💥9」─3─ルワンダ虐殺の原因。1994年~No.25No.26 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 1994年4月6日(〜7月) ルワンダ大虐殺。多数派である農耕民・フツ族出身のジュベナール・ハビャリマナ大統領が乗った飛行機が、何者かによって撃墜された。
 フツ族は、犯行は少数派である遊牧民ツチ族の仕業と決めつけ、かって一緒に住んでいた隣人のツチ族を襲撃して虐殺を行った。
 女子供に関係なく、80万人以上が惨殺された。
 ツチ族キリスト教徒は、キリスト教会の建物に逃げ込めば助かると信じて助かると信じて礼拝堂に集まった。
 フツ族の殺戮者は、多くの女子供が逃げ込んだキリスト教会の中に、手榴弾を投げ込み、機関銃を撃つ込み、ガソリンを流し込んで焼き払った。
 相手を殺す事を決意した殺戮者にとって、たとえ相手が、隣人愛の信仰を持っていようと徳があって善行を行っていようと関係なかった。
 生き残るには、如何なる犠牲を出そうとも一致団結して武器を取って殺しに来た過激派を撃退するか、大勢で一緒になって不毛な土地に逃げて避難生活をするか、の2つしか選択肢しかない。
 非暴力無抵抗主義者は、独善的な善意を振りかざして虐殺を手助けする幇助者である。
 非暴力無抵抗を唱える者は殺戮者の味方として助けられ、非暴力無抵抗を信じた者は全て殺される。
 其れが、大陸史であり、世界史である。
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 2024年4月5日 YAHOO!JAPANニュース GLOBE+「ルワンダ虐殺発生から30年 今なお多い不明点 通説「民族対立が原因」を再考する
 ルワンダの首都キガリ近郊の教会内に設けられた虐殺記念館の棚に安置された虐殺犠牲者の遺骨=2010年8月6日、ロイター
 ルワンダでジェノサイドが発生してから30年が経つ。1994年4月から7月までの約100日間に、50万~80万人が殺戮されたと言われる。この30年間、多数の亡命者がジェノサイドの実態を内部告発し、またさまざまな研究者やジャーナリストたちも独自で調査してきた。その過程で、一般的に知られているジェノサイドの通説と実態の間に乖離があることが明らかになってきた。(米川正子=神戸女学院大学国際学部教授)
 【写真】ルワンダの虐殺記念館に安置された犠牲者の遺骨や写真
 ルワンダのジェノサイドの前、最中、そしてその後に何が起き、どのような影響を及ぼしたのか。問題の通説には、次の四つが挙げられる。
 【ルワンダ大虐殺で問題をはらむ四つの「通説」】
 (1)多数派フツと少数派ツチ間の民族対立が原因で、フツの過激派がツチと穏健派フツを殺戮した「ツチに対するジェノサイド」だった(つまり加害者はフツで、犠牲者はツチである)
 (2)大量殺戮が続く中、ルワンダに駐屯中の国連平和維持活動(PKO)部隊はその行為を止めなかった
 (3)当時の反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(RPF)」のカガメ将軍(現ルワンダ⼤統領)がジェノサイドを止めた(そのため、ルワンド国内外で「救世主」と称えられている)
 (4)戦闘の敗者であるフツ主導のルワンダ旧政府やフツ民兵はRPFによる報復を恐れて、国外に逃れた
 しかし、これらの通説はいずれも事実に反しているか、単純化しすぎている。30年経った現在もルワンダのジェノサイドには不明な点が多く、物事を単純に見ることを避けなければならない。
 この記事では、ルワンダのジェノサイドの実態を理解するために、民族対立と、加害者と犠牲者に関する誤解について説明したい。その前に、ジェノサイド発生前に起きた主な出来事について簡潔にまとめる。
 ルワンダの歴史的背景
 ルワンダにはかつて、ツチの王が支配する王国が存在していた。この王国は、19世紀末に植民地化され、ドイツ領東アフリカに組み込まれた。第1次世界大戦後には国際連盟委任統治領として、そして第2次大戦後には国際連合信託統治領としてベルギーに支配された。
 1959年、多数派フツのエリートが「少数派ツチという一つの人種」によって政治的に独占されていた封建制度に異議を唱え、ツチの王制を打破し、共和制を確立させる「社会革命」が起きた。多くのツチがルワンダ国外に避難し、その内の一人が現大統領のポール・カガメ氏だった。
 1962年にベルギーから独立し、グレゴワール・カイバンダが大統領に就任する。南部出身のカイバンダが北部を優遇しなかったことから、1973年、ジュベナール・ハビャリマナ氏はクーデターで政権を掌握し、ハビャリマナ氏の出身地である北部に政治権力を集中させた。と同時に、ハビャリマナ政権はカイバンダと同様、「ツチ至上主義(Tutsi supremacy)」の復活から国を守ると主張した。
 「社会改革」を逃れたルワンダのツチ難民を受け入れた周辺国の中で、ウガンダは最も政治的に不安定で、1970~1980年代に3度のクーデターと内戦による政権交代を経験した。当時のミルトン・オボテ政権下でツチ難民に対する迫害が起きたこともあり、難民たちの中でルワンダへの帰還の希望が芽生えた。オボテ打倒のためにも、1981年からカガメ氏や他のツチ難民がヨウェリ・ムセベニ氏(現ウガンダ大統領)のゲリラ戦に参加し、1986年にムセベニ氏が率いる反政府勢力が軍事勝利した。
 1987年、ウガンダ在住のルワンダ難民らが、RPFという政治的・軍事的組織を結成した。1990年にRPFがウガンダからルワンダに侵攻し、ルワンダ政府との間で内戦が続いた。1993年に和平合意が結ばれた後も戦闘は続いた。
 1980年代後半から1990年前半まで、ルワンダはさまざまな政治的・経済的危機に同時に直面していた。RPFの侵攻とともに、民族対立が悪化し、国内避難民数が増加した(後述)。その他、RPFの侵攻を受けて政府の軍事費が1989年、国内総生産GDP)の1.9%から1992年、7.8%に増加した。これらの危機が国を弱体化させ、ジェノサイドを実行する可能性を広げた。
 1994年4月6日夜、多数派フツ系ハビャリマナ大統領が乗っていた飛行機が⾸都キガリの国際空港に着陸する直前に地対空ミサイルで撃墜され、大統領は暗殺された。その数時間後に大量殺戮が始まった。同年7月、少数派ツチ系のカガメ将軍率いるRPFが軍事勝利して政権を奪取した。
 通説「ジェノサイドの原因は民族対立」は本当か
 ルワンダの民族対立は、ジェノサイドにどのように影響したのだろうか。
 ルワンダには、フツ、ツチ、そしてトワという三つの集団がある。トワは前者二つと異なり、政治的な活動に関わっていないため省略する。
 それぞれの集団の区分は、エスニック(民族)、職業や社会階級的なものとして解釈された。19世紀末以降、ルワンダを支配したヨーロッパ人たちは、ツチを白人に近いハム系(注釈)、フツをバントゥー系黒人と認識し、前者が後者を征服してきたと理解した。その認識がドイツ、そしてベルギーの間接統治政策に影響を与えた。またツチ指導者も、自らがフツよりも優秀だと認識するようになった。他方、フツのエリートはフツこそがルワンダ人で、ツチは外国人だと認識していた。
 (注釈)ハム系=旧約聖書「創世記」の登場人物であるハムは、ノアの3人の息子の一人であり、父の裸体を盗み見たとして呪われる。19世紀ヨーロッパの人種思想では、その子孫となるハム系諸民族がアフリカに文明を伝えたとされた。ハム系諸民族は、ノアの血を引くコーカソイド人種(すなわち白色人種)であり、アフリカ土着の人種とはみなされない。
 人口に占める割合は、フツが8割、ツチが2割程度と大きな差がある。
 ジェノサイドの起源は、ツチとフツが「数百年にわたって抱いていた本質的な『部族憎悪』」だとする説がある。
 確かにハビャリマナ氏は政権奪取した後、ベルギー植民地時代に制度化された民族証明書を破棄せず、ツチの排斥運動も組織的に行われていた。また多くのツチは民間部門、特に商業や開発プロジェクトにおいて雇用されていたが、教育や政府の雇用において差別されていた。
 ただ留意すべき点は、ツチとフツそれぞれの集団内部でも対立や冷遇があったことだ。
 1950年代後半、ツチの伝統的指導者と革新的エリートの対立が起きた。ツチ系のカガメ氏が率いるRPFは、1959年の「社会革命」の際に国外に避難せず国内に残っていた同胞ツチを「フツの協力者」としてみなし、ルワンダに侵攻した際に殺害した。またハビャリマナ政権時代、権力と土地資源をめぐる競争の中で、南部のフツは高等教育へのアクセスという点で差別されていたため、北部のフツのエリートと南部の貧しいフツの農民の間に亀裂が生じた。
 このような多層的な対立構造があったにしても、フツとツチは共存し、婚姻関係も通常だった。
 が、フツとツチ間の民族対立が急激に悪化したのは、1990年にRPFがルワンダに侵攻してからだ。その要因は主に2点ある。
 第一に、農民であるフツ住民計約100万人が国内避難民キャンプで生活していたが(当時のルワンダの人口は700万人だったため、7人に1人の割合)、若い農民にとって、土地を失い、3年間食料配給に頼らざるをえなかった経験は屈辱的だった。そのため、穀倉地帯の北部から追放された彼らの中で、ツチ主導のRPFに対する憎しみが高まり、フツ主導のルワンダ政府による国内避難民の徴兵は容易だった。
 第二に、1993年10月、隣国ブルンジで、フツのメルシオル・ンダダエ大統領がツチ軍人らによって暗殺された(カガメ氏の命令だったと言われている)。彼は同年7月に初のフツ大統領に就任したばかり。この暗殺によって、ルワンダの野党は武装なしには無力であることを確信した。またツチに不信感を持つフツ系ブルンジ人30万人が、ルワンダに難民として避難した。このため、当時のルワンダには、フツの国内避難民と難民がいたことになる。それがRPFとツチへの憎悪の高まりにつながり、ブルンジ難民もツチに対する殺戮に参加した。
 ジェノサイド前夜、フツ系大統領を暗殺したのは誰か
 では、ジェノサイドの引き金となったと言われるハビャリマナ大統領の暗殺の責任者は誰なのだろうか。
 1997年、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)の弁護士で調査官のマイケル・ホーリガンは、RPFの現役と元メンバー3人から、当時のカガメ副大統領とその部下が大統領機撃墜に直接関与していたことを知らされた。
 ICTRの第2代判事ルイーズ・アルブールは、当初この情報に興味をそそられたが、後に、ICTRの任務は、撃墜後に始まった大量殺戮の出来事に限定されてしまう。ICTRの時間的管轄が1994年1月から同年12月までで、4月6日に起きた大統領機の撃墜を明確に含まれているにもかかわらずだ。
 ホーリガンの調査とRPFの離反者や西側当局者からの証言をもとに、2006年、フランスの判事が大統領機の撃墜を実行した疑いのあるルワンダ人9人に逮捕状を発行した。撃墜の際、フランス人パイロットとクルー計3人も殺害されたため、遺族が判事に事件の調査を依頼したのだ。カガメ氏は大統領として免責特権を享受していたため、逮捕状を発行できなかった。逮捕状の発行により、ルワンダは2006~2009年、フランスと国交を断絶した。
 2009年、カガメ氏の元側近だったRPF元参謀長は、フランス主導の調査に対してRPFが実行したと証言。しかし、フランスがルワンダとの外交関係を回復に向けて働きかけていた時期と重なり、その他の主要なRPF 関係者から証言を得ないまま、調査は中断された。
 それと並行して、ルワンダ政府の調査報告書が2008年、2010年、2017年に公表された。それらには、フツ過激派が撃墜の責任者と結論づけたり、フランスが旧フツ政権と民兵を訓練し、武器を提供し、大統領機撃墜を助長したりしたと主張している。
 さまざまな証言の相違はあるものの、RPFが大統領機を撃墜し、大量虐殺を引き起こしたことを示す証拠は確かにある。
 また証言の大半、特に最も詳細な証言はRPF元要員から得ている。それらの証拠と証言は以下の通りだ。RPFが物資や武器を調達する上で、内戦中にウガンダを後方基地として使用したこと。ロシア製の地対空ミサイルの発射装置はキガリのRPF支配地域で発見されたこと。カガメ氏と彼の側近が1993年末から1994年初めまで会議を3回開催し、地対空ミサイルの訓練などについて計画され、撃墜後、カガメ氏らが喜んでいたことなど。
 その他、PKOの国連ルワンダ支援団(UNAMIR)のベルギー大佐によると、大統領機の撃墜後、約3万人で構成するRPF部隊が所定位置に着き、攻撃を開始した。このような大規模な攻撃は事前に数週間の準備期間を要するため、RPFは即、戦闘できるように、武器や食糧を十分に備えていたはずだと述べている。ルワンダ軍も撃墜直後に道路にバリケードを設置したが、これは大統領が出入国する際の通常の手続きであり、RPFの準備とは大違いだ。
 ICTRは、当時のルワンダ政府が大統領撃墜を計画したり関与したりいた証拠はなく、またRPFが大統領機の撃墜を実行したと結論づけ、RPFが意図的にジェノサイドに火をつけたと指摘した。
 通説「フツが加害者、ツチが犠牲者」
 「多数派フツが加害者、少数派ツチが犠牲者」。この通説は広く浸透されている。
 例えば、2023年10月、国連人権高等弁務官事務所ニューヨーク事務所長のクレイグ・モクヒバが国連宛ての書簡で、イスラエル軍による「パレスチナ人のジェノサイド」は「お手本のような事例」だと指摘し、そのジェノサイドに対する国連の沈黙に抗議した。書簡では、ジェノサイドに際して国連が文民保護の義務を果たせず生じた犠牲の例にボスニアムスリムミャンマーロヒンギャ族などと並んで”(ルワンダの)ツチ”を挙げている。
 ではどのように「フツが加害者、ツチが犠牲者」というナラティブが生まれたのだろうか。
 ジェノサイドが起きた翌年の1995年4月から毎年、ルワンダ国内外で実施されている記念式典では、当初、ツチだけでなく、フツやトワの犠牲も認定されていた。実際に、ジェノサイドに加わった者にはフツもツチもいれば、ツチを保護したフツもいた。
 しかし、ジェノサイドの公式名称は段々と排他的になり、2003年に制定されたルワンダ憲法が2008年に修正されてから、「ツチに対するジェノサイド」という呼称が強いられた。同時に、ツチの集団犠牲とフツの集団加害が強調された。
 通説はどう補強されてきたか、五つのポイント
 このナラティブに関して、日本でほとんど知られていない、あるいは十分に議論されていない要因を五つ挙げてみたい。
 第一に、ロンドンに拠点を置いたNGO「アフリカン・ライツ(African Rights)」がジェノサイド終結から2カ月後に、組織として初めて750ページもある実質的な調査結果を公表したのだが、 この作業を短期間に実現できたのは、RPFが全面的、かつ積極的に情報を提供し、このNGO職員に給与まで支払っていたためだ。 本調査は、ジェノサイドの公式説明である「英雄的なツチの反乱軍は、フツのジェノサイド加害者に対して正義の戦争を戦った」という見方を補強した。またRPFが犯した人権侵害は単なる報復殺人であり、RPFは民間人を組織的に殺害することを意図した政策を持っていなかったことも強調している。
 第二に、RPFが偽旗作戦(false flag operation)を実行していたことだ。
 これは、あたかも敵によって実施されているように見せかける軍事作戦だ。ジェノサイドを煽るために、RPF内の軍事諜報局の要員がフツ民兵に潜入し、路上バリケードにいた民兵によるツチの殺戮を手助けした。 フツ民兵に潜入した要員は、背が低く、仏語を話すフツが選ばれた(一般的にフツはツチに比べると背が低く、1994年以前のルワンダ公用語は仏語だった。RPF要員はウガンダなど国外で生まれ育った元難民が圧倒的に多く、英語を話す人が多い)。
 また難民キャンプを拠点にルワンダを攻撃したという報道も、実は偽旗作戦だったことが元RPF要員の証言で明らかになった。
 奇妙なことに、この民兵の指揮系統はRPF本部下にあった。つまり、RPF自体がフツ民兵を創設した可能性が強いことを意味する。
 第三に、アメリカ人研究者2人が1998、1999年、ルワンダでさまざまな統計を収集したところ、フツの犠牲者数の方が多かったという結果が出た。1991年時点で60万人のツチが存在していたが、ジェノサイド後もその半数が生存していた。ジェノサイドの死亡者数は、この研究によれば80万~100万人だったため、死者の半数以上がフツだったと計算した。 その研究者がその調査結果をルワンダで発表した後、同政府から24時間以内に出国を求められ、「歴史否認主義者」のレッテルが貼られた。彼らはジェノサイドが起きたことを否定していないにもかかわらずだ。
 ただ、当時のツチの人口数と死亡者数は明確な統計はなく、現在も議論が続く。いずれにしても、フツの犠牲者数はツチのそれに匹敵するか、それ以上の可能性は高い。
 第四に、ジェノサイド指導者を訴追するために、1994年にICTR、そして2001年に草の根裁判集会である「ガチャチャ法廷(Gacaca)」が設立されたが、どちらもフツのみが訴追された。ICTRは2002年、RPFに属する容疑者を初めて起訴する準備をし、それを第3代判事のカーラ・デル=ポンテがカガメ大統領に伝えたところ、彼は「あなたは終わりだ」と激怒したという。デル=ポンテはICTRの調査が妨害されないように国連本部に訴えたが、コフィ・アナン国連事務総長は「これはすべて政治だ。あなたは全く正しいが、安保理が政治的な決定を下す」と述べた。その後、デル・ポンテのICTRの任期は、ルワンダ政府のロビー活動と英米の支持によって更新されなかった。
 さらにICTRでは、カガメ氏の批判者である難民の証言者が失踪し続け、その多くが拉致され、拷問され、殺害された。ガチャチャ裁判においても、一般人がルワンダ政府の公式説明に合わない真実を話す自由がなく、その真実を話した人は殺害されたり、国外に逃亡したりした。弁護側の証人や裁判官も同政府に脅迫された。
 第五に、国際社会の黙認だ。国連総会で2020年4月20日、ジェノサイドが始まった4月7日を「ルワンダにおけるツチに対するジェノサイドを考える国際デー」と称する決議 が採択された。 その直後、英米政府のそれぞれの国連代表部が「フツも他の人たち(注:トワ)も犠牲になったため、ツチのみが犠牲になったという表現に同意できない」と表明した。しかし、その見解は現在、黙認されているようだ。(4月7日を「ルワンダのジェノサイドを考える国際デー」と称する決議は2003年12月にすでに国連総会で採択済みだ)
 ツチとフツの両者の一部が殺戮に関わり、両集団が犠牲になったことを考えると「ダブル・ジェノサイド」と呼ぶこともできる。偽旗作戦が実行されたことを考えると、「ジェノサイド」という呼び方は正確ではなく、内戦の延長線と位置付けた方が適切だという声もある。
 以上のことから、ルワンダのジェノサイドを「民族対立」という単純な構図からとらえることはできない。カガメ氏も救世主どころか、戦争犯罪人と認識されるべきだと考える。
 また1996年、隣国コンゴで勃発し、現在も続く紛争に関しては、ルワンダのジェノサイドが飛び火したことが知られている。その詳細について、(PKO)部隊の行為に関する通説とともに、次稿で解説する。
 米川正子
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🛳51」─1─台湾は少子高齢化による人口減少対策に成功している。~No.254 

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 2024年3月7日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「少子高齢化に苦しむ島国」日本と台湾…両者の「決定的な違い」がもたらす現実
 台湾で注目の委員
 今年の台湾総統選挙と並行して行われた台湾立法委員選挙。民進党過半数を取れず、捻じれ国会を生んだダークホースといわれる「民衆党」に、いま注目の委員がいる。
 【写真】韓国・文在寅の「引退後の姿」がヤバすぎる…!
 台湾政界初のベトナム出身の立法委員・麦玉珍(ユイ・ツエン 50歳)氏だ。比例代表の当選者8人中5番目として初当選を果たした。彼女は、「台湾新住民協会」というNPO団体でも代表を務め、東南アジア系の移民たちの就職や役所関係の手続き相談など様々な支援活動を積極的に行っている。
 ベトナム・ドンナイ省出身で、20年前に移住、結婚、家庭内暴力での離婚、金銭的トラブルなどを経験し、様々な職業を経て警察や役所の通訳として独立した苦労人だ。
 台湾では近年、「新住民」と呼ばれる東南アジアを中心とした移民が増加している。台北駅周辺や桃園駅周辺にはベトナム人街、タイ人街、インドネシア人街、フィリピン人街などと呼ばれるエリアがあり、それぞれの国の言葉が飛び交っている。現地語の看板のレストランや雑貨店も多い。台北の外れにはミャンマー街と呼ばれる地域もある。
 彼らは、様々なレベルの労働者や技術者を含め60万人近くが台湾に定住している。台湾人との国際結婚も増え、いまでは全出産数の約10%強が、東南アジア出身の母を持つ子供たちだ。
 90年代に労働力不足から始まった移民政策は、2000年代に急速に進んだ少子化に伴って大幅に「入出国移民法」が改正され10年以上合法的に居留すれば自由に国籍がとれるようになった。さらに2017年には「外国人採用および雇用法」を施行し高度な人材や専門職、文化人など広く積極的な移民促進策も強化され、さらに新住民への差別行為に対する罰則強化などの法整備も着実に進んでいる。
 しかし、まだまだ市民の新住民への抵抗感も少なくない。今回の選挙でも麦玉珍委員は選挙中、同じ民衆党・台中支部の江和樹委員と激しい口論になった。youtube上で江委員が「訳の分からない素人の新住民を比例代表候補にするなんてよほど、わが党は人材不足なんだろう。民衆党は乞食集団か」と発言し、麦委員が激怒したのだ。しかし、堂々と応戦する麦委員に対し支援者が党内外からも急増したという。
 民衆党の代表・柯文哲氏もかつて台北市長時代に「いま、台湾では30万人のアジアからの花嫁を“輸入”している」と発言し当時の市民やメディアから猛烈に批判されている。
 「移民の国」台湾
 しかし、昨年麦玉珍委員と柯文哲代表は、対談を通じて「あの発言は悪い言葉だった。私はあなたを応援しています」と謝罪、和解した。
 実は台湾は移民の国だ。台湾原住民と呼ばれる先住民は約2%しかいない。その他は清朝以前にやってきた福建系と客家系の「本省人」と呼ばれる移民が約84%、第二次大戦後の国共内戦以降に中国大陸からやってきた「外省人」と呼ばれる移民が約12%、そして「新住民」とよばれる東南アジア系移民が約2%強という人口構成だ。
 すでに先住民を超す勢いで新住民が増えているのが分かるだろう。ちなみに政府は率先して彼らを「移民」とは呼ばず「新住民」と呼ぶように啓蒙している。
 この12%の外省人の国民党独裁政権が長く続いた関係で、戦後長らく中国大陸からの移民などに対して政策は複雑で排他的だった。その後、試行錯誤を繰り返し2000年の緩和と同時に偽装結婚外国人犯罪などの取り締まりも強化し発展していった。
 蔡英文政権になってさらにこの移民政策を促進させている。それが「新南向政策」だ。これは東南アジア、オセアニアとの関係強化策として(1),経済貿易協力(2),人材交流(3),資源交流(4),地域連結の4つの柱からなっている。
 この一環として、対象国からの留学生受け入れ支援とセットで、台湾の新住民二世たちを母国に一定期間滞在させ、伝統文化や言語を学ぶことも奨励、支援している。
 これは「新住民」に台湾への完全同化だけを推進させるよりも、出身国の文化・伝統・言語を尊重しながら台湾で生活することで、よりアジア各国との強い連携や人的交流の強化を狙っていく政策だ。頼新政権もこの政策を継承していくだろう。実はこの「新南向政策」には中国に対抗する強かで高度な戦略も含まれている。
 外交関係のない対象国との強い人的交流を築き、台湾の国際化を進める。それは一帯一路政策でのアジア進出を図る中国への布石になると同時に、中国に偏った移民の歴史からの脱却により東南アジア諸国との間の人の流れを増やし、中国との経済的・人的交流の比重を薄める狙いもあるのだ。特殊な台湾の国際的位置を十分考慮した外交戦略でもある。
 単純な労働力不足から始まった台湾の移民政策。それは、なかなか少子化に歯止めがかからない数々の子育て支援策や出産環境整備、補助金政策を補完して人口減を食い止め、同時に総合的に国力の衰退を防げる外交戦略に進化しているのだ。
 日本にはない移民制度
 ここでも同じ少子高齢化で苦しむ、台湾と日本の大きな政策の違いがはっきりと見えてくるだろう。日本は昨年、「特定技能2号」を修正し職種や期限を拡大し、「技能育成就労」という新制度も予定しているが、基本的にこれらは移民制度ではない。いまだ限られた職種での労働力不足を外国人材で補おう、という単純な位置づけ以外のなにものでもない。政府の公式見解でも「移民制度とは異なる」と明言している。その「特定技能2号」もいまだ数十人程度だ。日本には移民制度そのものが存在しないのだ。
 保守系議員や移民への極端な警戒感を持つ一部有権者に忖度した、国際的視野とは逆行する近視眼的な政策意図なのは明白だろう。しかし、現実は総務省の統計で昨年1年間で83.4万人の人口減少が進み、出生数も1889年以来最小を更新する見込みだ。10年後には大阪府と同じ人口が消滅し、数十年後には全国で本州くらいの人口に減少するとも言われている。
 この現状に将来を見据えた「移民制度とは異なる」有効な政策を果たして日本政府は立案できるのだろうか。喫緊の課題として対策に追われる地方自治体に頼るだけでは、将来の展望は開けないだろう。
 台湾国家開発評議会は移民政策としてさらに40万人の移民純増を目標としている。各省庁間でも「人材採用計画の改善や優秀な国際人材を惹きつけ採用するためのフレンドリーな労働環境と生活環境の創出」を構築するよう検討が進められている。
 新住民二世たちが自らの文化を尊びながらも台湾に同化し高学歴を取得し優秀な人材として育てば、単純な労働力以上の消費経済を含んだ経済発展に貢献するに違いない。
 そこには、またひとつ、「台湾ナショナリズム」にも「中華ナショナリズム」にも偏向しないまったく異なる「台湾新住民アイデンティティ」も芽生えてくる。アメリカの消費市場を支える移民パワーのようなものが垣間見えてくるのだ。
 数十年後、台湾は複雑な移民の歴史を超えて、アジアの中でも先端を行く新たな移民国家に変貌するかもしれない。その時の日本の将来図は、残念ながらいまだ、私には見えてこないのだ。
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 鈴木 譲仁(ジャーナリスト)
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🔯7」─3・C─イエスの肌は白色ではなく褐色だった。〜No.25  

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 2024年4月1日 YAHOO!JAPANニュース CNN.co.jp「イエスの肌は褐色だった? 人種問題がかつてない脚光を浴びる理由
 ミシガン州デトロイトにある教会の壁に描かれた黒人のイエス・キリスト
 (CNN) 白く透き通るような肌と亜麻色の髪をしたイエス・キリスト福音派の教会に通っていたクリスティーナ・クリーブランドさんは、そんな肖像画に囲まれて幼少期を過ごした。しかし、ある時遭遇した絵画の中のキリストの姿に息をのんだ。
 【画像】「MAGA(米国を再び偉大に)」と記された帽子をかぶったイエスの絵
 復活したイエスを弟子たちが取り囲む絵の中で、クリーブランドさんの目をくぎ付けにしたのは肌の色だった。イエスも弟子たちも有色人種として描かれていた。後に神学者となるクリーブランドさんは、自分がいつも北欧系のイエスの姿を思い描いていたことに気付いた。イエスが黒人女性である自分と同じような容貌(ようぼう)だったと認識した瞬間だった。
 イエスの肌の色が変わったことで、イースターの意味に対するクリーブランドさんの見方も変化した。
 「あのイースターの物語を見た時、私は国家が振るう暴力の犠牲者としてのイエスを見ていた。イエスを取り囲む黒人や茶色い肌の人たちは、何とかしたいと思いながら、その瞬間は何もできずにいた」(クリーブランドさん)
 「私は人間性を理解できず、最悪を想定する体制の犠牲になる人々を見ていた。それでも最後には希望がある。世界は正義の方に傾く」(クリーブランドさん)
 イエス・キリスト復活のイースターを世界が祝う中で、クリーブランドさんの話は真実を突きつける。歴史上の人物としてのイエスの容貌は、教会のステンドグラスの窓に描かれたりハリウッド映画に登場したりした容貌とは似ても似つかない。
 イエスは中東のユダヤ系やアラブ系の男性のように、褐色の肌で茶色い目をしていた可能性が大きいという見解で、ほとんどの学者は一致している。ある評論家はかつて、もしもイエスが現代の旅客機に搭乗したとしたら、米運輸保安庁に目を付けられて追加の保安検査を受けさせられていたかもしれないとコメントした。
 イエスの肌の色を巡る論争は、宗教界で古くから続いていた。白人のイエスの巨大な肖像画が掲げられた黒人教会に通っていた筆者は、理髪店などで白熱した論議が交わされ、神学者気取りの人たちが黙示録を引き合いに、イエスは黒人だったと主張するのを聞いていた(聖書によると、イエスの髪は「羊毛のように白く」、足は「焼けた青銅」のようだった)。
 FOXニュース司会者のメーガン・ケリーさんは2013年、イエスがサンタクロースと同じ「白人男性だった」ことは「検証可能な事実」だと断言したが、後に単なる冗談だったと弁明した。
 それでも今年のイースターは二つの理由から、イエスの肌の色を巡る疑問が重要な問題となる。
 第一に、古典的な北欧風のイエスのイメージが今も根強く残る教会がある一方で、白人のイエスを入れ替えようとする運動も米国に根差している。白人のイエス肖像画を堂々と掲げることは時代遅れで、場合によっては不快とみなす教会も多い。急速に多様化が進む米国では、自分のような姿をしたイエスを見たいと望むキリスト教徒が増えている。
 これに対して白人のイエスが決して消えない場所もある。白人のキリスト教国家主義者のSNSには昔ながらの白人のイエスの画像があふれ返り、中にはドナルド・トランプ前大統領のスローガンにちなむ赤いMAGAハットをかぶったイエスもある。
 トランプ氏が売り出した「神よ米国に祝福を(God Bless the USA)聖書」には、米国憲法権利章典を引用した一節があり、国家主義キリスト教を結び付けて白人のイエスのイメージを強調している。
 第二に、イエスの出自をめぐる新たな論争が巻き起こっている。イスラエルイスラム組織ハマスの戦争に批判的な立場からは、イエスを「パレスチナユダヤ人」とする声もある。半面、この主張は誤りであり、「イエスを反ユダヤに利用する」醜い歴史的なパターンが繰り返されていると主張する学者もいる。
 一方で、イースターの物語は肌の色やイエスのメッセージとは何の関係もないと訴える声もある(聖書のガラテヤ書には、「ユダヤ人も異邦人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もない。キリスト・イエスにおいて、あなた方はみな一つだ」という一節がある)。
 宗教的に中立な立場から、なぜ何にでも人種を持ち込む必要があるのかと疑問をぶつける人もいる。ある評論家は次のようにコメントした。
 「イエスがどんな色だったとか、イスラエルの12支族がどんな色だったとか、神は黒人か白人かといったことを問題にする人々にはうんざりだ。私は個人的に、そうした人たちがどんな色であろうがどうでもいい。聖書の中には私が知る限り、登場人物の肌の色を『問題』にしている箇所はない」
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🔔44」─2─欧米で右傾化しているのはシニアの団塊の世代ではなく若いZ世代であった。〜No.123 

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 欧米における右傾化の原因は、社会が急増する外国人移民・難民によって歪な多様性共生社会に変貌してきたからである。
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 2024年3月19日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「極右を支持するのがカッコイイ? 欧州で“若者の右傾化”が止まらない理由とは?
 「一緒にセルフィーを撮りたくなる」25歳のカリスマ議員
 ポルトガルの極右政党を率いる25歳のインフルエンサー、リタ・マティアス Photo by Nuno Cruz/NurPhoto via Getty Images
 ヨーロッパ各地で、極右政党が相次いで支持を伸ばしている。これを下支えしているのが若者で、ヨーロッパ全体の政治情勢を再形成しつつあると、米紙「ワシントン・ポスト」が報じている。
 【画像】25歳のカリスマ極右議員とのセルフィーに群がる若い有権者たちの様子
 たとえば、3月10日に総選挙が実施されたポルトガルでは、極右政党のシェーガが議席数をこれまでの約4倍に伸ばした。
 シェーガは、高失業率、低賃金、手頃な住宅価格などの社会経済問題に対処するという約束を掲げているが、成功の最も大きな秘訣は「魅力的なソーシャル メディア・キャンペーン、そして、カリスマ的な若いインフルエンサーを起用していること」だ。
 シェーガの議員で25歳のインフルエンサー、リタ・マティアスはインスタグラムのビデオやリールを巧みに利用し、幅広い視聴者へのリーチに成功している。
 「インフォテイメント」(インフォメーションとエンターテイメントを合わせた造語)といわれる政治的な情報にエンタメ要素を織り交ぜた動画で人気を博し、41歳の党首、アンドレ・ヴェントゥーラと一緒に撮影された動画は、人口約1000万の国で、360万回以上も再生されている。
 同紙によれば、彼女が政治討論会に出席した際には若い有権者が多数集まり、一緒に写真を撮るために列をなすという。
 政治に無関心の人たちが極右に
 ポルトガルの若い有権者は、1974年に崩壊した右翼独裁政権を知らない世代だ。この極右政党は、18~34歳の有権者にとって第1党となっており、「若年層有権者の割合をわずか2年で3倍の22.5%に増やす可能性がある」と同紙は書く。世論調査では「全体で3位」だが、シェーガが保守連合の中心になる可能性もあるようだ。
 シェーガの躍進は、もともと中道右派だった人たちや、あるいは政治に無関心で無党派だった多くの人たちを取り込んだことが大きい。特に、不動産価値が高騰しっぱなしのリスボンのような都市部に住む、低賃金で生活に不満だらけの若者が、かつてないほど極右の声に反応していると、同紙は報じている。
 ブダペストに本拠を置くシンクタンクのディレクターは、同紙にこう語っている。
 「(主流の)政党は若者の言葉を話していないが、より急進的な極右政党らは、若者に響く言葉を話している」
 それにより、極右を支持することが、若者の間でクールなことのように解釈されはじめている節もあるという。
 彼らは若い有権者に、主流政党による政治がいかに腐敗しているかをソーシャルメディアを通じて叩き込み、「それに幻滅するよう促している」。
 問題は、極右政党「シェーガの発言の多くが虚偽であること」だとの声も多い。
 たとえば、党首のヴェントゥーラは今年1月、移民問題を強調するために、「ポルトガル北部の都市、ブラガの人口の30%を外国人が占めている」と述べた。しかし、調査機関の調べによれば、実際の数字は7.9%に過ぎなかったという。
 この調査機関が同紙に語ったところによれば「ヴェントゥーラの発言の約60%は、虚偽または不正確だ」という。
 また、ヴェントゥーラは、ロマのコミュニティを悪者扱いするほか、黒人の議員を「祖国に帰すべき」などの問題発言も多い。
 そんな極右のイメージを和らげるのに、前述のインフルエンサーのマティアスが貢献していると、同紙は書く。
 彼女の講演を聞くために討論会に参加した18歳の学生は、これまで中道右派を支持していたが、極右に鞍替えしたと、同紙に明かしている。そして、「いまやポルトガル人はポルトガルで仕事を見つけられなくなり、海外に出ざるを得なくなっている」と訴え、その多くは移民のせい、主流政党のせいであるとの考えを語っている。
 「若者に必要なもの、たとえば住宅などを提供してくれる」最良の政党は極右だと主張する。
 このような若者の右傾化は、ポルトガルだけでなく、オランダ、オーストリア、ドイツ、フランスなどでも起こっている。極右政党のメッセージは国ごとに異なるが、不動産価格の高騰や低賃金、インフレといった、若者の経済的窮状や不安に対処するというものが増えており、これがヨーロッパ全土の困窮する若者の心に大きく響いているようだ。
 COURRiER Japon
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 3月19日 YAHOO!JAPANニュース COURRiER Japon「最新調査の無視できない意外な結果とは?
 団塊の世代より若い男性のほうが「右傾化」 Z世代の男女間の溝が過去最大
 フィナンシャル・タイムズ(英国)ほかフィナンシャル・タイムズ(英国)ほか
 若い男性が団塊の世代よりも保守的に?
 英国で実施された最近の世論調査で、Z世代の男性(16~29歳)が、団塊の世代の男性よりも高い割合で「フェミニズムが利益よりも害をもたらした」と信じている可能性を示唆する結果が出た。
 そのように考える60歳以上の世代が13%だったのに対し、16~29歳の世代は16%だった。
 一般的に、若い世代のほうがフェミニズムに傾倒していると考えられていたが、同調査で「予想外」の結果がでたと英紙「ガーディアン」は報じている。
 また、この若い世代の男性の4人にひとりが「女性よりも男性であることのほうが難しい」と考えているという。
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🔔52」─1─移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも。〜No.138No.139 

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 2024年3月8日 MicrosoftStartニュース Tom Fairless 「移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも
 世界各地で移民流入数が過去最高水準に達するなか、経済専門家の間では、一部の産業が外国人労働者に過度に依存し始めている可能性をめぐって議論が高まっている。
 多くの企業経営者によると、地域住民の高齢化が進み、労働人口が縮小するにつれ、低技能の外国人労働者によってそれを補うことが不可欠になってきたという。米中西部ウィスコンシン州の田舎で広さ4平方キロメートルの酪農場を運営するジョン・ローズナウ氏は、地元では働き手を見つけられないと話す。彼が頼りにするのは13人のメキシコ移民だ。その数は10年前の8~10人より増えている。そのおかげで他の同業者の一部が導入した搾乳ロボットに高額な投資をせずに済んでいるという。
 「本当に良い人材が来る」とローズナウ氏は言う。移民労働者であれば、「雇用を2倍に増やしたいとき、ほぼ確実に1週間以内に実現できる」
 だが経済専門家の一部は、移民労働者への依存が不健全な水準に近づいている地域があり、それが生産性の伸びを抑制し、労働力不足への持続可能な解決策を見つけようとする企業の努力を遅らせている、とみている。
 そうした解決策には、自動化に対する投資拡大や事業閉鎖のような抜本的な再編が含まれるだろう。それらは痛みを伴うが、長期的には必要になるかもしれない、と経済専門家らは指摘する。
 移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも
 © The Wall Street Journal 提供
 「産業がひとたび特定の方法で組織化され、その構造が雇用主に移民の採用を促すならば、極めて後戻りしにくい状況が生まれる」。イタリア・フィレンツェにある欧州大学院(EUI)移民政策センターのマーティン・ルース教授(移民学)はこう指摘する。「政策立案者は一部のケースでは、それが理にかなうのかを問うべきだ」。ルース氏は英政府に移民政策について助言する英国移民諮問委員会の元メンバーでもある。
 西側諸国は人口動態上の危機にひんしており、この議論は過熱しそうだ。先進国全体で生産年齢人口が第2次世界大戦後初めて縮小に向かっている。ドイツ保険大手アリアンツの最近の報告書によると、欧州連合EU)の生産年齢人口は2050年までに約20%減少するという。
 この傾向を食い止める手だてはある。例えば、労働者の退職年齢を先延ばしすることだ。だが、中南米やアフリカなど豊富な労働供給源があるため、外国人労働者を呼び込むのが最も容易な選択肢となることが多い。
 また移民流入は、米国や欧州のように保守派の反発に見舞われるとはいえ、人口増に寄与し、消費を拡大するため、経済成長にプラスの効果がある。
 現在、移民の数はカナダやドイツ、英国など主要な受け入れ国で新型コロナウイルス流行前の2~3倍の水準で推移している。米国の純移民流入数は昨年330万人に達した。2010年代は平均で約90万人だった。
 米国では農業労働者の4分の3、建設・鉱山労働者の3割を移民が占めている。主に富裕国で構成する経済協力開発機構OECD)によると、米労働者全体では2021年に移民が18%を占めた。その10年前は16%だった。
 英国は数十年前から移民抑制を約束しているものの、2020年にEUを離脱して以降、企業は人材確保に苦しみ、移民は急増している。公共医療を提供する国民保健サービス(NHS)の看護師のうち外国出身者は現在27%を超え、2013年の約14%から拡大した。ドイツでは、労働組合の推計によると、食肉処理場の労働者の約80%を移民が占めている。
 過度の依存が招く弊害
 低技能の外国人労働者への依存度が増すと、経済成長のスピードを決定づける生産性の伸びの阻害要因になりかねない。複数の経済調査がそれを示唆している。
 デンマークで行われた2022年の調査によると、移民労働者の受け入れが容易な企業はロボットへの投資が少なかった。オーストラリアとカナダで行われた調査では、移民労働者によって不振企業が生き延び、全体的な生産性を押し下げる可能性が示された。
 労働生産性の伸びはここ数年、先進国全体で頭打ちとなっている。米国と英国の農業分野では生産性が10年以上横ばいのままだ。より抑制的な移民政策をとる日本と韓国では、労働生産性が年1.5%程度伸びていることがOECDのデータから分かる。
 高齢化が進む国々の活力回復に役立つ移民受け入れと、過度の依存を避けることの間で、適切なバランスを見つけるのは難しい。外国人労働者に代わる明確な選択肢がない産業も多い。
 依存を完全にやめれば、人件費の安い移民によって作られている製品の価格は上昇する。また貧しい国々の労働者が生活水準の向上を求めるための選択肢が減ることになる。
 シドニー大学の移民専門家アンナ・バウチャー氏は、ある程度の低技能移民が、技能不足のため恐らく短期的には必要になるとの見方を示す。移民がいなければ、オーストラリアの保育サービスの一部は停止し、畑の野菜は枯れてしまうからだ。
 経済調査によると、科学者やエンジニアのような高技能移民が流入することで、むしろ企業の生産性は向上し、地元労働者の賃金や雇用機会は増えるという。
 一方、低技能移民に関しては経済専門家の見方はより割れている。そのような労働者は同様に簡単に取って代わられる。そこには自動化の対象とは思われにくい産業も含まれる。
 チェコ共和国では、一部の農家が人工知能(AI)を搭載したロボットを使い、いちごの監視と収穫を行っている。イスラエルの新興企業テベル・エアロボティクス・テクノロジーズが開発したのは、果物を摘み取るドローン(無人機)だ。英企業フィールドワーク・ロボティクスはラズベリーを摘み取るロボットの販売を最近開始した。高さ1.8メートルの本体にプラスチック製アームが4本ついている。
 だが各国政府にとって生産性を向上させ、不振企業を破綻に追い込むような改革を進めることは、移民を増やすことよりもはるかに困難だ。OECDの生産性専門家ダン・アンドリュース氏はそう話す。
 「一部の国は安易な解決策を選んだのかもしれない」と同氏は言う。
 模索は続く
 英政府は農業分野の自動化を加速させるべく、農業関連の技術に資金を投じている。また、雇用主が移民労働者に支払う賃金を同一職種の現行水準より20%低く抑えることを認めるルールの撤廃も検討している。これに対し、農家ロビー団体は抗議の声を上げる。彼らの主張によると、利用可能な技術があれば、農家はすぐにも導入するが、ロボットは果物や野菜の収穫には適していないという。
 移民労働者「依存症」の先進国、長期的にリスクも
 © The Wall Street Journal 提供
 カナダでは、経済専門家によると、政府は高技能労働者を優先的に受け入れる慎重に管理された移民制度を取りやめ、留学生などの低技能の臨時労働者の受け入れを大幅に増やしているという。デービッド・ドッジ元カナダ中央銀行総裁が共同執筆した12月の報告書では、同国政府は安い労働力を大量に流入させることで、競争力のない企業を下支えし、最終的に生産性を低下させている可能性があると指摘された。
 記録的な移民受け入れが数年続いた後、カナダの1人当たり実質国内総生産GDP)は2018年よりも減少した、とウォータールー大学(オンタリオ州)の経済学者ミカル・スクトルード氏は指摘する。カナダは多くの低技能労働者を受け入れており、同国の生産性低下につながっていると同氏は言う。
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🎄52」─3・C─ヒトラーのホロコーストを正当化した「ダーウィンの呪い」。~No.175 

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 人類史上、大量虐殺者とは、ロシア共産党スターリンナチス・ドイツ国家社会主義)のヒトラー中国共産党毛沢東の3人であり、彼らの共通はマルクス主義イデオロギーである。
 3人の虐殺者にとって、日本民族とは虫ケラのような生きる価値のない下等な劣等人種にすぎなかった。
 日本にとってスターリンヒトラー毛沢東は敵であり、思想弾圧として人民共産主義暴力革命を目指すマルクス主義原理主義者を大量検挙したが死刑にはしなかった。
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 マルクス主義は、科学至上主義と反宗教無神論である。
 過激派マルクス主義は、人民の大義を達成する為ならば命の尊厳を無価値として切り捨てていた。
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 2024年3月21日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「ヒトラーによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」…「悪夢のような惨劇」はなぜ起こったのか
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 【写真】意外と知らないダーウィンが言った「進化」の本当の意味
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 本記事では、ヒトラーナチスの思想がどのように形成されていったのか、そして、そこに「進化論」を曲解した優生学がどのような影響を及ぼしたのかをくわしくみていく。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 ヒトラーの専属医師が遺した言葉
 ドイツ人医師カール・ブラントは、人類の輝かしい進歩を信じていたという。だが1948年、死刑宣告を受けたブラントは、絞首台の前に立っていた。
 アドルフ・ヒトラーの専属医師でもあったブラントは、第二次世界大戦中、強制収容所に収容されていた数千人の人々を強制的に不妊化し、科学の名目で恐るべき医学実験を行うなど、数多の残虐行為を行い、終戦後、その罪を問われたのである。ブラントは、北欧系白人を進化的に向上させるとして、20万人以上の身体・精神障碍者を組織的に殺害したT4作戦の推進者でもあった。
 悪魔の所業としか形容しようのない犯罪行為の報いを受けるのは当然、弁解の余地なし、のはずだったが、ブラントは絞首台を前にして演説を始めた。
 「ありとあらゆる人体実験を主導してきた国が、その実験方法を真似ただけの他国を非難し、罰せるのか。それに安楽死でさえ! ドイツを見よ、その苦境は操られ、わざと引き延ばされてきた。人類の歴史上、広島と長崎の罪を永遠に背負わねばならない国が、誇張された道徳を隠れ蓑に自らを隠そうとするのは当然で、驚きではない。法を捻じ曲げるな。正義は絶対そこにない! 全体を見ても個々を見ても。支配しているのは権力である。そして、この権力は犠牲者を欲している。我々はその犠牲者だ。私はその犠牲者だ」
 ブラントはすぐに絞首刑に処され、死の直前に残した不可解な主張はその真意を問われることもなく忘れ去られた。だがその意図を仄めかすものがある。ニュルンベルク国際軍事裁判で、ナチス幹部の弁護側が発した問いかけである。
 「米国の強制不妊手術プログラムが、他ならぬ最高裁判所が公認したものであるなら、ナチス・ドイツの強制不妊手術プログラムを、果たしてどれくらい悪いものだったと言えるのだろうか?」
 この問いかけは何を指しているのだろう。
 ナチスのお手本
 1927年、アメリカ合衆国最高裁判所は、国家の保護と健康のために心神耗弱者を含む不適格者の強制不妊手術を許可するヴァージニア州法に対し、合衆国憲法修正第14条の適正手続条項に違反しないとして、州法を支持する判決を下した。この裁判で判事のオリバー・ウェンデル・ホームズjrは、こう断言した。
 「我が国が無能な者で溢れかえるのを防ぐため、国家の力を蝕んでいる人々にこうした小さな犠牲を要求できないとしたら、それはおかしいだろう──関係者にはそう感じられないこともしばしばあるが。退廃的な子孫が罪を犯して処刑されるのを待つか、その無能さゆえに餓死するのを待つよりは、明らかに不適格な者の子孫が続くのを防ぐほうが、全世界にとってよいことなのだ。(中略)無能な者は3世代で十分だ」。
 この判決の結果ヴァージニア州当局は、若く貧しい女性キャリー・バックを、子を残すのに適さないとして、強制的に不妊手術を行った。
 バックは、養父母からの精神的欠陥という訴えを受けて州施設に送られたのち、医師の診断をもとに施設管理人から、「社会にとって遺伝的な脅威である」と、強制的な不妊手術の要請が出されていたのだった。シングルマザーのバックには、生後間もない娘がいたが、娘も遺伝的に不適格としてバックから引き離され、施設に収容された。
 だがのちに当時の記録から、養父母の策謀と施設管理人の偏見に加え、担当した医師が完全な誤診を犯していたことが判明している。実際のバックはまったくの健常者であり、読書好きの聡明な女性であった。また施設で育った娘は、のちに病死したが、小学生時代は学業成績もよく、優等生だったという。
 この判決を契機として、米国全土で「不適格者」への不妊手術法が正当化された。その後数十年の間に米国では推定7万人の「不適格者」に対し、不妊手術が行われた。
ヒトラーは『我が闘争』に、こう記している。
 「健康状態が悪く、重度の障碍を持つ人々を世界に生まれてこないようにするのは、かなりの程度まで可能である。私は、民族にとって価値がない、あるいは有害な子孫を産む可能性が高い人々の繁殖を防ぐために制定された、米国の州法に関心を持ち、研究してきた」
 ナチスが手本にしたのは米国だったのである。移民法を制定して人種差別政策を進める米国を、ヒトラーは称賛している。彼らのモデルは、米国国民の進化的な向上を目指す優生学運動と人種差別政策だった。米国で進められた強制不妊手術、社会的不適格者の収容、安楽死に関する議論や、人種差別政策を、忠実に移植したのである。
 この枠組みから始まった政策が、独裁政権下でエスカレートしたうえに、ユダヤ人差別と結びついた結末が、ヒトラーナチスによる600万人を超えるユダヤ人虐殺であった。
「呪い」が生み出した優生思想
 ヒトラーによる『第二の書』(Zweites Buch)は、こんな書き出しで始まる。
 「政治とは、歴史の構築である。歴史は、民衆による生存闘争の過程を示す。私がここで『生存闘争』の言葉を使うわけは、平和であれ戦争であれ、日々の糧を得るための闘いは、何千何万もの敵との果てしなき戦いであり、それは生物の存在自体が死との果てしなき闘争なのと同じだからだ。何十億もの生物が繰り広げる生存闘争と存続をかけた闘争は、厳密に一定な球体上で行われる。生存闘争を強いられるのは、生活空間が限られているためだが、この生活空間をめぐる生存闘争に、進化の基盤が存在するのである」
 ナチスの広報活動を担ったオットー・ディートリヒは、ヒトラーの思想についてこう語っている。
 「彼は生存闘争、適者生存などの原理を自然の法則と考え、それを人間社会も支配する高次の命令だと考えた。その結果、力こそ正義であり、自らの暴力的な方法は自然の法則と完全に合致していると考えた」。
 歴史家のリチャード・ワイカートは、ヒトラーナチスの人種差別政策と優生思想のかなりの部分が、ダーウィンとその後継者たちが発展させた科学としての進化学に由来したものだ、と結論づけている。
 彼らは極度に単純化し、わかりやすい形に改変したダーウィン進化論を利用して、彼らの行為を正当化したのである。さらに彼らは支配者として自然の代理人になろうと企てた。人間に対する人為選択である。彼らが「不適格」と認定した人々を、彼ら自身の手で排除したのである。
 自然界では生存闘争と適者生存で強い者が勝つ、と単純に信じていた彼らは、弱者も生き残ってしまう人間の文明社会を、そうした進化のルール──自然の法則から外れてしまったもの、と見なしていた。
 人間もその社会も自然の法則に従うべきだ、と考えた彼らは、自然の代理人として彼ら自身で手を下したのである。それが彼らの考える進化を裏付けとした優生学だった。しかし結局のところ彼らの企ては、単純化した進化と自然の法則と科学を悪用して、彼らの人種差別思想と偏見とを、正当化するものだった。
 ナチスの場合には、さらに誤った集団選択──国家や民族が選択の単位になるという考えが融合していた。この単純な集団選択は、20世紀前半の欧米社会で素朴に受け入れられていた。
 ヒトラーナチスによる悪夢のような惨劇は、魔物に取り憑かれた「進化の呪い」と「闘争の呪い」、それに残虐行為の正当化に利用された(真偽と無縁な)科学的裏付けである「ダーウィンの呪い」が、偏見や差別と一体になって引き起こしたものだと言える。
 ただし実は、進化を科学的裏付けとした優生思想は、ナチスほど暴力的なものではないにせよ、20世紀前半の欧米には広く浸透していた。これは人間の遺伝的劣化を防ぐ、あるいは進歩を実現するために、人間の遺伝子プールを人為的に操作し、選択をかけて進化させる、という恐るべき思想だった。
 科学の成果は、結実した成果そのものだけではなく、結実に至る経緯も評価しなければならないとされる。それなら、科学の惨禍も、結実した暴虐そのものだけでなく、暴虐へと至る経緯も分析しなければならないだろう。
 千葉 聡(東北大学教授)
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 2024年3月19日6:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「多くの人に誤解されているダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 【写真】ヒトラーナチスによる残虐行為の正当化に利用された「ダーウィンの呪い」
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 進化に方向性はあるのか
 日本の大学生は進化する必要がある、などと私が言おうものなら、私の学生も含めた生物学徒は鬼の首を取ったように苦情を述べるだろう。私の主張に、ではない。進化という言葉の使い方に対してである。
 生物学的な進化の意味は、遺伝する性質の世代を超えた変化である。現代のそれは発展や発達、進歩の意味ではない。生物進化は一定方向への変化を意味しない。目的も目標も、一切ないのだ。
 そのプロセスの要は、ランダムに生起した変異が自然選択のふるいにかかって起きることである。まずはダーウィンの説明から見てみよう。
 「……どんな原因で生じたどんなにわずかな変異でも、ほかの生物や周囲の自然との無限に複雑な関係の中で、その変異が何かの種の個体にとって少しでも有益であれば、その個体の生存につながる。そしてその変異がその個体の子孫に受け継がれるのが普通である。さらにその子孫も生き残る可能性が高くなる。なぜなら、どんな種でも、定期的に生まれる多くの個体のうち、ごくわずかしか生き残らないからである。この、わずかな変異でも、有用であれば保存されるという原理を、私は『自然選択』と呼んでいる。それは、人間による選択の力との関係を示すためである」
 この自然選択の作用で、より高い繁殖率や生存率を持つ変異が、次世代にほかの変異より多くの子孫を残す結果、存在比率を増やしていく。選択によるわずかな変化が蓄
積し、少しずつ漸進的に進化する。
 自然選択は、動植物の育種のために人間が行う変異の選抜──人為選択がヒントになっている。だが人為選択と異なり、自然の作用には育種家が抱くような変化の目的や目標はない。
 ダーウィンにとって、どのような変異が生じるかはランダムであり、どのような性質が有利かは環境によって変わるので、進化は条件次第でどのような方向にも進みうるものだった。つまり進化には発展や進歩のような、あらかじめ定まった方向はない。退化も進化である。
 ダーウィンは、寄生虫が自由生活者の祖先から進化し適応を遂げた結果、祖先が持っていた器官や能力を失う、つまり退化することが多いとも述べている。
 一定の方向ではなく、あらゆる方向に変化する結果、多様化が進む。現在の生物が、初期の生命と比べて複雑に見えるのは、単純なものから様々な方向への進化で多様性が高まった結果の一部を見てそう思うに過ぎない。現在の地球上に棲む生物種は、すべて共通祖先から枝分かれし、同じ進化の時間を経てきたものだ。だから、その中に祖先的な形質を残した種は存在するが、ある種が別の種の祖先ということはない。
 ダーウィンは1837年のノートにこう記している。「ある動物がほかの動物より高等である、と語るのは馬鹿げている」。また友人のジョセフ・フッカーに宛てて、こう手紙に書いている。「神よ、“進歩する傾向”というラマルクの馬鹿げた考えから、私をお守りください」。
 進化は進歩でも発展でもない、そうダーウィンは考えたのである。ではなぜ生物学以外の分野や一般社会では、進化を発展、発達、進歩の意味で使うのだろう。
 まずダーウィンの主張を整理しよう。その要点は、第1に生物の種は神が創造したものでなく、共通祖先から分化、変遷してきたものであり、常に変化する、という主張。
 第2に、生物の系統が常に変化し、枝分かれする以上、種は類型的な実体ではなく、科や属や亜種と同じく、形のギャップで恣意的に区分される変異のグループに過ぎないという主張。
 第3に、そうした変化を引き起こした主要なプロセスは自然選択である、という自然選択説の主張である。そしてこの三つに基づいて、生物の進化は何らかの目標に向かう進歩ではなく、方向性のない盲目的な変化である、という主張が導かれる。
 「マジック・ワード」エヴォリューション
 よく誤解されているが、エヴォリューション──進化(evolution)という言葉を最初に使ったのは、ダーウィンではない。それどころか現在の私たちが進化と表現している現象を、ダーウィンは最初、エヴォリューションとは呼ばなかった。
 1859年に出版した非常に長いタイトルの本(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life──自然選択すなわち生物の闘争における有利な品種の維持による種の起源について、の意)──略称『種の起源』でダーウィンは、最後に「進化する」という動詞形で用いただけで、エヴォリューションという用語は使わず、その代わりにトランスミューテーション(transmutation)という用語を使った。
 また自らの理論を、「変化を伴う血統の理論」(theory of descent with modification)と呼んでいた。ダーウィンがアルフレッド・ラッセル・ウォレスとともに発表した、進化における自然選択の作用についての論文では、トランスミューテーションすら使わず、それを「変化」としか表現していない。
 ところが19世紀前半にはすでに、エヴォリューション──進化という言葉は、学術界で一般的に使用されていた。たとえばダーウィンがまだビーグル号で世界一周の航海
途上にあった1832年、チャールズ・ライエルは次のように記している。「最初に存在した海洋の有殻アメーバ類のうちのいくつかが徐々のエヴォリューションにより、陸
地に生息するものに改良された」。
 それはたとえば星雲のエヴォリューションのように、非生物的自然の連続的な複雑化や発達、という意味でも使われていた。また人間社会の進歩にも使われていた。歴史
家のフランシス・パルグレイブは1837年に、「立憲主義による私たちの政治形態は、エヴォリューションによって作り出された」と記している。
 進歩は光、衰退は闇
 もともとエヴォリューションとは、「展開する、繰り広げる」という意味のラテン語、evolutioに由来する語で、コンパクトに折り畳まれていたものが一方向に展開する
ような現象を表現するのに使われていた。
 それが転じて17世紀以降、個体発生を意味する語としてエヴォリューションが使われた。当時の前成説の考えでは、精子や卵の中に子供の形のひな型が入っており、次第にそれが展開するのが発生の過程だったためである。
 エヴォリューションの考え方自体は、自然主義の出発点──古代ギリシャまで遡る。
 まずはプラトンが万物にはその物をその物たらしめる不変の本質があるとする本質主義を唱えて、進化のライバルとなる不変の思想のほうが先に誕生する。だが同時にプラトンは、宇宙における秩序の発生という概念を着想した。
 さらにアリストテレスによって、無生物から植物、動物へと連続する自然観が導かれた。アリストテレスは、自然物の存在に合目的性を認めた。この秩序と連続がのちに「存在の連鎖」──植物から動物、人間へと生命の直線的な秩序を表す自然観へと発展した。これにキリスト教の時間的な変化の概念が融合し、進歩を意味する歴史観となった。アリストテレス以来の目的論を受け継ぐ、一つの目標に向けて進む進歩観である。
 進歩を光とすれば、衰退は闇である。西欧には、光が作る影のように、進歩観の裏側にそれとは正反対の世界観が張り付いていた。旧約聖書に記された堕落神話──アダムとイブから続く堕落や、大洪水を箱舟で生き延びたノアの子孫が各地へ移住した後、新しい土地で暮らすうちに堕落していく、といった衰退観である。人類は神による創造以来、堕落し衰退し続けるという世界観、さらにキリスト教の終末論は、逆に西欧の進歩への強迫観念を支えてきた。
 18世紀にはフランスのジョルジュ・ビュフォンが、「ときの流れの中で、発達と退化を経て、ほかのすべての動物を生み出した」と歴史的な種の変化の可能性を指摘して
いた。進歩と退化(堕落)を決めるのは環境の違いだと考えたビュフォンは、生命の活力を低下させる新大陸の気候は、動植物のみならず人間も退化させると説いた。
 この主張に激怒した米国建国の父、トマス・ジェファーソンは、反論のため米国の自然や動植物を称える活動に力を入れ、巨大なヘラジカの剥製をビュフォンのもとに送りつけた。
 ドイツではビュフォンの説が支持を集め、イマヌエル・カントは人種の違いを気候の違いで生じたものだと主張した。
 フランスではジャン=バティスト・ラマルクが1809年に、親が環境に応答して獲得した性質が次世代に先天的な性質となって伝わる、という考えで生物の変化を説明した。ラマルクによれば、生物は体の構造をより複雑なものへと進歩させる内的な性質を持つという。環境が大きく変化すると、生物は生き残るために変化しなければならない。
 脳を持つ動物は意識的に、それ以外の生物は無意識的に、変化した環境に適した性質を獲得しようと努力する。その結果身体に生じた変化は、子に受け継がれ、先天的な性質となって世代を超えて伝えられる。使われない性質は逆に失われる。こうした獲得形質の遺伝による目標に向けた進歩で、生物は祖先から子孫へと徐々に性質が変化していく、と考えたのである。
 これに対し、解剖学者・古生物学者のジョルジュ・キュヴィエは、天変地異による種の絶滅と入れ替わりで種構成の歴史的な変遷が起きるとする「天変地異説」を唱え、ラマルクの主張する祖先―子孫の漸進的変化を批判した。
 英国では18世紀から19世紀初めにかけて、神の摂理自然法則の形で作用し、自然の発達を通じてその摂理が実現する、と考える、進化理神論(Evolutionary deism)と呼ばれる主張が広がっていた。生物の個体発生もこうした摂理が作用する例と考えられていた。この進化理神論者の一人で、ダーウィンの祖父、エラズマス・ダーウィンも、1791年にエヴォリューションを個体発生の意味で使い、こう記している。「種子から進む動物または植物の幼体の段階的なエヴォリューション」。
 進化理神論では、最初は不明確でまとまりのない均質な状態から始まり、それが発達して、複雑でまとまりを持つ秩序ある多様性に至る、と考える。
 最終的に到達するのは、最大の幸福を実現する理想的な状態である。この進歩・発展の過程がエヴォリューションと呼ばれるようになった。成体という目標に向かって発達するのが個体発生であり、エヴォリューションなので、それを生物の歴史的な変遷に置き換え、個体発生と同じく何らかの目標に向けて発展する現象と見なせば、それはエヴォリューションとなる。
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 さらに【つづき】〈競争とその結果を正当化するために利用された「ダーウィンの進化論」… 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」〉では、『種の起源』以前のエヴォリューションの意味や、「進化」という言葉の本来の意味と生物学での意味のちがいなどについて、くわしくみていく。

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 千葉 聡(東北大学教授)
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 2023年11月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「競争とその結果を正当化するために利用された「ダーウィンの進化論」… 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」
 千葉 聡東北大学教授
 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
 注目の新刊『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
 本記事では〈意外と知らないダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」〉にひきつづき、ダーウィンが『種の起源』を書いた以前から使われていた「進化」という語の意味や、19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」についてくわしくみていく。
 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
 『種の起源』以前のエヴォリューション
 19世紀前半には、エヴォリューションは内的な力によって生起する一定の方向に向けた時間的変化や、単純なものから複雑なものへと発達、発展する現象を広く表現する言葉として使われるようになっていた。
 1844年に匿名で出版されたロバート・チェンバースの『Vestiges of the Natural History of Creation』は、神の摂理である自然法則のもと、太陽系が形成され、既存の種から新しい種が生まれ変遷して、人間に至る、と主張した。
 ラマルクもチェンバースもエヴォリューションという語は使わなかったものの、地球上の生命の発展は、あらかじめ決められた目標に向けた首尾一貫した計画の展開であると考えていた点で一致していた。
 こうした生物の進歩的な変化の考えは、すでに19世紀前半には英国社会でかなりの程度まで受け入れられていた。ダーウィンが『種の起源』で進化の考えを提唱する以前に、エヴォリューションは、様々な現象の発展、発達、進歩や、一つの目標に向かう変化を意味する語として使用されていたのである。
 この由緒正しい意味でエヴォリューションの語を使い、宇宙の発達、生物の複雑・多様化、人間と精神の発達、社会の発展・進歩を、自然法則として統一的に説明しようとしたのが、ハーバート・スペンサーである。
 彼の著書『First Principles』が出版され、世間の評判を得るのは1862年だが、1850年代にはすでにその構想を完成させ、一部を発表している。スペンサーが生物のエヴォリューションを駆動する力として重視したのは、ラマルクの考えである獲得形質の遺伝を主とする内的な力だった。
 1864年に出版された『生物学原理』(The Principles of Biology)で、適応の要因として獲得形質の遺伝とともに、自然選択を一部だけ取り入れたが、それが適用できる性質の範囲は限られる、と考えていた。
 ダーウィンのトランスミューテーションは、このような自然界の秩序ある発展、つまりエヴォリューションを否定するものだったのである。エヴォリューションの語をダーウィンが使わなかったのは、彼が着想したトランスミューテーションが、当時広く使われていたエヴォリューションとはまったく異質なものだと認識していたからだ、と言われている。方向がどのようにも変わりうる生物の変化、目的のない変化というダーウィンの基本的な考えは、革新的なものであったのだ。
 その生命史のイメージは、単純な形から出発した生物が、あらゆる方向に枝分かれしながら無目的に変化する結果、時間の経過とともに人間を含む果てしない多様性が生まれていく、というものだった。『種の起源』の末尾は、動詞形ながら本中で唯一の、進化する、という言葉を使い、こう締めくくられている。
 「こんな壮大な生命観がある──生命は、最初一つか少数の形のものに吹き込まれた。そしてこの惑星が重力の法則に従い回転している間に、非常に単純な始まりから、最も美しく、最も素晴らしい無限の姿へと、今もなお、進化しているのである」
 ダーウィンは、秩序ある発展ではなく、果てしなく広がり、あらゆる方向に変わり続ける命の、あてのない旅を、目標なき「展開」の意味で進化する、と描写したのだろう。
ダーウィンの揺らぎ
 だが、ダーウィンが方向性のない進化にこだわり、進化を進歩と見る考えを常に拒否していたかというとそうでもない。ダーウィンの記述にはぶれが見られる。
 たとえば『種の起源』で、自然選択により「すべての身体的、精神的資質は完全に向かって進歩する傾向がある」と記している。また前述の結語の直前には、「こうして、自然の戦争、飢饉、死から、私たちが想像しうる最も高貴な対象、すなわち高等動物の創出が直接もたらされるのである」と書かれている。
 ダーウィンは、のちに獲得形質の遺伝の考えも大幅に取り入れ、方向性のない変化の主張も後退させていった。それに合わせるかのように、エヴォリューションという語を使用するようになった。
 歴史家のピーター・J・ボウラーは、生物学者としてのダーウィンは進化を方向性のないものと認識していたが、社会哲学者としてのダーウィンは進化を進歩の意味で説明した、と述べている。自説が社会に受け入れられるには、19世紀英国社会の進歩主義に貢献できるものでなければならない、と考えていたためだという。自然選択説という自説の核を守るため、それに付随するはずの進化の無方向性を犠牲にしたというのである。ただし、ダーウィンは部分的には進化を発達や進歩と見ていたと指摘する研究者もいる(*1)。
 いずれにせよ、方向性のない進化というダーウィンの革新的なアイデアは、ダーウィン自身がのちに封印してそれほど強く訴えなかったこともあり、当時は社会的にもあまり意識されなかった。だからダーウィン進化論が、当時の社会の進歩観に衝撃を与えたわけでも、それと対立したわけでもない。それどころか社会はそれを進歩主義の推進力に利用したし、ダーウィンもそれを利用した。
 その結果、ダーウィンのトランスミューテーションとエヴォリューションは同義となった。
 20世紀半ば以降、自然選択を中心に据えた進化の総合説が広く定着し、改めて生物進化が当初のダーウィンの主張通り、方向性のない変化の意味で理解されるようになったときには、生物学者はみなそれを本来違う意味だったはずのエヴォリューションの語で呼ぶようになっていたわけである。
 *
 (*1)例えば、体サイズのより大きな変異が自然選択に有利な環境が一定期間続けば、大型化という一方向的な変化がその期間に限り生じるので、その期間だけ抽出して、生じた変化に進歩という概念を当てはめれば、進歩と表現できる。
 19世紀の世界観が生み出した「進化の呪い」
 現在でも生物学以外の世界では、自然現象、事物、社会の発展や発達、進歩の意味を表す語として、エヴォリューション──進化が使われているが、生物学者の中にはそれを誤用だと指摘し、批判する者がいる。
 しかし歴史的な経緯を考えればそちらが本来の意味に近く、生物学での意味が異端なのである。生クリームが入っていないカルボナーラなんて偽物だとイタリアで主張するようなものである。
 天文学者エドワード・ハリソンは逆にそうした生物学者を批判し、こう述べている。「生物学者はエヴォリューションという言葉を捨てて、その言葉を、本来の(一方向への)“展開”という適切な意味で使っている天文学者に任せるべきだ」。
 ただ、逆に言えば、本来の意味、とは、19世紀の西欧社会の世界観を色濃く残す意味、とも言える。ボウラーを始め多くの歴史家は、「ダーウィニズム」は19世紀後半において、ほとんど必然的に進歩主義的な意味を持つものであり、中産階級の競争による権力獲得を正当化する思想と合流した、と指摘している。
 つまり「進歩せよ」を意味する「進化の呪い」は、生物の変遷も人間社会の発展も、それが神の摂理であれ自然法則であれ、共通の法則に従うひとくくりの進歩として捉えられた、19世紀欧米社会の世界観であると言ってよい。
 その世界観は、恐らくはギリシャ時代に端を発し、キリスト教の終末論的概念を負の推進力として強化され、啓蒙時代の英国を覆っていた、進歩史観に由来するものだ。進歩のために、自助努力を重視し競争を許す思想は、プロテスタントの労働倫理が影響したものであろう。
 「進化の呪い」は生物学の原理を社会に当てはめて生まれたものではない。初めから自然、生物、社会をあまねく支配し、進歩を善とする価値観として存在していたものである。
 そして当初のダーウィンの意志が生物の進歩を否定するものだったにもかかわらず、社会も人も進歩すべきであるという規範と、人々の競争とその結果を正当化するために、神の摂理ダーウィンの名に置き換えて生まれたのが、「ダーウィンの呪い」──「ダーウィンの進化論によれば……」だったのである。
 神の教えに代わり、人々に教えの正しさ、規範の重要さを認めさせる「託宣」、あるいは「ブランド」とも言えるだろう。
 現代の生物学では「エヴォリューション──進化」を発生や変態はもちろん、進歩の意味では使わない。プロセスに合目的な要素を前提としないうえに、進歩には科学と峻別すべき価値観が含まれるからである。
 仮に進歩から価値を切り離せるとしても、スティーヴン・ジェイ・グールドの言葉を借りれば、「自然選択理論の必要最小限な仕組みは、局所的に変化する環境への適応についてしか語らないので、進歩の根拠を与えない」のである。
 だが、実は生物学者の間でさえ、この「生物進化は進歩ではない」という理解が広く定着するまでには、総合説の成立以降も紆余曲折の道のりがあった。
 そこで本書では進歩か否かにかかわらず、「進化」を単に遺伝する性質の世代を超えた変化の意味で使用する。ときに進歩を含意する語としてそれを用いる場合があるが、そこは歴史的な経緯を踏まえた事情ゆえと、許容していただきたい。
 *
 本記事の抜粋元『ダーウィンの呪い』ではさらに、中立的な進化が、なぜひたすら「進歩」が続くと信じられるようになったのか。ダーウィンとその理解者、そしてその志を継いだ後継者たちが、いかにしてダーウィンの「進化論」が生み出した「呪い」にかけられていったのか、が書かれています。ぜひお手にとってみてください。
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 進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語
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 自身の小笠原のカタツムリ研究のフィールドワークや内外の若手研究者の最新の研究成果を紹介しながら、「進化生物学」の醍醐味を描く。毎日出版文化賞(自然科学部門)受賞した「稀代の書き手」珠玉の作品集。
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🐊12」─2・B─切迫する太平洋島嶼国に浸透する中国マネー。後退する日米。〜No.76 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 安倍晋三元総理を失った外交下手の日本には、外交巧者の中国共産党に対抗できない。
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2024年3月25日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「「太平洋でカネにまかせた中国ドミノ」、世界で高まる島嶼国への関心、経済発展なくとも日本が長期的支援をすべき理由
 米国とミクロネシア3国(ミクロネシアマーシャル諸島共和国パラオ共和国)は昨年、コンパクト合意と呼ばれる資金提供プログラムを20年延長することで合意した。しかし、コンパクト合意に基づく支援予算の米議会での承認が大幅に遅れ、島嶼国側からも米国内からも懸念が高まっていた。
 “The Coming Collapse of China”(邦題:『やがて中国の崩壊が始まる』)の著者である著述家のゴードン・チャンは、2月23日付けワシントンポスト紙掲載の論説‘Congressional inaction is handing the Pacific to China’で、米議会のミクロネシア3国支援承認の遅れは太平洋を中国に渡すことになる、と批判している。主要点は次の通り。
 米議会は、最も親しい同盟国に対する財政支援約束を果たしておらず、重要な友好国を見捨てることになっている。中国はパラオミクロネシア連邦マーシャル諸島を取り込もうとしており、それが成功すれば中国軍は太平洋の広大な水域を支配することになる。
 そうなると、新しい港や基地に展開される中国軍は、民間か軍用かを問わず、この海域を航行する米の船舶や航空機を阻止することができる。更に中国はハワイやグアム等米領土を攻撃できる施設を手に入れる。
 昨年これら三国とのコンパクト協定が再交渉され、20年の延長が合意された。しかし、米議会は未だ米の資金提供義務を承認していない。12月に可決された2024年国防権限法にはこれら三国への資金支払いは含まれなかった。2月13日に上院で可決され法案にはウクライナイスラエル、台湾向けの953億ドルが含まれたが、コンパクト三国への資金予算は含まれなかった。
 コンパクト三国への米の資金提供義務は、次の20年間で合計71億ドル、現在米議会は協定の資金提供履行のために23億ドルを承認する必要がある。ミクロネシアマーシャル諸島は目下米繋ぎ予算決議の下で一部の資金を受け取っている。パラオへの資金提供は現在最小限に削減されている。
 中国は、これら三国の指導者に対し米国を見捨てるように働きかけている。中国は、機能不全の米国は信頼できないパートナーになったと説いている。11月に再選を控えるパラオ親米派のホイップス大統領は、中国の資金攻勢に最も脆弱だ。中国の資金を得るためには、パラオは外交承認を台北から北京に切り替えることが必要とされる。ミクロネシアは中国を承認、2019年にはキリバスソロモン諸島が台湾承認を撤回した。その裏に中国による資金約束があったことは疑いない。
 中国にとりもうひとつ好都合な要因は恐怖だ。親中派は、パラオを中国の標的にしてはならないと主張する。この議論は効果的だ。
 ホイップスは米国に米国の在パラオOTHレーダー防衛のためのパトリオット迎撃ミサイル部隊の展開を要請した。しかし昨年11月、パラオ上院はその部隊展開を拒否する決議を採択した。中国はレーダー建設地近くにホテルとカジノの建設を申し出た。
 中国がソロモン諸島支配下に入れたことは、コンパクト三国に対する警告だ。中国は、豊富なカネを政府・議会関係者にばら撒き、嘗て民主主義国だった同国を権威主義国家に変える道を着々と進めている。中国の新たな友人となったソガバレ(首相)は、2022年には次の総選挙を延期した。
 中国は、太平洋を自らの保護区にしようとしている。他方で、米議会は、米国の財政負担を果たさないことにより、中国による米国の最も忠実な同盟国の反米化を許してしまっている。
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 切迫する島嶼
 上記の論説が出た後、3月8日にようやくミクロネシア3国への支援の予算が米議会で承認された。承認は一安心ではあるが、遅延が損ねた米国への信頼を回復することは容易ではないだろう。米議会がウクライナ支援や中東等を政争の具にし、そこに太平洋島嶼国支援が巻き込まれている実態は、残念と言う他ない。
 中国はその野心を進めている。太平洋でカネにまかせた中国ドミノが起こらないとも限らない。
 マーシャル諸島のハイネ大統領(女性、1月大統領に返り咲いた)は、2月末ガーディアン紙に、「対米関係は米議会の政党政治のために徐々に壊されつつある」、「米国が合意した資金は米国の寛容により合意されたものではなく、当事者間の厳しい交渉の結果合意されたものだということを米議会は理解すべきだ」と述べた。
 その後、3月1日のビキニ70周年集会演説ではもっと先鋭に、「米議会はコンパクト三国への資金承認もしないで2週間の休会に入った。今、米国との関係は岐路にある」と述べるとともに、他の地域プレーヤーがマーシャルとの関係を築きたいと熱心になっていることを示唆して、「米国がわれわれへの約束を果たさないのであれば、われわれは他の選択肢を真剣に検討する必要が出てくる。マーシャルが米国の確固たる同盟国であることを当然視してはならない」と述べた。
 この発言は脅迫的で感心しないが、同国には今深刻な財政危機に直面しているという事情がある。米国の資金支払まで信託基金を取り崩して保健等当面の必要をカバーしているという。
 チャンは、パラオの状況が急迫していると言う。22年末、米国はOTHレーダーのパラオ設置を発表、目下建設中だ(26年に完成予定)。今秋の選挙が近づくにつれ、これが国内政治議論に発展している。
 反対派は、レーダーは中国による最初の攻撃標的になると主張。米国育ちで親米のホイップス大統領は昨年9月、米国に中国による攻撃からパラオ住民を守るためとしてパトリオット部隊の恒常展開を要請した。
 しかし11月、パラオ上院はこの部隊の展開を拒否する決議を採択した。親中の上院議長ボールズが反対派を主導しているらしい。反対派の裏には中国の介入があるとの見方もある。
 これらの状況はソロモン諸島と似通っている。十分注意する必要がある。
 経済発展は至難でも、支援は必要
 太平洋が中国拡張主義と権威主義化の大洋になることは防がねばならない。島嶼国の経済発展は至難に思われるが、最近島嶼国への世界の関心は、欧州を含め強まっている。
 ミクロネシア連邦ポンペイに最近開設された国連統合事務所も益々拡大の予定だと言う。日米豪等が連携、支援をもっと強めることが必要だろう。またそれが長期に亘ることも覚悟せねばならない。
 岡崎研究所
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 2月13日 世界潮流を読む 岡崎研究所論評集「<中国衰退論>は時期尚早で危険!「大国」中国の今とこれからを見る4つの視点
 CNAS理事長のリチャード・フォンテインが、中国衰退論は尚早、危険であり、それを前提にすることは愚かだ、これが米国の政策の前提になれば米国は中国の挑戦に対する必要な力の結集ができなくなると、2024年1月22日付のワシントン・ポスト紙で述べている。
 春節の挨拶を述べる習近平国家主席新華社/アフロ)
 中国の李強首相は、ダボスで、自国を安定した投資先としてアピールした。彼は、「中国経済には莫大な潜在力があり、それを選ぶことはリスクではなく、機会である」と述べた。
 聴衆は懐疑的だった。中国は、過去2年間、成功よりも問題が増えている。そのため中国経済の不可逆的な衰退を心配する分析家もいる。
 しかし、これらの懸念は全く早計だ。さらに、これが米国の政策の前提になれば、米国は中国の挑戦に対する十分な力の結集ができなくなる。近い将来の主要リスクは、中国台頭の頓挫ではなく、米国が必要な力を結集することができないことだ。
 中国は依然として膨大な利点を有する。その経済は非常に大きく、いくつかの指標では米国の経済よりも大きい。
 昨年の中国の国内総生産GDP)の成長は恐らく米国よりも高いだろう。中国は120以上の国の主要な貿易相手国であり、人工知能量子コンピューターといった重要技術分野で米国主導の制約を克服し乍ら革新を続けている。
 中国は、これらの利点を戦略的な力に転換しようとしている。米の国防予算よりは小さいが、中国の国防予算は拡大しており、それは少なくとも向こう5年または10年以上継続する可能性がある。
 中国は、現在アジア最大の空軍と世界最大の海軍を有し、艦船や潜水艦は370隻以上保有している。新たな弾道ミサイル核兵器や運搬手段を急速も拡大している。多くの国々で軍事基地や拠点を拡大しようとしている。
 また、習近平の下でその野心は依然として壮大だ。昨年、中国は新興5カ国(BRICS)を拡大した。中国の船舶は、南シナ海で攻撃的な行動をとり、領域主張水域で比船舶に激突する等の行為をしている。
 国防省によれば、中国は、数十回に亘り米軍機に対し危険な妨害行為を行い、中国の戦闘機は今や台湾海峡の中間線を定期的に越境飛行している。先週、中国は台湾の総統選挙の2日後、太平洋のナウルに台湾承認から中国承認に変えさせた。中国の指導者は、特にグローバル・サウスで指導力を発揮している。
 中国は依然として台頭し、地域支配と国際的修正主義に取り組んでいる。しかし、中国の絶対的な力は方程式の半分に過ぎない。この種の競争では相対的な力が重要であり、米の力の強化が極めて重要だ。
 米国の力(経済の規模と活力、軍事的な能力と容量、同盟と連携の強さ、必要な時の政治的結束力)をもってすれば、中国の台頭に十分対応できる。しかし、これらの利点は自動的に結合するものではない。米国は、中国の挑戦を前提に、自らの力の強化を図るべきだ。
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 巨大な人口と経済圏は続く
 正論である。フォンテインは、中国衰退論は尚早で、危険であり、それを米国の政策の前提にすることは愚かだ、米国は中国の挑戦を前提に自らの力の強化と結集を図るべきだと言う。指摘の通りであり、追加することはない。
 中国の力を過小評価してはならないし、過剰評価する必要もない。中国の成長は、発展に連れて必然的に鈍化するだろうし、それに連れて国民統治も一層難しくなるだろう。しかし共産一党統治はなかなか崩れないだろうし、中国共産党ソ連共産党の歴史を反面教師として、反対にそのイデオロギーを強めている。
 西側および中国の周辺国は、当面中国の力を常に警戒する必要がある。そして、その巨大な国土と人口に具現される中国の単なる大きさは将来にわたって力として残るだろう。
 人口減少が指摘されるが、他国と比較すれば中国の人口はいまだ並外れて巨大だ。それらは潜在的な脅威となり、中国は世界の問題として、半永久的に残るのではないだろうか。
 中国が世界を不安定化させないためには、中国との対話と中国自身の変化(国際協調化)が必要である。中国の孤立化は、打開策にならないだろう。幻想は禁物だが、中国と関与し、辛抱強く中国の変化を求めることが肝要ではないか。
 近年、世界貿易機関WTO)加盟後の西側の対中関与政策が失敗したことを指摘する論調が多いが、関与の誤りと言うよりも、そのやり方が問題だったのではないか。西側は、余りに無防備に、競って中国に進出し、結果として中国に最大限利用された。西側の過度のナイーブさが問題だったのではないか。
 近年の変化の実態は
 中国の変化については、次のようなことが求められるだろう。
⑴ 中国の発展自体ではなく、中国が増大する富と力を如何に獲得し、それを何に使うかが問題だ。西欧の技術を詐取し、あるいはネット等で非合法に取得することは止めるべきだ。外国人材の確保についても、国際標準に沿ってやっていくべきだ。
⑵国防偏重は修正すべきだ。南シナ海の領有権主張は国際規範と関係裁判所の決定に従うべきであり、南シナ海の軍事化は止めるべき。海外への軍事拠点、ネットワークの拡大にも警戒させられる。今の中国の政策は、一世紀余前の帝国主義的、覇権主義的先例と基本的に違わない。一方的な現状変更は支持されない。
⑶大国になったから当然だとの世界観が中国にはあるように思える。可笑しな議論だ。歴史の流れを正しく理解し、戦後世界の足跡をもっと理解する必要がある。戦後の国際社会の発展は、人類共有の歴史であり、価値あるものだ。それは西洋が造った歴史だといった修正主義的議論には違和感を覚える。戦後秩序のルールを守り、協力して発展していくべきだ。更に言行一致が大事だ。
⑷人権や民主化は抑圧されてはならない。国家の正直さも必要だ。偵察気球の他国領域飛来やコロナ禍等については問題があった。
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