🎄36」37」─1─メキシコは、国内のスタンダード石油を国有化し、石油の販路をナチス・ドイツに依存して、軍国日本に国内油田調査を依頼した。1938年~No.119No.120No.121No.122No.123No.124 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 1938年 ニコラス・スパイクマン「ヨーロッパ連合の夢が実現でもしない限り、今から50年間は、中国、インド、アメリカ、ソ連が世界の4大国になるだろう」(エール大学の地政学者)
 アメリカの地政学は、戦争によって経済的な競争相手を衰退させ、ドルを基軸通貨として金融・経済で国際市場を支配し、新しい枠組みによって新秩序を建設する事であった。
 つまり、政治面での国際連合と金融・経済面でのブレトンウッズ体制である。
 アメリカ議会は、食糧価格を安定させる為に農業調整法を成立させた。
 大手穀物商社は、伝統な労働集約型家庭経営農家が不利益になろうとも、収穫量を上げる為に大規模経営に転換する為に資本集約型農業経営を導入しようとしていた。
 商社は、企業利益を上げ、投資家への配当を確保する為に、利用できる議員に政治献金を渡して同法案を骨抜きにした。
 21年に畜産業者を守る為の法案であった精肉加工・家畜業者法も、精肉加工産業の費用に見合った以上の収益を上げる為に無力となり、安全衛生面の規制が緩和された。
 農務省は、1862年にリンカーン大統領によって人口の半分以上の農家を保護し、食糧を安定供給する為に設立された。
 時代が下り、市場原理主義が主流になるや、農業従事者の保護ではなく投資家の配当優先となり、中小の独立農家は企業の下請けとしての自由のない契約農家に転落した。
 新たな農業奴隷の誕生である。環境保護庁も、各種産業団体の利益を保護し、カルテルに参加しない独立系企業を潰す為に集中検査を行った。
 アメリカの水質及び土壌の最大汚染源は、こうした大規模化した農業であった。
 A・A・バール・ジュニアは、ラテン・アメリカ担当の国務次官補に任命されるや、ベネズエラやブラジルなどでスタンダード石油の利益追求に便宜を図を事はアメリカの国益に叶う事であるとして行動した。
 安い原材料を手に入れ、アメリカ製品の販路を拡大した。
 自由貿易路線から、閉鎖的市場の開放に同意する独裁者や支配階級を支援して、貧しい人民を切り捨てた。
 米大陸間問題調整官(CIAA)ネルソン・ロックフェラーは、イギリスの安全保障調整機関(BSC)と協力して、中南米大陸からナチス・ドイツの経済利権を排除する為に活動していた。
 イギリス情報員スティーブンソン卿は、ニューヨークのロックフェラー・センター内に事務所を構えて謀略活動を行った。
 ロンドンで、スタンダード石油ティーグル会長とIGファルベンのハーマン・シュミッツ会長が極秘会談を行った。
 議題は、オクタン価の高い航空燃料を生産するに必要なテトラエチル鉛の供給についてであった。
 エチル添加物の特許を所有しているのは、スタンダード石油、デュポン、ゼネラル・モータースであった。
 ドイツ軍は、航空機や戦車を動かすためにテトラエチル鉛を必要としていた。
 だが、スタンダード石油は中南米からドイツ空軍に航空機用燃料を輸出していた。
 ドイツ空軍によるロンドン空襲が始まるや、イギリスは利敵行為として抗議した。
 スタンダード石油は、船舶登録をパナマに移し、モロッコスペイン領サハラ沖にあるカナリー諸島のテネリフェ島まで石油を輸送した。
 そこで、ドイツのタンカーに積み替えられてハンブルクへと運ばれた。
 ロックフェラーは、スタンダード石油のベネズエラ子会社クレオール石油の取締役として、石油と食糧に関する投資を行っていた。
 メキシコのラサロ・カルデナス大統領と、メキシコのスタンダード石油に関する交渉を続けたが失敗した。
 カルデナス大統領は、国内のスタンダード石油を国有化し、イギリスと国交を断絶した。石油の販路をナチス・ドイツに依存し、国内油田調査を日本に依頼した。
 アメリカは、日本の進出を警戒した。
 ロックフェラーは、40年代にメキシコ・アメリカ開発社を設立し、食糧問題を利用してメキシコの地盤を回復させた。
 アメリカ政府保証を取り付け、中南米の新聞社1,000社以上を支配し、アメリカの防衛構想を強化しながらロックフェラーグループの利益も増やした。
 2月 アメリカの証券取引委員会は、スタンダード石油とIGファルベンの提携はアメリカの中立的立場に叛く行為であるとして調査を開始した。
 スタンダード石油やデュポンは、ナチス・ドイツが戦争できる様に石油と金を与えた。
 秋。アメリカは、中国に日本軍と戦う為の支援として2,500万ドル借款を行い、日本に対しては軍事行動を妨害する経済制裁を強化した。
   ・   ・   ・   
 1939年 ナチス・ドイツソ連が共同でポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が勃発した。
 中南米諸国には、日本人の移住者は約45万人であったが、ドイツとイタリアからの移住者は500万人以上であった。
 日本人移住者は、契約肉体労働者として、白人の農園主などに人間以下の農業家畜の様に重労働を強要されていた。
 移住募集の謳い文句に吊られて大陸に渡ったが、現実は真逆で過酷なものであった。白人経営者は、日本人を人間とは見ず、奴隷の様に扱った。
 過酷な自然と労働条件に絶望した日本人移住者は、逃亡するか、日本に帰国した。
 日本を出た移住者の多くは、日本を捨てて出た後ろめたさから帰国せず、奴隷的重労働に耐え、日本からの支援のないなかで明日に希望をつなぎ、自分の特技を見出して生き抜いた。 
 白人キリスト教徒であるドイツ人やイタリア人の移住者は、多額の所持金を持って農園主や企業家となり、支配階級の一員となった。
 哲学者フリードリヒ・ニーチェの妹エリザベートは、パラグアイ奥地にアーリア系ドイツ人のみの新ゲルマニア植民地を建設する為に、ナチ党から多額の資金を得て活動していた。
 ヒトラーは、中南米大陸の石油、ニッケル、鉄鉱石などの豊かな鉱物資源や食糧などの主要産物を支配する為に、数多くの工作員を派遣して、政情不安を引き起こし、アメリカの支配体制を弱体化させようとしていた。
 ドイツ空軍は、ドイツ資本で設立されたコロンビアのスカダ航空会社(SCADA)にドイツ人パイロットを派遣し、コロンビアのカリブ海岸地帯とパナマ運河地帯の空撮地図を作成した。ドイツ国防軍は、コロンビア・パナマ侵攻計画とパナマ運河爆撃作戦を策定した。
 昨年12月に進水した航空母艦グラーフ・ツェッペリンを、パナマ運河に近いコロンビア領海に派遣して飛行訓練を行った。
 アメリカの陸軍省は、国務省に対して、ドイツ空軍によるパナマ運河爆撃の可能性があると警告し、同地域の枢軸側の動きを警戒する様に指示した。
 国務省は、コロンビア政府に中立性を守り、ドイツ人パイロットによる軍事的行動と想像できる行為を慎む様に圧力をかけた。
 コロンビア政府は、翌40年に米国の要請を受け入れ、スカダ航空のドイツ人パイロットを解雇した。新たに、パン・ナム航空の子会社アビアンカ航空会社を設立してアメリカ人パイロットを雇用した。
 アメリカは、国防の為に空の自由を制限し、パナマ運河を守る為に中米空域からナチス・ドイツを排除した。
 スカダ航空は、カリブ海に近いジャングル内二ヶ所に滑走路を建設した。
 アメリカは、ナチス・ドイツ中南米諸国で政治・経済・軍事の各方面で影響力を強め、支配的な立場を占めつつある事に危機感を募らせていった。
 そして、その脅威がパナマ運河近くにまで及ぶ様になると看過できなくなった。こうして、アメリカと枢軸国との戦争は不可避となった。 
   ・   ・   ・   
 3月 ヒトラーは、残りのチェコスロバキアを侵攻して、ドイツ領に併呑した。イギリス首脳部は、ヒトラーとの宥和・共存策を放棄し、ナチス・ドイツとの戦争を決断した。
 5月22日 ナチス・ドイツは、ファシスト・イタリアと軍事同盟を結んだ。
 8月23日 ヒトラーは、ドイツの要求を受け入れないポーランドに激怒し、スターリンポーランドを分割する事を決断した。リッベントロップ外相は、モスクワに行き、モロトフ外相とヨーロッパ大陸を分割する為の戦略協定を結び、独ソ不可侵条約と通商融資条約を締結した。
   ・   ・   ・   
 9月5日 ルーズベルトは、南米大陸におけるナチス・ドイツの策動とドイツ海軍潜水艦の南大西洋での活動が活発化している為に、国務省に対して、アメリカ大陸の結束を固めるべく各国の外相を集めた会議を開く事を命じた。
 ハル国務長官は、汎アメリカ外相会議をパナマで開催する事として、ウェルズ国務次官を代表に任命した。
 アメリカ軍は、大統領特別令8232号に従って、運河地帯の警備を戦時体制下に移行して警備兵を配置した。
 9月23日 パナマにおいて汎アメリカ外相会議が開催された。会議は、アメリカが提起した「ラテンアメリカ地域は、外国勢力からの脅威にされされた時は共同して守る」ことを確認した。
 ナチス・ドイツは、オブザーバーとして外交官のレインベックとジャーナリストを出席させた。
 イギリスも、南大西洋海上輸送をドイツ海軍潜水艦から守る為に、数隻の軍艦を派遣した。
 アルゼンチン政府は、中立の立場からドイツ艦艇の入港を認め、ドイツ人船員を保護した。 
   ・   ・   ・   
 12月31日 野村吉三郎外相は、アメリカとの関係修復の為に、東京のグルー駐日アメリカ大使と協議を重ねていた。
 日本側は、新通商条約か暫定協定の締結を希望し、見返りとして中国におけるアメリカの権益の尊重と揚子江下流域解放の意思を伝えた。
 アメリカ側は、日本側の譲歩を一切拒否し、即時戦闘中止と開戦以前への現状復帰を求めた。
 ナチス・ドイツのオットー駐日大使は、ベルリンに日本の国内情勢の報告電文を送った。「政府の意識的楽観論によって育まていた初期の希望の高まりは、アメリカの態度で失望へと変わった。……民心は対外通貨政策、中国での戦争に由来する食糧その他物資状態の悪化、とくに物価の高騰と政府の配給制策の失敗に影響を受けている。……内閣の総辞職は、議会再開前の1月中旬と一般に予想されている。親英米系の新聞も政府に見切りをつけだしている。…最近の情報によれば、宮中勢力は、日本の進路の根本的変更を食い止めるべく、議会各派の参加を得て、挙国一致の内閣の準備に取り掛かっていると言われている」
   ・   ・   ・   
 1940年 ルーズベルトは、戦争に参戦しない事を公約にして3期目に再選されたが、対ドイツ戦に参加する為の準備を始めていた。
 フレデリック・J・ターナー「自由な土地が存在し、それを絶え間なく後退させ、アメリカ人の居住地を西へと広げていく。これがアメリカの発展だ。……拡大する民、アメリカ人に普遍的な気質は、領土を拡大する事にある」
 パナマの大統領に当選したアルヌルフォ・アリアスは、アメリカの軍事基地の拡大要求を拒否した。アメリカは、アリアス大統領が私用でキューバを訪問した事を機に、帰国できない様にして追放した。親米派のグアルディア内相を、後任の大統領に任命して傀儡政権をつくった。アリアス前大統領は、やむなくアルゼンチンに亡命した。
   ・   ・   ・   
 8月 ルーズベルトは、中南米で活動するドイツ諜報機関を監視し、ドイツ権益を排除する為に、ネルソン・ロックフェラーをアメリカ大陸間問題調査官(CIAA)長官に任命した。
 テキサス州の農作物商社アンダーソン・クレイトン社長クレイトンやチェイス銀行のロビンスキーらも、CIAAに参加した。
 ネルソンは、ラテン・アメリカ全域でアメリカの支援を受けロックフェラー財閥とビジネスパートナーになりうる協力者を集めた。
 アメリカとロックフェラーの利益に貢献する事を条件にいて、彼等を親米派軍事独裁者に仕立て上げた。
 そして、各国の大手新聞合計1,200社を支配下に置き、情報操作を行ってアメリカに不都合な真実を隠蔽し、民衆には偽情報を知らせた。
   ・   ・   ・   
 10月12日 ルーズベルトは、外国勢力による南米大陸への浸透を排除するというラジオ放送を行った。
 ナチス・ドイツは、ウルグアイを食糧供給の農業植民地にすべく親独派政権を樹立しようと画策していた。アメリカ海軍は、軍艦2隻をウルグアイモンテビデオ港に派遣して計画を阻止した。
 ウィルソン在ウルグアイ公使「我が政府は、ラテンアメリカ諸国の経済的、且つ政治的自由を侵そうとするいかなる動きに対しても断固粉砕する用意がある。特に、その活動が非アメリカ資本で進められる場合に言える」
   ・   ・   ・   





















   ・   ・   ・