🎄30」31」─1─メキシコ内戦。日本代理公使堀口九萬一はマデロ大統領夫人らを保護した。アメリカは、日本の中南米進出と危機感を抱く。1901年~No.101No.102No.103No.104No.105No.106 @ 

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

  • 作者:柏倉康夫
  • 発売日: 2008/10/06
  • メディア: ハードカバー
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 1901年 マッキンリー大統領は、中米地域で独占的に運河する事に反対するイギリスと交渉し、アメリカが単独で運河建設し運河地帯にアメリカ軍が駐屯する事を認めさせた。
 マッキンリー大統領は、暗殺された。
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1902年1月 アメリカ議会下院は、ニカラグア運河建設法案を可決した。 パナマ派は、ニカラグアのモモトンボ火山の噴火を天恵として、火山国のニカラグアは運河建設に適さずパナマが最適であるとの世論を形成した。
 新たに大統領になったセオドア・ルーズベルトは、パナマ運河建設案を支持してニカラグア案を退けた。
 ニカラグアのセラヤ大統領は、自国内に運河を通す為に、アメリカとの提携を諦めて、ドイツとの横断鉄道建設に合意し、日本に運河建設を持ちかけた。
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 1903年 アメリカは、フランスが失敗したパナマ運河建設に乗り出し、コロンビア政府とヘイ=エラン条約を締結した。
 セオドア・ルーズベルト大統領は、同条約で、「運河を建設し、それを支配する事」を認めさせた。
 コロンビア議会は同条件は屈辱的あるとして批准を拒否し、コロンビア国民は大国アメリカの横暴に反発した。
 パナマ人独立派は、コロンビアとアメリカの関係が険悪となった事を利用して、コロンビアから独立する為にアメリカに支援を要請した。
 新パナマ運河会社のフランス人フィリップ・ビュノー・ヴァリラは、ルーズベルト大統領とヘイ国務長官に、運河建設の為にパナマ独立への支援を要請した。
 ルーズベルトは、アメリカ大陸の影響力を強化するというモンロー主義政策から、パナマが独立を宣言したら支援の為に48時間以内に軍艦と部隊を派遣すると約束した。
 11月3日 パナマ独立派は、コロン市庁舎前での独立を宣言し、パナマに駐屯していたコロンビア守備隊を監禁した。
 アメリカは、ただちにパナマ共和国を承認し、コロンビアの反撃に備える為に軍艦9隻と部隊を派遣した。コロンビアは、アメリカの砲艦外交に屈して独立を認めた。
 ビューノ=ヴァリラは、パナマ特命全権大使としてワシントンに赴き、ヘイ国務長官と運河建設に関する条約を締結した。
 ビューノ=ヴァリラは、条約の詳しい内容を本国に知らせず、政府の承認を得ず独断で調印した。
 アメリカは、パナマ運河の建設権、運河地帯の所有権、運河の永久使用・占有・支配の諸権利を手に入れた。
 そして、パナマキューバやドミニカに次いで保護国とした。
 パナマ政府は、アメリカの裏切りに激怒したが、戦争をしてまで名誉を守る国力がなかった為にパナマ運河条約を受け入れた。
 ルーズベルトは、日本の太平洋地域での影響力増加に危機感を抱き、パナマ運河の建設を急がせた。
 運河は、1914年に完成した。
 アメリカの海軍長官の諮問機関である海軍将官会議は、「1年2艦政策を基本とした戦艦48隻を基幹とする艦艇を1920年までに完成させる」という建艦計画を、海軍長官に提出した。
 日露戦争後。海軍関係者は、日本海軍脅威論の主張し、西海岸防衛の為に大西洋艦隊の半数を大平洋に常駐させるべくであると警告した。
 ルーズベルトは、パナマ運河が完成する前に艦隊を分割するのは危険であるとして、海軍修正案を退けた。
 日本海軍は、アメリカを仮想敵国とし、アメリカ海軍に対抗する為の八・八艦隊構想を基に建造計画を進めた。
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 1907〜09年 アメリカは、戦艦16隻からなる艦隊の世界就航を明らかにした。目的は、平和の為ではなく、日本への威嚇であった。
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 タフト大統領(任1909〜13年)は、内政面では革新主義的政策を行い、対外的にはドル外交を行い経済力を通じて中南米諸国に圧力を加えた。09年 海兵隊は、ニカラグアを占領して親米政府を樹立した。
 タフト政権は、満州市場への経済進出をはかる為に、日本に門戸開放の実現を強要した。日米関係は、前政権から移民問題等の難問で険悪化していた。
 アメリカは、アジアにおける日本の影響を排除もしくは縮小する為の、対日強硬策を始めた。
 日本と天皇は、民族的生活圏を死守する為に、味方からの援軍もなく、単独で悪戦苦闘していた。
 苦境に立つ日本の脇腹に毒付きの短剣を突き付けていたのが、反日派朝鮮であった。朝鮮は、古代から反日として、日本の敵であった。
 アメリカは、相互不干渉を原則とするモンロー主義で、自国の安全保障上の理由で南北アメリカ大陸から非友好国を排除していた。
 日本の企業に対して、中南米経済圏の門戸開放を拒否し、中南米大陸での自由な経済活動を不可能に近い制限を加えていた。
 だが、ヨーロッパの資本に対しては門戸を開放し、融資すれば共同経営を許可していた。
 アメリカは、国策として経済活動に関し、ダブルスタンダードを日本に押し付けていた。
 白人優位の宗教的人種差別主義者は、各地で日本人移民排斥運動を起こし、暴行や強姦を発生させていた。
 警察は、日本人よりも白人の権利を優先した為に、日本人移民は泣き寝入りした。
白人優位の宗教的人種差別主義者は、各地で日本人移民排斥運動を起こし、暴行や強姦を発生させていた。
 警察は、日本人よりも白人の権利を優先した為に、日本人移民は泣き寝入りした。
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 1909年 アメリカの人種理論家ホーマー・リーは、将来、非キリスト教国日本は必ずアメリカを攻撃するとの論文を発表した。
 リーは、正規の職業軍人ではなかったが、狂信的反日家として、その戦略的軍事思想は現役の軍上層部からの絶大なる支持を得ていた。
 アメリカ軍は、日本を仮想敵国と認定し、アジアにおけるアメリカの権益と植民地フィリピンを日本軍の侵略から防衛する為に、対日戦の研究に力を入れた。
 中国の革命家孫文も、彼に中国軍の大尉の肩書きを与え、対日戦略で助言を与えていた。
 10月 アメリカは、パナマ運河防衛政策から運河地帯に海兵隊を駐留させた。2年後。太平洋側からの攻撃から運河を防衛する為に、エクアドル政府からガラパゴス諸島を1,500万ドルで99年間租借する協定を結んだ。ガラパゴス諸島に、対日戦開戦と共に空軍基地を建設して運河防衛の任に当たった。
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 1910年 メキシコのタンピコで、巨大な油田が発見された。メキシコの石油の埋蔵量は、アメリカに次いで世界第二位となった。
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 1911年 カーネギーは、人種差別組織であるアメリカ育種家協会の「人種の欠陥遺伝資源を撲滅する最適な実用手段」という研究に資金を提供した。
 ロックフェラー財団も、北欧系白人種を守り劣等な血統を撲滅する為に、優生学に巨額の資金を提供した。
 メキシコで革命が起き、ポルフィリオ・ディアス独裁政権アメリカの支援を受けたフランシスコ・マデロによって打倒された。
 アメリカのタフト大統領は、パナマ運河の安全とメキシコ石油の確保を目的としてマデロ政権を支援した。
 メキシコ国民は、テキサスやカリフォルニアなど北部を奪われた恨みから反米的であった。
 反米派は親米政権のマデロを激しく非難し、一部の過激派は武力闘争として各地で暴動を起こしていた。南部の農民は、農地の再配分を要求して蜂起した。
 マデロは、反対派の暴動や農民の叛乱を鎮圧するために軍隊を派遣した。
 アメリカは、アメリカ資本を保護と国境周辺の治安を維持する為にマデロ支持を放棄し、より親米的な軍人による政権をつくる為にクーデター画策した。
 旧ディアス派の軍人は国内の混乱に乗じて武装蜂起して、政府軍との間で激しい市街戦を行った。
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 1912年 当時の石油生産は、アメリカが65%以上、ロシアのバクーが19%、メキシコが5%であった。
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 1913年 メキシコの内戦により、マデロ大統領とピノ・スアーレル副大統領が暗殺された。
 議会は、ビクトリアーノ・ウエルタを大統領に任命して事態の収拾を図った。
 日本代理公使堀口九萬一は、助けを求めてきたマデロ大統領夫人とその家族約20名を公使館に保護し、追ってきたクーデター派兵士を公使館侵入を食い止め、彼等を守った。
 ベルギー人のスチナ公使夫人は、公使館員を指図して避難者の面倒を見た。
 堀口は、ソウル勤務中に閔妃暗殺に加担し、逮捕収監されていた。
 中南米諸国は、内戦が収束する事を願ってウエルタ政権を承認した。アメリカのウィルソン大統領は、民主主義的な総選挙で選ばれた政府ではないとの原則論から承認する事を拒否した。
 ウエルタ大統領は、アメリカの支援を得られず、不安定な政権運営を余儀なくされた。
 国際的信用を強化して政権の安定を図る為に、承認した諸外国の外交団と積極的に会談を繰り返した。
 特に、亡きマデロ大統領夫人とその家族を大使館で保護してくれた日本の堀口九萬一代理公使に、感謝と変わらぬ友情を表明した。
 堀口の後任として赴任した安達峰一郎公使に対して、ウエルタ大統領は国家を上げて歓待し、日本との友好を強調した。
 ウエルタ大統領は、アメリカの干渉を抑制する為に親日ポーズを殊更に強調した。
 コリマ州知事「小さな日本がロシアに勝ちたるが如く、我メキシコも日本に習いこれを友としてアメリカに打ち勝つべし」
 アメリカは、日本とメキシコの関係が深くなる事に警戒した。
 メキシコ在住のイギリス・フランス・ドイツの外交団は、メキシコの混乱に付け込みメキシコ利権を分け合う為の分割案を協議し、日本にも極秘で参加を求めた。
 安達公使は、欧米列強がメキシコ問題解決の為に共同歩調を執りつつある事に懸念を抱き、イギリス・ドイツ・フランスの駐在日本大使に各国政府の調査を依頼した。
 各国駐在大使からは、本国政府はアメリカとの関係を重視してメキシコ問題解決に深入りする意志がなく、メキシコの駐在公使による独断専行との回答が寄せられた。
 年末。イギリス・ドイツ・フランスは、アメリカと協調し、メキシコの政情不安を理由にして軍艦を派遣した。太平洋側に、アメリカ8隻、ドイツ1隻。メキシコ湾側に、アメリカ11隻、イギリス・フランス・ドイツ各1隻。
 日本も、邦人移民の保護を理由にして一等巡洋艦出雲を派遣した。
 ニューヨークタイムズは、日本の軍艦の派遣は自国の利益を中南米地域に拡張する意図があると警鐘を鳴らした。
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 2015年4月22日 産経ニュース「大統領家族救った知られざる「サムライ外交官」 メキシコで堀口九万一たたえる式典
 メキシコ革命時の1913年、クーデターに遭った当時の大統領の夫人ら親族を日本公使館で保護したとして、当時の臨時代理公使で詩人堀口大学の父、堀口九万一をたたえるプレートを披露する式典が21日、メキシコ上院で開かれた。
 ウエルタ将軍が起こしたクーデターの際、マデロ大統領の親族ら20人以上が助けを求め、公使館に逃げ込んだ。公使館が攻撃される可能性もあったが、「サムライ外交官」と呼ばれた九万一は保護を続け、人道的対応が評価されている。
 マデロ大統領はクーデター後、殺害されたが、一族は無事に公使館を出た。
 プレートの制作は、この逸話を知ったマルティネス上院議員らの後押しで実現した。マルティネス氏は21日の式典で「後の世代にも(両国の間の)輝かしい出来事を忘れないでほしい」と強調。バルボサ上院議長も「隠れた史実だが、メキシコと日本の際立った(友好)関係を象徴している」と語った。(共同)」


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神道―日本生まれの宗教システム (ワードマップ)

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