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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代日本人には、多民族の多文化多宗教による多様性社会が理解できない。
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2024年8月16日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「日本人に多文化共生は必要か?
ロシアによるウクライナへの進攻、イスラエルによるガザ地区への空爆など、ここ数年、世界各地で軍事衝突が起こっている。
【画像】『夫は、妻は、わかってない。夫婦リカバリーの作法』(安東秀海・著)
こういった紛争の多くには、民族問題が絡んでいる。だが、その本質を日本人はまったくわかっていない。紛争の時代。これからの世界の動きを捉えるうえで民族問題についての理解はかかせない。そのためのヒントが地理学にある。
代々木ゼミナールの人気地理講師である宮路秀作氏が、地理学的な視点から戦争について解説したコンテンツ(書籍『なぜ日本人は戦争音痴なのか』(シンクロナス新書))より、前編・後編の2回にわけてご紹介します。(後編)
言語境界は「紛争の火種」
日本国内には言語境界は存在しません。例えば共通テスト、すべて日本語というひとつの言語によって行われます。方言という差異はあるにせよ、日本国内には、基本的にはどこでも日本語が通じるという普遍性が存在します。
つまり、言語境界と国境がほぼ一致しているのが日本の大きな特徴の1つです。一方、世界を見渡せば、言語境界と国境が一致している地域はほとんどありません。
1つの国の中に言語境界があれば、すでにそこには「紛争の火種」が存在する、というのが世界の実情です。言語境界は、いわば「むき出しの導火線」です。
そうした感覚が日本人にはありません。意識する機会も方法もないので、世界の紛争を見た時、なぜあの人たちは喧嘩しているのだろう、どうして争っているのだろう、という感覚が先に立ちます。
つまり、他国で起きている戦争について日本人が理解できないのは仕方のないことなのだ、と言うこともできます。島国根性と言われればその通りでしょう。
ただし、多くの日本人が他国で起きている戦争を理解できないことのもうひとつの理由として、言葉の定義が曖昧である、というたいへん大きな問題があります。あの人はわかったような、わからないようなことを言う、という感覚を覚えることがあるのは、それは、その人の使う言葉の定義が曖昧だからです。
例えば、戦争に関する報道番組などで「地政学的リスクがある」という言い方が出てきます。そこで、地政学とはどういう意味で使っていますか、という質問を投げかけると、ほとんどの人は言葉に詰まります。
曖昧なまま、ふわっと言葉を使っているだけである場合が多いのです。日々、その場の空気に合わせて、わかったような、わからないような、そんな曖昧な言葉を使っているが日本人なのかもしれません。
言葉の定義が曖昧だから、セルビア人とは何者か、ということがわかりません。したがって、セルビアとコソボの間で何が争われているのかもわからないわけです。
簡単に口にすべきではない多文化共生
わが国はよく海外から宗教音痴、つまり宗教に関する知識と理解がないと言われますが、民族音痴でもあるわけです。ここはやはり、海外の人たちと日本人との違いとしてしっかり認識しておくべきでしょう。
つまり日本人は、民族紛争ないしそこから起こる戦争についての理解度については海外の人たちよりも劣っているのです。だからこそ、日本人は簡単に「多文化共生」という言葉を口にします。
多文化共生とは、総務省の定義によれば、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」です。
わが国には言語境界などなく、日本人は「紛争の火種」などない状況の中で暮らしています。そこで、多文化共生はたやすくできるものと勘違いをしている人がいます。
世界のほとんどの国には、それぞれの国の中に何かしらの境界が存在し、それを原因とした対立で苦労しています。
日本人は自らが置かれている状況を正確に把握して、言語境界のないことは利点でもあり同時にマイナス点でもあることを認識すべきでしょう。
そうした日本の地域性をしっかりと理解するなら、多文化共生といった、いわば世界の普遍性を安易にわが国に持ち込むことはできないはずです。
もちろん、普遍性と地域性の両立を考えることは大事なことではあるでしょう。しかし、最近、世界の普遍性ばかりを絶対的な価値観のように考え、日本の地域性を無視して世界の普遍性を持ってこようとする人たちが非常に多いという印象があります。
わが国は海洋国家です。外国人が歩いてやってくることはできません。わが国はよく、難民受け入れ数が少ないと国内外から批判されますが、経済的に困窮した難民というレベルの人たちが日本列島にやってくること自体、なかなか難しいことであると理解しておくべきです。
中央アメリカにニカラグアという、冷戦時代、アメリカ合衆国とソ連の代理戦争がずっと続いていた国があります。最近、ラテンアメリカでは反アメリカ的な動きがあり、ニカラグアもその例外ではありません。内戦が続き、治安がいいとは決して言えませんから隣の国へとわたる難民の数が多いわけですが、それはやはり陸続きであり、歩いていけるからこそといえます。
難民といわれる人たちは、船あるいは飛行機に乗ってわが国にやってきます。本当に難民なのか、工作員ではないのか、という懸念が生じるのは当然のことです。
かわいそうだから受け入れてあげようという気持ち、感情先行の姿勢は排除しなければいけないでしょう。多文化というものを理解できない人が多文化共生を実行しようとすれば、必ずどこかで破綻します。
日本と同じく島国と呼ばれる国にイギリスがあります。2020年初頭にEUから完全に離脱しました。
EUに加盟していたということは、ヨーロッパという比較的大きな地域において信じられている普遍的な価値観を受け入れていたということです。そして、「大いなる社会実験」を経て、やはりイギリスの地域性に合わないという判断が行われての離脱だったわけです。
日本がおよそ日本人だけでやってきたように、イギリスはほとんどアングロ・サクソンだけでやってきました。そこに、EUの普遍的価値観に則って、例えば大勢のポーランド人を移民として受け入れ、うまくやっていけるかということを考えた時にイギリスは、国民投票において、僅差ではあったものの「無理である」と判断したわけです。イギリスはわが国に先んじて、普遍性と地域性の矛盾に苦しんだ上で、今一度考え直すという経験をした国です。
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電子書籍版/シンクロナス新書『なぜ日本人は戦争音痴なのか』
動画版/『「戦争」と「地理学」は親和性が高い』
シンクロナス編集部
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8月15日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「人種と民族の違いについて説明することができますか
宮路秀作 新刊『なぜ日本人は戦争音痴なのか』より
ロシアによるウクライナへの進攻、イスラエルによるガザ地区への空爆など、ここ数年、世界各地で軍事衝突が起こっている。
こういった紛争の多くには、民族問題が絡んでいる。だが、その本質を日本人はまったくわかっていない。紛争の時代。これからの世界の動きを捉えるうえで民族問題についての理解はかかせない。そのためのヒントが地理学にある。
代々木ゼミナールの人気地理講師である宮路秀作氏が、地理学的な視点から戦争について解説したコンテンツ(書籍『なぜ日本人は戦争音痴なのか』(シンクロナス新書))より、前編・後編の2回にわけてご紹介します。(前編)
出講している代々木ゼミナールでは、開講されている地理のすべての講座を担当、季節講習会ではオリジナル単科講座も開講している。担当する講座は全国の校舎、サテライン予備校に配信され、現代世界の「なぜ?」を解き明かす授業が好評。また高校教員向けに授業法を享受する「教員研修セミナー」の講師も長年勤めている。『経済は地理から学べ!』(ダイヤモンド社)は大ベストセラーとなり、台湾、韓国、中国でも翻訳された。地理学の普及・啓発活動に貢献したと評価され、2017年度日本地理学会賞(社会貢献部門)を受賞。またコラムニストとして、新聞や雑誌、Webメディアなどでの連載、「foomii」にてメルマガを発行、さらにYahoo!ニュースエキスパートのオーサーとしても活動している。YouTubeチャンネル「みやじまんちゃんねる」を開設し、地理学の面白さ、地理教育の重要性を説いている。著書に『現代世界は地理から学べ』(ソシム)、『現代史は地理から学べ』(SBクリエイティブ)、『経済は統計から学べ!』(ダイヤモンド社)、『ニュースがわかる!世界が見える!おもしろすぎる地理』 (大和書房)などがある。
人種を区別するのが難しくなってくる
イスラエルとハマスの軍事衝突は、原則としてユダヤ人とアラブ人との衝突です。ここでいうユダヤ人あるいはアラブ人が、人種を指しているのか民族を指しているのか、つまり人種と民族とは何が違うのかを正しく理解している人はそう多くありません。
人種というのは、そもそもの見た目の分類です。見た目、つまり身体的特徴で分類する人類の集団が人種です。コーカソイドであったり、ネグロイドであったり、モンゴロイドだったりします。
他に、興味深い人種概念のひとつとしてオーストラロイドという人種もあります。見た目は黒人のようなのですが金髪だったりします。
当然ですが、人種による優劣は存在しません。なぜなら人種とは、生活している地域の自然環境に適応した身体的特徴だからです。
日本人はなぜ日本人だと言えるのか
一方、民族とは、文化的特徴で分けた人類の集団です。身体的特徴で分ける人種は先天的なものですが、文化的特徴は生後に身につけるものであり後天的なものです。
ここに1人、目が青くて肌が白く、金髪のアメリカ人がいるとします。父親も母親もアメリカ人なのですが、その人は日本で生まれ育ち、家庭では英語を喋るけれども公の場ではほとんど日本語で生活をしているとします。そして、日本の教育を受け、古文が好きになって、大学で日本の古典文学を学びたい、というような人がいるとすれば、その人はおそらく、すでに日本人です。
そして重要なのは、その人が自分を何者だと思うかということです。
民族には、文化的特徴で客観的に分類されるものももちろんあります。しかし、自分自身が何者なのかという帰属意識、つまりアイデンティティの方がずっと大事です。
同じアイデンティティを持つ人たちが集まって1つの国が形成されているのであれば、大なり小なり国民同士のもめ事はあるにせよ、それが何よりも平和なはずです。ところが世界のほとんどの国で住民構成が複雑です。そしてこれが、日本人が諸外国の住民構成を理解できない要因となっています。
例えば私たち日本人はどうして日本人と呼ばれるかということを考えてみましょう。それは日本に住んでいるからでしょう、また日本国籍を有しているからでしょうと考える場合がやはり多いだろうと思います。
しかし民族という概念で考えた場合、私たちが日本人であるのは日本語を喋るからといえます。
ニュースを見たり聞いたり読んだりしていると、例えば、「セルビア人」といった表記を見つけたとします。「セルビア人」とはどういう意味かと考えた場合、「セルビア国籍を有する人」という解釈をしがちですが、それは正確ではありません。
ここでいう「セルビア人」とは、セルビア語を喋っている人を指しているのであって「セルビア国籍を有する人」がセルビア人であるとは限りません。セルビア国籍を有していたとしても、ではセルビア国籍を有している何人なのか、という話になるのが正しい理解です。
コソボ共和国は2008年にセルビアから独立した国であり、それ以前はセルビアの南部地域にあった自治州でした。
そのため、コソボ共和国の中にもセルビア語話者、つまりセルビア人が暮らしています。つまり、少なくとも、コソボの国籍を持つセルビア人もいれば、セルビアの国籍を持つセルビア人もいるわけです。ちなみにセルビアは、現在に至るまで、その独立を承認していません。
これはつまり、1つの国の中に言語境界が存在しているからこそ起こることです。1つの国の中で違う民族が生活している、というのはこういう状況のことを指します。
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電子書籍版/シンクロナス新書『なぜ日本人は戦争音痴なのか』
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異人種異民族異宗教との共生社会とは、一つの都市が居住区に分かれて住む「ステンドグラス社会」で、性質は「砂」である。
つまり、都市の地名が日本国語の名前ではなく、中国人居住区、韓国人居住区、クルド人居住区、ベトナム人居住区、キリスト教居住区、ユダヤ教居住区、イスラム教居住区として非日本語名で呼ばれる事である。
そこには、天皇への忠誠心も日本国への愛国心もなく、日本への愛着さえない。
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現代の日本人、特に反戦平和で子供達を洗脳しているエセ保守やリベラル左派にほ「戦争の何たるか」が理解できない。
その証拠は、メディアが毎年8月の終戦記念日に冷静さを失って狂乱したかのように騒ぐ「日本人愚か者説」報道にある。
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日本国内に外国人移民(主に中国人移民)が増えれば、日本民族日本人と帰化系日本人は少数派となり渡来系日本人と非民族系日本人は多数派となり、日本国は単一民族国家から多民族国家へと変貌し、歴史上初めて西洋のような多民族宗教文化間対立が日本国内で生まれる。
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