🎄34」35」─1─ヒトラーの中南米地域浸透政策。ドイツ国防軍は、南米航空制圧計画に基づき軍人を地元民間航空会社へ派遣した。1930年~No.113No.114No.115No.116No.117No.118 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 1930年代 スムート・ホーリー関税法の成立。
 アメリカ軍は、パナマ運河の防衛にあたり、パナマに在住する日本人移民の動向に神経を尖らせていた。OSS(戦略情報部)は、日本人会の主要メンバーを日本海軍のスパイとして監視を強化していた。同様に、中南米諸国に移住した日本人移民も敵性国家出身の危険分子として、アメリカ軍情報部と地元政府警察に監視されていた。
 パナマ在住日本人は、1933年で約300名であった。
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 1930年代 A・トクヴィルは、アメリカの民主主義の欠点を『アメリカの民主主義』で「多数者の専制」と断言した。
 多くの議会は、賛成派2割、反対派2割、どっち付かずの中間派6割である。
 主張が、道理にかなった正しかろうと悪意に満ちた誤りであろうとも、激論で中間派を味方に付けた者が決選投票で勝利者となる。
 多数が賛成する主張が必ずしも正しいとは限らないし、賛同者が多いからといって多数派とも限らない。
 勝利の鍵は、明快な主張を持たない中間派の動向次第である。
 関心が薄い中間派を丸め込む為に、不利な事実や真実を全て隠蔽し、共感を得る情報操作として相手を非難中傷する歪曲や捏造を駆使して宣伝工作を行う事であった。
 「アメリカ連邦で、ある人またはある党派が不正に苦しんでいる時、一体それを誰に訴えたらよいのか。
 世論に対してか──。否、多数者を作り出しているのが世論である。
 立法団体に対してか──。否、立法団体も多数者を代表しており、多数者に盲従している。
 執行権力に対してか──。否、執行権力も多数者によって任命されている。
 では、多数者の受動的な手段となっている警察力に対してか──。否、警察力は武装した多数者にすぎない。
 陪審に対してか──。否、陪審は逮捕を宣告する権利を与えている多数者である。判事達も州によっては多数者によって選ばれている。
 それゆえに、どの様な不公平な、または不条理な処置が諸君に対してとられるにせよ、諸君はそれに服従しなければならないのである」
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 1930年 ロンドン海軍軍縮会議。イギリスのマクドナルド首相は、海軍軍縮についてアメリカと協議し、日本・アメリカ・フランス・ドイツにロンドン軍縮会議への招請状(名義はヘンダーソン外相)を送った。
 日本の浜口雄幸首相は、緊縮財政と対米英協調から出席を決めた。
 軍政の海軍省は、対米比率で強硬派の軍令部と意見を異にしていた。
 東郷平八郎元帥は、国家の安全の為に「一歩たりとも退く事はならぬ」と命じた。海軍軍令部長加藤寛治は、国防の面から補助艦保有量対米7割と潜水艦の自主所有量を主張した。
 ジェームズ・スペート(英国空軍高官)は『空軍力と都市』で、空軍の登場と戦争の機械化で従来の戦争概念を修正する必要があると主張した。
 航空機は、航続距離の制限があるものの出撃範囲は敵国全土に及び、爆撃で広範囲を破壊して一般市民への犠牲者を出す為、爆撃は軍事目標主義で限定すべきであると警告した。
 イギリス参謀総長ヒュー・トレンチャード元帥は、軍事目標主義に基づき、海を越えドイツの工業地帯を破壊する目的で1936年に爆撃機軍団を創設した。
 ドイツ軍は、陸軍国として、戦争は陸軍が主体として行うもので空軍その支援を行うものと考えていた。
 イギリス軍は、海軍国として陸軍は弱かった為に、ナチス・ドイツとの戦争に勝つ為に空軍の充実に力を入れていた。
 京都大学の田岡良一教授は、国際戦争法研究の専門家として、1937年に『空襲と国際法』を出版してその学説を紹介した。
 4月22日 日本政府は、海軍の強硬な反対を押し切って、政治判断としてロンドン軍備制限条約に調印した。
 海軍内部は、条約を否定する軍令部の強硬な艦隊派と賛成する海軍省の穏健な条約派で激しく対立した。艦隊派は、東郷平八郎と皇族の伏見宮博恭王両元帥を利用して条約派を主要ポストから外した。
 野党の政友会は、民政党政府を倒す為に干犯問題を取り上げた。
 天皇は、憲法に従って条約に賛成して裁可した。
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 中南米諸国の社会格差が原因による政情不安定は、自国の利益を最優先にするアメリカが原因であった。、
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 アメリカは、メキシコの石油と食糧、パナマの運河、中南米の鉱物資源などを確保する為に、軍事と経済による内政干渉を強めていた。
 アメリカの謀略機関は、各地で革新的な反米派政権を倒し保守的な親米派政権を樹立していた。
 民主的総選挙で選ばれた反米派政権に対して、個人欲の強い官僚や軍人を金で抱き込み不正や横領などで社会不満を助長させ、アメリカ資本が支配する新聞や雑紙で政権批判を書き立てた。
 貧富の格差に苦しめられている貧困層には、金をばらまいて格差是正を求める暴動を起こさせた。
 反政権派軍人グループを支援して軍事クーデターを実行させ、反米派政治家や革新派官僚を武力で排除して親米派軍事独裁政権を樹立させた。
 アメリカの利益にとって、自主独立国の民主主義政権よりも傀儡国家の独裁政権の方が好ましかった。
 最大の利益授受者は、アメリカとイギリスのユダヤ系国際資本家であった。その為に、日本の様に、国際社会から批判される事はなかった。
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 1931年 パナマでクーデターが起きて、親米派のアルファロ大統領が追放された。国民選挙で、アルモディオ・アリアスが新しい大統領に選出された。
 アメリカは、国際世論を配慮して干渉せず静観し、民主主義的に選ばれたアリアス大統領を承認した。
 9月 満州事変。日本は、満州の権益と自国民の生命財産の保護を目的として、自衛権行使としてを軍事行動を発動した。国際司法機関は、日本の自衛権発動を違法行為として否定し、第三者として戦時国際法をもって侵略行為と裁定した。
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 1933年1月30日 ヒトラーが、ドイツの首相に就任した。ティッセンは、ヒトラー再軍備に全面的に協力した。
 ヒトラー「若者達は、植民地主義を学ぶべきである。もしも、メキシコを植民地化すれば我々の抱えている諸問題を解決出来る。メキシコは、可能性を所有する国の一つである。
 アルゼンチンとボリビアには、現在関心を持っている。我々は、新しいドイツをブラジルに建設すべきである」
 『我が闘争』「欧州で土地を手に入れようとしたなら、大局的に見てロシアに犠牲になってもらうしかなかっただろう。新帝国も、民族に耕す土地を与え日々のパンを与える為に、かっての位階の騎士団達と同じ道を、ドイツの剣を手にしてたどる事になる。だが、この方針を進める上で、欧州にはたった一つの同盟国しかなかった。それがイギリスだ」
 ナチス・ドイツは、中南米地域を親ドイツにすべく、スペインのフランコ将軍の協力を得て多くの工作員を送り込んだ。
 ヒトラーは、第一次4カ年計画で、601万人の失業者を155万人に減らし、国民総生産を約50%上昇させた。
 3月4日 フランクリン・ルーズベルトは、大統領に就任した。保守派は、ルーズベルトニューディール政策を共産化政策といて非難した。
 巨大な公共投資計画である、フーバー・ダムなどのコロラド川のダムやテネシー川流域開発事業は、安価な電力を大量に生み出した。
 電力は、軍産複合体軍需産業や化学企業に優先的に提供された。
 不況下の国民の税金は、一部の富裕層が経営する大企業の利益となった。
 3月6日 アメリカの経済界は、南北アメリカ大陸と太平洋の西半球における排他的ブロック構想を提言した。
 活動範囲の拡大を目差すアメリカ資本は、ヨーロッパ帝国主義の軍事力による植民地支配は巨額の費用がかかり非効率として興味がなかく、合法なビジネスとして市場と資源を経済力で支配する為に新たなルールを作成して国際化した。
 自由と平等、民族の自決を大義として、戦争で疲弊し競争力を失った欧州列強から植民地の人々を解放した。
 解放された彼ら親米的に束ねる為に、野心の強い軍事独裁者を支援して新たなルールを強制した。
 独裁体制下の新興国を、未開拓の市場と見立てて、民族産業の経済活動を制限して、アメリカ製品を売って富を効率よく略奪した。
 アメリカの求める自由貿易体制とは、全ての国に平等に恩恵をもたらすのではなく、アメリカとその同盟国が利益を分配する為の体制であった。  
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 3月12日 国際連盟臨時総会は、満州国を自発的民族独立運動で成立した独立国とは認めず、満州に対する中国の主権を確認し、満州から日本軍の撤退を勧告し、満州を国際管理下に置く事を可決した。
 リットン勧告に対して、賛成は42ヵ国で、反対は日本のみであった。棄権はタイであったが、タイの伝統的な外交方針は親英であった。
 松岡は、日本側の自衛的行為という主張が否定された為に、国際連盟を脱退した。日本は、欧米列強の反発を受けて国際的に孤立した。
 松岡洋右アメリカは、パナマ運河地帯をその様な管理下に置く事に同意するだろうか? イギリス国民は、エジプトに対するその様な管理を許すだろうか?」
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 1934年 ドイツ国防軍は、ヒトラー中南米地域浸透政策に従って南米航空制圧計画を実行した。空軍が表だって動くとアメリカを刺激しする為に、地元民間航空会社へ軍人を派遣した。
 ボリビアを拠点として、運河のあるパナマの南に隣接するコロンビアへの浸透を図った。
 ナチス・ドイツボリビア政府と、ロイド・アエレオ・ボリビアーノ航空会社の経営に参加しボリビアパイロットを訓練する契約を交わした。
 資本比率は、ボリビアが55%で、残りがドイツであった。
 同社の航空機には、南米のコカイン麻薬密輸業者の飛行機も含まれていた。
 ボリビア軍は、かって、パラグアイとの国境紛争であるチャコ戦争の際にドイツ軍の訓練を受けた関係で親独的であった。
 ドイツの牧師や信徒でヒトラーとナチ党に反対する者達は、「国家と教会を一体化させるドイツ・キリスト者運動は偽りである」というバルメン宣言を行い、告白教会を組織した。
 スイスの神学者バルトは、ドイツ軍をスイスに入れない為に武器を取って国境警備にあたった。
 国民とは、事の善悪ではなく、国家を守る為に戦った。
 2月 スチムソン陸軍長官は、諜報機関の報告から、日本人工作員によってパナマ運河が破壊される危険性があると警告を発した。ルーズベルト大統領は、日本軍の攻撃から運河を防衛する為に、アラスカ・ハワイ・パナマの駐留部隊を増強した。
 9月 第二回ロンドン海軍軍縮小予備会議。大角海相は、山本五十六少将を首席全権に指名した。山本は、ロンドンの松平恒雄駐英大使と情報交換しながら会議に臨んだ。
 12月11日 予備交渉は、決裂した。
 12月29日 ワシントンの斉藤博駐米大使は、コーデル・ハル国務長官に、日本はワシントン条約を破棄する旨の書簡を手渡した。
 1935年末 第二回ロンドン軍縮会議。全権永野修身海相と永井松三大使。会議は、決裂した。翌36年1月16日に、日本側は会議を脱退との通知を議長に提出した。
 軍縮無条約時代の到来であり、各国は軍備を強化する為に軍拡政策を進めた。
 1936年 アメリカは、パナマ運河防衛の為にハル=アルファロ運河条約を締結させ、アメリカ軍駐屯の為の基地提供を要求した。
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 1937年9月25日 山本五十六海軍次官は、諜報網組織化と情報分析力の強化を図る為に、内閣の下に情報部を組織して、内務、外務、海軍、陸軍の関係各省から委員を集めた。
 日本側は、東京の各国大使館と本国政府との外交暗号の大半を解読し、各国の軍事暗号の解読にも全力を挙げた。
 だが、日本的な縦割り行政の弊害から情報が共有される事が少なかった。
 日本の悲劇は、この融通性のない排他的な縦割り行政にあった。
 後年。日米米交渉の成功にあせった近衛首相が、東京のアメリカ大使館に友好の証しとして打ち明けた。
 外務省の須磨弥吉郎が、駐スペイン大使としてマドリッドに赴任し、スペインのフランコ政権の協力を得て世界中に国際諜報網を設置した。
 組織名は、最初「盗」機関としたが、次ぎに「東」になり、最終的に「TO」機関と呼ばれた。
 元闘牛士アルカサール・ベラスコ(コード・ネームはギジュルモ)等を使って、諜報工作を行った。



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 1938年 ニコラス・スパイクマン「ヨーロッパ連合の夢が実現でもしない限り、今から50年間は、中国、インド、アメリカ、ソ連が世界の4大国になるだろう」(エール大学の地政学者)
 アメリカの地政学は、戦争によって経済的な競争相手を衰退させ、ドルを基軸通貨として金融・経済で国際市場を支配し、新しい枠組みによって新秩序を建設する事であった。
 つまり、政治面での国際連合と金融・経済面でのブレトンウッズ体制である。
 アメリカ議会は、食糧価格を安定させる為に農業調整法を成立させた。
 大手穀物商社は、伝統な労働集約型家庭経営農家が不利益になろうとも、収穫量を上げる為に大規模経営に転換する為に資本集約型農業経営を導入しようとしていた。
 商社は、企業利益を上げ、投資家への配当を確保する為に、利用できる議員に政治献金を渡して同法案を骨抜きにした。
 21年に畜産業者を守る為の法案であった精肉加工・家畜業者法も、精肉加工産業の費用に見合った以上の収益を上げる為に無力となり、安全衛生面の規制が緩和された。
 農務省は、1862年にリンカーン大統領によって人口の半分以上の農家を保護し、食糧を安定供給する為に設立された。
 時代が下り、市場原理主義が主流になるや、農業従事者の保護ではなく投資家の配当優先となり、中小の独立農家は企業の下請けとしての自由のない契約農家に転落した。
 新たな農業奴隷の誕生である。環境保護庁も、各種産業団体の利益を保護し、カルテルに参加しない独立系企業を潰す為に集中検査を行った。
 アメリカの水質及び土壌の最大汚染源は、こうした大規模化した農業であった。
 A・A・バール・ジュニアは、ラテン・アメリカ担当の国務次官補に任命されるや、ベネズエラやブラジルなどでスタンダード石油の利益追求に便宜を図を事はアメリカの国益に叶う事であるとして行動した。
 安い原材料を手に入れ、アメリカ製品の販路を拡大した。
 自由貿易路線から、閉鎖的市場の開放に同意する独裁者や支配階級を支援して、貧しい人民を切り捨てた。
 米大陸間問題調整官(CIAA)ネルソン・ロックフェラーは、イギリスの安全保障調整機関(BSC)と協力して、中南米大陸からナチス・ドイツの経済利権を排除する為に活動していた。
 イギリス情報員スティーブンソン卿は、ニューヨークのロックフェラー・センター内に事務所を構えて謀略活動を行った。
 ロンドンで、スタンダード石油ティーグル会長とIGファルベンのハーマン・シュミッツ会長が極秘会談を行った。
 議題は、オクタン価の高い航空燃料を生産するに必要なテトラエチル鉛の供給についてであった。
 エチル添加物の特許を所有しているのは、スタンダード石油、デュポン、ゼネラル・モータースであった。
 ドイツ軍は、航空機や戦車を動かすためにテトラエチル鉛を必要としていた。
 だが、スタンダード石油は中南米からドイツ空軍に航空機用燃料を輸出していた。
 ドイツ空軍によるロンドン空襲が始まるや、イギリスは利敵行為として抗議した。
 スタンダード石油は、船舶登録をパナマに移し、モロッコスペイン領サハラ沖にあるカナリー諸島のテネリフェ島まで石油を輸送した。
 そこで、ドイツのタンカーに積み替えられてハンブルクへと運ばれた。
 ロックフェラーは、スタンダード石油のベネズエラ子会社クレオール石油の取締役として、石油と食糧に関する投資を行っていた。
 メキシコのラサロ・カルデナス大統領と、メキシコのスタンダード石油に関する交渉を続けたが失敗した。
 カルデナス大統領は、国内のスタンダード石油を国有化し、イギリスと国交を断絶した。石油の販路をナチス・ドイツに依存し、国内油田調査を日本に依頼した。
 アメリカは、日本の進出を警戒した。
 ロックフェラーは、40年代にメキシコ・アメリカ開発社を設立し、食糧問題を利用してメキシコの地盤を回復させた。
 アメリカ政府保証を取り付け、中南米の新聞社1,000社以上を支配し、アメリカの防衛構想を強化しながらロックフェラーグループの利益も増やした。
 2月 アメリカの証券取引委員会は、スタンダード石油とIGファルベンの提携はアメリカの中立的立場に叛く行為であるとして調査を開始した。
 スタンダード石油やデュポンは、ナチス・ドイツが戦争できる様に石油と金を与えた。
 秋。アメリカは、中国に日本軍と戦う為の支援として2,500万ドル借款を行い、日本に対しては軍事行動を妨害する経済制裁を強化した。
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 1939年 ナチス・ドイツソ連が共同でポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が勃発した。
 中南米諸国には、日本人の移住者は約45万人であったが、ドイツとイタリアからの移住者は500万人以上であった。
 日本人移住者は、契約肉体労働者として、白人の農園主などに人間以下の農業家畜の様に重労働を強要されていた。
 移住募集の謳い文句に吊られて大陸に渡ったが、現実は真逆で過酷なものであった。白人経営者は、日本人を人間とは見ず、奴隷の様に扱った。
 過酷な自然と労働条件に絶望した日本人移住者は、逃亡するか、日本に帰国した。
 日本を出た移住者の多くは、日本を捨てて出た後ろめたさから帰国せず、奴隷的重労働に耐え、日本からの支援のないなかで明日に希望をつなぎ、自分の特技を見出して生き抜いた。 
 白人キリスト教徒であるドイツ人やイタリア人の移住者は、多額の所持金を持って農園主や企業家となり、支配階級の一員となった。
 哲学者フリードリヒ・ニーチェの妹エリザベートは、パラグアイ奥地にアーリア系ドイツ人のみの新ゲルマニア植民地を建設する為に、ナチ党から多額の資金を得て活動していた。
 ヒトラーは、中南米大陸の石油、ニッケル、鉄鉱石などの豊かな鉱物資源や食糧などの主要産物を支配する為に、数多くの工作員を派遣して、政情不安を引き起こし、アメリカの支配体制を弱体化させようとしていた。
 ドイツ空軍は、ドイツ資本で設立されたコロンビアのスカダ航空会社(SCADA)にドイツ人パイロットを派遣し、コロンビアのカリブ海岸地帯とパナマ運河地帯の空撮地図を作成した。ドイツ国防軍は、コロンビア・パナマ侵攻計画とパナマ運河爆撃作戦を策定した。
 昨年12月に進水した航空母艦グラーフ・ツェッペリンを、パナマ運河に近いコロンビア領海に派遣して飛行訓練を行った。
 アメリカの陸軍省は、国務省に対して、ドイツ空軍によるパナマ運河爆撃の可能性があると警告し、同地域の枢軸側の動きを警戒する様に指示した。
 国務省は、コロンビア政府に中立性を守り、ドイツ人パイロットによる軍事的行動と想像できる行為を慎む様に圧力をかけた。
 コロンビア政府は、翌40年に米国の要請を受け入れ、スカダ航空のドイツ人パイロットを解雇した。新たに、パン・ナム航空の子会社アビアンカ航空会社を設立してアメリカ人パイロットを雇用した。
 アメリカは、国防の為に空の自由を制限し、パナマ運河を守る為に中米空域からナチス・ドイツを排除した。
 スカダ航空は、カリブ海に近いジャングル内二ヶ所に滑走路を建設した。
 アメリカは、ナチス・ドイツ中南米諸国で政治・経済・軍事の各方面で影響力を強め、支配的な立場を占めつつある事に危機感を募らせていった。
 そして、その脅威がパナマ運河近くにまで及ぶ様になると看過できなくなった。こうして、アメリカと枢軸国との戦争は不可避となった。 
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 3月 ヒトラーは、残りのチェコスロバキアを侵攻して、ドイツ領に併呑した。イギリス首脳部は、ヒトラーとの宥和・共存策を放棄し、ナチス・ドイツとの戦争を決断した。
 5月22日 ナチス・ドイツは、ファシスト・イタリアと軍事同盟を結んだ。
 8月23日 ヒトラーは、ドイツの要求を受け入れないポーランドに激怒し、スターリンポーランドを分割する事を決断した。リッベントロップ外相は、モスクワに行き、モロトフ外相とヨーロッパ大陸を分割する為の戦略協定を結び、独ソ不可侵条約と通商融資条約を締結した。
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 9月5日 ルーズベルトは、南米大陸におけるナチス・ドイツの策動とドイツ海軍潜水艦の南大西洋での活動が活発化している為に、国務省に対して、アメリカ大陸の結束を固めるべく各国の外相を集めた会議を開く事を命じた。
 ハル国務長官は、汎アメリカ外相会議をパナマで開催する事として、ウェルズ国務次官を代表に任命した。
 アメリカ軍は、大統領特別令8232号に従って、運河地帯の警備を戦時体制下に移行して警備兵を配置した。
 9月23日 パナマにおいて汎アメリカ外相会議が開催された。会議は、アメリカが提起した「ラテンアメリカ地域は、外国勢力からの脅威にされされた時は共同して守る」ことを確認した。
 ナチス・ドイツは、オブザーバーとして外交官のレインベックとジャーナリストを出席させた。
 イギリスも、南大西洋海上輸送をドイツ海軍潜水艦から守る為に、数隻の軍艦を派遣した。
 アルゼンチン政府は、中立の立場からドイツ艦艇の入港を認め、ドイツ人船員を保護した。 
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 12月31日 野村吉三郎外相は、アメリカとの関係修復の為に、東京のグルー駐日アメリカ大使と協議を重ねていた。
 日本側は、新通商条約か暫定協定の締結を希望し、見返りとして中国におけるアメリカの権益の尊重と揚子江下流域解放の意思を伝えた。
 アメリカ側は、日本側の譲歩を一切拒否し、即時戦闘中止と開戦以前への現状復帰を求めた。
 ナチス・ドイツのオットー駐日大使は、ベルリンに日本の国内情勢の報告電文を送った。「政府の意識的楽観論によって育まていた初期の希望の高まりは、アメリカの態度で失望へと変わった。……民心は対外通貨政策、中国での戦争に由来する食糧その他物資状態の悪化、とくに物価の高騰と政府の配給制策の失敗に影響を受けている。……内閣の総辞職は、議会再開前の1月中旬と一般に予想されている。親英米系の新聞も政府に見切りをつけだしている。…最近の情報によれば、宮中勢力は、日本の進路の根本的変更を食い止めるべく、議会各派の参加を得て、挙国一致の内閣の準備に取り掛かっていると言われている」
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 1940年 ルーズベルトは、戦争に参戦しない事を公約にして3期目に再選されたが、対ドイツ戦に参加する為の準備を始めていた。
 フレデリック・J・ターナー「自由な土地が存在し、それを絶え間なく後退させ、アメリカ人の居住地を西へと広げていく。これがアメリカの発展だ。……拡大する民、アメリカ人に普遍的な気質は、領土を拡大する事にある」
 パナマの大統領に当選したアルヌルフォ・アリアスは、アメリカの軍事基地の拡大要求を拒否した。アメリカは、アリアス大統領が私用でキューバを訪問した事を機に、帰国できない様にして追放した。親米派のグアルディア内相を、後任の大統領に任命して傀儡政権をつくった。アリアス前大統領は、やむなくアルゼンチンに亡命した。
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 8月 ルーズベルトは、中南米で活動するドイツ諜報機関を監視し、ドイツ権益を排除する為に、ネルソン・ロックフェラーをアメリカ大陸間問題調査官(CIAA)長官に任命した。
 テキサス州の農作物商社アンダーソン・クレイトン社長クレイトンやチェイス銀行のロビンスキーらも、CIAAに参加した。
 ネルソンは、ラテン・アメリカ全域でアメリカの支援を受けロックフェラー財閥とビジネスパートナーになりうる協力者を集めた。
 アメリカとロックフェラーの利益に貢献する事を条件にいて、彼等を親米派軍事独裁者に仕立て上げた。
 そして、各国の大手新聞合計1,200社を支配下に置き、情報操作を行ってアメリカに不都合な真実を隠蔽し、民衆には偽情報を知らせた。
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 10月12日 ルーズベルトは、外国勢力による南米大陸への浸透を排除するというラジオ放送を行った。
 ナチス・ドイツは、ウルグアイを食糧供給の農業植民地にすべく親独派政権を樹立しようと画策していた。アメリカ海軍は、軍艦2隻をウルグアイモンテビデオ港に派遣して計画を阻止した。
 ウィルソン在ウルグアイ公使「我が政府は、ラテンアメリカ諸国の経済的、且つ政治的自由を侵そうとするいかなる動きに対しても断固粉砕する用意がある。特に、その活動が非アメリカ資本で進められる場合に言える」
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道教と日本文化

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  • 発売日: 2005/01/01
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