🎄64」─1─ルーズベルトの罠。戦勝国イギリスの衰退、敗戦国ドイツの復興。~No.217 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2017年8月号 Voice「人間本然主義の視点 松下幸之助
 国家の方針や施策が当を得なければ、国民は生き生きと働くこともできず、幸せにもなれない。それまで実業一筋に歩んできた私が、そう身に染みて感じたのは、あの大戦後の混乱のなかで、働きたくても働けない、というような状況に身を置いたときでした。そして、その思いは、昭和26年、初めて欧米の国々を見て回って、さらに強くなりました。
 今回はドイツ、イギリスで感じたことの一端を、当時の記録に基づいて記してみたいと思います。
 私は、オランダからドイツに入ったのですが、訪れた商業都市フランクフルトは、ご多分に漏れず、激しい爆撃にやられていました。街の外見は、戦争の残骸がそのまま残っているという感じで、復興が進んでいるようにはとても見えません。ところが、実際に内部に入ってみると、一部が崩れている建物をうまく修理され、文化的な設備も十分整っていました。また、道路もわが国のそれとは比べものにならないほど整備され、底力のある復興が進んでいることがひしひしと感じられました。宿泊したフランクフルト・ホテルの内部も、敗戦国ということはまったく感じられず、料理もなかなか豪華でしたし、イギリスのジョニー・ウォーカーをはじめ、あらゆる種類のウイスキーが自由に飲めました。
 一日、汽車に乗って、フランクフルト郊外にある自動車会社、オペルに見学に行きました。ドイツでは、そのとき初めて汽車に乗っのですが、駅に行ってまず驚きました。非常に荒れていて汚いのです。その上、やって来た汽車はといえば赤さびだらけで、まず日本を鉄道のほうがきれいだと思いました。
 ところが、オペルの工場に行ってみると、これがまた驚くほど美しく整備されているのです。『あなたの工場は何の被害もなかったのか』と聞くと、『いや、半分ほどの工場がやられた』といって、図面で説明してくれました。それらの工場を丹念に修理して、すでに月間1万台の生産台数に達しているというのです。
 駅や汽車の姿とオペルの姿。この二つのあいだにどうしてこれほどの大きな差が出きたのか、何とも不思議な気がしましたが、これはおそらく、鉄道と自動車工場の経営形態の違いによるところが大きかったのでしょう。
 つまり当時、鉄道は国営で、しかも四つの管理国によって管理されていました。ですから、ちょうど一つの経営体に4人の管理者がいるようなもので、経営が何事も複雑になり、やりにくい。それに引き換えオペルは民間企業で、自由な立場に立って復興再建の方策を進めることができるから、おのずから、両者のあいだに違いが出てくるのではないか。そんなことを考えたりもしたものです。
 その後、フランクフルトからパリを経由してロンドンへ回りました。ロンドンではサボイ・ホテルという一流のホテルに泊まったのですが、そのホテルの感じや、街を歩いた印象では、さすが伝統の国、しっとりと落ち着いていて、立派なものでした。
 ただ、不思議に思ったのは、食料の統制をやっているのです。敗戦国ドイツには統制がないのに、戦勝国イギリスに厳格な統制がある。サボイ・ホテルといった一流のところでも、パンに添えて出されるバターが、まるで紙のように薄く切ってある。また、本場のスコッチウイスキーを飲もうと思っても、ホテルにはもちろん、街中どこを探しても売っていない。そこである人に『なぜ本場であるイギリスに、ジョニー・ウォーカーが売られていないのか』と聞きますと、『もちろん、昔どおり製品はどんどん造っているが、全部海外へ輸出し、外貨を稼いでいるのだ』という返事でした。
 これには一面、割り切れない思いがしたのです。イギリスでは、それを国民の耐乏生活だと称していましたが、もちろん、その趣旨はよくわかります。けれども、問題はなぜそんなに耐乏しなければならない状況が起こったのかということです。外国から金を借りているという点からすれば、ドイツでも同じです。いやむしろ、ドイツのほうが多いでしょう。にもかかわず、ドイツのほうが、戦勝国イギリスよりはるかに食料事情もよく、バターでも何でも何倍かの贅沢をしつつ、結構力強い復興を遂げている。ですから、イギリスが耐乏生活をしなければならない理由は何か外のところになければなりません。
 私はその一つの大きな理由は、イギリスが戦後6年間に先行させてきたいわゆる社会主義政策にあるのではないかと考えました。だいたい社会主義というのは、その運営によろしきを得れば、非常に好ましいものだと思います。すべての人びとに十分な食料、衣料、住宅を与えることは、すべての人が望むところで、それ自体は非常に良いことです。しかし、これを実際に可能ならしめるためには、まずそれだけのものを生産することに成功しなければなりあせん。
 当時私は、生産活動を活発にするためには、自由を尊重し、国民の自主的な活動を促す資本主義がやはり向いており、資本主義によって生産したものを分配するにあたっては、社会主義の考え方を取り入れることが大切ではないかと考えていました。ところが、イギリスでは、戦後になって、資本主義をずっと後退せしめて、社会主義政策を先行させた。そのために、戦勝国であるにもかかわらず、蓄積をじりじり消耗して、国民に耐乏の生活を強(し)いざるをえないようになったのではないか。
 このことをよく通俗的にくだいていえば、資本主義は一家の主人であり、社会主義はその妻である。つまり主人、すなわち資本主義が外に出て金を儲け、それを妻、すなわち社会主義が受け取って適正に家族に分配し、それによって一家を切り盛りしていく。一家の幸福とか安定は、主人と妻の働きが調和したときに初めて生まれる。
 一国の経済についても同様で、資本主義によって物を生産し、社会主義によってこれを分配する。そのように、資本主義と社会主義はもともと相反するものではなく、一体化するべきものではないか。だからイギリスが真の繁栄を実現しようとするなら、国民が生き生きと働ける方策をもっと力強く実施しなければならないだろう。ドイツでの体験と重ね合わせて私はそんなことを考えたのでした。
 もう35年も前のことをお話ししたわけですが、その後のイギリスや世界の状況を見るとき、当時考えたことは、基本的には誤っていなかったのではないかと思います。一国の繁栄発展のためには、資本主義とか社会主義とかいうことにとらわれず、両者の良いところを生かし、人間の本質に基づいて、国民が生き生きと活動できる、いわば人間本然主義ともいえる体制や方策を取っていかなければならないのではないでしょうか。
 考えてみれば、わが国は、戦後何年間はともかく、今日までのあいだに比較的うまくこのことを行ってきたといえるのかもしれません。だからこそ、ここまで発展してきたのでしょう。しかし、内外にさまざまな問題を抱えたいま、国家運営の在り方にさらに工夫を加え、日本国民ばかりでなく他の国民をも生かすものを生み出していかなくてはなりません。難しいことですが、そのことに成功しないかぎり、日本の真の繁栄も国民の幸福もありえないでしょう。
 21世紀の日本と世界を考えるにあたっては、どんな施策が人間の本質に適(かな)っているか、人間本然主義の立場からあらためて見直す視点をやはり欠くことはできないと思うのです」


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