🔯75」─1─人類文化の進化プロセスにおいて重要なのは「継承」か「変化」か。~No.270No.271No.272 

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 2025年2月16日7:01 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「人類学が明らかにする「ネットミーム」がバズるメカニズム…魔女信仰や反ユダヤ陰謀論を生み出してきた”人間”の「文化」の進化プロセスとは
 人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。
 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。
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 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか?
 オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行される。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。
 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第64回
 『なぜ北欧の人々は“青い瞳”と“明るい肌”を持つようになったのか…人間を「毛のない汗をかくサル」へと変えた遺伝子と文化の“相互作用”を紹介!』より続く
 文化的知識の喪失
 誰も飛行機のつくり方を知らない。現在使われている飛行機はどれも例外なく、ライト兄弟1903年に発明した世界で初めて飛行に成功したモデルの直系の子孫だと言える。ライト兄弟以前にも何百ものモデルが開発されたが、飛ぶことはできなかった。最初に宙に浮いたモデルが、その後のすべての飛行機の父となった。
 もちろん、“私たち”は飛行機のつくり方を知っている。だが、文化とは文化遺産の段階的な改善と実験的な修正によって進化するものであるため、決してそもそもの始まりにまでさかのぼることはできない。もし、すべての飛行機とその設計図が突如としてこの世から消えたら、人間は飛び方を文字通り忘れることになる。このように、文化的知識は知性と努力ではすぐに取り戻せない形で失われる可能性がある。
 実例もすでに存在している。たとえば古代ローマでは、建築や都市開発において、コンクリートが重要な役割を果たしていた。しかし、ローマ帝国の崩壊により、この技術は忘れられてしまった。文化のノウハウが失われたため、人類は数百年にわたってコンクリートをほぼ完全に使えずにいた。この知識が再発見されたのは、近代に入ってからだ。
 しかし、文化的知識の減少は必ずしも悪い知らせではない。2007年、米国政府がW76核弾頭の定期検査中に、核兵器の製造方法を忘れてしまっていることに気づいた。「フォグバンク」と呼ばれる重要な部品(その詳細は機密事項)の製造方法を知る者が一人もいないのだ。文化的知識は、維持に“努めなければ”ならない。保持者がいなくなれば、知識もいっしょに消えてしまうのだから。
 「ミーム」は文化的産物の拡散を表す言葉だった
 文化的産物もまた、生物的進化と同様の変化や選択のメカニズム、すなわち、変化を伴う継承と生殖成功率の変動の影響を受ける。したがって、自然界のいたるところで進化のメカニズムが見られる。生物と文化の進化はどちらも、一般原則に生じる特殊ケースだとみなせる。
 インターネット上で数時間を過ごしたことがある人は—知らず知らずのうちだとしても—間違いなく文化進化論に由来する単語を目にしたことがあるはずだ。
 最近では、X、レディット、4チャン〔訳注:レディットと4チャンはどちらも英語圏で広く使われている掲示板型ソーシャルネットワークサービス〕などのネットフォーラムで半日でも広く流通したコンテンツは「ミーム」と呼ばれる。この言葉を最初に使ったのはリチャード・ドーキンスで、もとは遺伝子の変異や選択や伝播との対比のうえで文化的産物の拡散を表すための言葉だった。
 つまり、アイディアも、情報も、概念も、噂も、あるいは理論さえも、生物と同じメカニズムの影響を受ける。ミームはコピーされ、模倣される。その成功率にはばらつきがあるため、ミームの多くは存続を続けるが、ほかは失われていく。多くは独自の生命を得て、多くは—魔女信仰や反ユダヤ陰謀論のように—多大な損害を引き起こす。
 進化の側面から文化を見る
 ミームが特に広く拡散した場合、「バイラル」になったと言われる。この言いえて妙な用語は、フランス人人類学者のダン・スペルベルの「疫学的文化論」に由来する。米国の生物学者のピーター・リチャーソンと人類学者ロバート・ボイドの考えでは、「個人の行動に影響する力をもち、同じ種の仲間から教育や模倣あるいはほかの形を用いた社会的伝達を通じて獲得される情報」はすべて文化だとみなせる。
 言うまでもなく、情報のすべてで社会的伝達が必ず成功するわけではない。うまく伝達された情報は普及し、文化記憶領域の大きな部分を占めることになる。
 アイディアも、概念も、方法も、技術も、社会における個人間での受け渡しを通じて増殖していく。アイディアの多くは、単純であるがゆえに普及する。洗練されているから、あるいは覚えやすいから生き残るアイディアもあれば、感情に強く訴える、あるいは本能に強く働きかけるため拡散するアイディアもある。進化の側面からアプローチすることで、文化が決して一枚岩ではない理由が説明できる。
 文化は一枚岩ではなく断片的で、そのためその中身はさまざまな時代、伝統、出どころなどで成り立っている。「進化という観点からでなければ、文化について話すことに意味はない」。
 『文化の“進化”において重要なのは「継承」か「変化」か?…「2つの学派」の対立から導き出された“衝撃的な結論”』へ続く
 長谷川 圭、ハンノ・ザウアー
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 2月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「文化の“進化”において重要なのは「継承」か「変化」か?…「2つの学派」の対立から導き出された“衝撃的な結論”
 ハンノ・ザウアー
 オランダ・ユトレヒト大学哲学・宗教学部准教授
 長谷川 圭
 翻訳家
 人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。
 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。
 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか?
 オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行される。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。
 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第65回
 『人類学が明らかにする「ネットミーム」がバズるメカニズム…魔女信仰や反ユダヤ陰謀論を生み出してきた“人間”の「文化」の進化プロセスとは』より続く
 「継承」か「変化」か
 文化進化はチャールズ・ダーウィンの言う「変化を伴う継承」の原則に従う。では、現状維持という意味での「継承」と建設的な「変化」のどちらが重要なのだろうか?
 この根本問題をめぐって、文化進化論に2つの「学派」が生じた。それぞれ、「パリ・プログラム」「カリフォルニア・プログラム」と呼ばれている。
 カリフォルニア学派の考えでは、社会における文化情報の伝達は基本的に“複製”を介して行われる。実証済みのやり方を細部にいたるまで誠実に模倣しなければ、人間の文化の特徴である累積が実現できない。先代のやり方を正確に再現できなければ、継承された技術を改善し、次の世代に譲り渡すこともかなわない。
 一方のパリ学派は継承よりも変化を強調する。遺伝子は文字通り自らを複製するが、ミームやほかの文化産物の大半は教育と学習を通じてつねに変化にさらされる。この伝播過程はいわゆる「文化アトラクター」の制御を受けるため、複製過程で特定の変異が優遇される。
 奇妙な物語の異常なまでの覚えやすさのヒミツ
 私が所有するグリム童話集は3巻からなり、100を優に超える童話が収録されている。そのうち、私が知っている童話は10にも満たないだろう。自分でストーリーを話せる作品となれば、たった2つか3つだ。それらすら、父親になってから必要に駆られて覚えたに過ぎない。きっと、本書の読者も同じようなものだろう。
 そして、物語を覚えている作品も私と同じではないだろうか。『赤ずきん』、『ヘンゼルとグレーテル』、『カエルの王様』だ。おそらくこの3つは、私たちの根源的な感情や認知パターンに強く訴えかけるのだろう。そのため、朗読・記憶されるという点で、『フィッチャーの鳥』のようなあまり有名ではない作品よりも有利なのだ。
 物語に含まれる明らかに理屈に合わない部分でさえ、文化アトラクターとして作用することがある。たとえば、全知全能の神が人間になり、全人類の罪滅ぼしのために自らを処刑させ、しかも3日後に復活するという突飛な物語は、どう考えても信じがたい。しかし、明らかに非論理的で矛盾に満ちているからこそ、この物語は共有され、語り継がれ、繰り返し解釈されてきたのだと考えられる。同時代のライバル宗教のほうが理にかなっていたかもしれないが、この奇妙な物語の異常なまでの覚えやすさには太刀打ちできなかったのだろう。
 パリか、それともカリフォルニアか。真実は、おそらくその中間にある。文化的な営みの多くは、正確な複製の観点からモデル化するのに適している。ある本を新たに印刷したり、レシピどおりに料理したりする者は、特定の内容を可能な限り正確に再現することを目指す。
 もちろん、完璧に複製するのは不可能だ。複製の不完全さは、中世研究ではとても重要な要素となる。特定の「鍵となる誤り」をもとに、ある写本がどの系統に属するかを明らかにすることもできる。
 ほかの形の文化伝達は、創造性に重点を置くパリモデルにのっとっている。たとえばある楽曲をカバーするミュージシャンは(あるレシピを2回目に料理する人も)、基本的に独創性を表現しようとする。要するに、文化進化は慎重な模倣と、本質は残しながらも実験的な改善を行おうとする創造的な変更のミックスなのである。
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