🎄14」─1─セオドア・ルーズベルトは、パナマ運河の開通と日本海軍以上の海軍力を付けるまで日本との見せ掛け友好を維持する外交を展開した。1911年~No.41No.42No.43 @ ④

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 ロックフェラー家訓「最大の恩恵を受けた者は、意味ある方法で社会に還元する特別の義務がある」
 ディヴァイッド・ロックフェラー「過去を振り返ってはいけない、将来に期待して生きていくのだ」
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 1911年 ウォール街の金融業者は、南北戦争後に急成長した産業で潤沢な資金をえ、国外での国際競争力を強化する為にニューヨーク債券引受団を結成した。
 引受団は、中国市場におけるイギリスの独占を打ち破る為に、中国革命派に巨額の融資を行ったいた。
 新生中国での鉄道、銀行、通商などでの特権取得を条件として、新政権の財政や武力統一に必要な資金と物資を与えた。中国の内戦は、さらに混迷を極めた。   
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 1912(明治45)年 東京市は、市の開発資金を得る為に、ニューヨーク市場で米貨公債を発行した。
 ロックフェラー系のナショナル・シティ銀行とモルガン系のナショナル・バンク・オブ・コマーズが、日本の外国債を引き受けた。
 クーン・ローブ商会も、日本の外債を引き受けて資金を提供して、日本に投資する事で巨額の利益を得た。
 日本は、アメリカから安価で屑鉄など原材料を輸入して重工業を発展させ、アジアで最初の近代国家に成長した。
 日本経済の発展は、アメリカへの依存度を増加させる事で達成された。だが、ユダヤ金融資本は、政府方針に従って満鉄建設への資金援助は拒否した。
 カリフォルニア州議会は、日本人移民のみを対象とした外国人土地法を成立させた。
 市民権を持たない日系移民一世が土地を所有する事を禁じ、農地の借地も最大3年と制限して返却する事を義務づけた。
 ただし、市民権を持つ二世には土地の所有が認められていた。一世は、市民権を持つ子供の後見人として、あるいは子供の名義で土地を購入した。
 カリフォルニア州の民意は、不備の是正を求めて日本移民排斥運動を繰り広げて、20年の州民投票で新外国人土地法を圧倒的多数で成立させた。
 この結果、市民権を持たない日本人は如何なる手段を使っても土地の所有ができなくなった。
 だが、民意は08年に日米両国で合意した紳士協定を強化し、日本人移民の入国を完全排除する排日条項の制定を求めた。
 反日派は、新聞や雑誌を通じて人種差別的排日宣伝を行った。
 1月 日本は、四ヵ国銀行団に参加しているフランス系インドシナ銀行に配慮して、日仏銀行を対中投資業務から外すことに合意した。
 2月 日仏銀行は、朝鮮開発の外債発行を引き受け、第一回東洋拓殖株式会社5分利付仏貨社債5,000万フランの募集を行った。
 日本の財政当局は、国家的赤字を承知で、朝鮮を日本並みに開発する為に国際金融から巨額の借金をした。
 これ以降も、朝鮮のインフラ整備を急ぐ為に多額の投資をおこない、国家財政に負担をかける様にしながら対外債務を拡大させた。
 日本の地方は、国策的朝鮮開発の犠牲となって悲惨な貧困生活を強いられた。
 日本の財政当局は、日仏銀行に国際金融として信用を得させる為には中国進出が欠かせないとして、日露同盟を梃子にして対中投資機関としての位置を確保しようとした。
 日本は、ロシア帝国と共に六ヵ国借款団参加条件として、南満州における特殊権益の留保を認めさせ、満州借款の優先権を承認させた。
 アメリカ以外の欧州諸国は、日本の南満州支配を容認した。
 ストレートは、中国におけるアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ帝国の四ヵ国銀行団の利益を守るべく日本排撃を繰り返し、中国人の民族主義的排日運動を煽った。
 国務省親中派は、日本を世界最大の中国市場から排除する為に、ストレートと四ヵ国銀行団を支援した。
 セオドア・ルーズベルト「日本の重大問題は、朝鮮と満州である。それ故、満州に関しては理由の有無に拘わらず、日本の敵意を挑発し脅威するが如き如何なる措置をも取ってはならない。……満州に関し、若し日本が我国と対立する道を選ぶとすれば、我々は日本と戦争をする覚悟をしなければそれを阻止出来ない。満州に関する戦争で勝利を得ようとすれば、イギリスに等しい大艦隊と、ドイツに等しい大陸軍とを必要とする」   
 モンゴルとチベットは、弱小国家として巨大軍事国家に挟まれ生存を脅かされているという同じ境遇にある事から、相互に独立を承認し合い連帯を誓う宣言を行った。
 そして、同じアジア人で仏教を信仰する日本との連携を希望し、日本を訪問し天皇に支援を要請しようとしていた。
 12月 モンゴルの国家元首である活仏(生き仏)ボグト・ゲゲーンは、天皇に親書を伝達した。
 牧野伸顕外相は、ロシア帝国との関係が悪化すること以上に、天皇を外交の表舞台に立たせる事は皇室の存続を危うくするとして、親書を開封する事なくロシア大使に渡した。
 皇室を敬愛する真の日本人は、天皇を政治や外交や軍事などの矢面に出す事を極力避け、全て自分の責任において決断し行動した。
 民族的理性を持たない偽物の日本人のみが、天皇を道具として恣意的に悪用する。
 それは、「天皇の名」を騙る右翼・右派でも同罪である。
 日本軍部は、満州防衛強化の為にモンゴルの民族主義を利用しようとした。中国や欧米列強の支配下にある東アジア地域の少数民族も、日本の勢力拡大に期待をかけていた。
 モンゴル民族は、日本以上に血筋を神聖視し、部族・一族・家族を最優先するモンゴル人第一主義をとっていた。
 バルガ族の王侯会議は、中国側が漢人入植の禁止と関税収入の譲渡を拒否した為に、興安嶺の西に広がる広大な牧草地を守る為に独立宣言を行い、中国対して反乱を起こした。
 独立宣言
 1、バルガの地より漢人の役人を追放し、ホロンボイルの統治をバルガ族が手に入れる。
 2,バルガより漢族の軍隊を放逐する。
 3,漢族の植民行為を止めさせる。
 4,バルガに居住する漢族であって、バルガの統治に服する者はこれろ容れ、服さざる者  は放逐する。
 5,通関税、租税などの全歳入類はホロンボイルの公庫に入れる。 
 反乱軍は、ハイラル満州里などの主要な町を武力占領して中国人を追放した。モンゴル各地でも、自主独立を求める反中国暴動が多発していた。
 バルガ族は、中国からの独立を守る為にロシア帝国の保護を求めた。
 ロシア帝国は、中国との関係悪化を恐れて要請を拒絶した。
 バルガ族は中国に対抗する為に外モンゴルへの帰属を宣言し、外モンゴルはバルガ族とのモンゴル人統一を受け入れた。
 中国は、13年に内戦の激化でやむなく外モンゴル自治権を認めた。
 中国軍は、ロシア帝国の動静を見定める為にバルガ族反乱軍の鎮圧を手控えたが、北京に近い内モンゴルの独立分離運動には軍隊を派遣して、民族主義者を陰惨な方法で徹底的に弾圧した。
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☆明治の終焉
 ウィルソン大統領(任1913〜21年)は、楽観主義・道徳主義・理想主義によるユートピアニズム的リベラル(国際協調主義)外交からロシア革命を認め、レーニン政権を支持し、共産主義こそが新たな世界秩序の理想モデルとの幻想を抱いた。
 「いまや専制政治は排除され、それに代わって偉大にして寛大なロシア国民がその穢れない威厳と力のすべてを投じ、世界の自由、正義、平和の為の戦列に加わったのである」。
 民主党リベラル派のウィルソンは、白人優位の人種差別主義者として黒人を差別し、敬虔なキリスト教徒として非キリスト教徒で有色人種の日本人を嫌っていた。
 国内の人種差別主義者に配慮して、日本の人種差別撤廃条項提案を国際連盟準備委員会において「全会一致の原則」で却下した。
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 1912年 アメリカの全国通貨機構は、合衆国憲法第1条8節5項「連邦議会は、貨幣を鋳造し、その価値及び外国貨幣の価値を定め、また度量衡の標準を定める」に違反する事を承知で、ネルソン・オルドリッチ上院議員に従ってオーウェン・カーター法(全国準備機構法)案を提出した。
 オルドリッチの娘アビーは、ジョン・D・ロックフェラー2世の夫人である。
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 イギリスにおけるマルコーニ事件。
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 1913年1月 モンゴルとチベットは、弱小民族国家として巨大軍事国家に挟まれ生存を脅かされているという同じ境遇にある事から、相互に独立を承認し合い連帯を誓う宣言を行った。
 そして、同じアジア人で仏教を信仰する日本との連携を希望し、代表団を日本へ派遣して天皇に支援を要請する計画を立てた。
 3月 ウィルソンは大統領に就任するや、アメリカ銀行団への支持を撤回して、日本の影響力が強まっている六ヵ国借款団から脱退させた。
 国務省は、対中協調政策を、北京の袁世凱政権寄りから南京の中華民国重視へと方針を転嫁した。
 門戸開放要求も、共和党の積極的ドル外交から国際協調による対話外交へと変わった。
 ウォール街の金融資本は、欧州情勢の変化に対応するべく資金をヨーロッパへ移動させる為に、中国への投資活動は停滞した。
 アメリカの独立投資銀行は、独自で中国への借款交渉を行ったが、六国借款団の反対に遭い交渉の大半が失敗した。   
 3月31日 ジェイコブ・シフとユダヤ人知識層は、反ユダヤ主義を掲げる団体及び個人の活動を封じ込める為に名誉毀損防止同盟(ADL)を組織した。
 ユダヤ人に対する差別的発言や行為を監視する為に巨大な情報網を張り巡らして、反ユダヤ的行動をとる者とその家族や友人は好ましくない市民として調査し、その個人情報をFBIや非米活動調査委員会などに告発した。
 全国的に影響力のある大手通信社は、反ユダヤ的行動を取る者を公表し人種差別主義者として社会的な制裁を加えた。
 ワシントンで政治的影響力のあるシオニスト・ロビーは、潤沢な資金を得て全ユダヤ人の権利を守るべく積極的な活動を繰り返した。
 V・マーケッティ(元CIA副長官付上級補佐官)「アメリカにおけるADLの力は凄いものがある。ADLはどのような人でもしかるべき地位や仕事を与える事ができ、逆にそこから引きずり下ろす事もできる。又、企業をも成功させる事も失敗させる事も自在にできる」
 7月 イギリスは、石油資源を確保する為に石油政策を発表し、イギリス・ペルシャ石油の株式約半数を買収して、イラクをペルシア(イラン)王国から独立させるべく画策した。
 ペルシア北部5州の油田をめぐって、アメリカ、フランス、日本なども採掘権獲得にしのぎを削っていた。
 7月30日 明治天皇崩御により、元号が大正に改元された。  
 12月22日 アメリカ議会は、一民間企業が紙幣の発行権を独占する事は合衆国憲法に違反するとして、新銀行法であるオーウェン・カーター法案に猛反対した。
 クリスマス休暇で、反対派議員の大半がワシントンを離れた。
 ウィルソン大統領は、賛成派が多数を占めるや、「中央銀行のみがインフレと不景気を抑制できる」との理由で連邦準備法を可決させた。
 貨幣供給量の緩和と引き締めの調整及び金利を設定し統制する権限を持った、中央銀行連邦準備制度理事会が設立された。
 市場の動向に敏感で、適切な金融処置が講じられるとの理由から、主要銀行及び投資会社が連邦準備制度理事会の株を独占した。
 アメリカ政府は、財政や軍事費の為に、国民の税収を抵当にして民間銀行である連邦準備制度理事会から借金して資金を調達した。
 ウッドロー・ウィルソン「私は一番不幸な人間です。私はうっかりして私の国を滅亡させてしまった。大きな産業国家はその国自身クレジットシステムによって管理されています。私達のクレジットシステムは一点に集中しました。従って国家の成長と私達の全ての活動はほんのわずかの人達の手にあります。私達は文明化した世界に於いての支配された政府、ほとんど完全な管理された最悪の統治の国に陥ったのです。もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の投票による政府ではありません。小さなグループの支配者によって拘束される政府となりました」
 チャールズ・リンドバーグ下院議員「大統領が法案に署名すれば、金融権力による見えない政府が合法化される。国民はすぐには気づかないかも知れないが、ツケを支払わされるのはほんの数年後だ」
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 1914年 中華民国臨時大総統袁世凱は、計画性なき放漫財政による資金難を補う為に、四ヵ国銀行団と借款契約を結んだ。
 中国は、欧米資本から多額のリベートを期待して秘かに、日本資本が合法的に獲得した利権を欧米資本に譲り渡そうとしていた。
 孫文や宋教仁ら革命派は、欧米列強に軍事費支援を要請したが「中立の固守」を理由にして拒否された為に、日本の民間企業が求める漢陽製鉄所附属の大治鉄山からの安定供給を条件として、武器代金支払いの経費を得て革命戦争を続けた。
 黒竜会(内田良平)や玄洋社頭山満)などの国粋主義的右翼は、国家の禁止命令を無視して革命派を支援し、民間企業の闘争資金を得て革命戦争に参加して多数の犠牲者を出した。
 軍部は、満州経略に手一杯で中国本土まで手が回らなかった。
 イギリスのマクドナルド駐日大使は、本国政府の訓令に従って、日本政府に対して革命派への民間企業による借款の阻止を要請した。
 日本政府は、要請に従って民間企業に圧力を加えて借款契約を破棄させた。
 袁世凱は、日清戦争(日本に対する懲罰戦争)に敗れた面子を潰された屈辱を終生忘れることなく、日本を大陸から排除するべく四ヵ国銀行団と協力して対日強硬政策を取り続けていた。
 日本は、約束や協定や条約を守らない中国の裏切りで、大陸の全ての利権を失いかけていた。
 中国は、弱い時は相手を油断させるために「友好」と耳触りのいい言葉を連発するが、相手より優位に立ったと判断するや高飛車に出て一切の国際的ルールを無視する。
 中国において、信用や信頼は相手を誤魔化す「言葉のアヤ」にすぎない。高度な知識のない者は、この高等テクニックにあっさりと騙される。そして、全てを失う。最悪、命さえ奪われる。
 ウィルソンは、国益の為にコロンビアの内戦に乗じて軍隊を派遣し、傀儡国家パナマ共和国を樹立した。
 1914年にパナマ運河を完成させるや、その独占権を手に入れその保護の為に駐留軍を派遣した。
 アメリカは、モンロー主義により、中南米を独占する為に外国資本を完全排除する排他的政策をとっていた。   
 ジョン・スウィントン(元ニューヨーク・タイムズ編集者)「アメリカには独立した報道機関など存在しない。正直な意見を口に出来る者もいない。たとえ書いても活字になって世に出て来る事はないと、最初から分かっている。ニューヨークのジャーナリストの務めとは、嘘を吐き悪口を言い、冨の神(アモン)に媚び諂い、日々の糧つまりは給料の為に国や同胞を売り渡す事だ。……我々は、舞台裏に潜む富裕者の道具であり家来だ。操り人形だ。彼等が糸を引き、我々は踊らされる」(全米記者協会の年次晩餐会)





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