〖目次〗貼り付ける記事:日本編。古代、中世。 令和6年8月版。

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 貼り付ける記事:日本編は、天皇神話・民族中心神話及び血筋・血統の家世襲による皇国史観であり愛国心が目的である。

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 邪馬台国卑弥呼ヤマト王権の大王は、先を見据えて積極的外交戦略から中国皇帝の権力・権威を利用して勝利を掴み、敗れた諸王達は目先の戦いの勝利だけに囚われ外交を疎かにしていた。

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 日本列島とは、春夏秋冬、季節に関係なく、広範囲に同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境の中を、家族や知人さえも誰も助けずに身一つ、自分一人で逃げ回って生きてきた、それ故に祖先を神(氏神)とする人神信仰を受け継いで来た。
 日本人は生き残る為に個人主義であり、日本社会は皆で生きていく為に集団主義である。
 日本の宗教・文化・言語は、こうして創られてきた。
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 日本民族人間性である価値観・人格・気質を作り出したのは、人間(他国・異民族・異教徒)の脅威ではなかったし、唯一絶対神(全智全能の創り主)の奇蹟と恩寵ではなく、自然の脅威と恩恵(和食)である。
 つまり、日本人と朝鮮人・中国人は違うのである。
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 MS&ADインターリスク総研株式会社
 コンサルタントコラム
 「津波てんでんこ」を正しく理解しよう~災害に強い組織づくりへの第一歩~
 所属 リスクマネジメント第一部 リスクエンジニアリング第二グループ
 役職名 コンサルタント
 執筆者名 加藤 真由 Mayu Kato
 自然災害
 2023年6月2日
 「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」(岩手県HPより)という津波襲来時の避難に関する三陸地方の言い伝えである。2011年3月に発生した東日本大震災にて、従来から津波防災教育を受けていた岩手県釜石市の小中学生が、この「津波てんでんこ」の教えを実践した。これにより、多くの命が助かった事例は「釜石の奇跡」として大々的にメディアに取り上げられた。その一方で、「津波てんでんこ」は、その注目度の高さ故、言葉がひとり歩きした結果、「自分だけが助かればよい」という意味で誤解され、「利己的で薄情である」と批判された事例も見受けられる。津波被害から身を守り、災害に強い組織づくりをするためにも、まず「津波てんでんこ」という言葉の意味を正しく理解する必要がある。
 京都大学の矢守克也教授は、「津波てんでんこ」は4つの意味・機能を多面的に織り込んだ重層的な用語であることを述べている(2012年)。
 1つ目は、「自助原則の強調」である。「自分の命は自分で守る」という考え方は重要だとされている。しかし、単純に津波避難における「自助」の重要性にとどまるものではなく、自己責任の原則だけを強調するものではないことに注意が必要である。
 2つ目は、「他者避難の促進」である。避難する姿が目撃者にとっての避難のきっかけとなり、結果的に他者の避難行動を促す仕掛けとなる。
 3つ目は、「相互信頼の事前醸成」である。「津波襲来時はお互いに"てんでんこ"する。」という行動を、事前に周囲の他者と約束する。この信頼関係が共有されていれば、「てんでんこ」の有効性が飛躍的に向上する。
 4つ目は、「生存者の自責感の低減」である。被災時には、津波で命を落とした他者に対して自責的感情に苛まれやすい。しかし、事前に他者と「てんでんこ」を約束しておくことで、「亡くなった人も"てんでんこ"した(しようとした)にも関わらず、それも及ばず犠牲になった」と考え、生存者の自責的感情を低減する可能性がある。
 この4つの意味・機能より、「津波てんでんこ」という言葉には、自助だけでなく、共助の重要性を強調する要素が含まれている。加えて、一刻を争う津波避難時の行動原則だけでなく、事前の社会のあり方や事後の人の心の回復等にも大きな意味を持つものである。
 東洋大学の及川康教授は、「津波てんでんこ」という言葉に対する考えを認識度別に調査した。その結果、「津波てんでんこ」に対する真の理解を得るためには、一義的・表面的な原義を提示するのみでは不十分で、適切な解説・解釈がなされる必要があることを示唆した(2017年)。
 「津波てんでんこ」という1つの言葉から学ぶべきことは非常に多い。災害に強い組織を作るためにも、東日本大震災をはじめとした過去の災害を振り返り、1つの言葉をテーマに皆さんで深い議論を重ねてみてはどうだろうか。
 以上
 (2023年5月25日 三友新聞掲載記事を転載)
 古川 崚仁 Ryoto Furukawa
 氏名 加藤 真由 Mayu Kato
 役職 リスクマネジメント第一部 リスクエンジニアリング第二グループ コンサルタント
 専門領域 自然災害リスク/カーボンニュートラル/スポーツ・リスクマネジメント/イベント・リスクマネジメント/施設等(指定管理者)の安全管理
 
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。

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 日本を襲う陰謀論、文化マルクス主義者・リベラル左派の陰謀、中国共産党の陰謀、レーニンの亡霊。
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 ソ連コミンテルンの27年テーズ、32年テーゼ。
 日本国内に潜む、反宗教無神論・反天皇反民族反日マルクス主義エセ保守。

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 理化学研究所などのチームは、現代の日本人約3,200人分のゲノム(全遺伝情報)の分析した結果「日本人の祖先は、縄文人弥生人の2系統ではなく3系統である」事を(2024年)4月17日付で米科学誌に発表した。
 3系統とは、沖縄に多い「縄文系」、関西に多く黄河周辺にいた漢民族に近い「関西系」、東北に多く詳しい由来が分からない「東北系」。

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🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ② 
 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
 お天道様とは、皇室の祖先神である女性神天照大神の事である。
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 日本を支えた支柱は、武力の政治権力、経済力の宗教権威、文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 政治権力と宗教権威は「ウシハク」であり、天皇の御威光は「シラス」と「祓(はらえ)」であった。
 日本の国柄、国體の真髄そして日本民族の本質と価値観は、合理的正当ではなく神話的正統な天皇の御威光である。
 武力の政治権力は、江戸中期までは中国の儒教価値観で、明治以降は西洋の近代価値観であった。
 経済力の宗教権威は、明治まではインドの仏教価値観で、明治以降は西洋のキリスト教価値観であった。
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 日本の伝統統治は、天皇の「シラス」行為と民族の「ウシハク」行為が共存する「君民共治」であった。
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 西田哲学「場所的論理と宗教的世界観」を読む シラス主義とウシハク主義
 浅井進三郎/著
 著作者浅井進三郎/著
 メーカー名/出版社名東京図書出版
 出版年月2020年10月
 ISBNコード978-4-86641-324-2
 (4-86641-324-7)
 頁数・縦310P 19cm
 分類人文/哲学・思想 /哲学・思想一般

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 日本人の平均寿命
 縄文・旧石器時代は15歳前後。
 弥生時代は18~28歳。
 古墳時代は25歳前後。
 飛鳥・奈良時代が28~33歳。
 平安時代は30歳~40歳。。
 室町時代は15歳前後。
 鎌倉時代は24歳。
 安土桃山時代は30歳。
 江戸時代は32~44歳。
 明治時代は44歳前後。
 大正時代は43歳。
 昭和10年は男性46.92 女性49.63。
 戦時中は31歳。
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 人口
 縄文時代は約27万人。
 紀元前2300年から紀元前1000年までの約1000年間で、8万人まで落ち込んだ。
 弥生時代は約60万人。
 奈良時代には500万人。
 平安時代に700万人。
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 約2500年前 縄文時代、寒冷化により狩猟生活をしていた縄文人の食料が減った事が原因で急激な人口減少が起きた。

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 日本民族とは、天皇主義者であり、日本主義者であった。
 中華世界を「敬して遠ざける」「付かず離れず」とする異質な自国中心主義で、中国や朝鮮と同じ道を歩かず、大陸や半島の虐殺と略奪の地獄様な戦乱の影響を完全排除していた。
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 日本民族は、庶民・地方諸王国・外国人移民による「天皇の弑逆(しいぎゃく)」を許さなかったが、天皇に対して暴君となり暴力で暴走させない為に『日本書紀』に第25代武烈天皇を暴君として記して教訓とした。
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 天皇の君民共治は、価値相対主義であり、日本を進化・進歩させ、平和と繁栄に貢献していた。
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 天皇の君民共治は辺境の相互補完共生ムラ的運命共同体で、中国や朝鮮には存在しなかった。
 君とは神聖不可侵にして唯一無二の御一人神聖国家最高権威で、民とは取り替え可能な複数雑多の多数人俗世国家最高権力である。
 俗世国家最高権力とは、政治・軍事・経済そして宗教の欲深い独裁である。
 神聖国家最高権威の最優先事項は、国民を最大最高の宝物と考え、社会的な不安定要因を減少させ、民族を豊かに安全に安心して暮らせるようにする事である。
 神聖国家最高権威の根源的本質的価値観とは、世界と人類をも包み込む八紘一宇の心である。
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 君民共治とは、天皇と庶民の徹底した役割分担による棲み分けであった。
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 神聖国家最高権威は、「過去」の自然・神話・宗教の大義から庶民の独裁を許さない。
 俗世国家最高権力は、「現在」の法度・法律・憲法の正義から天皇の暴君を認めない。
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 神聖国家最高権威とは、中央のヤマト大王、日本天皇=天つ神で、日本を統一した。
 俗世国家最高権力とは、地方の国王=国つ神で、天下を統一した。
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 神聖国家最高権威は、歴史から求められた価値観による不変の宿命である。
 俗世国家最高権力は、時代から求められた価値観による可動の運命であった。
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 天皇の君民共治を支えたのは、言霊文化である和心の和歌(短歌)、艶歌(演歌)、俳句であって、漢魂の漢詩ではなかった。
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 冲方丁「悪意に対抗するための健(すこ)やかな言葉を少しでも多く世の中に残したい。当然のことですが、人びとがいがみ合うのではなく、助け合う社会のほうがいいというメッセージを繰り返し訴え続けるしかありません」

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 儒教易姓革命禅譲放伐)と天命思想(受命思想)を、中国と朝鮮は無条件で受け入れ、日本は換骨奪胎して受け入れた。
 天皇易姓革命と天命思想から守ったのは、伝統文化である、天孫降臨記紀神話古事記日本書紀)と民族の神話物語、庶民物語であった。
 天皇は天命思想を引き受け、庶民は易姓革命を拒否した。
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 天命思想とは有徳、徳治の事で、人徳と陰徳を体現したのは第45代聖武天皇光明皇后であった。
 日本風天命思想は、天皇の御威光、皇道主義である。

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 2023年7月7日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「日本」は必ずしも「ヤマト」ではなかった…じつはあいまいな「国名」の実態 日本文化の核心
 松岡 正剛  
 日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する!
 *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 © 現代ビジネス
 「静かなもの」と「荒々しいもの」
 私は相撲が好きです。ラジオ時代の栃若(栃錦若乃花)のころからずっと見てきました。何がいいかといえば、仕切りまでの「長い静」のあとに軍配が返って「瞬時の動」が激動するのがいい。これは日本です。
 呼び出しが扇を開いて東西の四股名を呼ぶと、力士は土俵に上がって口を漱ぎ、塩をまいて、蹲踞の姿勢で相手と見合う。行司も「見合って」と声をかける。こういう静かな仕切りを何度か繰り返しながら、行司の軍配が返った瞬間に、激しい突き押しが始まり、荒々しい凝縮がおこります。わずか数秒の荒々しさのために、数分、ときには控えから数えると十数分の淡々たるハコビがあるのです。
 ひるがえって、そもそも日本文化には、茶の湯や生け花や地歌舞のようにとても静かなものと、ナマハゲや山伏の修行やダンジリ祭りのように荒々しいものが共存しています。歌舞伎にも「世話物」があるとともに「荒事」がある。『暫』『鳴神』『勧進帳』『助六』などの歌舞伎十八番はすべて荒事です。市川団十郎家のおハコ(御家芸)ですが、上方の坂田藤十郎家のおハコは「和事」です。
 お能には静かで深遠な神能があるとともに、修羅物とか鬼能といわれる激しいものがあり、世阿弥が発明した複式夢幻能では、これらが巧みに配されて途中の「移り舞」のところで切り替わります。象徴的には「神」と「鬼」が互いに入れ替わる瞬間があるのです。「静」と「動」は一対なのです。デュアルなのです。
 私は和事のような静かなものも、荒事のような荒々しいものも、どちらも大好きで、この徹底した二つが併存してきたところが日本文化のいいところだと思っています。
 もちろんどんな国の文化や芸能にもソフトなものがあれば、ハードなものがあります。クラシック音楽やジャズなどでも、ダンスやパフォーマンスでもそうなっています。それはそうなのですが、日本では、この「和」と「荒」との併存が、日本の精神やルーツと深く関係しているのです。
 「和」と「ヤマト」と「日本」
 聖徳太子は「和を以て貴しと為す」(以和為貴)というふうに十七条憲法に書きました。もとは孔子の弟子の有若が「礼の用は和を貴しとなす。先王の道もこれを美となす」と言ったことにもとづきます。
 この「和」は争わないことや調和を保つことで、漢字の「和」という一文字には「やわらか」「なごみ」「むつむ」と意味があります。一方、和風建築や和様書や和式トイレや和算の「和」は日本風という意味です。こちらは日本を「大和」と呼称したところから派生します。大和はヤマトです。この大和という言い方には、すでにして「和」が起動していました。
 それでは、なぜヤマトが日本になり、日本はヤマトなのでしょうか。日本朝廷はなぜヤマト朝廷になったのでしょうか。
 現在の日本の国号はいうまでもなく「日本」です。憲法日本国憲法、政府は日本政府、中央銀行日本銀行、国語は日本語。そんなことはいまさらながらのことのようですが、必ずしもそうとは言えません。戦前までは「大日本帝国」でしたし、徳川時代はあまり「日本国」を名のらず、好んで「秋津島」とか「扶桑の国」と言っていた。
 英語表記は「Japan」です。他国語での呼び方は綴りが少しずつちがいますが、だいたいは似ている。フランス語ではジャポン、ドイツ語ではヤーパン、スペイン語ではハポン、イタリア語ではジャッポーネ、ロシア語ではヤポーニア。いずれも一四世紀初頭のヴェネツィア共和国マルコ・ポーロが中国語で交わされていた“Cipangu”をイタリア語ふうに報告したのをベースに、大航海時代に日本のことをポルトガル語で「ジパング」(Xipangu/Zipang)と発音表記したりしたことにもとづきます。
 中国はいまではジャパンのチャイニーズ読みでジーペンと言っていますが、古代中国では「倭」と名付けていたのです。ちなみに韓国ではニッポンのコリアン読みのイルポンです。このように日本は必ずしもヤマトではなかったのです。
 国号や国名はナショナル・アイデンティティをあらわすと思われているけれど、実はけっこう任意なところがあります。それは各国とて同じです。イギリスとUK、アメリカとUSAみたいなものです。「大和」と「日本」は併存しているのかというと、まあ、そうです。ただしそれが日本国に定着するまでには、それなりの紆余曲折がありました。
 さらに連載記事<じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」>では、「稲・鉄・漢字」という黒船が日本に与えた影響について詳しく語ります。

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 2023年7月4日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「仏教とともに古代中国より伝わった風水が、時を経て日本独自の文化を生んだ「家相・気学」とは?【ヤバい風水】
 仏教とともに古代中国より伝わった風水が、時を経て日本独自の文化を生んだ「家相・気学」とは?【ヤバい風水】
 © ラブすぽ
 「家相・気学」とは日本の家屋、文化、歴史から誕生【ヤバい風水】
 「家相」という日本独自の文化が生まれた
日本では仏教とともに古代中国風水が伝来しました。そして唐の長安をモデルに天武天皇持統天皇は「藤原京」をつくり、時を経て平城京平安京が生まれます。その後、「家相」という日本独自の文化が生まれました。「家相」は中国伝来の風水とは異なり、畳を使った日本独自の家屋、文化、歴史、暮らし、時代に合わせて変化したものです。みなさんが手軽に家の方位を図りたいときは、八方位を見る「家相盤」がおすすめです。
 仏教とともに古代中国より伝わった風水が、時を経て日本独自の文化を生んだ「家相・気学」とは?【ヤバい風水】
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 【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 ヤバい風水』
 著者:愛新覚羅ゆうはん 日本文芸社
 執筆者プロフィール
 開運ライフスタイルアドバイザー (占い・風水)、作家、デザイナー 中国黒龍江省ハルビン生まれ。映画「ラスト・エンペラー」で知られる清朝の皇帝・愛新覚羅一族の流れをくむ。5歳のときに来日し、桑沢デザイン研究所を卒業後、北京大学に留学。帰国後は、アパレル企業の広報宣伝などを経て、幼少期から備わっていた透視能力に加えタロットや占星術なども生かし占い・風水師としても活動。当初鑑定していた医療・教育関係の間で話題となり、15年で延べ2万人以上を鑑定(2019年時点)。文章を書くのが好きで執筆活動にも勤しみ、デザイナーとしてのプロデュース開運アパレルブランド『Ryujyu~龍樹~』や、2021年より陶芸上絵付け作家として『水鏡~MIKKAMI~ 』も手がけるなど、多岐にわたって活動している。
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 仏教とともに古代中国より伝わった風水が、時を経て日本独自の文化を生んだ「家相・気学」とは?【ヤバい風水】
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 占いや風水本によく見られる「現在の住まいでは不可能な対策」や「大移動や大改築を必要とする方位学」など、いずれも現実的にはとても困難な開運術ばかり…。せっかく本を買ったのに、これでは実践できない…そんな悩みや不満の声を多く聞いていた著者の愛新覚羅ゆうはん氏による超実践的且つ身近なリーズナブルなもので開運にチャレンジできる、多くの人にやったほうがイイとおすすめできる開運テクニックを凝縮した一冊。金運、恋愛運、健康運など運別の章立てで、ご自身の求めるところから読める作りとなっており、さらに部屋や場所別で様々な開運テクを紹介することで日常生活にリンクしやすくなっている。そして、書名にある通り、本書は図解(≒イラスト)を多用し、幅広い方の読みやすさを重視し、専門用語を控えた文章となっており、忙しい毎日でも簡単に読める一冊でもある。本書で紹介する内容はどなたでも今日から実践できる開運テクニックとなるため、占いや風水の中上級者の方には物足りなさがあるかもしれないが、本書を見ることで、占いや風水の基本を理解し実践できているかの確認書としてもご活用いただけるかもしれない。

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 日本民族は現実主義者として、空想的虚飾的巧言を弄する啓示宗教や教条的主義主張を敬遠し、本質的な価値観を言霊まで示す自然崇拝と哲学や思想を理解できるように受け入れていた。
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 日本民族は、人としての自分の心情・人の及ばない自然の現象・人の成す物事の事情から目をそらさず、森羅万象の「本質」を見詰め見極め、その根底のさらなる深層に流れている「価値観」を八百万の神と崇め、価値観を世の中で生きる上での原動力として社会を変えながら生きていた。
 根底に流れる価値観とは、過去・現在・未来に途切れる事なく受け継がれて来た命・心・志、精神・気概、自分が死んでも終わる事のない消える事のない「永遠の生命、永劫の魂・霊魂」であった。
 命は死を迎えて終わっても、輪廻転生として、生まれ変わり・生き変わり、蘇る・甦る、魂は残り続け、その源泉・源流は高天原からの神話物語であった。
 神代から人代に続く絆の根底に流れる価値観とは「尊い」であり、多種で多様で多元で雑多で、同調もなければバッシングもなければ、大義も正義もなく、そして差別も偏見も、意地悪もいじめもない、隠し立てしない「ありのまま」、嘘偽りのない「そのまま」であった。
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 日本民族の伝統文化は、その事を忘れない為に伝承・継承されてきた。
 民族文化は、縄文文化を正統に受け継いでいる。
 民族文化の正統性は縄文文化で、縄文文化は日本文化・琉球文化・アイヌ文化に引き継がれている。
 縄文文化は、日本列島に住む日本民族琉球民族アイヌ民族が受け継いだ固有の辺境文化である。
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 歴史的事実として、日本社会の変革は破壊的イノベーションと改善的リノベーションで起きていた。

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 古代日本は、地獄の中華世界・弱肉強食の半島社会の中にあって、倭国(獣国)の自主独立を確立し、倭人(野蛮人)の生存権を護持する為に、ヤマト大王ヤマト王権によって統一されるしか選択肢がなかった。
 もし、日本統一をヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国がしなければ、地方の王・王国が日本を統一した。
 日本が天皇家・皇室の元で統一国家に成れなければ、中世東南アジア世界のような小国家群による無秩序で無法なカオス地帯となったか、朝鮮のような中華帝国奴隷国家に成り下がるか、流刑地・台湾のような汚れた化外の孤島として捨てられるか、何れにしてもそこには現代の日本は存在しない。
 そして、歴史・伝統・文化・神話宗教・自然崇拝を共有する日本民族は生まれなかった。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷による日本統一を望まない日本人が、高学歴のエセ保守・リベラル・革新(進歩)・過激の中に存在する。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷は、大陸の中華帝国と半島の諸王国の軍事侵略から日本を守る為に人工的に作られたムラ的システムである。
 ムラ的システムのコアになっていた価値観は、数万年前の旧石器時代縄文時代に自然発生的に生まれ、数千年前の弥生時代古墳時代天皇と一体化された。
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 反宗教無神論・反天皇反民族反日のリベラル・革新・エセ保守、左派・過激派は、ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国、日本天皇平安京朝廷の価値観による統一国家を否定するが、当時の日本国内や反日敵日の中華世界・朝鮮半島社会など国外の事実に基ずく現実を見据えた国家社会を提示いていない。
 つまり、彼らは超リアルな価値観など見えていない。

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 2023年6月10日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「なぜ秋篠宮家に集中するのか バッシングの核は「思想」より「特権」への感情」
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 2023年6月11日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「宮家なのに“世俗的な上昇志向”に見えた 国民が皇室に求める「無垢」と「高潔」とは〈AERA
   ・   ・   ・   。
 つまり、象徴天皇制における皇室の権威とは、一般社会での権力関係から離れ、国民に寄り添うことによって完成する。・・・その心象に寄り添う姿勢を見せるからこそ、国民は天皇・皇室を象徴として認め、かつ尊敬する。無垢で高潔であるほど、国民はそこにオーセンティシティー(正統性)を見いだすという構図がある」
   ・   ・   ・   
 1980年代以降の現代日本人には、昔の日本人ほどの天皇家・皇室に対する無条件崇敬心はなく、むしろ国民主権で見下している。
 その証拠が、女性・女系天皇即位を支持する国民が80%以上いる事である。

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 皇室と福祉
 三笠宮家の彬子さま「父はよく、『皇族というのは国民の中に自ら入って行って、国民の求めることをするのが仕事だ』と言っておられました」
 三笠宮妃百合子さま、100歳の誕生日「孫や曾孫の成長を楽しみに」

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 日本民族日本人とは、集団主義者であると同時に個人主義者でもあった。
 そして、積極的な根明として陽気によく笑い踊り謡い、同時に消極的な根暗として陰気に泣き鬱ぎ込んでいた。

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 保守には、正統保守とエセ保守があり、両者の違いは、GHQのリベラル派ユダヤ人ニューディーラーと日本人共産主義者によって公職を追放された20万人以上の正統保守と占領政策に協力した敗戦利得であるエセ保守であった。
 リベラル派ユダヤ人ニューディーラーとは、反宗教無神論・反天皇反民族反日本である。

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 日本民族の伝統、文化、宗教・神話、言語、風土・風習・習慣における独自性・特殊性とは、海の外から絶えず伝来・渡来・上陸してくるモノを取捨選択・換骨体奪胎し無毒化・無害化して受け入れ、縄文人が生み出した自然崇拝の原型に組み込んでリノベーションを繰り返してきたバージョンアップ型であった。
 その典型が、日本国語の文字・語彙・記号である。
 受け入れず拒否し排除したのが、宗教の中世キリスト教イデオロギー共産主義であった。
 ちなみに、キリスト教は破壊的イノベーション型であり、ユダヤ教イスラム教そして中華儒教朱子学の中国儒教・朝鮮儒教)は初期モデル型であった。
 受容バージョンアップ型とは、白・黒・灰色の三項鼎立である。
 破壊的イノベーション型とは、イエス・ノウの二項対立である。
 初期モデル型とは、選択肢を一切認めない教祖の一項存立である。
 受容バージョンアップ型は多神教として多種・多様・多元・複数で、破壊的イノベーション型と初期モデル型は一神教として一種・一様・一元・画一であった。
 それ故に、日本神道ユダヤ教は正反対の宗教といえるが、日本神道が「ユダヤ教的要素や儀式・儀礼を取り込んでいる」といっても間違いない。
   ・   ・   ・   
 神を信仰するだけで奇蹟・恩寵・恵みが得られるのは、全知全能の唯一絶対神に対するキリスト教ユダヤ教イスラム教であって、日本神道や日本仏教ではない。
 日本神道を崇拝し日本仏教を信仰して得られるのは、「有」に対する御利益・恩恵であって、「無」に対する奇蹟・恩寵・恵みではない。
   ・   ・   ・   
 日本神道には、信仰する教徒・信者は存在しないし、よって信仰者に対して高額な金銭や高価な宝石・財宝の寄付やお布施はもちろん広大な土地の寄進や寄附も求めない。
 というより、日本の神々には人が当たり前のように欲しがる俗欲・虚飾・虚栄の全てを必要としないからである。

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 古代東アジアには、黄河流域の馬(戦車)の文化、揚子江流域の船(帆掛け船)の文化、日本近海の舟(丸木舟)の文化の3つの文化が存在していた。

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 東アジア世界は内陸の世界・草原の世界・海の世界の3つが共存共生していた。
   ・   ・   ・   
 東アジアには、3つの世界、3つの文化、3つの価値基準、3つの歴史観、3つの歴史風土が存在していた。
 言語・文字・宗教は、さらに数多くが複雑に入り交じっていた。
 1つ目が中国(黄河流域・揚子江流域)・朝鮮・ベトナムなどの農耕内陸で、2つ目が満州・モンゴル・チベットウイグル中央アジアなどの遊牧草原で、3つ目が千島列島・樺太アイヌ・日本天皇国・琉球・台湾・フィリピンなどの漁労海洋である。
  ・  ・  
 乗り物は、農耕内陸は馬車・戦車で、遊牧草原は馬で、漁労海洋は船(帆掛け船)・舟(丸木舟)であった。
  ・  ・  
 西洋やオリエントと繋がる道は、農耕内陸は絹の道で、遊牧草原は草原の道で、漁労海洋は海の道であった。
  ・  ・  
 歴史風土とは、農耕内陸は儒教道教・法家などの諸子百家、遊牧草原はマニ教イスラム教・他、漁労海洋は自然・精霊の崇拝とインド由来仏教であった。
  ・  ・  
 歴史観とは、儒教道教による天帝の内陸史観、マニ教による天の草原史観、神話による神の海洋史観である。
   ・   ・   ・   
 東アジアの大地・海原・天空そして人から生物・有機物や無生物・無機物までの森羅万象の全てに、多種多様の宗教が存在する。
 現代科学風に言えば、東アジアの宗教とは、宇宙に存在する目に見えない暗黒物質ダークマター)と暗黒エネルギー(ダークエネルギー)である。
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 三竦みを個々にまとめて秩序と治安を与え安定させているのは磁石のような儒教中華思想である。 
 その意味で東アジアには、2つの大きな磁石(農耕内陸と遊牧草原)と1つの複合磁石(1つの中規模な磁石{日本}と幾つかの小規模な磁石{琉球アイヌと東南アジア諸国}の寄せ集め)が存在する。
 世界の核となる中華主義中華思想は、一つしか認めないという独裁では間違いで、複数が同時に共存共生するにおいては正しい。
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 農耕内陸には、南船北馬といわれる北の黄河文明と南の長江文明の2つがあった。
 遊牧草原には、馬の草原文明とラクダの砂漠文明の2つがあった。
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 徳川幕府鎖国をする事で、国内に対立・反発する異質な海の世界・内陸の世界・草原の世界を縮小して移植し、混ぜ合わせながら必要なモノは取り入れ必要のないモノは容赦なく切り捨て排除し、安定・落ち着くように改良・改善を繰り返して根付かせた。
 それが、江戸時代、日本の近世であった。
 つまり、日本は見た目は小さな島国であったが、国内には地球規模の世界と数多くの国と地域の要素を内包している。
 それを例えるなら、日本は全てを兼ね備えた「箱庭」である。

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 東アジア大陸には、南の大河川流域にあった黄河文明長江文明、北の寒冷地にあった草原文明、西の乾燥地域にあった砂漠文明の環境条件が異なる4つの文明が存在し、生き残る為に熾烈な攻防戦をくり広げていた。
 「人と道具と文化は動く」という人類史からいうと、動かない黄河文明長江文明は地域文明であり、動く草原文明と砂漠文明は広域文明である。
   ・   ・   ・   
 草原文明(遊牧文明)の1つが遼河文明であった。
   ・   ・   ・   
 陸続きの朝鮮は、4つの文明に含まれている。
 海で隔てられた日本は、4つの文明に含まれていない。

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 日本の価値観には、白(イエス・生)と黒(ノー・死)とその間に灰色(中間)の多元論による三層構造であった。
 世界の価値観は、イエス(白・生・正・善)とノー(黒・死・邪・悪)の二元論による二層構造であった。
   ・   ・   ・   
 日本神道・日本神話とは、狭間・境を神聖視する自然崇拝宗教である。
 隙間・境とは、生と死、平地と山・森林・海、天と地、光と闇、明と暗、そして神と人、人と動植物である。
 人は、地上界、平地・平野で生き働き家族とともに生活している。
 八百万の神々は、天・天界(高天原)、山・森林・海におられる。
 神々の世界・天上界と人間界・地上界を繋ぐ狭間・境には、神社仏閣を建て穢してはならない祈りの場として掃き清めていた。
 狭間・境に立つ事ができる人が、男系の正統天皇御一人であり、女系の正当天皇ではないし皇族でもない自称天皇の紛い物でもなかった。
 狭間・境は、宗教的パワースポットであっても、カルト的神秘ではなく、科学でもなく、イデオロギーや哲学・思想でもなかった。
 にたような神霊スポットは、琉球の御嶽である。
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 世界文明・世界宗教キリスト教ユダヤ教イスラム教なども啓示宗教は「平野と森の対立文化」から発生した為、人は神に祝された命溢れる平野・平地に住み、山・森林・海は神と敵対する悪魔、魔物、獣、犯罪者などが巣くう魔窟であり、神の平野・平地を離れて魔窟がある山・森林・海に少し入った所は魔女・異端者・追放者が潜んでいると信じられていた。
 つまり、自然とは悪魔、魔物、獣、犯罪者が蠢いている魔窟であり、聖なる火で焼き滅ぼすべき汚れた土地であった。
 それ故に、普遍宗教である啓示宗教・都会宗教は自然宗教である田舎宗教・土着宗教を「神の御名」によって滅ぼし、人間文明は生活を邪魔する自然を破壊してきた。
 人類最古の神話とは、半神半人の英雄が森林の守護神(魔物)・大地母神(大蛇)を倒し、森を切り開き、開墾して農地を拡げ、城塞都市を造って王国を打ち立てる物語である。
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 日本民族は、高温多湿で病原菌(悪玉菌)・有益菌(善玉菌)・雑菌(日和見菌)などの細菌が多い自然環境・住環境で生きてきた為に衛生観念が高く片付け上手で綺麗好きであったが、現代日本人の様な神経質で異常な病的潔癖性ではなかった。
 それを言い当てた狂歌が「白河の 清きに魚も棲(す)みかねて もとの濁(にご)りの田沼恋しき」である。
  ・  ・  
 日本の宗教的価値観から生まれた境・隙間、灰色、中庸とは、善・正であれ悪・邪であれ相手を逃げられない所まで追い詰めない為であり、曖昧な所・いい加減な所を残して言い訳可能な状況を残して助ける為であった。
 それが村八分である。
 昔の日本で、絶対価値観による不寛容な異端審問、魔女狩り、異教徒虐殺、人種差別・民族差別・人間差別が起きなかったのはこの為であった。
 善悪・白黒を付けないという多種多様な宗教性から、日本の物の怪・妖怪、幽霊・亡霊、怨霊は世界の悪魔、魔物、獣とは違う。
 つまり、日本には生き返って無差別に無関係な人々を虐殺するゾンビは無意味である。

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 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。 
  ・  ・  
 天皇は、宮中祭祀として、最高神の女神・天照大神と第一代天皇神武天皇の皇祖と第二代天皇以降の歴代天皇の皇宗に対して、正統性の世襲で受け継いできた一子相伝の秘儀で我が身の事よりも「国安から民安から」と数千年前の弥生時代古墳時代から祈られて来られた。
  ・  ・  
 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性世襲男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 ゆえに、日本民族日本人は天皇・皇族・皇室、国體=天皇制度を守る為ならば死を厭わず、武器を取って戦った。

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 天皇のご威光(国體・国柄)、皇道主義、民族主義、神話物語、八紘一宇 vs. マルキシズム共産主義社会主義)、ボルシェビキレーニン主義スターリニズムマオイスト毛沢東主義)、ファシズム、ナチズム。
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 天皇の御威光とは、庶民を「大御宝」と念う天皇の御稜威、大御心である。
 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達が行った、ヒトラースターリンから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を助け保護したのも、差別反対・弱者救済・貧困愛護そして儒教的徳以上の神話的道理(本質的価値観)に命を賭ける天皇の御威光であった。
 日本の国際的信頼性や外交・金融・文化的信用度を、保証できるのは数千年の歴史を持つ正統な天皇の御威光のみである。
 天皇の御威光は「穏やかな祀りと祈り」として、日本国や日本民族だけではなく世界の平和と安寧、人類の幸福と繁栄をも対象とした、それが「八紘一宇」であった。
 歴代天皇の中で、それを深く考え実行したのが昭和天皇であった。
   ・   ・   ・   
 天皇の御威光が誕生したのは7世紀初頭の第33代推古天皇(女帝)御代であり、生んだのは聖徳太子である。

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 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
   ・   ・   ・   
 中国・朝鮮は、公・忠より私・孝を優先する一族・家族中心の宗族主義で、公然と賄賂による不正が蔓延る依怙ひいき、縁故、身びいきである。
 楊逸「王朝時代の中国は、『家国』意識が強かった。漢王朝は『劉家天下』、唐王朝は『李家天下』と、国土と人民も皇帝家の『私有物』という考え方でした。」

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 日本列島では、善人が幸せな人生を送る、悪人が不幸せな人生を送る、はうそである。
 因果応報で、善行を積めばいい事が起き、悪行を働くと悪い事が起きる、はウソである。
 悪人ほど得をし、枕を高くして眠れる。
 
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 人類の誕生と大移動は運命である。
 日本人の祖先はアフリカのサルであるは宿命である。
  ・  ・  
 約258万年前から約1万1700年前 更新世新生代第四紀の前半。
 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 100万前 ホモ・エレクトスが陸伝いに日本列島に歩いてきて住み着いた。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
   ・   ・   ・   
 日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
  ・  ・  
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
  ・  ・  
 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
  ・  ・  
 旧石器人(ヤポネシア人)は、南方系海の民であった。
 縄文人(日本土人)は、森の民であった。
   ・   ・   ・ 
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
  ・  ・  
 日本民族は、旧石器人(南方東南アジア系ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(南方揚子江系渡来人)、古墳人(北方満州帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
  ・  ・  
 アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ人は住んでいる島・地域によって幾つかに枝分かれして、それぞれ他の人種・民族と乱婚を繰り返し混血度を濃くして独自の微妙に違う生活スタイルで生きてきた。
 蝦夷地・北方領土アイヌ樺太アイヌ、千島列島アイヌカムチャツカ半島アイヌ、その他。
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 琉球民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 多種多様な人種、民族との乱婚による混血度・雑種性が、最も濃密なのが日本民族で、次ぎに濃いのが琉球民族で、最も薄いのがアイヌ民族である。
 同一の縄文人から分かれた日本民族琉球民族アイヌ民族の違いは、この「乱婚による混血度・雑種性」の濃度にある。
 例えるなら真珠で、アコヤ貝の体内に取り込まれた砂粒などの異物(日本列島の土人である縄文人)に貝が分泌する独自の炭酸カルシウムでホワイトオパールにも、ブラックオパールにも、偏光色オパールにもなる。
 さしずめ、日本民族は偏光色オパールであり、ホワイトオパール琉球民族であり、ブラックオパールアイヌ民族である。
 そこには、漢族中国人や半島系朝鮮人は含まれていない。

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 民族を分けるのは、集団としての言語・文化・伝統・習慣・風習ではなく、共同体を一つにまとめる宗教であった。
 日本民族をまとめる宗教とは、天皇心神話である。
 天皇への畏敬・敬愛・崇敬そして忠誠が、ある者は日本民族帰化系日本人で、ない者は日本民族ではなく渡来系日本人である。
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 日本民族の、自然崇拝宗教は数万年前の旧石器時代縄文時代まで遡り、女性神天皇神話は数千年前の弥生時代古墳時代に成立していた。
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 インド仏教教祖の釈迦の生没年は、紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。
 ユダヤ教は、紀元前4世頃に発展したと言われている。
 キリスト教は、イエス・キリストが紀元前4年頃から始めた。
 イスラム教教祖のマホメットは、570~632年まで生きていた。
 中華儒教孔子は、紀元前551~同479年に生きていた。
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 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
 極左組織フランクフルト学派の哲学者達は、1930年代後半にアメリカに亡命した。

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 レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党日本共産党など極東アジア共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
 つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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 スターリン日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
 イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
 ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党共産主義者にも同様の文言を送った。
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 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人の共産主義者無政府主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
 そして、キリスト教朝鮮人テロリストも天皇と皇族を惨殺するべく暗躍した。
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 軍事国家日本は、明治から昭和初期まで戦った大陸戦争は領土拡大の帝国主義侵略戦争ではなく、天皇・国・民族、歴史・文化・伝統・宗教を外敵から守る民族主義自衛戦争で、国内に引き込んで撃破する消極的専守防衛ではなく外地の敵軍基地を粉砕する積極的先制防衛であった。

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 昔から、日本にはハーメルンの笛や滅びの笛を吹く教養ある日本人が一定数存在していた。
 が、庶民と言わっる教養が低い大半の日本人は哲学・思想・イデオロギーがなく宗教が理解できない為に深く考える事が苦手で、単純思考から権威ある発言を盲信して、甘い言葉に酔って皆と一緒に我を忘れて踊り狂うという気質があった。
 付和雷同同調圧力が日本人の特徴である。
 世の中を扇動する日本人は、悪人ではなく、自分が発言し行動している情報・発言は間違いない・正しい・真実と信じきっている善人である。
 日本人の不幸は、お人好しすぎて、人を疑う事をしない為に欺されやすく、扇動者の情報・発言は世の為、人の為になると信じ切ってしまう事である。 
 付和雷同同調圧力で見事に踊らされた実例が、ダイオキシン騒動、エイズ・パニック、福島原発事故放射能汚染騒動、コロナ騒ぎなどである。
 現代日本ハーメルンの笛や滅びの笛を吹くのはマスコミ・メディアであり、国民の間に拡散し混乱を引き起こしているのがインターネット情報である。

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 一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教が生まれたのは、自然環境の変化が乏しい砂漠かわずかな水と農作物が作れる牧歌的な狭い土地である。
 水も緑もない荒涼として生物が住まない死の砂漠を旅をすると、突然、眼の前に水が湧くオアシスが現れ、人々が住む町や隊商(キャラバン)が集まる町や都市に行きつく。
 それら全てが、神の御意思、神の思し召し、神の計らいである。
 人は、大自然の中に神を感じ、大自然の偉大さに感動して宗教に目覚めるのではない。
 普遍宗教・啓示宗教・信仰宗教の神とは、唯一絶対の存在であり、万物創造の創り主であり、全知全能で万物を司る御一人であり、生と死を支配し怒りと愛で最後の審判を下す御方であり、父なる神である。
 神が為さる計らいを決して疑ってはいけない。
 自然災害や身の不運は、神に叛いた罪・大罪ゆえの天罰である。
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 日本列島では、一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教は通用しないし、天地創造の創り主たる絶対神による啓示、隣人愛、福音、奇蹟、恩寵も役には立たない。
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 日本神道の神輿・山車の原型は海原を移動する船であって、砂漠の上を輿として移動するユダヤ教の「契約の箱(アーク)」とは違う。

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 日本の歴史には3種類あって、1,日本民族の民話・伝承・寓話・宗教によるローカルな神話物語、2,アフリカを源流とする人類進化・文明発展史、3,記録が残る人間英雄伝説である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類文明史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語・人類文明史・人間英雄伝説の3つを均等に持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は正史で日本を武力統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
 現代日本建国記念日は、天皇神話物語であって人類文明史・人間英雄伝説ではない。
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 デュルケーム「(宗教の役割の一つは)共同体を維持する装置」(『宗教生活の原初形態』)

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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた超エリート層の高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にリベラル左派のマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。

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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話・神話物語、2,人類の文明発展・進化・進歩の物語、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海人、海女})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 少数の高学歴出身の裕福資産家・AI強者 vs. 多数の低学歴出身の貧困労働者・AI弱者。

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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。

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 日本人と言っても、現代の日本人(1980年代以降の日本人)が無宗教、宗教を持っていないといっても、昔の日本民族(1980年代頃までの日本人)は、宗教を持っていた。
 日本民族の宗教とは、高天原神話宗教としての天皇教であり、自然宗教・人神宗教・世間宗教の混合体として多種多様、多元多角、多用に富んだ複雑多岐にわたる啓典(聖典・経典)なき雑多宗教であった。
 日本民族とは、宗教の民であった。
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 日本民族の宗教心とは、「子供(未来)がようなれ、社会(現代)がようなれ、先祖(過去)がうかばれてほしい」その念いを「祈り」に込める事である。
 その宗教的祈りを象徴するのが、日本固有種の山桜であった。
 「山桜を愛でる」とは、民族の、宗教であり、信仰であり、人生観・死生観の本質的価値観であった。
 それは、中国大陸・漢族系中国人や朝鮮半島半島人にはない、日本列島・日本民族だけの特有の「念い」であった。
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 山桜とは、出自や家柄、血筋、身分や地位、階級や階層、そして人種・民族、性別にさえ関係なく、全ての人の為の、差別や偏見なき社会、平等で対等な世間の象徴であった。
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 ウィキペディア
 ヤマザクラ(山桜、学名: Cerasus jamasakura)はバラ科サクラ属の落葉高木のサクラ。日本の固有種で、日本に自生する10もしくは11種あるサクラ属の基本野生種の一つ。便宜的に山地に植生する野生のサクラを総称してヤマザクラ(山桜)ということもあり、品種としてのヤマザクラとの混同に注意が必要である。
 分布・生育地
 日本の固有種である。オオシマザクラと同じく暖温帯に分布する。主に西日本の暖温帯を中心に分布するが、東日本にも自生する。本州、四国、九州に分布がみられ、北限は太平洋側では宮城県日本海側では新潟県である。南限は鹿児島県のトカラ列島
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 BOTANICA
 ヤマザクラ(山桜)とは?どんな種類がある?特徴や見分け方も紹介!
最終更新日: 2020年4月1日
 ヤマザクラ(山桜)とは?どんな種類がある?特徴や見分け方も紹介!
春になると山のあちらこちらにピンク色のヤマザクラ(山桜)が咲きます。日本の桜の原種として昔から親しまれているヤマザクラ(山桜)について、どんな種類があるのか、またその特徴と見分け方について詳しく説明します。またヤマザクラの育て方についてもご紹介します。
 ヤマザクラ(山桜)とは?
 日本人がこよなく愛する桜には、昔から野生として生息していた原種の桜と、この原種を交配して作られた里桜の大きく二つに分けることができます。ヤマザクラは原種の桜の代表格で、奈良の吉野山はこのヤマザクラで有名な観光地になっていますね。ではこのヤマザクラとはどんな植物なのか、詳しくご紹介しましょう。
 ヤマザクラの基本情報
 ヤマザクラバラ科・サクラ属の植物です。原産地は日本、台湾、韓国で、日本では東北以西の本州、四国、九州に分布しています。開花時期は3~4月、白や淡いピンクの花を咲かせます。樹高は10~30mにまで成長して、桜の中では寿命も長く、200~300年も長生きするとされています。またヤマザクラは木材としても多く利用されている植物です。材質が素直で反りも少なく、強度もあるので上質な木材として重宝されています。
 ヤマザクラと日本人の歴史
 ヤマザクラは昔から日本人の生活に深いかかわりを持つ植物で、春になると野山に咲き始めるヤマザクラを穀霊(こくれい)の宿る花と信じてきました。まだ周りの木々が葉を落としている状態の中で、ひときわ目立つ満開の桜は、秋の豊作を告げる予兆だと希望にあふれた気持ちで桜を愛でたのでしょう。また昔は暦がなかったので、山桜の様子を農事の目安として、また作業を開始する合図としていたようです。今でも地方ではヤマザクラのことを、「種まき桜」や「田植え桜」などと呼ぶことがあります。
 ヤマザクラの名所「奈良県吉野山
 奈良県にある吉野山は、有名な桜の名所のひとつです。約1300年前、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)がヤマザクラにご本尊を刻んだことから、御神木とされてきました。それ以来吉野山一帯には祈りを込めて桜が植えられ、今ではシロヤマザクラを中心とした約3万本の桜があります。山の下から上に向かって桜が順番に開花していく様子が美しく、一目で1,000本の桜が見えると言われ、春には全国からたくさんの観光客が訪れます。
 ヤマザクラ花言葉
 あなたに微笑む・純潔・高尚・淡白・美麗
 どの花言葉ヤマザクラの様子をよく表していますね。まだ木々が芽吹く前の寂しい野山に、ぽつりぽつりと咲く桜の花は、「あなたに微笑む」ように美しく見えます。また「純潔、高尚、美麗」は桜の花の印象から、そして「淡白」はあっという間に散ってしまう桜の花の寿命から、このような花言葉になったのでしょう。
 ヤマザクラ(山桜)の種類
 pixabayロゴPhoto byKanenori
 ヤマザクラと共通点の多い原種の桜を「ヤマザクラ群」と呼び、ヤマザクラを含めて4種類の桜があります。これらについて詳しくご紹介するとともに、「ヤマザクラ群」以外の原種の桜4種類についてもご紹介します。
 ヤマザクラ群の種類
 ヤマザクラ(山桜)
 ヤマザクラは日本の野生の桜の代表的な種類で、ヤマザクラを原種として品種改良された桜もたくさんあります。花の色は淡いピンクまたは白で、開花時期は3~4月です。
 オオヤマザクラ(大山桜)
 オオヤマザクラは北海道、本州、四国に分布しています。葉っぱや花がヤマザクラに比べて大きいことからこのように名付けられました。花色が紅色なので「紅山桜(ベニヤマザクラ)」、寒さにも強く北海道に多く自生しているので「蝦夷山桜(エゾヤマザクラ)」とも呼ばれます。開花時期は4月上旬~下旬です。
 カスミザクラ(霞桜)
 カスミザクラは北海道や本州、四国に分布していて、比較的標高の高い山地に多く自生しています。白っぽい色の花が満開になると、辺りに霞がかかったように見えるので、「カスミザクラ」という名前がつきました。葉に短い毛が生えているので、「ケヤマサクラ」という別名もあります。
 オオシマザクラ(大島桜)
 オオシマザクラは大島などの伊豆諸島に分布している桜です。ソメイヨシノはこのオオシマザクラエドヒガンザクラを交配して作られました。白っぽく大きな花からは良い香りがして、丈夫で成長が早いのが特徴です。オオシマザクラの葉っぱは塩漬けにして、桜餅を包む葉として利用されています。

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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
   ・   ・   ・   
 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
   ・   ・   ・   
 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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 日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
 それは、数千年前の弥生時代古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
 日本民族伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
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 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」

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 靖国神社の心・志・精神は、戦前の軍国日本にはあったが、戦後の平和国家日本にはない。
 が、1980年頃まではあったが、1990年以降から消え始め、2020年以降には消滅した。
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 諫山創「人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味がないのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士たちも、無意味だったのか?いや違う‼あの兵士に意味を与えるのは我々だ‼あの勇敢な死者を‼哀れな死者を‼想うことができるのは生者である我々だ‼我々はここで死に、次の生者に意味を託す‼」(『進撃の巨人』)
 同じ自殺行為といっても、カミカゼ特攻とイスラムテロリストの自爆テロとは根本的に意味が違う。
   ・   ・   ・   
 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
   ・   ・   ・   
 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
   ・   ・   ・   
 H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
 人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
 最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
   ・   ・   ・   
 マンガ「アシュラ」 原作 ジュージ秋山
 私は お前に教えられた。
 それは
 命喰らわずして生きられぬ人の性(さが)である。
 海に生まれた命を奪い
 野山に育つ命を奪い
 人は生きて行く。
 罪を背負い
 それでも与えられた命の限りを生きようとあがく。
 だからこそ 
 この世は美しい。
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 石原慎太郎「(靖国神社参拝について)根本を云えば、民族としての〝垂直の情念〟をどう認識するかということなんだ。国の礎として斃(たお)れた死者の存在を抜きにいて今生きている我々の価値観だけで国家民族の命運を決めていいのか。その慮(おもんばか)りと畏怖が今の日本人にはない。
 〝死者の不在〟ということを強く感じるね。今の日本には死者の居場所がない。それぞれの家庭を見ても仏壇なり、神棚なり、壁に掛けた写真でもいい、死者たち、亡くなった両親や祖父母、曾祖父さんや曾祖母さんの占める場所があるかね。核家族が当たり前になって家の中で身内の死を見取ることもない。死は病院の中にしか存在せず、家の中には生者しかいない」
 「靖国参拝は政治じゃないんだよ。参拝は殊更(ことさら)なことじゃないし、褒められる事でもない。ただある少年の日に米軍機を追撃して私を守ってくれた、芋畑で仰ぎ見た戦闘機のパイロットがそこにいるかもしれず、確かなことは女房の親父や多くの親戚が私にとってあそこにいるといことなんだ」

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 スピリチュアル
 パワースポット

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 吉村均「日本人は自然の力を人間の世界の外に排除して、その代償として、決まった日に来てくれたら、歓迎してもてなし、送り返すまつりをおこなう必要があった」『日本人なら知っておきたい日本の伝統文化』
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人に、南方揚子江弥生人(渡来人)、北方満州系古墳人(帰化人)が乱婚を繰り返し混血して生まれた雑種(ハーフ)である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりの事であり、日本の個人主義とは自分の仕事に誇りを持つ事である。
 つまり、日本民族日本人とは集団主義者であると同時に個人主義者でもあった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 世界で起きるM6以上の地震の約20%は日本周辺で発生し、甚大なる被害と夥しい犠牲者が出ていた。
 古神道シャーマニズムは、自然災害の中から生まれた。
   ・   ・   ・   
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
   ・   ・   ・   
 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の旧石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
 それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
 日本民族の美意識は、「わび、さび、簡素」だけではなく、濃くて派手な縄文系、シンプルで慎(つつ)ましい弥生系、統一された形式としての古墳系が複雑に絡んでいる。
 それを、体現しているのが神社のしめ縄である。
 それは、「全てが、控えめにして微妙に混じり合っている」という事である。
 谷崎潤一郎「言い難いところ」(『陰翳礼讃{いんえいらいさん}』)

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 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」

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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 出産で、女性は死亡する事が多かった。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。

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 文明・文化の独立とは、独自の言語と独創的文字を持つ事である。
 それが、バベルの塔における隠れた寓話である。
 人類の文化的多様性はバベルの塔で多種多様な言語が出現した事から始まった。
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 日本人の生後1年以内乳幼児の99.5%近くに蒙古斑が出現する。
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 日本国語の源流は、内モンゴルの西遼河流域言語にあった。
 原日本語は、言語転移によって縄文人言語ではなく西遼河流域言語であった。
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 複数文字を使用する多様性の濃い日本国語は、単一文字使用である漢字の中国語やハングルの韓国語=朝鮮語とは異なる言語である。
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 日本国語で使用する文字で、中国伝来の漢字・漢語は男性で支配階級の特権文字で、漢字を崩して考案された平仮名・カタカナは日本の独自の文字として女性や下層民が使う卑賤文字であった。
 教養ある公家達は、女性が使う平仮名を使って和歌を詠み、紀行文・物語・散文・随筆
などを書いた。
 日本の記述文学は、女性的文学である。
 女性や下層民が使う卑賤文字を日本文字=日本文化までに高めたのは、皇室の和歌詠みと空海の功徳説法であった。
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 カタカナは、蘭学・蘭書など西洋学・西洋書籍が大量に翻訳され、知的好奇心で海外に興味を持った人々が書物を読む事によって広まった。
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 アルファベットは、ラテン文字ヘブライ文字アラビア文字など広く使われている。
 西欧キリスト教文明圏で使われている文字は、ローマ字のラテン文字で紀元前10世紀に成立したフェニキア文字に由来するギリシャ文字が源流となっている。

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 日本人と言っても、血の繋がった日本民族と血の繋がらない日本国民とは違う。
 帰化人は心や志・精神・思いなどで深く繋がっているが、渡来人には如何なる繋がりもない。
 それ故に、日本民族帰化人を友・仲間・身内として受け入れたが、渡来人は他人として差別し排除して遠ざけた。

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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日・知日は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日・敵日・侮日は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国・北朝鮮
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、第32代崇峻天皇を暗殺した。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 794年 第50代桓武天皇長岡京から平安京に遷都とした。平安時代の始まり。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
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 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
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 明治43(1910)年 「韓国併合ニ関スル条約」により日本は大韓帝国を併合して自国の領土とした。
 多くの朝鮮人は反天皇反日で、その中に過激なテロリストが存在していた。  
 貧しい朝鮮半島から豊かな日本列島への朝鮮人による民族大移動。朝鮮人若者は低賃金労働者として日本人労働者からを奪った為に、日本人の反朝鮮人感情が膨らんでいった。
 キリスト教共産主義朝鮮人テロリストは、大正デモクラシー労働争議や小作争議、社会主義運動や部落解放運動、国家主義革新運動などで混乱している日本に潜入してきた。
 大正12(1923)年9月1日 関東大震災
   ・   ・   ・   
 大正13(1924)年1月5日 朝鮮人テロリスト集団の義烈団による二重橋爆弾事件。
   ・   ・   ・   
 昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
   ・   ・   ・   
 昭和7(1932)年1月8日 桜田門事件。上海系朝鮮人テロリストによる昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件。
           1月28日(~5月) 第一次上海事変勃発。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。

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