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2025年5月2日 MicrosoftStartニュース Stars Insider「ヘンリー8世の6人の妻の運命
ヘンリー8世の6人の妻の運命
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ヘンリー8世は1509年から1547年に死去するまでイングランド王として在位した。ヘンリー8世は6人の妻を持ちキャサリン・オブ・アラゴンとの最初の結婚を無効にしたことで広く知られている。これはローマ教皇への反抗であり、結果として彼は破門されイングランドの宗教改革に火をつけた。キャサリンとの決別はローマとカトリック教会との決裂でもあった。ではその他の結婚についてはどうだったのだろうか?ヘンリーの妃となった6人の王妃とは?ギャラリーをクリックしてどの結婚が離婚、死、斬首、あるいは生存につながったかを確かめてみよう。
国王ヘンリー8世 (1491年–1547年)
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17歳だったヘンリーは1509年に即位してから1547年に他界するまでイングランド王として在位した。在位中に何度も結婚に失敗しローマ教皇とさえ絶縁した!
キャサリン・オブ・アラゴン (1485年-1536年)
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スペインの血筋
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キャサリンはスペインの共同統治者であったフェルナンドとイサベルの生き残った子供の中で末っ子であった。
キャサリンとアーサー(プリンス・オブ・ウェールズ)
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画像のプリンス・オブ・ウェールズのアーサーはヘンリーの兄で、1501年に当時18歳だったキャサリン・オブ・アラゴンと結婚式を挙げた。不運にもアーサーは翌年ラドロー城で死去し王位はヘンリー8世に継承された。ヘンリーは兄の遺志を快く引き継ぎキャサリンの新しい夫となった。
ヘンリー8世との結婚
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ヘンリー8世とキャサリン妃は1509年6月にウェストミンスター寺院で戴冠式を行った。
離婚とイングランド宗教改革
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キャサリン妃は娘を出産する前に流産したが、ヘンリーは男子の世継ぎをもうけることができず不満を募らせていた。彼がアン・ブーリンと恋に落ちたことがきっかけでキャサリンとの婚姻は破棄され、イングランド宗教改革の火ぶたが切られた。画像はヘンリーとの離婚に異議を唱えるキャサリン妃の姿。1536年に彼女はガンによりキンボルトン城で息を引き取り、現在はピーターバラ大聖堂として知られるピーターバラ修道院に埋葬された。
アン・ブーリン (1501年-1536年頃)
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アン・ブーリンはヘンリー8世と結婚し2番目の妻となった。
フランス育ち
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幼少期にアンはフランスのルイ12世と結婚していたヘンリー8世の妹メアリーのもとに身を寄せていた。1521年頃にイングランドに戻るまで非常に長い間をフランスで過ごした。
アンとヘンリーの出会い
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当初のアンは第5代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの息子ヘンリー・パーシーと婚約していた。しかし1526年に2人は出会い彼女は心変わりした。しかしながらヘンリー8世がアン・ブーリンと結婚したのは1533年1月のことで、法的にはまだキャサリン・オブ・アラゴンと結婚していた。
男児の誕生の必須
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1533年6月1日にアン・ブーリンは王妃に即位した。そして9月には後のエリザベス1世を出産した。しかし彼女は息子の誕生が不可欠であることを知っていた。それどころか彼女の人生はそれに懸かっていた!
彼女の死刑
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世継ぎを得るためヘンリーはアンとの結婚を解消する道を探った。姦通罪と反逆罪の告発で彼女の破滅が仕組まれた。その結果1536年5月2日にアン・ブーリンは逮捕されロンドン塔に移送された。彼女はそこで裁判を受け有罪となり結局5月19日に斬首された。その頃王はジェーン・シーモア に出会う…。
ジェーン・シーモア (1508年–1537年)
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ジェーン・シーモアは英国王の3番目の妻であった。
さまよう君主の視線
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1532年にジェーン・シーモアはヘンリーの最初の妻キャサリン妃の侍女となり後に2番目の妻アン王妃に仕えた。ジェーンが国王の目に留まったのはアンが処刑される約3カ月前の1536年2月だったと考えられている。
再婚
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ヘンリーの過去の妻たちの境遇を踏まえジェーンはヘンリーと恋愛関係になることに多少の不安を感じていた可能性がある。しかし二人は1536年5月30日にロンドンのホワイトホール宮殿で結婚した。ヘンリーの歴代の妻たちとは異なりジェーンが正式に王妃として戴冠することはなかった。
男の子!
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ジェーンは1537年に妊娠しその年の10月に後のイングランド王エドワード6世となる息子のエドワード王子を迎えた。長時間におよぶ難産の結果としてジェーンはひどく体調を崩した。それにもかかわらず生まれたばかりの息子の洗礼式をなんとか迎え両親そろって息子に祝福を贈ることができるた。残念ながらもともと体が弱かったエドワードは1553年に自然死により15歳でこの世を去った。
死去
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ジェーン・シーモアの健康状態は悪化し1537年10月24日に息子の出産による合併症でこの世を去った。彼女は王室葬を施されたヘンリーの唯一の妻であり、ウィンザー城のセントジョージ礼拝堂でヘンリーの隣に埋葬された(写真)。
アン・オブ・クレーヴズ (1515年–1557年)
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ヘンリー8世の4番目の妻はアン・オブ・クレーヴズだった。ハンス・ホルバイン(子)(1497年-1543年頃)が描いたこの肖像画を見たヘンリーはアンに心を奪われた…しかしそれは期待したような理由ではなかった。
誇張された美しさ
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アンはドイツの貴族の出身でデュッセルドルフで生まれた。ヘンリー8世はアンの容姿に魅力を感じなかった。その原因は顧問やホルバインの描いた肖像画がアンの美しさを誇張しているせいだと考えたのだ。
秘めた思惑
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アンの兄ヴィルヘルムはユーリヒ=クレーフェ=ベルク公の地位にあった。ヘンリーが彼女との結婚を決めたのはこのつながりによるものだった。ヴィルヘルムはドイツ西部のプロテスタントの中でも有力な人物であった。ヘンリーはこの結婚をカトリックのフランスや神聖ローマ帝国からの侵略に対抗する手段と考えたのだ。
未完の婚姻
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ヘンリー8世とアン・オブ・クレーヴズは1540年1月6日に結婚した。しかしこの結婚生活は成就することなくアンが王妃に即位することもなかった。間もなく王はこの結婚から抜け出す方法を探し始めた。最終的に婚姻は解消され、かつてアン・ブーリンが暮らしていたヒーバー城を含む財産を手に入れた。アン・オブ・クレーヴズは1557年に逝去しウェストミンスター寺院に眠っている。
キャサリン・ハワード (1523年–1542年)
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ヘンリー8世の5番目の伴侶であったキャサリン・ハワードはヘンリーの宮廷の重要人物であったエドムンド・ハワード卿の娘であった。その上アン・ブーリンの従姉妹にあたる。そう…アン・ブーリンだ。
若く魅力的
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キャサリン妃が宮廷にやって来たのはアン・オブ・クレーヴズの侍女として仕えた19歳の頃だった。おそらくヘンリーの興味を引いたのだろう。
若い花嫁
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当時49歳だったヘンリーと19歳の花嫁は1540年7月28日に結婚式を挙げた。はじめこそ2人の結婚生活は幸せだったが、若き新王妃の愛らしさは若々しく魅力的な男たちの興味をもかき立てた。
ロンドン塔
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王妃は危険なまでにますます浮ついた振る舞いをするようになった。そして1541年にヘンリーは妻の不貞行為に関する情報を得た。キャサリン妃が結婚前そしておそらくは婚姻中にも不純な行為に及んでいたことを示す十分な証拠が見つかったのだ。そうして彼女は王妃を降ろされ姦通の罪に問われた。キャサリン妃はすぐに写真のような小舟でロンドン塔に送られ運命を待つ身となった。
断頭
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1542年2月13日にキャサリン・ハワードは反逆罪でタワー・グリーンにて処刑された。そしてなんと彼女はアン・ブーリンの眠る場所に近いセント・ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂の名もない墓に埋葬されたのである。
キャサリン・パー (1543年–1547年)
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テューダー朝最後の王妃キャサリン・パーはヘンリー8世の6番目にして最後の妻である。
非公式の挨拶
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キャサリン・パーの母モードはキャサリン・オブ・アラゴン王妃の侍女を務め、娘にはヘンリーの最初の妻の名前をつけた。
最後のあがき
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キャサリンは31歳で過去に2度結婚していたにも関わらずヘンリーの目に留まった。このときの彼は52歳でひどく太り健康状態も悪かった。皮肉だったのはキャサリンはヘンリーの3番目の妻ジェーン・シーモアの兄であるトマス・シーモアに好意を抱いていたことだ。
キャサリン・パーとの結婚
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キャサリンは義務感からヘンリーのプロポーズに応じ結婚に同意した。2人は1543年7月12日にハンプトン・コート宮殿で結婚した。
国王の崩御
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ヘンリー8世は1547年1月28日に亡くなった。王の死後キャサリンはトマス・シーモアとこっそりと結婚しそれから1年8ヶ月を生きた。残念ながら1548年9月5日に出産時の合併症で息を引き取った。彼女の眠るのグロスターシャーにあるスードリー城の礼拝堂である。写真はヘンリーの遺書で王位継承に関する指示と子孫への手当が記されている。
提供元:(BBC) (Historic UK) (TudorHistory)
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