🗽24」─2─東郷平八郎大佐は、ハワイ王家を支援するべくアメリカ人王制廃止派に抗議した。1893年~No.100No.101No.102 @ 

ハワイ王国 (カメハメハからクヒオまで)

ハワイ王国 (カメハメハからクヒオまで)

  • 作者:矢口 祐人
  • 発売日: 2011/07/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 東郷平八郎は、ハワイ王国の運命に日本国の未来を見、アメリカの貪欲な野望を警戒した。
 後年、東郷平八郎は対米英艦艇保有比率で猛反対したのはこの為である。
   ・   ・   ・  
 1893年 アメリカのグレシャム国務長官は、ユダヤ人移民の増大を防ぐ為に、ロシア政府に対してユダヤ人虐待の取り締まりを要請した。
 ロシア帝国は、忠誠心を持った国民が皇帝を殺害された事に対する怒りからの行動である以上、ユダヤ人の肩を持つ干渉に不快感をあらわした。
 ロシア人は、アメリカはユダヤ人金融資本に支配された国として軽蔑した。
 イギリスは、ビルマ国王を島流しにして、ビルマを植民地とした。
 仏教国ビルマ王国は完全に消滅し、ビルマ人はイギリス人の奴隷となった。
 改宗者ビルマ人とインド人と中国人は、特権が認められて、イギリス人の代わりにビルマ支配を実行した。
 ハワイ人は、度重なる疫病の蔓延で人口を減らしたとはいえ。白人との混血児を入れると約4万人で全人口の45%という多数派であった。だが、ハワイ諸島全体に広く分布し、昔ながらの習慣で財産を貯める必要もなく生活した為に経済力はなく、他人と競う必要もなかった為に政治力がなかった。
 ハワイ王国はこそが典型的な島国であり、ハワイ人こそが正真正銘の島国気質を持った島民である。
 真性島国国家・ハワイ王国に比べれば、イギリスは大陸国家の一部であり、日本は半大陸半島国国家である。
 日本を島国国家と否定し、日本人を島国気質と批判する、教養人の話は信用しない方が良いし、知識人の笑顔の裏に潜む真意を疑うべきである。
 白人の移民が増えたとはいえ、約1万9,000人で、全人口の21%である。それ以外に、市民権を持たない通りすがりの白人が少数住んでいた。
 前王カラカウア国王が銃剣で強制された1887年憲法は、市民権を持たない全ての白人に無条件で選挙権を与えていたが、ハワイ人には有力者のごく少数にのみ認めていた。
 選挙人に選ばれていた議会は、白人勢力で支配され、国王が提出する白人の権利を縮小してハワイ人の権利拡大為の改革案を全て拒否した。
 国王は、政治や外交を円滑に行う為に、議会に拒否されない白人とハワイ人を閣僚に任命するしかなかった。
 ハワイを実質的に支配していたのは、渡来人の白人であった。
 極一部の白人は、帰化して、国王に忠誠を誓い王国の国益の為に奮闘していた。
 ハワイ王家は、ハワイ人の権利拡大の為に、西洋的初等教育キリスト教会の集会を利用して啓蒙活動を続けた。
 ハワイ人の多くが、西洋的知識と教養を身に付けるや、人間としての基本的人権や国民としての権利を求め始めた。
 ハワイ王国は、西欧列強の植民地あるいは属国・保護国ではなく、自主独立国を主張し始めた。
 ハワイ人は、ハワイ人の為の新憲法制定を求める請願をリリウオカラーニ女王に提出した。
 ハワイ在住の白人。特にアメリカ系白人は、危機感を感じて、速やかにアメリカと合併する為の「合併クラブ」を組織した。
 アメリカ大統領ハリソンとブレイン国務長官は、アメリ国益と国防戦略からハワイの併合に賛成し、ハワイのスティーヴンス公使を通じて併合推進派を支持していた。
 リリウオカラーニ女王は、国家元首として、全てのハワイ人に選挙権を与え、市民権を持たない通りすがりの白人の選挙権を剥奪する新憲法草案作成に取りかかった。
 それは、専制君主としての王権を強化しようとする者であった。
 開拓心旺盛なアメリカ人は、開放的で自由な民主主義国家を建設するべく人民主権を前面に押し出して、閉鎖的な王権を否定し、閉塞感をもたらす王家と王国を解体しようとしていた。
 ハワイの国際化に逆行する民族化運動が、ハワイ王国の滅亡の始まりである。
 1月12日 ハワイ経済は、白人の農園主や貿易商や金融家に完全支配され、富の独占が進んで貧富の格差が拡大していた。
 リリウオカラーニ女王は、ハワイ王国を白人から取り戻すべく、高額納税者のみに与えられていた選挙権を、貧しいハワイ人にも平等に与える憲法改正案を作成した。
 強制憲法を改正する為に、ハワイ人・帰化系白人の国民改革党と改革党・宣教師党の合併推進派との連立内閣を組織した。
 財政難を解消する為に、中国人移民を中心に非合法で蔓延し始めたアヘン密売を認可制とする法案を可決した。
 キリスト教会を中心とした宣教師党や中立派は、倫理の面から、害毒をまき散らすアヘン売買を許可制として合法化する事には猛反対した。
 1月14日 リリウオカラーニ女王は、午前中で議会を閉会させ、午後に信用でき閣僚らで閣議を開いて白人勢力を押さえる新憲法の承認を強要した。
 新憲法承認の立会人として、最高裁判事や各国のホノルル駐在外交官を招いていた。
 ハワイ人民族派は、女王を支持する為に、数千人の支持者を大動員してイオラニ宮殿を囲んで威圧した。
 改革党が支配する議会は、手が出せず固唾を呑んで見守りつつ、アメリカ公使館と善後策を協議した。
 閣僚は、新憲法は事態を悪化させる基になるとして署名する事を拒んだ。
 リリウオカラーニ女王は、武力による改革ではなく、話し合いによる平和的な変革を目指す為に、新憲法発布を延期した。
 アメリカ人農場主達は、リリウオカラーニ女王がアメリカとの不平等条約を撤廃交渉を始めようとしている事に危機感を抱き、スティーヴンス公使に軍事支援を要請した。
 1月16日 改革党や宣教師党など合併推進勢力は、アメリカ公使館の後押しを得て、13人の公安委員会を組織し、白人住民を集めて王制反対の大集会を開いた。
 だが、イギリス系やフランス系はアメリカ系の強硬姿勢には同調せず静観した。 
 安全委員会は、砂糖産業を守り、急増する日本人移民を押さえ為に、一刻も早いアメリカとの併合を決議した。
 白人集会は、ハワイの国際化の為に、合併を目的とした臨時政府の樹立と人民主権の為に王制を廃止する事を決議した。
 ハワイ人民族派は、白人集会に対抗する為に集会を開き、ハワイ民族の為に、王制支持と新憲法成立を決議した。
 リリウオカラーニ女王は、安全委員会との衝突を回避する為に、現行憲法の定める手続きに従って新憲法制定を進めるとの妥協案を示した。
 安全委員会は、予め想定していたクーデター計画に従って行動を起こし、ホノルルのアメリカ公使ジョン・スティーブンスに派兵を要請した。
 「治安が悪化し、民間人の生命と財産が脅かされている。我々だけの力では如何ともできず。アメリカ軍の出動を乞う」
 スティーヴンス公使は、貧しいハワイ人にも平等に選挙権を与える事はアメリカ系移民の権利を侵害する行為であり、アメリカへの宣戦布告に等しいと抗議した。
 そして、現地の最高責任者という権限で、アメリカ人の生命財産を保護する事を名目として、ホノルルに停泊している巡洋艦ボストン号に海兵隊の出動を要請した。
 ボストン号艦長ウィルソン提督は、主砲をイオラニ宮殿に照準を合わせ、上陸する海兵隊164名に政府庁舎や宮殿近くを制圧する様に命じた。同時に、戦争にならない様に内政不干渉の原則に従って中立を保つ様に厳命した。
 スティーヴンス公使は、中立を無視して、海兵隊に王宮包囲を命じた。
 公使は、ワシントンに「血に飢えた淫乱な女王が独裁政治を復活させた」と打電した。
 13人の公安委員会は、サンフォード・ドール最高裁判事を首班とする臨時政府を樹立した。
 ロリン・サーストン「歴史が証明する通り、諸君。我々の祖先は、イギリス本土の悪法に反対して戦い、新しい共和国を誕生させました。人々はこれを、輝かしい『アメリカ革命』と呼んでいるではありませんか。我々はこれから、祖先と同じ道を歩むのです。まさに『ハワイ革命』なのです」
 ハワイ人民族派は、専制君主制を外国の民主勢力から守る為に集会を開いた。
 1月17日 13人公安委員会は、王宮近くの政庁舎アメイオラニ・ハレをアメリカ軍海兵隊の支援を得て占拠し、王制の廃止と女王の廃位を宣言し、アメリカ合併までの暫定的措置である事を表明した。
 スティーブンス公使は、アメリカの利権を守る為に、宣教師の子供であるスタンフォード・ドールを首班とする暫定政府を承認した。
 砂糖プランティーション経営者は、ハワイをアメリカ領土とした暁には、ポンド当たり2セントの補助金を得てその半分を砂糖組合に払うという密約を、アメリカ砂糖業界と交わしていた。
 臨時政府は、王制支持派による暴動を防ぐ為に全諸島に戒厳令を布いた。
 改革党や宣教師党などの白人勢力は、王制を打倒する臨時政府を支持した。
 臨時政府は、専制君主制を廃して民主政に移行する為に、リリウオカラーニ女王に廃位を要請した。
 リリウオカラーニ女王は、王制廃止につながるとして、即座に拒絶した。
 イギリスのウォードハウス弁務官は、独立国家に対する不当行為あると抗議し、王宮を占拠している海兵隊を速やかに撤収させるべきであると要求した。
 ドール暫定首相は、市民の生命と財産を守り、治安を維持する為には、アメリカ海軍海兵隊の協力は欠かせないと返答した。
 ハワイ人民族派は、王制を守る為に義勇軍を組織して王室警備隊と供にイオラニ宮殿の守備についた。
 リリウオカラーニ女王は、平和的解決を望み内戦を回避する為に、宮殿守備についている王統支持派の武装勢力に解散を命じた。
 王制支持派は、無駄な血を流させたくない・・・」というリリウオカラーニ女王の非暴力無抵抗主義に従って宮殿から退去した。
 この平和を求めた消極的行動が、ハワイ王国滅亡の原因となった。
 臨時政府のドール首班とスティーヴンス公使に、現憲法を遵守し新憲法の強行制定を為ないと確約し、同時に抗議をした。
 「このハワイ王国に臨時政府を樹立しようとする特定の人々が、私及びハワイ王国政府に対して取った反逆行為に、女王として厳重に抗議します。軍隊が衝突し、おそらく沢山の命が失われる事を何としても防がなければなりません。ですから、アメリカの外交使節が取った言動の非を認め、私をハワイ諸島立憲君主としての権利の座に復位させる日が来るまで、私はこれだけの抗議をして、一旦仮に私の権限を放棄します」
 王制廃止勢力は、リリオウカラーニ女王から国家元首としての統治権を奪い、ハワイ王国を消滅させて「ハワイ革命」を成功させた。
 リリオウカラーニ女王は、アメリカに抗議の為の使節団を送ろうとしたが、臨時政府はハワイに停泊させている船に使節団を乗船させる事を拒否した。
 イギリス王国は、ハワイ王国とは友好関係にあったが、ビルマ王国を軍事占領して植民地化した手前、王制廃止というアメリカの理想主義に面と向かって抗議せずハワイ王家の滅亡を静観した。
 他の欧州列強は、自由な貿易とキリスト教圏拡大の為に臨時政府を支持した。
 臨時政府は、女王の使節団を足止めしているうちに、アメリカへの合併を急ぐ為に使節団をワシントンに送った。
 日本政府は、ハワイの日本人移民(2万5千人)の生命財産を保護する事を理由に軍艦を派遣した。
 日本海軍のハワイ派遣は、カラカウア国王時代からのよしみと、女王側からの緊急要請があって行ったともいわれている。
 陸奥宗光外相は、日本人移民の保護を目的として軍艦を派遣する事を約束したが、朝鮮独立問題で清国との関係悪化が進む情勢下で干渉はできないと説明した。
 ニューヨーク・タイムズ「野蛮な黄色人種の手に落ちないよう直ちにハワイを偉大な文明的海洋国が併合すべきだ」
 1月27日 ハワイ併合の中心人物であった、ハリソン政権のブレイン国務長官が死亡した。
 新たに国務長官に就任したフォレスターも、ハワイ併合の方針を継承した。
 1月31日 ウォードハウス弁務官は、本国に、暫定政府はクーデターでハワイ王家から政権を奪った革命政権であると報告し、ハワイ王家による統治の正常に戻す為に軍艦派遣を要請した。
 イギリスは、インド経由の海上輸送網確保を優先し、太平洋海運アメリカとのトラブルを回避する事を世界戦略の基本方針として、ハワイ内紛に介入せず静観する事に決めた。
 イギリス系砂糖プランティーション経営者のテオフィリス・デーヴィスは、アメリカ人に人気のないリリウオカラーニ女王を退位させ、スコットランド人を父に持つ混血児のカイウラニ王女を擁立すべく、ロンドンの外務省に提案した。
 リリウオカラーニ女王は、ビクトリア女王に対して、同じ立憲君主としてハワイ王国を救う為にイギリスの支援を求める親書を、ウォードハウス弁務官に手交した。
 リリウオカラーニ女王は、次期大統領である親ハワイ派のクリーブランドの支援を期待して、私的法律顧問のポール・ニューマンをハワイに送った。
 暫定政府は、イギリス寄りのカイウラニ王女の擁立はアメリカ併合の妨げになるとして反対し、アメリカ人住民の権利を守る為にはハワイ王家を消滅させるしかないと決めた。
 自由と民主主義の理念を掲げる理想主義者は、人民を搾取する君主制度を廃止すべく、速やかにアメリカに併合する事を希望した。
 イギリスは、国益を優先して、ハワイ王家を見捨てた。
   ・   ・   ・   
 2月14日 フォレスター国務長官、ハワイ臨時政府使節団との間でハワイ併合条約を結んだ。
 2月15日 ハリソン大統領は、任期中にハワイ併合を完了するべく、同併合条約批准を上院に提出した。
 併合推進派は、上院外交委員会で審議そこそこに同併合条約を承認し、同月17日に上院本会議で併合条約の承認する事にした。
 ニューマン特使は、アメリカ世論や上院議員達に、スティーブンス公使による不当な軍事介入と暫定政府がハワイ国民の支持を得ていない事を訴えた。
 アメリカ世論は、ハワイの砂糖プランテーション経営者らによる併合後の補助金目当ての陰謀説を信じ、不運に見舞われたハワイ王家に同情した。
 上院も早急なハワイ併合は問題が多いとして慎重になった為に、ハリソン大統領の任期中の併合条約批准は見送られた。
 リリオウカラーニ女王は、親交のある次期大統領のクリーヴランドに支援を要請した。
 2月23日 巡洋艦「浪速」(艦長・東郷平八郎大佐)と、5日後にコルベット級軍艦「金剛」が相継いでホノルル港に入港した。日本の二隻の軍艦は、停泊中のボストン号を両側で挟む様に投錨した。
 王制支持派は、天皇の軍艦が到着し、アメリカ軍艦を威圧する様に停泊した事に歓喜して喜んだ。
 浪速の艦長東郷平八郎は、国際法に精通していた以上に、サムライとして臨時政府の暴挙に義憤を感じ、クーデター勢力を威嚇した。
 「武力でハワイ王政を倒す暴挙が進行している。我々は危険に晒された無辜の市民の安全と保護に当たる」と通告して、遠回しであるが王制打倒のクーデターを非難し、アメリカのハワイ併合運動に抗議した。
 東郷艦長は、王制を廃止した臨時政府を無視して他国の様に表敬訪問せず、リリウオカラーニ女王をハワイ王国の正統な国家元首として敬意を持って拝謁した。
 東郷平八郎は、信義を重んじ、礼節を尽くす、武士であった。
 サムライは、自分が如何に弱小で非力であろうとも、強者からの筋の通らない不条理な要求は断固として抗議して抵抗した。
 つまり、サムライは理なき外圧には決して屈しない。
 武士道は、命を惜しむ小人の様に目先の利益や金儲けの為に卑屈になる事を極度に嫌悪し、信条・節操・志を貫く為ならば命さえ惜しまず投げ出した。
 サムライは、命を永らえるだけの無味乾燥の空念仏的平和を嫌い、いつ如何なる時でも自分の信念の為に戦争を行う気迫を持っていた。
 女王の側近は、東郷艦長と長時間の密議を持ったという噂も流れた。
 スティーブン公使は、ワシントンに、合併を急がねば日本にハワイを奪われると訴えた。以前は、イギリス脅威論を訴えていたが、日本政府が日本人移民が急増させ軍艦を派遣して干渉してきた事に危機感を感じて、日本脅威論を力説した。
 後に大統領となるセオドア・ルーズベルトは、マハンの『海上権力史論』を信奉して日本脅威論を支持し、仮想敵国日本に対抗する為に大海軍を建設すべきであると確信した。だが、彼は偉大な政治家としてその本心を隠し、にこやかに日本との友好を語った。 
 臨時政府を支持する有力地元紙は、日本とイギリスの両王制国家が組んで、人民主権の理想を掲げるアメリカに開戦する可能性があると警告の記事を掲載した。
 アメリカ併合派は、日本側の無言の威圧によってハワイ併合スケジュールを数年延期した。
 向かうところ敵なしでテキサスやニューメキシコなどを併合して領土を拡大してきたアメリカは、アジアの小国日本によって建国以来初めての屈辱を味わった。
 L・ヤング「独立宣言以来、これほどの屈辱をアメリカが味わった事があるだろうかあじわったは」(『真実のハワイ』)
 3ヶ月後。東郷平八郎艦長は、アメリカのブラウント全権特使がハワイに到着する事を理由にして、浪速と金剛は率いて帰国した。
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 3月4日 民主党のスティーブン・クリーブランド大統領は、マハンの海上覇権を無視し、国益よりも信義を重んじて、リリウオカラーニの窮状を救おうとした。
 アメリカの政策は、大統領が交替すると変更される事が多い。
 つまり、アメリカの政策は長期的ではなく短期的なモノが多く、長くても大統領の任期で4年から8年である。極まれに、大統領が替わっても政党で継続される事があるが、それとても政党が変われば全てが変更された。
 民主党のクリ−ヴランド大統領は、前任者のハリソン大統領(共和党)のハワイ政策を修正し、ハワイ革命は不法であると認め、上院に提出されていたハワイ併合条約案を取り下げた。
 さらに、ハワイをアメリカの保護領としない事も決定した。
 ウォルター・グレシャム国務長官に、軍事介入の事実調査を命じた。
 グレシャム国務長官は、前下院外交委員長のジェームズ・ブラウントを調査団長に任命してハワイに派遣した。
 セオドア・ルーズベルトは、マハンの信奉者であっただけに、太平洋航路の戦略的要港のハワイを確保する必要があるとの持論から、クリーブランド大統領の対ハワイ宥和政策を厳しく批判した。
 3月17日 ブラウント調査団長は、スティーブンス公使の軍事介入による内政干渉は違法であると認め、ハワイ政庁に掲げられている星条旗を下ろす様に命じた。
 「私が収集した情報を勘案すれば、仮に併合条約をハワイ住民の一般選挙で問うとなれば、どう贔屓目に見ても、反対派が圧倒的である」 
 日本が干渉したからアメリカはハワイ併合を断念したというのは、誤りである。
 臨時政府は、王制廃止とアメリカ併合を貫く為にワシントンの勧告を、内政干渉として突っぱねた。
 クリーヴランド大統領は、ブラウント調査団の報告書を検討して、騒動の原因となったスティーブンス公使を更迭して、新たな公使にアルバート・ウィリスを任命した。
 問題は、リリウオカラーニ女王を如何にして復権させるかであった。
 クリーブランド大統領は、ハワイを元の立憲君主制国家に戻す事を決意した。
 ハワイ暫定政府と王制廃止派は、リリウオカラーニ女王が不注意に話した強硬発言を逆手にとり、政権を回復し権力を握るや併合派への復讐を開始して、アメリカ系ハワイ市民を処刑して財産を没収するとの歪曲情報を流した。
 アメリカ世論は、「血に飢えたリリウオカラーニ女王」という操作されたプロパガンダをいとも簡単に信じて、同じアメリカ人である暫定政府と王制廃止派に同情した。
 アメリカは、宗教的人種差別主義国家であった。
 クリーブランド大統領は、ハワイに立憲君主制を回復させるには軍事介入しかなく、友人のリリウオカラーニ女王を復権させると内戦に陥る危険があると判断し、問題解決を議会に丸投げして責任を回避した。
 議会も、責任を取るのを嫌って現状維持とし、暫定政府にハワイの行政を委ねて逃げた。
 暫定政府と王制廃止派は、ハワイ王家を人畜無害の形骸化に追い込み、王族が国王に復権してこない様にする為に、新憲法によるハワイ共和国建国に取り組んだ。
 アメリカへの粗糖輸出が増加した為に、砂糖プランテーション経営者は農業労働力をを獲得する為に日本からの移民を促進した。
 暫定政府は、利に走りやすい個人優位の中国人移住者と違って、ハワイ王家に同情する統制がとれた日本人移民の増加に頭を悩ませた。
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 ジェームズ・ブラウント特使「もし何らかのトラブルが私達の側に対して起こったら、アメリカ政府はすぐに軍艦を派遣して上陸させます」(元下院外交委員長。南部ジョージア州出身。南軍陸軍大佐)
 ブラウントは、調査を終えて帰国する際、国家元首・リリウオカラーニ女王に拝謁してアメリカ政府は自主独立国・ハワイ王国の主権を侵害しない事を保証した。
 欧州諸王国と親密な関係を持つ現実主義者は、非人道行為を行わない限り、専制君主体制に寛容であった。
 王制復活派は、ハワイ人が希望するハワイ王国とハワイ王家の存続を支持した。
 が。
 開拓精神旺盛な理想主義者は、自由と民主主義の原則から、人民の権利拡大の為に専制君主体制を打倒しようとした。
 王制廃止派は、ハワイ王国の消滅とハワイ王家の廃絶を望んだ。
 そして。
 ハワイ人の民族的「淡い夢」は朝露のように消え、白人の普遍的「濃厚な希望」が常夏の楽園に花咲いた。  
 日本海軍。特に東郷平八郎など極一部の民族派帝国軍人は、アメリカが掲げる「自由と民主主義」という普遍的理想主義に対して神の裔・天皇の維持と皇国の存続に強い危機感を抱いた。
 後年。彼らは艦隊派として、アメリカ主導で行われた幾つかの海軍軍縮条約に猛反対した。
   ・   ・   ・   
 7月 金子堅太郎は、海軍将校に国際戦略を喚起させるべく、マハンの『海上権力史論』を海軍親睦組織水交社機関紙『水交社記事』に「我社員に必読の書」として紹介し、10月号から12月号にかけて全文を翻訳して連載した。
 『海上権力史論』は、1896年に汎アジア主義団体の東邦協会が出版された。
 セオドア・ルーズベルトは、日本側の動きを注視していた。 
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 11月4日 ウィリス公使が、ホノルルに着任した。
 ウィリス公使は、ハワイについての詳しい知識を持っていなかった為に、サンフランシスコからハワイまでの航海で同船したC・W・ハイド牧師から色々な話しを聞いた。
リリウオカラーニ女王は、ウィリス公使に、反逆罪に問われる者に恩赦を与えて死刑にせず、財産を没収して国外追放にすると伝えた。
 アメリカの新聞は、部数を売る為に事実を歪曲し、リリウオカラーニ女王は復位を果たしたら臨時政府の閣僚を反逆罪で処刑する可能性があると報じて、悪意を持って人身攻撃を行った。
 それが、アメリカの「表現の自由」である。
 12月18日 クリーブランド大統領は、連邦議会で、ハワイ革命に於けるアメリカ側の不当な干渉があった事を認めた。
 連邦議会内の併合賛成派は、クリーブランド大統領の軟弱外交を非難し、臨時政府の主張を支持した。
 ウィリス公使は、臨時政府のドール首班に、完全恩赦の保証を与えて、政権をリリウオカラーニ女王に返却する様に勧告した。
 12月23日 臨時政府は、ウィリス公使に、クリーブランド大統領の勧告を拒否するとの回答文書を手渡した。
 王制復帰を阻止する為に、自由と民主主義の兼補を制定し、人民主権に基ずくハワイ共和国樹立に取りかかった。
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 1894年 「海洋覇権論」のアルフレッド・マハン提督は、『ハワイとわが海上権力』という論文を発表して、ハワイは太平洋を支配する為の重要な海洋軍事拠点であり、放置すれば海軍力を、付けたアジア人(特に日本人)に太平洋を乗っ取られるとると力説した。
 日本政府は、マハン理論に基ずく海軍力強化の為に、イギリスにロイヤル・ソブリン級(1万2,000トン)の最新鋭戦艦2隻を発注した。
 日本議会は、沿岸防衛の海軍力整備を主張して巨額な大艦巨砲の建造費予算承認を渋った。
 明治天皇は、国防の充実は最急務として、議会の反対を押し切って、宮廷費の一部と官吏俸給の1割を建造費に充てると決断した。
 アメリカの海軍関係者は、最高1万トン級の戦艦3隻しか持たないだけに、日本海軍の増強に恐怖を覚えた。
 イギリスは、ロシア帝国のアジア近海進出阻止とアメリカの太平洋航路独占を崩す為に、10隻の建造予定から2隻を日本に売却する事を決めた。
 日本海軍は、ハワイ併合を牽制する為に浪速(東郷平八郎艦長)を昨年に続いてハワイに派遣したが、清国との戦争が近い為に緊急帰国を命じた。
 連邦地方裁判所は、憲法が保障する「市民としての自由と平等を認められる権利」はモンゴル人種にはないとして、「日本人は帰化不能の外国人」との判決を下した。
 日本人移民は、アメリカ市民となる事が禁止され、権利を剥奪され、アメリ市民社会の片隅に追い遣られた。
 アメリカ海軍のチャールズ・トレインは、スペインとの戦争についての報告書を提出した。
 1月 ハワイ臨時政府は、建国一周年記念を祝う為に、ホノルル港に停泊する全ての艦船に対して21発の祝砲を要請した。
 東郷平八郎大佐は、国際法に於いても、サムライの信条からしても、ハワイ王国を乗っ取った大国アメリカの横暴が承服できなかった。まして、ハワイ王家は皇室と友誼関係にある為に義憤を感じて、祝砲要請を「その理由を認めず」と突っぱねて拒絶した。
 ホノルル港の各国軍艦や商船も、日本海軍に倣って祝砲を行わなかった。
 ホノルル発記事「ホノルルの港は、ハワイ王国の喪に服している様に静寂に包まれた」
 アメリカは、宗教的人種差別観が強かっただけに、非キリスト教徒で有色人種の日本によって国家の名誉と白人の自尊心を傷付けられた。
 サムライ日本人は、「強い者が弱い者をいじめる事は許さない」という判官贔屓的気質から、昔から住んでいる民族宗教のハワイ人が白人によって差別され、土地を奪われて貧困生活を余儀なくされている事に義憤を感じた。
 「弱きを助け、強気を挫く」を好むサムライは、相手が強く巨大であればあるほど闘争心をたぎらせ、戦えば負ける可能性があっても勝敗を意に介さず挑みかかった。
 サムライが最も嫌ったのは、負けて死ぬ事ではなく、命を守る為に名誉と信念と体面を捨てる「さもしさ」であった。
 武士道は、「心」「志」「気概」を捨てて生きながらえる事はサムライの恥とした。
 サムライは、公の為に個を捨て、雄々しく正々堂々と覚悟を持って立ち、卑怯・卑劣・下劣な見苦しい振る舞いをもっとも嫌った。
 理が通らぬ要求は、たとえ相手が誰であろうとも拒絶した。
 ゆえに。臨時政府が行った、裏切り、だまし討ちは、断じて許す事ができなかった。
 サムライは、決して圧力には屈せず。屈するぐらいならば、死を選んだ。
 故に。「武士道とは、死ぬ事と見付けたり」である。
 東郷平八郎は、真のサムライであった。
 心ある諸外国の海軍将校の多くは、東郷平八郎を偉大な提督として崇拝した。
 日本人移住者は、中国人移住者とは違って、不運に見舞われているリリウオカラーニ女王を同情し、同じ専制君主を持つ人間として王制復活派を支持していた。
 唯一。平和憲法下の現代日本だけが、日本史の教科書から東郷平八郎提督を抹消した。
 ハワイ人は、小国といえどもサムライ日本が勇気を持って味方してくれた事に感謝し、東郷平八郎巡洋艦「浪速」の快事を語り継いだ。
 明治天皇と政府と軍部は、ハワイ王国の今後とハワイ王家の存続を憂慮しながらも、日本帝国を取り巻く国際環境の悪化への対応に追われ救援するゆとりがなくなった。
 2月7日 アメリカ下院は、スティーブンス公使の軍事行為による内政干渉に関する非難決議を可決した。
 暫定政府ドール首相は、クリーブランド大統領が制裁行動に出ないと確信するや、テキサス型解決策(テキサス・ソリューション)でアメリカへの併合前に共和国樹立に目標を変更した。
 2月26日 人種差別的アメリカ世論は、ハワイをハワイ人のハワイではなく、アメリカ人のハワイにする事を望んでいた。
 暫定政府と王制廃止派は、上院の併合推進派に、ブラウント報告書は王制維持派のみの意見を採用した片手落ちの報告書であると不服を申し込んだ。
 上院外交委員長ジョン・テイラーモーガンは、ブラウント報告書には欠陥があるとして独自に調査を行い、スティーブンス前公使らを尋問して併合推進派に有利な報告書をまとめた。
 スティーブンス前公使は、アメリカの国防と国益の為に、ハワイを外国勢力に支配される事を防ぐべく軍事介入したと主張した。
 1,日本の公使が、約2万人に増加した日本人移民の人数に見合った政治参加の権利を要求した。
 2,軍隊で軍事教練を受けた日本人移民800人以上が、ハワイ民族派から参政権を得る条件で、王制維持の為に白人農園主を襲おうとしていた。
 3,日本政府は、ハワイの日本人移民の保護を理由として軍艦二隻を派遣し、ホノルル港に碇泊していたアメリカ海軍軍艦を威圧した。
 大半は、軍事介入を正当化する為の虚偽証言であった。
 アメリカによる軍事介入を正当化する手法は、昔も、今も、何ら変わる事はない。
 そして、西部劇の様に強い者や勝利者が正義となって全ての権利を獲得する。
 国際社会もまた強者論理で動いていて、弱い者や敗者には冷酷で権利を認めていなかった。
 ハワイ併合推進派は、日本軍事脅威論で世論を誘導するべく、「日本は悪玉、アメリカは善玉」とするプロパガンダを開始した。
 カリフォルニアの左翼政治団体であるワーキングメンズ党は、白人の職場を確保する為に日本人ら有色人種を追い出せと、大衆運動を展開した。
 人種差別的アメリカ世論は、ハワイをハワイ人のハワイではなく、アメリカ人のハワイにする事を望んでいた。そして、白人支配に挑戦する日本人への憎悪をたぎらせた。
 アメリカは、友好な親日から反目する反日へと変容し始めた。
 リリウオカラーニ女王は、王制を復活させるべく幾度もアメリカ政府と友人のクリーヴランド大統領に手紙を出し、白人支配を覆す為に日本政府に対して日本人移住者の促進を期待した。
 共和党議員セオドア・ルーズベルトは、対日強硬派としてクリーブランド大統領の対ハワイ外交を優柔不断と厳しく批判していた。
 「ハワイに掲がった星条旗を降ろさせた事にはまったく承服がいかない。私は『明白な宿命』を信奉している。強力な海軍がアメリカには必要だと考えている。……一旦揚げた星条旗を降ろさせるなど、もってのほかだ」
 7月4日 暫定政府は、王制復活させない為にも共和国樹立の為に、米国の建国記念日似合わせて、自由と民主主義の理想を掲げた新憲法下でのハワイ共和国の樹立を宣言した。
 普通選挙としてハワイ人と急増する日本人や中国人に選挙権を与えれば、少数派の白人は政権を失ってしまう。
 新憲法は、人種差別要素が強く、増加する日本人移民者の権利を制限して農園に押し込め、如何にハワイ民族派との政治的共闘をさせないかを、重要課題としていた。
 白人が将来的にもハワイを完全支配する為には、納税できる所得を有する事を条件として、ハワイ人や日本人移住者と同時に白人で低所得者参政権を認めない事にした。
 選挙権を得る有権者は、市民権が必要で、英語が話せて一定の財産を有している事が条件とされた。
 大多数のハワイ人と全ての日本人移民は、この厳しい基準を満たしていなかった為に、選挙権が認められなかった。
 政府の公職に就く条件として、共和国に忠誠を宣誓し、王制復活に協力しない事を契約させるとした。
 ハワイを国際社会に通用させる為に、公用語と公用文書は英語に統一して、民族言語と民族文字のハワイ語は禁止した。
 国教は、普遍宗教のキリスト教と定め、民間宗教は家庭内では認めたが公式の場では禁止した。
 キリスト教会は、政治不介入の原則に従い、ハワイを神の王国に生まれ変わらせる為に民族宗教や伝統文化や伝承風習など全てを消滅させるべく禁止に近い制限を示唆した。
 敬虔な信者であるハワイ人キリスト教徒は、生活の中にあったハワイ人民族神話を信仰の証として捨てた。
 ハワイの国際化である。 
 ハワイの安定の為に、欧米風の人種差別と社会格差を導入する事とした。
 アメリカへの合併は、クリーブランド大統領が退任するまで延期とした。
 テキサス併合方式を採用し、ハワイ諸島の多くの不動産を大量に安く買い込み、新たに移住してくるアメリカ人に安値で売却した。
 ハワイのアメリカ化の為に、ハワイの優良な土地はアメリカ人によって買われた。
 外国人による土地所有は、亡国の始まりである。
 併合推進派は、クリーブランド大統領の次の大統領に期待して、アメリカ国内での根回しを始めた。
 特に、軍当局のの支持を得る為に、世論に日本がハワイを奪いに来ると言う日本脅威を捏造して流した。
 アメリカ海軍は、ハワイを対日戦略の最重要な海軍基地にする為に併合を支持した。
 7月25日 日清戦争豊島沖海戦
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 8月 クリーブランド大統領は、国内のハワイ併合派の圧力に抗しきれず、ハワイ王政の復活はあり得ないと判断してハワイ共和国を承認した。
 砂糖業界の政治的圧力に屈してウィルソン・ゴーマン関税法を成立させ、ハワイ産粗糖を無税とし、キューバやブラジルの粗糖には40%の関税をかけた。
 ハワイの砂糖プランティーション経営者は、粗糖無関税を勝ち取ってハワイ経済を完全支配し、アメリカ併合に弾みを付けるべくた日本の軍事的脅威論を煽った。 
 8月1日 小国日本は、大国清国に対して宣戦布告した。
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 12月11日 ニューヨーク・ワールド紙は、反日感情を煽る為に、日清戦争に従軍しているジェームズ・クリールマン特派員の「日本軍による民間の支那人大虐殺事件」を掲載した。
 ワールド紙の編集者は、ユダヤ系移民のジューゼフ・ピューリッツァーであった。
 ピューリッツァーは、新聞社の理念を高らかに宣言していたが、掲載記事は正論が少なく、読者が興味をひく記事のみを紙面に載せた。
 人種差別意識の強い白人読者は、不況による生活苦を非白人である日本人への敵意で鬱憤晴らしをしていた。
 日本軍の残虐報道が、ワールド紙による悪意に満ちた事実無根の嘘で捏造記事であっても一向に構わなかった。
 「11月下旬、旅順に入った日本軍による虐殺があった。日本軍は目にする者を手当たり次第に殺していった。跪き命乞いする丸腰の民間人を容赦なく撃ち殺したり、銃剣で刺し殺したり、あるいは首を刎ねていった。町の隅から隅まで日本軍の掠奪が続いた」
 アメリカの世論は、真実を伝えない偏向した新聞や雑誌に左右されていた。
 ワールド紙は、読者が喜びそうな記事を書き、なければでっち上げて書きまくって、その効果があって販売部数を激増させていた。
 日本軍に観戦武官を派遣しているアメリカ、イギリス、ロシア帝国、フランスなどの欧米列強は、戦場近くにいる自国の高級将校や従軍記者に事実確認を命じた。
 人種差別意識の強い各国の軍人や報道機関は、非白人で非キリスト教徒の日本が果たして欧米的文明国の一員となり得るかと疑問から、粗探しをする様に戦場を駆けずり回った。
 結論として、日本軍による虐殺報道は事実誤認であり、日本軍は戦時国際法を律儀なほど厳格に順守し虐殺はもとより掠奪も行っていないと報告された。
 その逆に。朝鮮北部で敗走する支那軍兵士による、朝鮮人に対する殺人・強姦・掠奪などの戦時国際法無視の非人道的犯罪行為が数多く報告された。
 この結果。欧米列強は、清国は近代的文明国には成れない判断し、半植民地として切り刻んで利権を獲得した。
 国際社会とは、恩情なき非常な弱肉強食の世界であり、大国意識の強い清国は自業自得的に墓穴を掘って崩壊して行った。
 ハワイ併合推進派や左翼政治団体は、反日運動を盛り上げる為に、日本軍による人道的活動を隠蔽し、日本人兵士の血に飢えた残虐行為という虚構を真実として訴えた。
 サンフランシスコなどの西海岸では、日本人排斥運動が激しくなった。
 日本人移民が増え始めたカリフォルニアなどの各州政府は、人種差別的反日法案の施行の検討に入った。
 現代の反日派日本人や中国と韓国・北朝鮮は、無能な馬鹿の一つ覚えとして、依然として「日本軍による旅順虐殺」を事実と取り上げて日本批判を繰り返している。
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天皇と古代国家 (講談社学術文庫)

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