🔯61」─2─マンチェスターの悲劇。ピータールーの虐殺。1819年。~No.226 

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 イギリスと江戸時代の日本とは違う。
 江戸時代の日本は、西洋に臆する事なく、引けを取る事なく、卑屈になるなる必要はない。
 第120代仁孝天皇:在位1817~1846年。
 第11代徳川家斉:在職1787~1837年。
 文化・文政時代:1804~1830年。
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 百科事典マイペディアの解説
 1819年英国で起こった弾圧事件。選挙法改正を要求してマンチェスターの聖ピーター広場に集まった8万人の大衆を騎馬兵が襲い,多数の死傷者を出した。呼称はウォータールーの戦をもじったもの。
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 世界大百科事典 第2版の解説
 1819年8月16日,イギリスのマンチェスターのセント・ピーター教会前広場に集まった議会改革を要求する群衆が,当局側の弾圧をうけ,多数の死傷者を出した事件。イギリスではナポレオン戦争終結(1815)し,戦時体制から解放されると,産業革命の矛盾が一挙に表面化し,抑えられていた労働者,職人らの不満が噴出して,政治改革・議会改革を要求する運動が高揚した。6万人が参集したこのマンチェスターの大集会は,下層階級による一連の議会改革運動の頂点をなすものであったが,大衆指導者ヘンリー・ハントが議長席に上がってまもなく,市当局が動員した義勇騎兵隊と軽騎兵隊とが群衆に斬り込んでけちらし,死者11名,負傷者400名以上を出した。
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 英国史上最も残忍な民衆虐殺事件! 史実の徹底リサーチで超リアルに再現『ピータールー マンチェスターの悲劇』
2019.08.11
 ライター:BANGER!!! 編集部
 『ピータールー マンチェスターの悲劇』© Amazon Content Services LLC, Film4 a division of Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2018.
ピーター・ルーさんは出てきません! 英マンチェで起こった200年前の悲劇が現代に蘇る
 イングランドマンチェスターといえば、80~90年代にサイケロックが流行って、仲の悪いマユ毛兄弟バンドの地元で、サッカーチームが超強い……みたいなイメージしかないのが正直なところなので、映画『ピータールー マンチェスターの悲劇』というタイトルを見ても、いまいちピンとこなかった。しかし聞けば、なんと200年前のマンチェで起こった悲劇的な事件を扱った史実映画だという。
 本作で描かれるのは、1819年、産業革命真っ只中のマンチェで十数人の死者と100人近い負傷者を出した、通称“ピータールーの悲劇”の顛末だ。「ピーター・ルーおじさんのお話かな?」「いや、フーリガンたちの暴動の話じゃね?」と思ってしまった人もいるかと思うが、恥じる必要はない。なにせマンチェ育ちのマイク・リー監督ですら、この悲劇についてはよく知らなかったというくらいである。だからこそ、200周年を迎える2019年のタイミングで観る/知ることに意義があるのだ。
 香港加油! 選挙権を求めて闘った200年前の英国人と戦前に退行する日本
 1700年代末に始まったナポレオン戦争によって、世界中の植民地を含むヨーロッパ全体がしっちゃかめっちゃかになり、そのまま大不況時代に突入。後に制定された“穀物法”がさらなる貧困をもたらし、飢えた民衆は変革を求めて動きはじめる。しかし、悪法に反対しようにも彼らには選挙権がなかった。そこで選挙権を求める運動が始まり、求心力のある活動家を招いて抗議集会が開かれるようになっていく。その中の一人が、悲劇の舞台となったセント・ピーターズ広場で演説をぶったヘンリー・ハントである。
 先日行われた参院選でも投票率過半数を下回ったが、そんな呆けた国に住んでいると、かつて選挙権のために命をかけた人々に対して申し訳ないような気持ちになってくる。本作に登場する庶民たちの愚痴が、現代のプアワーカーのそれと大差ないという事実にも大いに落ち込むし、優遇される富裕層(&勘違いした無関心層)が多くの低所得層の足を引っ張る構図も全く同じだ。この事件/映画は“現代民主主義の原点”と銘打たれてはいるものの、当時からほとんど進歩していないではないかと暗澹たる気持ちになる。
 そんな本作を観て真っ先に思い浮かべるのは、今まさに香港で起こっている民衆デモだ。日本のテレビ番組こそあまり報道しないが、あのデモは民主主義を脅かされた香港の人々の危機感、そして覚悟の現れである。本作でも、ちょっと人のものを盗んだだけの庶民に治安判事が流刑や死刑を言い渡すのだが、そんな200年前のヒドい状況への危機感を、現代の香港人は中国に対しリアルに肌で感じているからこそ、命をかけて本気で抵抗しているのだ。
 再現度がスゴい! 歴史的な悲劇を再現した壮絶な虐殺シーンに息を呑む
本作では、弁の立つ活動家や庶民の代表が代わる代わる演説をぶち、中盤過ぎまではスピーチ大会のようなテンションなのだが、当時の演説には娯楽という側面もあったのだろう。しかし、その背後には富を支配するごく一部の連中と、暴力で庶民を取り締まろうとする公僕たちが醜く蠢いている。そしてクライマックス、溜めて溜めて発せられたハントの演説は抑え込まれていた民衆を奮い立たせる……よりも前に、悪意のダムを決壊させてしまった。いつの時代も汚れた為政者たちは民意を恐れているのだ。
 義勇軍と騎兵隊による虐殺を再現したシーンは、我々観客も何が何やらのパニック状態に巻き込まれるほどの迫力。こうやってカオスが作り出されて命が虐げられるんだな……という状況がリアルに可視化され、思わず香港デモで市民が暴行される映像が脳裏に蘇り、体中の色んなところが縮み上がった。
 しかし、数百年前から変わらない状況を嘆きつつも、それを変えることができることも我々は知っている。本作が、立場を勘違いした冷笑系の人々にどれだけ響くのかさっぱり分からないが、無気力を奮い立たせる名演説に感化されて、少しだけ投票率が上がったりしないかな……なんて期待してしまう。
 さて、本作はめちゃくちゃ胸クソな終わり方をするのだが、そこは史実なのであしからず。大事なのは、どのように/どこまで描くのか? という部分だし、もちろん見どころは他にもたくさんある。例えば、当たり前のように再現された当時の街並みや立場の異なる人々の衣装、これをしっかりリサーチして用意するのは相当大変だったはず。映像制作に関わっている人でなくとも、「こりゃ大変やで……」と色んな意味でため息が漏れるはずだ。
 『ピータールー マンチェスターの悲劇』は2019年8月9日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国公開」
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 ウィキペディア
 ピータールーの虐殺(英語: The Peterloo Massacre)は1819年8月16日にイングランドマンチェスターのセント・ピーターズ・フィールド(St. Peter's Field)で発生した民衆弾圧事件である。広場で選挙法改正を求めて集会を開いていた群衆に騎兵隊が突入して鎮圧を図り、多数の死傷者が出る惨事となった。ピータールー虐殺事件、マンチェスター虐殺事件とも。
 1815年にナポレオン戦争終結したことでイングランドは記録的な高失業と、夏のない年による飢餓の時代を迎え、穀物法の制定がそれに拍車をかけた。1819年初頭までに劣悪な経済状況が生んだ社会の窮状は、北部イングランドにおける選挙権の欠如の問題と結びついて、民衆が政治的急進主義に傾く動きを強めていた。これに呼応して、議会改革要求を盛んに世に訴えていたマンチェスター愛国連合は著名な急進派の弁士であるヘンリー・ハント率いる大衆集会を決行した。
 集会が始まってまもなく、地元の治安判事たち(magistrates)は軍当局にハントや演壇にいた人物たちを逮捕することと群衆を追い散らすことを命じた。騎兵隊はサーベルを抜いた状態で群衆に突撃し、続く混乱の中で18人が死亡し400〜700人が負傷した。この「虐殺」は4年前に起きたワーテルローの戦い(ウォータールーの戦い)と皮肉な対比を成すものとして広場の名前から「ピータールー」と名付けられることになる。
 歴史家のロバート・プールはピータールーの虐殺を当時の決定的な瞬間の一つであると考えた。同時代にロンドンの新聞や全国紙ではマンチェスター地方の恐怖が広く報じられたが、より直接的な影響のひとつは政府が六法(治安六法)として知られる弾圧立法を制定して改革の動きを押さえ込んだことであり、また今日のガーディアン紙の起源であるマンチェスター・ガーディアンが創刊されるきっかけともなった。しかし一方でその後の議会改革の進展にはほとんど影響を与えなかった。2006年にガーディアンによって行われた調査では、ピータールーの虐殺はイングランド内戦中のパトニー討論に次いで記憶に値するイギリス史上の出来事とみなされた。現在、事件は現場近くの銘板によって記念されている。
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