☭18」─4─第二次世界大戦とウクライナ蜂起軍。ドイツの奴隷。ユダヤ人のバビ・ヤール虐殺。~No.56 ⑭ 

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 バビ・ヤール (ウクライナ語: Бабин Яр, ロシア語: Бабий Яр, 英語: Babi Yar) はウクライナの首都キエフにある峡谷である。キエフの現クレニーウカ、ルキヤーニウカ、およびスィレーツィ地区の接するあたり、聖キリル修道院近くに位置する。
 スィレーツィ強制収容所
 「スィレーツィ強制収容所」および「強制収容所 (ナチス)」も参照
 1941年9月29日から30日にかけて、ナチス・ドイツ親衛隊の特別部隊およびドイツからの部隊、地元の協力者、ウクライナ警察により、3万3771人のユダヤ人市民がこの谷に連行され、殺害された。「バビ・ヤール大虐殺」はホロコーストにおいて1件で最大の犠牲者を出した虐殺と見なされている。9月末の虐殺の後も、数多の市民がバビ・ヤールへ連行され、銃殺された。推計では第二次世界大戦中にナチスによっておよそ10万人がバビ・ヤールで殺害され、その大多数が市民であり、またその多くがユダヤ人であった。
 歴史
 バビ・ヤール渓谷が史料に初めて登場するのは1401年のドミニコ会修道院とある老女(ババ)との商取引の記録である。その後軍の宿営地や墓地などさまざまな目的に使用された。墓地としては少なくとも正教会の墓地とユダヤ人墓地があり、後者は1937年に公式に閉鎖された。
 ナチスの占領
 詳細は「キエフの戦い (1941年)」を参照
 1941年9月19日、45日間に渡るキエフ包囲戦の後、ドイツ軍第29軍団がキエフ市に入城した。キエフの占領は1943年11月6日まで続いた。

 1941年9月29日の虐殺
 アインザッツグルッペの報告書によれば、9月29日と30日の2日間にバビ・ヤールにて3万3771人が機関銃の射撃によって組織的に銃殺された。
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 東京新聞
 ユダヤ人が殺された渓谷に博物館建設へ 被害と加害が絡む歴史
 2020年7月27日 18時36分
 ウクライナに、第2次大戦中にナチス・ドイツによってユダヤ人が銃殺された渓谷「バビ・ヤール」がある。この地で今年、犠牲者を悼むための博物館建設が決まった。ウクライナホロコーストの舞台になる一方、一部の民族主義者がユダヤ人迫害に協力した側面もある。被害と加害が絡む歴史の清算は進むのか。(モスクワ・小柳悠志)
 1941年のバビ・ヤールで撮影されたとされる記録写真。銃殺前にユダヤ人が脱いだ服が散乱する=モスクワのユダヤ博物館で(小柳悠志撮影)
◆「殺された理由は1つ」
 独軍ウクライナキエフを占領すると、虐殺の幕は開けた。ユダヤ人3万人余は出頭を命じられ、郊外のバビ・ヤールで2日間かけて銃殺された。少数民族ロマ、独軍に逆らった市民も同じ運命に。バビ・ヤールの最終的な犠牲者は10万人を超える。
 「ユダヤ人が殺された理由は1つ。ユダヤ人だったから」
 モスクワでユダヤ人迫害の歴史ガイドをするレオニードさん(33)はこう語り、バビ・ヤールで1941年に撮影されたとされる写真を見せてくれた。殺されたユダヤ人の衣服が散乱し、ドイツ人が金目のモノをあさっている。
 ソ連は戦後、バビ・ヤールを「ナチスによってソ連人が殺された場所」とし、主な標的がユダヤ人であったことは伏せた。諸民族から構成されるソ連では、諸民族の団結が優先され、特定の民族の犠牲については触れづらい風潮があった。
 ソ連末期になると全体主義の呪縛が解けて、バビ・ヤールの記憶継承の動きが盛んに。5年ほど前から博物館建設の機運も高まってきた。
 ゼレンスキー大統領は今年1月、訪問先のイスラエルで年内の博物館建設着手を表明。自身もユダヤ系であることを踏まえ、同国のネタニヤフ首相に「ウクライナ国民はホロコーストの悲劇を誰よりも理解している」と伝えた。
ナチスに協力した歴史も…
 ナチス占領期の犠牲を強調するウクライナだが、国外からはナチスに協力した科とがを問う声も上がり始めている。バビ・ヤールの虐殺などに一部のウクライナ人が関わっていたからだ。
 問題視されるのが第2次大戦前に結成されたウクライナ民族主義者組織(OUN)の指導者ステパン・バンデラ(1909~59年)。ウクライナを支配していたソ連ポーランドからの独立を期し、武力闘争を展開した。ユダヤ人を迫害するナチスにも協力し、欧州では極右勢力と目された。
 昨年10月、バビ・ヤールを訪れたゼレンスキー大統領(中央)=ウクライナ大統領府サイトから
 ウクライナでは大戦前、ソ連政府の穀物徴発で大飢饉が起き、ナチスソ連の強権支配からの解放者と期待する向きもあった。ウクライナでは、バンデラを愛国者としてたたえるパレードが10年ほど前から定着。イスラエルポーランドの駐ウクライナ大使はこの1月、「民族浄化を掲げた人間を顕彰するのは許されない」と非難声明を出した。チェコのゼマン大統領もウクライナ人のバンデラ崇拝を糾弾している。
 ただゼレンスキー氏は国内の民族主義者に配慮し、バンデラの歴史的評価を明らかにしていない。ウクライナ政治学者ポグレビンスキー氏は「バビ・ヤールに追悼施設を造る一方で、国内の排外的な国粋主義を放置するのは矛盾している」と辛口な評価を下す。
 <ウクライナユダヤ人> ウクライナでは14世紀以降、ポーランド方面からユダヤ人の移住が進んだ。第2次大戦独ソ戦直前、ウクライナユダヤ系住民は約250万人に達したとされる。ソ連初期の幹部にはユダヤ人がいたことから大戦前から「社会主義革命はユダヤ人の仕業」とのデマも拡散。ソ連支配への反感と相まってウクライナ地域でも反ユダヤ感情が強まった。」
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 明治学院大学
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 コラム
 ウクライナ通信(6)ウクライナとロシアの「微妙な関係」 -戦争の記憶と反ウクライナ主義
 前回のウクライナ通信(5)でご紹介した、現在のウクライナとロシアの「微妙な関係」を裏書きする話を別の機会に聞きました。国立キエフ大学社会学部のゴルバチュク先生と話していた時のことです。私は先生に、「現在のウクライナはまだ貧しいですが、日本もかつてはとても貧しかったのです」と話しました。「とくに、戦後の東京は、焼け野原で、瓦礫しかありませんでした。」すると、先生はすぐに反応して、「第二次世界大戦中、キエフも徹底的に破壊されました。でも、誰が破壊していったかわかりますか?」と、返してきました。「ソビエト軍兵士です。キエフの街の地理的、軍事的重要性を、ナチス・ドイツも知っていましたが、ソビエト共産党もよくわかっていました。それで、ナチス・ドイツに占領されて敵側に有利にならないように、ソビエト軍兵が退却する際に街を破壊し、焼き払ったのです。」これが回答でした。
 キエフ生まれキエフ育ちの先生は、とても悲しげにこの話をしてくれました(写真①)。
 写真①:第二次世界大戦時に、ソビエト軍により破壊されたテルノーピリの町(テルノーピリ地域文化博物館の展示より)。許諾を得て掲載しています。
 ところで、対ロシア関係で、現代ウクライナ国家の独立性を強調する社会的-政治的勢力に関して、「ウクライナ西部を基盤とする地域主義」という見解がある一方、「危険なウクライナ民族主義の台頭」とする見方もあるようです。前者は、ウクライナ西部が歴史的にポーランド領土であった事実やその文化的影響の残存を念頭に置いているようです(写真②③④)。後者の見方は、とくに日本のロシア研究者やウクライナ国内でロシアにつながる政治-社会勢力により強調される傾向があります。
 写真②:ウクライナの西部には、ポーランドオーストリアルーマニアモルドヴァ、ロシアの文化的な影響が、複雑に絡み合って残っています。写真は、南西部チェルニフツィ地域の地域割りと民族構成を示す地図です。この地域は、北ブコヴィナ地域と呼ばれ、ポーランドオーストリアの影響が建築物に残っている他、ルーマニアモルドヴァの民族性と言葉が色濃く残っています。
 写真③:この地図の説明をしてくださったチェルニフツィ大学の先生方です。
 写真④:普段は入れない大学の、地理学部の建物の中で「講義」を受けました。大学の建物は、チェルニフツィの街同様、世界遺産に登録されています。
 そもそも、「ウクライナ民族主義」という言葉が、すぐに「危険な」という形容詞と結びつくことに、ウクライナ内部のまなざしからは違和感があります。ロシア革命以降、「ウクライナ民族主義」は、つねに「危険な社会運動」として監視の対象になってきました。旧ソビエト共産主義体制下では、「(労働者)階級は民族を越える」が、社会革命のテーゼでした。「ウクライナの独立」という観点からすると、このテーゼは、「民族自立を破壊する」反ウクライナ的なテーゼでもありました(写真⑤)。
 写真⑤:スターリンに苦しめられるウクライナを象徴的に描いた絵画(同博物館)。
 「ロシア革命以降」と書きましたが、じつは革命以前から、旧ロシア帝国内でウクライナを低く特別扱いする「蔑称」が存在していました。興味深いのは、ウクライナ東部の親ロシア派武装勢力の指導者が現在、「小ロシア」という旧帝国時代のその蔑称(あるいは政治的呼称)を使用していることです。ロシア革命のテーゼは、この蔑称が意味するものを、別のかたちで引き継いだと言ってもよいかもしれません。
 社会学部教授 岩永真治
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RUSSIA BEYOND
 ドイツの奴隷:ナチスのために働かされた何百万ものソビエト市民
 歴史2019年1月23日オレグ・エゴロフ
 「オスト」(オスト・アルバイター)というバッジを付けている強制労働者の女性たち。
 ナチスは、1940年代前半にソ連を占領したさい、何百万ものウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人を捕らえ、強制労働をさせた。
 大祖国戦争が始まったさい、筆者の曾祖母エヴゲーニア・メチタエワは22歳だった。彼女は赤軍兵士だった夫とともにブレストへ引っ越してきたばかりだった。この街はソビエトとドイツの境界線上にあった。ブレストは最初期にドイツ軍の猛攻を受けた街の一つで、1941年6月22日にドイツ軍が侵攻してきた。
 メチタエワの夫はドイツ軍がブレストを占領した際にドイツ軍に殺害された。他の多くの若い女性や十代の少女と同様に、彼女は強制的にドイツへ連行され、労働収容所で一年を過ごした。その後“幸い”ドイツの農家に送られた。
 そこで彼女は無償で、時に暴力を受けながら働くことを強いられた。彼女が祖国に戻ったのは、ソビエト軍が彼女を解放した後のことだ。2013年に亡くなるまで、曾祖母はドイツ時代のことをほとんど口にしなかった。彼女の経歴は決して珍しいものではない。ニュルンベルク裁判によれば、およそ490万人のソビエト非戦闘員が奴隷として無理やりドイツに連れて行かれた。彼らの運命はどのようなものだったか。
 ナチスの労働力
 ウッチ市付近の労働収容所から解放された、「オスト」(オスト・アルバイター)というバッジを付けている強制労働者の女性たち。
 第二次世界大戦最中の1941年~1942年頃、ナチス・ドイツは深刻な労働力不足に見舞われていた。ほとんどの労働者がドイツ国防軍に仕えていたため経済は困窮していた。打開策は無慈悲なものだった。占領地の人々をドイツの産業や農業に従事させることにしたのだ。
 ソ連から連れて来られた者はオスト・アルバイター(「東方労働者」)と呼ばれ、ドイツ社会の最下層に位置付けられた。こうして彼らは非人道的な待遇に苦しむこととなった。
 列車は西へ
 「私はドイツの家族に住み、とても元気だ」と書いてあるナチスの宣伝ポスター。
 当初、ナチスは占領地の住民をドイツで働かせるため、甘い言葉で呼びかけた。「ウクライナの人々!ドイツでは有益で給料の良い仕事が見つかる。[…]住居を含め、必要なものはすべて与えられる!」と1942年1月の布告では述べられている。効果があったのは数度だけだ。ドイツ軍の検閲を受けていたとはいえ、オスト・アルバイターが故郷に送った手紙からは、彼らが犬より酷い生活を強いられていたことが窺えた。
 鉄道駅でドイツ行きの列車を見送っている女性たち。(宣伝写真)
 そこでナチスプロパガンダに頼らない強硬手段に出た。ウクライナベラルーシ、ロシアの町や村から、主に子供や十代の若者を寄せ集め、ドイツ行の列車に詰め込んだ。
 「彼らは乗せられる限りの人を車両に詰め込んだため、私たちは脚を動かすこともできなかった」とウクライナで捕らえられたアントニナ・セルデュコワさんは回想している。「一ヶ月間、私たちはその状態で移送された。」
 故郷から数千キロメートル離れた場所に住むことを余儀なくされたオスト・アルバイターの運命はくじ引きのようなものだった。冶金工場、鉱山、農園で人手が求められており、彼らがどこに行き着くかは、誰が最も多くの金を支払うかにかかっていた。
 「到着すると、中継点があった。私はそこを奴隷市場と呼んでいた」とウクライナ出身のフョードル・パンチェンコさんは話す。「彼らは一つの集団を一時間で別々の引き取り手へと分配していた。」 200人の集団の中にいたパンチェンコさんは、シレジア(現ポーランド)の製鉄所に行き着いた。
 ルタバガ、金、逃亡
 バラックに住むオスト・アルバイター。1944年。
 冶金工場の労働者は、特に厳しい運命に直面した。短い睡眠時間、重労働、収容所内でのひもじい生活を強いられた。「食事は一日に一度で、それもスープ一杯とニンジン、ルタバガだけだった」とアントニナ・セルデュコワさんはドレスデン近郊の工場での生活を振り返る。
 ルタバガは、ドイツの収容所で生活した人々にとって共通の思い出だ。考え得る中で最も安い野菜。洗われておらず、根や茎が付いたままの状態で労働者に出された。このような条件下では、チフスマラリアの集団感染も珍しくなかった。
 南ドイツの軍需工場でのオスト・アルバイターたち。腕輪を印として付けている。
 工場労働者が給料を得ることもあった。とはいえ、収容所内の売店ではがきや衣類がやっと買える程度だった。「小さなセーターを手に入れるのに、3回分の給料が必要だった。そのセーターも、おそらく処刑されたユダヤ人が身に着けていたものだったのだろう」とセルデュコワさんは話す。
 多くの勇敢な若者、特に男子は、収容所からの脱走を試みた。フョードル・パンチェンコさんもその一人だ。彼は2度逃走し、ドイツ内を転々として一ヶ月間身を潜めて暮らしたが、その後捕まり、激しい体罰を受け、アウシュビッツやマクデブルク近郊の強制収容所に送られた。彼は辛うじて生き延びた。逃亡を試みたオスト・アルバイターの典型的な運命は、捕らえられた後に絶滅収容所に送られることだった。
 「幸運な」者たち
 ドイツの家でメイドとして働いている女性。
 一方で、ドイツでの生活がソビエトの捕虜にとって常に恐ろしいものだったわけではない。「中には地主の下で働いていた者もいた。嘘は言わない。戦争があと4ヶ月続くよう神に祈っていた者までいたのだ」とパンチェンコさんは語る。「家庭で暮らした者にとっては、待遇の良し悪しはすべてその家庭にかかっていた。どの国民にだって、良い人もいれば悪い人もいる。」
 ドイツ人の中には、ソビエトから来た労働者を家族の一員のように厚遇する者もいた。一方で冷酷非道な者もいた。まさにくじ引きに等しかった。「私の主人らは、私に彼らとともにドイツに残るよう頼んだほどだった」と話すのは、シヴェボジン(占領下のポーランド)で使用人として働いたエヴゲーニア・サヴランスカヤさん。「だが私は、ソビエト軍が来るよりも前に『嫌だ』と答えていた。」
 友軍の爆撃とその後
 ヨーロッパ北西部で英国軍がロシアの強制労働者を地下室から解放している。ドイツの警察官が地下室に火をつけた。オスナブリュック、1945年4月7日。
 1945年の勝利は、ソビエトの捕虜たちにとっては厳しい結果をもたらした。ドイツの都市に対する同盟軍の爆撃で命の危機に晒され、生き延びた人々も新たな困難に直面した。NKVD(ソビエト防諜機関)が設置した「濾過施設」で、戦争捕虜も民間人も尋問を受けた。数千人がグラーグに送られることとなった。例えば、レフ・ミシチェンコさんは懲役10年の判決を受け、労働収容所で通訳として働いた。
 故郷に戻った者にとっても、生活は厳しいものだった。ドイツ軍の捕虜となったことは、汚名と見なされた。「同胞らは私たちを蔑んだ」とパンチェンコさんは冷静に振り返る。「まともな仕事に就けず、37年間工場で働いた。何かが破損することがあれば、同僚は決まって私にこう言うのだった。『ああ無理もない。お前はヒトラーの下で働いてたんだからな。』」ドイツにいたことを何十年間も黙っていた人々もいる。キャリアや家庭に汚名の影響が及ぶことを恐れたからだ。
 1980年代後半やソ連崩壊後になって、ようやくオスト・アルバイターが人々の関心を集めるようになった。歴史人権団体「メモリアル」は、ドイツの「記憶・責任・未来」基金と共同で「戦争のあちら側」というウェブ・プロジェクトを立ち上げた。ここでは、ドイツでの捕虜生活を生き延びた大勢の人のインタビューを見ることができる。本記事で紹介した体験談は、このウェブサイトから引用したものである。
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 ウクライナ蜂起軍(ウクライナ語: Українська повстанська армія, УПА;英語: Ukrainian Insurgent Army、UPAとも)は、ウクライナに存在した反体制武装組織。独ソ戦中の1942年10月に結成され、おもに西ウクライナにおいて、赤軍とドイツ軍の双方に対するパルチザンレジスタンス活動を行い、第二次世界大戦終結後もソ連と戦った。
 ソ連とその後継国家であるロシアにおいては「ナチス協力者」「戦争犯罪者」と扱われているが、ウクライナにおいては2014年に名誉回復がなされた。
 概要
 UPAを指揮したロマン・シュヘーヴィチ
 ドイツ軍の暴虐にウクライナ人農民は各地で抵抗していたが、やがて1942年10月、ヴォルイニでウクライナ蜂起軍を結成し、ウクライナ民族主義者組織(OUN)の軍事組織と合体しロマン・シュヘーヴィチが司令官となった。ドイツ軍や赤軍パルチザンと戦い、ポーランドでも活動した。1943年には4万の勢力を有していたが、外国からの援助はほとんど得られなかった。翌年、ドイツが敗走して再びソ連軍がやってくると、対ソゲリラ活動を開始し、西ウクライナのかなりの部分を掌握する。しかし、ベルリン陥落後、ソ連はUPA撲滅に全力を注ぎ、支持層の地域住民の追放、ポーランドチェコスロバキアと共同軍事行動を起こし、ポーランドでは国内のウクライナ人を強制退去させる「ヴィスワ作戦」が行われた。また、農業集団化によって食糧を得にくくなり、戦略ミスによって支持者が離れ、1950年に司令官のシュヘーヴィチが戦死すると活動停止状態になる。数年間にわたって散発的に戦い続けたが、活動を終息した残党は西ヨーロッパ、特に西ドイツや、支援者の移民がいるアメリカ合衆国に逃亡した。
 ウクライナにおける名誉回復
 ウクライナ蜂起軍は、ソ連や後継のロシア連邦歴史認識では「ナチス協力者」「戦争犯罪者」と扱われている。ウクライナは1991年のソビエト連邦の崩壊によって独立を果たしたが、しばらくはソ連時代の歴史認識の影響が強いままだった。
 しかし、2014年マイダン革命により親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、反露派のペトロ・ポロシェンコが大統領に就任した。ボロシェンコ政権(2014年 - 2019年)は、旧ソ連の「残滓」を取り除く政策を数多く行った。そのため、ウクライナ政府の公式史観は大きく転換され[3]、ウクライナ蜂起軍も名誉回復がなされた[1]。ウクライナの祝日「祖国防衛者の日」は、2014年から、ウクライナ蜂起軍の創設日である10月14日に移動した。
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 ウクライナの歴史
 ウクライナ社会主義共和国
 第二次世界大戦
 第二次世界大戦が始まった1939年、ソ連ポーランドに侵攻し、占領した西ウクライナウクライナに組み入れた。その中で一時カルパト・ウクライナの独立が宣言されたが、ドイツは同盟国であるハンガリーへその領土を組み込んだ。1941年以降の独ソ戦赤軍が敗走を続ける中、キエフ包囲戦において、66万人以上のソ連軍兵士が捕虜となった。
 1941年の「解放者」ドイツ軍の歓迎
 武装親衛隊へのウクライナ人の志願者
 ソ連側で戦ったウクライナ人の兵士
 1941年のナチス・ドイツソ連の開戦は、スターリンの恐怖政治におびえていたウクライナ人にとって、一時的に解放への期待が高まることになった。ドイツ軍は当初「解放者」として歓迎された面もあり、ウクライナ人の警察部隊が結成された。独ソ戦では、ウクライナも激戦地となり、500万以上の死者を出した(ソ連の内務人民委員部(NKVD)はウクライナから退却する際に再び大量殺戮を行っている)。
 しかし、彼らの目的であるウクライナの政治的・文化的独立は、ソ連のみならずドイツ側からも弾圧された。かねてより独立活動を行ってきたウクライナ民族主義者組織 (OUN) が1941年6月にウクライナ独立国の独立を宣言した際には、ドイツは武力でこれを押さえ込もうとした。ドイツは、「帝国管区ウクライナ」を設置しナチス親衛隊が直接統治を行うこととした。
 ウクライナ人は「劣等人種」とみなされ数百万の人々が、「東方労働者」としてドイツへ送られて強制労働に従事させられた。またウクライナに住むユダヤ人はすべて絶滅の対象になった。ドイツの占領などによる大戦中の死者の総数は、虐殺されたユダヤ人50万人を含む700万人と推定されている。なお、ユダヤ人虐殺に関しては現地の住民の協力があったことが知られている。人だけでなく、穀物や木材などの物的資源も略奪され、ウクライナは荒廃した。このドイツ軍の暴虐にウクライナ人農民は各地で抵抗し、やがて1942年10月、ウクライナ蜂起軍(UPA)が結成されるに至る。おもに西ウクライナにおいて、テロ活動などでドイツ軍と戦った。UPAが活動を活発化させればさせるほど、ドイツ軍もウクライナ人迫害の手を強めた。
 一方でドイツ軍は、1943年春にスターリングラード攻防戦で決定的な大敗北を喫すると、自らの軍隊に「東方人」を編入させようとして、武装親衛隊(武装SS)にウクライナ人部隊「ガリツィエン師団」を創設した(この時期、武装親衛隊ウクライナ人だけでなく、多数の外国人を採用している)。ウクライナ人たちも、ドイツ支配下ウクライナの待遇が改善されること(自治・独立)を希望し、約8万人のウクライナ人が応募、そのうち1万3千人が採用された。1917年~1921年独立革命の挫折の経験から、ウクライナ人は自分たちに、よく訓練された正規の軍隊が不足しているということを痛感していたのである。彼等はまさに「ウクライナ人」として、スターリンソ連軍と戦う機会を与えられることになった(その一方でユダヤ人虐殺にも荷担した)。ガリツィエン師団以外にも、多くのウクライナ人が「元ソ連軍捕虜」としてドイツ軍に参加している。しかしそれらを圧倒的に上回る数のウクライナ人が「ソ連兵」としてナチス・ドイツと戦い、死んでいった。当時のソ連軍兵士1100万人のうち、4分の1にあたる270万人がウクライナ人であった。
 やがて、ドイツが敗走して再びソ連軍がやってくると、ウクライナ蜂起軍(UPA)は破滅的な運命をたどる。彼等は今度はソ連軍に対するテロ活動を開始し、それだけでなくガリツィア地方のポーランド人、ユダヤ人の大量虐殺を行った。家は次々に焼き討ちにし、ときには虐殺に反対した同朋のウクライナ人をもいっしょに殺害した。このようなUPAのテロ活動は1950年代まで続いた。戦後、ソ連ポーランドチェコスロヴァキアと共同軍事行動をUPAにたいして起こし、ポーランドでは国内のウクライナ人を強制退去させる「ヴィスワ作戦」が行われた。戦後まもなくの東欧は、新しく引きなおされた国境線にしたがって大量の人々が無理やり移住させられる時期だった。ウクライナでも、ポーランドなどから追い出されたウクライナ人が大量に国内へ流入する一方で、多くの国内のポーランド人、ユダヤ人は国外へ強制退去させられ、国内からほとんど姿を消してしまったのだった。
 ウクライナ第二次世界大戦において最も激しい戦場になったとされ、その傷跡は今日にまで各地に残されている。ドイツ空軍機による破壊は文化財にもおよび、多くの歴史的建造物が失われた。ソ連政府は、ウクライナ人への懐柔策として「南方戦線」と呼ばれていたこの地域の戦線を「ウクライナ戦線」と命名し、ウクライナ人を前線へ投入した。
 第二次世界大戦後、ウクライナ社会主義共和国の国境は旧ポーランド領であったハリチナー地方などを併合して西に拡大し、ほとんどのウクライナ人が単一国家の下に統合された。ソビエト連邦内では、ロシアに次いで2番目に重要な共和国となり、「ソ連の穀倉」といわれた。
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☭18」─2─スターリンとウクライナ飢饉。餓死者約600万人。5ヵ年計画と国際金融資本。~No.54 

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 敗者・枢軸国が全てが悪・犯罪者ではなく、勝者・連合国が全て善・正義ではない。
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 ウクライナファシストが、ナチス・ドイツに味方しソ連や連合軍と戦ったのは戦争犯罪ではなく、ナショナリズムにおける正義であり、人として当然にして正当な権利であった。
 が、戦後、ウクライナファシストナショナリストらは、ソ連共産主義政権による軍事裁判で戦争犯罪者として有罪となり、死刑か禁固刑に処せられた。
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 ホロドモール(ウクライナ語: Голодомо́р;ロシア語: Голод на Украине;英語: Holodomor, Famine Genocide)は1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である。
 ウクライナ人たちは強制移住により、家畜や農地を奪われたために400万人から1,450万人が死亡した。また、600万人以上の出生が抑制された。
 この大飢饉が当時のソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。2006年にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した。また、米英など西側諸国においても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしている。
 ホロドモールの主な地域は以下の通り
 ソビエト連邦ウクライナ社会主義ソビエト共和国
 カザフ・ソビエト社会主義共和国
 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクバーニ、ヴォルガ川沿岸地域、南ウラル[要曖昧さ回避]、北シベリアなど
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 飢餓輸出とは、国内で必要な物資の消費を規制し、輸出に回して外貨を獲得すること。最終的には、国内の食糧消費が不足するほどの量を輸出し、飢餓を招く事態に陥ることから名付けられた。
 発生原因
・国家財政が破綻するなど経済情勢が極端に追いつめられた局面で発生する。
宗主国が植民地(国)に対して行う強要。
・外貨獲得のための単一作物の一辺倒な作付けによる、主食となる食糧生産量の減少。
・20世紀、一部の計画経済の国では、国力の限界を超過した重工業化が行われたが、それに必要となる外貨獲得のため、その国の食料需要を無視した食料輸出が頻繁に行われ、発生した。
 実例など
 ロシアでは、ロマノフ朝末期から西欧諸国(特にフランス)への債務返済の目的で、小麦の飢餓輸出をおこなっていた。飢餓輸出はソ連時代になっても、外貨獲得の手段として続行された。ウラジーミル・レーニン市場経済廃絶も兼ね、根こそぎ強制搾取で500万以上の死者を出し、ヨシフ・スターリンによる強引な農業集団化政策の影響で、1932年‐33年にウクライナで大飢饉が発生した際も、スターリンの命令により、引き続きウクライナから大量の小麦が輸出目的で搬出されたことで、飢饉の影響はより深刻かつ凄惨なものとなった。
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 マルクス主義共産主義は、反宗教無神論と都市イデオロギーで、宗教施設を破壊し、都市労働者(第二次産業)の為に地方の農家を犠牲にして農民を餓死に追い込んでいた。
 レーニンは、800万人~1,450万人を餓死させた。
 毛沢東は、700万人~5,000万人を餓死させた。
 日本の天皇・皇室は、農業・水産業林業第一次産業)の神的守護者としてマルクス主義共産主義と敵対した。
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 2021年9月号 WiLL「映画『赤い闇』──ウクライナ飢饉の真相
 共産主義ゆえの悲劇
 歴史的大飢饉『ホロドモール』はなぜ起きたのか
 一億人を殺した共産主義は形を変えて現代に蘇る
 馬渕睦夫 saya
 極限の空腹で人肉までを・・・
 saya 共産主義の恐ろしさを描いた映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(220年)が保守派の間で話題になっています。舞台は1933年、世界大恐慌ソ連。実在した英国人記者ガレス・ジョーンズが、世界恐慌下でソ連の景気だけが絶好調のナゾを解明するべくソ連に赴(おもむ)き、当局の監視をかいくぐりながら隠された真実を明らかにしていくお話です。
 馬渕 当時のソ連は、第一次5ヵ年計画(1928~33)の真っただ中、目的は工業の重工業化と農業の集団化です。農業の集団化では、農作物がよく育つ肥沃(ひよく)の土地、ウクライナが標的になりました。
 saya 映画ではウクライナ人が休む間もなく穀物を運ぶシーンが数回にわたって描かれ、この穀物はすべてモスクワに運ばれていました。なぜ当時の最高指導者のヨシフ・スターリンウクライナ穀物をモスクワに運ばせたのですか。
 馬渕 スターリンウクライナで収穫された穀物を外国に輸出し、5ヵ年計画達成のための資金(外貨)を稼ごうとしたのです。その結果、ウクライナ人が食べる分の穀物までも輸出にまわされ、ウクライナでは飢饉が発生した。これはホロドモール(飢饉による虐殺)とよばれます。
 saya 映画で主人公のジョーンズが食べ物(みかんと穀物)を落とすシーンがありましたが、それを見たウクライナ人がすかさず奪い取ろうとして群がりました。当時のウクライナ人の〝空腹感〟がひしひしと伝わってきて、胸が痛かった。
 馬渕 親が死んで子供だけが残されたケースも多く、食べる物がないウクライナの子どもたちは樹木の皮、さらには家族の……まで食べるような状況でした。映画のなかでも、ジョーンズが子どもたちからもらって食べた肉片が、餓死した彼女たちの……だったことを知って嘔吐するショッキングなシーンがあります。飢餓を経験したことのないいまの日本人には理解できないことですが、極限状態におかれた人間は倫理観がマヒしてしまうわけです。
 餓死が普通の世界
 saya ジョーンズがウクライナに到着して電車を降りたとき、道のいたるとこに餓死者が転がり放置されたままでした。それにもかかわらず、誰も助けようとしない。とても印象的でした。
 馬渕 私はウクライナ大使を務めましたので若干土地勘がありますが、当時はそれが〝普通〟だったんです。ホロドモールによって600万人近くの人が死んだとされ、当時のウクライナ人は『死に対する抵抗感』がなくなっていた。そのため、道端で人が死んでいても驚きもせず、助けようともしない。まさに地獄絵図です。
 saya 大使はソ連で勤務した経験もお持ちです。この映画では当時のホロドモールの様子をそっくりそのまま描かれていますか。
 馬渕 ウクライナの農村風景はうまく描けています。ただ、実際のホロドモールは映画の数倍はひどかった。スターリンは農業集団化によって外貨を稼ぐという表向きの目的だけでなく、ウクライナ人に対する強制的な移住や集団殺人を行った。農業で働く人々は歩くのもやっとの状態で、農業集団化に反対した人は、殺されるか、追放されるか、収容所に強制連行されるかしかなかったのです。
 saya 1932年にはウクライナで国内パスポートが導入され、ウクライナ農民は地域をまたぐ自由な出入りが許されなかったそうですね。
 馬渕 ええ、農地に縛り付けられ、いわば農奴状態でした。ウクライナではホロドモール追悼の日(11月第4土曜日)を設け、毎年政府主催で追悼式典が野外の広場で行われます。ウクライナ大使時代に2回ほど参列しました。極寒の夜(マイナス20℃ほど)にブルブルと震えながら長時間にわたって犠牲者に追悼を捧げる。追悼の場では、当時の状況を劇というかたちで再現しますが、正視できないほど残酷なものです。
 人殺し政権
 saya この映画では当時の国際社会の反応も描かれています。ジョーンズは帰国後、ソ連からの恫喝をはねのけて共産主義の実態を訴えますが、ソ連と内通するピューリッツァー賞を受賞したニューヨーク・タイムズの大物記者・ウォルター・デュランティに『デマだ』と書きたてられ、当初はまったく相手にされません。さらにジョーンズが外交顧問を務めていたロイド・ジョージ元英国首相もソ連の要請を受け、ジョーンズの話を握り潰そうとします。実際にこういう人たちが共産主義の実態を隠蔽していたのですか。
 馬渕 ええ、映画内でデュランティ共産主義者たちの意見を代弁してるように、共産主義は『「階級のない理想社会」の実現のためには、ある程度の犠牲はやむを得ない』と考えます。革命の大義に反対する人を容赦なく殺す。つまり、彼らの一方的な目的のために殺人という手段を正当化した。共産主義政権は『人殺し政権』だったわけです。映画に出てきたように人質を取り、ジャーナリストたちに共産主義の実態を報じないように圧力をかけた。当時は、統制されたソ連情報の下、世界中の多くの人々が『共産主義は素晴らしい』と本気で思っていた時代だったのです。
 『ヒトラー』という洗脳
 saya じつは恥ずかしながら、この映画を観るまではホロドモールのことや、真の共産主義の恐ろしさを知らず、映画を観た後は『この共産主義は現代にも通じている』とゾッとしました。
 馬渕 なにも恥ずかしがることはありません。学校の歴史教科書ではアドルフ・ヒトラーの悪事ばかりを強調するため、共産主義の恐ろしさを学べない。
 saya たしかにそうですね。とくに私は日教組の影響力が強い神奈川県で育ったので授業もかなりリベラルで、その傾向が強かったのかもしれません。
 ……
 馬渕 ヒトラー共産主義の位置づけ、そこが歴史の真実を知るうえで重要な観点です。映画の最初は、ジョーンズが『ヒトラーは悪い』と言ったところから始まり、最後は『スターリンも悪かった』という結論で終わります。いわゆる正統派歴史観の欺瞞を見破るキーワードが『ファシズム』や『ファシスト』であり、『ヒトラーナチスファシスト=人類最大の巨悪』という連想は、一種の洗脳でもあるのです。つまり、ファシズム共産主義よりも悪い体制である、ということを学校で教えることにより、〈共産主義の悪を覆い隠し、資本主義国家アメリカが共産主義国家であるソ連と組んでナチス・ドイツというファシズム国家を打倒した第二次大戦〉が正当化されるわけです。
 saya 学校で習った歴史は一体なんだったんだろう・・・。たしかに学校教育では、民主主義国である米英が共産主義国家であるソ連と手を組んでワケを教えません。
 欧州会議決議の衝撃
 馬渕 歴史の見直しがいま進行中です。EUの欧州会議は『欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶』と題する決議を採択(2019年9月)し、『第二次大戦の直接の原因は、独ソ不可侵条約とその秘密議定書にある』と断定しました。
 saya えっ、そうなんですか。世界史の通説は、ヒトラーポーランドに侵攻したことにより第二次大戦が始まった、というものです。
 馬渕 いえ、違います。秘密議定書の存在は戦後になってからようやく明かされましたが、秘密議定書ではヒトラーポーランド侵攻の一週間前(1939年8月23日)に独ソでポーランドを分割占領することが合意されていました。
 saya これまでの正統派の歴史観がひっくり返ります。
 馬渕 EUの欧州会議の決議によって、ファシズムナチス共産主義を『同等の悪』とみなしたことは、従来の歴史認識を半歩前進させる画期的な出来事でした。完璧な歴史認識のためには、『共産主義ファシズムより悪である』ことを理解する必要があります。何しろ、世界の共産主義者は約1億人を殺害してきたからです。
 ソ連の秘密
 馬渕 戦後、ナチス・ドイツによって行われたホロコースト(大量虐殺)などを裁いたニュルンベルク軍事裁判によって、ヒトラーナチスだけが悪者だと裁かれた。しかし欧州会議決議のように、第二次大戦の原因が独ソ不可侵条約とその秘密議定書にあるとすれば、スターリンも同じように戦犯として裁かれなければいけません。
 saya もしスターリンが裁かれれば、日本の東京裁判も見直す流れも出てきますね。私はシンガーという立場ながら政治的な言論で携わっているのも、元特攻兵の方や保守派の先生の話を聞き、東京裁判史観を疑ってことがはじまりでした。……
 馬渕 おっしゃるとおりです。ただ、日本にはスターリンコミンテルン国際共産主義運動の指導組織)にハメられて戦争が起こったという説があり、これは半分正しいのですが、半分は間違っています。ここが歴史を知るうえで一番大事なポイントになります。
 それは、スターリンの背後に〝誰がいたか〟という議論です。たとえば、通説では5ヵ年計画に必要な外貨は、穀物の輸出によって賄(まかな)われていたとされていますが、穀物の輸出だけではソ連世界大恐慌のなかで生き残ることはできません。ではどうやって資金を調達したのか。それはアメリカの金融資本家=ディープステートがソ連を支援したからです。
 5ヵ年計画の工業化プロジェクトに対し、アメリカのモルガン財閥やロックフェラー財閥などが投資しました。たとえば、電化計画に対してはモルガン系のGE(ゼネラルエレクトリック社)が発電所を100基建設しました。これがソ連の秘密です。それはソ連が誕生したロシア革命が、まさにディープステートが支援したことによって起こったからです。
 saya 大使の本のなかで衝撃を受けたお話しです。ロシア革命は当時ロシアを支配していたロマノフ王朝の圧政に苦しむロシア人が反乱を起こした革命だ、と教わります。
 馬渕 ロシア革命の真実は、自由と平等を獲得しようとしたロシア国民の戦いではなく、ロシア国内でよくあつされていた少数民族であるユダヤ人を帝政から解放することでした。ユダヤ系左派(ディープステートの代理人)が起こした〝ユダヤ革命〟です。
 スターリンVSユダヤ
 馬渕 これはたくさんの資料からもハッキリしており、母親がユダヤ系であるウラジーミル・レーニン以下、主だった革命家はすべてユダヤ人です。
 saya ということは、映画に出てくるスターリンも・・・。
 馬渕 いえ、スターリンユダヤ人ではなくグルジア人です。スターリンまでのソ連の最高指導者はみなユダヤ人でしたが、スターリン以降ソ連崩壊までの指導者はユダヤ人ではない。スターリン政権の特徴はボルシェビッキ古参党員の大粛清に見られるように、ユダヤ人の手から政治権力を取り戻したという側面もあります。ソ連崩壊後のエリツィン政権時代は、急激な民営化を悪用して大富豪にのし上がったユダヤ系の新興財閥(オリガルヒ)が政治の実権を握っていましたが、ウラジーミル・プーチン大統領によって彼らは次々とロシアを追われました。……
 ……
 saya 大使のお話を聞いていると、歴史は一度疑ってみないといけない、と改めて思わされます。たとえば、中国の正体は共産主義を笠に着た『帝国主義』ですが、ある種の『愛国的な民族主義』の側面もふくまれており、スターリンの評価が変化していくのと同様に、習近平の100年後の評価は誰にもわかりません。もちろん習近平は『悪』であり、共産党が支配する中国を許してはいけませんが。
 馬渕 念のためですが、ユダヤ人を大量虐殺したヒトラーやホロドモールをやったスターリンも間違いなく『悪』です。これはいまの言葉でいえば『ジェノサイド』。この映画では触れられていませんが、レーニンのボルシェビッキ政権もロシア人に対する大虐殺を行いました。これもジェノサイドと認定すべきです。
 ディープステートの原点
 ……
 馬渕 ……そしてその学者がもう一つ言わないことがあります。トロッキー世界同時革命論を受け継いだ末裔(まつえい)たちがアメリカに行、その人たちが『ネオコン』と称してディープステートの世界統一戦略外交の先兵になったことです。。
 saya ということは、ディープステートであり、世界同時共産主義革命を目指そうとしていた人ということですね。
 共産主義革命が起こるアメリ
 ……
 日本にも忍び寄る共産主義
 saya いまアメリカで、何が起こっているのですか。
 馬渕 まず、民主党有権者の身元確認を不要とするなど選挙法の改悪を試みて、未来永劫に民主党政権が続くように仕向けています。そして、共産主義を導入するために必要な『既存の秩序の崩壊』のため、シカゴなどの大都市での治安悪化、アンティファやBLM(ブラック・ライブズ・マター)などの過激派の暴動などの『無政府的状態』を故意に放置しています。いや、取り締まれないと言った方が適当かもしれません。
 saya それはバイデン大統領が警察予算の削減を明言したからでしょうね。
 馬渕 それももちろん大きく影響しています。ただやはり、一番は民主党が極端な人種差別(レイシズム)を煽ったこと。それにより、黒人を逮捕することは人種差別だと糾弾されるようになりました。いわゆるポリティカル・コレクトネス(少数者優遇政治)です。
 saya アメリカで起こっている共産主義革命の原因がポリコレにあるとおっしゃられましたが、日本でも『選択的夫婦別姓の導入』や『LGBT理解増進法』を推進する動きがみられるなど、差別を煽っているように思えます。……
 馬渕 ……危惧しなければならないのは、日本で共産主義の本質を自覚せずに左翼リベラルにシンパシーを抱く人が増えたこと。『ポリティカル・コレクトネス』『アイデンティティ・ポリティクス』『キャンセル・カルチャー』など、マルクス主義亜流のフランクフルト学派の批判理論に沿って、社会の分断が着実に進んでいるのです。
 国民の劣化政策
 saya たしかにいま日本の若者は、日本共産党やれいわ新選組などの極左政党にシンパシーを抱いています。それはたぶん、日本の経済状況が30年低迷し、若い世代が終身雇用のように安心できる生活を送れていないことが原因の一つです。ホロドモール下のウクライナのような貧しさはないものの、相対的な貧困感が若者を襲っている。
 馬渕 人間というのは『あなたが不幸なのは社会が悪いから』と言われると、簡単に共産主義の魔力に引っかかってしまいます。ただ、ここまでお話ししてきたように、ソ連共産主義政権の実態を学ぶことは、今日忍び寄る共産主義の脅威に対抗するうえで参考になります。ソ連が1991年に崩壊したことで、以後の世界において共産主義の脅威が消滅したとして、私たちは共産主義に対する警戒感が武装解除されてしまった。現在の私たちは、共産主義、すなわちグローバリズムの脅威に対してまったく無防備な状況にあります。
 実際のところ、ソ連共産主義政権が行った国民の〝劣化政策〟が、現在グローバリズムの口実の下で密かに進行中です。その嚆矢(こうし)となったのが1980年後半から浸透した若い男女の『同棲』です。
 saya 同棲ですか。たしかに私の世代までは、同棲することは『恥ずかしいこと』だという感覚が残っていました。しかしいまの20代の若者は同棲をすることが当たり前になっています。
 馬渕 ……同棲が普及したことにより、結婚や家族の価値が社会的に低下し、その結果として児童虐待死や親殺しなど『家族の崩壊』が社会問題になってきた。
 これはレーニンが『フリーセックス』を出し、女性をいわば国家の所有物化したため、ロシア人が伝統的に重視してきた『家族の絆』を破壊したことと同じです。
 2,000万人の犠牲者のために
 馬渕 このように、共産主義者は最初に家族の絆を破壊しようとします。というのも、共産主義の間違いに気づいたとき、家族がいれば家族のなかで『共産主義はおかしい、騙されてはいけない』と意見を共有することができます。その家族が破壊され個人化されれば、共産主義の〝甘言〟に容赦なく洗脳されてしまいます。
 saya 確かにそうですね。『英霊にありがとう』というお題目だけでは守りたいものも守れないのと同様、『共産主義って恐ろしい』だけでは共産主義を遠ざけることはできません。共産主義の根底にあるものは常に私たち自身に秘めるものであり、それは常に形を変えて蠢(うごめ)いてきます。いまの若い世代は共産主義者たちの手口、そして共産主義の恐ろしさを改めて学ぶ必要がありますね。
 馬渕 『理想社会』といわれたソ連では、2,000万人ともいわれる人たちが革命の犠牲になりました。現代に再び『共産主義理想社会』という間違った考えが蘇ることになるならば、かつて共産主義の犠牲となった人々の霊が浮かばれません。われわれはこれら無辜(むこ)の人々の死を決して無駄にしてはいけない。歴史から学び、忌(いま)まわしい共産主義の復活を阻止することが、幸いにして共産主義の恐怖を免れ、平和を享受している私たちのこれら犠牲者に対する供養にもなると信じます。」
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 20世紀の戦争、第二次世界大戦ヒトラーナチス・ドイツスターリンソ連が始めた戦争である。
 日本が巻き込まれた日中戦争から太平洋戦争は、レーニンが仕組んだ戦争であった。
 共産主義は、平和勢力ではなく、イデオロギーの為に戦争を起こした戦争屋である。
 現・中国共産党は、マルクスレーニンスターリン毛沢東の正統な後継者として虐殺のDNAを受け継いでいる。
 コミンテルンの日本支部日本共産党は「平和の政党として最後まで戦争に反対した」、はウソである。
 軍国日本の戦争は、やむおえない積極的自衛戦争であった。
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 軍国日本が戦争した敵とは、明治時代はロシアであり、大正中期から昭和初期まではソ連コミンテルン中国共産党日本共産党などの国際的共産主義勢力であった。
 つまり、国際的反天皇反民族反日本勢力であった。
 現代残っている反天皇反民族反日共産主義勢力とは、中国共産党(皇帝型共産主義)、北朝鮮(王朝型共産主義)そして日本共産党(リベラル型共産主義)である。
 戦前の革新官僚や統制軍人エリートは、マルクス主義に染まり、ソ連の5ヵ年計画を真似た統制政策を日本で実行しようとし、その為の手段として戦争を起こしていた。
 つまり、日本人軍国主義者とは、天皇主義第一次産業(地方・下層民・下級民)ファシストではなく、マルクス主義に染まった都市部・上級民・富裕民の高学歴な知的エリートや進歩的インテリであった。
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 中国共産党は、巨額のチャイナマネーをアメリカのリベラル勢力に選挙資金・活動資金としてばら撒き、大量の中国人移民をアメリカに送り込んで参政権投票権・立候補権)獲得と役人登用でアメリカ社会に深く食い込んでいる。
 つまり、内部から崩壊させ支配するとい「トロイの木馬」作戦である。
 同様に、中国共産党は、日本国内の親中国派・媚中派アイヌ民族琉球民族そして同和組織・マルクス主義者などの中の過激な反天皇反民族反日本集団に接近している。
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 マルクス主義とは、完全な自由と平等を求め自分を束縛する社会の一切から解放し、私人・個人、孤立・孤独・無縁で生きる事を理想とする究極の「お一人様イデオロギー」であり、そこには国家、民族、古典・伝統、文明・文化、宗教さらには家・家族、親子、兄弟姉妹、男女、夫婦、老人・若者、知人・友人、先祖・子孫、その他、全ての「人のしがらみ」を排除・消滅させ、個として一人で生きる事を理想とする他者否定のイデオロギーである。
 共産主義は、マルクス主義原理主義で、目指す理想社会のキーワードが「分断・断絶・分裂」である。
 共産党は、共産主義大義の為に親兄弟で人民革命に疑問を持つ物の密告を奨励し、共産主義の正義の為に反革命思想に染まった親兄弟を人民裁判でその罪を告発させ、有罪となった反乱分子は公開で処刑した。
 中国共産党は、文化大革命などで子供の密告と告発で有罪となった親を処刑し、その逆のケースもあった。
 共産主義体制とは、「親孝行の為ならば法律を破る」儒教とは正反対で、党規約=党法の為ならば親でも見殺しにする非人間的体制で、共産党支配を維持ある為に党に忠誠を誓う秘密警察が24時間・四六時中監視する非人権体制で、暴力・拷問・死で抑圧弾圧するする非人命・非道徳体制である。
 共産主義の見本が、スターリンソ連毛沢東中国共産党であり、それ以外にはない。
 共産主義国家とは、
 日本のマルクス主義者が理想とするイデオロギー・リーダーは、虐殺者レーニンである。
   ・   ・   ・   
 現代の歴史教育で高得点を取った歴史好きの高学歴の知的エリートや進歩的インテリには、本当の日本史も世界史も理解できない。
 彼らが好んで多くの歴史書を読んでも、しょせん「論語読みの論語知らず」であり、馬の耳に念仏、兎に祭文、牛の経文で「ムダはムダ」なのである。
 何故なら、ウクライナ人がソ連共産主義と連合国のユダヤ系国際資本と戦ったというウクライナナショナリズム及びファシズムが理解できないからである。
 特に、左翼・左派・ネットサハ、反天皇反民族反日的日本人、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者にそれが「ハッキリ」といえる。
 彼らは、総じて反宗教無神論マルクス主義者で靖国神社反対派である。
 中国共産党に忖度する、保守陣営の親中国派・媚中派(新朝貢派)も同様である。
 さらには、右翼・右派・ネットウヨクも所詮は物事の分別がつかない無知蒙昧である。
 そうした日本人は、リベラル派戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代、つまり高学歴な日本を動かしている知的エリートや進歩的インテリである。
   ・   ・   ・   
 靖国神社とは、近代天皇と日本軍部が、世界人類の人権・人命・人道と日本民族の道徳・心・志を平和貢献と人道貢献として旭日旗(日本軍旗)の下で実行した輝かしい象徴である。
 平和貢献と人道貢献の主役は、日本陸軍であった。
   ・   ・   ・   
 戦前の日本共産党は、反宗教無神論と反天皇反民族反日本を掲げ、暴力的人民革命を起こし、天皇制度を廃絶し、天皇とその一族を皆殺しにし、日本を人民独裁のソ連共産主義国家に作り変えようとしていた。
 ソ連コミンテルン中国共産党などの国際的共産主義勢力は、共産主義の正義・大義から日本人共産主義者を支援していた。
 日本人共産主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇と皇族を虐殺する為につけ狙っていた。
 戦前の悪法である治安維持法不敬罪・大逆罪・反逆罪は、そうした共産主義勢力を取り締まる為に制定された。
 現代のマルクス主義は、戦前の共産主義活動を正当であったと追認し、その認識を歴史教科書に反映させている。
   ・   ・   ・   
 マルクス主義とくに共産主義は、反宗教無神論と自然破壊の科学万能主義で、日本では反天皇反民族反日本で、非人間非人道非人権人命軽視の暴力的人民革命イデオロギーであった。
 共産主義は、儒教原理主義朱子学との類似性が強い。
   ・   ・   ・   
 人類史的世界史的に血に飢え残虐な虐殺を繰り返したのは、キリスト教イスラム教の宗教原理主義ではなく共産主義朱子学儒教などのイデオロギー原理主義である。
 共産主義体制とは、労働者の楽園・天国ではなく人民の地獄であった。
 朱子学儒教体制とは、領民の王道楽土ではなく民衆の地獄であった。
 共産主義体制の地獄は、共産主義の正義・大義の掛け声で、ソ連だけではなく中国共産党政府、北朝鮮、東欧など全ての共産主義国家で繰り広げられた。
   ・   ・   ・   
 日本の軍国主義者・民族主義者は、大正期から昭和初期にかけてソ連コミンテルン中国共産党日本共産党といった国際共産主義勢力から日本民族天皇制度国家日本を守る為に積極的自衛戦争を続けていた。
 国際法と国際世論は、軍国日本の戦争を領土拡大目的の侵略戦争と認定し、戦争犯罪と糾弾して戦争を始めた政治家・軍人・官僚を見せしめ的縛り首で殺した。
 反共産主義の軍国日本が国防の脅威と感じたのは、中国国民党孫文が中国武力統一の為にソ連レーニンと手を組み、国際的共産主義勢力の支援を受け、国共合作中国共産党を政府や軍隊に引き入れたからである。
   ・   ・   ・   
 マルクス主義とくに共産主義とは、富の再配分が可能な世界経済膨張・社会拡大隆盛の人口爆発イデオロギーであって、貧困のどん底に転げ落ちる世界経済収縮・社会縮小衰退の人口激減期イデオロギーではない。
 つまり、食い尽くして飛び去る飢えた貪欲・強欲なイナゴ集団の滅ぶの笛である。
   ・   ・   ・   
 国家・国民を支配するのに51%以上の多数派になる必要はなく、3%~5%の少数派で充分である。
 つまり、同調圧力・空気圧に影響されて動く日本(人口約1億2,000万人)を支配するなら3%(約360万人)の同志がいればこと足りる。
 長野中国人騒動事件。在日中国大使館は、中国共産党の命令に従って在日中国人数千人を長野市に動員して、北京オリンピック聖火リレーチベット弾圧に抗議する日本在住チベット人や日本の人権・人道市民団体を襲わせた。
 保守派自民党政権は、中国共産党の御機嫌を損ねる事を怖れ、襲撃する中国人ではなく抵抗するチベット人や日本人を逮捕した。
 親中国派・媚中派のメディア報道機関は、報道しない自由・国民に知らせない権利から、中国のイメージ悪化を恐れて中国人暴動事件を詳しく報道せず闇に消した。
   ・   ・   ・   
 少子高齢化による人口激減を解消する為に、1,000万人外国人移民計画(主に中国人移民)を実行さている。
 現実問題として、移民大国となった日本では中国人移民が増え始めている。
 中国共産党は、中国人移民が多く住み地域に支部が開設し、日本国への忠誠より共産党への忠誠を求め、共産党の支配を強化している。
 中国人移民に日本国籍を取らせ、参政権投票権・立候補権)と地方公務員(役人)・国家公務員(官僚)登用権を獲得する事で、日本国内部に深く根を張らせる。
 それは中国式陣地取り、つまり「碁」である。
 中国人移民を日本に送り込むのは「トロイの木馬」で、日本人支援者の協力を得て日本を中国人が住みやすい環境に内部から改造しようとしている。
 それは、ウイルス感染とウイルス増殖に似ている。
 では、誰が中国共産党と中国人移民・中国人留学生を引き入れたかと言えば、反天皇反日本人のリベラル派戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代、高学歴な知的インテリや進歩的インテリである。
 中国共産党の影響は、日本の最難関優秀大学・教育機関とメディア報道機関に深く根付いている。
 敵の敵は味方、というわけである。
   ・   ・   ・   
 石平「敵の内部に入り込み、次第に乗っ取る浸透工作は中国のお家芸です。周恩来がやったことを思い出してください。
 1924年、コミンテルン共産党の活躍が期待外れあったため、孫文率いる国民党の乗っ取りに乗り出します。コミンテルンは国民党の支援や武器を提供する見返りとして、共産党幹部が共産党員のまま国民党幹部に参画することを受け入れるよう要求。かなり無理な要求ですが、どいしてもコミンテルンの支援が欲しかった孫文はこれを承諾したのです。国民党はコミンテルンの全面支援を受けて、革命本拠地で黄埔(こうほ)軍官学校を創設し、その重要ポストである政治部主任に周恩来が就任しました。
 周恩来はそのポストを利用し、国民党の軍官を共産党の信奉者に転向させ、暴動を起こさせました。これが、1927年のいわつる南昌蜂起(なんしょうほうき)で、この日、8月1日は人民解放軍建軍記念日とされています。
 共産党の浸透工作は、国共内戦の趨勢を決した三大戦役(遼瀋{りょうしん}戦役、淮海(わいかい)戦役、平津{へいしん}戦役)でも活かされています。
 淮海戦役は徐州で2カ月もの間、国共双方が何十万人もの兵士を投入して戦った、いわば天下分け目の関ヶ原の戦い。なぜ、ここで共産党が勝てたかと言えば、国民党軍の最高司令部に周恩来の放ったスパイが十数年前から潜入していたからです。このスパイによって、国民党軍の作戦はすべて共産党に筒抜けでした。
 国民党の最高司令部が立てた作戦計画が、戦地の国民党軍の司令官に伝わる前に、毛沢東は情報を摑んでいたなんて伝説もあるくらいです。
 敵のなかに深く入り込んで徹底的に情報を盗み、策動し、潰すのは中国共産党お家芸なのです。永田町にもそういう人物がいるのではないか、……」
   ・   ・   ・   
 親中国派・媚中派は、現代でも周恩来が日本に仕掛けた巧妙な陰謀・謀略の罠にはまり、毛沢東よりも周恩来を偉大な指導者と崇めている。
   ・   ・   ・   
 独立王国時代のチベットで、政権中枢にいた親中国派・媚中派中国共産党政府との友好関係を築く為に、条約を結び、中国人移民を受け入れた。
 中国共産党は、中国人移民を保護する名目でチベットを侵略し、法王派、反中国派、民族主義、親英派、新インド派、宗教勢力を武力で排除して占領してチベット王国を滅亡させ、チベット宗教を弾圧し、死と暴力の恐怖支配を続けた。
 中国軍は、共産主義による人民解放を大義として200万人以上のチベット人を虐殺した。
 中国人の微笑みには、血に飢えた残忍な真顔が隠れている。
 親中国派・媚中派は、自国の国益や自国民の権利よりも中国共産党の利益を優先している。
   ・   ・   ・   
 一般中国人と中国共産党員・中国軍人・武装警察官・民兵・海民兵・秘密結社構成員・中国人犯罪者・その他は別人である。
   ・   ・   ・   
 ロシア革命は、少数派であるボルシェビキのさらに少数派であるレーニン率いるロシア共産党が勝利して成功した。
 レーニンは、ソ連ロシア共産党を支配する為に少数精兵として党内のレーニン派以外の多数派・反主流派を粛清した。
 スターリンも、独裁支配を完成させる為にライバルのトロッキーレーニン派など1,000万人以上を粛清して独自の少数派を維持した。
 共産主義とは、人民多数派ではなく党少数派、少数派の中の少数精兵のイデオロギーである。
 それは、中国共産党も同様である。
   ・   ・   ・   

☭45」─3─東京パラリンピックとロシア軍による北方領土周辺での射撃訓練。~No.185No.186 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2021年8月25日 産経新聞「<独自>露、北方領土周辺でさらに演習実施 射撃訓練を通告
 衛星から撮影された北海道東部。右下から左へ色丹島歯舞諸島。上中央は国後島、右上は択捉島の一部(Earth Satellite Corporation)
 ロシア政府が不法占拠する北方領土択捉島周辺で、26日から新たに射撃訓練を実施すると日本側に通告したことが25日、日露関係筋の話で分かった。ロシア側は北方領土で大規模な軍事演習を実施すると共に、各島周辺で局地的な訓練も常態化させている。日本政府は実効支配を強める動きとして警戒している。
 政府関係者によると、ロシアは26日から数日間、択捉島で射撃訓練を行うと通告。これを受け、日本政府は外交ルートを通じ「ロシアの北方領土における軍備強化につながるものでわが国の立場と相いれず、受け入れられない」とロシア側に抗議した。
 ロシアは先月、択捉島に隣接する国後島周辺で長期間の射撃訓練を行うと通告し、実施中とみられる。同月26日にはミシュスチン首相が択捉島を訪問するなど、北方領土の実効支配を強化する動きを見せている。
 ロシアは国後、択捉両島に地対空ミサイルシステムを実戦配備しているとされる。2月と6月には、北方領土で先進的な戦闘を想定した大規模演習を行ったと発表。相次ぐ訓練に対し、日本側はそのつど抗議しているが、ロシア側は受け入れる姿勢を見せていない。
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☭45」─2・A─東京五輪。中ロは合同軍事演習で準同盟化。矛先は日米安保、そして北方領土4島。~No.184 

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 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、地政学や戦争学はもちろん平和学さえ理解できない。
 ロシアは、中国共産党政府同様に日本の友好国にはなれない。
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 2021年8月10日14:12 MicrosoftNews 乗りものニュース「中国製“装輪戦車”に乗るロシア兵!? 合同演習で見せた砲弾積載から砲塔操作の様子まで
 © 乗りものニュース 提供 中国の11式105mm装輪突撃車とその前に整列したロシア陸軍の兵士。奥には08式歩兵戦闘車も(画像:ロシア国防省)。
 ロシアにはない105mm口径砲搭載の装輪戦闘車両
 ロシア国防省は2021年8月3日(火)、中国中央部にある寧夏回族自治区(ねいかかいぞくじちく)で行われている合同演習「シブ/インタラクション2021」における様子を公開、そのなかで中国側の各種装備を体験する様子をTwitterツイッター)やFacebookフェイスブック)などの公式SNSで公開しました。
 公開されたのは、11式105mm装輪突撃車や08式歩兵戦闘車などで、特に前者については砲塔内部の様子も披露されています。
 ロシア国防省によると、今回、中国軍と演習を行っているのは東武軍管区の部隊であり、両国は陸上部隊だけでなく、航空部隊についても複数の実践的な訓練を行っているといいます。
 「シブ/インタラクション2021」合同演習は両国から合計1万3000人程度の将兵が参加し、メインフェーズは8月9日から13日までの日程で実施されるとしています。」
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 8月10日16:00 MicrosoftNews JBpress「合同軍事演習で「準同盟化」する中ロ、いずれ矛先は北方領土
 近藤 大介
 © JBpress 提供 2016年9月に広東省沖の南シナ海で中ロ合同軍事演習が行われた。その際にハグし合う両国の海兵隊員(写真:新華社/アフロ)
 © JBpress 提供 『ファクトで読む米中新冷戦とアフター・コロナ』(近藤大介著、講談社現代新書
 8月8日に東京オリンピックが閉幕すると、日本では10日から甲子園の高校野球が始まったが、隣の中国では、9日朝からおどろおどろしい軍事演習が本格的に始まった。中国西部の寧夏(ねいか)回族自治区で、13日まで行われるロシア軍との合同軍事演習「西部連合-2021」である。
 年々規模が大きくなる合同演習
 1979年の中越戦争でベトコンを多数殺戮し、「ベトナムの虎」の異名を取った李作成(Li Zuocheng)中央軍事委員会連合参謀部参謀長が、開始式典で演習開始命令を発令した。
 中国とロシアは、2004年10月に4374kmの国境を完全に画定した。これを祝して、2005年8月18日~25日に、初の合同軍事演習「平和の使命-2005」を行った。この時の中国側の責任者は、梁光烈(Liang Guanglie)総参謀長だった。
 中国がロシアと合同軍事演習をおっぱじめた目的は主に2つあって、1つはスホイ戦闘機など、ロシア製の最新兵器を売ってもらうこと。もう1つは、中ロが組んで、アフガニスタン戦争、イラク戦争とのめり込むアメリカに対抗することだった。
 以後、中ロ合同軍事演習は年を追うごとに規模や内容が拡大、深化していき、今年も特大の合同軍事演習となった。
 7月29日に行った中国国防部の定例記者会見の冒頭で、呉謙(Wu Qian)報道官はこう述べた。
 「今回の演習のテーマは、地域の安全と安定を合同で維持、保護することだ。中ロ両軍で連合指揮センターを設置する。中国は主に西部戦区の部隊が参加し、ロシアは東部軍区の部隊が参加する。双方の兵力は合わせて1万人余りで、多数の航空機、火砲・装甲装備を用いる。混合編隊、合同作戦、混成訓練とし、共同で部隊の連合偵察警備、サイバー攻撃、連合打撃殲滅などの検査実験を行い、能力を高めていく。
 今回の演習の目的は、中ロ新時代の全面的な戦略的パートナーシップ関係を強固にし発展させ、両軍の実務提携と伝統的な友誼を深化させることだ。それによって双方が、テロ組織に対してさらなる打撃を与え、共同で地域の平和と安全を維持・保護する決意と能力を示していくのだ」
 隠せない米国への敵意
 中国がここまでロシアとの合同軍事演習に肩入れする目的は、主に3つある。
 第一に、所期の目的通りアメリカへの対抗である。呉報道官の会見で、一番苛立った顔つきで述べたのが、次の2つのくだりだった。
 「今年に入って、アメリカ軍の中国に対する近距離偵察の活動は、ますます強まっている。アメリカ軍は多くの海洋探査船を南シナ海に展開し、海上および上空で中国に対して近距離偵察を行った回数は、2000回近くに上る。アメリカのこのような行動は、中国の安全という国益を損害し、南シナ海の行動の自由に脅威を与え、南シナ海の『軍事化』を加速させ、地域の平和と安定を破壊するもので、われわれは固く反対する」
 「アメリカはインターネット空間の軍事化を余すところなく推進しており、サイバー攻撃能力を大きく発展させている。ウィキリークス創始者アサンジ氏が暴露したところによれば、アメリカが開発したサイバー兵器は2000種類以上に及び、世界最大のサイバー兵器大国だ」
 このように、アメリカへの怒りを炸裂させたのだった。
 すべては「台湾統一」のために
 前述の2004年のロシアとの国境画定は、中国側が多少譲歩したものだった。それでも中国がロシアとの国境画定を急いだのは、ロシア側に張り付いている陸軍を減らし、台湾統一のために必要な海空軍を増強させたいためだった。
 習近平政権に入って、南シナ海で7つもの人工島を造成したのも、台湾統一のためには南シナ海の支配が必要不可欠と判断したことが大きかった。昨今、活発化させているサイバー攻撃も、やはり台湾統一のための最大の障害となっているアメリカ軍を、中国近海から駆逐する意味合いがある。
 第二に、新疆ウイグル問題である。今世紀初頭にロシアは、チェチェンイスラム勢力を完全に制圧してウラジーミル・プーチン長期政権が築かれた。同様に中国も、新疆ウイグル自治区イスラム勢力を完全に制圧して、習近平長期政権を築こうとしている。新疆ウイグル自治区で演習を行うとあまりに露骨なので、同じ「イスラム圏」である寧夏回族自治区にしたのかもしれない。
 第三は、アフガニスタン問題だ。周知のように、アメリカのジョー・バイデン大統領は、9月11日までにアメリカ軍をアフガニスタンから完全撤退させると宣言している。アメリカ軍が撤退した後のアフガニスタンは、イスラム急進派勢力のタリバンが支配するのは確実だ。そこでウイグルチェチェンを有する中国とロシアは、タリバンと中ロのイスラム独立勢力が組まないよう、軍事的な威嚇を見せたというわけだ。
 日本も対岸の火事ではない
 この「中ロ準同盟」とも言える合同軍事演習は、一見すると日本とは無関係のようだが、日本が「次はわが身」となるリスクを秘めていることを忘れてはならない。それは、「中ロ準同盟」の次の矛先が、北方領土に向かう可能性があるからだ。
 プーチン大統領は、安倍晋三前首相と26回も会談し、北方領土の返還問題に手を付けないで、北方領土の経済を日本と共同で発展させようとした。だがそれは絵に描いた餅だと悟り、昨年7月に憲法を改正。北方領土問題を完全に封印してしまった。
 日本側も、昨年9月に安倍政権から菅義偉政権に代わった。だが、残念ながら現在まで、菅外交など無きに等しい。
 そんな中、7月26日にミハイル・ミシュスティン首相が択捉島を電撃訪問し、北方領土経済特区構想をブチ上げたのだ。これは、中国が進めている海南島経済特区を模倣しようとしているように見受けられる。
 そもそもロシアは、自力で北方領土経済を発展させられないから日本を頼ったわけで、日本がダメなら中国を頼るのは、自然な流れだ。中国でも、「国後ナマコ」は中華料理の最高級食材の1つで、これまでも北方領土に熱い視線を送ってきた。
 6月28日、習近平主席とプーチン大統領が、オンラインの首脳会談を開き、7月に締結20周年を迎えた中ロ善隣友好協力条約を延長することで合意した。この会談で、「北方領土問題」も話し合われたかもしれない。
 安倍前首相の台湾訪問を中国は警戒
 この先、中国側は2つの局面で、「北方領土カード」を切ってくる可能性がある。1つは、年内に開かれる予定の今年2回目の「日米2+2」で、日本国内にアメリカ製の中距離ミサイルを配備する問題が進展した場合だ。これは中国とロシアが、ともに大いに警戒している。
 もう1つは、安倍前首相が秋の総選挙後に、台湾訪問を敢行した場合である。安倍前首相の台湾訪問は、たびたび取り沙汰されているが、中国は強硬に反対している。
 そもそも安倍前首相があれほどロシアとの友好親善に熱心だったのは、中国を牽制する目的が大きかった。それが自らの台湾訪問で中国を北方領土に招き入れてしまうことになれば、こんな皮肉はない。
 ともあれ、中ロ合同軍事演習の華々しい中国のニュースを見ていると、「次は北方領土」に思えてならない。」
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🐉26」─1─中国共産党による少数民族に幼稚園での北京語教育を徹底へ。~No.96No.97 ⑰ 

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 2021年8月4日 MicrosoftNews テレ朝news「中国 少数民族に幼稚園での普通語教育を徹底へ
 © テレビ朝日 中国 少数民族に幼稚園での普通語教育を徹底へ
 中国政府は少数民族が暮らす地域の幼稚園に対し、普通語と呼ばれる標準中国語を使った教育を徹底するよう通知を出しました。
 中国教育省が2日に発表した通知では幼児期から国語教育を徹底させるとして、少数民族が暮らす地域や全国の農村の幼稚園に対して普通語を使うよう求めています。
 幼児教育を通して「中華民族の共同体意識づくり」を推進すると説明しています。
 習近平指導部が少数民族への同化政策を推進するなか、去年、内モンゴル自治区では小中学校の授業の一部が普通語に切り換えられ、住民らの抗議活動も発生しています。」
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☭45」─1─ロシアは東京五輪に合わせて北方領土への首相訪問と長期射撃を通告。~No.181No.182No.183 

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 1964年の東京五輪では、中国共産党ウイグルで原爆実験を行い、放射能が日本まで流れてきた。
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 日本にとってロシアは、江戸時代から敵であり、知日派国家ではなく、歴史的に友好関係・善隣関係など存在しない。
 日本民族にとって、隣国ロシアは、中国や朝鮮同様に信用も信頼もできないウソに塗れた相手である。
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 2021年7月23日 産経新聞「露首相、近く北方領土訪問か プーチン氏が「指示」
 6月30日、国民とのテレビ対話で質問に答えるロシアのプーチン大統領(タス=共同)
 【モスクワ=小野田雄一】ロシアのプーチン大統領は23日、ミシュスチン首相が近く極東地域を視察すると明らかにした上で、視察時には北方領土に特別な注意を向けるよう求めた。北方領土の視察を実質的に指示した形。両氏が参加した国家安全保障会議の内容を露大統領府が発表した。
 ミシュスチン氏が北方領土を訪問すれば、首相としては2019年8月のメドベージェフ前首相の択捉島訪問以来、2年ぶりとなる。日本は露高官の北方領土訪問に抗議している。
 プーチン氏はミシュスチン氏に「あなたには現地で住宅や医療の視察など多くの予定がある。だが、クリール諸島(千島列島と北方領土の露側呼称)の状況に特別な注意を向けてほしい」と述べた。
 プーチン氏はまた、日露が検討している北方領土での共同経済活動をめぐり、同氏に対してミシュスチン氏が「とても良い提案」をしたと指摘。「経済活動の参加者の興味を引く、絶対的にユニークで前例のない性質のものだ」とも評価した。プーチン氏はミシュスチン氏の視察結果を受けて提案の具体化作業を行うとし、「絶対に実現させよう」と述べた。」
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 7月26日08:26 産経新聞「露首相、きょう北方領土訪問 2年ぶり 実効支配を誇示
 ロシアのミシュスチン首相(ロイター)
 【モスクワ=小野田雄一】ロシア政府は25日、ミシュスチン首相が26~29日の日程で、ロシアが実効支配する北方領土択捉島を含む極東地域を訪問すると発表した。イタル・タス通信によると、択捉島の訪問は26日に予定されている。
 露首相の北方領土訪問は2019年8月のメドベージェフ前首相の択捉島訪問以来、約2年ぶり。他国への領土割譲を原則的に禁じる条項が新設された昨年の露憲法改正後では初。ロシアは近年、日本の抗議を無視する形で北方領土への軍備増強や経済投資を拡大しており、東京五輪期間中となる今回の訪問にも実効支配の強まりを誇示する思惑がうかがえる。
 ミシュスチン氏は択捉島で病院や水産加工場などを視察する予定。極東サハリン州ハバロフスク地方、シベリアのイルクーツク州なども訪れ、現地知事らと会談するほか、住宅や工場などを視察する。
 択捉島の約半数の3000人が暮らす紗那の町並み=北方領土択捉島鈴木健児撮影)
択捉島の約半数の3000人が暮らす紗那の町並み=北方領土択捉島鈴木健児撮影)
ミシュスチン氏の極東訪問をめぐっては、プーチン大統領が23日、露国家安全保障会議の席上で、「クリール諸島(千島列島と北方領土の露側呼称)に特別な注意を向けてほしい」と述べ、北方領土訪問を実質的に指示していた。
 ロシアでは9月、大統領選に次いで重要とされる5年に1度の下院選が予定されている。極東は伝統的に反中央意識が強く、露メディアからは今回のミシュスチン氏の訪問について、「政権の極東重視姿勢をアピールするための選挙対策だ」との見方も出ている。
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 7月26日15:22 産経新聞「<独自>ロシアが北方領土で演習 長期射撃を通告
 北海道・根室半島納沙布岬(左下)沖に広がる北方領土歯舞群島(中央)、色丹島(右上)、国後島(左奥)。はるか右奥にうっすらと択捉島が見える=1月
 ロシア政府が北方領土周辺で長期間にわたる「射撃」訓練を実施すると日本側に通告してきたことが26日、政府関係者への取材で分かった。同日にはロシアのミシュスチン首相が択捉島を訪問。不法占拠している北方領土をめぐってロシアは、大規模な軍事演習を繰り返すなど実効支配強化の動きを強めており、日本政府は警戒を強めている。
 政府関係者によると、露政府は国後島周辺の海域を指定し、27日から来月末まで断続的に射撃訓練を行うと通告。日本政府は外交ルートを通じて「北方領土の軍備強化の動きは、わが国の立場と相いれない」などとロシア側に抗議した。
 ミシュスチン氏の26日の択捉島訪問は露首相として2年ぶり。加藤勝信官房長官は同日午前の記者会見で「日本の一貫した立場と相いれず極めて遺憾」とした上で、見送りを再三求めていたと説明し、抗議する考えを示した。
 ロシアは国後(くなしり)、択捉(えとろふ)両島に地対空ミサイルシステムを実戦配備しているとされる。今年2月と6月には、北方領土で先進的な戦闘も想定した大規模演習を行ったと発表。7月には、日本の排他的経済水域EEZ)にある日本海の好漁場「大和堆(やまとたい)」を含む広大な海域でミサイル射撃を通告するなど、日本側を揺さぶる動きを続けている。
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 7月26日18:11 産経新聞「外相「国民感情傷つける」 露首相北方領土訪問で
 茂木外相
 茂木敏充外相は26日、ロシアのミシュスチン首相による北方領土択捉島訪問について「日本国民の感情を傷つけるもので極めて遺憾だ。わが国として受け入れられず、日露関係に資するものでは到底ない」との談話を発表した。
 ロシアに対しては、日露が北方四島で実施を目指す共同経済活動や、平和条約締結交渉の進展に向け、建設的に対応するよう強く求めていくと主張した。
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 7月27日07:13 産経新聞「ロシアも日本大使に抗議 ミシュスチン首相の択捉訪問で応酬
 ロシアのミシュスチン首相(タス=共同)
 ロシア外務省によると、モルグロフ外務次官は26日、上月豊久駐ロ大使を呼び、「断固たる抗議」を申し入れた。ロシアのミシュスチン首相の北方領土択捉島訪問に対し、日本外務省がガルージン駐日大使に抗議したことに反発した。
 在ロシア日本大使館によると、上月大使はモルグロフ氏に対し、択捉島訪問に強く抗議した。
 ロシア外務省によると、リャプコフ外務次官も上月大使と安全保障を巡って協議した。
 ロシア主要メディアによると、ペスコフ大統領報道官は26日、択捉島訪問について「ロシアの首相が必要と考えるロシアの地域を訪問した」と述べ、正当化した。
 その一方でペスコフ氏は「ロシア側には日本との良好な関係を発展させる強固な政治的意思がある」とし、平和条約締結に意欲を示した。(共同)」
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🐊8」─2─オーストラリアや日本など諸外国の大学を威圧する中国共産党の赤いスカーフ。〜No.65No.66No.67No.68 ⑦ 

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 2021年7月号 WiLL「中国と戦う覚悟を決めよ
 民族根絶と世界の中華化を狙う悪徳国家をこれ以上のさばらせてはならない
 櫻井よしこ 揚海英 楊逸(ヤン・イー)
 現在進行形の『ジェノサイド』
 櫻井 中国は世界で最も罪深い〝悪徳国家〟のひとつです。21世紀のいま、どこから見ても許されざる異民族の弾圧や虐殺を続けています。チベット人にもモンゴル人にも、おぞましい弾圧を加えてきました。いま、とりわけ国際社会の非難が集中しているのが、ウイグル人への弾圧です。……
 揚海英 ウイグルだけでなく、チベットでもモンゴルでも、まったく同じ構造のジェノサイドが行われてきました。民族を根絶やしにすることを目的に人命を奪い、その民族特有の言語や文化を奪うだけでなく、大規模で組織的な性暴力を伴っている。……しかも、ほとんどのウイグル人家庭に漢人すなわち中国人を住まわせるようにしている。ひどい話です。
 櫻井 漢人は見張り役をしているのですね。
 揚海英 見張り役どころか、思想の抹殺者ですね。あまりにもたちが悪い。……
 また、男は強制収容所に送られているので、イスラム教徒の家庭には女性しかいません。そこに入り込んだ漢人=中国人の男が、あたかも主人のように振る舞っている。『性的搾取』です。その間に子供が生まれると、『民族団結の象徴だ』なんて平然と言い放つ。そんな形の性的犯罪がはびこっています。しかも、個人ではなく組織的に展開しているのですから、より悪質です。異教徒の個人がウイグル人の家に入り込んで、子どもまでもうけるなんて、簡単にできることではない。政府が組織的に主導しているのです。
 強制収容所の実態
 楊逸 いま、とても話題になっている本に、漫画家の清水ともみさんの『命がけの証言』(ワック)があります。習近平政権によるウイグル人弾圧の実態を漫画にしたもので、新疆ウイグル自治区にある『再教育施設』(職業技能訓練センター)なる『強制収容所』には、これまで100万人以上のイスラム信仰のウイグル人が拘束された。ナチスの『アウシュビッツ』に匹敵する『絶滅施設』から生還した6人の悲惨な体験を、彼らの証言をもとに日本人の著者が漫画に描いた本です。
 ここに登場したウイグル人のひとびとが語っています。『私たちの国は新疆ウイグル自治区ではなく東トルキスタンです』って。本来、ウイグルは中国の土地ではないはずなんですよね。
 揚海英 新疆ウイグル自治区ウイグル人は本来、民族や宗教、文化の面で中央アジアの文化圏に属しています。中国の一部に組み込まれるべき地域ではないので、『東トルキスタン』と呼ぶのが正しい。でも、その名を口にすると、たちまち拘束されてしまう。
 楊逸 強制収容所の中での拷問、虐待、レイプ、暴行、中絶の強要、薬物使用、臓器狩り、そして文化的ジェノサイドなどの模様が、生々しく描かれています。私は読んで、涙が止まりませんでした・・・。
 ……
 習近平の民族への無知
 櫻井 清朝満州人とモンゴル人を見ていると、『徳知』という言葉が印象に残ります。満州族の王朝であるにもかかわず、満州人が漢民族に同化していくことによって、平和裡に治められるという構図ですね。
 揚海英 いいえ、そこは逆です。よく中国の人たちが、『自分たちの文化がすぐれているから、モンゴル人も満州人も、しばらくしたら同化し、中華化していきました』と語りますが、実は満州人とモンゴル人は漢族に同化していないのです。言葉は共通語になっていくけれど、満州人は最後まで自分たちは満州人だという意識を放棄していません。
 満州人は支配者として色々な所に駐屯していて、300年の間、住み分けが守られていました。満州人が住む『満城』、漢人が住む『漢城』に区分けされ、決して現地の人々とは融合しない。満州人としてのプライドを保っていた。
 ……北京語は本来、漢民族の言葉ではありません。あれは〝ピジン語〟なんです。
 ピジン語というのは、現地語を話す現地人と、現地語を話さない外国人などとの間で意思の疎通をはかるために、互換性のある単語で構成された言葉で、共通言語を持たない集団同士がコミュニケーションをするための便利な手段です。つまり北京語は、満州人が300年間、中国を支配している間に、満州人が、被支配者の漢民族と話すためにつくった言葉です。漢民族にもいろんな地域の人がいて、北京人だけでなく、広東人、上海人たちもしゃべるときには、共通語が必要です。それが北京語で、いわゆる『官話』なんです。
 英語に『マンダリン』という言葉がありますね。意味は『満大人(まんたいじん)』です。満州人が一番偉いので『満州の大人の言葉』が頂点。そのマンダリンあいろんな地域の人の言葉と交わって共通語になっていくんです。300年間かけて、ゆっくりゆっくりつくられてきた官話です。……
 だから習近平が、『北京語がわが民族の言葉』と言うのは、あまりにも無知であることの証明です。これは満州族がつくったピジン語なんですよ。
 ……
 虚構の『中華民族』による支配
 揚海英 ところで櫻井さんは『中華民族』という言葉を使っておられますが、そもそも『中華民族』というのは、過去も未来も存在しません。『中華民族』というのは、単なる政治的なスローガンでしかなく、ウイグル、モンゴル、チベットなど少数民族の立場からすれば、フィクションに過ぎないのです。
 ……
 楊逸 同感です。『中華帝国』と『中華民族』というふたつの言葉がありますが、私が思うに『中華帝国』というのはそらく清朝まではその言葉があてはまった。……
 ……
 オーストラリアの赤いスカーフ
 揚海英 共産党支配の中国では、『党の書記は必ず漢人でなければならない』と定められているのです。現場の行政職は現地出身の人でもOK.ただし、いまはそれも減ってきています。つまり、実権を握っている党と軍のトップは必ず漢族なのです。それまではモンゴルでもウイグルでも、相応の自治はありました。特に分離独立をする気もなく、緩やかな自治体制にあったのです。
 しかし共産党が来てからは、従来の中国のどの王朝よりもひどい統治体系になってしまった。中国共産党はすべての村にまで党支部を置いていて、村長は必ず共産党員でなければならないのです。
 櫻井 一番下の単位の村まで、村長は共産党員。その上はもちろん、そうですね?
 揚海英 もちろん党員です。企業もすべて党の支部。外国にある中国企業も同じで、やがて海外の華人団体も、そうしなければならなくなってくるでしょう。そのためにいま、やたらと留学生工作を展開しています。
 日本でもその動きが盛んです。いま早稲田大学に中国人学生が2,500人いるそうですが、その中に支部書記をつくろうとする動きがあると、早稲田大学にいる私の親しい人が語っています。彼はリベラルな左翼なのですが、『いまもっとも頭が痛いのは2,500人の中国人留学生の問題です』という手紙が来ました。これが大きな政治勢力になっていて、中国大使館が、そこに『支部書記』をつくろうとしているそうなのです。
 櫻井 支部書記というのは?
 揚海英 共産党の党書記というか、党の細胞のことですね。早稲田大学の某教授が慰安婦問題について『別の角度からの見方もあるのでは?』と多角的な議論を提案したら、途端に中国人留学生がデモを展開し、『反動教授、断罪』と声を挙げたりしました。
 櫻井 クライブ・ハミルトンはその著書『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』で、オーストラリアの政界や市民社会が中国に〝侵食〟されている実態を、ほとんど実名で書きました。
 オーストラリアがいかに深く中国共産党に侵食されているかを知って、背筋が寒くなります。中国共産党がオーストラリアで自国の諜報網や影響力を拡大さえるためにどれほどの工作をしてきたか、他人事だとおもってはなりません。ハミルトン氏は、最初に出版しようとしていた会社に土壇場になって出版を断られました。結局、他の出版社が発行してくれましたが、中国の妨害工作があったわけです。
 中国の妨害工作は書籍の出版にとどまりません。政治的、経済的分野では、もっと激しい妨害が行われています。一例として、オーストラリアの大学がチベット亡命政権ロブサン・センゲ首相を招いたら、中国人学生たちが会場を占拠して大声で抗議した。結局、センゲ首相は会場にも入れませんでした。大学側が第2会場を用意していたので、急遽、そちらで講演会を開いたそうです。また、名門シドニー大学のある講師が授業で使った世界地図が大問題になったこともあります。インド、ブータン、中国三ヵ国の係争地が、その地図ではインド版の解釈で描かれていたのです。
 これを見た中国人留学生たちは、抗議のために教室から出ていき、『オーストラリアの赤いスカーフ』と自称して抗議キャンペーンを張り、講師を謝罪に追い込んだのです。大学も右にならえで、中国人留学生に屈してしまいました。
 日本の大学が乗っ取られる
 揚海英 日本でも各地の大学に『孔子学院』があります。これは表向き、『中国語や中国文化の普及のための機関』ということになっていますが、実際、中国共産党の影響力を強めるために設置された機関です。資金は中国共産党中央宣伝部から出ているといわれれいますね。
 櫻井 完全に中国の息がかかっているとみてよいでしょう。それに加えて、揚海英さんが指摘された早稲田大学の2,500人の中国人留学生の問題もあります。……中国共産党の指示によって政治的になると、その悪影響は無視できません。
 ……習近平国家主席は2016年の演説で、大学教育の中心にイデオロギー工作と政治工作を組み込むことの重要性を語っています。中国人留学生たちは、このような使命を心に刻んでいるとみるべきでしょう。それでも彼らは、授業料を全額前払いする。大学にとって経済的に中国人留学生に依存する要素は無視できない。
 ……
 中国人留学生の欺瞞
 ……
 楊逸 つまり、漢民族は意図的にそうすることで、少数民族の〝血〟を薄めようとしてきた。共産党が政策的にやってきたわけです。
 ……
 中国からの留学生にいちばん教えなければならないのは、技術でも文化でもなく一般的な民主思想なんです。人間として生まれて、もっとも大事にすべきものは何か、それを教えていかねばなりません。
 揚海英 でも、その効果が現れるまでには時間がかかるでしょうね。というのは、私の経験では、ゼミに一人でも漢民族の学生がいると、授業が成り立たないのです。
 楊逸 思い込みが激しいですからね。
 揚海英 例えば、モンゴルやウイグルの民族問題を取り上げて、『彼らは差別を受けている』と語ると、途端に漢民族の学生が進み出てきて、『彼らにそんなこと言う権利はない。中国が彼らを解放して優遇してきた歴史をわかっていない』となる。『新疆は1948年に28万人しかいなかった中国人が、いまでは1,000万人。それは私たちが辺境に助けに行き、開発してやったおかげだ』というのが彼らの理屈です。他人の話を聞こうとしない。それ以上に、無理に進めようとすると、『反中教授』『反共産主義者』のレッテルを貼られる。
 中国と戦う覚悟を決めよ
 ……」
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 中国人、漢民族からすれば日本人、日本民族は衰退していく少数民族である。
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 日本は、少子高齢化による人口激減を解消する為に、1,000万人外国人移民計画(主に中国人移民)を実行しようとしている。
 事実、毎年、若くて健康的な中国人移民が徐々に増えている。
 それは、中国共産党の日本に対する「静かな侵略」である。
 外国人移民(主に中国人移民)系日本人が急増する事で、古い日本民族は少数派となり、新しい日外国由来本国民が多数派となる。
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 親中国派・媚中派は、人命無視の非人道的なウイグル・ジェノサイドを命じた国家主席国賓での日本訪問と天皇との公式会見及ぶ歓迎晩餐会を行い、日本が中国共産党の異民族同化政策を認めている事を国際社会に知らせようとしている。
 彼らの真の目的は、反米・反安保・反米軍基地でアメリカと日本を分断し、日本を第九条の平和憲法で無力化し無防備にする事である。
 その為には、中国共産党と手を組むのもやむなし、と考えている。
 それが、中国共産党政府中心とした中華経済圏構想・一帯一路構想である。
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 一般中国人は、中国共産党員・中国軍人・武装警察官・民兵・海民兵・秘密結社組員・犯罪者とは違う。
 前者には親日派知日派が含まれ、後者は揺るぎない反日派・敵日派である。
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 現代日本の親中国派・媚中派は、中国を庇い、弁護し、中国共産党が行っているジェノサイドを止めようと為ず、犠牲となっているウイグル人チベット人・モンゴル人を助ける気はなく見殺しにしている。
 彼らは、自分だけの為という自愛自利の徒で、困っている人を助けようという惻隠の情による他愛他利の心は微塵も持ってはいない。
 そうした他人無視の冷酷・薄情・非情な日本人をつくりだしたのが、戦後のリベラル派民主主義教育であった。
 そうして生まれたのが、日本嫌いの左翼・左派・ネットサハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、反天皇反日的日本人達である。
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 中国共産党は、日本人親中国派・媚中派に便宜を図り、その忠誠にみあった利益を合法的に与えている。
 中華民族中国人の何時か果たしたい歴史的宿願は、日本から受けた屈辱を晴らす為に、日清戦争日中戦争のリベンジ戦として日本を攻撃し勝利る事であった。
 日本人は、理解できない、中国は受けた屈辱を永遠に忘れず100年後でも200年後でも必ず復讐・報復する「臥薪嘗胆」の国である事を。
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 中国から日本に逃げてきた弱者・敗者の弥生系帰化人とは、戦国時代に揚子江流域を支配していた呉国の民であった。
 呉国の民は、揚子江流域の漢族であって黄河流域の漢族ではなく、黄河文明の民ではなく長江文明の民である。
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 国家・国民を支配するのに51%以上の多数派になる必要はなく、3%~5%の少数派で充分である。
 つまり、同調圧力・空気圧に影響されて動く日本(人口約1億2,000万人)を支配するなら3%(約360万人)の同志がいればこと足りる。
 長野中国人騒動事件。在日中国大使館は、中国共産党の命令に従って在日中国人数千人を長野市に動員して、北京オリンピック聖火リレーチベット弾圧に抗議する日本在住チベット人や日本の人権・人道市民団体を襲わせた。
 保守派自民党政権は、中国共産党の御機嫌を損ねる事を怖れ、襲撃する中国人ではなく抵抗するチベット人や日本人を逮捕した。
 親中国派・媚中派のメディア報道機関は、報道しない自由・国民に知らせない権利から、中国のイメージ悪化を恐れて中国人暴動事件を詳しく報道せず闇に消した。
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 少子高齢化による人口激減を解消する為に、1,000万人外国人移民計画(主に中国人移民)を実行さている。
 現実問題として、移民大国となった日本では中国人移民が増え始めている。
 中国共産党は、中国人移民が多く住み地域に支部が開設し、日本国への忠誠より共産党への忠誠を求め、共産党の支配を強化している。
 中国人移民に日本国籍を取らせ、参政権投票権・立候補権)と地方公務員(役人)・国家公務員(官僚)登用権を獲得する事で、日本国内部に深く根を張らせる。
 それは中国式陣地取り、つまり「碁」である。
 中国人移民を日本に送り込むのは「トロイの木馬」で、日本人支援者の協力を得て日本を中国人が住みやすい環境に内部から改造しようとしている。
 それは、ウイルス感染とウイルス増殖に似ている。
 では、誰が中国共産党と中国人移民・中国人留学生を引き入れたかと言えば、反天皇反日本人のリベラル派戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代、高学歴な知的インテリや進歩的インテリである。
 中国共産党の影響は、日本の最難関優秀大学・教育機関とメディア報道機関に深く根付いている。
 敵の敵は味方、というわけである。
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 石平「敵の内部に入り込み、次第に乗っ取る浸透工作は中国のお家芸です。周恩来がやったことを思い出してください。
 1924年、コミンテルン共産党の活躍が期待外れあったため、孫文率いる国民党の乗っ取りに乗り出します。コミンテルンは国民党の支援や武器を提供する見返りとして、共産党幹部が共産党員のまま国民党幹部に参画することを受け入れるよう要求。かなり無理な要求ですが、どいしてもコミンテルンの支援が欲しかった孫文はこれを承諾したのです。国民党はコミンテルンの全面支援を受けて、革命本拠地で黄埔(こうほ)軍官学校を創設し、その重要ポストである政治部主任に周恩来が就任しました。
 周恩来はそのポストを利用し、国民党の軍官を共産党の信奉者に転向させ、暴動を起こさせました。これが、1927年のいわつる南昌蜂起(なんしょうほうき)で、この日、8月1日は人民解放軍建軍記念日とされています。
 共産党の浸透工作は、国共内戦の趨勢を決した三大戦役(遼瀋{りょうしん}戦役、淮海(わいかい)戦役、平津{へいしん}戦役)でも活かされています。
 淮海戦役は徐州で2カ月もの間、国共双方が何十万人もの兵士を投入して戦った、いわば天下分け目の関ヶ原の戦い。なぜ、ここで共産党が勝てたかと言えば、国民党軍の最高司令部に周恩来の放ったスパイが十数年前から潜入していたからです。このスパイによって、国民党軍の作戦はすべて共産党に筒抜けでした。
 国民党の最高司令部が立てた作戦計画が、戦地の国民党軍の司令官に伝わる前に、毛沢東は情報を摑んでいたなんて伝説もあるくらいです。
 敵のなかに深く入り込んで徹底的に情報を盗み、策動し、潰すのは中国共産党お家芸なのです。永田町にもそういう人物がいるのではないか、……」
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 独立王国時代のチベットで、政権中枢にいた親中国派・媚中派中国共産党政府との友好関係を築く為に、条約を結び、中国人移民を受け入れた。
 中国共産党は、中国人移民を保護する名目でチベットを侵略し、法王派、反中国派、民族主義、親英派、新インド派、宗教勢力を武力で排除して占領してチベット王国を滅亡させ、チベット宗教を弾圧し、死と暴力の恐怖支配を続けた。
 中国軍は、共産主義による人民解放を大義として200万人以上のチベット人を虐殺した。
 中国人の微笑みには、血に飢えた残忍な真顔が隠れている。
 親中国派・媚中派は、自国の国益や自国民の権利よりも中国共産党の利益を優先している。
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 一般中国人と中国共産党員・中国軍人・武装警察官・民兵・海民兵・秘密結社構成員・中国人犯罪者・その他は別人である。
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 ロシア革命は、少数派であるボルシェビキのさらに少数派であるレーニン率いるロシア共産党が勝利して成功した。
 レーニンは、ソ連ロシア共産党を支配する為に少数精兵として党内のレーニン派以外の多数派・反主流派を粛清した。
 スターリンも、独裁支配を完成させる為にライバルのトロッキーレーニン派など1,000万人以上を粛清して独自の少数派を維持した。
 共産主義とは、人民多数派ではなく党少数派、少数派の中の少数精兵のイデオロギーである。
 それは、中国共産党も同様である。
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