☭23」─1─満州や北朝鮮からの引揚女性はロシア人、朝鮮人、中国人らに強姦され妊娠して帰国し、二日市保養所で堕胎した。水子供養碑。1946年~No.77No.78No.79 @ ⑲ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本人は薄情である。
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 現代日本人は血も涙もない冷血漢から、ロシア人・朝鮮人・中国人等に強姦され妊娠させられ、命からがら帰国し堕胎した引揚女性の悲惨さを歴史から抹消した。
 日本人は、身の毛がよだつような薄情さを心の奥底に秘めている。
 日本人の心の闇である。 
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 2016年8月号 正論「封印された引揚女性の慟哭
 『二日市保養所』70年目の記録 下川正晴
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 日本人の被害には冷淡
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 『満州・朝鮮からの引揚げ体験は、日本人が経験した最後のグローバル体験である』。鄭大均(首都大東京特任教授)は、北朝鮮からの引き揚げを記録した清水徹『忘却のための記録』(ハート出版)の解説で、日本人の引揚体験が『今やえらく矮小化されて』いると批判した。鄭の解説によると、ある引揚体験者は、朝日新聞の記者から最近、『炊き出しや衣料・寝具の配給があるはずなのに、なぜ多くの犠牲者が出たのか』と質問され、絶句したという。
 私が日本人の引揚体験に強い関心を持つようになったのは、個人的な体験に加え、原爆や空襲、沖縄戦など『戦争報道の定番』とは違い、それが日本人の歴史意識から脱落している事態に気づいたからだ。抜け落ちた体験を前提に、歴史観や世界観が語られている。日本人の引揚体験は、シリア難民や『脱北民』と同様に、国家が瓦解する中で生まれた世界史レベルの体験である。今年は、満州からの引き揚げが本格化して70年目だ。しkっし、その体験を追体験し、将来のための教訓にしようという動きはあまりに少ない。
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 佐世保市針尾島の浦頭埠頭にある引揚記念碑を訪れた。
 満州、中国や南方からの引揚者139万6,468人が、ここに上陸した。日本最大の引揚港である。引揚者たちはここから『南風崎(はえのさき)駅』まで7キロを歩き、故郷に向かった。
 引揚記念館からタクシーで約10分走った場所にある『釜墓地』には、フィリピンから運ばれて来た遺体や佐世保引揚げ後に亡くなった人々の遺体約6,500体が荼毘に付された後、埋葬された。
 『慰安婦』報道量と好対照
 千田夏光というルポライター(故人)がいる。彼は1970年代、『従軍慰安婦』の著作で慰安婦問題に火をつけた。在日朝鮮人がこれをフレームアップする本を書き、『慰安婦=20万人』説を広めた。朝日新聞が虚偽に満ちたキャンペーン記事を書き連ね、日韓間の外交問題に浮上した。周知の通りである。
 大連生まれの千田は、1977年に出版した単行本『皇后の股肱』(晩照射)に『二日市・堕胎医院』を収録した。初出は、月刊誌『現代』1972年9月号の『悲話・大陸引揚者胎児大量処理事件』だ。サブタイトルは『囚人兵に陵辱され帰国した娘や妻たちの凄惨な終戦史』だった。これらの表現からも分かるように、彼の記事は『中絶手術』に焦点を当てたスキャンダラスなルポルタージュだ。しかし千田が『慰安婦』を書き続けたのとは対照的に、彼の『二日市保養所』取材はこれっきりで終わった。出版社からの『追加注文』もなかったのである。
 千田の著書が契機となり、二日市保養所跡地に1981年3月、『仁の碑』が建てられた。元高校教諭の尽力によるものだが、碑文は医師や看護師の努力のみ顕彰するものである。千田氏の筆法が手術を醜聞として描いたのとは対照的だが、被害女性や水子への思いが足らないのは双方ともに同じだ。
 既に述べたように、二日市保養所で起きたこと、その原因となった満州や朝鮮での性被害の実態解明は、マスコミによって大きな関心が払われることなく、冷遇され続けた。『植民地支配』の実証的報道も欠如していた。佐世保と並ぶ引揚港だった博多湾には139万2,429人が上陸した。しかし福岡市には引揚記念館がなく、展示コーナーしかない。その内容もお粗末だ。
 上坪隆『水子の譜』の執念
 だが福岡には『二日市保養所』を追いかけるテレビ局ディレクターがいた。RKB毎日放送の上坪隆である。
 彼は1977年、TVドキュメンタリー『引揚港・水子のうた』『引揚港・博多湾』を製作し、これを著作『水子の譜(うた)──引揚孤児と犯された女たちの記録』(現代史出版、1979)と上梓(じょうし)した。彼の父親は終戦まで、満州通化憲兵隊長だった。通化は戦後、日本人が大量惨殺された『通化事件』の舞台としても有名である。10歳だった上坪は、その現場を目撃した。『1,000人にちかい屍体が裸にされ凍土の上をすべらされ、川の中に捨てられるのも見た』と書いている。
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 上坪は『水子の譜』に、『二日市保養所の事実を葬ってしまっては、昭和の戦争が何であったかを伝えることができないのではないか』と書き記した。
 泉靖一と京城の仲間たち
 第一部は『聖福寮の孤児たち』だ。『聖福(せいふく)寮』は、日本最古の禅寺と言われている博多駅近くの名刹聖福寺』内にあった。病気にかかった引揚孤児の治療と保護が行われた。寮長の山本良健医師は京城(現在のソウル)生まれ。昭和21年末、京城からの病人引揚者を引率して博多港に上陸した。京城では、旧京城帝国大学医学部(現ソウル大学の前身)の教職員や教学生らが作った移動医薬局が、引揚者への救護活動を行っていた。その中心人物が、後にアンデス文明の発掘で有名になる文化人類学者の泉靖一(当時の京城帝国大学法文学部准教授)である。
 緒方龍(緒方竹虎実弟)は、父親が檀家総代だった聖福寺を寺院ごと借り受け、引揚者用の総合病院を作った。……当時、博多港には1日平均4,000人の引揚者が上陸していた。
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 第二部『水子のうた』の冒頭ページに、飯山達雄(元朝総督府鉄道局勤務)が撮影した写真がある。中絶手術を受ける女性と医師、看護師が映っている。飯山は京城の登山仲間だった泉靖一から『この事実と惨状を記録しておかねばならない』と、撮影を頼まれたのだ。
 単行本(現代史出版会)の表紙も、飯山が撮影した写真だ。これは7歳の少女である。少年ではない。引揚げ途中の暴行を恐れて、髪を丸刈りしているのだ。胸に抱かれた遺骨は両親なのだろう。痛々しい。
 日本人が『戦争の記録』として、必ず覚えておくべき写真だと私は思う。
 レイプ被害者の悲惨
 引揚者の医療救護に没頭していた前述の医師・田中正四の証言が、『水子の譜』に記録されている。
 彼が京城女子師範で教えた女子学生も、レイプ被害者だった。朝鮮北部の小学校に赴任したが、敗戦後、駐留して来たソ連兵から暴行を受けた。それは数度に及び、暴行の相手も変わった。彼女は妊娠した。両親から相談を受けた田中や泉は、迷ったあげく、中絶手術に踏み切った。しかし、手術は失敗し、教え子も胎内の子供も死亡した。当時の法律は堕胎を禁止しており、産婦人科医の技術水準は未熟な点が多かったのである。
 この事件を機に二人は、本格的な産婦人科病院の建設に動き始めた。上陸前に将来を悲観して引揚船から身を投げた妊婦もいた。二日市保養所誕生(昭和21年3月25日)に至る悲話である。二日市温泉街にある旧海軍保養所が、終戦後、空き家同然の状態だったのを『中絶病棟』として活用することにしたのだ。
 第二章『桜の木の下に眠る子ら』は、二日市保養所医務主を務めた橋爪将らの証言からなる。橋爪も京城帝大の卒業生だ。
 『八ヵ月以降の堕胎手術には穿頭手術なるものを施すことにした。……「その頭に特殊なノミのような器機を入れましてね、頭にそれを入れますと、頭はつぶれて中の脳が出てきます」……』
 『(保養所に)入ってくる時は、ほとん男か女か分かりませんでした。……髪が短くスミでも塗って汚れた服を着てますと、見分けがつきませんでした。すでに暴行を受け妊娠しているのに、それ以上乱暴されたくないという気持ちだったんでしょうね』
 『親の見ている前で強姦されたという娘さんを、母親が連れてきましたけど、思い出しては二人で泣いてした』
 胎児の遺体は、保養所の一角にある桜並木の土手に埋められた。
 看護師だった池上澄江は二日市保養所で、京城の女学校で級友だった女性と出会った。彼女は小さな声で『こんにちは』と言った。池上は何も言えなかった。それから二週間、二人は一言も話さなかった。池上は手術にも立ち会わなかった。帰る時『どうもありがとう』『おだいじに』と 短い会話を交わしただけだった。
 二日市保養所は昭和22年秋、約1年半でその役目を終えた。
 引揚女性への『問診日記』
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 『関東の病院でも中絶』
 二日市保養所では、何件の中絶手術が行われたのか。他の病院では、手術は行われなかったのか?これらの疑問に答えるのは至難の技だが、手がかりがないわけではない。
 二日市保養所で行われた中絶手術件数は、400件から500件ほどだと一般的に言われている。当時の医師や看護師の証言をもとにした数字だ。中絶手術が非合法だった時代だっらから、正確な記録が残されたと期待するのは難しい。
 他の病院では、どうか。九州大学医学部産婦人科教室医局長だつた岩粼正が、『日経メディカル』(昭和62年8月10日号)に書いた『国が命じた妊娠中絶』という文章がある。それにようと、直後直後の8月末、厚生省からの緊急召集で上京した助教授から報告があり、『引揚げて来る女性の中にはソ連兵や現地住民から暴行され、性病をうつされあり妊娠した女性がかなりの数になると想定される』として、引揚女性の厳格な検診と、『不法妊娠』(暴行による妊娠)の中絶が指示されたという。二日市保養所での中絶手術は、京城帝国大学医学部関係者を中心とする自発的なものだったが、これは『国の密命』による手術だった。
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 中絶手術が行われた病院は、従来の研究では九州内の3ヵ所として考察されていたが。ところが、今回の取材で意外な人物にめぐりあった。『関東地方の国立病院で引揚女性の中絶手術に参加した』という元女性看護師(90)である。
 『慰安婦』問題と同じ過ち
 『二日市保養所』を取材しながら、『慰安婦報道の誤り』を自戒も込めて思い浮かべていた。一面的な観測は真相を見誤る。特ダネ意識に走って、独断的な拙速報道になった時は、なおさらである。朝日新聞慰安婦報道は悪しき典型だった。
 二日市保養所の報道や研究にも、一面的接近が見られる。証明の当て方が一方的なのだ。もともと二日市保養所に代表される引揚女性の中絶手術は、報道量が極端に少ない。手術を受けた女性たちの心情への配慮もあったのかもしれないが、妙に萎縮した報道姿勢も気になる。これでは『昭和の戦争』の全体像に迫れない、と私は思う。
 『嫌韓論』にも、『歴史修正主義批判』にも、先人の苦闘を悪用すべきでない。
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 左右双方の偏向に共通しているのは、地道に『二日市保養所』の全体像に迫ろうとはせず、勝手な発言を繰り返していることだ。復員引揚者660万人は、戦後社会の中で重い沈黙を余儀なくされた。我々は彼らの苦渋を思い、後世のために、尊い教訓を引き出すべきだ。
 なぜ語られてこなかったのか
 『公共の施設の展示で、(あなたがおっしゃる)レイプとか中絶とかの表現は、どうですかねぇ?』。福岡市の担当課長は、首をふねった。私が『歴史の隠蔽だ』と、福岡市の展示内容に抗議した時の反応だ。
 二日市保養所に関する福岡市市民プラザの展示では、『女性患者のための二日市保養所』との表記があるだけだ。温泉に入って治療を受けたと誤解しかねない。課長の反応を見て以来、私も『妥当な表現は何か』を考えてきた。
 図書館から借りてきた引揚関連本の中に『シリーズ戦争孤児④引揚孤児と残留孤児』(汐文社)という、漢字にルビが振ってある子供向けの書籍があった。これが、彼の参考になるだろう。『二日市保養所』での悲劇も4頁にわたって平易な文章で記述されている。そこには『おろす=おなかの中の赤ちゃんを、人の手で人工的に流産させること』との説明も付いている。
 福岡市の展示の最大の欠陥は、堕胎手術を受けた女性や胎児への思いが、微塵も感じられないことだ。
 『女性患者のための保養所』。この表現で性被害者の傷を癒やし、歴史を記録し、未来のための教育にやくだてることになるのか。真摯に再考されるように望みたい。そのためにも、上坪の労作『水子の譜』は復刻されるべきだ。
 朝鮮研究のせ先駆者である森田芳夫が編集した『朝鮮終戦の記録』(巌南堂書店)は、引揚記録の古典である。その資料編第三巻『北朝鮮編』の冒頭に、敗戦直後の鉄原(38度線の街)で書かれた避難民の日記がある。8月27日には『朝鮮人側知己来たり。ソ連軍極めて穏健なる由』と楽観していた。ところが、ソ連軍駐留後の9月1日になると『夜間となれば、婦女子を強制的に連れ出し、人道的に見て言語に尽くしがたし』と情勢は急変した。
 鈴木貫太郎内閣は終戦直前、ソ連を通じた交渉に希望を託し、突然の不可侵条約破棄と満州侵攻を許した。それと同じ誤判の構造がここにある。戦後もこの認識は『中国、ソ連、朝鮮は平和勢力』と見なす倒錯に直結し、原水爆禁止運動の混乱や北朝鮮による日本人拉致を引き起こした。
 戦争も平和も多様だ。帝国主義時代の戦争は、関係国の軍国主義帝国主義の罪過と併せて、多面的に考察すべきだ。日本国家の崩壊後に起きた『引揚げ』は今、世界各地で見られる『難民』の原型である。日本人が忘れてしまった『グローバルな戦争体験』である。日本人の引揚復員者は、当時の人口の一割に近い。誰が、その痛恨事を記憶の奥底に押し込めたのか。引揚体験が今、改めて検証されなければならないと考える所以だ。」
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 敗戦国の人間は、人間性を否定され、一切の人権が認められなかった。
 戦勝国の人間に生殺与奪の権利を握られ、生きるも死ぬも戦勝国の人間次第であった。
 古代から、敗戦国の人間は戦勝国の人間に強姦され、陵辱され、妊娠させられた。
 国際法の大原則は、敗戦国を裁いても戦勝国を裁かない。
 何れの国の如何なる法律も、戦勝国の人間が犯した如何なる犯罪(殺人・強姦・強奪)を罪に問う事なく無罪とし放免し、敗戦国の人間が例え生命財産を守る為の正当防衛であっても容赦なく有罪となり厳罰に処した。
 日本は敗戦国であり、日本人は敗戦国人であった。
 ロシア人も、中国人も、アメリカ人も、戦勝国の人間であった。
 中国の戦勝国とは、ファシスト中国・国民党であって中国共産党ではない。
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 軍国日本・日本陸軍は、玉砕・全滅を繰り返し退却している最悪な状況であっても、数百万人の中国人飢餓民を餓死から救う為に、「戦争は戦争、災害は災害」と割り切って激戦の友軍・戦友に送る貴重な補給物資(医薬品、食料品など)を大量に災害地に運び込んだ。
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 韓国人や北朝鮮人は、軍国日本と戦った事がない為に戦勝国ではない。
 日中戦争から太平洋戦争の昭和前期において、朝鮮半島は法秩序が保たれ平和で安定し治安が良かった。
 朝鮮人は、軍国日本に協力的で、日本人の命令に従順に従って行動していた。
 朝鮮半島の地方を主体的に取り締まっていたのは、日本人の兵士・憲兵隊ではなく朝鮮人の役人・憲兵隊補助員・警察官であった。
 従軍慰安婦の為の強制連行がもし本当にあったとしたら、それを実行したのは日本人ではなく朝鮮人であった。
 日本人が強制連行したら朝鮮人は激怒して娘を庇って暴動を起こし内戦に発展したが、同じ朝鮮人であったが故に朝鮮人は泣き寝入りし抵抗して娘を助けようとしなかった。
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 満州朝鮮半島で日本人女性を強姦していたのは、共産主義者のロシア人兵士、反日朝鮮人、中国人暴徒達であった。
 戦勝国の人間であるロシア人や中国人が行った、日本人女性に対する強姦・殺害・人身売買に対して国際法は無罪としている。
 それは、他の戦勝国軍占領地域でも同様で、ドイツでも日本でも戦勝国人であるアメリカ人兵士によるも強姦・殺人・強奪といった凶悪犯罪が起きていた。
 ロシア人兵士の日本人難民(女性や子供)に対する大虐殺や強姦事件は、戦勝国に認められた権利の行使である以上無罪とされた。
 それが、北方領土強奪占領の正当性となっている。
 ロシア人とは、恐ろしい人間である。
 弾圧を逃れて国外に逃亡していた日本人共産主義者は、同胞の女性・娘・少女が共産主義者のロシア人兵士に強姦され惨殺されている時、何処にいたのか?
 何故、同じ日本人の女性・娘・少女を助けもせず見捨てたのか?
 非暴力無抵抗主義及ぶ非武装中立反戦平和主義が描く、敵兵と友人となって酒を酌み交わし友情を温めるとという理想像とは、そういう意味である。
 武器を持って「人を殺さない」事とは、目の前で同胞・日本人が殺害されようが女性が強姦されようが絶対助けない、と言う事である。
 自分一人だけ助かろうという、人の心を捨てた世にも恐ろしい反戦平和主義が日本に蔓延している。
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 日本人、軍国主義者や軍部は、ロシア人戦争避難孤児を共産主義者の虐殺から救出したという人道的貢献をしたが、ロシア人を虐殺という非人道的犯罪を行った事はない。
 ただし、天皇制度廃絶を目論む共産主義勢力を祖国日本から遠ざける為のシベリア出兵を、国際社会の強い要請に従いアメリカ・イギリスなどの多国籍軍に参加して実施した。
 シベリア出兵は、虐殺行為を行う共産主義者に対する祖国防衛の自衛戦争であった。
 日露戦争も、ロシア帝国の侵略から祖国日本を守る為の防衛戦争であった。
 ロシア人兵士が日本人難民(女性や子供)の大虐殺や強姦事件に対して、敗戦国日本にはその非人道的犯罪を告発する権利は国連によって奪われている。
 戦勝国ソ連共産主義者の後継者である現ロシアは、戦勝国の権利として、四島から成る北方領土を日本には返還しない。
 敗戦国日本は、戦勝国のロシア人兵士が行った残虐行為、日本人難民(女性や子供)の大虐殺と強姦事件を歴史記述の闇に葬るしかなかった。 
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 日本の目の前に立ち塞がるのは、国連の敵国条項である。
 日本の再軍備核武装を禁止しているのは、影の主権者であるアメリカが日本に授けた第九条の平和憲法ではなく、国連の敵国条項である。
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 日本国憲法の主権者は、日本国民ではなくアメリカである。
 アメリカの対日政策が対日宥和派と対日強硬派で揺れ動く影響で、日本国内に改憲派護憲派が生まれた。
 日本が、アメリカ依存を脱して真の主権を回復し自主独立国家になる為には改憲しかないが、国連は敵国条項でそれを許さない。
 改憲派は対日宥和派の、護憲派対日強硬派の、それぞれ下部組織的に過ぎない。
 ただし。護憲派の中には、反天皇反日的日本人の組織や親中国派日本人の組織が、日本の為ではなく衰退させる意図で加わっている。
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 2016年8月号 Hanada「英語で読まねばわからない憲法9条の真意 山岡鉄秀
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 〈マッカーサーノート第二項〉
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 『国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委(ゆだ)ねる。
 日本が陸海空軍を保持することは将来も許可することはなく、交戦権は日本の如何なる部隊にも与えられることはない』
 屈辱に甘んじるな
 予想以上の屈辱的表現であった。
 露骨に再軍備は許可しない、自らを守るための交戦権も与えない、と命令口調で言っているのである。私の耳に、マッカーサーの声が聞こえてきた。
 『せっかく自主的な憲法を作る機会を与えてやったのに、余の意向を全く酌むことができない愚かな日本人よ。なにが松本案だ。封建的な明治帝国憲法と変わらないではないか。
 仕方がないから、余が示す方針に従うがよい。天皇制は残してやろう。統治に必要だからな。だが、お前たちの再軍備は絶対に許可しない。たとえ自衛のためであっても、戦争をしてはならぬ。他国の善意を信じて、丸腰で生きるがよい。お前たちさえ戦争を起こさなければ、世界は平和なのだ。当然、日本のいかなる組織に対しても交戦権を与える事はないと知れ!』
 これが、多くの日本人が宝だと信じている九条の本質だ。明らかに自衛隊集団的自衛権違憲だ。国家として自然の権利である自衛権を完全に否定されているのだから、当然である。憲法解釈を巡る難しい議論に膨大な時間を費やす必要も、最高裁の判断に委ねる必要も全くない」
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 憲法は国家・政府の暴走を監視する法律と言うが、平和憲法は主権者と認められた日本国民が日本国家・日本政府を監視しているのではない。
 真の主権者であるアメリカが、日本国家・日本政府を監視しているのである。





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