✥194」195」─1─エチオピア飢饉。200万人以上餓死。1972年。 ~No.589No.590No.591No.592 @    

世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 世界的食料不足で、飢餓が広がり、餓死者が増え始めている。
 食糧自給率の低い国は、助かる術はない。
 食糧に余裕がある時は食料不足の国に売ってくれるが、自国の食糧が足りなくなると幾ら大金を積んでも売ってはくれない。
 生きるも死ぬも、自己責任で、他人の責任ではない。
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 1972年・73年 エチオピアの飢餓。エチオピア国民の8割が農民で、その大半が小作人であった。
 小作人は、懸命に働いて収穫した農作物の半分以上を小作料として地主に納め、残りの農作物を売って金に換えて極貧の生活を送っていた。
 都市部と農村部における貧富の格差は酷く、貧しい農民は豊かな都市住民の食卓を潤す為に農産物を生産していた。
 最下層の農民は、私有資産を増やす事が出来ず慢性的貧困から抜け出せず、その日暮らし的に生きていた。
 72年から73年にかけて、ウォロ州、チグレ州、エリトリア州が大干魃に襲われ、農作物は全滅し、10万人以上の餓死者が出る大災害となった。
 同時に、世界的な石油ショックが重なって食料品価格が急騰した。
 地主や商人は、国内の農作物を買い占め価格を吊り上げて高値で売って大金を手に入れた。
 貧しい庶民は食べ物を安く買う事が出来ず、瞬く間に200万人以上が飢餓状態に陥った。
 73年 東部のオガデン地方でソマリ人が反政府闘争を始めた。
 ハイレ・セラシエ皇帝は、国民の窮状を救う為の手段をとらないどころか、飢餓状態が世界に知られる事は国家の恥として国外に報道しないように厳しく規制した。
 無責任に国民の飢餓を見て見ぬ振りをし、事なかれ的に来年は豊作と為って飢餓が解消するであろうと根拠のない期待をかけた。
 無能な政治家ほど、自分に都合の良い方向に考えて政策を実行して失敗し、失敗を知っていて自己を正当化して変えず被害を大きくした。
 来年が豊作なるとは、誰もわかるはずがなかった。
 政府高官は、地主や商人らと結託して金儲けに奔走して、国民を救う気はなかった。
 セラシエ皇帝と政府は、餓死者が出始めてようやく飢餓状態を公表して、救済策を実行に移したが後手に回って飢餓を止める事が出来なかった。
 石油ショックによる物価高騰が引き金となり、アディスアベバでデモ騒乱が発生して国内は大混乱に陥った。
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 1974年9月 陸軍は反乱を起こし、ハイレ・セラシエ皇帝を逮捕して強制的に廃位させ、翌75年に世界最古の王朝の一つであるエチオピア帝政を廃止した。
 人民の支持を失った専制君主は、人民の手で追放された。
 軍部は、アマン・アンドム中将を議長とする臨時軍事行政評議会を設置し、12月に共産圏からの支援を期待してエチオピア連邦民主共和国を宣言した。
 ソ連の半衛星国となり、ソ連キューバなどの社会主義国から財政及び軍事支援を受けた。
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 1977年2月 メンギスツ・ハイレ・マリアムが議長に就任し社会主義軍事独裁政治を始めた。
 共産主義政策は、凄惨で、容赦なく実行された。
 20年間で、王族など反対派数十万人を粛清した。
 反マリアム派を反革命分子として粛清し、私腹を肥やした旧政府高官や食料を買い占めていた地主や商人ら数十万人を人民裁判で処刑して財産と食料を没収した。
 マリアム政権は、共産主義諸政策を実行して、農地を国有化し、小作制を廃止して土地を再配分し自作農民を増やした。
 政府は、農産物価格を抑える為に超低価格で買い取り、飢餓地帯に食べ物を運び込んだ。
 さらに。飢餓地帯の農民に、食料の豊富な土地への自由な移住を進めた。
 飢餓地帯以外の農民は、低価格で農作物が買い上げられ、飢餓民の移住で安値で食べ物を与えられるのを見るや、生産意欲が減退して収穫量が減った。
 飢餓民の移動は、先住民部族間の対立を煽り、混乱をさらに深めた。
 貧困者救済の極端な平等を求めた共産主義諸政策は、富裕層の冨を再配分したが、同時に中間層の働いて豊かになろうという意欲も奪って失敗した。
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 餓死の危険がある飢餓状態のエチオピア人は、400万人とも、500万人とも云われている。
 1984年〜85年 エチオピア北部地域で旱魃が発生して、200万人以上が餓死し、多くの飢餓難民が土地を捨て首都や周辺諸国に流失した。
 飢餓難民が周辺諸国に避難する事で、国際社会は、エチオピアが深刻な状況に陥っている事を知った。 
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 大陸諸国では、島国日本とは違って、国民は生活できなくなると国を立て直す事を諦めて逃げだした。
 大陸は、視野が広く、融通無碍で、積極的で、前向きで、割り切りが良く、開放的で、おおらかで、逃げ足が速かった。
 島国日本では、考えられない事であった。
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 セラシエ派は、マリアム政権の共産主義諸政策の失敗を非難し、地主や商人らの支援を受けて叛乱を起こした。
 マリアム政権は、飢餓民救済より政権維持を優先し、軍事費を増やす為に中間層に重税を課した。
 エチオピアは、前皇帝派と共産主義派の戦いと部族間の争いで複雑な内戦状態に突入した。
 多くの餓死者が出ている中で、内戦が続けられた。
 国民同士が、殺し合っていた。
 内戦が飢餓を深刻化させ、多くの餓死者を出した。
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 国際社会は、エチオピアの飢餓を救うべく大量の救援物資を送った。
 救援物資が運び込まれる空港や主要港を抑えているの政府軍で、政府軍の支配下にある道路や鉄道などの輸送網圏内にある飢餓地帯には救援物資が届けられたが、本当の飢餓地帯は反政府軍支配下にある為に飢餓寸前にある飢餓民には渡らなかった。
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 1987年 マリアム議長は、国民投票で大統領に就任し、エチオピア人民民主共和国を樹立して、ソ連中国共産党に倣ってエチオピア労働者党による一党独裁制を敷いた。
 エリトリア、ティグレ、オガデンの各地方で、反政府勢力に夜大攻勢が始まった。
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 1991年5月29日 エチオピアからの独立を目指すエリトリアの勢力のうちの最大勢力・エリトリア人民解放戦線は、ティグレ人民解放戦線等と共に首都アディスアベバに突入し、エチオピアに政変を起こしてメンギスツ政権を倒し、独立宣言を行った。
 マリアム大統領は、ジンバブエへ亡命した。
 1993年5月24日 ティグレ人中心のエチオピア人民革命民主戦線のメレス・ゼナウィ書記長が暫定大統領に就任し、エリトリアの独立を承認した。
 1995年8月 新憲法が制定され、ネガソ・ギダダ情報相が正式大統領に、ゼナウィは事実上の最高指導者である首相に就任した。
 国名は、エチオピア連邦民主共和国と改称した。
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 国家の指導者の無能無策が、飢餓を悪化さ、国民を餓死させた。
 旱魃や大洪水などの異常気象で、農産物生産は不安定となり、慢性的食料不足が低所得層を襲っている。
 餓死の危険がある飢餓状態のエチオピア人は、400万人とも、500万人とも云われている。
 地球温暖化による異常気象は、安定した農産物生産の脅威となりつつある。
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 「援助の真実」
 曽野綾子「人間関係 愚痴話」新潮45 2014年1月号
 「……
 一番新しいきっかけは、最近立ち話をした或る店で、かなりのインテリ風の主人が、
 『えっ?外国の被災地に送ったお金が途中で消えてなくなることがあるんですか?!』
 と心底驚いたように言ったからである。
 日本人80、90パーセントの人が、発展途上国に送った援助の金や品物は、ほぼ間違いなく被災者に届けられる、と思っている。理由は、困っている人にいくべき金や物を盗む人などいないだろう、いう麗しい判断からだ。しかしそんなことはない。泥棒や詐欺師は、どんな場所にもその職業の手を休めない。
 ……
 1995年、日本財団に就職すると、私は財団が北朝鮮に医薬品を送っているということを聞いた。
 『そんなことをしても、まず「人民」には届かないでしょう』
 と私は言った。
 『いいえ大丈夫です。こちらから理事が行って、実際に配っているところまで確認しましたから』
 と優秀な官僚あがりの財団理事が言った。
 『そんなことは信じられませんよ。薬を受け取った「人民」が、私たちの前を去ったところで、一側裏の道で、官憲がまたその薬を回収していることはありえますから』
 私の言葉が不当な疑惑にとらわれていたものだと言われてrも、私は反論しない。そこには証拠がないからだ。しかし日本以外の途上国に住む人たちが聞いたら、私の危惧は決してそれほど見当違いなものだともいわないだろうと思う。
 ……
 平等や公平が大切で、その衣服の費用はどこから出たの、どうしてその村だけがもらうのかだのという日本人にはうけない話だろうが、役人の汚職と抵抗する国家元首を見たのは初めてである。
 『汚職が最後にもたらすものは、貧困』と言い切ったのは、アメリカイギリスのテレビ局だったと思うがこれは真実であろう。
 国家と国家の間で行われる莫大な額の援助では、時には国民に行く金はゼロ・パーセントだという皮肉はよく聞く。金は全部、大統領夫人のスカートや指輪に消えるからね、という『庶民』は世界中のどこの国にもいる。一般論だが、金は偉い人ほど多く盗むのである。しかし貧しい村の神父もケースワーカも、やはり少しずつは盗む。
 いったん外国の機関に入った援助の金など、誰も査察できない。対外援助の金は、日本の会社や学校や職場やマスコミの組織などで集められるが、その間に不正が行われることはきわめて少ないだろう。しかしそれが被災国に渡されたら、いつ、いかなる団体がどう責任を取って、何に使ったのか、最後まで突き止めることはまずない。おそらく相当の金が、誰かの私服を肥やすために盗まれたに違いないのだから、一般的に言ってニュースになるほどの大災害は、一部の偽政者に、法外な額の蓄財を可能にするチャンスを与える。
 日本のマスコミや学校なども、その現実に少しも対応しない。生徒が道端に立って『お願いしまーす』と寄付を叫ぶ心根はいいのだが、それがこの手の甘さを助長させる。
 ……
 貧しい国の人々は何でも盗む。援助の物資やお金。食うや食わずの人々のためのわずかな食料。病人用の医薬品。教師は金がないから、大学の資格を取るための卒業資格の費用まで貧しい苦学生の家庭に請求する。
 子供をさらって、子供自体を売るか、殺して内蔵を移植用に売る犯人グループも中国にはいる、と東南アジアの英字新聞は年に何回かはその手の記事を載せる。アフリカの田舎では、使い捨てにすべき注射器や、血液に塗れた手術用手袋なども、平気で洗って再利用する。これは盗みではないが、信頼を盗んでいると言ってもいいだろう。
 ……
 政府や援助機関に金を渡せば、必ず一部は盗まれる。一部どころかほとんどが消える場合すらある。大規模災害や、長年にわたる病気の流行などは、その手の人々にとっては、送られて来る見舞金をくすねる絶好のチャンスである。誰も口に出しては言わないが、台風や高波も毎年来てほしいというものだろう。
 だから私たちは現金を持って被災地に入り、家族や家を失って泣いている老婆がいたら、彼女の手に直にお札を握らせれば確実に援助の金は届くと考えたのである。
 『あなたは経営者でお金持ちだから、全部10ドル紙幣になさい。私はけちだから1ドル紙幣も混ぜて持って行きますけどね』
 と最初私たちは、かなり現実的なつもりだった。しかし、数分と経たないうちに、こうした計画は、実は児戯に等しいもnであることに気がついた。
 私が泣いている老婆の手に10ドルを握らせる。その金で、その夜から彼女とその家族は、半壊のバラックの雨を防ぐ古いトタンを二枚くらいは買えるかもしれない、という計算をしたからである。
 しかし計画はうまく行かない。必ず近くにその光景を見ている人物がいて、数分後にはまちがいなくその金を老婆から強奪する。
 老婆が被害に遭うだけではない。間もなく被災地には、懐に現金をしこたま持った日本人が来ているという噂が広まる。すると私たち二人は襲われる。ボコボコに殴られ、見舞い金だけでなく、眼鏡や腕時計まで奪われ、運が悪ければ殺されて捨てられる。
 金を出せば、人を助けられたと、と思う甘い発想は、子供たちにさえ許されてはならない、と私は思っている。
 しかし私はさらに難しい問題を最後には抱えている。
 実はほんとうに情け深い人、日本人よりも捨て身の人情を持っている人もまた、世界中のどこかにでもいるという偉大な現実である」




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ビジュアル歴史図鑑 20世紀

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