🛳18」─2・C─祖国は台湾、母国は日本、3万306人が死亡。横浜に台湾人戦没者の慰霊碑。~No.115No.116No.117 

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 日本人にとって、親日知日派の台湾人は命を預けられる戦友であった、反日敵日派の朝鮮人は戦友どころか友人・共でもなかった。
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 2025年5月16日 YAHOO!JAPANニュース カナロコ by 神奈川新聞「祖国は台湾、母国は日本 3万306人が死亡、横浜に台湾人戦没者の慰霊碑 97歳台湾出身元日本兵の悲願実現
 「祖国台湾 母国日本」と刻まれた慰霊碑を前に感慨深げな呉正男さん=横浜市磯子区の真照寺
 先の大戦で命を落とした約3万人の台湾出身者を慰霊する碑が4月下旬、横浜市磯子区の真照寺に建立された。旧陸軍に志願入隊した呉(ご)正男さん(97)=同市中区、横浜台湾同郷会名誉顧問=の念願を、住職の水谷栄寛さん(69)らが実現。呉さんは「僕らは日本人として出征した。それを忘れず追悼する場ができ本当にありがたい」と胸をなで下ろしている。
 碑は3基一組で、次の文が彫られている。「台湾出身戦没者の方々 あなた方がかつてわが国の戦争によって尊いお命を失われたことを深く心に刻み 永久に語り伝えます どうぞ安らかに永眠してください」
◆「国を守る」
 建立は呉さんの悲願だった。台湾には戦没した日本人の慰霊碑が多くあるのに、日本に台湾出身者の追悼施設はわずか。「もし自分が戦死していたら、誰からも拝んでもらえない」
 自身、幾度も死線を越えた。台湾南部に生まれ育ち、東京の中学に進学。その間に米国などとの戦争が始まり「日本人として国を守らねば」と16歳で陸軍特別幹部候補生に志願した。爆撃機の通信士として朝鮮半島で敗戦を迎え、旧ソ連の極寒の収容所に捕虜として2年間も抑留された。
 碑文は50年前、東京都奥多摩町に建てられた慰霊碑と同じ内容だ。「初めて読んだ時、とても感動した。戦争中、僕たちは台湾人ではなく『台湾出身の日本人』だったのだから」
20万人を動員、敗戦で日本国籍を失う
 ただ同碑は山中にあり、参拝は容易でない。呉さんは街中での建立を模索したが、維持管理の難しさなどから実現しなかった。「もう無理かと諦めかけたら…」(呉さん)、友人の郷土史家を通じて昨年末、水谷さんの知己を得た。
 水谷さんは言う。「これほど多くの台湾出身者が戦争で亡くなった事実を呉さんに会うまで知らず、恥ずかしかった」。すぐさま寄付集めに取りかかり、約500万円を調達。水谷さんの亡父も海軍飛行予科練習生で、戦争の現実はよく聞かされた。「忘れない努力を続けなければ」と、7月25日に法要を執り行う。
 厚生労働省によると、台湾からは主に太平洋戦争中に20万人超が動員され、3万306人が亡くなった。しかし敗戦で日本国籍を喪失したため、補償は長年置き去りに。弔慰金が支給されたのは1980年代後半になってからだった。
 真照寺の碑には「祖国台湾 母国日本」とも刻まれている。これこそ、呉さんが心に抱き続けた真情だ。(斉藤 大起)
◆台湾出身の戦没者 厚生労働省によると20万7183人の軍人軍属が主に太平洋戦争中に動員され、約15%の3万306人が戦死・戦病死。陸海軍の志願兵制度のほか、戦局悪化に伴い1944年から徴兵制も実施された。87年に遺族らに弔慰金200万円を支給する法律が施行。台湾は1895年から敗戦まで日本が統治した。
神奈川新聞社
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