🛳¦18─14─ファシスト中国軍(国民党軍)と従軍娼婦の公娼施設「軍中楽園」。秘密結社・青幇(ちんぱん)〜No.151No.152No.153  * 

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 2019年7月号 正論「台湾現地調査報告  西岡力高橋史朗
 政争に使われる慰安婦問題
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 高橋 ……台湾の学者で劉夏如という学者がいます。この方が書いた『慰安婦問題の再理解』という論文があるのですが、『婦女救護基金会』という論文があるのですが、『婦女救済基金会が一切譲歩しないと主張する法的責任について、日本だけが法的責任を取っていないとは言えない』と」書いておられる。『ドイツは道義的責任を果たしたと評価されることがある。であるならば、1995年に女性のためのアジア平和国民基金を設立させた日本は、すでに道義的責任を果たしたと評価されても良いのではないか』『法的責任は、道徳的責任より勝るのかという疑問もさることながら、慰安婦の救済に携わる活動家の意見や、台湾国内のNGOが主張する事実という点もまた、より問題を複雑化している』とも指摘していて、良識ある落ち着いた議論が台湾ではみられます。私たちは注目する必要があると思っています。
 西岡 実は台南の慰安婦像建立を受けて、元対日文化経済協会の黃天麟氏が昨年8月21日の『自由時報』に、コラムで、この慰安婦像建立を批判し、『国民党は「軍中楽園の少女像」を建立せよ』(全訳は歴史認研サイト)と述べているんですよね。
 ──軍中楽園というのは国民党軍の公娼施設ですね。
 西岡 そう。数年前、台湾で同名の映画が作られ、ヒットしています。«軍中楽園では、どこから連れられて来たか分からない少女たちが、こんなはずではなかったという表情で、臭い小部屋に住まわされていた。しかし、現在に至るまで、国民党や関係者からこの少女たちに謝罪したという寡聞(かぶん)にして知らない。相応の補償がなされた話もない。国民党台南支部が本当にこうした歴史上、被害を受けた女性たちを救済することに関心を持つのであれば、慰安婦像の隣に同じ大きさで軍中楽園の少女像を建てるべきで、そうすることで、台湾に敗走してきた国民党が行った非人道的な政策に対する謝罪を表明することになる。台湾を植民地同様に蹂躙してきた負のシンボルにもなるはずで、それができないのであれば、さっさと慰安婦像を撤去するべきである»という、もう堂々たる反論が、日本人向けでなく台湾の新聞に出ているのです。
 ですから台湾の慰安婦像は『国民党対民進党』の戦い、政争の中で建てられたもので、台湾でも激しい論争が展開されていることを知っておいたほうがいい。単純に台湾が反日に変わりつつあるなどという話ではないと分かったのです」
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 反日派敵日派の中国共産党ファシスト中国(中国国民党)や韓国・北朝鮮が、従軍慰安婦、徴用工、第2回南京事件重慶爆撃などの嘘を創作して国際世論で日本を激しく非難するにはワケがあった。
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 中国国民党軍中楽園と韓国の米軍慰安婦施設は同じである。
 犯罪結社の青幇が、軍中楽園に少女や女性を送り込んでいた。
 国際世論は、日本軍の慰安婦施設を非人道的犯罪と認定したが、中国国民党軍中楽園と韓国の米軍慰安婦施設は人道的問題としていない。
 ベトナム戦争時の、韓国軍兵士による非人道的戦争犯罪としてのベトナム人虐殺事件問題。
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 台湾の反日派は、日本軍の慰安婦を問題にしても国民党軍の軍中楽園中国共産党軍の慰安婦を問題にしない。
 あるいは、国民党軍兵士、中国国民党軍兵士、中国人暴徒による日本人居留民(女性や子供)に対する強姦、暴行、虐殺などの非人道的残虐行為を問題にしない。
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 日本軍の戦争犯罪を告発する為に慰安婦像を建てるのなら、中国軍の少女像や韓国軍のライダイハン像・公認洋公主(ヤンコンジュ)像なども建てるべきである。
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 台湾の先住民は、縄文人日本民族日本人、琉球人、アイヌ人)と同じ南方系海洋民と揚子江流域民による混血の雑種人の子孫であり、北方系草原民の子孫である黄河流域民(漢族系中国人)や朝鮮人とは別系統のアジア人である。
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 勝者は、正義であり、非人道的残虐行為は全て無罪とされ犯罪者として裁かれず罪に問われる事はない。
 敗者は、悪とされ、如何なる善行や人道貢献をしたとしても正当に評価されず、弁明も弁護も許されず問答無用の有罪として裁かれた。
 勝者・強者は、敗者・弱者を生かしも殺すも勝手気ままという生殺与奪の権を当然の権利として持ち、如何なる犯罪行為を行っても許される免責特権を持っている、絶対優位者である。
 国際法戦時国際法とは、そうした法律である。
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 軍国日本・日本軍の軍事行動・中国進攻は、第1回南京虐殺事件。済南虐殺事件。通州虐殺事件、その他の日本人居留民惨殺事件に対する、報復権・復讐権による正当な行使で戦争犯罪ではなかった。
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 戦争を避けようとして日本を戦争に追い込んだのは、ソ連コミンテルンの指示で陰謀を実行した中国共産党であった。
 特に、昭和天皇明治天皇同様に平和を望み戦争を嫌っていた。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇や皇族を殺すべくつけ狙い機会をうかがっていた。
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 ソ連軍・ロシア人共産主義者による、日本降伏後に行われた数十万人の日本人避難民(主に女性や子供)虐殺は、国政法・戦時国際法上の人道に対する罪で戦争犯罪と認められていない。
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 日本の左翼・左派・ネットサヨクと右翼・右派・ネットウヨクによる罵詈雑言をがなり立てる非難中傷合戦は、幼稚園での口喧嘩や取っ組み合いの喧嘩ににている。
 彼らにとって、好きな子は仲間で味方であり、嫌いな子は敵であった。
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 中国国民党軍(ファシスト中国軍)や中国共産軍は、積極的に日本軍と正面切って戦って勝ったのではなく、消極的な戦闘を繰り返し、アメリカ軍やイギリス軍の勝利に便乗したに過ぎない。
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 北朝鮮にしろ韓国にしろ、日本の敵として日本軍と戦った事はない。
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 歴史上、慰安施設を伴い軍隊など存在しない。
 全ての国の軍隊が戦争をおこなう時、その兵站基地や駐屯地の周囲には必ず慰安婦・娼婦がいた。
 明日と言わず、今日、今、次の瞬間に敵が攻めてきて殺されるか分からない兵士にとって、金よりも女が欲しかった。
 それは、女性兵士でも変わらない生理現象であった。
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 日本人兵士は、他国の軍隊兵士よりも異常なほどに性欲が強かった。
 と言うより、日本民族日本人自体が強い性欲を持っていたのである。
 その原因は、乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族であるからである。
 異常なほどの性欲は、自分たちが持っていない遺伝子・DNA、新しい遺伝子・DNAを獲得する為である。
 それは、弱者・敗者の強者・勝者に対する生き残り戦略であった。
 強者・勝者は、自分たちを弱体化させる危険性のある新しい遺伝子・DNAを必要としなかったし、その為に新たな遺伝子・DNAを持った種族を武力で排除した。
 多様性は、弱者・敗者に必要で、強者・勝者には必要ではなかった。
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 世界の軍事常識としは、死を恐れる兵士に戦死を命ずるに当たって恐怖心を消し去る為に覚醒剤を使っていた。
 日本兵士は、性的好奇心が旺盛なだけにアヘン・覚醒剤ではなく単純に性欲を満たす為に性的奉仕女・慰安婦をあてがえば良かった。
 つまり、日本人兵士は性欲を満たすと従順に従い、上官の命令に疑いを持つ事なく死地に飛びこんで玉砕した。
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 江戸、大坂、京などの大きな町は、男性が多く女性が少なかった。
 日本人は、娼婦を買って女遊びをする事に宗教的道徳的道義的倫理的な「罪の意識」はなかった。
 江戸文化とは、庶民(百姓や町人)の吉原などにおけるイキ・イナセ・気風な廓文化(女郎文化・娼婦文化)である。
 その為に、花魁・娼婦は、客が気に食わなければ拒否し、それが身分高い大名・武士であろうが金をばら撒く豪商・豪農であろうが関係なく、女郎には女郎の意地を持って身体を売って商売をし生きていた。
 その意味で、日本の花魁・女郎は、中華の娼婦や西洋の売春婦とは違っていた。
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 中国の秘密結社。青幇(ちんぱん)または「清幇」略して「安清」「安慶」当初は「漕幇」と呼んでいた。元々は中国に広がる大運河の水運業ギルドだったが、時代が変わるに連れ一部が革命(辛亥革命)前の中国の暗黒面を代表する秘密結社になった。その一部は、上海を支配しアヘン、賭博、売春を主な資金源とした。その中でもアヘンを最大の資金源とし一時は中国全土の取引を支配した。後の文献もこれが主となってしまったため一様に暗黒面とされた。
 しかし、もとは相互救済、民族主義漢民族再興、打倒清朝(満人)が最大の不変の目的である。
 歴史
 組織の起源
 鎖国をしていた清は、海禁政策を採っており江南地方から北京へ米を運ぶのに大運河を使用していた。船で米を運ぶ水夫たちは、その道中の困難さから必然的に団結し羅教に影響されて結社をつくった。最初は漕幇、後に青幇と呼ばれ、仲間内では「安清」「安慶」と呼ぶこの組織は、洪門(洪幇)と同じく愛国的(この場合は漢民族の復活を念頭)であり、表向き清朝政府に協力的であることを標榜したが、そもそも当時の中国清朝は結社を禁止しており、清朝政府は警戒していた。北京に米を運んだ後、帰りの空船に禁制品である塩やアヘンを詰め込み密売しては利益を得ていたことも原因である。アヘン戦争後、五港が開港し上海経由で物資が海上輸送されるようになると水夫たちは職を失い路頭に迷うようになった。こうした状況に対処するために組織を維持し上海に進出していく。

 第二次世界大戦終結後の1945年、杜月笙は上海に戻ったが政府の青幇への取り締まりもあってかつての勢いをなくし国共内戦共産党の勝利に終わった1949年に台湾や香港に脱出した。中国本土の地下組織は押さえられ、杜月笙と一緒に香港に到着した青幇も、1951年に彼がアヘン中毒のために死ぬと力を失い、1950年代半ばには消滅したと言われている。
 なお、青幇は組織としては消滅したと言われているが、現在の香港や台北の地下社会には青幇の要素が色濃く残ることから、⑴青幇は内部分裂をしたのだという説・⑵組織の生き残りのために分散させたのだという説・⑶すべてを統括する形で青幇は残存するという説も一部の研究者の間で考えられ、実際に華僑のなかにもそのような証言が見られることから、中国共産党中華人民共和国建国に伴う「解放」後の経緯については、不明確な部分が多い。
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