ソ連の核兵器開発に学ぶ放射線防護 (高田 純の放射線防護学入門シリーズ) (高田純の放射線防護学入門シリーズ)
- 作者:高田 純
- 発売日: 2010/04/16
- メディア: 単行本
プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗
・ ・ 【東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博】・
国際社会は、ソ連(現ロシア)が日本に行った国際法無視の非人道的行為を問う事はしなし、人類の記憶遺産として残す事に賛成しない。
世界とは、所詮、そんなモノである。
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憎むべきは共産主義者である、ソ連・コミンテルン(ロシア人共産主義者)そして中国共産党である。
共産主義には、共産主義の大義や共産主義の正義はあっても、人として持っている人道、人権、道徳、良心などはない。
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日本にとってロシアは、江戸時代後期から日本を侵略する危険性のある軍事的脅威であった。
日本民族日本人にとって、2000年以上の時空をかけて、先祖代々護ってきた天皇制度を破壊する者を敵として戦ってきた。
その最大にして最悪の敵が共産主義者(マルクス主義者)であった。
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大陸世界において、日本人が信仰している「因果応報」、善い行いをすれば善い事が訪れ、悪い事をすればその報いを受ける、は存在しない、というより嘘である。
人類史・世界史・大陸史において、「悪人は栄え、善人は滅びる」のが真実である。
故に、日本が如何に善意で人助けをしても、感謝されないし、損をしても報われる事がない。
軍国日本が行った人道的行為が、無償での、シベリア出兵時、共産主義者の攻撃からロシア人避難児童達を救出し保護し、戦闘のないヨーロッパ方面に送り届けた事である。
中国においては、河南省大飢饉で1,000万人以上の被災民を餓死から救うべく、軍国日本は中国共産党軍やファシスト中国(中国国民党)軍を排除して食糧や医薬品などを届け、抗日軍と戦いながら飢餓民を保護・看護して助けた。
国際社会は、こうした軍国日本の人道貢献を完全無視どころか歴史から完全抹消した。
所詮、世界の良識・世界の正義・世界の常識とは、その程度の代物に過ぎない。
軍国日本当時の日本人は、その冷血な現実を知りながら、それでも戦争をしながら飢餓民や子供達を助けていた。
東条英機らA級戦犯達(靖国神社祭神)は、人道貢献したにもかかわず、馬泥棒に対するリンチ的縛り首で処刑された。
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2018年7月号 WiLL「シベリア抑留 隠された真実
日本人抑留者はソ連核開発の捨て駒にされた!
チェルノブイリ事故調査に協力していた私はふと不吉な予感に襲われた
驚きの証言
1995年、広島大学原爆放射線医科研究所は、1991年12月に崩壊した旧ソ連内の核被災地(チェルノブイリ原発事故)での放射線影響調査を開始した。
私は、95年8月に母校の同研究所国際放射線情報センターに助教授として戻り、セミパラチンスク核実験場周辺の線量調査に取り組み、翌9月に現地を踏んだ。
ウラル山脈南麓に、兵器用のプルトニウム生産施設『マヤーク』が建設された。米国ハンフォードのソ連版である。この都市は囚人たちにより建設され、一時は7万人が働いていた。私は、2000年の春、その地域を単身で訪れ、現地の放射線衛生について、およそ2か月間の調査を行った。
現地人の聞き取り調査をしてくうちに、驚くべき証言を耳にした。カザフスタン放射線医学環境研究所所長のボリス・グゼフ氏によると、
『核爆発によるダム建設では、多数の労働者が死亡した』
と。その労働者の中には、シベリア抑留された日本人兵も含まれていたと、後年、私は推理した。
スターリン時代、ソ連は核武装を進めるため、政治犯、ドイツ兵捕虜、そして終戦直後、ソ連に抑留した日本人兵を無給の労働力として使役したのだ。そして、多数の作業員が現地で死んだ。確かに日本人の顔はカザフ人によく似ている。私は、現地で同国人としばしば間違われた。だから、ロシア系の人間が遠目で日本人作業員を見ていても気付かなかったかもしれない。
その後、私が入手したシベリア抑留の氏名、人数、場所の地図が、厚労省によって開示されるようになった。その資料と、私の調査した結果を照合してみると、一致する点が数々見つかっていった。
果たして、本当に旧ソ連は核開発のために、日本人兵を酷使したのだろうか。
2万人を超す日本人ソ連抑留行方不明者の謎を追ううちに、新たな事実が浮かび上がってきたのである。
ソ連核武装の前夜
ソ連の核開発は、イゴール・クルチャトフ博士を指導者として開発した。米国と同じウランと黒煙とを積層した実験炉を建設し、1946年12月25日、核分裂連鎖反応の臨界状態に達した。この炉の臨界は米国の4年後であった。
核爆発実験場をモスクワから南西2,600キロメートル離れたカザフスタン北部に建設する計画となった。そこに至る道路、鉄道、現地の宿舎、実験施設、工場の建設が急ピッチで進められた。何もなかった草原に、核実験に必要な全てが短期間に建設されたのだ。
私たち日本科学者がカザフスタン現地の放射線影響調査を行った最初の1995年、核実験を指揮する科学者の都市クルチャトフをつなぐ鉄道のチャガンのレンガ製の駅舎で、被爆資料のレンガを採取した。これら周辺地で収集したレンガの中の石英粒子(せきえいりゅうし)の熱蛍光強度を計測し、筆者らは、核のフォールアウトによる放射線被曝線量を評価した。
こうした現地での放射線影響調査が、23年後に日本人将兵のソ連抑留の暗部を暴くことになるのは全くの副産物だったわけだが。
科学者たちは、中心となる核開発計画を作成し、労働力の手配と建設の実務を、ラヴレンチ・パーヴロヴィッチ・ベリアを最高責任者として、ソ連は核武装を強力に推進した。
ベリアは、1941年2月に人民委員会議副議長に就任、対独戦終結後の1945年7月9日にソ連元帥の階級を得て、翌1946年3月にはソ連共産党政治局員となった。彼は外国人捕虜の収容所を管轄する最高責任者でもあった。
1944年12月、ベリアはソ連核爆弾開発プロジェクトの監督になった。彼は米国核兵器プログラムへの諜報活動を開始し、1949年には核兵器の開発と実験を行うに至った。彼のもっとも重要な貢献は、必要な労働力の捻出にあった。実際の核開発プロジェクトは、有能な核物理学者グループだけではなく、危険を伴う様々な作業のために膨大な労働力を必要とした。労働力は使い捨て、消耗品。そこに独裁国家の恐怖があった。
共産主義社会の背景には権力維持の土台となる、全土に配置された『矯正』という名の強制収容所があった。強制収容所は、ウラニウム採掘やウラニウム加工施設の建設と稼働、核実験施設の建設を実現するための、数十万人もの労働力の倉庫である。クルトワ/ヴェルト著の『共産主義黒書』によれば、ソ連内での政治独裁者による粛清は2,000万人と言われる。
内務人民委員部も、核プロジェクトの安全性と機密保持の確保にあたった。
1945年、ソ連警察の階級システムが、軍隊システムに変更されたことに伴い、ベリヤの階級もソ連元帥に相当するものとなった。
彼は軍隊の指揮権を持つことはなかったが、戦時生産の組織化を通じて、第二次大戦におけるソ連の勝利に重要な寄与をすることとなった。さらに東欧系の警察組織もベリヤの支配下に組み込まれ、彼の警察権力は絶頂を迎えた。
冷徹なベリヤは、ソ連最大プロジェクト核武装の貫徹に、抑留したドイツおよび日本人元将兵を、中心部および周辺に、労働力として投入したはずだ。
それら作業員たちへ、ベリヤたちは最低限未満の食糧しか与えなかったのだ。
夏場に抑留された日本人たちの防寒具はあったく不足し、最初の冬に、およそ5万人の日本人が死んだとされる(富田武『シベリア抑留』中公新書/2016)。
多数の強制労働者たち
スターリンは終戦の8月16日には日本人を捕虜として用いないという命令を内務人民委員ベリアに下している。しかし、8月23日にはこれを翻(ひるがえ)し、『国家防衛委員会決定No.9898』に基づき、日本軍捕虜50万人をソ連内にある捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した。
その1つが『ポリゴン』と呼ばれたソ連の核実験場である。『ポリゴン』は天山山脈から1,000キロメートル、カザフスタン北部に位置する。四国に相当する広大な面積の境界には鉄条網が張り巡らされた。
その中に、道路、実験観測のための塔や地下の防曝施設、地下鉄を擬するホーム、原子炉などを、短期間に建設するので、膨大な労働力が必要だった。
実験場は、1947年に建設を開始された。北端のイルティッシュ河岸の秘密都市セミパラチンスク21に、ソ連は科学者・兵士など3万人を結集させた。現在のクルチャトフ市である。
1965年1月15日、ソ連最初の産業利用を目的として核爆発が、セミパラチンスク核実験場の東部にるバラパンで実施された。140キロトン威力の水爆が実験場の東側境界近くの地下175メートルで爆発し、クレータを形成した。
その大きさは直径400メートル、深さ約100メートルとなった。地下水が溜まり湖となった。1999年10月調査の時、著者は泳いだ。
グゼフは驚いて言った。
『高田博士、ロシアの科学者は、核の湖で泳いで死にましたよ』
湖の土手の放射線は毎時20マイクロシーベルト、水面はゼロだった。私が泳いだ34年後に、放射線のリスクはなかった。
私は、爆発後の線量を計算した。水爆だがプロトニウムの核分裂エネルギーを利用しているので、クレータには核汚染が長期に残留する。全放射能の減衰関数は時間のマイナス1.2乗に比例する。
1995年の現地での放射線計測値を利用すれば、爆発直後の線量を推計できる。
クレータ核爆発30日後の空間の線量は毎時26ミリシーベルトと高い。囚人や抑留された外国人が現場で毎日10時間作業したと仮定し、人体の自己遮蔽も考慮すると、人体が受ける線量が計算できる。
初期の放射能の減衰を待って作業が始まったとすると、2月、3月、4月の月間線量(シーベルト)は、3.5、1.8、1.2の高線量を捕虜たちは浴びたこといなる。瞬時で4シーベルトを受けると半数の人が死亡するリスクなので、この人工湖工事は非常に危険だった。
人工湖の土木作業員たちは、高線量を毎日浴び続け、衰弱していった。嘔吐し、造血機能が弱まり感染症に発症し、歯茎から出血した。彼らは脱毛し、皮膚障害でかゆみに悩まされながら、死んでいった。治療されることはない。
全計画のトップに君臨するベリアの狙いは、秘密を知った抑留作業員たちの口封じである。
クレータ核爆発は核分裂生成物と粉砕された岩盤の破片とが混合し、爆心地に高レベルの放射能が長期に残留する。その地での労働は、虐殺に相当する非道行為に他ならない。
ソ連核実験場と日本人収容所
残留された日本人の行方に関して、1946年2月26日付、内務省による国家防衛委員会決定履行状況報告書によれば、ソ連への移送は49万9,807人である。翌、1947年2月20日時点の捕虜・抑留者業務管理総局による内相宛報告では、捕虜総数61万6,886人、ソ連移送53万3,325人と増えている。野戦収容所での死亡は1万5,986人と記録されている(富田武『シベリア抑留』)。
日本人抑留者の帰還に関して、長勢了治著の『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』(新潮選書/2015)では、2000年に帰還者47万537人分の登録ファイル、2005年に4万940人の死亡者名簿、またモンゴル政府から、1万331人の登録ファイル、1,597人の死亡者名簿が日本政府に提供された。
厚生省は、各収容所の抑留日本兵の人数、志望者数、地名はカタカナでまとめた後、米国、英国ならびにソ連において発行されたソ連地図を参照し、地名を特定した。
ソ連へ抑留された日本人の数は、65万人と推定されているが、ロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている(厚生省援護局昭和21年頃におけるソ連・外蒙領内日本人収容所分布概見図」『引揚げと援護30年の歩み』など)。
1991年に、日ソ間で『捕虜収容所に収容されていた者に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定』(以下『協定』)が締結され、約3万7,000人分の抑留中死亡者名簿が引き渡された。その後も協定を継承したロシア政府等から数次にわたり死亡者名簿が提供され、現在約4万1,000人分の名簿が提供されている。
……
ロシアの地に眠る日本人
繰り返しになるが、日本人ソ連抑留者数約58万と、帰還人数47万と死亡人数4万を合わせた数と、差し引き7万人が行方不明となる。そのうち、およそ5万人弱が、ソ連から旧満州と北朝鮮へ戻されたことを信じたとしても、2万人超のソ連抑留日本人が行方不明である。2万人の日本人はどこへ消えたのだ。
現厚生労働省がまとめた地図をみると、カザフスタンにあるソ連核実験場付近にも日本人収容所はありそうだ。私は、グゼフから入手したポリゴンの地図と、厚労省がロシア政府から受けた、ソ連収容所の配置図を見比べた。すると、予想は的中し、ポリゴンを囲むように、日本人収容所があった。
ソ連核関連施設と日本人収容所の位置を関係づけるにあたり、Times社の世界地図を参考にしながら、インターネット上のグーグル・アースで場所を確認し、地図を作成する方法をとった。図1に、二至村逭氏が作成された日本人収容所概見図にソ連の核施設・マヤークとポリゴンを配置した。
2つの核施設の周辺に1万人前後の日本人収容所が位置されていることがわかる。筆者はセミパラチンスク核実験場の地図と厚生労働省が作成した日本人収容所配置図を相互比較し、1つの地図にまとめた(図2)。
それに加え、現在最も信頼出来るグーグル・アースに、核実験場と厚生労働省が示す収容所の位置と地名とを重ね、確認作業を行った。
すると『ポリゴン』は、イルティッシュ川の南側に位置し、周囲に日本人収容所があることが確定できたのだ。北側にパプロダール、東側にセミパラチンスク、工業都市ウスチカメノゴルスク、西側にカラカンダ、アスタナの街がある。アスタナはカザフスタンの首都で、1997年にアルマトイから遷都した。当時は、アクスモリンスクと呼ばれている。
厚生労働省の資料で収容された日本人の数は、二至村逭氏作製地図によれば、カラカンダ1万人以上、アスタナとウスチカメノゴルスク1万人以上である。4ヵ所の合計収容人数はおよそ3万人に及ぶ。
こうした史実から、日本人抑留者たちが、ソ連の核実験場建設と運用に使用された可能性は排除しにくい。
死ぬまで強制労働をさせ、死体を秘密裏に埋葬したに違いない。その埋葬地は、ポリゴン内にあるはずだ。ソ連が強力に推進した核武装の秘密を知った抑留者や囚人たちを、ベリアが解放させるはずがない。
ソ連に抑留された58万人におよぶ日本人将兵の一部は、カザフスタン共和国に輸送された。その数は5万8,000人と言われている。カザフスタン北部の核実験場の建設工事や、爆発跡で、苦しく、危険な作業をさせられて死んでいった。スターリンたちは、ソ連の極秘を知った日本人たちを、生きたまま帰国させなかった。威力140キロトンのクレータ核爆発によるダム建設は1965年、東京オリンピックの翌年だった。
強烈な放射線の中での作業で、高線量を浴びて衰弱し、治療されることなく、最後は息を引き取った。ポリゴンの中に、ご遺体は埋められているはずだ。
東京から5,000キロメートルの地に眠る遺骨は、未来に、必ず発掘され、DNA鑑定で、日本人であると判明するだろう。私はそう確信する。
筆者の叔父は、シベリア抑留の後、帰国した。溶接技術の特技のあった彼は、ソ連で重宝され、栄養失調になることなく、日本へ戻ることができた元日本兵である。彼らの言葉から、ポリゴンで無念の死を遂げた戦友の話は聞けるはずもなかった。それは、ソ連最高機密である。
日本へ帰国し、ソ連の影響のもと戦後日本で国際共産主義運動の旗を振ったのが日本共産党や日本社会党左派の党員たちだった。ソ連やチャイナ、北朝鮮の核武装を黙認する彼らの『反核運動』とは一体なんなのだ。
旧ソ連への日本から人道を優先された日本財団の医療支援があって、人的交流が活発化した。疲弊した旧ソ連時代からの経済もようやく立ち直りの兆(きざ)しが顕著になっている。
ロシア政治指導者の第1人者プーチン大統領には、日露間の明るい未来を切り開くための基礎として、ソ連時代の核関連施設で死亡した日本人の名簿と埋葬地の情報を開示していただきたい。私は強く望む」
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共産主義者は、戦争に反対した、戦争を避けようとした平和主義者ではなく、戦争を好み、戦争を起こそうとした張本人の殺戮者であった。
「自分は戦争に反対の平和主義者」と自称する共産主義者は疑ってかかった方が良いし、場合によっては近寄らず、側から離れた方が身の為である。
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歴史的事実として、人類にとって最も恐ろしい思想がマルクス主義の共産主義であった。
宗教は、神の愛・仏の慈悲によって立ち止まって理性・良心・真面に立ち返る事ができる。
共産主義には、共産主義の大義・人民の正義で歯止めなく暴走する為に全てを破壊する。
その実例が、共産主義の名の下で大虐殺を繰り返してきたソ連と中国共産党である。
マルクス主義・共産主義は、反宗教無神論で全ての宗教を滅ぼす事を悲願としていた。
天皇制度は、正統性を民族宗教、古代の民族中心神話に拠っていた。
軍国日本は、2000年の歴史を持つ天皇制度の国軆を守り、数万年生きてきた日本民族の存続をかけて、国内外の共産主義勢力と一国で孤独な死闘を繰り広げていた。
キリスト教系朝鮮人テロリストと日本人共産主義者は、昭和天皇と皇族を殺害する為に付け狙っていた。
民族国家日本にとって、中国、ソ連(ロシア)、朝鮮は敵であった。
中国共産党に極秘で資金を提供していたのが、ロスチャイルド財閥やサッスーン財閥などのユダヤ系国際金融資本であった。
天皇制度国家日本を滅ぼそうとしたのは、ユダヤ系国際金融資本と国際軍需産業である。
中国共産党は、ユダヤ系国際金融資本の資金支援を受けて日本を滅ぼそうとした。
国際法、戦時国際法、国際司法機関は、日本の軍事行動を戦争犯罪であると裁断し、日本人を未来永劫許す事のない重罪人と認定した。
それが、東京裁判であり、靖国神社問題である。
何故、日本が、日本人が、国際社会から理不尽な扱いを受けるのか、それはかって日本人を奴隷として売買する事を公認した中世キリスト教会の「隣人愛」が世界世論の無意識層に流れているからである。
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何故、現代のロシアが、731部隊の人体実験など軍国日本の戦争犯罪を声高に告発するのか、それは隠蔽し表に出したくない非人道的行為・戦争犯罪行為など数多くの陰惨な事実があるからである。
ロシア人共産主義者による、軍国日本の戦争終結交渉の仲介依頼拒絶、日ソ中立条約無視の対日戦参戦、満州や南樺太における日本人避難民(女性や子供)への強姦や虐殺、日本領北方領土の不法軍事占領などなど。
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アメリカ・イギリス・カナダの三カ国は、日本で原爆投下実験を行い、日本人に対して人体実験を行った。
科学者・医者・軍人達は、被爆者を助けようと奮闘している日本人医師を横目に、被爆者を治療せず、放射能汚染データを収集して被爆者を死亡させ、日本人医師の治療データを奪っていった。
世界とは、人類とは、人間とは、その程度も生き物である。
戦前の日本人は、人類に輝かしい未来をもたらす原子力発展の為の人体実験用動物モルモットにされた。
世界は、日本人が核実験の人体実験にされた事は人道の罪に当たらないとしている。
それは、日本人が白人キリスト教徒によって奴隷売買された事は問題なしとされているのに似てる。
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- 作者:仙洞田 潤子
- メディア: 単行本