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2024年5月15日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「複雑すぎる世界情勢」をスパッと読み解く地政学は「学問分野ではない」という基本的事実
なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか?
「そもそも」「なぜ」から根本的に問いなおす地政学の入門書『戦争の地政学』が重版を重ね、5刷のロングセラーになっている。
【写真】日本人が知らない「プーチンのヤバすぎる…」
地政学の視点から「戦争の構造」を深く読み解いてわかることとは?
地政学は「学問分野ではない」
昨今「地政学ブーム」と言えるほど地政学本が多く刊行されている。
地政学がわかれば世界がわかるのか? 激動の世界情勢をスパッと読み解けるのだろうか?
実際、地政学はそう単純でも、万能でもない。
まずは、地政学は「学問分野」ではないという事実がある。
〈「地政学」は「学」と呼ばれているにもかかわらず、学術的な研究分野だとみなされてはいない。
公刊されている多数の書籍の中で、学者が執筆したものは、非常に少ない。
「地政学」を、学部名や学科名や、授業の科目名として導入している大学はほとんど存在していない。
「地政学」は「学」と呼ぶべき一つの学問分野としては存在していない。〉(『戦争の地政学』より)
〈日本においては、第二次世界大戦の前の時期に、地政学が日本独自の関心に沿った形で、政策論で頻繁に参照された。
それが間違った形で戦争の正当化につながってしまったのではないか、という反省から、地政学とは危険な似非学問である、という理解が広まった。
今日においてもなお、地政学を正面から信奉している学者は少ない。〉(『戦争の地政学』より)
地政学との付き合い方
では、似非学問とされた過去を持ち、学問分野として存在していない地政学とは、どのように向き合えばいいのだろうか。
〈地政学に対する典型的かつ古典的な批判は、それがあまりに運命論的すぎる、というものである。
だが自由意志を働かせて環境要因に抗ったり、周囲の環境の影響を操作したり、地理的条件を変化させていくことが、人間に全くできないというわけではない。
むしろ環境要因から導き出される所与の条件を利用しながらも、なお同時に、積極的に変更していこうとする人間の営みによって、人類の歴史は作り出されてきた。
構造的要因から洞察できる傾向を把握したうえで、なお人間の世界観の違いが織りなす衝突にも注意を払っていくのが、より適切な地政学との付き合い方だ。〉(『戦争の地政学』より)
地政学本に対する不満
また、既刊の地政学本は、地政学を単純化・一般化していることが多い。
『戦争の地政学』では、「英米系地政学」と「大陸系地政学」という地政学の二つの異なる世界観の対立・葛藤を丁寧に見ていく。
〈私にとって不満を感じざるを得なかったのは、地政学があたかも完結した一つの学問分野であるかのように扱われている場合が、あまりに多いことだった。
あるいは逆に、多様な地政学の視点を、単なる内部の混乱として扱ってしまうことが、一般化していることだった。私は、以前から、この傾向に不満を持っていた。しかし今回調べ直してみて、あらためて不満が高まった。
確かに世界情勢を図式的に理解できるのは、地政学の視点の大きな魅力だ。だがそれだけでは、世界観を一致させる人々が、互いにただ自分たちの権力欲にしたがって衝突しているだけだという極めて静的な世界の理解が、地政学の全てになってしまう。
現代世界では、武力紛争が多発している。ロシアによるウクライナ侵攻という劇的な事件による悲劇も続行中だ。この世界の矛盾が劇的に露呈している。静的なイメージでの地政学の理解は、私にとっては不満の材料でしかなかった。〉(『戦争の地政学』より)
地政学は「学問分野」ではないという事実や、あたかも完結した一つの学問分野であるかのように扱われている場合が多いという状況を受け止めた上で、地政学をどのように取り入れていくのか考えてほしい。
現代新書編集部
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「地政学」の意味・わかりやすい解説
地政学 ちせいがく
スウェーデンの政治学者チェレーンRudolf Kjellén(1864―1922)によって第一次世界大戦直前につくられた用語で、政治地理学が世界の政治現象を静態的に研究するのに対し、地政学はこれを動態的に把握し、権力政治の観点にたって、その理論を国家の安全保障および外交政策と結び付ける。地政学を大成したのはドイツの軍人K・ハウスホーファーであった。彼はヒトラーのナチス党と結び付き、地政学は、第三帝国の領土拡大政策の基礎としてゲルマン民族至上主義と民族自給のための「生活圏」Lebensraumを主張するプロパガンダの手段と化した。しかし今日では南北問題の解明などのために新たな地政学が必要とされよう。
[川野秀之]
『ルドルフ・チェレーン著、阿部市五郎訳『地政治學論』(1941・科学主義工業社)』▽『ハウスホーファー著、太平洋協会編訳『太平洋地政学』(1942・岩波書店)』▽『ルドルフ・チェレーン著、金生喜造訳『領土・民族・国家』(1943・三省堂)』▽『ハルフォード・ジョン・マッキンダー著、曽村保信訳『デモクラシーの理想と現実』(1985・原書房)』▽『高木彰彦他編『アジア太平洋と国際関係の変動――その地政学的展望』(1998・古今書院)』▽『アントニオ・グラムシ著、上村忠男編訳『知識人と権力――歴史的・地政学的考察』(1999・みすず書房)』▽『ジョン・オロッコリン著、滝川義人訳『地政学事典』(2000・東洋書林)』▽『奥山真司著『地政学――アメリカの世界戦略地図』(2004・五月書房)』▽『アルフレド・セア・マハン著、北村謙一訳『マハン 海上権力史論』新装版(2008・原書房)』▽『曽村保信著『地政学入門――外交戦略の政治学』(中公新書)』▽『倉前盛通著『悪の論理――地政学とは何か』(角川文庫)』
[参照項目] | 政治地理学 | 南北問題 | ハウスホーファー
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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改訂新版 世界大百科事典 「地政学」の意味・わかりやすい解説
地政学 (ちせいがく)
地理的諸条件を基軸におき,一国の政治的発展や膨張を合理化する国家戦略論が地政学である。地政学という名称を最初に用いたのは(1916),スウェーデンの学者チェレン(ヒェレン)Rudolf Kjellén(1864-1922)であったが,内容的にはドイツのF.ラッツェルが,すでに生存圏肯定の理論としてI.カントの政治地理学を再編成し直し,ドイツの植民地拡大政策の根拠づけを行っていた(1889)。ラッツェルとチェレンの生存圏,自給自足,大陸国家優先の地政学は,ドイツのK.ハウスホーファーによって受け継がれた。地球上の生存空間を求める国家間の競争が,政治地理,経済地理,さらにその根幹となる自然地理から科学的に説明できるとする彼の学説は,世界が汎アメリカ,汎アジア,汎ユーロアフリカ,汎ロシアの四つの総合地域に統轄されると主張し,その中でドイツの支配する汎ユーロアフリカ地域のみが大陸海洋両様地域として発展しうるという,ナチス・ドイツのイデオロギー的基礎となる地政学を展開した。これに対し英米系の地政学では,同じく大陸パワー論をとりながらもドイツの支配をおそれる立場で地政学を唱えたイギリスのH.J.マッキンダー,海洋パワー論の見地でアメリカの海洋戦略を強調したアメリカのA.T.マハン,大陸パワーと海洋パワーの接触地帯をリムランドrimlandと名づけ,日独伊枢軸から成るこのリムランドと米英ソの連合勢力との勢力均衡論のなかで,アメリカの国益追求を権力政治的に基礎づけようとしたスパイクマンNicholas J.Spykman(1893-1943)など多様性があった。第2次大戦後,北極の重要性,北アメリカの隔離性の喪失,大陸の潜在力の増大を強調する地政学や,アメリカ核戦略と結合してリムランドのうちカリブ海,日本,西欧,オーストラリアのみを重視する地政学などいくつかのものが出現したが,一般的には政治地理学の部分的理論として相対化された。
執筆者:関 寛治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地政学」の意味・わかりやすい解説
20世紀初めに現れた国家学の一形態。国家の本質は,単に権利の主体,あるいは法的秩序の保障者たることにあるのではなくて,民族と国土にあり,新しい国家学は生活体としての国家を経験的に把握しなければならないとするもの。地理と政治が密接な関係にあることを,ドイツの地理学者 F.ラッツェルが『政治地理学』 (1897) の中で学問的にこれを体系化し,スウェーデンの政治学者 R.チェーレンは国家の解明にラッツェルの理念を取入れて『生活形態としての国家』 (1916) を著わして初めて地政学という名称を用いた。チェーレンの地政学にみられるような地理的決定論と国家有機体説との結合は,全体主義的な国家理念に通じやすく,ドイツの K.ハウスホーファー (元日本駐在武官) によって「生活圏」という概念を用いて発展し,ナチス・ドイツの侵略政策を正当化するための御用学問として利用された。第2次世界大戦後に自殺したハウスホーファーの「自分は科学者であるよりもドイツ人であった」という述懐はこのことを示している。大戦後,多くの学者によって,科学的用語としては不適当とされたが,アメリカの政治学者の間に地政学の影響が残っている。なお政治地理学という用語の代用として使われる場合もある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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百科事典マイペディア 「地政学」の意味・わかりやすい解説
地政学【ちせいがく】
英語でgeopoliticsといい,20世紀初めに現れた政治学の一形態。スウェーデンのチェレンが政治地理学を発展させて創始,国家を土地を不可欠の構成要素とする地理的有機体として扱ったもの。ドイツのハウスホーファーによって継承されたが,これはナチスの政策に利用された。
→関連項目ラッツェル
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ウィキペディア
地政学(独: Geopolitik)は、国際政治を考察するにあたって、その地理的条件を重視する学問である。
19世紀から20世紀初期にかけて形成された伝統的地政学は国家有機体説と環境決定論を理論的基盤とし、ドイツ・イギリス・日本・アメリカ合衆国などにおいて、自国の利益を拡張するための方法論的道具として用いられてきた。第二次世界大戦後の国際社会において、地政学という言葉はナチス・ドイツの侵略行為との結びつきから忌避されてきたが、しばしば著述家により「自らの著作に一種の荒っぽい格を付与させる」短縮表現として用いられることがある。
1980年代以降に勃興した批判地政学(英語版)は、地理に関する政治的言説そのものを研究対象とする学問であり、ある空間に対する政治的イメージがいかに構築されるかについて論ずる。
呼称
日本語の「地政学」という用語は、ドイツ語「ゲオポリティク(Geopolitik)」の翻訳語として導入されたものである[3]。この用語は、1899年にスウェーデンの国家学者・政治家であるルドルフ・チェレーンにより提唱された。チェレーンは当初、ゲオポリティクの語をラッツェルの政治地理学と同義で用いたが、後に「政治地理学が人類の居住地としての地球を他の性質との関係において研究するのに対して、地政学は国家の体躯として領土を扱う」ものであると規定した。
1930年代前半ごろまで、「ゲオポリティク」の訳語としては「地政学」と「地政治学」の2つが主だって用いられていたが、両語が並立していた背景には、ゲオポリティクの学問的性質に関する当時の齟齬があったと考えられている。すなわち、地政学を地理学の一部とみなし、「地理政治学」の短縮語として「地政学」を用いようとする研究者と、地政学を政治学の一部とみなし、「地政治学」を用いようとする研究者の対立である[3]。とはいえ、十五年戦争期、国内の地理学者がゲオポリティクの実践的側面に着目し、地理学の一部として、極端な場合には地理学のありかたそのものとして「地政学」を推挙し、著作や学術団体の名称として積極的に「地政学」を用いたことにより、「地政学」の訳語は定着し、「地政治学」の語は1941年を境にほとんど使われなくなった[3]。しかし、1940年代以降においても、「地政学」の訳語が完全に定着していたわけではなく、1941年にゲオポリティクが「普遍性を持たない一種の技術論」であるとして、新しく「地政論」の訳語を挙げた木内信蔵などの人物も存在した。
山﨑孝史は、批判地政学における英語「Geopolitics」は、「地政治」と訳すのが適切であると主張している[5]。同様に、高木彰彦は「ジオポリティクス」の語は「geography(地理/地理学)」、「politics(政治/政治学)」といった言葉と同様、世界や国際情勢の見方や捉え方を意味する場合には「地政学」、実践的ないし政策的な意味合いで使われる場合には「地政治」と訳しわけることを提唱している。
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