スターリンの赤軍粛清―統帥部全滅の謎を追う (ユーラシア・ブックレット)
- 作者:平井 友義
- 発売日: 2012/04/01
- メディア: 単行本
関連ブログを6つを立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
レーニンは、世界を国際共産主義(共産主義式グローバリズム)で統一する為に、人民暴力革命を各国に輸出した
人民平等という世界秩序を樹立するには、共産党一党独裁のみでると確信していた。
アジアに暴力と死の恐怖による共産主義支配を広める為に、日本とアメリカを戦争に追い込むべく中国共産党・日本共産党を手先に使った。
日本の共産主義者は、使い勝手のいい便利な手駒でしかなかったが、憐れにも「捨て駒」である事が理解できなかった。
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日本に国際共産主義(マルクス=レーニン主義)の謀略から逃れる術がなく、日本は否応がなくアメリカとの戦争へ追い込まれていった。
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スターリンは、蒋介石と対日戦に備えて軍事同盟的条約を結んだが、本心では日本陸軍の軍事力に恐怖心を抱いており、できれば日本軍とは戦いたくはなかった。
蒋介石は、ソ連軍を参戦させ、日本軍の後方である満州での大攻勢を要請していた。
日本軍部は、前方の抗日中国軍と後方のソ連軍という両面作戦は、軍事力にゆとりがない為に最も警戒していた。
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スターリンは、日露戦争で受けた屈辱を晴らすべく、日本に対する復讐戦を誓っていた。
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共産主義は、大量の血と夥しい死体を求めていた。
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ドン・クック『ヨーロッパの潮流』「私にとって一番不快なのは、ロシアとライプツィッヒにまで浸透している共産主義世界に特有の間違いようもない臭いである」
「ソビエト連邦にかって足を踏み入れた者は、あの臭いを知っている。……腐りかけて、澱んだ不快な臭い」
「希望もない、絶望的で、冷酷な刑務所の臭い」
「古い便所、石灰酸石けん、洗っていない体・・・などの臭い、ビルに入るとすぐに迫ってくる臭い、誰にもどうする事もできない臭い、制度に付着した臭い」
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人口は、約1億7,000万人
ソ連軍の総兵力は、世界第二位である。200万人以上の内約50万人が対日戦用に極東ソ連軍に配備され、残りの兵力はヨーロッパ方面にあった。
軍事費は、1936年度には29億6,000万ドルあったが37年度には40億ドル増額され、対外戦争と諸外国の共産主義勢力への軍事支援の為に年と共に増えていった。
軍用機の保有数は3,000機以上で、日本は約1,000機にすぎなかった。ソ連軍は、日本軍以上に近代化が進んでいた。
ソ連軍の近代化は、ドイツの最新技術とアメリカの資金援助による。
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国際的共産主義者は、天皇制度国家日本を共産主義化する為に中ソ不可侵条約(37年8月)を締結し、国民政府軍に強力な軍事顧問団を派遣して抗日戦用に大量の武器を輸出した。
共産主義による平和を求める反民族主義の反天皇派日本人は、暴力的共産主義革命を日本国内で成功させる為に、天皇周囲の華族(華族赤化事件)や日本軍(2・26事件)や司法関係者(司法赤化事件)や教育界(教職員赤化事件)など広範囲に、知的階級エリート層に多くの同調者を育成すべく力を入れた。
国家は、外敵ではなく内部の裏切り者によって滅亡する。
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極東軍は、朝鮮人、中国人、モンゴル人らの諸民族部隊を対日戦の為に教育して最前線に配置したが、伝統的人種差別ゆえに外国人を信用せず厳重な監視下に置いた。
さらに、ウラジオストク(東方を征服せよ)港には30隻以上の潜水艦と多数の艦船を配備し、ウォロシロフ製鉄所などの軍施設では潜水艦とその他の艦船を製造していた。
ソ連は、日本軍が国境を侵略しシベリア横断鉄道を破壊する事を恐れ、ウラジオストクを日本軍の攻撃から守る為に囚人を強制労働させて防衛力を強化した。
リデル・ハート大佐「赤軍は命令が出てから二週間以内に600万人を動員する事が出来、1938年までには訓練を受けた予備役の総計は1,000万人に達するであろう」
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当時のソ連の人口は約1億6,900万人で、180の異なった方言があり、100を越す民族が生活していた。彼等を支配する為に、ソ連は秘密警察と赤軍で監視を強化し、「死」と「暴力」の恐怖で奴隷の様にあしらっていた。
共産主義諸国は、監視国家として、秘密警察が人民に恐怖を与えていた。
人民は、共産主義教育で洗脳され人間性を消失させられていた。
当然、兵士も操り人形の様に洗脳されて、上官の命令に盲目的に従った。
戦死すれば、人格を否定され、単なる無名戦士として葬られた。
宗教否定の共産主義下では、人間性は剥奪され、命の尊厳も無視され、魂の救済もされなかった。その象徴が、反宗教の「無名戦士の碑」である。
共産主義は、反宗教無神論である。当然、天皇中心とした日本神話の根絶しようとしていた。
現代日本の国際派知識人は、これに似た宗教性を排除し、信仰を持たない国立墓地を作ろうとしている。
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ルーズベルトは、ロシア革命を承認し、ソ連と協力関係を結び、ワシントンやホワイト・ハウスに共産主義者を引き入れた。
ウォール街のユダヤ系国際金融資本は、金儲けの為に、国際共産主義が広めようとした「能力主義」「契約主義」「国境不要」を全面支援した。
ユダヤ系国際資本は、ヒト・モノ・カネを自由に移動させる為には、民族国家や国民国家を潰すべく移民や難民を押し付けていた。
ブレジンスキー「アメリカのユダヤ人は他のマイノリティと協力しながらWASPをエリートの座から引きずり落とし、その結果、ユダヤ社会がアメリカのエリートになった」
ルーズベルトは、アメリカ式デモクラシーによる理想社会を実現するには大英帝国の植民地・海外領土を独立させる必要があるとして、親友のウェンデル・ウィルキーを派遣した。
ウィルキーは、イギリスの植民地支配を批判し、独立を支援した。
チャーチルは、ナチス・ドイツに対抗する為にはアメリカの国力を必要として、アメリカ金融界の大物でルーズベルトの顧問をしているバルークに接近していた。
アメリカとイギリスは、共通の敵ナチス・ドイツを打倒する為に表面的には同盟関係にあったが、ソ連・共産主義に関しては意見の相違があった。
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国境を消し去ったグロバル社会を求めたのは、国境の枠を超えて多国籍化した国際資本であった。
国際資本は、国家・民族・国民という閉ざされた枠組みの中でもの作りをして独自の道を歩もうとする日本の民族資本を潰すべく、アメリカ、イギリス、ソ連、ナチス・ドイツ、フランスを総動員した。
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1937年 カンチャズ島事件。ソ連の軍船は、国境未確定線にある黒竜江のカンチャズ島に現れて、同島の領有権を主張した。東京の陸軍中央部は、外交交渉での事態収拾を決定し、関東軍に対して反撃自粛を命じた。現地部隊は、原因はソ連軍の国境侵犯にあるとして、ソ連軍の軍船を撃沈した。
関東軍参謀長東條英機は、軍隊の下克上を避ける為に軍律を厳格に厳守する軍事官僚として、管理下にある部隊が命令を無視して暴走した事に責任を感じて辞職を決意した。
ソ連軍の国境侵犯は、1941年の日ソ中立条約締結まで続いていた。
関東軍は、満州の国防の任を命じられていた為、ソ連軍による国境不法侵犯に悩まされていた。対ソ派は、陸軍中央の外交優先方針では、ソ連の犯罪的蚕食で満州領を失うと猛反発していた。
陸軍は、対中戦略からソ連には静観戦略を採択していた。
8月 ファシスト中国は、ソ連と中ソ不可侵条約を締結した。
ファシスト中国は、ソ連が対日戦に参戦し、日本軍を後方から攻撃する事を要請していた。
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1938年6月13日 極東地方担当内務人民委員会局長リュシコフ大将は、3月に党首脳のルイコフやブハーリンらがスターリンによって粛清されるや、身の危険を察知した。リシュコフは、内戦の英雄であるブリュッヘル元帥を粛清する為に、スターリンの密命で極東に送り込まれた。政治委員や軍人ら20万人以上を逮捕し、7,000人以上を共産主義に敵対する反革命派として射殺したが、本命のブリュッヘル元帥を反逆罪で告発するだけの証拠を作る事に失敗した。将校4,000人以上を処刑した為に、軍の指揮系統は混乱し、将校らの作戦能力は低下し、兵士の士気も低下した。
共産主義は、血に飢え、反対派を人民の敵として虐殺していた。
スターリンは、リシュコフの不手際に業を煮やして、メフリス赤軍政治指導本部長と内務人民委員部のフリノフスキー国境警備隊長を急派した。リシュコフは、特命を達成出来なかった責任で処刑される事を恐れて日本に亡命した。
関東軍特務機関は、ソ連軍はソ満国境地帯に狙撃師団推定20個師団、騎兵師団4〜5師団、戦車1,500輌、爆撃機300機を含み航空機1,560機を配備したと報告した。
陸軍中央は、武漢三鎮や広東に大攻勢を仕掛けるべく主力部隊の大半を配備しつつあった為に、ソ連との戦闘を避けるべく外交交渉に期待していた。
7月9日(〜8月10日) 張鼓峰(ちょうこほう)事件(ソ連名、ハサン湖事件)。
極東ソ連軍司令官ブリュッヘル元帥、スターリンの「赤の大粛清」から身を守る為に戦果を必要として、朝鮮との国境不確定地域である「張鼓峰」に部隊を派遣した。
14日 軍部は、話し合いによる解決を外務省に要請する一方、朝鮮内陸への侵攻に備えて朝鮮軍を急派した。
陸軍の総兵力は24個師団約100万人であったが、関東軍に6個師団、朝鮮軍に1個師団、中国戦線に16個師団(約70万人)と実動部隊の大半を国外に出動させていた。その為に、国内にはわずかな留守部隊が居るのみであった。
天皇はソ連との戦争を望まなかったし、軍部にはその余力はなかった。
31日 多田駿参謀次長は、憲法に従い国外での軍事行動を発動するに当たり大元帥・天皇に対して裁可を求めた。軍部は、ソ連軍の不法越境に対する自衛的戦闘行為である事と、ソ連軍を国境外に駆逐した後はソ連領に侵攻せず国境線で停止して監視活動に切り替える事を、説明した。
天皇は、中国との戦争のほかにソ連と戦う事には同意せず、新たな軍事行動を裁可しなかった。
政府は、天皇の希望により戦争不拡大の方針のもとで外交による終結に全力をあげた。
軍部は、現地の朝鮮軍司令部に対して戦車、長距離砲、航空機などを使用しない範囲での自衛的武力行使の権限を与えた。
日本は、この武力衝突を局地戦争ではなく単なる国境紛争と判断した。
朝鮮守備隊の第19師団(7,000人)は、戦車や航空機の支援のない歩兵部隊で、戦車を伴った重装備のソ連軍(6万人以上)に白兵戦を挑んだ。
関東軍主力部隊は、ソ満国境で極東軍主力と対峙していた為に動けず、満州国軍と合同軍を組織して1万9,000人を援軍として送った。
日本軍は、天皇の希望に従って、民間人を巻き添えにしない為に人里離れた山野を戦場とした。
8月1日 スターリンは、「日本の参謀本部は、今ではなく、もう少し後での対ソ戦争を望んでいる」というゾルゲ情報を得るや、ブリュッヘル元帥に総攻撃を命じた。
ソ連軍は、蒋介石支援と日本軍への牽制の為に攻勢に出る事を命じた。
ブリュッヘル元帥は、無差別攻撃は反日的朝鮮人居住区に被害を出す危険があるとして躊躇した。
スターリンは、日本人全員を根絶させる為に若干の反日的朝鮮人や抗日派中国人が巻き添えになろうとも、無差別に全員を容赦なく射殺する様に厳命した。ロシア人は、日露戦争における屈辱をはらす事を切望していた。
2日と3日に、十数機のソ連軍航空機は、広範囲に無差別爆撃したが計画性がなかった為に多くの一般住民を殺傷したが、軍事的には効果がなかった。
ソ連軍は、勝利の為なら民間人がどれだけ犠牲になろうとも意に介さなかった。
10日 ソ連軍は、大規模な空爆支援のもとで戦車を中心として大反撃に転じ、日本軍歩兵部隊を占領地から撃退した。
日本軍部は、いかに日本将兵が死傷しようとも、大元帥天皇の意志に従って、ソ連との全面戦争回避方針する為に航空機と戦車の使用を禁じた。日本軍は、劣勢で有り、不利であった。
ソ連軍も、本格的な日ソ全面戦争には準備不足の為に撤退した。
日本軍が被害の増加を恐れて撤退するや、ソ連軍は再進出して自分の主張する国境線に鉄条網を張り巡らして野戦陣地を構築した。
日本側は、これ以上の戦闘を避ける為に、停戦協定を額面通り守り国境変更に涙を飲んで同意した。陸軍も、これ以上の戦闘を避けるべくソ連を刺激しない様に慎重に対応した。
ソ連軍は、国際社会に対して軍の弱みを見せるわけには行かないので勝利宣言を行い、将兵の多くに勲章を授与した。
被害 | 戦死 | 負傷者 | 戦病死|
日本軍 | 526人| 914人|
ソ連軍 |1,200人|3,279人| 106人|
ブリュッヘル元帥は、日本の手先、スパイとして尋問室で拷問の末に殺された。
共産主義体制においては、指導者の意に添わぬ失敗は敗北主義者として死を意味していた。共産主義とは、寛容に縁のない非情な主義であった。
モスクワの重光葵大使は、11日にソ連側の国境確定要求に譲歩し外交努力で事件を解決したが、この外交交渉が理由でA級戦犯として禁固7年の判決を受けた。
スターリンは、内戦で荒廃した国内を立て直す為に、国境の画定と保全を最優先事項とした安全保障上の自衛権発動と主張した。
ソ連の国家戦略は、周辺諸国を共産主義化し、傀儡国家・衛星国としてソ連本国の防波堤とする事であった。
ソ連の共産主義輸出は、侵略目的の領土拡大ではなく、自衛権発動による国土防衛であった。
ソ連経済の立て直しに協力していたアメリカの企業群(大半がユダヤ系)は、スターリンの説明を認め、日本軍を侵略者とする事に同意していた。
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