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2024年9月27日 YAHOO!JAPANニュース ナショナル ジオグラフィック日本版「「アマゾン先住民は原始的な狩猟採集民」は大きな誤解、なぜ世界に定着してしまったのか
アマゾンはなぜアマゾンと呼ばれるようになったのか、も
コロンビアのチリビケテ国立公園に残された古代の岩絵。ジャガーや大型齧歯類のパカ、ピラニアが描かれている。この地域では有史以前のアマゾンの光景を描いた7万5000点を超す岩絵が発見されている。(PHOTOGRAPH BY THOMAS PESCHAK)
アマゾンがその名で呼ばれるようになったきっかけは、1542年6月24日に起きた出来事だ。スペインのフランシスコ・デ・オレリャーナはこの日、窮地に陥った自身の探検隊が緑の世界から脱出できるよう神に祈っていた。
ギャラリー:アマゾン孤立部族の暮らし
一行はアンデス山脈の麓からいくつもの支流を下り、7カ月かけてようやく、誰も見たことがないような大河に出たのだった。この川を下っていけば、程なく大西洋に出られるだろう。オレリャーノはそんな期待を抱いていた。
この探検に同行したドミニコ会の修道士ガスパル・デ・カルバハルは、詳細な航海日誌をつけていた。河口からまだ1000キロ近く離れた地点で、勇ましい女性戦士が率いる軍勢に襲われたと、カルバハルは記している。脇腹に矢を浴びた彼は、この女性をギリシャ神話に出てくる女性だけの戦闘集団アマゾネスの戦士にたとえ、「インディアンの男たちは彼女を恐れ、その命令に決して背かない」とつづった。
カルバハルの日誌は南米大陸を横断したヨーロッパ人による初の探検記だが、スペイン当局はその報告をただの絵空事と見なして、まともに取り合わなかった。それでもアマゾンという言葉は、的外れな比喩だったにもかかわらず、この広大で複雑な地域の名称として定着することとなった。
以後、この地域についてはさまざまな“神話”がまかり通ってきた。
アマゾンは地球上で最も広く、最も生物多様性に富んだ熱帯雨林で、4万種の種子植物、2400種の魚類、1300種の鳥類、1500種のチョウを育んでいる。そんな場所なら、ほぼ手つかずの自然が残されているに違いないと思うかもしれない。
だが、これも長年通用してきた誤解の一つだ。研究者たちはここ40年ほど、着実に証拠を積み重ねてこうしたイメージを覆してきた。コロンビアとブラジルの奥地で岩絵や石器などが見つかり、アマゾン盆地には遅くとも1万3000年前から人間がいたことが明らかになった。この地域の人口は、コロンブスが新大陸に到達した1492年までに1000万人に達していたと推定されている。
ではなぜ、多くの人がアマゾンに対し、間違ったイメージをもち続けてきたのか。
オレリャーナの探検後の数百年間、この地域の人口は激減した。ヨーロッパ人がもたらした天然痘などの感染症で、先住民の9割以上が死亡したとみられる。生き残った人も奴隷にされるのを恐れて、ほとんどが内陸部の奥地に逃れた。そのためもともとは定住していた農耕民が、移動しながら狩猟採集生活を送るようになった。
18世紀にヨーロッパの博物学者が初めて調査に入ったときには、多くの場所が密林に覆われ、人の姿はほとんど見えなかった。この地域は以前からずっとこういう状態だったのだろうと、学者たちは判断したのだ。
※ナショナル ジオグラフィック10月号特集「本当のアマゾンを探求する」より抜粋。
文=エドゥアルド・ネベス
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