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2022年1月8日・15日号 週刊現代「佐藤優 ビジネスパーソンの教育講座
名著、再び
五木寛之著『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』 新潮選書 2021年刊行
戦争の経験と思索が宗教ヘとつながる──著者『知的格闘』に学べ
作家の五木寛之氏は、朝鮮半島北部で中学1年生(12歳)の時に敗戦を迎えた。そこで五木氏が見たのは地獄のような世界だった。難しいのは悲惨な経験は深層心理に押し込められてしまい、なかなか言語にならないことだ。
〈引き揚げ者のかたがたに、『大変なご苦労があったそうですが──』と話を向けても、特に悲惨な体験をしたにちがいない人ほど、『ええ、それはもう、色々とございました。でもおかげさまで、今はこうして暮らしておりますので』とかすかに微笑むばかりで、ほとんど何も話してくださらないのです。/逆に、すごく饒舌に当時の悲劇をお話しする方もいますが、そういう話は意外と当てになりません。他人の体験と自分の体験がごっちゃ混ぜになっていて、繰り返し何度も人に話しているうちに、起承転結のよくできた物語になってしまっているんですね。/雄弁に語ってくれる方の話は信頼度が低く、本当に大変だったはずだと目星をつけた方はほとんど話してくださらない。(中略)/考えてみると、それは私も同じなんです。敗戦の翌月、混乱の中で母親が亡くなり、その後は長男として、幼い妹や弟を養いながら引揚げの日々を過ごすわけですが、その間にあったことは小説にも書いていません。/一度だけ、母親のことエッセイに書きましたが、『大変だったんですね』と水を向けられても、『いや、もう色んなことがありまして』と返すぐらいで、自分のほうから語りたくはないのです〉
五木氏によると敗戦後の平壌の日本人に純粋な被害者はいなかった。被害と加害が交錯する出来事としてこんな例をあげる。
〈夜、ソ連兵は日本人が避難している倉庫に、自動小銃を抱えて押しかけてきます。/『マダム、ダヴァイ(女を出せ)!』/誰も抵抗できない、どうしようもない状況でどうするかというと、日本人同士で話し合い、誰に出てもらうかを決めるしかないのです。/『あの人は赤ちゃんがいるからダメ』、『この人にはそんなことは無理』、『だったら、水商売をしていたあの人がいるじゃないか』/というように、言葉は悪いですが、みんなで『いけにえ』を決める。無言の圧力というか、出さざるをえないその場の空気に押し出されるように、人身御供として何人かの女性がソ連兵に提供される。そういう場面が再三ありました。/それはソ連兵に無理矢理、腕ずくで強奪されたということではなくて、私たち日本人が同胞を衆の圧力をかけて提供した、ということです。/さらに言葉にしがたい、心に深い傷を負うようなこともありました。そうやって犠牲になった女性が朝方になって収容所に帰ってきます。中にはそのまま戻って来ない人もいましたが、まるでボロ雑巾みたいになって帰ってくる女の人もいた。あるとき、私のそばにいた子ども連れの母親が早口でこう言ったんです。/『あの人に近づいちゃダメよ。悪い病気もらっているかもしれないからね』/これは、およそ人として言える言葉ではありません〉
五木氏は『日本人同士』という言葉に疑念を抱えているという。14歳の時に軍属として沖縄戦に従軍した評者の母も、日本軍が民間人を防空壕から追い出す姿を何度も見た。壕から出された母子のうち母や被弾し倒れ、その横で2~3歳の女児が泣いていた姿が記憶から去らないという。評者の母も含め、誰もその女児を助けようとしなかった。米軍の艦砲射撃が続く中で誰もが逃げるのが精一杯で、他人を助ける余裕はなかった。母も『日本人同士』という言葉には常に疑念を持っていた。
戦争の経験が評者の母をプロテスタントに導いた。五木氏は元々浄土真宗の門徒であるが、思索を深めるに従って親鸞と真剣に対峙するようになった。
〈親鸞は、阿弥陀如来は自分一人のためにいるのだと気がついた、とどこかで言っていますね。この『自分一人』というのが大事なんです。それまでは何々地方や何々村といった集団としての信仰であったのが、何の某という個人と仏様とが1対1で向き合うことになった。いわば流砂のごとき、所属のない庶民の一人あ直に阿弥陀如来と向き合うことができるとうのです。そうした個人の信仰、個人の思想をきちんと確立したのが親鸞ではなかったか。私はそう考えています。/(中略)これまで私は、蓮如という広い道を通って親鸞という森の入り口に差し掛かり、その森に迷い込んだまま、今なお、その迷路のようなジャングルの中で右往左往しているというのが本当です。親鸞について考えれば考えるほど難しくなって、懸命に迷路の出口を探しているのに出口が見えてこない。そんな状況です〉
近代プロテスタンティズムにおいても個人の信仰は死活的に重要だ。ガリレオ・コペルニクス革命によって形而上学的な点が維持できなくなった。地球は球体なので、日本から見て上は、ブラジルから見れば下だ。『上にいる神』という古代・中世の神の場所は確保できなくなった。
そこで近代プロテスタント神学者は、神は一人ひとりの心の中にいるとした。心は確かに存在するが、その場所を空間上に確定することはできない。そのためキリスト教信仰は個人的性格を強く帯びるようになった。
1979年4月に同志社大学神学部に入学してから一貫して、この個人主義的キリスト教の限界を突破することに評者は取り組んでいる。五木氏は蓮如という広い道を通って親鸞に至ったと述べる。評者はカール・バルト(スイスのプロテスタント神学者)という広い道を通ってヨゼフ・ルクル・フロマートカ(チェコのプロテスタント神学者)という細い道に迷い込み、40年以上、知的格闘を続けている。……」
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日本人の本性は、薄情、非情、冷酷、冷淡、冷血である。
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日本人避難民は棄民として、国家・政府は見捨て、軍隊は助けてくれなかった、それは半分正しく、半分間違っている。
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戦争においての市民・非戦闘員、女性や子供の悲惨な被害で、沖縄の惨殺が語られ、満州の虐殺が語られないのは、日本人の一般人が被害者であると同時に加害者であり、そしてロシア人共産主義者・中国人・朝鮮人が一方的な加害者であるからである。
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世界には「生け贄」と言う非人道行為があり、日本では「人柱」「人身御供」という非人間的行為があった。
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現代日本人は、戦国時代に合戦における乱取りで捕らえた女や子供を中世キリスト教会・イエズス会と白人キリスト教徒商人に奴隷として売って金を稼いだ非人道的日本人の子孫である。
つまり、自利自愛で、自分だけ得すれば他人などどうなろうと気にしない日本人で、生き方は自分本位の自助努力・自力救済・自己救済であった。
戦国とは、ブラック社会を通り越した地獄社会であった。
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日本民族の歴史において理想的な綺麗事など存在しない、民族の心を持った本当の日本人ほど口数が少なく起きた事実を語らない。
同じ日本民族であれば以心伝心として語らずともその胸の内が痛いほどに解るが、同じ日本人と言うだけでは理解できない、そうした日本人が現代日本では急増している。
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