🐉4」─4・B─中国人は日本軍の侵攻を受ける前から中国をアヘン地獄にしていた。~No.13  

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 中国共産党は、黎明期においてアヘンを武器として利用していた。
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 2023年3月1日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「実は禁断の麻薬「アヘン」の産地だった…100年前の中国の「ヤバすぎる現実」
 昭和初期の満州を舞台に、アヘンの密売を描いたクライムサスペンス『満州アヘンスクワッド』(原作/門馬司、漫画/鹿子)。1931年9月18日の満州事変を契機に現在の中国東北部に成立した満州国は、アヘンで栄えアヘンとともに滅びたと言えるだろう。
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 そんな約100年前の満州の「裏社会」では、いったい何が起こっていたのか……? 『昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』より、アヘンをめぐる当時の満州の事情を紹介しよう。
 最上の芥子が育つ大地
 麻薬のアヘンは芥子という植物の果実から集めた乳液を原料とします。同じく麻薬のモルヒネとヘロインもアヘンから作られますから、やはり芥子の存在が大前提です。
 芥子の原産地は西アジアから東南ヨーロッパの地中海沿岸のどこか。とびきりの発見でもない限り、それ以上の特定は不可能なようです。
 原産地の特定が無理なら、最適な栽培環境は過去の実績から導き出すしかなく、『満州アヘンスクワッド』では、「満州の西端、万里の長城に接する」熱河(ルーフゥ)省をそれとしています。作中では主人公である日方勇の口を借りて、「砂と粘土がほど良く混ざり合い」、「通気性、排水性、保水力どれをとっても芥子栽培に最適な土地」と説明します。
 熱河省は現在の行政区分で言うなら河北省の北東部。満州国建国時には版図の外でしたが、かねて「熱河問題は満州国の国内問題」と息巻いていた関東軍が、1933年2月下旬に侵攻を開始。わずか10日間ほどで省都・承徳を制圧してしまいました(熱河作戦)。
 先に関東軍が実行支配下に置いた東3省でも芥子の栽培が行われていましたが、土の質が悪く作物栽培に適さず、収穫量も少なかったため、甘味があり香りもよいと評判の熱河産に目がつけられたのです。
 現に熱河産アヘンからあがる収益は大きく、奉天軍閥支配下熱河省では省財政の半ばをアヘン収入に依存していました。
 当時の芥子栽培農家にとっての最大の不安は、麻薬撲滅を訴える国際社会からの圧力でしたが、関東軍は熱河作戦を実行するに先立ち、生産地の削減は不可避だが、熱河は大丈夫という宣伝ビラを飛行機からばら撒いたといいます。
 後編記事『100年前の中国には「麻薬中毒者が2000万人」もいた…当時の「裏社会」の信じがたい実情』へと続きます。
 島崎 晋(歴史作家)
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 3月1日 100年前の中国には「麻薬中毒者が2000万人」もいた…当時の「裏社会」の信じがたい実情
 島崎 晋歴史作家
 プロフィール
 昭和初期の満州を舞台に、アヘンの密売を描いたクライムサスペンス『満州アヘンスクワッド』(原作/門馬司、漫画/鹿子)。1931年9月18日の満州事変を契機に現在の中国東北部に成立した満州国は、アヘンで栄えアヘンとともに滅びたと言えるだろう。
 そんな約100年前の満州の「裏社会」では、いったい何が起こっていたのか……? 前編記事『実は禁断の麻薬「アヘン」の産地だった…100年前の中国の「ヤバすぎる現実」』に引き続き、『昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』よりアヘンをめぐる当時の満州の事情を紹介しよう。
 恐ろしすぎる秘密結社の実態
 満映の社長から新京の寂れた中華料理屋の中に青幇(チンパン)のアジトがあること、別の人物からは、店主に特定の注文をすることで仲間だと認められると教えてもらったうえで、日方勇は李姚莉(リーヤオリー)救出のためアジトに乗り込みます。作中にもあるように、青幇は中国最大の秘密結社で、「切口(チェクゥ)」と言って、メンバーだけが知る隠語や暗号を定めていました。
 青幇は黄河と長江を結ぶ大運河で水運を営む労働者の互助組織に始まります。隋の時代に完成した大運河は中国南北間の物資輸送を支える大動脈で、明・清の時代には南部の穀倉地帯で収穫された米を最大の消費地である北京へ運ぶのが最大の仕事でしたが、国家の専売商品である塩の密売に携わる者も少なくありませんでした。
 往路は米を満載、帰りは何を積んでもよく、それを売った代金は各人の収入にできたので、重労働ではありますが、大運河の水夫は悪くない商売でした。
 ところが、列強の中国進出が本格化すると、南北間の物資の輸送は海運が中心となり、大運河の水夫が失業に見舞われます。彼らの大半は、大型船の接岸可能な港湾都市へと流れ、おそらく塩の密売を通じて培った人脈をもとに、それぞれの都市の裏社会を取り仕切るようになります。
 中国の近代史を彩った秘密結社は青幇だけではありません。台湾と四川省広東省に根を張った紅幇は青幇と勢力を二分する存在で、香港の三合会も紅幇の一員です。
 紅幇は洪幇(ホンパン)、洪門(ホンメン)、紅門(ホンメン)とも称され、反清レジスタンスを起源とする伝承を持ちますが、実際は移民社会の互助組織に始まります。
 レジスタンス伝承を持つだけあって、暗号などは青幇より込み入っており、指の動きや茶の入れ方、扇子の振り方などでメンバーかどうかの識別ができて、同じような方法で簡単な会話も可能なら、危急を知らせることもできました。
 アヘン中毒者が2000万人もいた
 麗華は日方勇を勧誘する際にこう言いました。
 「阿片はセックスの百倍の快感と言われている」
 また、吸飲歴20年の男は日方勇がつくった「真阿片」を一服しただけで何もかも頭からふっとび、「桃源郷!我世界!!秦始皇帝!?私ですよ」と叫びながら、のたうち回りました。「真阿片」は作中の造語ですが、上質のアヘンを吸飲すれば、桃源郷にいる気分を味わえたのは確かなようです。
 アヘンの原料は芥子の果実から採取した乳状の液です。これを天日に晒すことで固形化したものを「生アヘン」と言います。
 生アヘンには5〜15%、多い場合には20%ものモルヒネが含まれており、これこそが麻薬作用を引き起こす素です。
 医師か薬剤師の指導のもと、適量を適切な方法で摂取する分には鎮痛、鎮咳、麻酔など、広く医療分野で有用なのですが、麻薬として吸煙すれば全く事情が変わります。 
 アヘンを吸煙すると、一時的に肉体的な苦痛が和らぎ、心の中のもやもやも一掃され、幸福感に満たされます。特に吸飲してから1〜2時間後のセックスは格別で、「桃源郷に遊ぶとはこの事かと」と気づかされるそうです。病みつきになるのも無理はなく、中国ではアヘン中毒に陥った者を「常習者」を意味する「癮者(インチャ)」と呼びならわしました。
 栄養豊富な食事を摂り、上質なアヘンだけをコントロールしながら吸飲する分には中毒は避けられたようですが、歴史的な著名人の中にも中毒者はいて、張作霖の後継者となる前の張学良もその一人でした。完全なアヘン断ちとしっかりとした治療のため、張学良はヨーロッパへ行かされますが、アヘンからの解放はそれくらい難しいことだったのです。
 アヘンの濫用が習癖になってしまうと、あらゆる道徳心が崩壊して、妻子を売ろうが、友人知己相手に詐欺窃盗を働こうが、アヘンを購入する資金を手に入れるために手段を選ばなくなります。
 作中の池山大二郎や吉林の上級旗人たちを見ればわかるように、中毒者は外皮に包まれた骸骨のような外見になり、アヘンなしでは生きられなくなります。1937年前後、満州国を含めた中国大陸のアヘン中毒者が2000万人を数えたというのも、決して誇張ではないのです。
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