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 YAHOO!JAPANニュース「Google「イギリスのシンドラー」ニコラス・ウィントン氏 111回目の誕生日を祝してDoodleに
 佐藤仁 | 学術研究員
 5/19(火) 19:00
 ニコラス・ウィントン氏(写真:ロイター/アフロ)
 Googleでは検索サイトのロゴを祝日や記念日、有名人の生誕などを祝うために独自のデザインでアレンジしている、いわゆるDoodle(ドゥードゥル)が日本でもお馴染みだ。5月19日はニコラス・ウィントン氏の111回目の誕生日を祝したDoodleが掲載されている。
 ニコラス・ウィントン氏といっても日本では全く知らない人の方が多いかもしれない。1909年5月19日にイギリスで生まれたニコラス・ウィントン氏は第2次大戦がはじまる直前の1938年から1939年にチェコプラハナチスドイツによる占領でユダヤ人の差別と迫害、いわゆるホロコーストによって強制収容所に移送されそうになっていた子供たち669人を救出してイギリスに避難させた人物。子供たちの大量輸送で「キンダー・トランスポート」と呼ばれており、1939年3月に第1弾の子供たちがイギリスに避難。1939年9月1日に第2次大戦が勃発すると、ユダヤ人の子供たちの脱出は不可能となってしまい、逃れることができなかった約6000人以上の子供たちはテレジエンシュタットのゲットーを経由してアウシュビッツなど絶滅収容所で殺害されてしまった。
 1988年にニコラス・ウィントン氏の妻が当時のスクラップブックを発見して、彼の功績に注目が集まった。その後、イギリスのテレビ番組の企画で彼が救った子供たちと再会を果たしている。
 GoogleのDoodleはイギリスの駅に到着した時のユダヤ人の子供たちの様子を描いたもの。ニコラス・ウィントン氏は「イギリスのシンドラー」と称されることもあり、救出された子供には映画監督のカレル・ライス氏らもいる。過去に映画やドキュメンタリー番組などでも多く取り上げられ、欧州では有名な存在。
▼ニコラス・ウィントン氏が死去した際に彼の功績を伝えるBBC(2015年7月2日)
▼ニコラス・ウィントン氏の生涯を描いたドキュメンタリー「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」オフィシャルトレーラー(2013年)
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 佐藤仁 学術研究員
 グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割などに関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらはグローバルガバナンスの中でどのような位置付けにあり、国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。修士国際政治学)、修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)、「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)、「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。」
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 映画ナタリー
 669人救った“イギリスのシンドラー”ニコラス・ウィントンに迫る記録映画公開
 2016年11月21日 8:35 40
 「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」が、11月26日より東京・YEBISU GARDEN CINEMAほか全国で順次公開される。
 本作は、“イギリスのシンドラー”と呼ばれるニコラス・ウィントンの生涯と活動を追った記録映画。ウィントンは1939年、ナチスの脅威にさらされたチェコスロバキアから、669人の子供たちをイギリスへ逃がすことに成功した。今作には、それから約50年後にウィントンが彼らと再会する様子や、そこに至るまでのドラマチックな経緯が収められている。
 監督を務めたのは、ホロコーストを生き延びた女性カメラマンのドキュメンタリー「Through the Eyes of the Photographer(英題)」などを手がけるマテイ・ミナーチュ。ミナーチュは「過去の悲劇的な出来事を世界に伝えることによって、その驚くべき物語が必ずや今を生きる人々が未来を築くための助けになると確信していたのです」と語っている。」
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 TVLIFE
 “イギリスのシンドラー”をめぐる驚きと感動の実話「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」DVD 6・21発売
 エンタメ総合2017年04月19日
 ナチスの脅威から数多くの子供たちの命を救った人物の足跡と、彼に救われた人々の人生をめぐる驚きと感動のドキュメンタリー映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」のDVDが、6月21日(水)に発売されることが決定した。
 本作は、“イギリスのシンドラー”と呼ばれ、ノーベル平和賞候補にもたびたび挙げられたニコラス・ウィントンの驚くべき活動の足跡と、彼に救われた人々の人生をたどる感動作。モントリオール世界映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭観客賞をはじめ、世界各国の数多くの映画賞に輝き、日本では「文部科学省選定(一般非劇映画・青年向き・成人向き・家庭向き)」「厚生労働省社会福祉審議会特別推薦」「平成29年度児童福祉文化賞推薦作品」となっている。
 DVDには特典映像として、予告編を収録、初回限定封入特典としてブックレットが封入される予定。
 <ストーリー>
 1938年、第二次大戦開戦前夜のチェコスロヴァキア。イギリスのビジネスマン、ニコラス・ウィントンはナチス・ドイツによる迫害の危機にさらされていたユダヤ人の子供たちを救うため、<キンダートランスポート>を実行し、チェコにおけるその中心人物となる。
 しかし、彼らの行動に世界は冷たく、多くの国々が協力を拒否し、門戸を閉ざした。唯一子供たちの入国を受け入れたのは、彼の母国イギリス。ニコラスはイギリスで里親を探し、書類を偽造して、子供たちを次々と列車で出国させていく。しかしその活動は1939年9月1日の第二次世界大戦勃発によって中止を余儀なくされてしまう。
 それから50年、発見された一冊のスクラップブックが彼の偉業を明らかにし、ニコラスと既に高齢となった子供たちの奇跡の再会が実現する。
 しかし、本当の感動の物語はそこから始まる――。
 <キャスト>
 ニコラス・ウィントン、ヴェラ・ギッシング、アリス・マスターズ、ベン・アベレス、クラーラ・イソヴァー、エリ・ヴィーゼルダライ・ラマ14世
 ジョー・シュレシンジャー(ナレーション)
 <スタッフ>
 製作・監督・脚本:マテイ・ミナーチュ
 製作・脚本:パトリック・パッシュ
 音楽:ヤヌシュ・ストクロ
 「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」
 6月21日(水)発売
 DVD ¥3,800+税
 収録時間:本編101分+特典映像
 <特典映像>(予定)
 予告編
 発売元:エデン、ポニーキャニオン東急レクリエーション、パイオニア映画シネマデスク
 販売元:ポニーキャニオン
 ©TRIGON PRODUCTION s.r.o. W.I.P.s.r.o. J&T Finance Group,a.s. CZECH TELEVISION SLOVAK TELEVISION 2011
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 ウィキペディア
 サー・ニコラス・ジョージ・ウィントン(Sir Nicholas George Winton、1909年5月19日 - 2015年7月1日[1])は、イギリスの人道活動家で、大英帝国勲章(MBE)の叙勲者。
 第二次世界大戦がはじまる直前、ナチスドイツによるユダヤ強制収容所に送られようとしていたチェコユダヤ人の子どもたちおよそ669人を救出し、イギリスに避難させるという活動、別名チェコ・キンダートランスポートという活動を組織したイギリス人。当事の新聞記事に、ウィントンがイギリスに送られる孤児を胸に抱いた写真が、「勇敢なる笛吹き男」の名で掲載されたことがあるが、近年では「イギリスのシンドラー」ともいわれる。
 業績
 彼は、ロンドンに住むドイツ系ユダヤ人の両親のもとに生まれる。両親ともキリスト教で受洗、非宗教的な家庭に育つ。彼は株式仲買人の仕事をしていて、労働党左派の活動家と親交があり、早くからヒトラーの政策の行く末に疑問を抱いていた。
 1938年のクリスマス休暇に彼はスイスにスキーに行く予定をしていたが、イギリスのチェコ難民委員会の女性から、ドイツのチェコ進攻の予想とそれに対する難民の救出活動で人手が足らないという連絡を受けた。スイス行きを取りやめてプラハに向かった彼は、成人の救出で手いっぱいで子どもの救出に手が回っていないことを知るや、イギリスにとって返し、内務省の許可を得て、イギリスで子どもたちの里親や身元引受人を探し、子どもたちをイギリスに避難させる一大キャンペーン活動を開始した。イギリス政府が行ったドイツからのキンダートランスポートと比べて、このチェコからのものは、組織的な資金が得られず、そのため公的な機関であるかのような団体名を名乗ったり、危ないこともして、時には子どもの出生日時を偽装するようなこともして子どもたちの救出のために奔走した。1939年3月14日から8月2日までの間に、669名の子どもたちをチェコから脱出させることに成功し、9月3日にも最大規模となる250名の子どもたちの脱出が予定されていた。しかし9月1日に第二次世界大戦が勃発したため、この子どもたちは出国できず、これ以降チェコからの子どもの脱出は不可能となる。この事はウィントンを失望させ、長きに亘る沈黙の原因となった。
 ウィントンのリストに記載された脱出予定の子どもたちはおよそ6000名。脱出が不可能となりチェコに残留したユダヤ人児童は、この後大人とともにテレージエンシュタットに収容される。テレジン絶滅収容所ではなかったが、劣悪な環境の下で子どもたちは衰弱し、労働に従事できなくなったものは次々にアウシュビッツへと移送された。テレジンに収容されたユダヤ人児童は15000人。最終的には全ての児童がアウシュビッツへ移送され、その大半は即日ガス室送りとなった。収容を経て生還したチェコユダヤ人児童は僅かに100名に過ぎない。
 開戦後は、ウィントンは赤十字に参加し、フランス国内で難民支援の仕事に携わりキンダートランスポートとの関わりはなくなった。
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 トップ イギリスにおける反ユダヤ主義
 イギリスにおける反ユダヤ主義, ジョージ・オーウェル
 イギリスにおける反ユダヤ主義
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 イギリスには約四十万人のユダヤ人がいることが以前から知られているが、それに加え一九三四年以来、二、三千から最大で一万人弱のユダヤ人難民がこの国に入国している。ユダヤ系人口のほとんど全ては六つの大都市に集中し、その多くは食品、衣類、家具の仕事に就いている。ICIのような巨大独占企業のいくつかと一つ二つの有力新聞社、それに少なくとも一つの巨大デパートチェーンはユダヤ人に所有されているか、部分的にユダヤ人の資本が入っているがイギリスの経済活動がユダヤ人によって支配されているというのは事実とはほど遠いと言えるだろう。それどころかユダヤ人たちは巨大合併へと向かう現代の動きについていけず、伝統的な方法で小規模にしかおこなえない商売を続けているように見える。
 見識ある人であれば誰しもすでに知っている背景の説明から始めたのはイングランドには現実的なユダヤ人「問題」など存在しないことを強調するためだ。ユダヤ人は数が多いわけでも十分な権力を持っているわけでもなく、なにがしかの目に見える影響力があるのはおおまかに「知識人界隈」と呼ばれている世界でだけだ。だが反ユダヤ主義が勢いを増しているのは広く認められることで今回の戦争でそれはさらに激しさを増している。人道的で見識ある人々も無縁ではない。暴力的な形で現れているわけではないが(イギリスの人々はたいていは穏やかで遵法精神に富んでいる)、それが十分にたちの悪いものであることは確かで環境さえ整えば政治的な結果につながる恐れもある。ここ一、二年の間に私が耳にした反ユダヤ主義的発言の例をいくつか挙げよう。
 中年の会社員:「普段はバスで通勤しています。時間はかかりますが最近はゴルダーズ・グリーンからの地下鉄には乗る気になれないんですよ。あの路線にはあの選ばれし民が大勢乗っているんでね」
 たばこ屋(女性):「マッチはありません。通りのむこうの彼女に聞いてみないと。彼女はいつもマッチを持ってるんです。ほら、あの選ばれし民の一人なんですよ」
 共産主義者かそれに近い若い知識人:「ユダヤ人は好きじゃないです。このことを隠したことは一度もありません。彼らには耐えられません。念のために言っておきますが、もちろん私は反ユダヤ主義じゃないですよ」
 中流階級の女性:「ええ、誰も私を反ユダヤ主義とは呼ばないでしょうが、あのユダヤ人たちの行いは本当にひどいものだと思います。行列の先頭に割り込むとかそういったことです。ひどく自分勝手なんです。彼らの身に起きたことの多くは身から出たさびだと思いますね」
 牛乳の配達人:「ユダヤ人も仕事をしないわけじゃない。イギリスの人間とはやり方が違うんだ。やつらは賢すぎるんだな。俺たちはこいつで働く」(二頭筋を示す)「あいつらはこいつで働くんだ」(自分の額を叩いてみせる)
 左派的傾向の知識人である公認会計士:「あのいまいましいイディッシュ野郎どもはみんなドイツの味方です。もしナチスがここに攻め込んできたら明日にでも寝返るでしょう。仕事であいつらを大勢見てきました。やつらは心の底ではヒトラーを称賛しているんです。自分たちを蹴りつける相手にはそれが誰であろうと取り入ろうとするんですよ」
 反ユダヤ主義とドイツの残虐行為についての本を見せられた知識人の女性:「それをしまって。お願いだから私の目にはいらない所にやってしまって。そんなものを見てもユダヤ人への憎しみが募るだけだわ」
 似たような発言でページを埋めることもできるが今は話を続けよう。これらの発言から二つのことがわかる。ひとつ……非常に重要で、あとで改めて検討する事柄だ……は上記のある程度の知的水準の人々は反ユダヤ主義を恥ずかしいことだと考え、注意深く「反ユダヤ主義」と「ユダヤ人嫌い」を区別しているということだ。もう一つは反ユダヤ主義が理不尽なものであるということだ。それぞれの者が強く感じている特定の不品行(例えば配給の列を乱す行為)についてユダヤ人は非難されているが、これらの非難が何かしらの根深い偏見によるこじつけであることは明らかだ。事実と統計データでこれらの非難に反論を試みても無意味だし、場合によってはさらに状況を悪くさせるだけである。ちょうど上記で引用した発言の最後のものが示すように人々は反ユダヤ主義のままか、少なくともユダヤ人嫌いのままだろう。それは自分の見解が正当化不可能であると完全に理解している場合であっても変わらない。誰かを嫌っている場合、嫌っているということで話は終わってしまう。そこで相手の美点を説いたところでその気持ちが変わることはないのだ。
 反ユダヤ主義が広まるのを助け、多くの普通の人々にそれを正当化する口実を与えたのは今回の戦争である。始めに言っておくとユダヤ人は連合国側の勝利によって利益を得る者の一人であり、これはまず疑いようのないことだ。従って「これはユダヤ人の戦争である」という理屈はそれなりにもっともらしく聞こえる。そしてそれゆえにいっそうユダヤ人による戦争への貢献が正当な評価を得ることは少なくなるのだ。イギリス帝国は相互の合意によってつなぎ合わされた巨大な異種混合の組織であり、信頼の乏しい構成要素を持ち上げるためにより忠誠心の強い構成要素をなおざりにすることがままある。ユダヤ人兵士の功績を広く宣伝すること、さらに言えば中東のユダヤ人による巨大な軍隊の存在を容認して南アフリカアラブ諸国やその他の地域からか敵意を抱かれること、それに比べれば問題の全てを無視し、通りを行く人にユダヤ人は兵役を避けることに関して並外れた知能を持つと考えさせておいた方がずっと簡単だ。そしてまた戦時下の市民から反感を買わざるを得ないような業種でユダヤ人が働いていることも事実だ。ユダヤ人のほとんどは食品、衣類、家具、そしてたばこの販売で生計をたてている……それらは慢性的に不足している生活必需品であり、そのために価格の高騰や闇市場、人々の欲求と深く結びついている。また空襲の時のユダヤ人の行動が並外れて臆病なものだったというよく聞かれる非難のかなりの部分は一九四〇年の大空襲によるものだ。ホワイトチャペルのユダヤ人街は当時、最初にひどく空襲された地区のひとつだった。自然な成り行きとしてユダヤ人の一群はロンドン全体に散らばるようにして難を逃れることになったのだ。これら戦時下の出来事だけから判断すれば反ユダヤ主義は誤った前提を元にした上っ面な考えだということが簡単に想像できるだろう。もちろん反ユダヤ主義者は自身の考えには根拠があると思っている。私が新聞記事でこの問題を取り上げると必ず大量の「反論」が返ってくる。そして決まってその中には特にこれといった経済的不満もない中庸で中流階級の人々……例えば医者……からのものがあるのだ。そういった人々は決まって(ヒトラーがわが闘争で述べたのと同じように)自分たちには反ユダヤ的な偏見などないが事実にもとづく観察から現在の立場に至ったのだと主張する。だが反ユダヤ主義者の特徴のひとつは絶対にありえないような話を信じこむその能力なのだ。一九四二年にロンドンで起きた奇妙な事故にその例を見ることができる。近くで爆発した爆弾に驚いた群衆が地下鉄の入り口に殺到し、百人を超える人々が圧死したのだ。日が変わるか変わらないうちにロンドン中で「ユダヤ人のせいだ」という声が繰り返し聞こえるようになった。人々がこの種のものを信じるのだとすれば彼らと言い争っても無意味であることは明らかだ。できることがあるとすればそれはなぜ彼らがそんな馬鹿げたことを鵜呑みにし、一方でそれ以外の物事に関しては正常な判断を保つことができるのかを解明することだけだろう。
 だが今は先に言及した点に戻ろう……反ユダヤ主義的感情が広がっているということ、そしてそうした考えを抱いていると認めたがらない傾向が広く存在していることについてだ。教育ある人々にとって反ユダヤ主義は許されざる罪であり、それは他の人種的偏見とは全く異なるカテゴリーに分類される。人々は自分たちが反ユダヤ主義でないことを長々と証明しようとするだろう。例をあげよう。一九四三年にセント・ジョンズ・ウッドにあるシナゴーグポーランドユダヤ人のために祈りを捧げる礼拝がおこなわれた。地域の当局はそれへの参加意思を表明し、礼拝には正装した市長や全ての教会の代表、そしてイギリス空軍や郷土防衛隊、看護師会、ボーイスカウトといった団体からの使者が参加した。表面的にはこれは苦しむユダヤ人との連帯を示すものに思われる。だが礼儀にかなったその振る舞いのためにはたいそう努力が必要だったことだろう。多くの場面で参加者たちの主観的感覚は礼拝の時とはまったく異なるものだったのだ。ロンドンのその地区の一部にはユダヤ人が住み、そこでは反ユダヤ主義がはびこっていた。そして私の知るかぎりではシナゴーグで私の周りに座る人々の一部はその傾向を帯びていた。郷土防衛隊の私が属する小隊の隊長は間違いなく元はモズレーの黒シャツ隊のメンバーだった。彼は私たちがその礼拝で「立派に振る舞う」前にひときわ大げさに涙を流してみせた。この感情の分断が存在するあいだはイングランドにおいてユダヤ人に対する集団的な暴力が許容されたり、もっと重要なこととしては反ユダヤ主義的な法律が作られたりすることはないだろう。確かに今のところは反ユダヤ主義が社会的に正当化されることは不可能である。だがその優位は目に見えているより少ない。
 ドイツでの迫害行為の影響の一つは反ユダヤ主義に対する真剣な研究が阻害されるようになったことだ。イングランドでは一、二年前に簡素で十分とはいえない調査が世論調査局によっておこなわれたが、もしこの問題についてそれ以外の調査があったとしても結果は厳重な秘密にされたままだろう。そしてまた思慮深い者は誰しもがユダヤ人の感情を害するような行為を意識的に避けている。一九三四年以来、ユダヤ人ジョークはまるで魔法のようにポストカードや雑誌、大衆劇場の舞台から消え、小説や短編に冷酷なユダヤ人を登場させる行為は反ユダヤ主義であると見なされるようになった。パレスチナ問題についてもユダヤ人による主張を受け入れ、アラブ人による主張の精査を避けるのが見識ある人々の間では適切な振る舞いとなっている……問題自体からすればそれは正しいのかもしれないが、その決定はまず第一にユダヤ人は困難に見舞われているのだから非難すべきでないという思いからなされているのだ。つまりヒトラーのおかげで報道機関はユダヤ人を支持するよう事実上の検閲を行い、その一方でプライベートな場面においては反ユダヤ主義が思いやりと知性ある人々の間ですらある程度増加しているという状況が生まれているのだ。そういった傾向が特に顕著だったのは一九四〇年、難民の抑留がおこなわれた時だった。当然のごとく思慮ある人々はみんな不運な外国人に対するその大規模な拘留に対して抗議の声を上げるのが自らの責務であると感じた。難民の大半はヒトラーに反対しているためイングランドにしかいられないのだ。だがその裏では全く異なる意見が表明されていた。難民のうちのごく一部は飛び抜けて無思慮な行動をとり、その多くがユダヤ人だったために彼らに向けられた感情は必然的に反ユダヤ主義への底流となった。労働党のある非常に著名な人物……名前は挙げないが彼はイングランドにおいてもっとも尊敬に値する人物の一人だ……は非常に強い調子で私にこう言った。「この国に来てくれと頼んだことは一度もない。ここに来たのは彼らの選択によるものなのだからその結果に対する責任は彼らが負うべきだ」。だがもちろんこの男性は外国人抑留に反対する請願や声明に対しては賛同の声を上げるだろう。反ユダヤ主義は邪悪で恥ずべきものであるという感情や、教養ある人間であればそんなものに影響されたりはしないのだという考えは科学的なアプローチにとっては好ましいものではない。この問題に深く斬りこむような調査に対して多くの人が恐怖を覚えることは間違いない。彼らが恐れているのは反ユダヤ主義が広がっているということだけでなく、自分自身がそれに感染しているのではないかということなのだ。
 その視点からここ二、三十年を振り返ってみよう。ヒトラーが無名の失業中のペンキ塗りだった時代だ。現在も反ユダヤ主義は十分に見て取れるがイングランドにおいては三十年前よりもそれが落ち着いていることがわかるだろう。イングランドでは反ユダヤ主義が人種や宗教に基づく確固とした信条として流行ることは二度とないと言っていい。異民族間の結婚やユダヤ人が社会で重要な役割を担うことに対する反感といったものは比較的少ない。一方、三十年前には多かれ少なかれユダヤ人は……知性においては卓越しているにしても……おかしな人間で少しばかり「品」にかけるのが普通であると考えられていた。理屈上は個々のユダヤ人にそのための法的能力が欠けているためとされていたが、事実上、彼らは特定の職種から排除されていた。例えば海軍の将校や軍隊における「高級」連隊にユダヤ人が受け入れられたことはおそらくないだろう。私立学校のユダヤ人少年のほとんどは決まって居心地の悪い思いをしていた。もちろん人間的魅力や運動能力が並外れている場合にはユダヤ人であることは問題にされなくなるが、それはどもり症や生まれつきのあざのような先天的な障害なのだ。裕福なユダヤ人はイングランドスコットランドの貴族階級の名前で自らを隠すことが多い。平均的な人間からすれば彼らがそうせざるを得ないのはごく自然なことのように思われる。可能なときには犯罪者が身分を偽るのと同じようなものだ。二十年ほど前、私がラングーンで友人の一人とタクシーに乗ろうとした時の話をしよう。みすぼらしい格好をしているが顔立ちの整った小柄な少年が私たちのところに駆けてきてコロンボから船で来たのだが金を取り戻したいというやけに入り組んだ話を始めた。その立ち居振る舞いや姿がどうにも「腑」に落ちなかったので私は彼に尋ねた。
 「ずいぶん英語が流暢だな。何人なんだ?」
 彼はインド訛りのアクセントで熱心に答えた。「ユダヤジンです。旦那様!」
 自分が連れに振り返って半ば冗談を言うように「堂々と認めたぞ」と言ったことを憶えている。その当時、私が出会ったことのあるユダヤ人はみんな自分がユダヤ人であることを恥じている者ばかりだったし、そうでなくとも自分の家系については語りたがらなかったものだ。彼らはもしどうしてもそうしなければならないときには「ヘブライ人」という言葉を使っていた。
 労働者階級の態度も同じだ。ホワイトチャペルで育ったユダヤ人は自分たちが近隣のキリスト教徒のスラム地区に踏み込んだ時には攻撃されたり、良くても囃し立てられたりすることを当然のように受け止めたし、大衆劇場やマンガ雑誌の「ユダヤ人ジョーク」はいつも変わらず意地の悪いものだった[段落の終わりに注記]。また文学にもユダヤ人への迫害が見られた。ベロックやチェスタートンの著作、それに彼らの模倣者たちの下劣さは大陸でのそれとほとんど変わらなかった。それよりはいくぶん穏やかなやり方ではあったが非カトリックの作家もまたときに同じ罪を犯した。チョーサー以来、イギリス文学にはかなりの反ユダヤ主義的傾向が存在し続けている。今テーブルから立ち上がって文献を参照するまでもなく、もし現在書かれていれば反ユダヤ主義の烙印を押されるであろう文章をシェイクスピア、スモレット、サッカレーバーナード・ショーH・G・ウェルズ、T・S・エリオット、オルダス・ハクスリーといった人々の作品から挙げることができる。その一方でヒトラーの台頭以前で明確にユダヤ人を支持する努力をした英語圏の作家は今、私が思いつく限りではディケンズとチャールズ・リードだけだ。そして平均的な知識人でベロックやチェスタートンの意見に頷く者は少ないにも関わらず、彼らに対して実際に非難の声が上がることはないのだ。薄っぺらい理屈で書かれた物語やエッセイに差し込まれたチェスタートンによる止むことのないユダヤ人への攻撃演説によって彼が窮地に追い込まれたことは一度もない……実際のところチェスタートンはイギリス文学界でもっとも尊敬を集める人物の一人だったのだ。もし現在そういった傾向のものを書けばそれが誰であろうと罵りの嵐に襲われるだろうし、それ以前にその作品を出版することさえ不可能だろう。
 [注記:「ユダヤ人ジョーク」と大衆劇場の他の演し物である「スコットランド人ジョーク」との比較は興味深い。後者は一見して前者によく似ている。ときには両方の人種を同じように扱う話(例えばユダヤ人とスコットランド人が一緒にパブに行き、両方が渇き死にするといったもの)もあるが、一般にユダヤ人はたんに狡猾で強欲に描かれるのに対してスコットランド人はそれに加えて肉体的な豪胆さを取り上げられることが多い。例えば無料の謳い文句の集会にユダヤ人とスコットランド人が一緒に出かける話がそうだ。予期せず支払いを求められるとユダヤ人は気絶し、スコットランド人が彼を運び出す。そこでスコットランド人は連れを運ぶという強健な仕事をして見せるのだ。もしこの立場が逆であればなんとも座りの悪いものに思えるだろう(原著者脚注)]
 すでに示してみせたようにもしユダヤ人に対する偏見がイングランドで広範囲に広がっているとして、ヒトラーによってそれが弱められたのだと考える理由はない。彼はただ、今はユダヤ人に石を投げている場合ではないとわかっている政治意識のある人々と戦争による緊張状態から生来の反ユダヤ主義的気質を肥大させている無自覚な人々の間の境界をはっきりさせただけだ。言いかえれば反ユダヤ主義的感情を認めず否定するであろう多くの人々は密かにその傾向を抱いているのだ。反ユダヤ主義は本質的には神経症であると私が考えていることはすでに述べたとおりだが、もちろん心から信じられているものであれ、部分的なものであれ、反ユダヤ主義に対する理由づけの弁は存在する。一般の人々がよく挙げるのは、ユダヤ人は人々を食い物にしているというものだ。これを部分的に正当化するのがイングランドにおいてユダヤ人は一般に小事業の経営者……つまり銀行や保険会社といったものよりもわかりやすく、露骨に略奪的な振る舞いをする人物であることが多いという事実だ。もう少し知的になるとユダヤ人は不信を広げて国民の士気を弱めるという弁で反ユダヤ主義は理由づけされる。これに対しても再びいくつかの浅薄な正当化がおこなわれている。過去二十五年の間、「知性的」と呼ばれるような活動の大部分は有害なものだった。もしこの「知識人」たちがもう少し徹底してその作業をおこなっていたら一九四〇年にイギリスは降伏することになっていたと言っても過言ではないと私は思っている。だがその不満を抱く知識人には疑いなくかなりの数のユダヤ人が含まれるのだ。ユダヤ人は私たち独自の文化と国民の士気に対する敵なのだということも、さももっともらしく言われている。注意深く考えればこの主張は馬鹿げているとわかるが常にその論を裏付けるかのような著名な人物が少数、現れる。過去数年、レフトブッククラブといった組織に代表されるこの十年流行している非常に底の浅い左派主義に対する反撃と見られる動きがある。この反撃(例えばアーノルド・リュタンのザ・グッド・ゴリラやイーヴリン・ウォーのもっと旗をといった書籍)には反ユダヤ主義的傾向がある。もし題材としているテーマがもっと穏健なものであればそれはより際立ったことだろう。たまたまここ数十年の間、イギリスには騒ぎ立てるだけの価値があるナショナリスティックな知識人がいなかったということなのだろう。だがイギリスのナショナリズム、つまり知識人階級のナショナリズムは復活するかもしれないし、もしイギリスが現在の戦争によって大きく弱体化すればそうなる確率は高い。一九五〇年の若い知識人たちはおそらく一九一四年の知識人がそうであったように無邪気に愛国心を謳うだろう。もしそうなればフランスでの反ドレフュス[25]支持派を下地に広がった反ユダヤ主義的なもの、チェスタートンとベロックがこの国に導き入れようとしているものはその足場を得ることになる。
 反ユダヤ主義の起源については確かなことは言えない。主におこなわれる二つの説明、つまり経済的理由とする説と中世の遺産とする説だけでは十分でないように私には思われるが一方でその二つを組み合わせれば起きている事実を全て説明可能であるということは認めよう。
 私が自信を持って言えるのは、反ユダヤ主義ナショナリズムという大きな問題の一部であるということだけだ。これはいまだ真剣に検討されていないことである。ユダヤ人がスケープゴートにされていることは明らかだが、彼らが何に対するスケープゴートなのかをいまだに私たちは理解できていないのだ。このエッセイでの私の論拠はほとんどすべて限られた自身の経験だけであり、おそらく私が至った結論のすべては他の観察者からは否定されるようなものだ。この問題に関してはほとんどデータがないというのが実際のところなのだ。だが私の意見を要約しておこう。その価値はあるはずだ。要約すれば結局のところ次のようになる:
 私たちが考えている以上にイングランドには反ユダヤ主義が広がっていて戦争によってそれは加速されている。だが数年ではなく数十年という期間で考えた場合にはそれが増加しているかどうかは定かで無い。
 今のところ反ユダヤ主義はあからさまな迫害行為にはつながっていないが、他の国のユダヤ人の苦難に対する人々の冷淡さには寄与している。
 反ユダヤ主義は根本的に不条理なものであり、議論によって打ち伏せることはできないだろう。
 ドイツでの迫害行為によって反ユダヤ主義的感情はよりいっそう隠蔽され、それによって全体像が見えづらくなっている。
 この問題は真剣に研究される必要がある。
 最後の点については詳しく説明する価値がある。どのような問題であっても科学的な研究をおこなうには中立な態度が必要になる。研究者の利益や感情が深く関わる場合、これが困難なことは明らかだ。ウニや二の平方根についてなら客観的な態度をとることができる多くの人が自分の収入源のこととなると支離滅裂になってしまう。反ユダヤ主義について書かれたもののほとんどは著者の頭のなかにある自分だけはそういったものに影響されていないという思い込みによって損なわれている。「自分は反ユダヤ主義が不条理なものであるとわかっている」著者は書く。「従ってそれに影響されてはいない」。そして著者は研究を多少なりとも信頼できる証拠を手に入れられそうなただ一つの場所……つまり自らの頭の中から始めるという失敗を犯すのだ。
 漠然とナショナリズムと呼ばれている病が今、世界のほとんどを覆っているという仮定は確かなもののように私には思われる。反ユダヤ主義ナショナリズムの現れの一つに過ぎず、全員がそれと同じ形態の病にかかるわけではない。例えばユダヤ人が反ユダヤ主義になることはないだろう。しかし多くのシオニストユダヤ人は私にはたんに反ユダヤ主義者を反転したもののように見える。それはちょうど多くのインド人や黒人に反転された形で見られる皮膚の色による偏見と同じだ。重要なのは何か精神的なビタミンのようなものが現代の文明社会には欠けているということだ。その結果、ある人種全体が不可思議にも善であり、ある人種全体が不可思議にも悪であると信じるこの狂気に私たちは多かれ少なかれ取り憑かれているのだ。なんらかのナショナリスティックな忠誠心や憎悪を抱かずに誠実で事細かく自らを省みることができる知識人が現代にいるとは私には思われない。そうした感情に引きずられながらもなおユダヤ人たちを公平に見ることができるということ、それこそがその人物を知識人たらしめるのだ。従って反ユダヤ主義の研究の開始地点は「なぜこのように明らかに不合理な信念を他の者は抱くのだろう?」ではなく「なぜ私は反ユダヤ主義なのか? そのどの部分を私は真実であると感じるのだろうか?」でなければならない。もしこのように自問すれば少なくともその者自身の理由を理解することができるし、おそらくはその底に何が横たわっているかを見つけ出すことができるだろう。反ユダヤ主義は研究されるべきである……反ユダヤ主義者だけにそうしろと言うつもりはない。多少なりともその種の感情から逃れられていない自覚がある者はそうすべきだ。ヒトラーがいなくなった時こそその問題に対する真の探求が可能になるだろう。おそらくそれは反ユダヤ主義の誤りを暴くことによってではなく、自分自身や他の者たちの頭の中から見つけ出すことのできる反ユダヤ主義に対する正当化の全てをまとめ、整理することによって開始されるべきだ。その方法によってこそ、その精神的根源へと続く手がかりを得ることができるだろう。しかしより大きな病であるナショナリズムを治癒することなく反ユダヤ主義を治癒できるとは思えない。
 1945年4月
 Contemporary Jewish Record
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