- 作者: 渡辺京二
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- 発売日: 2010/02/02
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外交能力の低い日本人は、相手の言葉を信じ、その裏に隠された真意を読み解く理解力が乏しい。
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2016年8月19日 産経ニュース「1945年の旧ソ連対日参戦、正当化論調に異議「約束守るべきだった」 アレクセイ・キリチェンコKGB元大佐インタビュー
インタビューにこたえるソ連国家保安委員会(KGB)元大佐、アレクセイ・キリチェンコ氏(遠藤良介撮影)
第二次大戦後の北方領土問題や「シベリア抑留」の悲劇を生んだ旧ソ連の対日参戦(1945年8月9日)について、ロシアでは当時の日ソ中立条約(41年締結)の効力を否定して正当化する論調が強まっている。ソ連による抑留問題の実態を暴露したソ連国家保安委員会(KGB)元大佐の歴史家、アレクセイ・キリチェンコ氏(79)は産経新聞のインタビューに応じ、こうした見方が誤っていると論破した。一問一答は次の通り。
−−ソ連は45年4月5日、中立条約を延長しない旨を日本に通告した。これをもって、対日参戦に問題はなかったとの主張がある
「ソ連のモロトフ外相は当時、日本の佐藤尚武大使に条約を延長する意思がないことを表明した。しかし、老練な佐藤大使は、条約が46年4月25日まで有効であることをモロトフに認めさせている。後にスターリン首相がこれを“修正”して対日参戦したということになるが、外相の約束は破られるべきでなかった」
−−ある日本専門家は最近の論文で、41年の日本軍人らの発言や松岡洋右外相の「北進論」を挙げ、日本には中立条約を守る意思がなかったと強調している
「戦争のことを考えるのが軍人の仕事である。ソ連との戦争に反対する者が陸軍にも海軍にも存在していた。松岡は政府と見解が相いれず、同年7月に更迭されている。誰にどんな『計画』があったとしても、それに意味はない」
−−ソ連の極東戦力が日本の対ソ攻撃を抑止したとも主張されている
「実際には、日本は41年秋、満州の関東軍からの部隊引き抜きも含め、南方へと兵力を迅速に集中させた。9月にはソ連にも、当時の関東軍の構成では、日本に戦争はできないということが明らかだった。10月末には、スターリンが極東の軍や共産党指導者との少人数の会合を持ち、極東の部隊を西部(対ドイツ戦)に投じることが決まった。日本が攻撃してこないとの確信があったのだ」
「ほかならぬ極東の部隊が41年11月7日にモスクワの『赤の広場』でのパレードを行い、そこから(西部の)戦闘に向かった。それによってモスクワは攻撃されることを免れたのだ。41年から43年の間に、極東から西部へと完全に訓練・武装された42個師団が振り向けられた」
−−満州からソ連への国境侵犯が頻発し、それが日本の「攻撃意図」の表れだともされている
「日本はノモンハン事件(39年)以降、ソ連国境を破らないようにということを徹底していた。日中戦争があり、ソ連を挑発して『2正面』で戦うことはできなかったためだ。逆に、関東軍がソ連からの脱走兵や送り込まれた諜報員を収容所に入れていた事実があり、越境はソ連からの方が活発だったのではないか」
−−ソ連はどう対日参戦に向かったのか
「戦争の前半には、中立条約はソ連にとっても日本にとってもきわめて有利なものだったのだと考える。しかし、独ソのスターリングラード攻防戦(42〜43年)の後、ソ連は自らの力を認識し、日本との戦争準備を始めた。国防委員会は対日戦に備え、シベリア鉄道の予備支線としてコムソモリスク・ナ・アムーレ−ソビエツカヤ・ガバニ間の鉄道敷設を決め、それは予定された45年8月1日より数日早く完了している」
−−原爆投下でなく、ソ連こそが第二次大戦を終結させたのだとして対日参戦を正当化する主張も強い
「満州の実態を見るならば、当時、片道分の燃料しかない航空機が380しかなく、その多くは8月半ばに日本に戻ってしまった。ソ連側は5000機以上も戦闘態勢にあったが、空中戦はほとんどなかった。満州には戦車もたいへん少なく、この頃には完全に弱体化していたというのが事実だ」
−−“公式史観”と異なる見方を公にする理由は
「私は、日本をソ連の敵国の一つとして研究し始めた。だが、日本の現実を深く知るにつけ、ソ連とその後のロシアが少なからぬ過ちを犯し、それが今日に至るまで両国関係に本質的な影響を与えていることを理解した。むろん、日本も天使にはほど遠かった。将来の悲劇と困難を避けることには意味があると考える」(モスクワ 遠藤良介)
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ソ連の対日参戦 ソ連軍は1945年8月9日、当時有効だった日ソ中立条約を破って日本に対する戦闘を開始し、満州(中国東北部)や樺太(サハリン)などに侵攻。日本がポツダム宣言を受諾し、15日に終戦の詔書が発表された後も一方的な侵略を続けた。ソ連軍が日本の北方四島を占拠し終えたのは、日本が降伏文書に調印した9月2日よりも遅い同5日だった。ソ連はまた、武装解除した日本将兵など約60万人を旧ソ連各地に連行して強制労働を課し、6万人以上の死者が出た(「シベリア抑留」)。
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アレクセイ・キリチェンコ氏 ソ連国家保安委員会(KGB)元大佐、ロシア科学アカデミー東洋学研究所上級研究員。1936年、旧ソ連のベラルーシ生まれ。64年にKGB大学を卒業しKGB第2総局で対日防諜を担当。80年代に研究所入りして日本人強制抑留問題に取り組み、日露間での真相解明に向けた原動力となった。著書に「知られざる日露の二百年」(現代思潮新社)がある。」
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9月10日 産経ニュース「【ロシア万華鏡】ロシア極東で安倍晋三首相を絶賛する声が続出 「中国、韓国より日本が大事だ!」 日露経済協力は活発化するのか? 露極東ウラジオストク市内には日本の中古車があふれていた=9月6日
安倍晋三首相が経済協力を打ち出したロシア極東で、日本との関係拡大に期待する声が強まっている。首相が出席した「東方経済フォーラム」が開かれたウラジオストクでは、多くの市民らが驚きを交えながら歓迎の言葉を口にしていた。
ただ同地域は深刻な汚職体質で知られ、経済状況も厳しい。ロシア側が領土問題を棚上げする姿勢を強めるなか、経済協力が一方的なものになり、日本企業にメリットが生まれなければ、安倍政権は新たな批判を招きかねない。
中国、韓国よりも日本が大事
「あなたの国の首相の演説は本当に良かった。私は日本を支持する。中国よりも、韓国よりも、日本が大事だ。私は日本車が大好きだ」
「街を見たら、どれほど日本の物があふれているか分かるでしょう。私たちは、日本なしの生活なんて考えられないのです」
「実現すれば、本当にすばらしいこと。でももし首相が代わってしまったら、その後も同じようにロシアに関わってくれるのかしら…」
経済フォーラム終了後のウラジオストクの街中では、多くの市民らが日本への強い期待を口々に語った。「安倍首相が交代しても、日本の首相はウラジオストクに来てくれるのか」「今だけの関係ではないのか」と心配したように記者に訪ねる人も少なくなかった。
ロシアのなかで日本に最も近い極東地方は、首相が打ち出した経済協力の重点対象地域とされる。1990年代、ソ連崩壊後、経済危機に陥ったロシア中央政府の開発計画から見放されるなか、極東の人々は日本製中古車の輸入業などに活路を見いだし、自力で地域経済を支えた。ウラジオストクの路上は現在も、日本の中古車であふれかえり、さまざまな日本の商品を扱う店舗や、メイド喫茶のような寿司屋まであった。多くの市民にとり、日本は切っても切れない存在であることは間違いない。
厳しい経済状況
そのようななかで彼らが日本に強い期待を寄せるのは、極東経済が再び厳しい状況に置かれている実態と無縁ではない。
ウラジオストクを含む極東連邦管区では今年1−5月、全地域で住民の実質収入が減少した。域内投資額も昨年、下落した。日本海に面する極東ではアジア各国から商品を買い付け、それを露国内で転売する中小規模の輸入業者が多いが、ウクライナ危機以降の通貨ルーブルの暴落で買い付けが困難になり、彼らの生活は厳しい局面にたたされている。
「仕事を3つ掛け持ちするなんて、“ざら”よ。誰もが、ちょっとでもお金を稼いだら、この街から出ていこうとしている。今ここで働いているのは、街を出ることすらできない人々ばかり」
フォーラム会場から市内の取材現場まで記者を送ってくれた30歳前後の女性タクシー運転手は、ウラジオストク市の置かれた現状をこう語ってくれた。他にも多くの人々が、経済状況の悪化を訴えていた。
深刻な汚職問題
ただ極東地方は、その汚職体質への批判が絶えない。
ソ連崩壊以降、中央政府の保護もなく経済を支えざるを得なかった極東では、違法なビジネスが蔓延したのも事実だ。当時と比べれば状況は大きく改善したとされるが、そのような時代を強く思い起こさせる事件がフォーラムのわずか3カ月前に発生した。
6月上旬、ウラジオストクでは当時の市長が職権乱用などの容疑で逮捕された。親族が経営する企業に公共事業を不正に受注させたとの容疑だったが、同市の市長摘発は、退職後を含めると実に3代連続となってしまった。
安倍首相が5月、露南部措置での日露首脳会談で8項目の経済協力を打ち出した直後だっただけに、日本企業関係者からも強い落胆の声が聞こえた。
信頼失う
現在、日本からの個人輸入業を細々と続けているというウラジオストク市内に住むロシア人男性は、今回の日露の経済関係強化の動きを受け、再びビジネスを拡大したいと意気込んだ。
ただ彼は以前、自分の周りで日本側をだまし、商品代金を支払わず雲隠れした業者たちを目撃していたという。
男性は記者に対し、自戒を込めるようにつぶやいた。「今度同じことを繰り返せば、われわれはもう二度と信頼されないだろう」(ウラジオストク 黒川信雄、写真も)」
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