🐉6』─1─中国社会と感染症。中華王朝の交替は疫病と飢餓で起きていた。~No11No.12 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 中国などの東アジアと東南アジアは、不衛生と栄養失調が原因で致死率の高い伝染病の蔓延地帯、疫病地獄であった。
 日本の不幸・不運は、疫病・伝染病蔓延地帯の東アジアや東南アジアに囲まれていた事であり、地球の反対側にあった疫病・伝染病が大航海時代というグローバルの波によって日本を襲来した事である。
 日本は、それを独学の蘭学そして西洋の模倣による近代化で乗り越えようとした。
 ある意味、中国や朝鮮の悪しき友を抜け出し良き友の欧米と誼を持とうという「脱亜入欧」である。
 科学データや客観的評価を基にした歴史的事実を、偽りなく素直に話しても歪曲・曲解して意固地になって受け入れず拒絶するばかりで、誠意や真意が通じない相手が悪い友である。
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 伝染病は、中国大陸や朝鮮半島から日本列島に侵入してくるのであって、日本列島から中国大陸や朝鮮半島を襲う事はない。
 猛毒な病原菌で穢れているのは、中国大陸や朝鮮半島であって日本列島ではない。
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 飯島渉著『感染症の中国史 公衆衛生と東アジア』 中央公論新社
 終章 中国社会と感染症
 感染症の逆襲
 疫病構造、つまりヒトはどのような病気に罹ることが多いのか。これは、おおまかにいって、急性感染症→慢性感染症生活習慣病という3つの階段(ステージ)をたどってきました。
 19世紀半ば以後、細菌学や動物学の研究が飛躍的に進み、予防医学が確立され、人類はいくつかの感染症の抑制に成功しました。また、水道に象徴される衛生インフラの整備や栄養条件の改善なども疾病構造の推移と深く関わっています。こうして現在、私たちは生活習慣病の抑制に多くの関心を寄せるようになっている。
 けれども、疾病構造が変化したのは19世紀になってからのことで、各地域の状況も一様ではありませんでした。また、現在でも栄養不良と感染症が依然として死因の上位を占めている地域も少なくありません。病気は歴史を示す指標であると同時に、現代世界を示す指標でもあります。
 20世紀後半にはさまざまなワクチンが開発され、人類は近い将来には感染症を克服することができるだろうと楽観的な見方が広がりました。……けれども、根絶が可能だったのは天然痘だけで、いったん抑制した感染症の復活(再興感染症)や新たな感染症の出現(新興感染症)が21世紀の世界の大きな課題となっています。
 ……
 人類史との関連
 分子生物学、とくにDNA配列の研究によって、世界各地でさまざまな生活をしている人類の起源はアフリカにあり、われわれはみなアフリカ大陸から世界各地に広がった人々の子孫であることがわかってきました。この考え方は、人類の『単一起源説』と呼ばれています。それにしたがえば、世界のいたるところに生活し、70億人を数えるまでに発展した人類は共通の祖先を持つ共同体で、わずか20万年ほどの歴史しか持っていないということになります。そして、この短い人類の歴史を振り返るなかで、感染症が果たしてきた役割、そのインパクトはきわめて大きなものでした。
 感染症は、病源性微生物の生活サイクルとヒトの生活のサイクルが、直接あるいは中間宿主を媒介として交差したときに発生します。
 感染症の流行は、第一に人類の能動的な活動(その典型は農業のための森林開発)によって、病源性微生物の生活サイクルへの介入が高まった場合、第二に商品流通の活性化や都市化による人口の集中によって、病原性微生物の活動が活発になり、あるきっかけで感染爆発が発生した場合と、すぐれて社会的経済的な問題です。
 感染症の流行はつねにグローバルな問題でした。クロスビーによって明らかにされたように、16世紀以後、スペインなどによる南アメリカの植民地化に決定的な役割を果たしたのは天然痘でした。南アメリカには天然痘はなかったため、スペイン人によって持ち込まれた天然痘南アメリカの原住民の人口を激減させ、植民地化を容易にしたのです。
 感染症の歴史は、グローバル・ヒストリーとしての可能性を秘めています。とくに、コロンブス以来の大航海時代におけるヒトや商品流通の拡大によって病原性微生物の交流が進むと、感染症の流行はよりグローバルなものとなりました。これは『コロンビアン・イクスチェンジ』と呼びます。ル゠ロワ゠ラデュリは、これを『細菌による世界の統一』というきわめて印象的な表現を用いて説明しています。
 人口へのインパク
 では、中国社会ではどのような感染症が多かったでしょう。
 中国でも、古い時代からさまざまな感染症が発生していたことは間違いありません。ユーラシア大陸に古くから発展された東西交渉によって、中国史上の感染症は、『コロンブスの交換』以前から、グローバル・ヒストリーの一角をなすものでした。
 中国医学は、現代では西洋医学に対するオルタナティヴ・メディシン(代替医療)として、ソフトな治療体系として意識されることが多いのですが、実際には多くの感染症への治療を試みるなかで体系化されたものでした。
 中国社会が蓄積してきた正史や地方誌などの歴史書は、長期にわたってつねに『疫』を記録してきました。その意味で、中国史感染症の発生の連続でした。
 感染症の発生のメカニズムは決して単純ではありません。原因となる病原性微生物とヒトの生活サイクルの交錯がその発生の可能性を高めました。また、戦争、水害、そして飢饉は、しばしば感染症の流行の要因でした。
 中国の人口は、増加時期と減少時期を繰り返し、漢末、唐末、宋末、明末という王朝交代時期にかなりの規模の人口減少をみています。王朝末期は、戦争や天災の時期と重なり、飢餓が王朝交替を促進しました。
 多くの研究は、人口減少の要因として、戦争さらに飢餓をあげます。けれども、戦争では直接的な戦闘で死亡するよりも戦病死のほうが一般に多かったこと、また栄養条件の悪化がさまざまな感染症を流行させた可能性を考慮する必要があるでしょう。
 感染症の歴史には、より複眼的な視角も求められます。そのひとつは気候変動で、温暖化と寒冷化のサイクルが植生や感染症の発生条件を左右することがありました。
 また、重要なことは、感染症に罹るのはヒトだけではないということです。動物や植物の罹る病気も無視できない問題です。農作物に病気が広がれば栄養条件を悪化させ、食物さらには耕作用の動物が大量に死亡してしまうことがあったからです。
 流行の規模
 では、中国ではどのような感染症がどの程度の規模で流行していたのでしょうか。本書で明らかにしてきたように、ペストの流行は『政治化』し、さまざまな影響を中国社会に与えています。しかし、人口動態への影響は小さく、中国の人口規模がそのインパクトをのみ込んでしまたっと考えられます。
 一方で、人口動態にも影響を与えた感染症としては、天然痘コレラをあげることができます。
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 第一次世界大戦後、インフルエンザ(スペイン風邪)が世界中で猛威を振るい、2,500万人にのぼる死者を出したことはよく知られています。中国でもインフルエンザの流行が確認できますが、その実情はよくわかっていません。世界各地のインフルエンザの流行状況との比較から、中国でも1,000万人近くの死者が発生したとされる場合もあります。しかし、中国海関などの資料を勘案すると、それは過大な数字で、中国での死者は100万人程度にとどまったのではないかと考えられます。
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 国家医療
 中国では、感染症の流行に対して、さまざまな対応がとられてきました。避難や祈禱(きとう)もそのひとつであり、経験的な隔離が行われた場合もありました。また、人びとの病への対処の仕方もさまざまで、休養や食物の摂り方(養生)、
身体観を反映した文化の体現とみることができます。欧米諸国では、コレラの流行を契機として、衛生事業の制度化が進展し、これにともなう社会制度の変化に大きな影響を及ぼしました。
 国家による医療・衛生の制度化は、近代国家の『統治の技法』として重要な意味を持ったのです。……
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 近代性の連鎖
 日本の場合、公衆衛生行政の特徴は、警察が大きな役割を果たしたことでした。衛生の制度化は、警察による民間社会や個人の生活への介入を特徴としていました。
 台湾での経験を基礎として蓄積された近代日本の植民地医学・帝国医学は、英領インドなどに比べて現地社会に対して、より介入的でした。それはのちに、関東州や朝鮮、さらに満州国や中国・東南アジアなどにおける占領行政でも重要な役割を果たすことになります。植民地医学・帝国医学は、統治のツールとしての役割を果たし、医療・衛生事業を通じて、現地社会への統治権力の浸透がはかられたのです。
 そして、20世紀前半の中国の医療・衛生事業の制度化のモデルとなったのが、この日本だったことを強調されてもよいでしょう。
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 20世紀前半、日本の植民地となり、植民地医学が蓄積され、帝国医学が実施された台湾などでは、それまで流行していたペスト、コレラ天然痘などの感染症が抑制されました。こうした状況は、本書ではあまり触れませんでしたが、朝鮮でもほぼ同様でした。
 このため感染症対策は、しばしば植民地統治の『善政』として議論されることがあります。しかし、感染症全般が抑制されたわけでは決してありません。赤痢ジフテリアおよび結核などの感染症は、むしろ増加傾向にありました。それは植民地統治のもとで進められた開発政策による産業化や都市化の結果でもありました。
 植民地などでの医療・衛生事業が、プラスであったかマイナスであったという二項対立的な理解は、『近代性』の歴史的性格を意識することなく、医療・衛生を無意識のうちに福利的なものともなすことから出発しています。この問題は、現在の開発援助では、しばしば『よい統治』と表現される問題です。
 中国における衛生の制度化は、統治機構の再編、つまり、個人の身体の規格化と欧米や日本の帝国主義的な進出に対抗する意味での衛生事業の整備が交錯した点に特徴がありました。この結果、衛生事業の制度化は、西洋医学や公衆衛生事業の導入による技術移転にはとどまらない社会制度の根幹に関わる問題、すなわち、身体をめぐる国家と個人の関係をいかなるものとするかという問題を中国社会に提起したのです。
 感染症が中国や東アジアの歴史に与えた影響は、決して小さくありません。それは、個々の感染症の特徴によって異なります。しかし、感染症対策をめぐる近代性の構造という点では共通性を持っていました。そして、それは現在でもなお解決されていないさまざまな問題を内包しているのです。
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 あとがき
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 感染症が国家や社会、国際関係に与えた影響はきわめて大きかったのです。そして、東アジアでは日本の公衆衛生制度が歴史的に大きな意味を持ったのですが、この結果、中国や台湾、また、韓国でも衛生をめぐる国家や政府と個人の関係が、ある意味で厳格な緊張関係をはらんだものとならざるをえなかったのです。
 感染症の流行とその抑制をめぐる歴史から学ぶべき点があるとすれば、感染症の流行が政治的な対立を惹起(じゃっき)される場合があったこと、人種的な偏見や差別がごく普通に存在したことを確認することから出発する必要があります。そして、人々は政治的な対立を乗り越え、偏見や差別と闘いながら、今日の基礎を築いてきました。こうした経験や知恵も歴史学が明らかにすべきものです。
 新興感染症や再興感染症との共生が必要とされる今日の社会において、感染症がどのようなインパクトを社会に与えてきたのかを明らかにし、その意味を問うことは、感染症の抑制のためにも意味のあることでしょう。
 それは、過去に厳然として存在した偏見や差別、政治的な摩擦、国際的な軋轢(あつれき)をできるだけ少なくしていくための共通認識をつくることでもあります。中国や東アジアの感染症の歴史を公衆衛生との関わりのなかで論じた本書がその一端を担うことができればと願っています。
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 戦前の日本は、植民地・占領地などでモノ・カネ・ヒトを投じ、疫病対策として現場人材育成・近代医療普及・公衆衛生推進・水インフラ整備・病原菌及びネズミや蚊など宿主の撲滅、飢餓対策としての農作物増産指導などを行ったが、それは地元住民の健康の為という善意ではなく、支配統治を行うという悪意の為であった。
 結果として衛生環境改善と栄養充足によって地元住民の健康増進をもたらしたが、目的は駐屯する日本軍の戦闘能力維持であった。
 その事実として、当時も、現代においても、日本は感謝されていないどころか悪辣な非人道的犯罪者として糾弾されている。
 その意味において、軍国日本・日本軍・日本人の人道貢献は存在しない。
 もし日本の人道貢献をいうのであれば、そこに日本軍がいない事につきる。
 日本の存在は、東アジアではマイナスでしかなかった。
 それが、中国、韓国・北朝鮮の公式見解であり、人権派護憲派反戦平和運動家・反天皇反日的日本人達など一部の日本人の認識である。
 日本人は悪い事を数多くしたが良い事など一つもしなかった、それが現代日本歴史認識であり、国連及び世界各国の日本評価である。
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 日本は、昔から甚大な被害をもたらす自然災害多発地帯であり夥しい人の命を奪う疫病・伝染病の感染爆発地帯であった。
 現代日本人は、歴史力がなく、悪しき言霊信仰を持つが故に、日本民族が如何にして生き抜いてきたかという事実が理解できない。
 つまり、現代日本には正しいローカルな日本民族の歴史が存在しない。
 自然災害による被害も疫病・伝染病による犠牲も、復興の遅さの対応の後手後手も、その結果である。
 昔の、祖先の、日本民族に伝わる幾多の経験や数多の知恵は、現代日本に残されてはいないし、残っていても生かされる事がない。
 日本には数多くの古文書が残され、全国各地には多くの石碑や記念碑そして伝統的な行事や言い伝えなどの民俗文化として残されている。
 グローバル化を将来の有るべき正しい姿とする現代日本人は、それらを一切顧みない、完全無視している。
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 現代日本人は、先人・祖先との繋がりが切断されている。
 そんな無縁を良とする歪な日本人が生まれたのは、1980年代後半からである。
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 現代日本人は、日本民族の歴史を自分には関係のない異世界の歴史のように見ている。
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 現代日本人は、歴史が嫌いであり、好きなのは時代劇である。
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 歴史力のある日本人は2割、歴史力を失った日本人は3割、歴史力が乏しい日本人は5割。
 それは、グローバル派の左翼・左派・ネットサハであってもローカル派の右翼・右派・ネッヨウヨクであっても関係ない。
 歴史力ある日本人とは、民族主義者や天皇崇拝派の事である。
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