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2021年2月27日 MicrosoftNews Forbes JAPAN「中国で多様化する「非公認教会」 政府の弾圧下も勢いを増す宗教事情
廣田壽子
© Forbes JAPAN 提供キリスト教徒が急増している中国。中国政府の2018年の発表によると、キリスト教徒の数は3800万人を超えた(中国の人口の2.7%相当)。だが、これは政府が公認した教会の統計で、政府に登録していない非公認教会の実勢が反映されていない。
中国には信仰上の理由から政府の介入を拒否する非公認教会が多く、その数は中国の全キリスト教徒の3分の2に達しているとみられる。
また、1990年代以降は中国で創設されたカルト集団(異端宗派)も布教活動を活発化している。現代中国の宗教事情とは──。
公認も非公認も、急増するキリスト教信者
中国政府の研究機関である「中国社会科学院」が発表する「宗教白書」を確認すると、中国の公認教会のキリスト教徒の数は、2010年は約3000万人だった。8年間で800万人も増加していることがわかる。
実際、筆者が中国に滞在していた時、キリスト教の勢いを実感した。筆者はプロテスタント信者であることから、上海市内にある公認教会「上海沪西教堂」の礼拝に出席。毎週日曜日に3回の礼拝が行われ、計1800人が出席していたが、礼拝のプログラムの最後には、新来会者の歓迎の時間があり、毎回20人ぐらいの人が立ち上がり、参列者から歓迎の拍手を受けていたことを思い出す。
一方、非公認教会の勢いも増してきている。
非公認プロテスタント教会は「家の教会」(家庭教会)、非公認カトリック教会は「地下教会」と呼ばれている。
非公認教会の信者数の情報について、「2010年世界基督教データーベース(World Christian Database)」は「中国のキリスト教総数は1億人を超えており、このうち家庭教会の信徒は7000万人」と発表。また、中国やインドなどアジア諸国で活動をしている超教派組織の「アジア・ハーベスト」は「中国にはおよそ8350万人のプロテスタント信者がおり、このうち5400万人が家の教会のメンバーである」と報告している。
いずれにしても、家の教会、地下教会の信徒数は、公認教会を上回るかなりの実勢になっていることは間違いない。
政府介入を拒否 自立を選んだ教会指導者の末路
前回も触れたが、中国共産党政府は1949年の建国後、外国勢力のなかでも特にキリスト教を排除した。その中で一部の中国人の指導者たちは政府と協議し、中国人自身でプロテスタント教会を支える(自養)、中国人自身が教会を運営する、(自治)、中国人自身が伝道する(自伝)の「三自愛国運動」を提案。これが当時の周恩来首相に賛同され、カトリック教会も同様に「中国天主教愛国運動」を立ち上げた。
しかし、この時、「三自愛国運動」への加盟を拒否したキリスト教会の指導者も少なくなかった。
王明道牧師(1900-1991)もその一人である。20世紀の「中国キリスト教自立教会の代表者」と称される彼は、北京の出身で、聖書の教え導きとキリスト教徒としての生活を重視した。説教と文書伝道を行ったが、自費で季刊誌「霊の糧」を出版するなどして多くの人々に影響を与えた。
彼は生涯を通じて政府の「三自愛国運動」に反対する立場を貫いたが、その理由として、著書「生命の冠(いのちのかんむり)」の中で、次のように述べている。
「政治と宗教は完全に分離されなければならない。三自愛国教会は政府の道具に過ぎない。私たちの教会は政治の関与から自由でなければならない。私たちの教会は主(神)にだけ頼るという信仰に導かれている」
つまり、教会が忠誠を誓うのは政府に対してではなく、神にこそ忠実であるべきだというのである。
王牧師は1955年に「三自愛国運動」に反対の立場を堅持したことから、逮捕され無期懲役の刑を言い渡される。23年間の獄中生活を送り、釈放されたのは文化大革命(1966‐1976)終了後の1979年のことであった。しかし、釈放されてからも自身の考えを誤りだったとは認めず、三自愛国教会から再三協力を求められても拒み続けた。
彼のように三自愛国教会に加盟しなかったキリスト教指導者は逮捕され、ほとんどが辺境の労働改造所に送られたり、投獄された。獄中で死亡した人もいた。
王明道牧師と同時代に活躍した指導者に、ウオッチマン・ニー氏(倪柝聲1903-1972)がいる。ニー氏は祖父の代から続くクリスチャンホームに育った中国人である。ウオッチマンという名前は「世に警鐘を鳴らしてこの世の邪悪から人々を守り正義に導いてほしい」という母の願いから生まれたという。
彼は17歳の時、神に仕える決心をするが、当時中国でさかんに活動していた外国宣教団体に全面的には同調せずに、友人たちと独立して伝道する道を選んだ。彼の伝道方針は聖書に基づいた福音主義の立場をとり、「どの都市にも活動しているキリスト教会を一つだけ置くべきだ」とし、1930年代には中国全土の各都市に教会を立ち上げた。
教会の特徴は神父、牧師といった聖職者をおかず、全ての信者が報酬を受けない神の働き人である、とする点だ。その会派は「地方教会」(ローカル・チャーチ)と呼ばれた。1949年の建国時にはその信徒数は7万人に達した。ニー氏は1952年に中国政府に逮捕され、20年後の1972年に獄中でその生涯を終えた。
文革中は家庭で礼拝を守り、生き延びた
文化大革命の間は、公認教会を含めて中国のすべてのキリスト教会が閉鎖され、聖書や讃美歌はことごとく焼却された。とりわけクリスチャンへの迫害は過酷であった。指導者が次々に逮捕、投獄される中で、残された信徒は家庭などで集会をもって生き延びた。
文革後、革命中は機能していなかった「三自愛国教会」が復活した。1982年には中国に新憲法が制定され、信仰の自由が保障されたが、外国の影響を受ける宗教組織の活動は認めないと明記されている。
改革開放政策以降は、非公認教会が急速に発展していく。しかし、社会の治安や団結を乱す「邪教」と見なされ、政府の弾圧を受けることが増えている。教会の建物が強制的に取り壊されたり、信徒が自分の家庭に戻ることを許されなかったり、礼拝中に突然、手入れが入り、信者が暴行されたり、拘束される事件が多く報道されている。
一方、1990年代以降、中国で創設されたカルト集団(異端宗派)も布教活動を活発化している。これらの集団は強引な信徒勧誘や共産党への挑戦を目標に掲げて、政府の取り締まりの対象になっている。
中国大陸や海外で創設された、カルト集団
2014年には、中国政府の「中国反邪教協会」は「宗教や気功の名を使い、一般人を勧誘したうえで、信者としてコントロールし、それによって社会に危害をもたらす違法組織」11団体を邪教リストに掲載して公開した。
この中には、「全能神」、「世界基督教統一神霊教会(現世界平和統一家庭連合)」、「法輪功」なども含まれる。
全能神(東方闪电)は1991年に黒龍江省で張维山が創設した。その教義は聖書の箇所を引用しているが、カトリック、プロテスタントからは異端認定されている。低所得者や貧困地域にも信者が多く、中国共産党との決戦を呼びかけた。信者数は約400万いるという。
キリスト教系ではないが、気功の動作を取り入れた法輪功は1990年に吉林省で李洪志が創設した。共産党員や人民解放軍の間で信者が急増し、1999年頃にはその信者数は7000万人を超えた。
上海の大学で見た、エホバの証人の布教活動
邪教のリストには入っていないが、エホバの証人も中国では違法とされている。2019年に新疆ウイグル自治区コルラ市でエホバの信者十数名が「邪悪な宗教を用いて法執行機関の妨害を扇動した」罪で起訴されたことがあった。
エホバの証人の布教活動は上海でも行われていた。筆者が勤務していた大学の日本人教師の一人Oさんは「エホバの証人」のメンバーだった。
Oさんは当時60歳で、中国に来て3年目だった。大学で授業をするかたわら、同僚の日本人教師や、招待所(外国人教師の宿泊所)に掃除に来てくれる中国人のメイドさんに日本語や中国語の小冊子を配っていた。
エホバの証人の集会所は大学がある地下鉄16号線の沿線上の駅の近くにあり、毎週火曜日と土曜日の2回定例集会が行われていた。集会所は他にも上海市内にいくつか設けられているようだった。Oさんは日頃、体調があまり良くないといって、職場の懇親会には一度も出席しなかったが、エホバの集会には出かけていた。
彼女が入信したきっかけについて聞いてみたことがあった。地元の公立大学を卒業後、結婚し、3人の子をもうけたが、一番下の子どもが生まれてまもなく、夫が仕事中の事故にあい他界した。実家からの援助に頼れない事情があり、困り果てていた時、エホバの証人に勧誘され入信したそうだ。
中国では大学の常勤の日本語教師に採用されると、政府当局から1年間の労働ビザが発給される。Oさんは合法的に長期間中国に滞在し、伝道できたことになる。
昨今は中国国内の組織だけでなく、海外の宗教組織も中国での信者獲得を活発化させていることを印象づける出来事だった。」
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