☭21」─1・A─ソ連の北海道強奪計画とヤルタ密約。日本は遭難したロシア・タンカー「ナホトカ号」を救助した。1945年8月21日~No.65 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 国内での戦場は、沖縄だけではなかった。
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 共産主義ほど、血に飢えた凶悪なイデオロギーはなかった。
 ファシズムやナチズムは、戦争犯罪として周辺諸国を侵略し、非人道的犯罪を自国と占領地で行った。
 共産主義は、暴力的共産主義革命を世界中に輸出し、共産主義化した国で死と暴力の恐怖支配を行い、不当逮捕、拷問、人民裁判で大虐殺を実行した。
 イタリア・ファシズムとドイツ・ナチズムは数百万人を殺したが、ロシアと中国共産党共産主義は数千万人を虐殺した。
 非人道的犯罪としては五十歩百歩で、残虐な犯罪者としても同じ穴の狢(むじな)である。 
 ムッソリーニヒトラースターリン毛沢東は、同罪である。
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 反戦平和市民団体は、正しい戦争を認めず、如何なる理由があろうとも全ての戦争に反対している。
 非暴力無抵抗で、武器を捨てて降伏すべきであると。
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 何故?
 日本人共産主義者は、目の前で起きていたソ連軍による日本人避難民への残虐行為を無視したのか。
 反天皇反日的日本人は、日本を裏切って敵の味方をしていたのか。
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 ソ連共産主義者・ロシア人は、国際法を無視し、国家の信義を踏みにじり、日本領を侵略し、日本人を虐殺した。
 そして、日本人女性がロシア人兵士に強姦され、中には虐殺された。
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 スターリン「日本の言い分を聞いてやればいい。いったん占領して武装解除してしまえば何とでもできる」
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 ソ連は、国際法を無視して日本領北方領土や北海道を強奪する為に軍隊を派遣した。
 隠れマルクス主義者は、敗戦革命として、日本を反宗教無神論社会主義国家にする為に天皇制度を打倒しようとしていた。
 彼らが目指す人民国家とは、国境に閉ざされた国家ではなかった。
 日本が理想国家になる為なら、北方領土はもちろん北海道や対馬ソ連に占領されるのもやむを得ないと考えていた。
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 樋口季一郎「日本の歴史家は、あの戦争の負け戦ばかりを伝えている。しかし、中には占守島の戦いのような勝ち戦もあっらし、だからこそ今の日本や形が守られている。負け戦を語る事も大事だが、その一方で、重要な勝ち戦があった事について、しっかりと語り継いでほしい」
 某兵士「戦争に対する怨みはある。ただ、私達は日本人としての誇りを持って戦い、自分達の国を守った自負もある」 
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 日本の本当の敵は、ロシア・ソ連であった。
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 アントーノフ総参謀長は、ワシレフスキー元帥に、8月23日迄に北海道侵攻作戦の準備を完了させる様に厳命した。
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 日本人軍国主義者は、無報酬で命の危険を承知で残虐なロシア赤軍からロシア人難民児童800人を救出し、シベリヤから太平洋を横断してバルト海沿岸まで送り届けた。
 日本軍部は、ロシア赤軍によって虐殺される危険のあるロシア人の政治難民と戦争難民を救出して日本に受け入れた。
 軍国日本は、難民を受け入れた国家の責任として、本人が希望する国や地域に無事に送り届けた。
 其れは。後の、ナチス・ドイツの迫害から逃げて来たユダヤ人難民保護同様に人種や民族及び宗教などでの差別を一切せず、「おもてなし」の精神で、無報酬で行われた。
 ロシア人兵士は、その返礼として感謝の言葉の代わりに日本人避難民(大半が女や子供達)を大量虐殺した。
 ロシアは、日本人軍国主義者は根絶させるべき凶悪犯罪である断定し、ロシア人兵士による日本人虐殺問題は北方領土問題同様にすでに解決していると主張している。
 尖閣諸島問題を抱える中国共産党政府と竹島問題を抱える韓国は、同じ反日国家として、ロシアの主張を支持している。
 古代から日本は、日本天皇の御稜威・大御心を慮り、独自の判断で、諸外国の難民を無条件で受け入れ保護してきた。
 だが。そうした人道的貢献に対する感謝の言葉がないどころか、仇として返される事がほとんどであった。
 例外なのが、トルコとポーランドだけである。
 最も酷いのが、ロシアであった。
 そして、世界は軍国日本が犠牲を払って行った「人道的貢献」を一切認めず、日本人軍国主義者の「人助け」を否定している。
 靖国神社問題は、そこにある。
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 ロシアは、対日戦争の終結日を8月15日ではなく9月2日と定めている。
 9月2日に、対日戦勝記念行事を盛大に祝う。
 そして、北方領土問題は解決済みとして、旧日本領南樺太及び千島列島同様に北方領土は自国領だと宣言している。
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 日本国内には、歴史的事実を十分に知りながら、反日国家のロシア、中国共産党政府、韓国の主張を支持する反天皇反日的日本人が存在する。
 反天皇反日的日本人は、同じ日本人の生命財産や諸権利よりも反日国家のロシア、中国共産党政府、韓国の国民の権利を優先している。
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 反日国家であるソ連及びロシア、中国共産党政府、韓国及び北朝鮮の諸国に共通する点は、日本の権利を否定するように国際法を守らず、自国の国益に都合が良く日本に不利になるようにねじ曲げる事である。
 靖国神社を否定する彼らに、友情を期待する事は無意味である。
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 日本軍の北方での攻防戦は正しい戦争であり、正義は日本軍にあった。
 戦死した日本将兵は、靖国神社の祭神として祀られている。
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 日本人共産主義者は、日本を共産主義化し天皇制度を廃絶する為に北方領土はもとより北海道がソ連領になる事を歓迎していた。
 さらに。あわよくば、アメリカ軍が日本に進駐する前に、ソ連軍が日本を占領する事を期待していた。
 彼の宿願は、天皇制度から日本を解放し、ソ連中国共産党政権下のような人民の楽園を築く事であった。
 つまり。共産党一党独裁による暴力と死の恐怖体制を成立させ、反対勢力を一人残らず一掃(虐殺)する事であった。
 ソ連軍が日本を侵略し、北海道を占領するには、日本人協力者の手引きがなければ不可能であり、ソ連軍が北海道進攻作戦を準備していたという事は日本人協力者がいた事を意味する。
 ソ連協力者である反天皇反日的日本人や反日朝鮮人は、戦後の混乱に乗じ各地で騒乱、暴動そして殺人事件を引き起こしていた。
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 少人数の日本軍は、日本人避難民が祖国日本に生きて辿り着けるように、雲霞のような大軍で攻撃してくるソ連軍に無駄な抵抗を続けていた。
 日本軍はよく戦っていた。
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 8月21日 大本営は、大陸命第1383号で、自衛を含む全ての戦闘行為を停止す様に命じた。
 第91師団とソ連上陸部隊の間で、休戦協定が結ばれた。
 被害数、日本軍守備隊約600人、ソ連軍約3,000人。
 ソ連側の報告。日本軍守備隊の死傷者1,018人、ソ連上陸部隊の死傷者1,567人。
 全滅を覚悟した日本軍守備隊の奮闘により、北海道はソ連領になる事なく守られた。
 各島の日本軍守備隊は、天皇の停戦命令を無視して、侵略して来るソ連軍から在留邦人の命を守る為に抵抗を続けていた。
 東京の陸軍中央は、現地軍に対して「停戦」し、侵攻して来るソ連軍に抵抗するなと命じた。
 ウラジオストックアメリカ海軍武官は、ワシントンに、「ソ連は北海道と南樺太へ軍を上陸させる事を計画している」と報告した。
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 トルーマンは、南樺太と千島列島の占領を認めたが、軍当局の要請に従って千島列島に空軍・海軍の基地を設けたいと伝えた。
 スターリンは、協定違反であるとして拒否し、北海道北部の軍事占領を要求した。
 トルーマンは、日本の分割支配案を拒否し、北海道はアメリカ軍が占領すると通知した。そして、スターリンの日本占領に参加させよとの要求を断った。
 スターリンは、ラジオ放送で南樺太と千島列島のソ連領に編入を宣言し、ソ連軍に大連と旅順の占領を厳命した。
 自由と民主主義を世界に広げたいと思う理想主義者は、監視を強化する警察国家を世界に蔓延させようとするソ連共産主義勢力を撲滅しようとして、「ソ連脅威論」を唱えた。
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 日本が分割されなかったのは、蒋介石のお陰ではない。
 それどころか、戦勝国の一員として九州と沖縄の監理を要求していた。
 日本は、中国に感謝する必要はないし、昭和天皇を殺そうとした中国共産党に恩義を感じる必要なない。
 左翼・左派のマルクス主義者日本人は、この事実を知りながら、日本は侵略戦争を行った凶悪犯罪である以上、中国人が許してくれるまで土下座をして謝り続ける責任があると訴えている。
 彼等は、キリスト教徒日本人同様に全ての事を知っている。
 ソ連軍は、ルーズベルトとの日本分割案に従って、北海道を含む東半分を領土としようとした。
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 8月22日 スターリンは、日本軍の思わぬ抵抗でアメリカ軍の日本進駐より先に北海道に到達できないと判断して、北海道上陸作戦の中止を下命した。
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 日本領樺太・千島列島・北方領土には、日本人が約38万人が生活していた。
 その内に、日本国籍を持っていた朝鮮人4万3,000人が含まれていたが、その多くが高賃金を求めて自由意志で移り住んだために正確な人数は不明である。
 ソ連は、アメリカとの間で交わした日本人引き上げ協定にしたがい、引き上げ対象を日本人だけに限定し朝鮮人は労働者として帰国を求めなかった。
 戦時徴用で連れられて来た朝鮮人達は日本人に化けて帰国したが、自由意志で渡って来た朝鮮人は帰る場所がない為に留まった。
 樺太に留まった朝鮮人達は、ソ連の扱いが酷く帰国を希望したが、ソ連と韓国との国交がなく帰国は認められなかった。
 韓国とソ連が国交を樹立した事で帰国の道が開け、在サハリン朝鮮人韓国籍を取得し、帰国する者と朝鮮系ロシア人として残る者とに分かれた。
 北朝鮮は、韓国人となった朝鮮人を帰国させることに猛反対し、帰国させるのであれば共産主義による洗脳教育と北朝鮮への帰国を求めた。
 日本社会党や親ソ派は、在サハリン韓国人は北朝鮮の国民であるとして、韓国への帰国に猛反対した。
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 三船殉難事件。ソ連軍潜水艦は、戦時国際法を無視し、樺太を出港して日本に向かった引揚船三隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)を攻撃した。
 引き揚げ者の大半が、日本人婦女子であった。
 現代に於いて。韓国は、強制連行した朝鮮人南樺太に置き去りにしたと日本を非難している。
 1、特設砲艦第二新興丸(乗員・引揚者約3,400名)は大破し、犠牲者は死者229名に行方不明者を含めると400名以上であった。
 2、海底ケーブル敷設船小笠原丸(乗員・引揚者約700名)は撃沈され、犠牲者は638名であった。
 小笠原丸は、1911年に、座礁したロシア船籍の客船リャザン号からロシア人乗船客を助けた事があった。
 ソ連・ロシア人は、自分が不利になるとわかるや受けた恩に対して感謝の言葉を述べないし、自分の利益にならなければ受けた恩義はなかったものとして報いようとはしない。
 それが、大陸的生き方である。
 受けた恩義は不利を承知で命を犠牲にしても報いようとする、島国日本人とは正反対の生き方である。
 故に、日本人とロシア人は江戸の昔から理解する事がなかった。
 3、貨物船泰東丸(乗員・引揚者約780名)は、戦時国際法に従って白旗を掲げたが砲撃されて沈没し、犠牲者は667名であった。
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 ソ連軍は、ハルピンに侵攻して占領した。
 ソ連軍の戦闘部隊はロシア人を含めた囚人部隊であった為に、ロシア人兵士達は到る処で強姦や略奪そして殺害を繰り返していた。
 スターリンは、トルーマンの8月18日付け返答に対し、戦勝国の権利である北海道割譲が拒否された事について怒りを込めた回答を送った。
 アメリカとの関係悪化を避ける為に、表向きは北海道北部の領有を断念した様に見せたが、その裏でアメリカが気を許せば何時でも北海道侵攻できる様に準備を命じた。
 ソ連が、北海道領有を頑に主張したのは、国内の労働不足を補う為に日本人を労働者として強制連行しようとしたからと言われている。
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 日本人左翼・左派マルクス主義者の念願であった、日本を共産主義化して天皇制度を崩壊させるという夢は潰えた。
 彼等は、ソ連軍を人民の解放軍として日本に進駐させ、ロシア革命の様な暴力的共産主義革命を断行する予定であった。
 そして。昭和天皇とその家族を、ロシア皇帝一家同様に人民裁判にかけて処分する計画であった。
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 東京の陸軍中央は、占守島守備隊に即時抵抗を中止し、ソ連軍を通過させる様に厳命した。
 大本営は、侵攻するソ連軍や進駐して来る中国共産党軍に抵抗するなという命令を、関東軍朝鮮軍にも発した。
 東京の中央官公庁には、隠れマルクス主義車の革新官僚が存在していた。
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 占守島における日ソ両軍現地停戦協定。
 ソ連軍は、大敗を喫して、3,000人以上の被害を出した。
 全滅を覚悟した日本軍守備隊の奮闘により、北海道はソ連領になる事を免れた。
 ソ連軍は、日本陸軍の激しい抵抗に遭い、ノモンハンの悪夢が甦り、恐日病にかかっり日本への進撃速度が遅くなった。
 日本は、日本陸軍の激しい抵抗の御蔭で分裂国家にならずにすんだ。
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 スターリンが議長を務めるソ連国家防衛委員会(GKO)は、日本領有であてにしていた日本人労働者確保ができなくなった為に、極秘指令として、日本軍兵士捕虜をシベリアに強制連行する様に極東のソ連軍軍事評議会に命じた。
 命令9898号「50万の日本人捕虜を受け入れ、抑留、労働使役をかす」
 生き残って捕虜となった60万人以上の日本軍兵士と民間人は、ソ連軍に逆らった戦争犯罪者としてシベリヤの強制重労働収容所に連行され、リンチ的な奴隷的重労働が課せられて6万人以上が死亡した。
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 日本人左翼・左派のマルクス主義者は、心許したソ連と中国の同士が行っていた事は全て知っていた。
 国際社会は、戦勝国ソ連が行っている事を薄々知っていたが、鉄のカーテンの向こう側は解らないとして目を背けた。
 ソ連共産主義陣営が行った残虐行為は、ナチス・ドイツが行ったホロコーストと何ら変わらなかった。
 マルクス主義者は、無宗教反神論ゆえに、シベリアにあった日本人墓地を全て破壊し、地上に現れた日本人遺体を粉々に砕いて捨てた。
 日本を守る為に戦って戦死した日本軍兵士は、例外なく、靖国神社の祭神として祀られた。
 靖国神社は、戦争美化する宗教施設として廃棄する事を求められている。
 ソ連軍は、日本軍の反撃を警戒しつつ北海道に向けて進軍を続けた為に、予想以上の時間を浪費した。
 日本人共産主義者は、ソ連軍の進行の遅さに苛立った。
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 アメリカ政府とアメリカ軍は、千島列島問題の重要性に初めて気付き、真剣な討議に入った。
 バーンズ国務長官は、モスクワのハリマン大使に、ソ連が一般命令第一号の規約に従って中国の日本軍が蒋介石のみに降伏させる事を忠実に実行するかどうかの確認と、国民党を中国の正統政府と認める共同宣言を出す様に提案する事を指示した。
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 スターリンは、アメリカに北海道北半分への侵攻・占領・進駐・管理(ゆくゆくはソ連領に組み込む)を拒否された為に、その見返りとして日本人捕虜約60万人を労働力して使役するべく9898号捕虜移送命令を発した。
 アメリカは、日本人捕虜のシベリア強制連行がジュネーブ条約に反する捕虜虐待の戦争犯罪行為でる事を理解していたが、北海道を日本領に留める事と引き換えであるとして黙認した。
 日本人捕虜は、日本の国土を守る為に見捨てられた。
 それ故に、国際司法機関と国際人権団体は、シベリア抑留を戦争犯罪とは見なさず、ソ連の強制連行を非人道的行為と非難しなかった。
 スターリン日露戦争に於けるロシア軍の敗北は国民に苦しい記憶を残した。その敗北は我が国の不名誉となった。我が国民は日本を撃破しその恥を拭う日が来る事を信じ、その日の来るのを待っていた」
 ソ連軍のロシア人兵士は、支配地域で日本人避難民30万人以上を虐殺し、奪える金品は奪った。
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 8月24日 ソ連軍は、豊原を攻撃して樺太庁を占領した。
 8月25日 ソ連軍は、大泊に上陸して南樺太全土を占領した。
 樺太・千島列島の日本軍守備隊は、ソ連の攻撃から民間人29万3,000人を避難させるべく戦ったが、ロシア人兵士によって4,000人以上が虐殺された。
 佐渡開拓団跡地虐殺事件。ロシア人兵士と中国人暴徒とは、佐渡開拓団跡地に逃げてきた複数の開拓団員約2,500人を襲撃した。
 日本人避難民は殺害或いは集団自決で、1,400人以上が死亡した。
 死亡したのは、老人や女子供達であった。
 それが、大陸に於ける戦争であった。
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 8月下旬 敦化日満パルプ事件。ソ連軍は、製紙工場を占領し、ロシア人兵士達は社宅に監禁した日本人女性達を強姦した。
 女子供約110人が死亡した。死因は、青酸カリによる集団自決、発疹チフスによる病死。
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 満州開拓団員約27万人が、逃避行中にロシア人兵士や中国人暴徒に襲撃され、虐殺、集団自決、餓死、病死、事故死などで8万人以上が死亡した。
 その大半が、女や子供達である。
 現代日本では、犠牲者は侵略の片棒を担いだ戦争犯罪者である以上、ロシア人兵士や中国人暴徒に虐殺されたのは仕方がないと見捨てている日本人がいる。
 もし恨むのであれば、虐殺したロシア人兵士や中国人暴徒でなく、満州開拓に送り込んだ昭和天皇と軍部及ぶ軍国主義者であると。
 満州には開拓団員を含めて155万人の日本人民間人が生活し、その内24万人以上が死亡している。
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 9月5日 ソ連軍は、北海道侵攻を断念して、日本領北方領土を不法に武力占領した。
 日本で暴力的共産主義革命を起こし、日本を共産主義国家に改造する為の革命戦士を作るべく、約60万人の日本人兵士捕虜をシベリヤに強制連行した。
 洗脳する為に、栄養価の乏しい食糧で奴隷的重労働を強要し、6万人以上を虐殺した。
 そして、日本人墓地を破壊し、日本人の遺骨を粉々に砕いた。
 其の行為は、正常にして真面な人間とは思えない陰険で異常な蛮行であった。
 一部の洗脳された日本人は、日本に帰国するや天皇制打倒の為に活動を開始した。
 在日朝鮮人は、天皇制度を廃絶する為に、日本共産党の日本共産化計画に協力した。
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 ソ連は、日本で共産主義革命を起こす為に洗脳教育を行っていた。
 その手先が、日本共産党であり、中国共産党であった。
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 ソ連崩壊後の新生ロシアは、国際法を無視して、日本領土北方領土の不法占領を続けている。
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 ロシア人は、人間ではなく弱い動物に襲い掛かる獰猛な動物の如く、満州樺太で逃げ惑う日本人女性を襲撃し強姦して、子供と共に虐殺した。
 虐殺した人数は、10万人以上といわれているが、正確な人数は不明であるが多くこそあれ少なくはない。
 ロシア人は、性欲に荒れ狂う生き物であり、血に餓えた獣であった。
 人が生まれながらに持っているはずの良心、成長しながら身に付けるはずの道徳、そうした心はなかった。
 逃げ惑う日本の女性や子供は、ロシア人に虐殺された。
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 1946年2月 英外務省、露の北方領土領有の根拠「ヤルタ密約」に疑念、外交公電で全在外公館に警告。
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 2016年12月5日 07:03 産経ニュース「【ヤルタ密約秘話】英外務省、露の北方領土領有の根拠「ヤルタ密約」に疑念 「ルーズベルト米大統領が越権署名」 外交公電で全在外公館に警告
 【ロンドン=岡部伸】ロシアがソ連時代から北方領土領有を主張する最有力根拠としてきた「ヤルタ密約」(ヤルタ協定のうち極東密約)の有効性について、ルーズベルト米大統領が権限を越えて署名し米議会で批准されていないことを引き合いに、英政府が大戦終了後の1946年2月に疑念を示していたことが英国立公文書館所蔵の英外交電報で明らかになった。=3面に「露の四島占拠根拠なし」
 電報は、米英ソ3カ国が同11日にヤルタ密約を公表する2日前の9日、英外務省から全世界の在外英公館54カ所に「緊急かつ極秘」に一斉に送られた。
 電報の冒頭には「ソ連スターリン首相、ルーズベルト米大統領チャーチル英首相が45年2月11日にクリミア会議(ヤルタ会談)でソ連の対日参戦条件について極秘に合意した密約内容の文書が含まれる」と記され、米英ソ3政府が合意から1年後にあたる46年2月11日に、それぞれの議会で合意文書を発表するとしていた。 
 「ソ連樺太、千島列島の占拠は日本が敗戦するという文脈の中で取り扱われるべきだ」とした上で、「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。
 ソ連はヤルタ密約を根拠に当時有効だった日ソ中立条約を破棄し、満州中国東北部)や北方四島に侵攻し占領。後継国家のロシアも北方領土の領有権を主張してきた。
 一方、米国では53年に就任した共和党アイゼンハワー大統領が年頭教書演説で、「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言して問題が表面化。56年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定ルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効」との国務省声明を発表し、ソ連の領土占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にした。
 一方、当事国の一つである英国は立場を明らかにしてこなかったが、チャーチル首相が41年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則をうたう大西洋憲章に署名している。今回の電報を通じ、密約が大西洋憲章に反するとの英政府の46年当時からの認識が示された形だ。
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 ■ヤルタ密約 1945(昭和20)年2月4日から11日まで、クリミア半島ヤルタで米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連スターリン首相による連合国3カ国首脳会談が開かれた。ルーズベルト大統領はソ連による千島列島と南樺太の領有権を認めることを条件に、スターリン首相に日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。会談では、ドイツ降伏後2カ月または3カ月でソ連が対日参戦することが秘密協定としてまとめられた。また、国際連合創設を協議し、ドイツと中・東欧での米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定。東西冷戦幕開けのきっかけにもなった。
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 12月5日07:10 産経ニュース「【ヤルタ密約秘話】「当初から有効性に疑問 英国の立場を示す」 京都大学名誉教授 中西輝政
 京都大学名誉教授・中西輝政氏(恵守乾撮影)
 ヤルタ密約を結んだ3カ国の一つである英国は冷戦時代、フランスとともにソ連との正面衝突を回避するため、ヤルタ協定に対する立場を鮮明にしてこなかった。終戦から約半年後の46年2月、「密約」公表直前に英外務省が全在外公館にあてた公電は、内閣の了解を経た英国の公式な立場を示すものだ。公電は領土移転の署名をしたルーズベルト大統領が米国の大統領権限を越えていることや、米議会の批准もない状況下での有効性について疑念を示しており、英政府が当初からヤルタ密約の法的な有効性に疑問を抱いていたことがうかがえる。公電で疑問を呈した通り、数年後にアイゼンハワー政権が「密約」を無効とした米国と同様に英国が有効性を事実上否定していたことがわかり、北方4島の主権を主張するロシア側は一層法的根拠を失うことになるだろう。」
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 1951年 アメリカ議会は、ルーズベルトが個人的にスターリンと取り交わした「ヤルタ極東密約」の批准を国家として正式に否決した。
 日本領北方領土を、主権国日本の諒解もなく、アメリカ議会の承認も得ず、戦争の勝利という目的だけでソ連に割譲する事は認められないと決議した。
 ソ連軍の北方領土占領は、犯罪行為とされ,正当性はない。
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 ロシアは、ロシア人戦争孤児を助けても、恩を仇で返し、日本人避難民を虐殺して日本領北方領土を強奪した。
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 ロシア人は、合法的、非合法的に関係なく手に入れた土地は決して手放す事はない。
 国際法に基づいた2国間条約を踏みにじり武力で強奪した日本領北方領土を、平和的に、全島を日本に返還する意志はない。
 ロシアの領土拡大は、武力を用いた侵略戦争によるものであった。
 江戸時代中期以降、日本はロシアに侵略される危機に直面していた。
 日本の近代化は、ロシアの侵略から祖国を守る為であった。
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 ロシア人による、日本人避難民大虐殺、シベリヤ抑留者大虐殺、日本領北方領土強奪、昭和天皇処刑要求。
 ロシアには、日本的な配慮も善意も思い遣りも心尽くしも真心も一切通用しない。
 日本とロシアの間には、心は通じない。
 ロシアは、軍国主義者がロシア人戦争孤児を無報酬で救い出したのに、一言の感謝の言葉がないどころか、命がけで助けた軍国主義者を口汚く罵って恥じない。
 日本は、ロシアと、人として分かり合えないと諦め、人として信じ合えないと絶望するしかない。
 日本とロシアの付き合いとは、その程度の低レベルでしかない。
 つまり、助け甲斐のない相手、感謝の言葉を当てにしてはならない相手、という事である。
 ロシアは、ロシア人戦争孤児を助けた軍国主義者に勝利した対日戦勝利70周年記念を盛大に行おうとしている。
 反天皇反日的日本人は、軍国主義者がロシア人戦争孤児を自己犠牲として助けた事実を知りながら、軍国主義者の人道貢献を歴史に闇に葬り、ロシアの対日戦勝利70周年記念を共に祝おうとしている。
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 日本の説明は、国際社会では一切通用しない。
 国際社会で、誰も本気で日本の説明を聞こうとはしない。
 昭和天皇の戦争責任問題。捕虜虐待問題、戦争犯罪問題、従軍慰安婦問題、南京事件問題、靖国神社問題、歴史認識問題、歴史教科書問題、その他。
 日本を非難し、追い詰め貶める、反日国際世論は終わる事がない。
 更に、反天皇反日的日本人の日本を貶める国内世論も尽きない。
   ・   ・   ・   
 恩を仇で返すロシア人に、人間らしい感情、良心、善意を期待してはならない。
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 軍国主義者は、天皇制度と祖国を守る為ならば戦争も辞さなかった。
 国際社会は、日本の軍事行動を犯罪として完全否定した。
   ・   ・   ・   
 東京裁判は、日本の全ての行動を戦争犯罪として断罪し、積極的自衛戦争侵略戦争として完全に否定した。
 ロシア人は、昭和天皇の処刑を強く要求していた。
   ・   ・   ・   
 1997年 ロシアのタンカー「ナホトカ号」は、日本海の時化で遭難し、日本はロシア人船員を救助した。
 船体から流れ出した重油が日本沿岸を汚した。
 ロシア人達は、早々に帰国した。
 日本人ボランティア達は、全国から駆けつけて沿岸にこびりついた重油を引き取った。
 ロシア人とは、昔から、謝りもしないし、反省もしないし、賠償金も払わない、むしろ相手を激しく非難して罪を擦り付け責任を取る事がない。
 日本人とロシア人は、幾ら親しく話し合っても、決して分かり合う事はない。
 平気で嘘を付いて騙す。
 約束を平然と破る。
 信用できない。
 それが、ロシア人である。
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 2008年 プーチン「核を保有しない国は、主権国の名に値しない」
 ロシアは、核を持たない日本を一人前の国とは認めず、如何なる要求をしようとも本気で取り合う気はなかった。
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