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2025年4月24日 YAHOO!JAPANニュース WEB歴史街道「ローマの英雄・カエサルが綴った『ガリア戦記』 その三つの大きな魅力とは?
『ガリア戦記』について、是非知っておいて欲しい大きな三つの魅力を翻訳家の中倉玄喜さんに解説して頂く。
皆さんは『ガリア戦記』という書物をご存知だろうか?「名前だけは聞いたことがある」という方も多いのではないかと思う。
『ガリア戦記』は、希代の英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が自身の征服事業について自らの手で綴り、書物として世に出したものである。
こうした事例はほかになく、史上名立たる英雄の中で唯一の例である。2000年前から今日まで多くの読者を魅了してきた世界史上最も有名な戦記であり、現場の出来事をリアルに再現した「活きた」ローマ史ともいうことができる。
そんな『ガリア戦記』について、是非知っておいて欲しい魅力を翻訳家の中倉玄喜さんに解説して頂く。
※本稿はユリウス・カエサル著/中倉玄喜翻訳・解説『[新訳]ガリア戦記』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
気軽に読める、分かりやすい古典
「ガリアは全体が三つの地域に分かれている」
(Gallia est omnis divisa in partes tres)
本書『ガリア戦記』の冒頭をなす上の件は、世界史上もっとも有名な書き出しといわれている。
内容は意外にやさしい。前述のような名声から想像されがちな、近寄りがたいところは、まったくない。ローマ史は初めての読者でも十分よく分かる。
その理由は、なにより戦記として、文字どおり、事件や戦闘の具体的な記述であることと、それに、本書の文章が非常に分かりやすいことによるものである。
なかでも後者、つまり、文章の分かりやすさは、『ガリア戦記』の一大特長であり、文章に関するカエサルの基本姿勢を反映している。かれは日頃よく口にしていたそうだ。
「一般の人々が知らないような難しい言葉や表現は、船が暗礁を避けるように、注意してこれを避けなければならない」と。
したがって、本書のばあいは、一般の古典のばあいとは違って、気軽な気持ちで紐解かれるとよい。
では、今度は、肝腎な、書物としての価値について見てみよう。なぜ、たんなる遠征の記録がこれほど注目をあつめてきたのだろうか? どこにそうした価値や魅力があるのだろうか? こうした点である。理由としては、大別して、次の3つを挙げることができる。
『ガリア戦記』の魅力1 著者
そのうち最大の理由は、なんといっても、著者ユリウス・カエサルその人に由来する。
ご存じのとおり、古代ローマは、この英雄の活躍によって大きく領土を広げた。具体的に述べると、ガリア遠征に関係する新領土だけでも、今日のフランスのほか、オランダ南部、ベルギー、ライン河以西のドイツ、それにスイスのほぼ全土を含む広大な地域におよび、その後には、あのクレオパトラで有名な豊かな穀倉地帯、エジプトをも手に入れた。
版図の拡大だけではない。かれの登場によって、長期にわたった国内の政治抗争には終止符がうたれ、国家の政体にも変革をみた。それまでの貴族中心の共和制から一人の実力者を頂点とする元首制へと向かうことになったのである。
以後ローマは、この新政体のもと、いわゆる「ローマ帝国」として久しく繁栄し、今日われわれが目にしている西洋文明の礎をきずく。
『ガリア戦記』とは、このような人物が自分の征服事業についてみずから記し、書物として世に出したものにほかならない。こうした事例は、ほかにない。史上名立たる英雄のなかで唯一の例である。このことはいくら強調しても、強調しすぎることはないだろう。
『ガリア戦記』の魅力2 歴史的価値
2番目の理由としては、歴史資料としての価値が挙げられる。
まず、これなくしては、今日ローマ史では常識となっている情報のなかの一部が致命的に欠落する。
たとえば、軍隊の部隊編成や使用武器については、第三者の記録や考古学的研究によって知ることができても、実際の戦闘における部隊や兵士の細かな動きや、戦略会議の模様や戦況の推移とそれをめぐる当事者たちの思慮や言動などについては、どうして他が知ることができようか。
これらを伝えることができたのは、ひとりカエサルだけであった。
また、もうひとつ特筆されるべきことは、本書が当時のガリアの様子をつたえる唯一の史料だという点である。それは、当地の住民であったケルタエ人(ケルト人 ローマ人がいうガリー人もこれに属する)には、書き物というものがなかったからである。
そうしたかれらの先史の時代に、カエサルは8年間もこの地にあって、全土を縦横にかけめぐり、さまざまな部族と出遭い、さまざまなことを見聞きし、そしてそうした見聞の一部を本書のなかに記した。
今日のフランスをはじめとする前述の西欧諸国は、『ガリア戦記』があればこそ、自分たちの国の当時を知ることができるのである。
右のことはまた、当然、一次情報であることをも意味している。そのため、ローマ史の研究家はかならずこれに向かう。
そしてこのことは、われわれ一般読者にとっても、特別な機会であることを示唆している。つまり、専門の歴史家と"おなじ足場"に立つ。こういうことは他ではあり得ない。
以上、ふたつの理由だけで、『ガリア戦記』が不朽の書物となるには十分であったろう。しかるに、これにさらなる魅力が加わって、本書は文学的な古典としても、高く評価されるにいたっている。
『ガリア戦記』の魅力3 文体
その魅力、つまり3番目の理由とは、いったい何であろうか。それは文章の魅力である。
分かり易いことについては、すでに述べた。ここでいう文章の魅力とは、それにくわえ、本書でカエサルがもちいた独特な文体をいう。
当時ローマ第一の文章家であったキケロは、これを絶賛した。同時代の他の知識人も、多くがこれを賞賛した。以来、『ガリア戦記』は名文として通っている。
だが、じつのところ、これは名文ではない。少なくとも一般に名文として誰もがもつ印象とは、だいぶかけ離れている。
カエサル自身も、いわゆる名文で書こうとはしなかった。では、文章家として簡潔に書いたのか。そうでもない。むしろ実務家が野外の現場でメモでもとるかのように手短に書いたという方が、印象としてはより近いだろう。と同時に、自分のことを言うのに「カエサル」と呼び、まるで筆者が別にいるかのように三人称で綴った。
こうした書き方は、カエサルにしたたかな計算があってのことである。それは当時の政治的背景とも絡んでいて、じつに興味ぶかく、ローマ史をよく知るうえでも重要な情報なので、次回の記事で少しくわしく述べる。
いずれにせよ、このカエサルの遠征記は、公となるや、ローマ市民を狂喜させた。人々はこれを貪り読んだ。
それは文体の勝利でもあった。偉大な軍事的英雄がこういうところにまで見せた才能と知略。それが実際にどんなものなのか、まもなく知ることができる。
以上、『ガリア戦記』が一大古典となるにいたった主な理由について見てきた。
中倉玄喜(翻訳家)
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4月24日 YAHOO!JAPANニュース WEB歴史街道「カエサルはなぜ『ガリア戦記』を書いたのか? 考えられる2つの理由
皆さんは『ガリア戦記』という書物をご存知だろうか?「名前だけは聞いたことがある」という方も多いのではないかと思う。
『ガリア戦記』は、希代の英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が自身の征服事業について自らの手で綴り、書物として世に出したものである。
こうした事例はほかになく、史上名立たる英雄の中で唯一の例である。2000年前から今日まで多くの読者を魅了してきた世界史上最も有名な戦記であり、現場の出来事をリアルに分かりやすく再現した「活きた」ローマ史ともいうことができる。
では、この『ガリア戦記』はなぜ書かれたのか?なぜ分かりやすく書く必要があったのか?翻訳家の中倉玄喜さんに解説して頂く。
※本稿はユリウス・カエサル著/中倉玄喜翻訳・解説『[新訳]ガリア戦記』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
カエサルが書いふたつの理由
カエサルが自分の遠征を戦記として著した点については、そこに次のふたつの理由があったとされている。
ひとつは、このローマ史上最大の事業が歴史家によって後世に正確に伝えられるよう、そのための基礎資料として書かれたとする説。これは、追記として第8巻を著わしたヒルティウスや、本書の文体について語ったときのキケロの言にもとづく。
もうひとつは、ローマ市民にたいしてあらためて自己の輝かしい業績を印象づけることによって、ガリア総督中にとった独断的行動を正当化して、帰国後の政争を有利に運ぶためであったとする説。こちらは、当時カエサルが置かれていた状況から判断してのことである。
では、このふたつのうち、真実はどちらにあるのだろうか?
カエサルの文才と筆まめなことを考えれば、状況に余裕があったとしたなら、おもな理由として、たしかに第1の主張にもうなずけよう。しかし、かれが直面していた状況は、以前にも増して緊迫していた。であってみれば、真実はおそらく、より後者の方に在る。
本書(カエサル本人の手記全7巻)が刊行されたのは、アレシアの決戦が終わってから数ヶ月後の前51年春のこととされているが、かれはこのとき、その空前ともいえる業績によって、一般のローマ市民の心のなかでも英雄としてポンペイウスを凌ぐ存在となっていた。それだけに、元老院派の危機感はもう以前の比ではなかった。
追い詰められたカエサル 世論を味方に
また、7年という歳月は、カエサルにとっても予期せぬ状況をもたらしていた。ポンペイウスに嫁がせた娘ユリアが産後の病で亡くなり(前54年)、さらに、「三頭」の1人であったクラッススもパルティア遠征の失敗で命をおとしていた(前53年)。
そのため、ポンペイウスとの間の強い絆が失われたばかりか、それまでの政治的な勢力の均衡がくずれてしまい、かててくわえて、その後カエサルの勢いが著しく伸びたことから、それまで自分がカエサルに利用されていたことに気づいたポンペイウスが、このころにはすでに元老院派に加担するようになっていた。
そして勢力を挽回していた元老院派からは、カエサル召還の声が上がっていた。もしこの時点で解任されて一介の私人となったとすれば、裁判にかけられ、その結果、ばあいによっては命までも奪われかねない、そうした状況であった。
したがって、どうしても帰国まえに世論を味方にしておく必要があった。
以上のような次第で、本書はアレシアの決戦(前52年)後ほとんど一気呵成に書き上げられたのである。大方の歴史家もまた、そのように判断している。
ガリー人に決定的敗北をもたらしたとはいえ、まだ抵抗部族が残っていた。かれらを平定するまでには、このあともう1年を費やすことになるのだが、そうした戦場に余燼がくすぶるなか、夜の帳がおりて司令官としての昼間の激務から解放されるや、カエサルは即座にペンをとった。
あるいは、馬に乗りながらでも、速記ができる従者に口述して多方面に通信文を発していたカエサルであるから、ひょっとすると、昼間においても事情がゆるすかぎり、これにとり組んでいたかもしれない。
だが、集中していたのは、やはり夜であったろう。営舎の明るくもない灯火のもとで、ひとり静かに、しかし熱心に、ペンを走らせるカエサル。かれは少食であったから、よく食後にみられる心身のゆるみや眠気とは無縁であった。
ちなみに、頑強とも見えない体つきにしては、カエサルが疲れもせず、よく激務をこなしていることに、友人たちが驚いていたということだが、かれのその元気のもとは、軍隊生活をむしろ鍛錬としてとらえ、激務のなかにも冷静さを保ち、そして精力を維持するために、この少食を習慣にしていたことにあった。
自慢話とされないように
では、次は、カエサルが世論操作という右の意図をどのようにして達成したかについて見てみよう。
自分の業績を自分が語る。これはどのように自制しても、自虐的な者でないかぎり、自画自賛におちいる。そしてそうした話にたいしては、友人であれば、鷹揚さをもってそれに接し、そしてそれを楽しむことだろうが、一方、敵対者であれば、それに嫌悪感をおぼえ、ばあいによっては、それを虚偽や誇張などと言い出しかねない。
また、中立的な者でも、自慢話のような回想記には抵抗を感じよう。しかし、世論操作であるから、言うまでもなく、手柄の吹聴だととられてはならない。だが、通常の書き方では、手柄話とはならないように宣伝するというような微妙な伝え方は難しい。
この問題にたいしてカエサルが考えついたのが、先に述べた文体すなわち表現の手法であった。たしかに、飾り気のない、総じて短文のうえに、感情表現を避け、それにくわえて三人称を用いれば、著者がカエサル本人とは分かっていても、その印象が格段に薄まる。潜在的には、第三者が書いたような錯覚を読者の心に残すかもしれない。
こうした考えから、かれは普通とは異なる文体で書くことにしたのである。
巧みな構成だが、カエサルの工夫は、それだけに止どまらない。文体のほかにも及んだ。およそ文体そのものは、それが文字となっている分、どのように書こうとも、行間からまだその意図がいくらか看てとれる。言いかえれば、情報操作として、それ以上のなにかが望まれた。
正確性、そして読者を惹きつける文学性
では、表現の手法のほかに工夫があるとすれば、それは何か? それは内容の構成である。
そこで、まずなにより、自画自賛と思われないよう、往々にして勿体をつけた感のある、前置きというものを入れず、私的なことにも触れず、つとめて事実を前面に出し、そしてその事実にしても、自分に有利なものだけでなく、その間に不利なものもよい按配にとり混ぜた。
また、よく数字を入れるなど、できるだけ正確な記載に努めた。と同時に、たとえば、あまりにも大きすぎるような数字など、その信憑性について疑念を抱かれそうなところでは、万一その情報が誤りであったときの非難にそなえて、「かれらによれば」などと言った言葉を入れた。
次に、ほとんど知られていないところへ行ったのであるから、誰であれ、戦いのことだけでなく、できれば、その土地の様子や人々のことも知りたい。こうした人間の一般的な欲求にもさりげなく応えている。そしてこれによって、図らずも、本書に博物誌としての価値をも付与することになった。
さらにまた、同じ戦争のことを伝えるにしても、ローマ市民の興味をいっそう搔き立てようと、激しい戦闘の場面や白熱した議論の様子など、興奮にみちた具体的な光景を随所に織り込んだ。
しかも、それらを生き生きと描き出している。この辺のカエサルの描写力には、いわば現代のテレビ中継をおもわせるものがあり、そうした件が出てくると、単純な文ながら、その光景がありありと読む者の目にうかぶ。
本書に文学性がみとめられる 所以である。
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『ガリア戦記』は、希代の英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が自身の征服事業について自らの手で綴り、書物として世に出したものである。こうした事例はほかになく、史上名立たる英雄の中で唯一の例である。二千年前から今日まで多くの読者を魅了してきた世界史上最も有名な戦記であり、現場の出来事をリアルに再現した「活きた」ローマ史ともいうことができる。
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