💥9」─2─ケニア大虐殺。ルワンダ大虐殺。スーダン大虐殺。グアテマラ大虐殺。1991年~No.24 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 ケニア虐殺。
 1942年 ケニアのキクユ族、エンブ族、メルー族、カンバ族などの諸部族は、イギリスの支配から独立する為に秘密裏に結束し、マウマウ運動を始めた。
 1952年 ケニア最大民族であるキクユ族を中心とする急進派は、過激なマウマウ運動を展開し、ケニア・アフリカ同盟(KAU)から離脱してケニア土地自由軍(KLFA)を結成した。
 KLFAは、ケニア独立の為に、各地の白人農場、警察署、政府軍用地と親植民地派アフリカ人を襲撃した。
 10月20日 イギリス側は、マウマウ運動弾圧に乗り出し、KAUのジョモ・ケニヤッタとKLFAの指導者ら逮捕し、暴動扇動者として裁判にかけた。
 マウマウ叛乱が拡大し暴動化した為に、イギリス軍はケニアを緊急事態下におき数千人を投獄した。
 59年12月迄に イギリス軍は5万人の兵力と戦車や爆撃機などを投入し、ナイロビで2万7,000人、農村で107万人を反乱支持者として逮捕した。
 逮捕された者は、地獄の様な拷問を受け、見せしめ的に殺害された。
 女性は、強姦され、暴行を受けた。
 植民地政府司法長官エリック・グリフィス-ジョーンズは、虐待を完全に隠蔽する事を条件で、非人道的行為を許可した。
 「罪を犯すのであれば、我々は黙って犯さねばならない」
 イギリス本国も、弾圧の事実を知りながら黙認した。
 拷問被害者の中に、バラクフセインオバマ大統領の祖父フセイン・オニャンゴ・バラクが含まれていた。
 キリスト教徒白人至上主義者は、人種差別として、アフリカ人を人間とは認めていなかった。
 キリスト教会は、目の前の蛮行から目を逸らして、ひたすら全知全能の神に祈り、空しく「隣人愛の信仰」を説いていた。
 キクユ族の叛乱は、他の諸民族をも巻き込み、山野でゲリラ戦を仕掛けて頑強に抵抗した。
 1953年 ジョモ・ケニヤッタは、マウマウ運動を指揮したとして7年間の投獄という判決を受けた。
 イギリス軍の猛攻で3万人以上が死んだと言われているが、混乱に次ぐ混乱で正確な数字は不明である。
 1954年 イギリス当局は、世界的な独立運動に伴いアフリカ人の政治過程への参加が拡大した為に、三つの人種(ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人)すべてがケニア議会に代表を送る事を許した。
 1956年 ニエリ方面でゲリラを指導していたデダン・キマジ・ワキウリが逮捕されて、マウマウ叛乱は鎮圧された。
 植民地主義者は、独立運動の中心的指導者であるデダン・キマチを犯罪者として絞首刑に処した。
 マウマウ運動によるケニア人死者数は、1万1,503人であった。
 イギリス側の死者数は、白人入植者95人、親植民地派アフリカ人1,920人だった。 イギリス軍は、ケニア植民地予算の4年分に匹敵する巨額の戦費支出を余儀なくされた。
 1957年 ケニア議会に直接選挙で当選したアフリカ人議員の多くが、独立運動の指導者ジョモ・ケニヤッタの釈放を要求する民衆運動を扇動した。
 1962年 イギリス当局は、民衆運動が叛乱に暴発する事を恐れてケニヤッタを釈放した。
 1963、ケニア・アフリカ同盟(KAU)を中心として、ケニア・アフリカ民族同盟(KAUN)が結成された。
 12月12日 ケニアは、多くの犠牲者と大量の血を流して独立を勝ち取った。
 1964年 ケニアは共和国として建国された。
 ジョモ・ケニヤッタは、初代首相に就任し、初代大統領になった。
 ケニア共和国は、独立闘争における苦難を歴史として封じ込めて、政治判断として英連邦に加盟した。
 1997年 アメリカ議会は、近代法の不遡久原則を無視して、テロ犯罪を裁く法律がなかった過去に遡り、十分な証拠がなくても大凡の状況からテロ国家がテロ犯罪に関与した事が分かれば告訴できるというテロ国家訴追法案(アリッサ・フラトー法)を成立させた。
 アメリカは、他国の内政問題が原因で、アメリカの国益アメリカ企業及びアメリカ国民が不利益を被り被害を受ける危険があると判断されるとき、賠償請求する権利があるとの法解釈していた。
 賠償を請求する当人はもとより、アメリカとは直接取引していなくとも当人と取引して利益を得ている第三者まで共謀罪でも賠償請求可能とした。
 外国公務員に対する贈賄を罰する法。
 アメリカの法律は、アメリカの国益を損ねない事を第一原則のように存在し、アメリカの国家と国民の利益になるのであれば相手国の主権を侵害し相手国の国民が不利益を被る事も気にはしまい。
 ジョン・K・フェアバンク(ハーバード大学教授)「アメリカは黒人奴隷、アヘン貿易、苦力貿易など他所がやる以外に汚い手を使いながら、自らを道徳的な高みに置いて国際社会に説教したがる癖がある」
 2009年 拷問を受けたケニア人被害者は、イギリスの植民地支配における国家犯罪を訴えた。
 イギリスは、賠償を求める訴訟の出訴期限は過ぎており、全ての賠償責任は独立と共にケニアに引き継がれており、訴えはイギリスではなくケニア政府にすべきであると主張した。
 イギリス外務省は、謝罪外交を行う日本政府とは違って、同様の被害賠償請求訴訟が他の元植民地に広がる事を恐れ、罪を認めず政府が関与した証拠は存在しないと門前払いした。
 2011年1月 イギリスが、独立前に秘密裏に運び出した大量の書類の中から拷問に関する詳細を記録が発見された。
 裁判所は、イギリス外務省に対して、1952〜61年の独立闘争時代に起きた人権侵害に関する証拠を全て提出するように命じた。
 イギリス政府は、罪を認めて和解に応じ、植民地時代のケニアで行った拷問などの人権侵害への補償として計1990万ポンド(約30億円)を支払うと発表した。
 賠償金を支払う対象者は、被害が認められた5,228人であると公表した。
 ウィリアム・ヘイグ外相「イギリス政府は当時行われた人権侵害と、ケニアの独立への歩みを妨げたことを心から遺憾に思う」
 被害者側の某弁護士「高齢の拷問被害者はついに、長年求めてきた認知と正義を手にした。被害者にとって、この瞬間の重要性はどれだけ強調してもしすぎる事はない」
 各地の植民地は、如何なる犠牲も厭わず戦って独立した。
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 1990年8月2日 イラク軍は、クウェートに侵攻した。
 1991年1月 湾岸戦争アメリカを中心とした多国籍軍約96万人は、イラク軍約54万人を攻撃した。
 アメリカ軍は、劣化ウラン弾など最新兵器を実践で使用して、その威力を調べた。
 戦争後。イランに於いて、明らかに使用された兵器による影響と見られる白血病や癌、遺伝子汚染による先天性奇形児が急増した。
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 1992年5月 タイで大規模な騒乱が発生した。
 華僑系タイ人(コンチン)のスチンダ首相は、中国共産党政府との関係強化を図るべく、友好の証として国防を中国軍式に切り替え、中国製武器を購入し、中国人軍事顧問を受け入れた。
 王党派タイ人(コンタイ)とタイ派華僑は、タイが中国共産党政府の属国となるとの危機感から反スチンダとして大規模な倒閣デモを起こした。
 中国人軍事顧問は、警察力ではデモを鎮圧できないと判断し、軍隊に武力鎮圧を命じた。
 タイ軍は、上官の命令に従い、同胞に向けて発砲して46名を殺し、多くの負傷者を出した。
 プミポン国王は、タイ人同士が殺しあうという最悪な事態を収拾するべく、スチンダを暴動と流血の責任で追放した。
 王党派が、政権を奪い、政府内から華僑系を排除し、タイ軍をタイ人の手取り戻すべく中国人軍人顧問を追い出した。
 華僑派は、資金が豊富なだけに社会で差別されている貧困層を味方に付けて、復権を目指した。
 王党派(黒シャツ党)と華僑派(赤シャツ党)の対立は、収束するどころか激しさを増した。
 さらに、半島部でイスラム国マレーシアとの国境地帯に住んでいたイスラム教徒の過激な分離独立派は、国内が二派に分裂して混乱し始めるや、タイからの独立を求めてテロ活動を活発化させた。
 タイ政府は、宗教対立を回避する為に信教の自由を認めていたが、宗教対立によって国家分裂の危機が増大したとしてイスラム過激派の取り締まりを強化した。
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 1993年4月19日 ウェーコ事件。アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局は、テキサス州ウェーコ近郊で宗教団体ブランチ・デビィアンの建物を包囲し攻撃するが火災が発生して多くの住民に犠牲者が出た。
 1994年 アメリカ、メーガン法成立。
 1994年(〜1997年) 宗教団体太陽寺院事件。約74人の集団自殺
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 1994年4月6日(〜7月) ルワンダ大虐殺。多数派である農耕民・フツ族出身のジュベナール・ハビャリマナ大統領が乗った飛行機が、何者かによって撃墜された。
 フツ族は、犯行は少数派である遊牧民ツチ族の仕業と決めつけ、かって一緒に住んでいた隣人のツチ族を襲撃して虐殺を行った。
 女子供に関係なく、80万人以上が惨殺された。
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 2021年4月30日 MicrosoftNews イチオシ「実話映画『ホテル ルワンダ』から見えてくる世界の本質とは
 © All About, Inc. 行き場のない多くのツチ族が最後の望みを託して駆け込んだ実在のホテル
 1994年に起きた「ルワンダ大虐殺」をテーマにした映画のなかでも、最も有名なもののひとつが『ホテル ルワンダ』です。首都・キガリにあるホテル「ミル コリンズ」に押し寄せたたくさんの避難民を、支配人である主人公がギリギリの死線をさまよいながら匿い続けていくという感動の実話です。
 極限の状況のなかでの家族や同胞の絆というミクロの視点で観ても十分感動できるのですが、マクロの視点を意識して背後にある「国際社会の駆け引き」という要素を踏まえて観てみると、平和に浸った日本(日本人)が忘れていることを思い出させてくれるような気がします。
 ナチスホロコーストと並ぶ20世紀の大虐殺(ジェノサイド)
 大統領の暗殺をきっかけに始まったフツ族によるツチ族の虐殺は約100日にわたり、その犠牲者はおよそ80万人とも100万人とも(人口のおよそ10~15%)といわれています。ナチスのような軍隊とは違い、ラジオの煽動によって一般の民兵がナタやカマで次々と隣人を殺していったところに特徴があり、国土のいたるところが無残な死体で埋め尽くされました。
 映画の中盤、虐殺の嵐が吹き荒れるなかやっと欧州の軍隊が到着し、ホテルの避難民たちは一様に安堵の表情を浮かべます。しかし、国連平和維持軍の大佐はベレー帽を地面に叩きつけて猛抗議。軍隊は虐殺を止めるためではなく、ルワンダからの撤退と外国人救出のためにやって来たのでした。
 映画では明確に描かれていませんが、外国の軍隊が警護していた他の避難施設からも次々に軍は撤収していきました。飢えたライオンたちの前で檻を開けてあげたのです。
 そのひとつが今はムランビ虐殺記念館となっているムランビ技術学校です。ここだけで4万5000人の犠牲者が出ています。私も訪問しましたが、無数の遺体が保存されており、何日も眠れなくなるような場所です。
 世界は実益で動く
 世界はルワンダを見殺しにしました。これは人類史に残る事実です。もちろん私にそれを批判する資格があるとは思いませんが、自国の若い兵士の命を危険に晒してまで、遠いアフリカの小さな内陸国の部族紛争に介入する政治的リスクを、大国と呼ばれる国の指導者たちは取れなかった(そのメリットもなかった)ということでしょう。
 当時、私はまだ学生でしたが、ルワンダの危機を前にして、頑なに「ジェノサイド的行為」という言葉を使って歯がゆい答弁をする国連や大国の報道官の姿を今でも覚えています。「ジェノサイド」という言葉を使ってしまうと、ジェノサイド条約によりその阻止のための行動を起こさなくてはならなくなるためです。
 © All About, Inc. 「千の丘の国」と呼ばれるルワンダ独特の国土が被害者たちの逃げ場を奪っていったのかもしれない
 ルワンダ虐殺から5年後、アメリカを中心とするNATOユーゴスラビアコソボの紛争を「ジェノサイドである」として、「人道」を正当化の根拠に用いて空爆を行いました。今度はメリットがあったということでしょうか。その後、かつてはソ連の縄張りであった東欧で、NATOはさらに存在感を増していきます。
 人類は賢くなったけど……
 ローマのコロッセオで奴隷を闘わせていた2000年前から、魔女狩り、奴隷狩りの時代を経て、人類は「人権」という考え方によって、この約1世紀で飛躍的にスマートになったと思います。それでも、「人類愛」とでもいうべき博愛精神が人間の行動原理になるところにまでは達していません。
 私が世界各国を旅して思うのは、今でもこの世界の本質は、結局は有限の資源の国と国との奪い合いだ、ということです。そのためには少々口汚い言説を使ってでも相手を辱め、貶める。それに完全に目をつぶったら、平和ボケと言われてしまいます。
 戦争や虐殺はこれからも起こるでしょう。そのとき頼れるのは、結局のところ同胞であり、家族であり、最後には自分自身しかいないということが、この映画でよくわかります。
 © All About, Inc. 人々の表情は穏やかながら、どこかに悪夢の面影を残す首都・キガリ中心部のビジネス街
 映画のなかで、虐殺の現場を撮影したヨーロッパ人ジャーナリストが語りかけるシーンがあります。
 「この映像を見た世界の人々はどうするか」
 彼が続けた言葉はどちらだと思いますか?
1、 世界の人々が連帯して虐殺阻止のために動き出す
2、「怖いね」と言いながらディナーを続ける
 正解は映画のなかで。
 DATA ホテル ルワンダ
 監督:テリー・ジョージ
 公開:2004年
 時間:122分」
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 1996年 グアテマラ大虐殺。政府軍と左翼ゲリラとの内戦で20万人以上の死者・行方不明者を出した。
 リオス・モント元将軍の軍政下で大量虐殺が行われ、7万5000人が殺害された。
 犠牲者の83%がマヤ民族だった。
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 1997年3月26日 宗教団体ヘヴンズ・ゲートの39人の信者が、カリフォルニア州サンディエゴに隣接するランチョ・サンタフェ集団自殺を遂げた。
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 2000年3月17日 ウガンダの宗教団体神の十戒の復活を求める運動で、信者778人が死亡した。
 2001年10月 アメリカは、対テロ作戦を実行するにあたって中国共産党政府にイスラム過激派アルカイダアフガニスタンタリバン政権の情報提供を要請した。
 その見返りとして、対中警戒戦略を転換し、台湾への武器輸出の制限、産業発展の為の最新技術提供、経済発展の為の資本投資等を呑んだ。
 中国共産党政府は、アメリカからの技術と資金を利用して、表面的に平和的な経済大国建設を表面的に見せながら、その裏で領土拡大の為の軍事大国建設を急いだ。
 アメリカの対中戦略に於いては、長期戦略は存在せず、あるのは短中期戦略であり、その為に絶えず揺れ動いている。
 2003年2月 スーダン共和国ダルフール紛争で、200万人が虐殺され、現在も紛争は続いている。
 アラブ系政府軍と民兵ジャンジャウィード)は、ジェノサイド(民族浄化)として、反政府勢力である非アラブ系黒人の村を無差別に襲撃して虐殺を行っている。
 先住民であった非アラブ系黒人の土地に、アラブ系民族が移り住んだ事で民族衝突が起きた。
 国連安保理は、2006年に約1万7,000人の平和維持軍を派遣する事を採択した。
 国際刑事裁判所は、2009年にバシール大統領に刑事責任があるとして、逮捕状を発行した。
 スーダン政府は、中国共産党政府の支援を受けて強く反発した。
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 2004年 アブグレイブ刑務所における、アメリカ軍のイラク人捕虜に対する非人道的虐待行為。
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 2006年 メキシコ政府と麻薬カルテルによる麻薬戦争が始まり、2015年までに政府側、麻薬カルテル側、一般住民あわせて推定10万人以上が死亡した。
 麻薬カルテルの拠点があるメキシコ西部ミチョアカ州では、住民達が自警団を結成して地元麻薬カルテルテンプル騎士団との抗争を繰り返していた。
 自警団員は7,000人に膨れ上がり、テンプル騎士団を多数の犠牲を出しながら拠点となっていた町から追放した。
 メキシコ政府は、治安を回復する名目で警官と兵士合計3,000人をミチョアカ州に派遣し、自警団に対して新設の警察隊に合流する武器を置いて帰農するように命じた。
 汚職警官達は、麻薬カルテルにかわって州を支配し麻薬の密売を始め、、逆らう者は逮捕した。
 自警団は、壊滅した。
 麻薬組織は、汚職警官と結託して勢力を盛り返し、政府軍との戦闘を継続した。
 被害を受けるのは、罪もない貧しい民衆であった。
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 2008年6月 アメリカ連邦最高裁判所は、合衆国憲法が定める国民の権利として「個人の武器保持の権利」を認めた。
 修正第二条「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」


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おめでたい日本人に教える虐殺の歴史
グアテマラ虐殺の記憶: 真実と和解を求めて
ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実