☭16」─1─レーニンとロシア革命を支えたロシア正教会の異端派・古儀式派。~No.47No.48No.49 

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 一神教共産主義は親和性が高い。
 一神教の異端派で敬虔な宗教家は、反宗教無神論共産主義に共鳴し、共産革命に参加する。
 赤の牧師・赤の神父そして赤の仏教僧。
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 2017年9月23日 東京新聞「歴史を動かした異端派、ロシア革命100年 青木睦・論説委員が聞く
 一九一七年のロシア革命から今年で百年になります。レーニンをはじめボリシェビキ共産主義者)が成就させた革命の陰に、「古儀式派」と呼ばれるロシア正教会の異端派がいました。神を否定した革命と異端の関わりは何なのか。実は、古儀式派はロシアの歴史に大きな影響を与えたと下斗米伸夫・法政大教授は指摘します。
 ◆宗教は21世紀のカギ 下斗米伸夫・法政大教授
 青木 古儀式派は十七世紀のニーコン総主教の典礼改革に反対して破門されました。主な対立点は十字の切り方です。ニーコンは父と子、聖霊の三位一体を示す三本指で十字を切る仕方を導入した。一方の古儀式派はイエス・キリストの神性と人性を表す二本指で切るという旧来の仕方に固執した。単なる儀式上の違いがなぜ深刻な事件に発展したのか、不思議ですね。
 下斗米 宗教儀式の問題だけではなくキリスト教世界全体の潮流も絡んでいたのです。脅威になっていたオスマン帝国に対抗するため、西のカトリック東方正教会に分かれているのを統一しようという考えです。
 キリスト教世界で最も権威があったギリシャの聖職者たちが提唱しました。「第二のローマ」と呼ばれた聖地コンスタンティノープル(現イスタンブール)を、異教徒のオスマン帝国からゆくゆくは取り戻すため、勢いのあったモスクワの取り込みを図ったのです。オスマン帝国コンスタンティノープルを都としたビザンツ帝国東ローマ帝国)を滅ぼし、やはりコンスタンティノープルに首都を置いた。これに対しキリスト教側はカトリック色の強いウクライナをロシアと合体させて、黒海から対岸にある第二のローマを目指そうとしたのです。
 青木 古儀式派はこれに反対したのですか。
 下斗米 ロシアのツァー(皇帝)はビザンツ帝国の皇女と結婚しました。だから第二のローマが滅んだ後はモスクワが「第三のローマ」になったという教義が現れて、古儀式派はこれを信じました。第二のローマを取り返す必要なんかないというわけです。
 北方の厳しい気候の中で信仰を守ってきた古儀式派は、勤労を旨とするある種の原始共産主義的な道徳観を持っていた。カトリックの緩さとは合わない。ロシアがウクライナを取り込んだ正教帝国になることにも反対でした。ニーコン改革をめぐっては、儀式上の宗教論争が国際政治論争に変質したのです。
 青木 宗教を否定したボリシェビキ革命に古儀式派がどう絡んでいくのですか。
 下斗米 「ソビエト」とは日本語で「会議」と訳されますが、本来は古儀式派の会合の場を指します。当局に弾圧されて教会を持てない古儀式派が、長老を選んで宗教行事を行ったりする場です。
 古儀式派の拠点はモスクワやその近郊のイワノボ・ボズネセンスク(現イワノボ)などが有名です。繊維産業が栄え「ロシアのマンチェスター」の異名をとったイワノボは、革命期にできたソビエト発祥の地。労使交渉の場から生まれました。
 日露戦争では古儀式派のコサックも大量動員されたが、信仰が違うという理由でお弔いの儀式をしてもらえなかった。これに古儀式派が激怒。反帝政に動き一九〇五年の民主化革命を主導します。一七年の二月革命で実権を握ったのも古儀式派の資本家です。
 レーニンは古儀式派をうまく利用しました。第一次世界大戦で動員された七百万の農民兵たちに分かりやすく説いた。「働かざる者食うべからず」とか「一人は全員のため、全員は一人のためという精神が社会主義だ」と。こうしたスローガンは古儀式派の持つ社会倫理観です。レーニンはそれをパクって農民を味方につけたわけです。「全権力をソビエトへ」と。
 青木 十月革命で古儀式派主導の臨時政府を倒したのには、レーニンの巧みなプロパガンダ能力があったわけですね。そうして誕生した革命政府は首都をサンクトペテルブルクからモスクワへ移します。サンクトペテルブルクは交戦国のドイツから近すぎるというのが遷都の理由といわれました。
 下斗米 サンクトペテルブルクを建設したのはピョートル大帝です。西洋文明を取り入れて近代化を進めたピョートルは、ロシアの伝統を重んじる古儀式派にとっては「アンチ・クリスト(悪魔)」です。アンチ・クリストの町ではなく「第三のローマ」である聖都モスクワがふさわしいという宗教的理由も遷都にはありました。
 それと、暗殺未遂に遭ったこともあるレーニンは晩年、モスクワ郊外のゴルキ・レーニンスキエ村に隠せいします。古儀式派の村です。古儀式派の大資本家だったサッバ・モロゾフの別荘でレーニンは暮らしました。そこでコックとして働いたのが、プーチン大統領の祖父です。
 青木 無神論ソ連共産党にも古儀式派は生き残ったそうですね。しかも権力の中枢に。
 下斗米 ソ連二代目の首相のルイコフ、三代目首相のモロトフは同郷の古儀式派。長く外相を務めたグロムイコは回想録の中で自分は古儀式派だと明かしています。新生ロシアのエリツィン初代大統領もウラル地方の古儀式派だといわれています。
 青木 そのエリツィン氏とゴルバチョフソ連大統領との権力闘争の末に、ソ連は崩壊しました。九一年のことです。
 下斗米 ウクライナは不要だとしたエリツィン氏のロシア一国主義は古儀式派の思想に通じます。ゴルバチョフ氏はソ連邦存続を図ったのですが、ウクライナが独立に走りソ連は崩壊。ゴルバチョフ氏は居場所を失いました。ニーコン改革をきっかけとした宗教対立がよみがえったような図式でした。今のウクライナ危機の深層にあるのも、この世界観の違いでしょう。
 青木 過激派組織「イスラム国」(IS)に多くの若者が共感を寄せ、他方で、米国とキューバの和解をローマ法王が仲介した。宗教の影響力が強くなりました。二十一世紀は宗教の時代なのでしょうか。
 下斗米 二度の世界大戦が起きた二十世紀は、敵と味方をはっきりさせなくてはいけなかった。それがイデオロギーの根幹にあります。二十世紀はイデオロギーの時代。神は死んだと思っていたが違ったようです。歴史を動かすのはイデオロギーよりも深いものなのでしょう。
 人々があまり移動しなかった昔と、グローバル化が進んだ現在とは、情報の質・量も含めて状況が全く異なります。そうした中でアイデンティティー(帰属意識)の問題を処理するのはやっかいだ。この問題は、どうやって人間が共存していくかという政治学のイロハでもある。これに国民国家主権国家の枠組みで対処してきたが、それが今、揺らいでいます。
 宗教が前面に出てきた理由の一つはそれでしょう。グローバル化は大きな格差を生んでしまった。中東では人々は不公正への異議申し立てを宗教という形で表しています。政治、経済の世界は宗教の力を抜きに考えられなくなりました。宗教は間違いなく二十一世紀を読み解くキーワードです。
 <古儀式派> 17世紀にニーコン総主教が踏み切った典礼の改革を拒否し、伝統的な仕方を守ってロシア正教会から分離した諸教派の総称。分離派(ラスコーリニキ)とも呼ばれ、これはドストエフスキーの「罪と罰」の主人公の名前の由来としても知られる。本来、対立は信仰の本質にかかわるものではなかったが、古儀式派は破門されて国家権力から迫害を受けた。
 <しもとまい・のぶお> 1948年、北海道生まれ。東京大大学院法学政治学研究科博士課程修了。89年から法政大法学部教授。専門はロシア政治。主な著書に『ソ連=党が所有した国家』『アジア冷戦史』『ロシアとソ連 歴史に消された者たち−古儀式派が変えた超大国の歴史』。」
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 2018年1月号 新潮45「Roview Book
 コミュニズムと宗教 意想外の関わり
 『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』 下斗米伸夫
 神学者ティリッヒのいう『疑似宗教』には民族主義、ナチズム、ファシズム、科学主義、経済主義などが含まれる。もちろんコミュニズム共産主義)も。『神が死んだ』状態、価値の喪失、権威の崩壊(ニヒリズム)に人間は耐えられず、そんな場面に陥ると、有限で世俗的なものを神と祭り上げ、自ら進んで拝跪(はいき)するというのだ。戦争と革命の時代たる20世紀は価値や秩序の液状化が著しく、人々は多くの疑似宗教に逃げた。
 本書を読むとしかし、無神論のはずのコミュニズム(少なくともロシアの)は疑似宗教どころか、神を有する真の宗教に直結していたのではないか、と感じさえする。共産党が権力奪取した100年前のロシア革命に、古儀式派と呼ばれるロシア正教の異端の信者たちは、福音書を掲げ、大挙参加したというのだから。
 そればかりか古儀式派は、革命後の国家運営にもルイコフ(ソ連2代首相)、モロトフ(3代)、グロムイコ・・・といった要路の人物を多数送り続け、その流れはエリツィン、さらには『祖父がレーニンのコックだった』という現在のプーチンにまで至っているようだ。レーニンが晩年を過ごしたのは、古儀式派大富豪が所有するモスクワ近郊の別荘で、その料理人も古儀式派の村民が務めた可能性は確かに小さくない。
 それにしても古儀式派とは聞き慣れぬ名前だが、いったい何か。その古儀式派がどうしてコミュニズムと結びつくのか。まったく初めて知ることばかりで、ページをめくることに驚かされる。
 古儀式派とは17世紀、イスラムオスマン帝国に備え、ウクライナカトリックと協同すべく、ニーコン総主教が主導した正教の儀式改革に、断固反対した伝統派の信者たちを指す。彼らは十字を二指で切るなど古い典礼を堅持し、神とロシアの大地を愛し、勤労と友情を尊ぶ原始共産主義的心情を大切にした。彼らの勤勉精神が繊維業などロシアの近代産業を生み出した点は見逃せない。
 しかも19世紀末に信者数2,000万人の大勢力。レーニンらはその取り込みに細心の注意を払ったはずだ。たとえば『ソビエト』という会議。もともとは教会を持てなかった古儀式派が、代わりに持った派内集会『ソーボル』が原型で、その後日露戦争時の1905年、同派の故地イワノボ・ボズネセンスク市で、兵士への信仰差別に抗議して起こした民主化革命で初めて公的にも使われ、それを10月革命でボリシェヴィキが取り入れた。
 共産党機関誌『プラウダ』の創刊も同派富豪の寄付によるもので、『真実』という名前がまず宗教的。ともかく本書でコミュニズムと宗教との意想外の関わりに驚くが、件のイワノボ市は総司令官初め関東軍の高級将校らが抑留された場所として、日本とも無縁ではない。(稲垣真澄)」
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