🔯9」─1─人道・道徳・倫理に必要なのは、人を超越した宗教か、人が作成した法律・憲法か、或いはイデオロギーか、それとも別の何か。~No.29 @ 

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 2015年12月8日号 ニューズウィーク日本版「『宗教は道徳心を育てる』は本当か
 子育て 6ヶ国の子供を対象にした最新調査によれば 非宗教的な家庭の子のほうが他人に優しいらしい レイチェル・グロス
 信仰心があつい人々は、こう主張することが多い──宗教があるから人間は道徳的になれる。実際、信仰深いほうが市民活動に熱心で、倫理的な判断を下し、慈善事業に寄付する傾向が強いという研究結果も一部にある。
 ポジティブな見方をすれば、宗教は信者に倫理的な枠組みを提供し、物語や儀式を通じて倫理的な価値観を浸透させる。別の言い方をするなら、『神が見ているから正しいことをしよう』と思わせるわけだ。
 一方、そんなのはたわ言だと考える人々もいる。世界で今、宗教的不寛容が何を引き起こしているかというスケールの大きい話しはさておき、宗教と道徳の間には何の関係もないとする研究も少なくない。むしろ信心深くない人のほうが倫理的に行動し、思いやりがあり、人種差別の傾向が少ないという研究もある。一体どちらが本当なのか。
 シカゴ大学のグループの新しい研究では、宗教は必ずしも道徳心を強めるわけではないとの結果が出た。先月、カレント・バイオロジー誌に発表されたこの研究は、6ヶ国の1,170人の子供たちを対象に調査を実施したもの。それによると、宗教的な家庭で育った子どものほうが利己的だったという。
 『信心深い家庭で育つ子供は他人に親切だという常識的な考えと矛盾する』結果だと、この論文は主張する。
 『そもそも宗教は道徳意識の発展に欠かせないのかという疑問が生じた』
 この研究で、アメリカ、カナダ、南アフリカ、トルコ、ヨルダン、中国の5〜12歳の子供たちに30枚のステッカーを渡し、気に入った10枚を選ばせる。次にその10枚のうち何枚かを、1枚もステッカーを持っていない子にあげてもいいと伝える。
 その結果、国、年齢などの要素と関係なく、信仰心の薄い家庭の子のほうが多くのステッカーを他の子に譲った。宗教的な家庭の子は『分かち合う気持ちがかなり少なかった』という。
 宗教的な家庭の子供の大部分はキリスト教徒とイスラム教徒で、残りはユダヤ教ヒンドゥー教、仏教など。この研究では、キリスト教徒の子とイスラム教徒の子の間に違いは認められなかった(他の宗教については、統計的に有意な結論が出せる参考者数ではなかった)。
 ステッカーを分けるかどうかはもちろん小さな問題だが、この研究では、宗教的ではない家庭のほうが子供の寛容さと利他主義を育てると結論付けている。その理由は、宗教の戒律や規範ではなく、理性と論理的思考で道徳的な判断をするように教えられているかもしれない。
 『道徳を教えるときに、物語や霊的存在に頼れなければ、合理的思考に頼るしかない』と、研究リーダーを務めたシカゴ大学心理学科のジーン・デセティ教授は言う。
 普段の習慣のほうが重要
 キリスト教は行動を善と悪にはっきり分け、曖昧な領域を残さない傾向がある。このような二元論の世界観は道徳的な基準の設定に役立つが、日常生活で直面する微妙で複雑な、区別がはっきりしないジレンマに対処する指針にはならない。
 将来を考えれば、この研究結果はよい兆候だと、今後14ヶ国に調査を広げる計画のデセティは言う。アメリカでは宗教を信じる人が減っているからだ。
 デセティによれば研究結果は、現代の宗教が倫理観の形成に果たす役割は縮小している、という説を裏付けるものだ。代わりに現代人は、哲学、歴史、政治など非宗教的要素に道徳的指針を求めるようになったという。
 この意外な研究結果の背景にあるのは、もっと単純な理由だろうと、米カルビン大学で宗教的献身について研究する社会学者ジョナサン・ヒルは指摘する。倫理的な判断を迫られたとき(例えば慈善活動への寄付など)、人は『神は私にどうしろと言っているか』とはあまり考えないものだ。むしろ、無意識のうちに普段の習慣に従う。
 『信仰と行動の間に直接的関連があると考えるのは謝りだ』と、ヒルは言う。『何を信じるかよる、どんな習慣を身に付けているかのほうがずっと重要だ』
 子供は『宗教心と寛容さの関係を研究する対象にふさわしくない』と、ノートルダム大学の社会学者クリスチャン・スミスは言う。『思春期、青春期、大人はどうなのかが知りたい』
 今回の研究結果から学ぶべきなのは、特定の社会集団の倫理的優位性を主張する研究は眉に唾を付けて聞いたほうがいいということかもしれない。
 聖書の文言にもある。『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである』」
  





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