🗽10」─1─フランス革命、約200万人の犠牲者。民衆にとって公開広場のギロチン刑は娯楽であった。1789年~No.34No.35No.36 @ 

フランス革命はなぜおこったか―革命史再考

フランス革命はなぜおこったか―革命史再考

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 ルソーは、『社会契約論』で、主権が国王ではなく市民にあるのだから、市民は自を守る為に「祖国の為に死ぬべき」だと主張している。
 主権が国王にあるのであれば、国王は臣民の生命・財産を守る義務があるが、税金を払う臣下である市民は戦う責任はない。
 国民主権の民主主義において、基本的人権や私的権利と益を要求するのであれば、市民は進んで国家を守る為に銃を取って戦う義務がある。
 戦い責務を果たさない市民には、国内における如何なる私的な権利も利益もなく、政府から与えられる基本的人権が制限されて当然である。
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 フランス革命によって、政経分離の原則が生まれた。
 唯一絶対的価値観において、神聖は世俗の上位にあり、宗教権威が政治権力を支配していた。
 革命勢力は、人民の権利を守る為に、政教分離の原則で中世キリスト教会を政治の場から追い出した。 
 世俗の政治が神聖の宗教の上にある時は、政教分離は必要ない。
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 フランス革命時に発行された欧米社会の新聞は、クオリティペーパーとして少数の知識階層に事実を伝える知的な新聞であって、知的水準の低い階層の社会不満を煽り騒乱へと誘導するアジテーションペーパーではなかった。
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 1782年 浅間山の大噴火。
 1783年3月 アイスランドラキ火山の噴火。
 夏は冷夏に襲われ、ヨーロッパでは不作によって小麦粉価格は急騰した。
 多額の重税で苦しんでいるフランス国民は、パンを買えず暴動を起こしたが、王家には愛着があり、
国王への忠誠心が篤く、王国に銃を向ける気はなかった。
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 1780年代 フランスは、巨額の財政赤字で、王国の財政は逼迫していた。
 フランスは3つの身分に分かれ、国王を頂点に、聖職者の第一身分、貴族の第二身分、平民の第三身分である。
 聖職者と貴族は、人口の2%にすぎない特権身分として国土の40%を所有し、税金を納めずに済む権利(免税特権)など様々な特権を保持していた。
 ジャック・ネッケルは財務総監(財務大臣)に就任するや、財政破綻を回避し、財政赤字を解消し、財政健全化の為に、特権階級の免税特権を廃止して税を徴収しようとした。
 貴族達は、免税などの特権を守る為に反発し、国王に第一、第二、第三身分の代表議員を集めた三部会の開催を要求した。
 国王ルイ16世は、貴族等の要求に押し切られ、175年ぶりに三部会を開く事を認めた。
 三部会は議決方法で荒れ、第一と第二身分は「身分別の表決」を主張し、第三身分は不公平になるとして反発した。
 第三身分は、三部会から独立した新たな国民議会を開き、国王に忠誠を誓い、財政回復の必要性を認める開明的な第一、第二身分の議員が国民議会に加わった。
 ルイ16世は、国民議会の存在を認め、平民への理解を示した。
 平民は、身分差別の解消を求めた。
 ルイ16世は、王国の維持には身分制は必要悪であるとして差別の解消を認めず、貴族側の要求を受け入れてネッケルを罷免し、免税特権の廃止案を却下した。
 平民は、王政に絶望したが、国王への忠誠心は依然として持っていた。 
 フランス革命の端緒はこうして開かれた。
 平民は国王の味方で、貴族は敵であった。
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 フランス総人口約2,600万人。
 1789年 フランス革命の犠牲者は200万人以上。
 神の存在を否定する非正規派フリーメイソンは、専制君主の権力とカトリック教会の権威という中世の価値観を破壊する為に、人道主義に基ずく自由・平等・博愛のスローガンを掲げて虐殺を繰り返した。
 左翼のジャコバン党は、独裁権を握るや恐怖政治を行って、反対派を逮捕し、裁判なしで、有罪・冤罪に関係なく処刑した。
 ユダヤ人の反宗教無神論の強硬派は、王侯貴族などの上流階級やキリスト教会から、500年以上にわたって受け続けた差別と迫害の恨みをはらすべく、人民裁判カトリック教徒の国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットを有罪とし、公開で首を切り落とした。
 虐げられてきた民衆は、国王や王妃の首がギロチンで切り落とされるのを見て狂喜した。フランスのブルボン王家は、自国の民衆から見捨てられて滅亡へと衰退していった。
 しばらくの間、社会は混沌として、ギロチンによる公開処刑は庶民の娯楽となった。
 勝者が敗者に対して無慈悲に報復するのが、世界常識である。勝者の報復を否定する者には、世界史が理解できない者である。
 東京裁判で、戦勝国が敗戦国日本に報復裁判を行った事は、世界史から言って異常な事ではなかった。
 ヨーロッパはおろかアフリカ・エジプトは、ナポレオンの戦争で荒廃して甚大なる被害を蒙った。だが、ナポレオンは世界史的な英雄として今日でも愛されている。現代の反戦平和主義者も、彼を人殺しの野心家と悪くは言わない。
 鎖国時代の日本は、ナポレオンの武勇伝を書物で読んで知っていた。書物は、サムライはおろか、身分低い百姓や町人でも読んで親しんでいた。
 フランス革命後。ユダヤ教徒ユダヤ人は、ナポレオンによってゲットー(ユダヤ人居住区)から解放されて、「自由、平等、友愛」の名において市民権を獲得した。
 フランス革命の最大の恩恵授受者は、ユダヤ中産階級であった。ユダヤ人は、宗教差別的重圧から解放されるや、高利貸しなどで蓄えた私財を資本として各国政府及び封建領主の財政や各種の産業に融資し、情報を操る類い稀な才能と他者を蹴落とし競争相手を破産させるしたたかな商法で瞬く間に世界金融を独占し、各国に紙幣を発行する中央銀行を設立して巨万の富を築いた。
 1000年以上の永きにわたり差別と迫害されてきたユダヤ人は、「目には目を、歯には歯を」の復讐法に基づき、これまでにいきさつを水に流して異教徒非ユダヤ人と共存する事を拒否した。
 ユダヤ人の飽くなき利益追求で、生活基盤を奪われて貧困層に転落した非ユダヤ人らはユダヤ人を憎み反感抱いた為に、利益優先の資本主義社会で反ユダヤ主義が蔓延した。
 社会変革の矛先は、才能と努力次第で個人的に成功し独立を勝ち取り私有財産を築き人としての自由と権利を保証する新興勢力の資本家ではなく、広大な領地を持つ門閥貴族と神の法という宗教的価値観で人の道・道徳を規定する教会といった旧態依然の勢力であった。
 ヨーロッパ世界は、「国家は基本的法理念による憲法で統一され、社会は法律の下で自由と秩序を維持し、全ての国民は国家の法に定められた責任と義務を果たす事によって平等と権利が保証される」との原則論で近代化された。
 近代国家は、国民として国家が定めた法を守り責任を持った行動する事を条件として、国家が保証する法的平等と権利と信教の自由を保障した。
 西欧のユダヤ人は、同化する為に、排他的ユダヤ教を捨てキリスト教に改宗し、民族言語のヘブライ語イディッシュ語を捨て母国語を話し、ユダヤ人特有の名前を隠してヨーロッパ人に成り済ませた。
 ユダヤ人改革派は、政府の啓蒙主義同化政策を受け入れ、一般的国民となる為に治外法権的な裁判権や法的自治を放棄し、差別的ユダヤ法と法外なユダヤ人税の廃止を求めた。
 民族を守ろうとした正統派ユダヤ教徒は、独自の言語を維持し、奇異的な風俗習慣を信仰を理由にしてこだわった。
 そして、「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」の宗教的信念で、神への信仰を守る為なら皇帝や国王への忠誠を拒否し、神との契約に基ずく律法・法体系を優先し国家が国民の義務と権利を定めた世俗法を無視した。
 ユダヤ人は、国家や社会から何も期待できないだけに、自衛手段として周囲とは異質な法体系で国民国家内で民族国家を維持し、周囲の他民族への依存を最小限にとどめて自給自足の環境を強化し独自の自治社会構造を築いた。
 近代における反ユダヤ主義は、普通の国民となる事を拒否した不寛容なユダヤ教徒ユダヤ人への敵意として生まれた。
 国家に命を捧げる愛国心を正義と主張する国民は、戦争を禁止する神への信仰から戦場で生死をかけて戦っている戦友を見捨て、自分一人が助かる為に金で他人の命を買おうとしているユダヤ人を領土からたたき出せと主張した。
 4月30日(〜97年) ジョージ・ワシントン初代大統領に就任。
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 1791年6月20日夜 ルイ16世とマリー・アントワネットは、王党派勢力が支配するベルギー(当時、オーストリアハプスブルク領)との国境近くの王党派勢力が強いモンディ要塞を目指して、監禁状態に置かれていたテュイルリー宮殿を脱出した。
 国王の家族は、23時に目的地まであと一歩という所で捕らえられた。
 国民は、国王が自分達を捨てて逃げ出した事に激怒して、国王・ルイ16世と王妃マリー・アントワネットを庇う事を止めた。
 もし、国王一家が逃亡せず監禁状態を受け入れ国王の責務を全うしていれば、ブルボン王家イギリスのような立憲君主制に穏やかに移行できたかもしれない。
 9月 議会は、急進的共和主義勢力が力を付ける事を恐れ、憲法で秩序を維持するべく立憲君主制を定めた憲法を制定した。
 10月 新憲法による一院制の立法義内選挙が行われた。
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 シエイエス「聖職者階級や貴族階級が言っている事が正しいとは限らないが、民衆が考える事はつねに正しい」
 第三身分の平民・民衆は、多数派としてフランス革命を支持し、主権を手に入れるや主導権争いを繰り返し反対派を処刑し合った。
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 1792年4月 フランスは、オーストリアに宣戦を布告した。
 プロイセンは、オーストリアと組んだ。
 7月11日 立法議会は、祖国の危機を宣言した。
 8月10日 パリ民衆と義勇兵は、テュイルリー宮殿を攻撃した。
 立法議会は、民衆の圧力に決して、王権を停止し、普通選挙による憲法制定議会・国民公会の招集を布告した。
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 1793年 革命政府は、革命直後の2年間で約4万人の反対派を人民の正義の名の下でギロチン刑として首を刎ねた。
 ヴァンデー地方の虐殺。反乱軍と鎮圧軍合わせて、20万から30万人が戦死か処刑された。
 1月 ルイ16世は、コンコルド広場で公開処刑された。
 7月 ロベスピエールは、革命精神である「人民主権」と「自由平等」を国内外の敵から守るべく公安委員会の委員となった。
 世論は、ぶれる事なく理想を貫くロベスピエールを支持した。
 ロベスピエールは、圧倒的多数の世論の支持を得て、国内外の反革命勢力の「陰謀」を阻止し、人民の権利を守るとして恐怖政治を始めた。
 各地の王党派を攻撃して、女子供、家族もろともに虐殺した。
 松浦義弘(成蹊大学教授)「ロベスピエールは、革命政府の破壊をもくろむ陰謀家や外国の敵から共和国を守らねばならないと一貫して主張し、その為には彼らを弾圧すべきだと述べていた」
 1894年春 人民の中に敵によって指導された陰謀家が紛れていると告発し、同じジャコバン・クラブの反ロベスピエール勢力であるダントン派とエベール派を粛正した。
 6月 ロベスピエールは、人民の擁護者として、キリスト教に代わる「最高の存在」にフランス革命の理念を掲げて、反宗教無神論的祭典を執り行った。
 世論は、「最高存在の祭典」は新たな宗教権威の創設で復古的で、政教分離の原則に反すると批判して、反ロベスピエールへと動いた。
 7月27日 テルミドール9日(革命暦11月9日)のクーデターで、ロベスピエールは逮捕され、ギロチン刑として公開で断頭台で首を切断された。
 世論は、自分達の権利を拡大し利益をもたらす有徳者として独裁者に押し上げたが、自分達の権利を奪い危害を加える恐れが出始めるや人民の敵として処刑した。
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 白人農園主は、黒人奴隷に英語を教えたが、知識を持たせない為に読み書きを禁止した。黒人奴隷の中で知能の乏しい粗暴の者を選び、処罰の特権を与えて仲間の奴隷を管理させた。
 キリスト教会は、黒人奴隷を改宗させ、農園主を絶対神と崇め敬い従う様に説教した。
 黒人が持っていたアフリカの文化や宗教や言語は、意図的に破壊された。
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 1793年アメリカは、欧州の戦乱に対する中立宣言。
 1794年 ペンシルベニアウイスキーの乱。
 ジェイ条約。英米国交調整。
 1795年7月14日 フランス議会は、『ラ・マルセイエーズ』をフランス共和国の国歌として制定した。
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1799年 ロシア皇帝パーヴェル1世は、ニコライ・レザノフの献策に従って、イギリスの東インド会社を真似て国策独占会社ロシア・アメリカン会社を設立した。
 ロシア・アメリカ会社は、アラスカやカリフォルニアなどでコラッコの毛皮を獲る為に激しい競争をしていたロシア人毛皮業者達を監督した。
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 階級差別の激しい大陸においては、卑しい家系で、身分の低い者には教養を持つ事も読み書きを覚える事も一切禁止されていた。
 サムライは、領民が国王を玉座から引きずり下ろして処刑した事に衝撃を受け、その恐怖心が後年の開国問題での騒動の要因となった。
 尊王攘夷派が、開国に反対したのは、異国人を国内に入れる事ではなく、庶民がキリスト教国の真似をして将軍家や皇室に牙をむき、日本的なモノを破壊し、将軍や天皇を娯楽半分で殺害する事であった。
 昔の日本人は、神道的多種多様な価値観を持っていたがゆえに、人の心とは、欲深いだけに自然と共に移ろいやすい事を知っていた。
 決して、ヨーロッパの様に、全てのモノが絶対神の御意志・御わざで計画され、絶対神の普遍的単一価値観で不変であるとは、嘘でも信じ切れなかった。
 日本の自然環境とヨーロッパの自然環境とは、全く違う気候風土にあった。日本は、変化の激しい狂暴な自然と柔軟に共存し、自然のおもむくままに、人的思惑を抑えてあるがままに受け入れた。
 ヨーロッパは、変化の乏しい自然と敢えて闘って支配し、自然を悪魔が住み着く邪悪な場所として憎み、人工美を追求して思うがままに破壊的に改造した。
 個性の弱い神道と個性の強いキリスト教の違いも、そこにある。
 同様に、人を人と思わず押しのける我欲の強い陽気で排他的な朝鮮や中国とも、友好関係を持って国交を開く事はしなかった。
 中国と朝鮮の自然環境も、ヨーロッパ同様に日本の自然環境とは異質であった。
 地球は一つではあるが、自然環境は一つではない。人類は一種類であるが、人間は一つではない。
 日本人は、気弱でひ弱な民族であるがゆえに、家族的な人間関係を大事にし、相手の気分を害さない様に推し量って気を配り、相手の気持ちを自分の気持ちよりも優先しようとしすぎて臆病になり、赤面恐怖症的に無口になる性癖があった。
 その対人恐怖症・視線恐怖症的な引っ込み思案が、言った者勝ちの自己主張至上主義の国際社会から、閉鎖的とされ、没個性とされ、何を考えているか分からない得体の知れない人間として嫌われた。
 日本人への差別は、人種と共に、島国気質・民族的性格が原因となっている。
 その点、相手の迷惑を顧みずに騒ぎ立てる中国人や朝鮮人は、大陸気質から、国際社会では分かりやすく理解されやすいとして好意を持たれている。




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小説フランス革命 9 ジャコバン派の独裁

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