🔯51」─1・A─異常気象・エルニーニョ現象と王位を巡る兄弟争いがインカ帝国滅亡を早めた。~No.178No.179No.180 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2017年8月29日号 エコノミスト「異常気象 エルニーニョが導いたインカ滅亡 ポトシ銀山の発見でインフレに   田家(たんげ)康
 偶然のエルニーニョの発生で、スペインはインカ帝国征服に成功し、大量の銀を手に入れたが、それが欧州に急激なインフレをもたらす要因にもなった。
 スペインの探検家フランシスコ・ピサロと、同じ探検家でピサロの友人ディエゴ・アルマグロは、インカ帝国には膨大な金があることを知り、一攫千金を夢見てインカ帝国を征服する計画を相談していた。
 スペイン・セビリア出身のピサロは、探検家バスコ・ヌニュス・デ・バルボアが1513年、欧州人として初めて太平洋に到達したパナマ遠征に参加して以降、パナマで家屋や財産、奴隷としてインディオ(南米の先住民族)を束ねる有力者だった。しかし、貧しい母親のもとで私生児として生まれたためか、有力者となっても満足できず、更なる富を求めて金を奪いに行くことにした。
 だが、ピサロらは1524年と26年、インカ帝国へ向けて2度の遠征を試みたものの、いずれも失敗に終わった。インカ帝国へたどり着くためには、南米大陸の西岸を船で南下しなければならいが、2度にわたり南米大陸南部のチリから北部のコロンビアまで、北上する流れの強いペルー海流(フンボルト海流)が行く手を阻んだからだ。また、南太平洋の東部はもともと水温が低い海流であったため、発達した高気圧により南風が吹き、海流と逆風の二重苦で帆を進めなければならなかった。
 1度目の遠征は、ピサロを総司令官として112人の隊員と数人の先住民、別動隊で副官のアルマグロが70人の隊員を率いたが、出港してコロンビアのサン・ホアン川に上陸するまでに70日もかかり、食料は枯渇した。そこに武装したインディオの襲撃が追い打ちをかけ、ピサロは7ヵ所の重傷を負い、アルマグロも片目を失って退却する他なかった。
 惨憺(さんたん)たる結果に終わった1度目の遠征だったが、ピサロは諦めなかった。パナマに戻るとすぐに、全財産を投じて2度目の遠征のために船を修理して隊員を募り、遠征費用を工面した。2隻の船と160人の隊員で挑んだ2度目の遠征は、1度目の失敗を教訓として、風が収まった頃を見計らって沿岸をゆっくりと進み、何度も上陸しては食料を調達しながら進んだ。
 ペルーの沿岸をゆっくり進みながら約2年を費やし、やっとのことでピサロらはペルー北部のトゥンベスに上陸すると、ついに大量の金銀を発見する。金に単なる装飾品の材料としての価値しか見いだしていなかったインディオたちは、金を気前よくピサロらに差し出したという。
 13日でインカ到着
 インカ帝国に到達したピサロは一旦帰国すると、スペイン国王(カルロス1世)に謁見し、トゥンベスから持ち帰った金銀を見せて遠征の意義を説き、遠征費を支援するよう要求した。ピサロの説得を受けて王室は、支援する代わりに征服で得た財宝は王室が5分の1を取り分けとする条件付きで、3度目の遠征を承認した。
 1531年、180〜250人(文献により記述が異なる)の隊員を従え3度目の遠征が出港した。過去2度の遠征同様に難航することが予想されたが、3度目はわずか13日間でエクアドルのサン・マテオ湾まで南下できた。太平洋東側の熱帯域の海水面が暖かくなる『エルニーニョ現象』が発生したためだ。これにより、海域の高気圧が衰え風が弱まり、向かってくるペリー海流の勢いも緩やかだった。ピサロらはサン・マテオ湾から陸路でトゥンベスまで進むことができ、ようやくインカ帝国の征服が本格化していく。
 その頃インカ帝国では、20万人も死んだとされる伝染病が蔓延し、11代皇帝のワイナ・カパックが病死したことで、2人の息子の間で王位継承を巡る内部抗争で勝利したアタワルパは、ワスカルを幽閉した。
 これを知ったピサロは、この混乱を利用して帝国内部に侵入することを思いつく。ワスカルの味方として救援を掲げ、帝国内に多くいたワスカル支持者の賛意を得ることで容易に山間部まで進むことに成功した。道中、食料が不足したピサロらは、街道の宿場を壊し、インディオの物品を強奪しながら進んでいった。
 アタワルパは、ピサロの略奪行為を賠償させるため、ピサロとの会談を申し出る。会談では6,000の兵を用意することとし、この大軍を見ればピサロも動揺して賠償に応じるだろうという作戦だった。しかし、2人が初めて対峙(たいじ)した『カハマルカの会談』では、先に攻撃を仕掛けたたった177人のピサロ軍が、インカ帝国軍に圧勝する。
 圧倒的な兵力差にもかかわずピサロ軍が勝利できたのは、ピサロ軍がインカ帝国には無い銃や馬などの強力な武器を持っていたことや、アタワルパの護衛兵は武器の所持が許されていなかったことが大きな要因だろう。ピサロ軍は、大きなラッパの音や馬に付けた鈴の音で混乱を誘い、次々に兵士を殺して大軍を劣勢に追いこんでいった。
 米大陸最大の銀山
 冷酷で頭が切れるピサロは、2人の心理をうまく利用し、アタワルパがワスカルを殺害するよう仕向け、最終的にはそれを理由にアタワルパも処刑し、無駄な戦闘を行うこともなくインカ帝国の征服に成功した。ピサロは、インカ帝国の首都クスコの神殿に張り付けられていた金を剥ぎ取り、莫大な量の金をスペインに持ち帰った。
 この12年後、クスコの南東1,000キロ、ボリビアポトシで銀山が発見される。発掘開始から200年間で、4万トン以上の銀が生産されたという。世界全体の銀生産量は、15世紀が2万1,177トン、16世紀が3万6,000トン、17世紀が5万2,106トンだが、当時ポトシ銀山は世界全体の銀生産量の半分を担う大規模なものだった。大量の銀はスペインを経由して欧州に運ばれ世界全体に流通し、17世紀後半以降、世界貿易の主役に躍り出ることとなる。
 しかし、短期間で大量に銀が流通したことで、銀の価値は暴落する。物価は急騰し、欧州全体に急激なインフレを引き起こした。ポトシ銀山の発見はスペインに多大な利益をもたらした半面、こうした予期せぬ事態も生み出した。結局スペインは、戦費の多くを手に入れた銀でまかなったものの、近隣国との戦乱で財政難に陥った。
 インカ帝国の征服は、遅かれ早かれ誰かが達成した必然の出来事だったに違いない。だが、ピサロの3度目の遠征で、偶然エルニーニョ現象が発生しなければ、スペイン人によるインカ帝国征服は数十年遅れていただろう。そうなれば、欧州に莫大な量の銀が運ばれる時期もずれたことになる。果たしてその後の世界経済はどう展開していただろうか、興味深いものがある」
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 大航海時代の目的は、海外の富を武力を用いて暴力的に奪い帰国する事であった。
 大航海時代とは、暴力が正義とされる野蛮な時代であり、武力のない者は生きる資格がない時代であった。
 そこには、話し合いによる平和な共存は存在しなかった。
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 命知らずの船乗りが最終目的としたのが、黄金の国・ジパングである。
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 白人キリスト教徒は、日本に押し寄せ、武力で日本から金銀財宝を奪い、暴力で日本人を奴隷として売って暴利を得ようとした。
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 ヨーロッパが、日本を下等民族・劣等民族・野蛮民族・非文明民族と差別・蔑視・見下し・嫌悪・憎悪すのは、大航海時代に日本人を奴隷として売買したという優越意識があるからである。
 対して、中国人や朝鮮人・韓国人に日本人に対するほどの感情が少なく、むしろ親近感や友好感情がわくのは、奴隷として扱った歴史的意識が薄いからである。
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 日本には、ヨーロッパの白人至上主義とキリスト教原理主義による日本観と戦う運命が厳然と存在していた。


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