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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ローマ人は、数字に文字を割り当てていた。
1=I、2=Ⅱ、5=Ⅴ、10=Ⅹ、100=C。
ローマ数字では、4,000以上の数字は表記でず、概念的な限界があったと言われている。
数学言語に、アラビア数字の「0」が加えられる事によって無限の想像力が生まれたとされている。
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ローマ帝国には、王侯貴族や庶民といった家柄や身分、商人や地主や労働者といった職業、書記官や事務官や徴税士といった小役人的な官職は存在したが、帝国を動かす官僚機構や帝国軍を指揮する軍事機構や帝国領の治安を統括する警察制度もなかいった。
さらに、哲人や賢人による個人的な私塾はあったが、帝国が行う学校教育もなかった。 権力の中枢は有力な王侯貴族によって独占されていたが、官立学校と官僚制度がなかった為に庶民達は生活に必要な役職を選挙で選んでいた。
責任と義務を果たす健全な庶民が存在する間は、ローマ帝国は安定し発展し続けていた。
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ローマ帝国の繁栄と安定は、属州に対する寛容政策であった。
他文化同化として、征服地住民に対しローマの文化と価値観を受け入れローマ人として生きれば先祖伝来の宗教・信仰の自由を保障し、ローマ市民権を与えローマとの取引を認めローマ人のように私有財産を貯める事を許した。
征服された住民は、ローマ市民権を得て同化する事で得る利益が多い為に、属州を抵抗せずに受け入れた。
唯一に例外が、カルタゴであった。
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ローマ帝国の衰亡は、敵国や異人種・異民族・異文化・異宗教に対する理解と寛容を失い、排他的となりレイシズム(人種差別主義)が蔓延した時からである。
つまり、他人に対する謙虚さを失った事が原因であった。
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G・K・チェスタントン「ローマが偉大だったからローマ人はローマを愛したのではない。ローマ人が熱烈にローマを愛したから、ローマは偉大になったのだ」
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2017年11月30日号 週刊新潮「十字路が見える 北方謙三
欧米では7月はユリウス(英語でJuly)、8月はアウグストゥス(同August)と名付けられている。言うまでもなく英雄カエサルとローマ帝国初代皇帝に由来する、第2代ローマ皇帝ティベリウスは、9月を『ティベリウス』としよう、というゴマスリ元老院議員の提案を、『皇帝が10人を越えた時にはどうするのだ』と一蹴したそうだ。時代は移って、今や為政者の方が民衆におべっかを使うようになった。ここでティベリウスの見識を持てるか、それとも史上無数にいる、阿諛追従に浮ついて身を滅ぼした愚かな君主どもに倣うか。これは我々一人一人の選択である」
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イエス・キリストは、十字架に磔にされて処刑されたが、火葬ではなく土葬されて復活した。
キリスト教は、復活する為に、火葬して肉体を失う事を嫌う。
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敬虔なキリスト教徒は、絶対神への信仰の証しとして殉教を望み、羊のように刑場に向かい、抵抗する事なく処刑された。
キリスト教徒は、生きる事よりも死を選んだ。
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*ローマ帝国でのディアスポラ
エジプト王墓の壁画「王は褐色の肌で、それにまず黒人が列し、次に黄色人が並び、最後に入れ墨をした白い肌の野蛮人が並んでいた」
エジプト文明において、アフリカの黒人種が支配階級で、白人は奴隷階級であった。
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多神教国家ローマ帝国は、帝国領を拡大して多くの異民族を支配するや、多民族社会として寛容な宗教政策を取っていた。
ローマ皇帝の神聖なる権威を尊重し、ローマ人が崇拝する民族神話の神々に敬意を払う限りにおいて、諸民族の民族宗教を許した。
だが。ユダヤ教の様に偶像崇拝を拒否しローマ皇帝の権威を否定する様な排他的独善的な宗教は、容赦なく弾圧した。
ローマ帝国が世界帝国として発展し繁栄し高度な文化を成熟させたのは、他民族の文化と宗教を否定せず受け入れさらにローマ市民権を与えた寛容さと、過去は過去として尊重しながらも絶えず新しいモノを求めて先に進もうとした好奇心の躍動感と、全てをローマ式に合理的に改造して活用する斬新さによる。
ローマ帝国の滅亡は、寛容と躍動と斬新を失った時に始まった。
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パリサイ派出身のユダヤ人パウロは、キリスト教をユダヤ教的な律法中心宗教から信仰によって救われる宗教に改革し、救われる対象をユダヤ人から全ての人に広げ普遍宗教へ成長させた。
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40年頃 原始キリスト教団は、イエス・メシア教団と呼ばれ、ユダヤ教同様にユダヤ民族固有の宗教であった。
ユダヤ教とイエス・メシア教団は、限られたユダヤ人の獲得を巡って激しく対立していた。
ユダヤ教は、支配者宗教としてエルサレムのローマ総督の力を借りてイエス・メシア教団を追い詰めていた。
ユダヤ大飢饉が起きるや、ユダヤ人の多くが先祖返りとしてユダヤ教に靡いた。
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キリスト教は、貧しい者や奴隷など虐げられた人びとの宗教であった。
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非キリスト教のローマ帝国は、帝国の存続の為に、ローマ市民にローマ神話信仰と皇帝崇拝を強制していた。
ローマ市民の信仰を守る為に、拒絶するユダヤ教徒を弾圧し、否定するキリスト教徒を虐殺した。
ローマ市民の宗教性を尊重し受け入れた、ギリシャ神話・エジプト神話・ペルシャ神話・北欧神話などの民族宗教には寛大な処置を執った。
多民族・多宗教のローマ帝国は、帝国の崩壊を避ける為に柔軟な共存の宗教政策を行っていた。
第3代ローマ帝国皇帝カリギュラ(ガイウス帝。在位:37年〜41年)「お前達は神々の敵である。余の神格を認めない唯一の臣民だ。そのうえ、言葉では言い表せない名の神をたてまつっている」
タキトゥス「ユダヤ人は、他の民族に憎悪と敵意しか感じない」
アピオン「ユダヤ人が市民であるなら、どうして我々が信じる神々を信じないのか」
ローマ帝国皇帝は、神聖な血筋ではなく、実力で勝ち取るものとされた。その為に、夥しい血が流されたが、1000年以上続いたパックス・ロマーナが実現し、ローマ文化が花開いた。
ローマの栄光は、周辺地域への侵略による略奪によってもたらされていた。ローマ市民のゴージャスな生活は、ローマ市民以上の奴隷の数によって保証されていた。
歴代の皇帝は、人気を気にし、ローマ市民の歓心を買う為に無償で「パンとサーカス」を与えてた。
ローマ市民は、飼いならされて無気力となり、自己犠牲的にローマ帝国を守る気概を無くした。
ローマ帝国の滅亡は、こうして始まった。
ローマ市民は、最低限の生活が保障され、帝国から食糧が支給されていた。その為に、帝国の配給に依存して働かず、サーカスや剣闘士を見て普通の生活を送っていた。
資産を増して豊かな生活を求める者は、商人として軽蔑されながら働いた。
ローマ皇帝は、ローマの多神教信仰を拒絶するユダヤ教徒を放置しては帝国の崩壊につながるとして、狂信的宗教撲滅の為に軍隊を派遣した。
ローマ軍は、ユダヤ教の聖觥エルサレムを攻撃し、ユダヤ教の神殿を破壊し、ユダヤ教徒ユダヤ人を聖地パレスチナから追放した。
各地に散ったユダヤ教徒は、キリスト教徒が異教徒から弾圧されても助ける事はせず、見て見ぬ振りをして金儲けを優先した。
閉鎖的なユダヤ教徒は、異民族への布教をしなかった為にユダヤ人以外の信者を増やすことが出来ず、異民族との雑婚で民族人口が減り信者も激減した。
キリスト教徒は、人種・民族に関係なく布教活動をした為に、弾圧されても信者を増やしていった。
『ソロモンの書』「借りる者は貸す者の奴隷なり」
イエス「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」(マタイによる福音書21.13)
70年 マサダの砦攻防戦。
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79年 ヴェスヴィオ山大噴火により、ポンペイは火砕流に飲み込まれ、火山灰と軽石の下に埋まった。
ピエルパオロ・ペトローネ(人類学者)「最初の犠牲者は、噴石や灰による屋根の崩壊で死亡した。逃げた人も、300〜500度にも及ぶガスと灰に包まれた。その温度では、血や身体機能は蒸発する。死は、電灯を消すように一瞬だ」
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G・A・ウィリアムソン「ガリラヤ住民の中にユダヤ人はほんのわずかだけで、地方ではユダヤ人の姿はほとんど見られなかった」(聖書学者)
パレスチナは、交通の要所として、ユダヤ人以外に多くの民族が住み、人種や民族が異なる商人が集まって交易を行っていたと言われている。
ユダヤ人商人が得意とする商いは、金融、金貸しであった。
一説によると。イエス・キリストは、生粋のユダヤ人ではなく、ユダヤ教を信ずるギリシャ人との混血系住民であったと言われている。
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イエス・キリスト時代、世界人口約2億人。
パレスティナは、ローマ帝国の占領下にあった。
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96年 ドミティアヌス帝の死後、ローマ生まれの生粋のローマ皇帝は即位せず、全てがローマ人以外の外国人であった。
ローマ人以外のローマ皇帝には、ローマ誕生の神話に関心がなく、ローマ神話への関心も愛着もなく、そして信仰さえも持ってはいなかった。
外国人によるローマ皇帝即位は、民族中心神話であるローマ神話消滅の序章であった。
多民族多文化多宗教社会とは、土着民の伝統的民族中心神話と古代からの伝統・文化・芸能の消滅を意味する。
事実。ローマ的なモノは、ローマ帝国の衰退とともに急速に失われて行った。
現代に残るローマとは、生命力を失った石の塊としての無人の廃墟のみである。
ローマ帝国は、ローマ人のローマではなく、外国人が支配する見せかけのローマとなった。
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人類史に於いて。異文化を持つ異教徒の異民族が侵略を受けた時、その土地に住んでいる原住民は、土地を守る為に戦って撃退するか、戦って殺されるか、土地や財産を捨てて逃げ出すか、土地に残って奴隷になるか、の一つしか選択肢はなかった。
ユダヤ人達は生き残る為に、奴隷となって土地に定住する代わりに自由人としてディアスポラ(離散)を選んだ。
ローマ帝国に対して、命を得る為に定期的に人頭税を納税した。
納税を拒否する事は、死を意味していた。
保護してくれる国もなく、生命財産を守る為の武力を持たないユダヤ人達に頼れるのは、金しかなかった。
定住して安心できる土地を持つ事を禁止されたユダヤ人達は、土地所有者になれなかった為に町に移り住み最下層の人間とあり、旅芸人、行商人、高利貸しから語学学者、法律家、下級役人となった。
国家を持たず、国境を越えて放浪するユダヤ人達が、金融資本主義を始め、国家的枠組みを否定するグローバル・スタンダードを生み出した。
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ローマ帝国の最盛期には、20万人のローマ市民に対して食糧生産や身の回りの世話などで40万人の奴隷がいたといわれている。
ローマ人とは、異民族であっても「ローマ帝国の理想」を信じ、ローマ人化した人の事である。
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2世紀 クラウディオス・プトレマイオスは、北半球の大陸に対して南半球にも同じくらいの大陸があるべきであるという、「世界の陸塊には対称性があると」との説を唱えた。
南極大陸の存在を予言した。
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ギボン「人類という存在が、彼らに対する恩恵者よりも、むしろ破壊者に向かって、惜しみない賞賛をおくるものであるかぎり、軍事的栄光への渇望は、いかに崇高な人物といえども、ついに免れがたい悪徳なのであろう」
105年 五賢帝の一人であるトラヤヌス帝は、長年敵対し攻防を繰り返してきたドナウかわドナウ河下流北部にあるダキア王国を侵略して占領し、ローマ市民を大量に移民させて属州とした。
現ルーマニア中部から北部にかけてのトランシルヴァニア地方で金鉱を開拓し、ローマに経済的な富をもたらした。
113年 イランからパキスタンにかけて支配していたパルティア王国は、カエサルの昔からローマと争っていた東国の大国であったが、内紛で弱体化した。
トラヤヌス帝は、弱体化したのを好機として東方侵略を命じた。
ローマ軍は、メソポタミア、ペルシャ、シリア、アルメニアなどの緒王国を征服し属国として、ローマ帝国史上最大の版図を実現した。
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第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121年4月26日〜180年3月17日)
「運命への愛」
自分の運命とは、良くも悪くも避けられない以上、自分の人生として受け入れ、覚悟して、嫌がらず楽しみ愛して生きる。
人生において何が起きるか分からないが、起きる事には起きる必然性がって起きたのだから、起きる事によって自分の人生に意味を持たせて生きる。
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212年 カラカラ帝(正式名、マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス)は、伝統的寛容政策の集大成としてアントニヌス勅令を発し、帝国内の全自由民にローマ市民権を付与した。
ローマ市民権は特権であった。
市民権を持たない自由市民は市民権を得るべく、野心を抱き榮誉と立身するべく努力し、野心による努力がローマ帝国に活力を与えていた。
全自由民が帝国に済んでいるという条件で市民権を得るや、ローマ市民権の特権的価値と名誉が失われ、野心的努力をしなくなってローマ帝国の活力は衰退いた。
元からローマ市民権を持っていた上流階級は、一般自由市民に対する差別的優越感と誇りを失い、気力が萎えた。
カラカラ帝は、敵対する上流階級に対抗する為に、兵士や下層民達の支持を獲得する必要があった。
兵士の忠誠心を?ぎ止める為には、現役時代の給料と退役後の年金を増やす必要があり、ローマ市民のみに課せられていた遺産相続税などの収入を人口を増やことで賄おうとした。
エドワード・ギボン「この無制限の恩典は、決して真の寛容さから出たものではなく、むしろ極めてさもしい貪欲心に基づいたものだった」(『ローマ帝国衰亡史』)
ローマ市民が増えて市民税は増えたが、それ以上の税があった属州民からの収入が消滅して、国庫収入は増えるどころか減った。
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*キリスト教弾圧
ローマ帝国は、属州拡大の侵略戦争を続け、戦争捕虜を奴隷として売り飛ばし、属州から「10分の1税」を徴収する事で栄えていた。
有力なローマ市民は、奴隷制大土地経営(ラティフンディア)として大勢の奴隷を使役して富を蓄え、富豪や貴族として元老院議員や将軍などの支配階級を形成していた。
一般のローマ市民は、役人、軍人、商人、小規模地主として奴隷を所有していた。
ローマ帝国は、回遊魚のように、侵略戦争で領土拡大と若い奴隷の調達で繁栄を極めていた為に、侵略戦争を止め現状維持の防衛に方針を転換させると衰退するしかなかった。
国家の富は、他国から獲得してくる事であって、国内で生まれるのではない。
国内で作られ、国内で消費される富は、マッチの火と同じで何時かは消えてなくなる。
定職を持たない無産市民への「パンとサーカス」(食糧と見世物)は、帝国の外で富を強奪する属州拡大戦争で賄われていた。
3世紀 ローマ帝国は、属州拡大で、ローマ市民出身兵士の不足と異民族の侵入に悩まされ始めた。
世界史の大転換期となった、「3世紀の危機」である。
第43代ディオクレティアヌス(在位284〜305)は、皇帝の権威を弱体化させた元凶として、軍人皇帝を廃止した。
オクタヴィアヌス帝以来のディクタトル(独裁官)とインペラトル(最高軍司令官)の権限を持ったアウグストゥス(尊厳者)という共和政的皇帝称号を捨て、帝国の危機を回避する為にドミナートゥス(専制君主制)を導入した。
延びきった国境線を防衛するには現帝国の軍事力では限界があるとして、帝国領を二分割し、それぞれに正帝と副帝を置き4人で共同防衛に当たる事とした。
自由民であるローマ市民の減少を防ぐ為に、属州住民に市民権を与えると共に奴隷を解放して自由民とした。
対外的にはササン朝ペルシアの侵略から帝国を守ったが、国内的には外国からの富と新たな奴隷が得られなくなって奴隷制大土地経営が不可能となって経済は低迷した。
ローマ帝国には、解放奴隷や無産市民を養うだけの財力は既になかった。
解放奴隷や無産市民は、自由市民小作人(コロヌス)となって地主から耕作地を借りて生産に励んだ。
下層民は、現実の社会不満と生活不安という絶望感から、絶対神への信仰を強く持つ者は死後に「神の国」に迎えられて救われるという、キリスト教の教えにひかれて洗礼を受けた。
肉体の絶望から霊魂の救済を強く望む者は、キリスト教徒となった。
専制君主としての権威を高める為に、ローマ市民に対して皇帝崇拝を強要した。
絶対神を信仰するユダヤ教団やキリスト教団は、人である皇帝を崇拝する事を拒否した為に弾圧された。
303年 ローマ市民の欲求不満がこうじて帝国の地盤を揺るがす事を恐れ、下層階層や奴隷の間で信者を増やしているキリスト教徒をスケープゴートとして殺戮を許した。
キリスト教会は、ユダヤ教同様に不寛容な一神教の教義から、偶像崇拝を否定し、神話の神になぞらえたローマ皇帝の権威を否定していた。
多神教徒のローマ市民は、キリスト教弾圧の国家公認からキリスト教徒を見つけ出すや暴行し残虐な方法で虐殺した。
ローマ市民は、平和で怠惰となった生活で刺激の少ない日々に鬱積してい不満を晴らす為に、狂喜して剣闘士になった気分で殺戮劇に酔いしれた。
キリスト教会は、激しい弾圧にあってもなを「隣人愛の信仰」を守り、社会の底辺で何とか生きている下層民や奴隷の中に信者を増やして行った。
ローマ市民による、キリスト教徒へのリンチ的殺人事件は頻発し、時として大がかりな反キリスト教暴動も起きた。
ローマ皇帝は、官製反キリスト教暴動が無軌道に陥りかけるや、ローマ市民に自制を命じた。
時折、反キリスト教暴動が取り締りを受けるや、一般市民や貴族の間にキリスト教が公認されるかも知れないとの観測から興味を持ち、何時しか洗礼を受ける者が増えた。
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