🔯10」─1─人類の歴史とは俺たちの内集団と奴らの外集団による共同体の歴史である。~No.32 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年4月21日号 週刊新潮「人間、この不都合な生き物
 橘玲
 人情は『身内びいき』から生まれる
 10年ほど前まで、中国を頻繁に旅行していた。チベット、新疆、内モンゴルから旧満州まで、ほとんどの観光地を訪ねたので(中国人の旅行ガイドに『そんな奴は俺の知り合いにもいない』と驚かれた)、それ以降はすこし足が遠のいている。
 いつも個人旅行だが、ときどき現地のツアーに参加した。外国人向けのツアーだと土産物店を連れまわされるのにうんざりして、いつしか中国人向けの国内ツアーを利用するようになった。 
 私は中国語をひと言も話せないが、ガイドが片言の英語を話すのでなんの問題もない。外国人ツアーに比べて格安なものも魅力だが、効率的に観光名所を回るし、いろいろ興味深い体験もできた。
 そのとき不思議に思ったのは、たとえば昼食のレストランで、ちょっとしたことでみんなの態度が大きく変わることだ。
 ガイドが『ここでランチです』と店に案内するだけだと、誰も私のことを気にかけてくれないので、見よう見真似でなんとかするするしかない。ところが、『あなたたちはこのテーブル』とグループ分けされたとたん、誰か(たいていはおばさん)が私の代わりに店員に注文したり、おかずをよそったり、かいがいしく世話してくれるのだ(普通話も話せない田舎者と思われたらしい)。
 こうしてできたつながりはツアーのあいだ続き、『寺では帽子を取りなさい』とか、『靴はおこで脱いで』などと身ぶり手ぶりで教えてくれるし、集合時間に遅れないように気にかけてもくれた。
 中国人が親切(というより、おせっかい)ということはあるだろうが、わたしたちはごく自然に『身びいき』をすることは、1960年代から社会心理学のさまざまな研究で明らかにされてきた。
 有名なのは小学校教師ジェーン・エリオットが行った『青い目/茶色い目』実験で、クラスの小学生を目の色でグループ分けすることで、簡単に『差別』をつくりだせることを示した。
 殺し合わないのはなぜか
 その後、社会心理学者のヘンリ・タジフェルらが、抽象画ではパウル・クレーが好きか、ワシリー・カンディンスキーが好きかでグループ分けしたところ、このなんの意味もない『最小条件集団』でも、被験者は自分と同じグループに多くの報酬を分け与えた。さらにコイン投げでの裏か表かでグループを決めたところ、やはり『身びいき』が観察された。
 わたしたちはどんな理由でも(あるいは理由などなくても)、グループ分けされたとたんに、たちまち『内集団』を形成し、そのメンバー(俺たち)に対して、『外集団』(奴ら)よりずっと親切に振る舞う。
 リベラル化する社会では、教会や町内会などの中間共同体が解体して、一人ひとりがばらばらになっていく。こうした『個人主義』に抵抗する政治思想は、コミュニタリアズム(共同体主義)と呼ばれる。『古き良きアメリカ』とか『日本の伝統』などに重きを置く保守派が典型だが、リベラルのなかにも共同体主義者は多く、自助や公助だけでなく、『共助』の大切さを強調する。
 だがこのひとたちは、共同体(コミュニティ)が内集団そのものであることにはほとんど触れない。彼らが大好きな『人情』や『ぬくもり』、あるいは『誇り』や『自己犠牲』は、進化の過程でヒトの脳に埋め込まれた向社会性、すなわち『身内びいき』から生まれるのだ。
 内集団が成立するには、原理的に、外集団が存在しなければならない。家族や地域、学校や会社、国家や民族などの共同体からもたらされる安心感やあたたかさは、共同体のメンバーでない者を排除することから生じる。保守であれリベラルであれ、すべての共同体主義は『排外主義』の一形態なのだ。
 チンパンジーなどの近縁種と比べて、とてつもなく大きな社会を形成するヒトは、進化の過程で暴力を抑制し、温和になっていった。チンパンジーは50頭前後の、相手が誰なのかわかっている集団で暮らし、知らない相手を攻撃する。これは群れをつくる動物に共通の特徴で、スターバックスで他人と隣り合わせになっても殺し合いにらないのは、自然界ではものすごく特殊なことなのだ。
 現代の進化論では、ヒトが内集団に対してやさしくなることと、外集団に対して残酷になることは、同じコインの裏表だと考える。外集団との抗争に敗れて皆殺しにされないためには、内集団の結束を固めなくてはならない。仲間との絆は、仲間でない者たちを排除し、限りある資源を確保するために進化した。
 約6万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスの一団が、中近東やヨーロッパでネアンデルタール人と出会い、その後、この先住民が絶滅したことはよく知られている。
 『人類という家族』には・・・
 近年の遺伝人類学の大きな発見は、わたしたちの祖先はネアンデルタール人と交わっていたことだ。サハラ以南のアフリカ以外の系統のすべてのヒトは(もちろん日本人も)、ネアンデルタール人の遺伝子をわずかに持っている。
 そればかりか、ユーラシア大陸の東部にデニソワ人という別の先住民がいて、やはりサピエンスと交わったあとに絶滅していたことがわかった。そのデニソワ人は、原人(北京原人)と遺伝的に交配していた。
 チンパンジーは他の群れと遭遇すると、オスと乳児を殺し、メスを群れに加える(授乳しなくなったメスは生殖可能になる)。研究者の多くは、サピエンスも同様に、ユーラシア大陸で出会った先住民の男を殺し、女を犯したのだと考えられている。
 人類の歴史の大半は『リベラル』ではなかったのだから、弱い集団が強い集団に絶滅させられ、その遺伝子の痕跡だけが残ることが
頻繁に起きたのだろう。その軌跡はいま、古代骨のDNA解析で明らかにされつつある。
 人類の歴史のなかで内集団の規模は拡大し、近代以降は最大の単位が国家になった(イスラーム共同体はそれに匹敵するかもしれない)。だが残念なことに、内集団が外集団を必要とする以上、『人類という家族』になることはない。
 ヤクザの抗争から宗教戦争、戦国時代の合戦まで、殺し合いがもっとも残酷になるのは、遠く離れた集団同士ではなく、近親憎悪だ。日常に接触のない相手は脅威にはならず、同盟や交易をした方がお互いにメリットがある。
 ルワンダの虐殺では、ツチ族フツ族は同じ土地で暮らし、同じ言葉を話し、文化と宗教を共有していた。旧ユーゴスラヴィアはもともと『南スラヴ人の国』だったが、凄惨な紛争の結果、分裂した。
 ロシア(ルーシ)は、8世紀末に現在のウクライナに興った東スラブ人の国(キエフ・ルーシ)に始まる。その後、ウクライナ国民国家への道を歩むが、ロシアの保守派とプーチンにとっては、そこは自分たちの歴史の一部なのだろう。
 人類はいまだに進化の呪縛にとらわれていて、だからこそ、いつになっても同じ愚行を繰り返すのかもしれない。」
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 現代日本のリベラル的革新的認識では、身内びいきと排外主義でかたまる内集団をムラ根性と嫌っている。
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 現実問題として、人類が内集団と外集団に分かれて生きようとする限り、地球市民、人類は一家、人は全て兄弟はあり得ない。
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