🐉22」─1・B─モンゴル人大虐殺のユネスコ記憶遺産申請。~No.81No.82 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国軍はモンゴル独立派や非協力者ら約30万人を虐殺した。
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 中国共産党と中国軍による民族教化という大義のもとでのモンゴル人大虐殺。
 現在。地球上で最も残虐な国家は、中国共産党政府である。
 中国共産党政府ほど大虐殺をした政府は、存在しない。
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 人類が憂慮すべきは、70年前の日本の戦争犯罪ではなく今の中国共産党政府の非人道犯罪である。
 日本の戦争犯罪は、東京裁判終結し、サンフランシスコ講和条約で和解した。
 A級戦犯達は、戦争責任を認め、リンチ的縛り首という処刑を享受した。
 サムライは、自分だけ生き残る為に見苦しい真似をせず、責任から逃げず、責任を取った。
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・中国の歴史は、国内外における大虐殺の歴史である。
 人を人を認めないし、命の価値を認めない。 
 特に、中国共産党と中国軍ほど、中国史上類を見ないほどの血に飢えた組織である。
 面子と国内法を優先して、国際法や規則を無視する。
 冷静な平和的な話し合いよりも、具体的な軍事力の優劣で物事を決めている。
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 楊海英「(日本の進歩的知識人達は)あたかも黙っていれば、共産主義者中国共産党の暴挙を礼賛そてきた過去が不問にされるとでも思っているらしい。それは、間違いである、と指摘しておかねばならない」
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 中国軍は、内モンゴル自治区で30万人を虐殺し、民族浄化は現在でも続いている。
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「モンゴルは中国のものである」
 アメリカ、イギリス、ソ連は、対日敗戦処理で話し合い、内モンゴル外モンゴルと切り離して中国領にする事を決めた。
 アメリカは、ヤルタ会談で、ソ連を対日戦に参戦する為に、「民族自決の原則」を無視して大幅な譲歩を行った。
 民族の自決権は、白人には適用されたが、非白人に適用されなかった。
 モンゴル人の民族独立は無視され、モンゴルは南北に分断された。
 1949年 内モンゴルには、モンゴル人80万人と漢族250万人が同居していた。
 中国共産党政府は、モンゴルを中国化する為に大量入植を始め、2015年には漢族人口は3,000万人に達した。
 楊海英(静岡大学教授)「内モンゴルに侵入して植民地を創った外部勢力は中国(漢人)と日本である。モンゴル人を(内モンゴル外モンゴルに)分けて統治したのも中国と日本で、大量虐殺を働いたのは中国のみである」(『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 上下』)
 「非常におかしいと思うのは日本の学界でもメディアでも、かつて文革を熱烈に支持し高く評価した人たちが死んだ振りをしている事です」
 「ソ連は崩壊して中央アジア5ヵ国は独立できました。それで民族自決が実現したと思います。ただ、現在、唯一、植民地的といってよい支配が終わっていないのは、或いはその種の支配の強化し、拡大しているのは中国です。南モンゴル、ウィグル、チベットだけでなく、下手をすればラオスやアフリカ諸国が中国の事実上の植民地にされてしまう。沖縄も例外ではない危険があります」
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 1966年 文化大革命当時、内モンゴル自治区には約150万人のモンゴル人が住んでいた。
 日本軍によって鍛えられた最強のモンゴル騎兵隊は、中国共産党によってチベット鎮圧に動員され、大虐殺を行った。
 中国共産党は、チンギス・ハーン精神で民族団結と民族独立を強める事を警戒し、抵抗勢力に成長する事を恐れて、モンゴル騎兵隊を帰郷させて大量粛清し、解体した。
 農耕民族の中国人は、広大な遊牧地を農地に変えるべく大挙して入植してきた。
 モンゴル草原は、表面的に緑に覆われていても栄養素が少ない土ゆえに農耕地に適さず、牧草地としか使用できなかった。
 少数民族のモンゴル人は、家畜の為に必要な牧草を確保する為に抵抗した。
 中国共産党政府は、放牧地を手放す事を拒否するモンゴル人を逮捕し、陰惨な拷問をして殺害するか、身体障害者もしくは精神異常者として。
 10年間で内モンゴル自治区で34万人が逮捕され、2万7,000人が虐殺され、12万人が拷問や暴力で身体に障害が残るような傷を負わされた。
 革命の大義によって、モンゴル人の50人に1人が惨殺された。
 「(妊娠中の女性に対して)手を陰部から入れて子宮から4ヶ月になる胎児を引き出した」
 「女性の下着を脱がせて、水に漬かった麻縄で会陰部を前後にノコギリのように引く」
 中国共産党は、世界史でも類を見ない程のホロコーストを行っていた。
 モンゴル女性は、中国人に強姦され、抵抗すれば残虐な方法で惨殺された。
 妊婦は、生きたまま胎児を引きずり出された。
 チャハル右翼後旗の目撃談「ドルジサンという女性の放牧民がい居た。ある晩、中国人達は彼女を裸にしてから手と足を縛った。そして、刀で彼女の乳房を切り裂いてから塩を入れ、箸でかき混ぜた。鮮血は箸に沿って流れ、床一面が真っ赤に染まった。彼女はこのように十数日にわたって凌辱されて亡くなった」
 フフホト市での証言「私が住んでいた集落は五戸のモンゴル人からなり、9人の女性がいた。1968年2月のある日、中国人達は片手に毛沢東語録を持ち、もう片手で鞭を持って私達を叩いた。鞭が切れ、棍棒が折れるまで殴られた。親戚の20代の女性は殴られて流産したが、中国人達は大声で笑い、喜んでいた。
 モンゴル人女性は例外なく中国人幹部や解放軍の兵士に繰り返し強姦された。
 1968年の夏のある晩、彼らは私達5人の女性を丸裸にして草原に立たせた。私達は両足を大きく広げられ、股の下に燈油のランプが置かれた。すると、無数の蚊や蛾などの虫が下半身に群がってきた。このような虐待方法はその後、何日も続いた。凌辱されている時、大勢の中国人達がまわりで見て、笑っていたのである」
 南モンゴルは、虐殺を指揮していた藤海清中将を逮捕して裁判にかけるべきであると訴えた。
 毛沢東周恩来は、「彼は、革命の為に貢献した」として無罪放免とした。
 虐殺を指揮した指揮官が無罪となった以上、誰一人として罪に問われた者はいない。
 それが、昔も今も変わらない、中国の現状である。
 儒教は、モンゴル人を人とは見なしていなかった。
 中国人は、農地の開墾を行う際に自然環境への配慮を一切しなかった為に、数年は農産物が取れたがその後は土地が砂漠と化した。
 中国の儒教は、人間中心で、自然の事は気にせず破壊の限りを尽くしていた。
 人は、その土地に住めなくなれば別の土地に行って生活すればいい。
 年々、黄砂が増えるのはこの為である。
 そして、現代中国における自然破壊や環境汚染は宿命的に起きている。
 中国人は、拝金主義者とである以上、口では環境改善や自然保護を訴えても本心ではない。
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 中国人兵士がモンゴル人に行った陰惨な猟奇的惨殺は、日本軍兵士が中国人に行った虐殺よりも目を背けたくなるほどの数々であった。
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 モンゴル人に対する、陰湿で残酷な同化政策
 漢族は、モンゴルを中国化する為に、モンゴル人を迫害し、モンゴル民族固有の文化や宗教や伝統を破壊している。
 先祖が切り開き守ってきた土地を奪い、放牧地を農地に開墾している。
 中国人は、地上を中国人で埋め尽くす為に少数民族を消滅させようとしている。
 自分の利益を最優先する中国人は、少数民族の現状を歯牙にもかけないし、生死にも関心がなかった。
 中国は経済発展の為に、内モンゴル自治区新疆ウイグル自治区等で、モンゴル人やウィグル人の人権や生活権を踏みにじって乱開発を行い、自然を破壊している。
 抗議デモが発生すれば、如何なる犠牲も厭わず暴力で鎮圧し、今後の為に弾圧した。 
 中国で起きる事は国内問題である以上、内政干渉はするなと恫喝している。
 世界各国は、経済に為に、中国国内での非人道的行為に目を瞑っている。
 これも、力こそ正義という一種の世界常識である。
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 2018年 中国共産党民族浄化政策によって、内モンゴル自治区の人口約2,400万人のうちモンゴル人は420万〜430万人で、全体の8割以上が中国人になっている。
 多数派となった中国人は、少数派となったモンゴル人の中国化の為に強制的「再教育(洗脳教育)」を行い、民族言語を消滅させ民族伝統文化の絶滅を図っている。
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 儒教による中華思想では、漢族ではない異民族は人間以下の獣として扱われ、世界一優秀な漢族による異民族への惨殺や虐待行為は天から与えられた正当権利とされた。
 儒教は、民として保護すべき人間は高度な文明を持った漢族のみとし、徳化・教化・同化できない異民族は保護するに及ばない獣と決め付けていた。
 漢族でない日本民族も、獣として、昔は「倭」と近現代では「鬼子」と読んでいた。
 もし。中国軍が日本を占領していたら、日本でもモンゴルやチベットウイグルと同様の事が行われ、中国に媚び諂う反日的日本人だけが助けられていたろう。
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 中国軍は、ブータンとの国境線でブータン領内に小屋を建て道路を建設して領土を侵食した。
 中国は、少しずつブータンの国土に入り込みを、18%のブータン領を奪った。
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 2017年6月1日 産経ニュース「中国文革期の虐殺をユネスコ記憶遺産申請へ 「『モンゴル人だから』で虐殺」 世界南モンゴル会議が発表
 モンゴル民族の自決権確立を目指す国際組織「世界南モンゴル会議」は1日、東京・永田町の参院議員会館で記者会見し、中国の文化大革命期(1966〜76年)に内モンゴル自治区で起きた虐殺・拷問に関する記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)への登録を目指すと発表した。当時の客観的な一次資料を中心に収集、英訳を進め、来年6月ごろに登録を申請する予定だ。
 文革については中国政府も多数の犠牲者を出したことを認めており、90年代に出版された内モンゴル自治区史には、自治区で迫害を受けて死亡した人を「2万7900人」と記している。拷問を受けて死亡したケースもあり、10万人以上が犠牲になったとの指摘もある。
 ドイツから来日した会議のショブチョード・テムチルト代表は「文革期に中国の全ての民族が迫害を受けたと漢族はいうが、内モンゴルでは『モンゴル人だから』という理由で虐殺が行われたことを強調したい」と訴えた。申請を目指す理由については「中国政府を批判することではなく、後世に悲惨な歴史の記録を残したいからだ。二度と同じことが行われないよう祈って行動している」と語った。
 記者会見に先立ち行われた会合には、自民党城内実、長尾敬両衆院議員が出席。89年の天安門事件の被害者で、事件の記憶遺産登録を目指す米国在住の民主活動家、方政氏も姿を見せた。」
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 6月20日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「モンゴル人を大量「虐殺」 記憶遺産に値する中国の罪
 楊海英(本誌コラムニスト)
 内モンゴルを占領する中国の治安当局 VCG/GETTY IMAGES
 <文化大革命で「中国の敵」として殺された親日派遊牧民旧宗主国・日本に刺さる「満蒙を忘れないで」の叫び>
 昨年11月、南モンゴル(中国内モンゴル自治区)の民主運動家約150人が東京に集まり、連帯組織「クリルタイ」を結成して半年以上が過ぎた。
 あえて東京で結成したのは、大日本帝国がかつてモンゴル人の故郷に満州国と蒙疆政権を樹立したから。フランスが旧宗主国としてアフリカ各国の政治に関わるように、日本の関与をモンゴル人たちも求めている。
 今月初め、クリルタイは再び東京に集結。永田町の参議院議員会館で会見を行った。なかでも注目は、66~76年の中国の文化大革命期に内モンゴルで起きた大量虐殺・拷問に関する記録についてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産登録を目指すと発表したことだ。既に研究者によって公開された膨大な第1次史料の収集をさらに進め、英語に翻訳。来年6月までに申請するという。
 史料によると、文革時の内モンゴルには150万人近くのモンゴル人が暮らしていたが、そのうち34万人が逮捕され、2万7900人が拷問を受けて殺害され、12万人に身体障害が残ったという。障害を負わされてからしばらくした後に亡くなった「遅れた死」を含めると、死者数は10万人以上との報告もある。
 【参考記事】習近平が私営企業に押す「共産党印」の不安
 中国政府公認の研究もこうした事実を否定できず、中国は「文革期には漢民族も被害を受けた」と強弁するしかない。だが今回、亡命先のドイツから来日したショブチョード・テムチルト代表は「内モンゴルでは、モンゴル人だからとの理由だけで虐殺が行われた」と証言。彼の祖父も満州国時代に日本人と親しかったというだけで戦後、中国当局から迫害されたという。
 北京から派遣された人民解放軍の将校は、「旧満州国には中国の敵が多く、モンゴル人だけで70万人もいる」と兵士を動員し、漢民族の労働者と農民を扇動して殺戮へと駆り立てた。
 日露戦争直後から満州国時代を経て、45年に第二次大戦が終わるまで、約40年にわたって日本統治を経験した内モンゴルでは、日本語を操る知識人が大勢いた。日本は植民地経営で教育への投資に力を入れていたからだ。このような親日派モンゴル人が文革期に「日本のスパイ」「対日協力者」としてギロチン台に追いやられた。「日本は過去の満蒙(満州南モンゴル)を忘れないで」とモンゴル人は東京で声を上げた。
 中国は「日本の侵略者を満蒙から追い出し、モンゴル人を解放した」と嘘をつく。実際は45年8月、ソ連モンゴル人民共和国北モンゴル)の連合軍が満蒙で日本軍と激戦し、同胞を解放した。日本人が去った後、南モンゴルの住民はモンゴル人民共和国との統一国家を望んだ。
 ヤルタ協定での裏取引
 だが米英ソが45年2月に秘密裏に交わしたヤルタ協定モンゴル人民共和国ソ連の勢力圏に置き、南モンゴルを中国に売り渡した。北モンゴルの権益を餌に、ソ連に対日参戦を促す裏取引だった。ヤルタ会談の場にモンゴル人も日本人もいないまま、戦後モンゴルは国土の南半分を中国に、日本は北方四島をロシアに占領されて今日に至る。
 中国は「解放者」として内モンゴルで過酷な弾圧を行った。今でも草原は漢民族に占領され、抵抗するモンゴル人はほぼ毎日のように逮捕されている、とニューヨークに本部を置く南モンゴル人権情報センターは世界に発信している。有無を言わさず牧畜民を農耕民に変え、モンゴル語による教育を廃止して中国語を強制する文化的ジェノサイド(大虐殺)を強行している、とクリルタイも中国を批判する。
 【参考記事】共産党が怖がる儒教復権
 ただし、クリルタイ文革期のモンゴル人虐殺を世界記憶遺産として申請するのは中国を批判するためではないという。人道に対する罪を暴き、同様の悲劇が二度と起こらないようにしたいとの願いからだ。
 中国によって「南京大虐殺」文書が記憶遺産に登録されるなど、ユネスコは日本批判の道具にされつつある。文革期のモンゴル人虐殺の登録実現で、信頼を取り戻してほしいものだ。
 [2017年6月20日号掲載]
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