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2022年4月29日06:00 MicrosoftNews JBpress「ロシアによる平和条約交渉中断は凶ではなく天の恵み
常盤 伸
© JBpress 提供 北方領土はロシア領だと誇示するために択捉島を訪れた前大統領のドミトリー・メドベージェフ(2019年8月2日、写真:ロイター/アフロ)
ウクライナに全面侵攻中のロシアのプーチン政権が、日本の対ロ制裁への報復として3月21日、平和条約交渉の中断を外務省声明として、一方的に発表した。
ロシアの反応は予想通りだが、日本メディアの報道内容には驚いた。
ほとんどの記事が「北方領土問題を含む平和条約交渉」と、言葉を付け加えて報じていたからだ。
ロシア外務省声明では「現在の諸条件下ではロシア側は日本との平和条約に関する交渉を継続するつもりはない」としている。
プーチン政権は、平和条約交渉と領土交渉を明確に区別している。
日ロ間で領土問題は決着済みで、平和条約交渉は行っているが、領土交渉は一切行っていないという最も強硬な立場だ。
日本の報道では、ロシア側が北方領土交渉を容認していることになる。
これほど基本的な誤解があると、読者が交渉の実態を根本的にミスリードしてしまう恐れがある。
日露交渉に関して日本では、メディアや専門家も含め、希望的な観測が先行し、プーチン氏らの断片的な発言などに引きずられて、本質的な分析を軽視する傾向が強かった。
ロシア側のいう平和条約は北方領土問題を盛り込まないかたちでの国家間の基本条約だ。しかし日ロ間で国際法上残された問題は、北方四島の帰属問題の解決以外にない。
1956年の日ソ国交正常化交渉で平和条約が締結できなかったのも、領土問題で合意できなかったためだ。
つまりプーチン氏らの提案する「平和条約」は、本質的には平和条約ではないということなのだ。
念頭に置いているのは、冷戦時代のソ連時代からロシアが対日戦略の大目標としていた「善隣条約」あるいは「善隣友好条約」のような領土抜きの条約だ。
具体的にいかなるものなのか。その手がかりとして参考になる、一つの「草案」が旧ソ連ブレジネフ時代に明らかになっている。
1978年1月、当時のグロムイコ外相がモスクワを訪問した園田直外相(当時)に提示した「日ソ善隣協力条約」の草案だ。
その第3条では「ソ連と日本は締約国の一方の安全に損害を与え得るいかなる行動のためにも、自国の領土を使用させない義務を負う」とある。
第4条には、「締約国は、そのいずれかに対する侵略行為を第三国にとらせるような、いかなる行動を差し控える義務を負う」と明記されている。
これらが意味することは、こうした「条約」によって、日本に対する恒常的な内政干渉が可能となるということだ。
ソ連は日本の同意なく、同年2月下旬、「イズベスチヤ」紙や「プラウダ」紙に一方的に公表、日本側の反発を巻き起こした。
このような対日強硬姿勢から抜本的に脱却したのがソ連崩壊後、新生ロシアを率いたボリス・エリツィン大統領(当時)だった。
北方領土問題は、スターリンの領土拡張主義に起因するとして日本に歩み寄った。
1993年に、日本との東京宣言で法と正義の原則で「四島の帰属の問題を解決し、平和条約を締結する」と合意した。
1956年の「日ソ共同宣言」では、平和条約交渉に領土問題が含まれるか両国で解釈が分かれたが、東京宣言でそうした議論に決着がつき初めて択捉、国後両島の帰属交渉の道が開かれた。
大統領に就任したウラジーミル・プーチン氏も当初は、これを継承し、2001年のイルクーツク声明や、2003年の日ロ行動計画では「東京宣言」が明記され、行動計画では「困難な過去の遺産を克服」するとも明記された。
ところが政権基盤を固めた政権第2期以降、大祖国戦争と呼ばれる第2次大戦の対独戦での戦勝史観を強力に推進するようになった。
旧ソ連の歴史観に「先祖返り」したのである。
2005年以来、北方四島は、「第2次大戦の結果、ロシア領になった」との立場に転換し、東京宣言の死文化を図る姿勢を取るようになる。
プーチン氏自身、ソ連の領土保全を最大の任務とする旧ソ連国家保安委員会(KGB)の対外諜報部門出身だ。
プーチン政権は、この方針に従って、日露(日ソ)関係に関する、基本的な歴史的事実をこぞって歪曲、捏造し、それを北方領土交渉に応じない根拠として、内外でプロパガンダ(政治宣伝)を積極的に行ってきた。
さて、ウクライナ侵攻までのプーチン政権の対日戦略の基本原則は何か。
まず第1は、日米同盟の弱体化、日米離間だ。
安全保障を米国に依存する日本について、プーチン政権は本質的には「主権国家」としてみていない。
あくまで日本を対米安全保障戦略上のいわば「従属変数」と位置づけ、米国主導の対ロ包囲網を打破するための、最も弱い環として活用するということだ。
第2は、中国にGDP(国内総生産)で追い抜かれたとはいえ、依然としてアジアの経済大国日本との経済協力を最優先することだ。
そのうえで第3は、日本との平和条約交渉では、北方領土問題の存在そのものを否定し、歯舞、色丹も含めて、四島の主権問題に関して、いかなる妥協も拒否する強硬姿勢を貫くことだ。
安倍晋三政権時代の対ロ交渉で日本は大きな負の遺産を抱えることになった。
安倍氏の提案による2018年のシンガポール合意によって、交渉の基礎が東京宣言から日ソ共同宣言に移行した。
北方四島の帰属交渉という枠組みではなく、二島引き渡しを最大とする枠組みに退行してしまった。
また「新しいアプローチ」で、経済協力と領土交渉のリンケージを事実上、自ら断ち切ることになった。
ロシア側は、対日強硬姿勢を貫いていけば、焦る日本は必ず方針転換するとの自信を深めたと思われる。
さて安倍氏は、プーチン氏との信頼関係構築を最も重視したが、過去の日露交渉の事例を見ると、日露交渉を左右する主要なファクターで、まず第1に重要なのは、実はロシアの内政要因であり、第2に日露を取り巻く国際環境だ。
これらの条件が整ってこそ、指導者相互の信頼関係が生きてくるといえる。
実際、過去の日露交渉の事例を見ると、圧倒的にロシア(ソ連)の内部要因が重要で、首脳同士の信頼関係が交渉を推進するためには、良好な内政、国際環境が前提条件だった。
安倍首相の度を超したともいえるプーチン氏への信頼に基づいた対露宥和路線には、今でも謎も残っている。
ロシア側が「反射的制御」(Reflexive Control)、すなわち偽情報などや情報統御を通じて、相手の意思決定に作用する心理操作技術を用いた可能性もあり、対日工作に関しても全面的な検証が必要だ。
改めて強調しておきたいのは、プーチン政権は、第2次安倍内閣発足前後の2012年後半から翌2013年初頭、再び対日接近に動いたという事実だ。
この時こそ、東京宣言に基づいた四島交渉の土台を再構築する機会だった。
譲れない一線として、四島の帰属問題の存在をロシア側に再確認させることが必要だったが、日本はチャンスを逃した。
しかしロシアは現在、ウクライナに対して、国際秩序を揺るがす剥き出しの侵略戦争を行っている。
要注意なのは、冒頭の外務省声明では「現在の諸条件では」とやや含みを残した表現があることだ。
ロシアがいかに従来のような自国に都合の良い「交渉」に執着しているかを意味しているが、そうした余地はもはやなくなった。
もはやプーチン政権との間では、いかなる意味でも平和条約交渉は不可能になったと言ってよいだろう。
日本政府は侵攻直後からG7と足並みを揃える本格的な対露制裁を発動。
情報収集や工作活動を行っていたとみられるロシアの外交官と通商代表部の職員計8人を追放するなど、日本の対ロ外交も従来の方針から大きく転換したといえる。
4月22日に公開された2022年度版の「外交青書」でもウクライナ侵略を「人類が過去1世紀で築きあげてきた国際秩序の根幹を揺るがす暴挙」だと厳しく批判し「力による一方的な現状変更をいかなる地域でも許してはならない」と主張。
北方領土について「日本が主権を有する島々であり、日本固有の領土であるが、現在ロシアに不法占拠されている」と明記し、2003年以来、19年ぶりに「不法占拠」という用語を復活させたのは適切な対応だ。
現在の状況を、シンガポール合意など、安倍・プーチン交渉がもたらした負の遺産をリセットし、日本の対ロ戦略を全面的に再構築する機会と前向きに考えるべきだ。
その意味でも交渉の中断に落胆する必要は全くないのである。」
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