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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
イングランドによるアイルランド支配は、日本の朝鮮支配よりも非人道的で過酷であった。
だが、イングランドはアイルランドに対して謝罪もしなければ賠償金も払わない。
それが、世界常識である。
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主食をジャガイモとして単一栽培化した悲劇。
多様性を失った食生活は悲惨である。
ジャガイモは、アイルランドの気候や土壌に適していた事と、余り手をかけなくとも成育し、保存が利く為に、栽培された。
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日本の植民地経営とは異なる、欧米列強の世界的植民地支配。
日本には、世界の常識が無い。
日本は、世界の常識を学ぼうとはしない。
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渡辺惣樹「経済史学者ジョン・バートンは『穀物価格低下の影響は、農業労働者と製造業労働者とでは大きく異なる」ってしまうことに警鐘を鳴らし、穀物価格と死亡率の相関関係から、価格が低下すれば死亡率はむしろ上がるという逆説的な傾向を見出していました。イギリスが農業保護政策を止めた時期に、神が時をはからったように引き起こした未曾有の食糧危機でした。
『(これほどの飢饉が)それほど遠くない過去にあったこと。そしてそれが当時、世界で最も豊かな国の領土内で発生したことは実に驚くべきことであった』」(『日米衝突の根源 1858−1908』P.236・237)
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イギリス国内では、古くから、イングランド人とスコットランド人とアイルランド人が殺し合っていた。
同じキリスト教徒でありながら、カトリック教とプロテスタント各派が殺し合い、イギリス国教会とカルヴァン派も争っていた。
同じ白色人種で、同じ絶対神の隣人愛信仰を持ちながら、際限なく、殺し合いを繰り返していた。
徳川幕府のサムライには、信仰心が薄いだけに、キリスト教徒の信仰ゆえの殺し合いがどうしても理解できなかった。
それ故に、キリスト教を禁止していた。
日本の自然の神や祖先の神において、神同士が喧嘩する事はあっても殺し合う事はなかった。
日本の八百万の神々は、気が弱いだけに、気絶するぐらい血を見る事を嫌っていた。
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イギリスの人口は、1700年代に約600万人であったが1750年に650万人に増え、1760年に産業革命が起きるや、1801年に約900万人となった。
島国イギリスは、国内の人口爆発と商品の商品消費の為に、国外に食糧確保と市場拡大を目的として植民地戦争を開始した。
失業の恐れのある若者に、爵位と報奨を保証して軍隊に入隊させて海外に送り出した。
1782年から83年にかけて アイルランドで飢饉が発生した際、食糧輸出を止めるべく各港は閉鎖され、ケルト系アイルランド人の食べ物は確保された。
輸出業者や穀物商人は、食糧輸出禁止は食料価格の下落につながるとして反対運動を行った。
アイルランド政府は、外貨を稼ぐより国民の生命を守る事を優先して食糧輸禁への反対運動を退けた。
隣国のイングランドは、アイルランドから食糧を輸入していた為に飢餓に追い込まれ、アイルランドに対して激しい怒りを抱いた。
1789年 大陸国フランスは、人口爆発を国内で処理しようとして失敗した上に、異常気象で農作物生産が減少し食糧不足となった。
王侯貴族などの上流階級は、領地から搾り取った金で食糧を買い込み、飽食の贅沢三昧な生活を続けていた。
パリの下層階級は、その日の食べもに困る貧困生活を余儀なくされていた。
貧富の格差社会に不満を抱いていた飢えた人民は、平等を訴えて革命を起こし、国王と王妃をギロチン刑にかけて首を切断した。
革命政府は、革命後の混乱による内戦を終結させるべく植民地戦争に参加し、失業している若者を戦場に送り出した。
革命政府は、食糧不足解消の為に、痩せた土地でも簡単に栽培ができ、生産費用も安く済むジャガイモを北アメリカから輸入して生産を奨励した。
都市の低所得階級は、栄養価も高く、小麦に劣らず主食となり、そして市場価格の安いジャガイモを購入した。
1798年 カトリック教国アイルランドの農民は、フランスの後ろ盾を得て反英暴動を起こした。
1800年 イギリスのピット首相は、イングランドをフランスの侵略から守る為に農業国アイルランドを併合した。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立し、大英帝国が誕生した。
アイルランド島は、連合王国政府および連合王国議会による直接的統治下に置かれたが、カトリック教徒ということで宗教差別を受け、選挙権を与えられず、公務員への道も閉ざされていた。
自由貿易主義による産業を特産品に特化して独占するという産業分散に基づき、アイルランドは農業生産地とされ、製造業の発展は制限された。
アイルランドは農業国として、イングランドの食糧供給地としての存在価値を持っていた。
イギリスは、農業を保護する目的で穀物法を制定し、国内農産物を一定水準の価格に維持するべく輸入穀物に関税をかけていた。豊作で農産物が獲れすぎるや、余剰穀物を輸出できる様に奨励金を出して保護した。
農業は、国防上重要産業として、輸入食料に高関税をかけて保護していた。
アイルランド農民は、農産物をイングランドに売る事で安定した生活が得られていた為に、土地を兄弟全員で分割相続するという伝統から農地の細分化を進めた。
小作農家は、地主の土地で麦を栽培し地代として納めていたが、自宅の小さな庭地は地代の対象外とされて生産性の非常に高いジャガイモを栽培して売る事で小銭を稼いでいた。
アイルランドは、農業国家として外貨を稼ぐ為に農産物を輸出していたが、産業革命によって食糧自給力を低下させて食糧純輸入国となった。
1804年 ナポレオンは、フランス皇帝に即位した。
1815年 ワーテルローの戦い。
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1839年 イギリスは、保護貿易主義を廃止して自由貿易主義を広めようとした。
イギリス産業界は、産業革命で大量生産と大量輸出が可能になるや、自由な交易を阻む高率関税の保護貿易の撤廃を訴えた。
イギリス財界は、安い外国の農産物を購入すれば庶民は助かるとして、家計を苦しめている高率関税をかけ農業保護を行っている穀物法は廃止すべきであると訴えて、反穀物同盟を結成した。
1846年5月26日 ピール首相は、国内の商工業を発展強化する為に穀物法を廃止して、農業保護関税を引き下げた。
産業革命により安定した海上輸送網を手に入れた海洋国家イギリスは、必要な食糧を輸入できるという自信から農業を国防産業から外した。
アイルランド農家は、外国から安い穀物やジャガイモが大量に輸入された為に、農産物価格競争に負けた。穀物生産では生計が立ちゆかなくなった為に、都市における牛肉消費と羊毛需要の増加に目を付けて畜産牧畜を始めた。
アイルランドの人口は、1841年に約800万人であった。
3割以上のアイルランド農家は、生産する農作物を単一に特化してジャガイモを主食とした。
大地主や都市資本家は、畜産の為の公大な牧草地を得るべく、中小農家の豊かな農地を買い漁った。
約1,000人が、アイルランド国土の半分を所有し、3割がイギリス本国に住む不在地主であった。
農地を失った農民は、農業を続ける者は奴隷に近い小作人となり、農業を諦めた農民は低賃金労働者として各都市に移り住んでスラム街を形成した。
プロテスタントのイギリス人は、カトリック教徒のアイルランド人を薄汚い貧民と軽蔑し、無学文盲として単純労働のみを劣悪環境下で強要した。
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貧しい小作人達にとって、麦を栽培されると地代として取られたが、ジャガイモは地代がかからなかった。
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1845年から49年の4年間にわたり、ヨーロッパの気候不順で、主食のジャガイモに病気が発生して収穫が大幅に減少した。
45年7月 ベルギーでジャガイモの疫病が発生し、8月にはフランスやイギリス南部に感染が拡大した
10月 アイルランドも被害を受け、収穫量は1割前後に落ち込み大凶作となった。
イギリスは、工業製品輸出を優先して食糧自給力を犠牲にしていた為に、食糧危機は深刻であった。
ヨーロッパの死者の多くは、餓死ではなく、栄養不足による体力及び免疫機能の低下と、下層階級の衛生観念の低さによる生活環境の劣悪から発生したコレラやチフスや天然痘などの疫病とされている。
ヨーロッパで生産される農産物は、単一ではなく多種性が維持されていたた為に、飢饉が発生しても餓死者はでなかった。
ヨーロッパの貧民達は、古いヨーロッパを捨て新天地のアメリカに移住した。
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高関税による農業保護政策の廃止でジャガイモ飢餓が発生して、アイルランド人約100万人が餓死した。
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1846年 ヨーロッパ諸国は、自国の食糧を確保する為に農作物輸出を手控えた。
2年続いてジャガイモが全滅して、食べ物を失った。
同時に、ヨーロッパ各地の穀物も不作となっていた。
商人達は、わずかな穀物を買い占め、高値で売った。
ジャガイモ飢饉によって深刻な状況に追い込まれたのは、アイルランドであった。
かっては農業国として豊かであったアイルランドは、商品価値の高い羊毛や牛肉を生産する為に、耕作地の大半を家畜用の牧草地に改良し、家族の食糧用ジャガイモや小麦は庭で栽培していた。
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1847年 アイルランドでもジャガイモの疫病が蔓延して貧農の食物を奪い、飢えた農民は来年用の種いもまで食べつくした。
空腹だからと言って、貨幣価値のある羊毛や牛を殺して食べるわけには行かなかった。
羊毛や牧草は、人間が食べる食糧にはならなかった。、
ロンドンのイギリス政府は、飢えたアイルランド農民に食糧を無償で配給するという直接的救済策は財政負担が強いとして、調達した食糧を安価で売るという間接的救済策を決定した。
救済の対象を、全ての飢餓農民ではなく、土地を持たない零細農家とした。
その規定は厳格に守られ、庭の様な土地でもあれば食糧配給対象から外された。
飢餓農民は、配給を受けるために、都市の投資家や大型牧畜農家には家や農地を二束三文で売った。
天候がわずかに回復してジャガイモが収穫できたが、絶対量は依然と不足していた為に飢餓が深刻化した。
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1848年 天候不順と疫病でジャガイモは壊滅し、餓死が広がった。
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アイルランドの農地は、田園的食糧生産地から牧歌的牧草地に変わった。
それは、聖書の中に描かれた遊牧民社会である「エデンの園」であった。
普遍宗教の聖書は、「カインとアベルの逸話」で、土に塗れて生産する農業は罪を犯した罪人の罰と教えていた。
都市の企業家は、工場の生産量が減少する事を恐れて、低賃金労働者に最低限の食糧を確保するべく、アイルランドで小麦など被害のない穀物類を大金を出して買い漁った。
アイルランド外に住む貴族や地主は、アイルランドからの食糧移送を禁止する法案に反対し、穀物に余裕のある農家から購入してイギリスの都市部で高値で売って大金を手に入れた。
アイルランドから大量の食糧がイギリス本島に運び出された為に、穀物価格は高騰し、食べ物を買う金のない貧困農家から多くの餓死者を出した。
農産物輸出業者は、船積みされた食糧が飢えた暴徒に奪われない様に武装した護衛を付けて、貨物船をアイルランドの港から出港させていた。
食糧移出は、前年の二倍となった。
キリスト教会も、資産家から浄財の寄附を得て、都市部の困窮者救済を行ったが、農村部人口は都市部よりも多かった為に支援の手が行き届かなかった。
イギリス政府は、未曾有の食糧危機に直面し、イギリス人農家への救済を行ったが、アイルランド農家への救済には消極的であった。
キリスト教諸国では、貧困者への救済はキリスト教会の重要な使命であって、政府は救済より国防を優先していた。
アイルランドでは、1851年までに約100万人が餓死した。
運命論者は、凶作による餓死は、人口が増えすぎたアイルランドを適正数に調整する為の、絶対神の「見えざる手」と受け入れた。
アイルランド人の多くが、食べ物を求めてイギリス、オーストラリア、カナダそしてアメリカに移住したが、各地で差別的待遇を受け劣悪な労働環境で重労働を強いられた。
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イングランド人は、アイルランド人を差別し、数百万人が飢えて、数十万人が餓死しようとも気にはしなかった。
世界史・大陸史での人種差別とは、それ程、非常なものである。
敗者には、死があるのみでる。
敗者の権利は、勝者が恩情で与えられるもなあって、それ以外に存在しない。
敗者には、如何なる要求も行う事は許されない。
世界の常識は、敗者の泣き言を許さない。
泣き言を言う敗者は、軽蔑され、馬鹿にされ、嘲笑の眼差しを向けられるのみである。
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金儲けの輸出産業を優先する為に、国内での食糧自給自足を低下させた国の悲劇である。
弱肉強食の自由放任主義的市場原理社会では、貧富の格差が広がり、経済的弱者には生きる資格がなかった。
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アメリカは、急速な経済発展が多くに単純労働者を必要として、アイルランドからの移民を歓迎した。
だが。アイルランド人移住者は極貧の為に、船底に近い窮屈な三等船室の乗船券が買えれば良い方で、買えない者は貨物船の資材船倉の床に藁を敷いて雑魚寝した。
その劣悪環境の為に、コレラやチフスなどの伝染病が発生した。
大西洋横断中に多くのアイルランド人移民が死亡して、屍体は海にゴミの様に捨てられた。
その扱いは、中国人苦力よりも酷かったと言われている。
アイルランド人移民を運ぶ船は、死亡者が多かった為に「棺桶船」と呼ばれていた。
北米大陸に伝染病を持ち込ませない為に、アメリカはニューヨーク沖のエリス島で、カナダはケベックシティー近くのグローセ島で、到着した移民を隔離し、感染の有無や健康状態が厳しく検査した。
検疫収容中にも多くのアイルランド人移民は死亡し、埋葬される事なく海に捨てられた。
検査に合格した移民は上陸が許され、不合格者は送り返された。
貧困層出身で、文盲で無学の上に手に職を持たない者が大半の為に、単純労働者として職を求めて大陸に散っていった。
アイルランド人150万人以上は、イギリスを捨てて北米大陸に移住し、その多くは後にアメリカに移住した。
この中に、ケネディ家も含まれていた。
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1851年 ジャガイモの疫病がようやく収束し、餓死する者がいなくなった。
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1860年 イギリスは、フランスと包括的な自由貿易協定(コブデン・シュヴァリエ)を結んだ。
イギリスの農業関係者は、関税が廃止されるとフランスから安い農産物が大量に押し寄せて、競争力のない農家は淘汰されイギリス農業は滅びてしまうと猛反対した。
イギリス政府は、農業関係者の反対を押し切って協定を締結し、農業保護に使っていた税金を貿易拡大の為のインフラに投資した。
工業製品を国外に広く輸出する為に、国策として造船と海運に資本を集中させた。
金融力強化策として、民間で備蓄されていた資金を利回りの高い途上国投資に向かうように誘導した。
イギリス農業は、競争力を付ける為に自助努力を行い、技術革新と経営改善で農産物の品質と生産量を向上させた。
その結果、安定した食糧供給が維持できた。
農村の余剰人口は、都市部の労働者として流入した。
地方出身労働者は、生まれ育った故郷の食材を消費する事で、食料輸入量は思った以上に増えず食糧自給率にも変化はかった。
輸出産業の好景気で労働賃金が上がるや、地方出身労働者の所得も増え、食料などの生活費に費やされ、その一部を実家に送金した。
農村部に備蓄された資本はさらなる生産向上に投資され、農村の生活は安定し、新たな国内消費を生んだ。
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1863年 アイルランド系移民は、カトリック教徒として英語を話すだけが取り柄で、教育も財産も生計を立てる技能もない下層階級出身の為に、東部の各都市や港湾に留まって低賃金の単純労働に従事した。
新たな白人移民は、黒人やアジア人とは違って市民権が与えられた。
アメリカ上流階級では、プロテスタントが主流であった為に、カトリック教徒で文盲に近いアイルランド人とポーランド人など東欧出身者を軽蔑し差別した。それにひき替え、ドイツ人やロシア人は英語が話せなくとも教養人として暖かく受け入れられた。
白人社会は、同じ白人キリスト教徒でも出身国で激しい差別があった。
アイルランド人やポーランド人らは、白人社会の底辺で虐げられる下層民として、その鬱憤を黒人にぶつけて発散した。
3月3日 リンカーンは、南北戦争で新たに30万人以上の兵士が必要となった為に、市民権を持つ者に対して徴兵令を発布した。
徴兵は、公平を期す為にくじ引きで決められた。
ただし、300ドルを支払えば徴兵免除とされた。
くじ引きに当たったアイルランド人らは、徴兵を逃れる為の300ドルがなかった為に、黒人奴隷の解放を大義とした戦争に駆り出される事に激怒した。
徴兵命令が来たアイルランド人5万人以上が、ニューヨーク・イーストサイドに集合して暴動を起こした。人種差別から、黒人を見付けるや暴行を加え、中には殺害してハドソン川に投棄し、黒人女性なら強姦した。
虐げられて来た不満から、アイルランド人経営の商店でない店を襲撃して掠奪を行い放火した。
政府は、南軍との熾烈な戦闘中に、ニューヨークなどでの暴動に危機感を抱き、軍隊を出動させて武力で暴動を鎮圧させた。
3日間の犠牲者は1,000人以上で、黒人の被害者は不明とされている。
政府は、戦争の勝利を優先して、アイルランド系移民に対して懐柔策を取り、差別を控え上流階層への道を広げた。
アイルランド人は、選挙権を利用して政治家の当落を左右し、政府との癒着で利権を手にして財力も付け、上流階層に確固たる基盤を築き政治的影響力を強めていった。
アメリカン・ドリームで、成功するアイルランド人が急増した。
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1877年 73年のジェイ・クック商会破綻から続く経済不況で、白人低賃金労働者の不満が爆発して暴動が各地で起きていた。
白人労働者は、労働組合の指導のもとで、賃金の値上げと職場環境の改善を求めてストライキを行っていた。
経営者は、ストライキ潰しとして、中国人苦力を雇用して工場に送り込んで生産を続けた。
マルクス主義系ワーキングメンズ党は、経営者が賃金の安い中国人苦力を大量に輸入して職場から白人労働者を追い出していると訴えた。
白人暴徒は、人種差別から、中国人を見付けるや暴力を振るい、中国人商店を襲撃して掠奪した。
ハーバード・スペンサー「支那人労働者の存在は、我がアメリカに向けられた呪いの様なものだ。道徳を退廃させ、我々白人の生存さえ危うくする。彼等の移住は制限されるべきだし、永久に締め出さねばならない」
7月21日 ペンシルヴァニア州ピッツバーグ暴動。
7月23日 サンフランシスコ暴動。
サンフランシスコの人口。1870年。白人13万59人。中国人1万1,728人。
1879年 アイルランド系議員を中心とした移民規制派は、中国から入港する船一隻に対し中国人移民15名以上を禁止する数量規制を要求した。
1880年10月31日 コロラド州デンヴァー暴動。
11月17日 アメリカは、清国と移民規制処置を取り決めたエンジェル条約を締結した。
清国は、南でフランスと北でロシアと東で日本と外交懸案を抱えていた為に、屈辱的条約であったが受け入れた。新たな移民を出さない代わりに、アヘン売買からアメリカ企業の完全撤退を約束させた。
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1882年5月6日 アメリカ議会は、支那人排斥法を可決し、中国人苦力の向こう10年間にわたって入国を禁止した。ただし、ビジネスや留学は引き続き認めた。
中国人は、アメリカで金を稼ぐ為に、アメリカ渡航に必要な書類を偽造して不法入国していた。
アメリカの企業や犯罪組織も、中国人から高額の手数料を貰って入国を手引きした。
アメリカ各都市のチャイナ・タウンは、中国からの不法入国者を匿った。
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1890年 アメリカ議会は、中国などの非白人移民が増えるのに危機感を持ち、選挙権を含む市民権を申請できる移民は自由な白色人種で、2年以上アメリカ国内に居住する者と規定した。
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アメリカは、貧富の格差と人種差別の社会である。
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イギリスは、大規模農業による食糧生産が不向きな狭い国土と気候風土の為に、増えた人口の食料をヨーロッパ諸国に依存する事にした。
起伏の少ない国土を利用して羊を飼い、毛糸・毛織物を生産して輸出し、必要な食料を輸入した。
各地で、農産物生産農家と家畜・農産物兼業農家との争いが頻発していた。
保守的領主は、自給率を維持する為に農産物農家を守ろうとしたが、安い外国産農産物の大量輸入で領地収入を減らして困窮した。
都市の企業家は、小規模な手工業で毛糸・毛織物を生産して高値で輸出し、安い食料を大量に輸入して、大金を稼ぎ資本を蓄えた。
都市の資本家は、商売を拡大する為に、生活難に喘いでいる封建領主に生活資金を援助する見返りとして領地を借り受けて大量の羊を飼った。
広大な放牧地を確保する為に、農地を潰し、森林を切り開いた。
イギリスの自然災害は、寒冷や大雨など多くなかった為に、深刻な飢餓に陥る事も少なかった。
機械織りの動力源として多くの薪を必要とした為に、計画性もなく手当たり次第に乱伐した。
その結果。中世では国土の15%が森林であったが、18世紀中頃には10%以下に迄減少し、燃料不足に陥った。
森林消失に伴う燃料不足を補う為に、新たな燃料として着火生が悪く大量の煤煙を出す石炭を使った。
薪から石炭への燃料転換によって、1760年代に産業革命が起きた。
産業革命によって生産されたヨーロッパ製商品は、他の文明圏に輸出された。
イギリスは、ナポレオン戦争でヨーロッパ大陸から追放され食糧を輸入できなくなり、国民を飢えさせない為に世界中に高速の蒸気船を派遣して食料を緊急輸入した。
イギリスは、足りない物を海外からの輸入に頼る事で海洋国家に発展した。
海洋国家と島国の違いは、海外に依存するか自国内で自給するかの違いである。
西洋の近代的資本主義とは、安い外国の物を奪ってきて高く売って利益を上げ、資本を蓄える事であった。
ヨーロッパの人口爆発に伴う食料危機は、海外からの食料輸入で回避された。
西洋諸国は、食料の買い付けに大金を払う事は利益の減少につながると判断して、利益を減らさない為に植民地化し、生存に必要な農地と労働力を確保した。
西洋諸国は、ヨーロッパ地域の自然破壊で食糧生産が減少しても、高い商品を輸出して安い食料を輸入すれば「マルサスの罠」は回避できるとして、植民地拡大の帝国主義政策に暴走した。
世界史的な近代化とは、人類の文明化ではなく、自然破壊そのものである。
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