・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本が事実に基づいた正しい歴史で反論しなければ、中露北朝鮮が言い触らす捏造された嘘の歴史が真実の歴史として定着してしまう。
エセ保守やリベラル左派は、日本を貶める為に中露北朝鮮が主張する悪意の歴史を受け入れている。
・ ・ ・
現代日本は歴史戦に弱く、中国共産党が仕掛けている歴史戦に連敗を繰り返している。
・ ・ ・
現代の日本人は、作家が創作した謎解きな時代劇が好きだが、複雑怪奇な事実に基づいた歴史が理解できず嫌いである。
・ ・ ・
中国には、正しい歴史は存在しない。
・ ・ ・
2025年9月16日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「ロシアはえせ戦勝国!「嘘も繰り返すと真実になる」はまさにこのこと…中国軍事パレードから読み解けること
2025年8月28日付ウォールストリート・ジャーナル紙が、「金正恩とプーチンが北京での軍事パレードに団結を示すために習近平に加わる。中国の指導者は自国が世界的強国であることをこの機会に示そうとする」との記事を掲載している。
北朝鮮の指導者金正恩は来週の北京での大軍事パレードに団結と西側への挑戦を示すためにプーチンと共に参加する計画である。水曜日のパレードは、中国の指導者習近平が主催し、中国が米主導の国際秩序を覆そうとする諸国のリーダーであるとの力強いイメージを与えるための初の3者による共同イベントである。
しかし3カ国にとりこれを契機に力をつけることには、彼らの国が米国とそれぞれの議題を追求する中、制約がある。トランプと習近平の首脳会談は中国が米関税の削減を求める中、年内にもありうる。
トランプはまた、ロシアと北朝鮮とのより良い関係の可能性を示している。彼は既にウクライナ戦争を討議するために最近アラスカでプーチンと会ったし、今週初めには第1期目に3回会った金と再会したいと述べた。
中国は8月27日、パレードの賓客リストを公表したが、金正恩が含まれていた。トランプは出席しないし、欧州の首脳のほとんども出席しない。代わりに習近平は、イラン、パキスタン、マレーシア等の指導者の参加を得た。韓国は国会議長で代表される。
パレードは第2次世界大戦での日本の敗北の80周年を記念し、最新兵器とともに何千人もの軍人が天安門広場を行進し、中国の軍事力を誇示する機会になろう。金にとり、この行事は多数国の首脳の会合に出る初めての機会であり、2019年以来の訪中の機会になる。習は5月のモスクワでのプーチンの勝利記念日には出席したが、北朝鮮は数人の軍人を送っただけだった。
ロシアの兵士と並んで戦う北朝鮮兵士の展開は、中朝関係を緊張させた。中国はロシアのパートナーであり、米国の制裁の効果を鈍くさせるために経済的支援をしている。中国と北朝鮮が対立している印は、2019年の外交関係樹立70周年をともに祝ったのに、昨年は75周年の祝いはしなかったことに見られる。
しかし今年は中国と北朝鮮の交流は深まり、両国の貿易は増大した。7月、中国大使は昨年欠席した朝鮮戦争終結記念式典に出席した。核兵器問題については、北朝鮮が核兵器の開発と保有を止めないとしており、中朝は意見を異にしている。
2024年、中国、日本、韓国が首脳会談で非核化を追求すると合意した共同声明を出したことを北朝鮮は非難した。
* * *
中露北朝鮮は戦勝国ではない
この記事は中国、ロシア、北朝鮮の関係に焦点を当てた記事で、参考になる。
ただ、中国が今回第2次世界大戦での日本の敗北を記念して大規模な軍事パレードを行うことにし、それにプーチンと金正恩を主たる賓客として招いたが、これには強い違和感を持つ。歴史を捏造または歪曲する意図を感じるからである。
まず、ソ連(現ロシア)は対日戦勝国であるとは言えない。ソ連が日本に宣戦布告したのは1945年8月8日であり、広島に原爆が投下された2日後であり、長崎に原爆が落ちた8月9日に日本に対する戦闘を始めた。
当時、日本とソ連は中立条約を結んでおり、第2次世界大戦のほぼ全期間、平和的関係を保っていた。ソ連の対日宣戦布告はモロトフから佐藤尚武大使に8月8日になされ、8月9日より戦争状態にあるとされた。佐藤大使はモロトフに東京に知らせる電報の発出を認めるように要求し、モロトフは同意したが、この電報は外務省には届かなかった。
駐日大使であったマリクが東郷外務大臣に宣戦布告を8月9日に伝えた際には、マリクは日本がポツダム宣言を受け入れなかったからと述べたのに対し、東郷茂徳外務大臣はあなたはどこからそういうことを聞いたのか、我々はポツダム宣言を受諾(天皇の統治大権が維持されるとの条件付きであったが)した、と述べた。
ソ連の良心的な歴史家、スラビンスキーは「宣戦の布告と降伏が同時になされた世界の外交史上、初めてのケースである」と『日ソ戦争』という本の中で書いている。こういう経緯であるので、ソ連はとても 戦勝国とは言えず、火事場泥棒であったとさえ考えられる。
北朝鮮についても、朝鮮民主主義人民共和国が建国されたのは1948年9月9日であり、対日戦勝国であるわけはない。
中国については、毛沢東が天安門で中華人民共和国の建国を宣言したのは 1949 年10月1日である。その中華人民共和国が対日戦勝国であるわけがない。
もっとも中華民国は日本と戦争していたとの事実はあり、日本の降伏文書にも署名している。その立場を中華人民共和国が引き継いでいるとの議論はありうるかもしれない。しかし国際連合では中国の代表権は1970年はじめまで中華民国にあった。
歴史の「真実」発信を
ロシアというえせ戦勝国、北朝鮮という戦勝国ではない国を巻き込んで、中華人民共和国は歴史を歪曲しようとしている。ナチスのゲッベルスは、嘘も繰り返すと真実になると言ったが、9月3日に今回のようなパレードが繰り返される場合には、日本の名誉のためにも真実を明らかにしていくべきだろう。
なお、日本が1945年8月15日にポツダム宣言を受諾した日を終戦の日であるとしているのは妥当なことである。9月2日や3日ではない。降伏文書の署名が9月2日になったのは、式典好きのマッカーサーが日本を開国させたペリーが掲げていた星条旗を式典の際に持ってきて掲げたい、対日戦で海軍が果たした役割は大きいので、ミズーリ号の甲板でやりたい(時の大統領トルーマンはミズーリ州出身であり、トルーマンが喜ぶ)などの事情で9月2日になったということである。
なお、インドのモディ首相は日本を傷つけたくはないとして、北京にいたが、軍事パレードへの出席を断った。日本が戦った大東亜戦争はインドを含む欧米植民地の独立に資した。インド国会には日本とともに戦ったチャンドラ・ボースの胸像がある。
岡崎研究所
・ ・ ・
9月17日 YAHOO!JAPANニュース nippon.com「中国の戦後80周年記念式典を読む
北京の天安門上に習近平・中国国家主席が立ち、ロシアや北朝鮮など20数カ国の首脳を従えた9月3日の「抗日戦勝80周年」記念行事。軍事パレードだけではない、中国が今回示したさまざまなメッセージを読み解く。
抗日戦争勝利80年記念軍事パレードで閲兵する中国の習近平国家主席=2025年9月3日、北京の天安門広場(AFP=時事)
中国では9月3日が「中国人民抗日戦争と世界反ファシスト戦争勝利80周年」だとされている。日本に対する勝利であるとともに、第2次世界大戦全体での勝利をも意味するという二重の意味がそこには込められている。日本に戦勝したのは中華民国だが、その代表の徐永昌が9月2日に東京湾で日本の降伏文書に署名した。翌9月3日に重慶で勝利記念式典が実施され、その日が抗日戦争勝利記念日とされた。
現在でも台湾の中華民国では9月3日が軍人節となっている。2025年9月3日、台北の円山にある忠烈祠で記念式典が行われ、頼清徳総統が第2次世界大戦での中華民国の勝利80周年を記念するとともに、台湾の防衛と、民主、自由、人権の擁護を訴えた。
しかし、中華人民共和国が9月3日を記念日としているのは、中華民国の記念日を継承したのではない。中国共産党政権は、はじめ8月15日を記念日としていたが、のちにソ連に合わせて9月3日を記念日とした。アメリカが対日戦勝記念日(VJ Day)を9月2日とする中で、ソ連、中国、モンゴルなどの社会主義国は9月3日を勝利記念日だとする傾向にあった。その後、中国では8月15日と9月3日との間に揺らぎがあったが、習近平政権が2014年2月に改めて9月3日を「抗日戦争勝利記念日」に、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」としたのだった。
国内外政策と連動する歴史言説
なぜ習近平政権は歴史言説を重視し、内外に向け「正しい歴史」を唱えるのか。習近平政権は「愛国教育」と共に「愛党教育」を進めた。その目的は、中国共産党史を基軸にして歴史を再整理していくことにある。日中戦争においても同様に中国共産党の役割が重視され、また日中戦争期が1931年(満洲事変)から1945年の14年間に設定されて、国民党との合作(国共合作)も強調されなくなった。
日中戦争に関わる歴史言説の再構成は、習近平政権の政策と深く関わる。第1に、日中戦争の期間の変更、国民党の位置付けの低下は、その台湾政策とも連動する。つまり、2016年5月に台湾で民進党の蔡英文政権が成立すると、中国共産党は国民党との国共合作による台湾統一政策を事実上放棄し、台湾社会での「愛国統一力量」の育成へと手段を切り替えた。その結果、1936年12月の西安事件を契機とする国共合作は公式な歴史叙述から後退することになった。
また、中国国内での「国家の安全」の強調もまた歴史政策に強く連動する。習近平政権は、権力を国家から党に集中させ、社会の管理強化を徹底する。そこで用いられているのが、「国家の安全」の論理と、法に基づく制度だ。「国家の安全」は総体的安全観として理念化され、経済、環境などあらゆる問題が安全と紐づけられ、何事も安全が優先されるとする。そしてその安全観の前提となる「脅威」こそ、アメリカや日本などの先進国による中国社会への浸透、そして中国共産党政権の転覆、すなわちカラー革命だというのである。だからこそ、反スパイ法が強化され、外国からの侵入に備え、外国人と親密な中国人を取り締まるべきだとされる。このことは台湾問題にも結び付けられ、アメリカや日本は中国の統一という国家目標の実現を妨げる「敵」だと認識される。
「国家の安全」に関わる言説は歴史に紐づけられる。かつて日本が中国に多くのスパイを潜入させ、漢奸たちが協力したこと、日本軍の侵略が近代中国の国家建設を妨げ、多くの中国人がその家や家族を失ったことが強調される。「日本の軍国主義復活」という中国の宣伝は過去と現在の橋渡しをする役割を果たす。現在も日本人スパイが中国に潜入してカラー革命を狙っているという言説が中国の一部で広まるのにはこうした背景にある。2024年の言論NPOの世論調査の結果にあるように、中国の対日感情は大きく悪化した。
他方、日本が敗戦し、敗戦国として講和に臨んだ歴史も対象となり、昨今の中国ではサンフランシスコ講和条約無効論が唱えられる。これは日本の戦後処理を非難するだけでなく、台湾や沖縄の位置付けをも揺さぶろうとする点に目的がある。まさに現在の中国の対外政策と連動しているのだ。歴史言説が現在の中国の国家目標、すなわちアメリカに追いつき追い越すことや台湾統一、そして東アジアの国際秩序を自らに有利に再編することなどに結び付けられているのだ。
「先進国対非先進国」の構図を明確に
2015年の戦後70年と25年の戦後80年の言説を比較するとどこに異同があるのか。歴史と自らの国内外政策を結びつけることも、「正しい歴史」の提唱も大きな変化はない。変わったのは国内外情勢そのものであり、その変化に対応して習近平政権は歴史政策や言説を調整している。
10年前と比較して大きく異なるのは、パレードで示された最先端の武器などの他、天安門の壇上に登った首脳たちの顔ぶれである。15年には朴槿恵大統領など多様な存在がいたが、25年には中ロ、北朝鮮など新興大国と開発途上国の首脳たちが中心になった。10年前、中国は英米など西側諸国とともに戦後秩序の創造者となったとしていた。しかし、17年の第19回党大会で国家目標が明確にされ、中国自身を新たな国際秩序の創出者に位置付け、また米中関係の悪化したことによって、情勢は大きく変化した。中国は「先進国対非先進国」の構図を明確にし、先進国を「時代遅れ」と非難し始めた。この10年の変化が天安門上の顔ぶれの変化に対応している。
また、中国国民党の位置付けの変化も明確だ。15年の70周年に際しては、依然として国共合作が台湾政策の基礎であったこともあり、かつての中華民国国軍の「老兵」たちはパレードに加わった。25年には国民党や老兵の参加者もいたが、パレードの隊列に加わることもなかった。
対日批判を強化した王毅氏
今回式典の習近平の言葉をみれば、10年前の演説と大差ないことに気づく。ただ、全体として80周年の方が短く、内容も簡略化されている。例えば、70周年の時にも人類運命共同体を実現させることが書き込まれ、それこそが国連憲章を原則とする国際秩序、すなわち新型国際関係の実現を意味するとしていた。だが、80周年ではこうした「中国の秩序」への説明が省かれ、人類運命共同体の実現という目標とともに、2035年に実現するとされる中国式現代化の意義が強調されるに止まる。これは昨今中国で35年の意義が強調される傾向を反映されたものだろう。
他方、70周年と80周年との間に違いもある。それは70周年の時には30万もの兵を削減すると宣言されたが、80周年には軍縮の内容が見られない点だ。
それでは日本の位置付けについてはどうだろう。習近平の演説では10年前も今回も日本軍国主義を侵略者とする点で変わらないが基本的に日本への言及は多くない。今回日本に多く触れたのは、8月15日に行われた王毅国務委員兼外相の共同記者会見だ。そこでは、日本の戦争責任が「一部の軍国主義者」にあること、日本の人民もまた被害者だとする従来からの「軍民二元論」が継承された。
しかし、王毅国務委員の日本批判は強化された。特に台湾に言及し、1943年のカイロ宣言も、日本が無条件降伏をして受け入れた45年のポツダム宣言もともに「中国から窃取した、台湾を含む領土を中国に返還することを要求した」というのに、「日本の『一部の勢力』が依然として侵略を美化し、否認し、歴史を歪曲し、改ざんし、当時の戦争犯罪の罪を覆そうとの企みを有している」などと批判の語気を強める。ここで大切なのは、日本の「一部の勢力」と限定している点だが、日本の「一部の勢力」の言動が国連憲章、そして戦後国際秩序への挑戦だなどと強い言葉が用いられていることだ。中国での日本の位置付けは基本的には変わらないが、批判の程度は増しているのである。
中国の歴史政策は、基本的な原則を基礎に、現実の国内外への諸政策に応じて刻々と変化している。歴史をめぐる日本の位置付けも同様であり、特に中国が昨今見せる歴史の扱いの変化に注目していく必要があろう。
【Profile】
川島 真
nippon.com編集企画委員。東京大学総合文化研究科教授。中曽根平和研究所研究本部長。専門はアジア政治外交史、中国外交史。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会/2004年)、『近代国家への模索 1894-1925』(岩波新書 シリーズ中国近現代史2/2010年)など。
・ ・ ・