💟2¦─2─「排日移民法」によって日本人に潜在的反米意識が生まれた。絶望する渋沢栄一ら親米派。~No.3No.4 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日ごろ親しくしてくれているのが友・友人で、困っている時に助けてくれるのが親友で、共に戦ってくれるのが戦友で、邪魔をしないのが良い知人であった。
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 アメリカ人は新渡戸稲造の『武士道』を読んで親日派知日派が増えた、はウソである。
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 日本民族の対外史は、先手ではなく後手で、侵略ではなく自衛であった。
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 2021年5月号 Voice「ニッポン新潮流
 歴史論争  渡辺惣樹
 無念の人としての渋沢栄一
 排日移民法の成立
 2024年には日銀券が刷新され1万円札の肖像は渋沢栄一となる(千円札は北里柴三郎、五千円札は津田梅子)。飛鳥山(東京都北区)にある渋沢史料館は、旧渋沢低跡に建つ(1982年開館)。同館の資料によれば、彼の関与した会社は約500,非営利団体は600にのぼる。『栄一の一生が近代日本経済発展と密接不離の関係にある』(渋沢史料館開館経緯)ことは疑いの余地はない。しかし、渋沢の価値は、日米衝突を何とか回避させようとした彼の晩年の行動にあった。
 1924年5月、ワシントン議会は、カリフォルニア州の排日運動に押されて排日移民法を可決した。クーリッジ大統領は日本との関係悪化を憂慮したが、予算を人質にとられて署名した。この顚末(てんまつ)については本コラムでかいた(排日移民法の愚 平成28年2月号)。米国の政府は、大統領と議会が交互におかしくなることがある。幸いなことに同時にどちらもおかしくなることは稀(まれ)だが、この時は議会が狂っていた。
 排日移民法の成立は、日本が前年に起きた関東大震災(1923年)に打ちのめされている時期に重なっただけに、日本国民の米国への反発は激しかった。排日移民法を検討する米国議会に対して、駐米大使埴原正直は同法の非道を訴えた。日本政府も米国政府に厳重抗議した。その正式抗議の日(5月31日)、一人の男が、東京溜池の米国大使館脇で割腹自殺を遂げた。抗議の遺書は、『米国大使ウッヅ氏を通じて米国民に与ふ』と始まっていた。ウッヅ大使さえも同法に抗議し辞任した。
 米国との良好な関係を願う多くの知識人や財界人も排日移民法に落胆した。『なかでも、最悪な事態を避けるべく早くから「太平洋の安定」などを目指して東西奔走してきた渋沢の打ち込みは大きかった』。
 渋沢は、日米実業団の相互訪問(1908年及び09年)を実現させると、日米関係委員会(16年)、日米有志協議会(20年)の設立にも尽力し、両国親善の民間外交の先頭に立っていた。それだけに米国への失望は大きかった。それでも事態の静観はできなかった。渋沢は天保11年(1840年)生まれだから、この時すでに80代の半ばだった。
 無にされた努力 クーリッジ大統領も両国関係の悪化を憂慮し、日本に理解あるエドガー・バンクロフト(シカゴの法律家)を駐日大使に任命した。25年4月16日、バンクロフト大使は伊豆下田を訪れ、日米関係の礎(いしずえ)を築いた初代総領事タウンゼント・ハリスの暮らした玉泉寺(総領事館)を見学した。ハリス顕彰碑建立の企画を受けての訪問だった。歓迎会で大使は次ぎのように語った。
 『私は諸君を友人と呼びたい。本日今夕此の如き盛大なる歓迎と、暖かい友誼に接して私は懐かしさの余り諸君を友人と呼ぶ。1865年、タウンゼント・ハリスは初めて此の下田を訪れた。そして私は70年後の今日同じように下田の地に足を踏み入れたのである』
 『(ハリスは)只管(ひたすら)に人格の光に依って当時の日本人の敵視と猜疑(さいぎ)とを解こうと努めたのである。(中略)私は思う。日本と米国が今日の親密な友誼を結び得たことは、彼れタウンゼント・ハリスの美しい人格の賜物であると(後略)』
 大使は、初代総領事追悼の言葉に、暗雲垂れ込める日米関係改善の願いを仮託(かたく)した。しかしこの夏、避暑で訪れていた軽井沢で急死した(7月27日)。彼の遺体を日本海軽巡洋艦『多摩』がサンフランシスコに運んだ。関係改善を願う日本政府の配慮だった。
 顕彰碑は昭和2年(1927年)10月1日に除幕された。渋沢一行は陸路で下田に入った。米国大使チャールズ・マクベーの一行は、海軍の用意した駆逐艦島風』でやってきた。除幕式にはおよそ100名が出席した。建立プロジェクトの旗振り役を務めた渋沢の祝辞を皮切りに、マクベー大使、徳川家達(日米協会)、田中義一首相(代読)、大倉喜八郎らの祝福の言葉が続いた。
 渋沢が亡くなったのはこの日から4年が経った1931年のことである。この9月、満州事変が起きた。時の米国国務長官ヘンリー・スチムソンは大の日本嫌いだった。渋沢の努力を無にする、より大きな力が日米衝突に向けて動き出していた。
 筆者には、渋沢は日本近代化の父としてではなく、日米関係の悪化を憂(うれ)えて無念のまま亡くなった悲劇の人に思えて仕方がない。」
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移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)
アメリカの排日運動と日米関係 「排日移民法」はなぜ成立したか (朝日選書)
黄禍論 百年の系譜 (講談社選書メチエ)
「排日移民法」と闘った外交官 〔1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直〕
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 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、は全てウソである。
 世界は、金や利益を優先して中国を取り日本を切り捨てる。
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 戦前の日本国、日本民族・日本国民は、祖先から受け継いだ伝統文化・伝統宗教である天皇を中心とした「国體」を護る為に世界を相手にひとり孤独に死闘を繰り返していた。
 日本の、伝統宗教は数万年前の縄文時代に繋がり、伝統文化は数千年前の弥生時代に繋がっている。
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 戦前の日本を絶望的戦争に追い込み大量の犠牲者を出し国土を焦土にして破壊したのは、中国人とソ連中国共産党・日本人共産主義者であった。
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 現代日本人は、マルクス主義的な架空に近い武士道神話と作家の妄想的時代劇が好きだが、事実に基づく民族的な歴史力・伝統力・文化力・宗教力は乏しいか無い。
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 アメリカの、多数派は親中反日派で、親日派は皆無で、知日派は少数派である。
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 上流階級・富裕層は、対中貿易で富を築いた為に親中であり、アジア・中国市場を侵食してくる日本をアメリカの脅威として反日・敵日であった。
 下流階級・貧困層は、増える日本人移民が安い賃金で仕事・職を奪っているとして反日嫌日であった。
 中流階級・中間層は、茶道、華道、浮世絵、歌舞伎、仏像、日本刀など日本民族の伝統的な文化、芸能、芸術、工芸品に興味を持ち、シベリア出兵においてポーランド戦災孤児やロシア人避難学童らを自己犠牲で助けるなど幾つかの「人道貢献・平和貢献」を行っている事に感動し、そして最も古い歴史を持つ皇室を大切に護っている事に魅力を感じ、それらの事から知日が多くいた。
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 反日・敵日の中国は、日本をアメリカで孤立させる為に、アメリカ世論を反日・敵日・嫌日一色に塗り替え、日本人とアメリカ人中流階級・中間層の間を引き裂くべく伝統的離間策を行った。
 中流階級・中間層が敬虔なキリスト教徒である事から、キリスト教会を親中の味方にするべくキリスト教に改宗して多額の金額を寄付し、日曜ミサなどで中国擁護と日本批判の説経をして洗脳していった。
 アメリカ世論を親中反日に誘導すべく、上流階級・富裕層の協力を得て新聞社・雑誌社・出版社そしてラジオ放送局で反日宣伝を強めた。
 宗教的な人種差別主義者や白人至上主義者は、日本人移民や日系アメリカ人への偏見や差別で嫌がらせを繰り返した。
 アフリカ系アメリカ人ユダヤ人等も、白人による敵意や迫害を日本人に振り向ける為に国民的排日運動に参加した。
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 多くのアメリカ・キリスト教会は、反天皇反日である。
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 親中反日派の多くはマルクス主義者で、ナチス・ドイツの協力者であるファシスト中国(中国国民党)・蔣介石よりソ連の指導下にある中国共産党毛沢東を支援していた。
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 当時のアメリカの新聞や雑誌の記事は、日本非難一色で、日本を擁護・弁護する記事はない。
 但し、日本を擁護・弁護する書籍は出版されていたが誰も見向きしなかった。
 それが、歴史の正当性を決める一次史料である。
 その傾向は、現代のアメリカでも変わりはない。
 現代日本のリベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者は、そうした親中反日アメリカの影響を強く受けている。
 これが、日本の歴史戦・情報戦・宣伝戦における百戦百敗の理由である。
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 戦前日本が行った数々の人道貢献や平和貢献は、完全無視され、歴史の闇に葬られている。
 現代日本でさえ、正当に、正しく評価する事を拒絶している。
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 日本天皇、日本国、日本民族は、世界孤児となり、同盟国も味方もなく、国内にも敵を抱え、一人孤独に戦い続けていた。
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 中国人と朝鮮人は、反日・敵日で手を組み、中国・アメリカそして日本で暗躍していた。
 敗戦間際の1945年当時、日本国内には200万人以上の朝鮮人と数万人の中国人が自由に行動していた。
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 朝鮮人は、安心できる友・友人ではなく、信用できる親友でもなく、頼れる戦友でもなく、良い知人でもなく、いつ寝首を掻きに来るか分からない、油断も隙もない、恐ろしい敵であり、悪い知人であった。
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 ソ連・国際共産主義勢力は、世界で共産主義人民革命を起こすべく日本を欧米列強との戦争へと追い込んでいた。
 その戦略とは、白人と非白人との人種対立、キリスト教と非キリスト教との宗教対立、西洋文明と非西洋文明との文明・文化対立、共生・共存・共栄を許さない究極の二者択一を強要する事である。
 その格好の標的が、天皇制度国家日本、日本民族国家日本であった。
 共産主義勢力にとって、黄色人種日本民族、日本神道、日本文明・日本文化は、西欧白人・西洋キリスト教文明と戦争させるには好材料であった。
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 レーニンは、中国共産党日本共産党に日本とアメリカが戦争する様に仕向けるよう追い込み事を命じていた。
 アメリ共産党は、インテリ層の中に賛同者や協力者を増やし、レーニンスターリンの指令に従って行動していた。
 国際的共産主義勢力の暗躍によって、日本とアメリカの関係は悪化し、そして日米戦争は避けられない運命となった。
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 ロシア人共産主義者は、逃げ惑う日本人避難民(主に女性や子供)を大量に虐殺し日本領北方領土4島を不法に強奪した。
 国際法は、ソ連、ロシア人共産主義者の非人道的戦争犯罪を糾弾する事なく黙認している。
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 敬虔なキリスト教徒・キリスト教諸国にとって反キリスト教国日本のキリシタン弾圧、キリスト教徒迫害・虐殺は「悪魔の所業」であり、正義の懲罰戦争を起こすのに十分な大義名分であった。
 事実、欧米列強は、キリスト教僧侶やキリスト教徒が殺された事を理由にして植民地戦争を起こし、占領地では地元住民を奴隷として残虐な非人道行為を行っていた。
 つまり、対日戦争とは、絶対神への隣人愛信仰と絶対神の福音を守り絶対神の恩寵・奇跡に応える「十字軍」戦争であった。
 それ故に、ヒロシマナガサキでの原爆投下実験及び放射能人体実験は正当化され、原爆を実戦で使用したアメリカ・イギリス・カナダ三ヵ国は戦争犯罪で裁判を受ける事はない。
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 日本人共産主義テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に日本民族国家を滅ぼすべく昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、世界中で日本人を奴隷として売り買いして金儲けしていた。
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