイ併合を急ぎ、極秘で海軍大学フレディック・グッドリッチに指示を与えた。
 「海軍大学への秘密研究課題:日本はハワイ諸島を狙っている。我が国は此の動きを牽制する。牽制を効果あるものにする為の兵力とその展開の方法について研究せよ。研究にあたっては、大西洋方面での外国勢力とキューバをめぐる問題が引き起こす諸問題を勘案する事」
 6月 マッキンレー大統領は、クリーヴランド前大統領の親ハワイ王国政策を修正し、ハワイ併合条約案に署名して上院に送った。
 アメリカ外交は、大統領の交代で基本方針が変更される。
 多くのハワイ人は、アメリカへの併合に猛反対して抗議運動を起こした。
 ワシントンの星亨駐米日本大使は、大隈重信外相に対し、「移民問題を口実として、直ちに強力な艦隊を送り、ハワイを占領すべし」との電報を打ち、それ以外に合併を防ぐ方法はないと訴えた。
 日本は、国家の安全から、ハワイからの支援要請を受けるまでもなく、アメリカがハワイを併合する事に反対であった。だが、小国の非力として、アメリカの横暴からハワイを救う事が出来なかった。
 大隈重信「私は、なぜにアメリカがハワイを領有しようとするのか解する事が出来ない……明らかにアメリカの過失である」
 弱肉強食の帝国主義時代において、軍事力を持たない国は強者の侵略を受けて領土に組み込まれるか、植民地となるしかなかった。
 日本が、軍事力強化の政策を推し進めなければ、ロシア帝国の軍事力に敗北して消滅する運命にあった。
 朝鮮王朝は、国家を守る為の軍事力強化を怠って放蕩三昧に腐敗堕落した為に、日本に併合された。
 その責任は、日本ではなく、朝鮮自身にあった。
 朝鮮が日本の責任を声高に叫ぶのは、自分の愚かさ加減、馬鹿さ加減を証明するだけである。
 日本が独立を守りきれたのは、その事を理解し、生糸などの日用雑貨を輸出して外貨を稼ぎ、生活を犠牲にしても軍事力の強化を怠らなかったからである。
 日本は、朝鮮王国よりもハワイ王国に心を許し、ハワイ王家存続の為に協力しようとしていた。
 ハワイ共和国は、アメリカの対ハワイ政策の大転換と日本に不利な国際情勢を睨んで、日本人移民上陸を拒絶した。
 日本は、対ロシア戦略から、アメリカを刺激するのは得策ではないとして、ハワイへの移民を諦め南北アメリカ大陸への移民を本格化させた。
 榎本武揚は、日本人青年35名をメキシコの南端チアパス州ソコヌスキ郡に移住させた。
 中南米への、日本人移住の始まりである。 
 アメリカ西海岸諸州は、白人至上主義の人種差別から、急増する日本人移民に対して敵意をあらわにして排日運動を始めた。
 アメリカは、カリブ海制海権をスペインから奪うべくキューバ独立問題に介入しようとしていた為に、ハワイ問題で日本と対立する事を避けるべく合併実行を延長した。
 アメリカ海軍は、大西洋重視太平洋軽視戦略から、太平洋艦隊には主力艦を配置していなかった為に日本海軍に比べて劣勢にあった。
 ロング海軍長官は、北大西洋隊司令モンゴメリー・シカード大将を長とする対スペイン戦争計画会議を設置した。
 7月19日 ニューヨーク・タイムズ「日本のハワイ征服計画:ハワイの元駐日代表がその危険性を語る。7月18日、コロラドスプリングス発。カラカウア国王時代のハワイ駐日領事だったH・P・リルリブリッジ氏はハンナ上院議員に対して次の様な書簡を送り、日本のハワイ征服の危険性を訴えている。<私の考えは『ジャパン・ヘラルド』紙の論説と同じである事をマッキンレー大統領とシャーマン議員に伝えていただきたい。日本は1875年に琉球を占領してから、征服欲の塊になっている。朝鮮・支那方面での成功と、台湾を領有したという事実はしっかり頭に入れておく必要がある。逆にアメリカ政府の(ハワイ併合問題における)原住民の意向を配慮しすぎた、弱々しく、少しみっともない態度は、日本に、そしてスペインにも、時期を失せず行動を起こせばハワイは簡単に奪取できると思わせてしまっている。星亨駐米公使は否定している様だが信用できない>」
 9月 ハワイの併合反対派は、民族運動として、ハワイ人の90%に当たる3万8,000人の反対署名を集めた。
 9月14日 併合推進派の民主党員ジョン・モーガン上院議員は、ハワイ人の意見を聞くとそてハワイを訪れた。
 モーガン議員は、ハワイ共和国の閣僚からアメリカ併合賛成意見のみを聞き、反対派の意見を無視して、ワシントンに報告した。
 併合反対派は、危機感を感じて使節をワシントンに派遣してハワイ併合案阻止運動を展開した。
 同法案は、翌年2月17日に、賛成58対反対47で、併合案可決に必要な3分の2を獲得できず廃案となった。
 12月14日 フィリピンのスペイン総督は、独立闘争の鎮圧に失敗し、独立派指導者エミリオ・アギナルド将軍と、民主的改革を実施する代わりにアギナルドの国外退去を条件とする停戦協定を結んだ。
 アギナルドは、香港に渡り、フィリピン独立の為の、アメリカ合衆国憲法を参考にした共和国臨時憲法草案の準備に取り掛かった。


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