- 作者:マーカス・レディカー
- 発売日: 2016/06/25
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
中世キリスト教文化世界は、白人キリスト教徒にとっては天国であったが、アフリカの黒人やアメリカ大陸のインデオと日本人など非白人非キリスト教徒にとって生き地獄であった。
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現代のキリスト教会と中世のキリスト教会は、別のキリスト教会である。
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1781年 イギリス奴隷船ゾング号(110トン)は、アフリカ西海岸サンタメで黒人奴隷442人を載せ、アメリカ・ジャマイカに向け出港した。
奴隷は、船内で相互を手足で縛られ、苛酷な環境に置かれていた。
9月6日 3ヶ月の航海中、60人以上の奴隷が病死し、多数の衰弱者を出した。
11月29日 船長は、他の商品である奴隷に病気が感染する事を恐れ、病気や衰弱した132人の奴隷を海に捨てるように命じた。
12月9日迄に3回にわたって、54人、42人、26人と、生きたまま、手枷をしたまま海に投げ込んで殺害した。
10人が、自分の意志で海に飛びこんで自殺した。
12月28日 ゾング号は、生き残った奴隷208名を載せてジャマイカに入港した。
奴隷の荷主は、船会社に対して、商品の3分の1を失った損害を補?する様に裁判所に訴えた。
船会社は、奴隷は人間ではない以上、殺人事件ではないとした。
船長は、元気のいい奴隷を助ける為に病気で弱った奴隷を捨てただけであると証言した。
奴隷1人につき30ポンドが保険として掛けられていた、船会社は荷主に保険金を支払うかどうかで争われた。
裁判はこじれ上級審までもつれたが、捨てられた黒人奴隷132人は「馬が船から投げ捨てられた場合と同じ」であり、「手枷をつけたままというのは好ましくなかった」として結審した。
初審は保険会社の負け、再審は保険会社の勝ち。
最終審のマンスフィールド裁判長(法務長官・裁判所長官)は、奴隷貿易制度に初めて厳しい判断を示した。
1807年 イギリスは、奴隷貿易法を制定して、奴隷貿易を違法とした。
1833年 イギリスで奴隷制度廃止法が成立した。
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1587年 豊臣秀吉は、日本人を奴隷・下僕・傭兵として海外へ売り飛ばす事を激しく批判し、日本人奴隷貿易の禁止を厳命し、日本人奴隷貿易に関与したバテレン追放令を発布した。
『秀吉の五箇条
1,何故に 秀吉の臣下をキリシタンにしたのか
1,何故に 宣教師は教徒に神社仏閣を破壊させたのか
1、何故に 仏教の僧侶を迫害するのか
1,何故に お前達は耕作に必要な牛も屠殺して食用にするのか
1,何故に お前達はお前達の国民が日本人を購入し、奴隷としてインドに輸出するのを容認するのか』
1597年 豊臣秀吉のキリシタン弾圧。26聖人殉教。
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世界の非常識として、日本には民族的天皇制度はあったが普遍的奴隷制度はなかった。
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奴隷として売られるかどうかは、強力な軍事力と豊かな経済力を持った国家に守られているかどうかであった。
日本人が奴隷として売られる事がなくなったのは、日本が豊臣秀吉の朝鮮出兵で帝国の軍事力を世界に見え付けたからである。
そして、徳川家康と徳川幕府が帝国の軍事力で奴隷貿易を正当交易とする白人キリスト教徒を追放したからである。
アフリカ人1,500万人以上が奴隷として売られたのは、日本国のような軍事力と経済力を持った国家がなく、豊臣秀吉や徳川家康のような白人キリスト教徒奴隷商人を暴力で追い出す武力信奉者がいなかったからである。
奴隷になるか、奴隷にならないかは、強力な国家を持っているかどうかであった。
国家を否定し、軍事力を否定し、経済力を否定する者は、人身売買で奴隷になる事を自ら希望する「異常者」である。
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- 作者:ブライアン レイヴァリ
- 発売日: 2015/01/13
- メディア: 単行本