🔔32」─1─戦争反対の平和ボケした日本人には「アメリカの狂気」は理解できない。〜No.95No.96 

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 2023年4月12日9:01 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「アメリカが「建国の理想」ゆえに自壊する理由 自由民主主義の維持に潜む恐怖のパラドックス
 「自由民主主義の総本山」と見なされてきたアメリカが抱える、内戦の危機をもたらす恐怖のパラドックスとは(写真:haku/PIXTA
 2021年1月、アメリカ、そして世界に衝撃を与えた「Qアノン」煽動による前代未聞の連邦議会襲撃事件。次期大統領選への出馬を表明しているトランプ氏の動向次第では、再びこのような事態を招くのか。さらには2度目の「南北戦争」を招いてしまうのか。
世界中で「内戦」が急増している現状とその原因、アメリカでも内戦が勃発する潜在性が高まっている状況について、アメリカを代表する政治学者が分析し警告した『アメリカは内戦に向かうのか』(バーバラ・F・ウォルター著)を、評論家で作家の佐藤健志氏が読み解く。
■世界はボウイの予言に追いついた
 イギリスのロック・スター、デヴィッド・ボウイは1970年代、未来的かつ終末論的な作風の曲によって注目された人物。
 しかるに出世作『ジギー・スターダスト』を発表した1972年、ボウイは次のように発言しています。
 「自分たちの戦争に備えよ。なぜなら、君たちの戦争になるだろうから。これはみんなに言ってるんだ。なぜなら今度の戦争は市民の間で行われ、国対国という規模にはならないだろうから」(マイルズ編『デヴィッド・ボウイー語録』、柴田京子訳、新興楽譜出版社、1982年、121ページ。表記を一部変更)
 「David Bowie」のカタカナ表記は、現在では「デヴィッド・ボウイ」が一般的ですが、かつては「ボウイー」と末尾を伸ばす例も多く見られました。それはともかく、注目すべきは「今度の戦争は市民の間で行われ(る)」という箇所。
 半世紀前の時点で、ボウイは世界が内戦の時代を迎えるのではないかと語っていたのです。1972年、イギリスでは北アイルランドをめぐる状況が悪化、1月には陸軍部隊がデモ行進中の市民に発砲する「血の日曜日」事件が起きているので、それに触発された可能性はあるでしょう。
 ただしアイルランド情勢だけで、すべてを説明することはできません。翌1973年、ボウイはアメリカについて「災禍に向けての新しい出発点(に立っている)という気がした」と語ったのです(同、85ページ。カッコは引用者)。
 東アジア、ラテンアメリカ、および南欧・東欧などでも、このころから内戦の新しい波が生じました。1990年代はじめ、世界における内戦の数は近代史上、最多になったと言われるほど。
 ここ数年、事態はさらに悪化しています。2019年、内戦の数はそれまでの記録を更新しました。おまけにこれは、自由民主主義を否定し、権威主義をめざす風潮の台頭まで伴っている。「自由民主主義の総本山」と長らく見なされてきたアメリカすら、今や南北戦争以来の内戦に陥るのではないかと危惧されているのです。
 2020年代、世界はデヴィッド・ボウイの予言に追いついたと評さねばなりません。戦後日本は、アメリカとの協調、ないし従属を、国のあり方の根本に据えてきたのですから、これはわが国にとっても重大な意味合いを持ちます。
 かつて「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引く」というフレーズがありましたが、アメリカが内乱のあげく機能不全に陥ったら、日本(人)はアイデンティティーの崩壊をきたすのではないでしょうか。
■「不完全民主主義」の危険性
 内戦はなぜ起きるのか? 
 アメリカが「第2の南北戦争」に突入するとしたら、どのような形を取るのか? 
 民主主義の没落を防ぐため、われわれにできることは何か? 
 上記のテーマに正面から取り組んだのが、政治学者バーバラ・F・ウォルターの著書『アメリカは内戦に向かうのか』です。
 2022年はじめ、原著が刊行されたときから内容に注目した私は、同年秋に配信したオンライン講座『佐藤健志の2025ニッポン終焉 2025年、日本が迎える巨大な分岐点』(経営科学出版)において、詳しく紹介したうえで分析を加えました。その際、本に登場する重要な概念「ethnic entrepreneurs」「violent conflict entrepreneurs」を、「民族主義仕掛人」「暴力対決仕掛人」と訳しましたが、これは今回の日本語版でも踏襲されています。
 原著と比較した場合、訳文にはいろいろ気になるところも多いものの、この点は脇に置いて、ウォルターの議論を取り上げてゆきましょう。以下、引用は基本的に英文より行います。
 邦題こそ『アメリカは内戦に向かうのか』ですが、原著の題名は『How Civil Wars Start; and How to Stop Them』(内戦はどう始まるか、そして阻止するにはどうすべきか)。
 言い換えれば、アメリカの状況だけを論じたものではありません。全8章のうち、第1章から第5章までは、内戦発生にいたるメカニズムを、さまざまな国の例を挙げつつ分析しています。
 ポイントは以下のとおり。
 民主主義であれ、権威主義であれ、政治体制が安定している国では、内戦はまず起こりません。
 前者の場合、そもそも蜂起の必要がなく、後者の場合、蜂起しても制圧されるのがオチだからです。
 内戦が起こりやすいのは、両者の中間にある「アノクラシー」の国々。
 日本語版では訳語が用意されていないようですが、私の講座では「不完全民主主義」としました。
 読んで字のごとく、専制支配が確立されているわけではないが、さりとて民主主義が盤石というわけでもない状態。
 おわかりでしょうか。
 内戦を防ぐという観点に立つかぎり、中途半端に民主化された体制よりは、徹底した権威主義のほうが望ましいのです! 
 民主主義、とりわけ自由民主主義を「普遍的価値」と見なし、全世界に広めたがる傾向が強まった20世紀末、内戦がかつてなく生じるようになったのも、こう考えれば必然の帰結にすぎません。
 とくに危ないのが、社会の基盤が不安定なまま、急速な民主化を推進したがる国々。
 エドマンド・バークは『フランス革命省察』で、「急激な変化は、たとえ良いものであっても望ましくない」という旨を論じましたが、ウォルターの議論はこれを完全に裏付けています。そして「民主主義をめざしても、かえって物事が悪くなるだけだった」という幻滅が、自由民主主義の否定をうながすことになるのです。
■没落と絶望が暴力を呼ぶ
 ただし不完全民主主義、アノクラシーだからと言って、必ず内戦になるわけではない。
 次のポイントは、当該の国に、それまで享受していた地位や特権を失い、没落(日本語版では「格下げ」)の危機に直面した社会集団がいるかどうか。
 当の集団にとって、世の中は「ひどい右肩下がり」にしか見えない。
 強い不満を抱いて当たり前。
 しかも新たにのし上がってきた社会集団が、民族・宗教・言語などの点で、自分たちと違っていたらどうなるか? 
 ──われらが祖国は、異質なよそ者によって乗っ取られようとしている!  国の「純潔」を守れ! 
 こんな心情が広まっても不思議はありません。これをあおることで、権力を得たり、あるいは維持したりしようと画策するのが、先に出た「民族主義仕掛人」。
 だとしても、没落する側の人々の抱く不満や不安について、政府が取り合う姿勢を見せれば、最悪の事態にはならない。
 平和的な陳情や抗議によって、物事が改善される道が残っているためです。
 だが、政府が取り合わなかったらどうなるか。
 ──もはやこれまで、蜂起あるのみ! 
 今度はこんな心情が広まることになります。むろん自由民主主義への信頼など、とうに消え失せている。
 自分の権力欲を満たすべく、くだんの心情をあおるのが「暴力対決仕掛人」です。かくして人々は「(対立勢力と)妥協の余地など絶対にないと信じ込む」のですが(128ページ、日本語版の該当箇所170ページ)、これを大いに促進するのがSNS、つまりソーシャルメディア
 SNSにおいては、不正確な情報、ないし純然たるウソやデマも容易に発信できますし、それらがあっという間に広まってしまう。さらにアルゴリズム機能によって、自分が「見たい」「聞きたい」「信じたい」と思う情報が、優先的に提示されます。
 ウォルターが指摘するとおり、民族主義仕掛人や暴力対決仕掛人にとって、SNSは社会全体に向けた「拡声器」のようなもの(215ページ、日本語版の該当箇所272ページ)。だからこそ、蜂起がより容易、かつ頻繁に起きるようになったのです。
■内戦のシナリオは1つではない
 ならば現在のアメリカで、没落に直面し、絶望に駆られた社会集団は何か? 
 じつは白人、とりわけ学歴の低い人々。
 いわゆる無名の庶民です。
 これらの人々はもともと「ロマンティックに美化され、民主主義の屋台骨などと位置づけられるものの、自己主張の機会など、じつはほとんど得られない」状況に置かれていました(デイヴ・マーシュ『BORN TO RUN: THE BRUCE SPRINGSTEEN STORY』、ドルフィン・ブックス社、アメリカ、1979年、155ページ。拙訳)
 国が繁栄していれば、それでも我慢できるでしょうが、過去30年あまり、彼らの生活水準は一貫して下落しています。
 駄目押しというべきか、移民による人口構成の変化のせいで、いずれ白人は多数派ですらなくなる恐れが強い。
 ずばり八方塞がりです。
 そしてアメリカでは、市民が大量の武器を所持している。
 内戦の危機が高まるのも、必然の帰結ではありませんか! 
 というわけで、第6章と第7章では、来たるべき内戦の予測シナリオと、その際に社会がいかなる様相を呈するかが論じられるのですが……。
 これについては紹介を控えましょう。
 2021年1月、大統領選挙の結果を不服としたトランプ支持者が連邦議会を襲撃して以来、アメリカでは「新たな内戦」をテーマとした本が少なからず出版されており、予測シナリオにしてもいろいろあるためです。
 実際、わが講座『2025年、日本が迎える巨大な分岐点』では、ウォルターのものも含めて5つのシナリオを紹介しました。
 本書に登場するシナリオを金科玉条のごとく思っていると、思わぬところで足をすくわれるかもしれません。
 とまれ、内戦の危機がそこまで切実だとすれば、どうにか阻止できないかと思うのが人情。
 最後の第8章では、処方箋の提示が試みられます。
 「没落した白人の絶望をやわらげ、民主主義の屋台骨を修復するには何をすべきか」という話。
 ところがここで、本書は深刻な矛盾に陥るのです。
 アメリカの民主主義の理念が、いかにすばらしいかを強調すべく、バーバラ・ウォルターは自分の身の上を語る。
 じつは彼女自身、両親は移民。
 父はバイエルン生まれで、母はスイス生まれとか。
 夫のゾリもカナダ生まれのうえ、父親はハンガリーからの移民だったそうです。
 そして、こう続ける。
 「アメリカは私たち家族に、夢を追いかける機会を与えてくれた。ありのままの自分でいる権利を与えてくれたのだ。ここなら安全に暮らせるし、思いのままに生きられるという確信のもと、豊かさをめざす自由を」(221ページ、日本語版の該当箇所279~280ページ)
 本の最後でもウォルターは、今こそ「多をもって一となす」(=世界中から人々が集まって、平和で繁栄する社会をつくる)という建国のモットーを真に実現すべきだと述べました。
 しかし移民の増加こそ、学歴の低い白人を没落へと追いやることで、暴力的な蜂起に向かわせる大きな要因ではなかったか? 
■「価値ある自壊」をきたした本
 国境を越えた大規模なヒトの移動が、社会の安定を突き崩し、内戦を引き起こした事例は、本書の前半部でも繰り返し紹介されています。
 建国のモットーで何をうたおうと、アメリカだけは例外などということがありうるでしょうか。
 崇高な建国の理想を持ち、それを実践しようと努めたからこそ、アメリカは自壊の危機に瀕している。
 このパラドックスに気づかないまま「多をもって一をなす」を強化したら最後、いったいどういうことになるか? 
 そうです。
 本書が提示する「内戦阻止の処方箋」は、かえって内戦をあおりかねない性格を持っているのです! 
 ウォルター自身、これに気づいていた可能性が高い。
 次のような予防線を張っているからです。
 「われわれは(注:移民や難民まで含めた)あらゆる種類の人々を必要としている。移民を阻止しようとする国は、ゆっくりと死んでゆくほかはない。人口が減少してゆくためだ」(223ページ、日本語版の該当箇所282ページ)
 国の持続的発展なる大義を持ち出すことで、「内戦を防ぎたければ移民増加を阻止すべきでは」という反論を封じこもうとした次第。
 けれども没落し、絶望に沈んだ白人に、この言葉がどう響くか想像できますか? 
 こうです。
 「お前たちの不満には取り合わない。移民や難民の受け入れは続ける。白人は少数派に転落する運命なのだ。それを拒めば『死』あるのみ!」
 ひょっとして、バーバラ・ウォルターも「暴力対決仕掛人」なのか? 
 そんな気がしてくるではありませんか。
 『アメリカは内戦に向かうのか』は最後になって、同国の自壊を食い止める道を示すどころか、本そのものが自壊してしまうのです。
■このパラドックスは他人事ではない
 ただしこれは、本書の価値を否定するものではない。
 否、みごとに自壊しているからこそ、『アメリカは内戦に向かうのか』には大きな意義がある。
 現在の世界において、自由民主主義の維持にいかなるパラドックスがつきまとうかを、身をもって示しているからです。
 日本語版の冒頭に添えられたメッセージで、ウォルターが語っていることは、その意味で本人が考える以上に正しい。
 いわく。
 「ここで述べられていることは、私たちの世界を取り巻く真実の姿にほかなりません。それらが日本で生活する皆様にとっても、遠からず訪れる未来であることは否定できません」(3ページ)
 本書の破綻を乗り越えることができるかどうか、それはわれわれにとっても、国の運命を左右する巨大な分岐点となるのです。
 佐藤 健志 :評論家・作家
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 2019年1月18日 YAHOO!JAPANニュース「日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
 「ディズニー、トランプ、GAFA」に熱狂するDNA
 塩野 誠 : 経営共創基盤(IGPI)共同経営者/マネージングディレクター JBIC IG Partners 代表取締役 CIO
 歴史をひもとくと「トランプ支持」が広がってしまう理由がわかるといいます(写真:AFP/アフロ)
 全米話題のベストセラー『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』(上・下)がついに日本でも刊行された。
 「世界でいちばん偉大な国」だったアメリカはなぜ、トランプ政権やフェイクニュースに象徴されるような「不可解な国」に変貌してしまったのか。現代アメリカを覆う社会病理の起源を語った本書を、経営共創基盤の塩野誠氏にいち早く読み解いてもらった。
現代アメリカを語る必読書
 「アメリカ人の3分の2は『天使や悪魔がこの世界で活躍している』と信じている」
 冒頭から、こんないぶかしい言葉が本書には並ぶ。
 『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
 本書は、これまでにない視点で歴史をひもとき、現在のアメリカを語る試みである。アメリカを語る者や研究者の必読書となる可能性のある大作だ。
 日本人はアメリカが好きである。正確に言えば、日本人がアメリカについて語る機会は、他国について語るよりも圧倒的に多い。
 日本とアメリカがかつては戦争で対峙し、現在は同盟関係にあるという歴史的経緯に加え、高度成長期の政治・経済においてもかの国から多大な影響を受けたことは言うに及ばない。
 加えて日本人は彼らのライフスタイルやポップカルチャーからも多大な影響を受け、それを語る。
 その昔、日本の若者がアメリカにあると信じていたファッションやライフスタイルは、「UCLAの学生の着ている服は」「古きよきアメリカは」といった断片的な記号で語られた。
 ディズニーランドは、聖地のような扱いを受けている。
 少し前のビジネスシーンでは、「ニューヨークの投資銀行では」「ウォールストリートでは」「シリコンバレーでは」と、日本人は「アメリカでは」という想像によるイメージを繰り返し語ってきた。
 むろん日本人は、「アメリカ」という言葉がさまざまなものを包含した雑な入れ物であることに気づいている。サンフランシスコとデトロイトは異なり、中西部の名も知れぬ街とニューヨークでは国さえも違うかのようである。
 2018年に出演俳優らがアカデミー賞を受賞した問題作『スリー・ビルボード』を見た私たちは、同作の舞台となった閉塞感ある片田舎とニューヨークが異なることを知っている。
 不可解なアメリカの起源とは
 アメリカを語る日本人は、トランプ大統領の登場以降、説明のつかない不可解なアメリカに対してもやもやとした感情を抱いているのではないか。
 特に「アメリカは」の後に「合理的」とか「ロジカル」と続ける人々にすればそうだろう。メディアの報道を「フェイクニュース」と切って捨てる大統領の登場と、それに熱狂する支持者たちは、彼らにとって理解しがたい存在に映っている。
 そしてニューヨークやボストン以外にもたくさんの「アメリカ人」が住んでいることに気づき、ラストベルト(中西部などのさびれた旧工業地帯)のトランプ支持層について納得しようとする。
 しかし本当のところ、現在のアメリカを形づくっているものはいったい何なのか? 本書はそこを掘り下げる。『狂気と幻想のアメリカ500年史』とタイトルにあるように、幻想によって創られた「ファンタジーランド」としてのアメリカを膨大な資料を基にひもといていく。
 アメリカは1776年に独立宣言を採択した国であり、500年の歴史を持つとはもちろん言えない。
 本書では、イングランドで初めてのプロテスタントの君主だったエリザベス女王、その後を継ぎ聖書の公式英語訳を命じたジェームス1世(1566年生)が与えたアメリカでの植民地建設の勅許の中に、その起源を見る。
 この勅許の中に福音伝道の使命が含まれており、著者が「常軌を逸したカルト教団」と表現しているピューリタン急進派が、アメリカ建国の「ピルグリム・ファーザーズ」になったとするのだ。
 著者はこう主張する。
 16世紀に誕生したプロテスタントは、自分たちの妄想が嘲笑されない場所(=アメリカ)を探し、そのプロテスタントからアメリカのもととなる考え方が生まれ、情熱的で空想的な信念こそ最も重要とされる「ファンタジーランド」の足場が完成したと。
一般的にプロテスタントは資本主義を醸成する土壌をつくったとされるが、これについての著者の見方はこうだ。
 アメリカはたった1世紀のうちに普通の人が荒野から国を造り出した初めての国であり、そもそも、ゴールドラッシュのような一攫千金やユートピアなどの幻想を受け入れる空っぽの容器として始まった。
 著者は読者を圧倒する膨大な事例を用いて、「アメリカ人は、自分が望むことならどんなにばかばかしいことでも信じられる。自分の信念には、ほかの人の信念と同等かそれ以上の価値があり、専門家にとやかく言われる筋合いはないと思っている」という思想の源泉を解き明かしていこうとする。その思想は、現在のフェイクニュースにもつながる。
 そこは事実を目前にしてもなお「現実は相対的なものだ」と考え、公正であれ不正であれ、自分の野心を追求するチャンスを楽しみ、良ければ起業家、悪ければ詐欺師、最悪の場合は「狂信的な反知性主義」が覆う世界である。
 日本人にとって興味深いのは、漠然とキリスト教の国と捉えているアメリカが、実際には「誰でも説教師になれる、好きなように説教ができる」というキリスト教プロテスタントをベースにした数限りない新興宗教の勃興と争いの歴史を持っていることだろう。
 アメリカを覆う宗教観は、夢や幻覚、超自然的印象と強固に結びついた、自分が信じれば何でもありの個人主義的な宗教(的なるもの)の寄せ集めとも言える。
 アメリカの南北戦争を、両軍とも聖戦と捉え、神の計画の中でどちらを神が罰するのかと考えたのは、当時の人々の自然な考え方であろう。
 「幻想・産業複合体」としてのアメリ
 宗教(的なるもの)と幻想、個人主義から生まれたアメリカは、メディアなどのテクノロジーの発達とともに、幻想を産業化する「幻想・産業複合体」となっていく。
 中世では教会こそが舞台装置を備えたメディアであったといえるので、これもまた興味深い進化である。
 1835年にはすでに金儲けのためのフェイクニュースが登場していた。新聞のニューヨーク・サン紙が、知的な文体で書かれた1万6000字の文章によって、月面上に生物(菜食のコウモリ人間)を発見したことを報じたのだ。
 人々はその報道を信じ、名門大学のイェールでも疑いを抱いたものは誰もいなかったという。こうした「稼げるフェイク産業」が勃興し、サルと魚の剥製を組み合わせた「人魚」は、存在を信じさえすればそれは実在すると考える人々に好評を博したのだった。
 時とともにアメリカ人の中で、「正しいと信じる権利がある」と考える気質は強化されていった。
 そしてアメリカ人が信じたいものを見せる舞台装置は、ここ100年の間にテクノロジーによって加速されていった。VR(仮想現実)もない時代の仮想現実は映画だった。映画は当時の人々にとっては魔法であり「真実」だったのだ。まさに幻想・産業複合体の誕生である。
 だが真実と幻想の区別がつかなくなったとき、日常に起こるさまざまな事象は陰謀説が絡みやすい。賢明な読者ならすぐに想像がつくように、アメリカはハリウッドでの「赤狩り」の時代に入り、共産主義者という隠れたスパイが民衆の知らないうちに映画やテレビでプロパガンダを行っているという幻想が爆発し、罪のない人々を追い詰めていった。
 また近年に至っても、ケネディ暗殺に関する新しい真実や陰謀論を報じる映画やドキュメンタリーが創られ続けていることを私たちは知っている。
 「中二病」の先駆者としてのアメリ
 本書で詳述される「幻想・産業複合体」はいつまでも子どもでいたいベビーブーマー世代以降に完全に定着した。
 真実とうその優雅な混合であるプロレスWWEに登場し、WWEのオーナーだったマクマホンに平手打ちした(フリをした)、後の大統領トランプ氏から、スラム街の悪党を名乗るギャングスタ・ラップまで、ある意味で日本の「中二病」の先駆者たちが、ずっと子どもでいたい消費者たちと一緒になって、「ごっこ」の産業を拡大していったのだ。
 存在しなかった過去への郷愁の具現化ともいえるディズニーランドに人々は熱狂した。もしかしたら「古きよきアメリカ」を語る日本人は「ごっこ」の「ごっこ」をしている可能性がある。
 先述した、寄せ集めでつくられたアメリカの宗教観は、日本の『エヴァンゲリオン』を思い起こすかもしれない。ずっと子どもでいたかったポップカルチャーの帝王マイケル・ジャクソンが、自らつくったネバーランドに子どもたちを招きスキャンダルを起こしたことを記憶する人もいるだろう。
 一般的に、国家が先進国となっていく過程で宗教性は薄れるものだが、アメリカは例外的にそうはならなかった。アメリカを事実に基づいた思考をする合理的な国だと考えるなら、再考の必要がある。
 アメリカは『Xファイル』化しており、それが日常となったとき、子どもたちが次々に誘拐されるという事件や多重人格障害を妄想から根拠なくつくり出していったと本書は言う。
 なぜ学校であれほど銃の乱射事件が起きても、アメリカ人は銃を手放さないのか。
 銃のない世界に住む日本人にとって非常に不可解なことも、いつの日か「高圧的な政府の悪党」が市民を攻撃する際に武器をとって立ち向かうためだとすれば、納得がいくだろうか。
 本書はアメリカという国を500年という歴史で捉え、現代における「自分が信じればそれが真実」という世界観を理解するための貴重な資料となるだろう。
 英『エコノミスト』誌はトランプ大統領の言動は「むしろ権力に立ち向かう意思を証明するものと受け取られている」と指摘する。本書に登場する哲学教授の言葉に問題の深さが現れている。
 「繰り返し矛盾に接すると、事実そのものを重視する感覚が鈍ってくる」
 今のアメリカを語るのなら、本書は必読だろう。
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