🔯11」─2─コーカソイド。ヨーロッパ新石器時代の櫛目文土器文化。~No.36 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ヨーロッパなど世界各地には日本のような血統・血筋・血縁は存在しないが、それは当然の事である。
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 Gigazine
 2018年03月19日 06時00分サイエンス
 古代人のDNAを分析することで「人類が長い歴史の中でどのように変遷していったか」が明らかになりつつある
 by University of Michigan School for Environment and Sustainability's photostream
 本や文章などの記録がない時代の人類については、かつて考古学で研究されていましたが、「人種や民族がどのように移り変わっていったのか」は、ジェノグラフィック・プロジェクトの例に見られるように、今や考古学よりも遺伝学によって多くの事が分かりつつあります。
 Ancient DNA is Rewriting Human (and Neanderthal) History - The Atlantic
 https://www.theatlantic.com/science/archive/2018/03/ancient-dna-history/554798/?single_page=true
 遺伝学者のデヴィッド・ライヒさんが、クロアチアの洞窟で発見された4万年前のネアンデルタール人の骨から抽出したDNAサンプルを分析した結果、ネアンデルタール人が当時ヨーロッパに住んでいた現世人類と交配していたということが明らかになりました。また、現代のヨーロッパ人よりも東アジア人のほうがネアンデルタール人のDNAをより多く受け継いでいることが判明し、「ネアンデルタール人が滅んだ後、ネアンデルタール人と交配していた人類はユーラシア大陸を東に移動していった可能性が高い」とライヒさんは主張しています。
 by nmmacedo
 ライヒさんの研究によれば、ヨーロッパに住む人類は今から4万1000年前~3万9000年前に、ネアンデルタール人から現世人類へ置き換わっていったそうです。ヨーロッパで見つかった最古の現世人類は、現代のヨーロッパ人と遺伝的には全く関連していないとのことで、今では絶滅してしまった人種とみられています。
 現在のヨーロッパの狩猟採集民につながる人種は3万7000年前~3万5000年前から見られるとのことですが、その後に氷河期が訪れたため、北ヨーロッパに住んでいた人類の多くが南へ大移動を行ったとみられていて、氷河期が終わると、トルコ・ギリシャ・スペインなどから人類が北ヨーロッパへ再び移住したと考えられています。
 例えば、1903年にイギリスで発見されたチェダーマンは約1万年前の骨で、ヨーロッパの南東から北へ移り住んだ人種のものといわれています。実際にチェダーマンのDNAを分析した結果、現代の北ヨーロッパ人の特徴である白い肌と金髪は有していませんでしたが、青い目を持っていたことが判明しています。つまり、現代の北ヨーロッパ人は元より単一の人種なのではなく、1万年前に北ヨーロッパへ移住してきたさまざまな人種が混ざり合った結果である可能性が高まりました。
 by Fenners1984
 他にも、人種による遺伝的な免疫の差がそれぞれの人種の広がりに大きな影響を与えていたことも分かりました。古代の人骨から抽出したDNAを分析・比較することで、はるか昔にさまざまな人類種の交配や大移動が見えるというわけです。
 ただし、ライヒさんたちの研究で分かったことの一部が、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが主張していた「アーリアン学説」に重なると解釈される恐れもあると判断され、ライヒさんたちは研究を一時中断したそうです。特に考古学の世界においては、考古学の研究がナチス・ドイツプロパガンダにゆがめられて使われたこともあり、「人種・民族の変遷」というテーマには神経質になっていることも影響しているとのこと。
 ライヒさんは「おそらく考古学者や言語学者は、私たち遺伝学者が考古学の専門用語や考え方をちゃんと学んでいないことにいらいらしていると思います。しかし私たちは、古代人類のDNA分析という強力な道具を手に入れています」と語っています。さらに「これらの研究データによって、人種の違いはせいぜい数千年の歴史で生まれたものに過ぎず、どれもみんな交配を重ね、混ざり合った結果だと分かりました。私たちは民族移住や異人種交配にもっと心を開くべきです」と、ライヒさんは主張しています。
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 櫛目文土器文化(くしめもんどきぶんか:Comb Ceramic culture または Pit-Comb Ware culture)とは、新石器時代のヨーロッパ北東部、現在のヨーロッパロシア北部とフィンランドを中心とする地域に広まった文化。紀元前4200年頃から紀元前2000年頃まで続いた。櫛の歯で擦ったような文様のある土器(櫛目文土器)を特徴とするためこの名がある。
 北・西はスカンジナビア半島中部、東はウラル山脈、南はバルト海南岸、ポーランドヴィスワ川付近まで分布し、さらにいくつかに下位分類される。
 基本的に狩猟採集文化と考えられるが、一部は農耕段階であったと思われる。集落は海岸・湖岸に集中し、生業は漁労・狩猟・採集であった。土器は丸底または凸底の壷形土器であった。中にはアスベストを用いた特異なものもある。墓は集落近くに作られ上に赭土がかけられた。特徴的な製品として土偶や、クマなど動物の頭の石像がある。岩石刻画も知られる。
 担い手
 櫛目文土器文化の担い手は、地理的に見てインド・ヨーロッパ語族ではなく、フィン・ウゴル語派を話した人々であろうといわれている。実際に、新石器時代後期のロシアの櫛目文土器文化の遺跡の人骨から、フィン・ウゴル系民族に関連するハプログループN1a1が検出されている。櫛目文土器の起源は中国北東部の遼河文明にあり、シベリアを通りヨーロッパにもたらされたと考えられる。
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 Nature Japan 注目のハイライト 進化:ヨーロッパで最古の現生人類に関する解明が進んだ
 RESEARCH PRESS RELEASE
 進化:ヨーロッパで最古の現生人類に関する解明が進んだ
 2021年4月8日
 Evolution: Getting to know the earliest modern Europeans
 Nature
 約4万5000年前のものとされるヨーロッパで最古の現生人類の骨の化石のゲノム解析が行われ、ヨーロッパにおける初期人類の移動に関する新たな知見が得られたことを報告する2編の論文が、それぞれNature とNature Ecology & Evolution に掲載される。これら2つの研究は、ヨーロッパにおける初期現生人類集団の複雑で多様な歴史を描き出している。
 ヨーロッパで最古の現生人類の骨の化石は、ブルガリアのバチョキロ洞窟で発見され、放射性炭素年代測定法によって4万5930~4万2580年前のものと決定された。この最古の現生人類集団が、約4万年前まで生存していたネアンデルタール人とどの程度交流していたのかは解明されておらず、その後の人類集団にどのように寄与したのかについても、ほとんど分かっていない。
 Nature に掲載される論文では、Mateja Hajdinjakたちが、バチョキロ洞窟で採集された人類標本の核ゲノム塩基配列の解析が行われて、これらの人類個体の祖先についてと、これらの個体と現代人の関係についての手掛かりが得られたことを報告している。最古の3個体は、西ユーラシアの現代人集団よりも、東アジア、中央アジアアメリカ大陸の現代人集団と共通の遺伝的変異の数が多かった。また、これら3個体のゲノムに占めるネアンデルタール人のDNAの割合は3~3.8%であり、これら3個体のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝物質の分布から、わずか6世代前かそれより近い世代の祖先がネアンデルタール人であったことが示された。これらのデータは、現生人類とネアンデルタール人の交雑が、これまで考えられていたよりも頻繁だった可能性のあることを示唆している。
 Nature Ecology & Evolution に掲載される論文では、Kay Prüferたちが、チェコのZlatý kůň遺跡から出土した4万5000年以上前のものと考えられる女性の現生人類の頭蓋骨化石のゲノム塩基配列解析結果を報告している。Prüferたちは、この人類個体が、ゲノムに占めるネアンデルタール人のDNAの割合が約3%で、その後のヨーロッパ人集団、アジア人集団のいずれにも遺伝的に寄与していないと思われる集団に属していたことを明らかにした。この頭蓋骨化石は、汚染のために放射性炭素年代測定には失敗したが、ネアンデルタール人に由来するゲノム中のDNA断片が、他の初期現生人類個体のゲノムのそれよりも長かったため、この個体は4万5000年以上前に生存しており、アフリカから各地に広がった後のユーラシアにおける最古の現生人類集団の1つに属していたことが示唆された。
 以上の知見を総合すると、ヨーロッパにおける人類集団の交代が連続的に起こったとする従来の学説が裏付けられる。
 doi:10.1038/s41586-021-03335-3
 「Nature 関連誌注目のハイライト」は、ネイチャー広報部門が報道関係者向けに作成したリリースを翻訳したものです。より正確かつ詳細な情報が必要な場合には、必ず原著論文をご覧ください。
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 Nature Japan 注目のハイライト 【人類学】初期ヨーロッパ人の移動経路を追う
 RESEARCH PRESS RELEASE
 【人類学】初期ヨーロッパ人の移動経路を追う
 Nature Communications
 2013年4月24日
 Anthropology: Tracking Early Europeans’ movements
 Nature Communications
 中央ヨーロッパ系の人々のミトコンドリアDNA、特にハプログループHの起源が、新石器時代前期(紀元前5400年)ではなく、新石器時代後期の紀元前2800年頃であったことが判明した。この新知見は、現代ヨーロッパ人の祖先の移動に関するさらなる手がかりとなる。
 ミトコンドリアDNA(mtDNA)の組合せの1つであるハプログループHは、紀元前25,000~20,000年頃の東南アジアで出現し、紀元前13,000年の最終氷期極大期に近東からヨーロッパに到達したと考えられている。今では、ハプログループHが、西ユーラシアの現生人類の集団全体のmtDNAの40%以上を占めている。これまで、考古学では、ハプログループHが、後氷期に拡大したと考えられているが、ヨーロッパ人のmtDNAで支配的な地位を占めたのがいつのことで、どのような過程によるものだったのかは解明されていない。
 今回、Wolfgang Haakたちは、古代のヒト骨格遺物から採取されたmtDNAの塩基配列を解読し、初期ヨーロッパ人の人口動態を再現した。その結果、これまで知られていなかった大きな遺伝的移行が明らかになり、新石器時代後期(紀元前2800年)と現代のヒトの遺伝的多様性に対する新石器時代前期(紀元前5400年)のヒトの寄与度がわずかなものだったことが確立された。新石器時代後期は、文化と経済が変化した時期であり、新しい汎ヨーロッパ文化がイベリア半島から出現した。以上のデータは、西欧からの大きな遺伝的流入があり、このことが中央ヨーロッパ以外の地域からのヒト系統の流入と関連している可能性があることを示している。
 この人口動態の再現は、直接的な較正点に基づいており、後氷期のヨーロッパでの人類史の解明に役立つ。
 doi:10.1038/ncomms2656
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 Nature Japan 注目のハイライト 【遺伝】青銅器時代のヨーロッパにおける父系系譜の拡大
 RESEARCH PRESS RELEASE
 【遺伝】青銅器時代のヨーロッパにおける父系系譜の拡大
 Nature Communications
 2015年5月20日
 Genetics: Bronze Age male dispersal in Europe
 Nature Communications
 青銅器時代における広範な男性特異的な拡大がヨーロッパの現生人類集団の人口増加に拍車をかけたという見解を示す論文が、今週掲載される。今回の研究結果は、現代ヨーロッパ人の起源の解明に役立ち、青銅器時代のヨーロッパの社会構造に対する関心を高めるものといえる。
 現代ヨーロッパ人集団に関しては、その起源と時期をめぐって激しい議論があり、新石器時代の農耕民と旧石器時代の狩猟採集民の相対的な寄与度も分かっていない。今回、Chiara Batiniたちは、ヨーロッパ人集団と中東人集団(合計17集団)のY染色体の雄性特異的領域の一部について塩基配列解読を行い、新石器時代以降、比較的近年のヨーロッパ大陸全体で急激な人口増加のあったことを明らかにした。特に2,000~4,000年前頃の青銅器時代には、父系系譜(父方で繋がる子孫群)が増え始めていた。
 青銅器時代初期は、広範囲で急激な変化が見られ、埋葬習慣の変化、乗馬の普及、武器類の発展などの特徴があった。今回観察されたパターンの一部は、こうした習慣が男性の主導する社会選択と結び付くことで生じたとBatiniたちは考えているが、この点を明らかにするには古代DNAの研究が必要とされる。
 doi:10.1038/ncomms8152
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 Nature Japan Nature Ecology & Evolution 注目のハイライト ネアンデルタール人と初期人類との交雑が評価された
 RESEARCH PRESS RELEASE
 ネアンデルタール人と初期人類との交雑が評価された
 Nature Ecology & Evolution
 2018年11月27日
 Neanderthal–early human interbreeding assessed
 Nature Ecology & Evolution
 現代の東アジア人とヨーロッパ人において、ネアンデルタール人のDNA断片の大規模な遺伝子解析が行われ、解剖学的現生人類の祖先とネアンデルタール人が複数の時点で確かに交雑していたことを明らかにした論文が、今週掲載される。
 アフリカから拡散した解剖学的現生人類は、ユーラシア西部でネアンデルタール人と遭遇した。この遭遇は、現代の非アフリカ人集団のゲノムに痕跡を残した。解剖学的現生人類のゲノムには、ネアンデルタール人の要素が約2%含まれているのである。当初、現生人類とネアンデルタール人との間の交雑事象は1回だけであったと考えられていたが、東アジア人においてネアンデルタール人祖先の割合が、ヨーロッパ人よりも12~20%高いという知見から、遭遇は複数回であった可能性が示唆されていた。
 Fernando VillaneaとJoshua Schraiberは、現生人類ゲノムの大規模なデータセットにおいて、東アジア系の人々とヨーロッパ系の人々の、ネアンデルタール人由来DNAのパターンに見られる非対称性を分析した。そして、異なる回数の交雑事象に関して解剖学的現生人類のゲノムに対するネアンデルタール人DNAの寄与をシミュレーションし、これらのパラメーターの多い複雑なモデルを機械学習の手法を用いて検討した。その結果、現生人類ゲノムに見られたネアンデルタール人由来DNAのパターンは、ネアンデルタール人集団と、東アジア人集団とヨーロッパ人集団の両方との間の複数回の交雑事象によって最もよく説明される、と結論付けられた。
 著者たちは、現生人類とネアンデルタール人との複数回の遭遇は、異なるヒト族集団の間でたびたび複雑な相互作用が生じていたという新たな見方に符合する、と結んでいる。
 英語で読んでみよう
 doi: 10.1038/s41559-018-0735-8
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「コーカソイド」の解説
 コーカソイド
 Caucasoid
 ヨーロッパ全土、西アジア北アフリカ一帯に分布する人種群。便宜的に人類を、三大人種もしくは四大人種に分けた場合の一つ。コーカソイドとは「コーカサス人のようなもの」という意味。ドイツの解剖学者・人類学者であるブルーメンバハが世界各地からの頭骨を好んで収集したところ、コーカサス地方由来の頭骨が美しかったため、これこそヨーロッパ人の祖先に違いないと考え、この名称をつけた。ヨーロッパ人種あるいはユーロポイド、白色人種などの呼称もあるが、それらはかならずしも全体を表していないため、むしろコーカソイドという歴史的な呼び方が一般化されている。
 [香原志勢]
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 一般に体表の色素が少なめで、明色の皮膚、虹彩(こうさい)、毛髪をもつものが多い。実際、一部の個人に白い肌に灰色、青色、緑色などの虹彩、そして金色や褐色の毛髪という組合せがみられるのはコーカソイドならではといってよいだろう。このように皮膚の色素が少なくなる現象は、紫外線照射の弱い地方にのみみられる。アルプス以北のヨーロッパ、とくにスカンジナビア地方のように緯度が高いうえに冬季は日照をほとんど受けない地方では、これらの特徴をもつ人がもっとも適応的である。白い皮膚、青い目、金髪という三拍子のそろったものをブロンディズム(金髪現象)とよぶ。皮膚は単に白いというだけでなく、内部の毛細管の血液を映すため、ピンクにみえる。同じコーカソイドでも、低緯度地帯の日照の強い地方では、適応上、暗色の皮膚や虹彩、毛髪をもつものが多い。むしろ、そのような人たちの方が本流であり、明色の体表をもつようになったのは、高緯度地帯への適応によるといえる。
 波状毛を有するものが多く、毛髪断面の直径がモンゴロイドのほぼ半分と細いため、長く伸ばした頭髪やひげはふさふさと揺れる。体毛や顔毛の量は現生人類中もっとも多いが、頭部は禿(は)げやすい。皮脂腺(せん)がモンゴロイドより発達し、一般に体臭が強い。小児の臀部(でんぶ)に現れる小児斑(はん)はほとんどみられない。二重瞼(まぶた)で、内眼角には涙丘が露出している。鼻は狭鼻で高くそびえ、唇は薄い。そしゃく器、とくに歯と歯槽部が退縮しているために、顎(がく)部が全体的に小さい。また歯列弓は小さい弧をなすが、頤(おとがい)は突出していることが多い。血液型についてみると、B型が比較的少なく、低頻度ながらA2型がみられ、Rhマイナスが多い。
 [香原志勢]
 人類史上の位置と分布拡大目次を見る
 今日、コーカソイドは、地球上にあって政治的、文化的に優位にたっているといえる。そのような背景があるためか、人類進化において、コーカソイドがもっとも優越した人種であると考える傾向が一部にある。そしゃく器の退縮は人類進化の一要素であるが、それは相対的なものであり、多毛であることや他の多くのことを考えれば、コーカソイドをとくに進化しているとはいえない。皮膚の色は進化程度とは無関係である。コーカソイドの起源として、後期旧石器時代クロマニョン人との骨格形態の類縁関係があげられるが、確実ではない。とくに、クロマニョン人の体表が明色であったと断定することはできない。
 コーカソイドはさらに、地域的な諸亜人種に分けられる。
(1)北欧亜人種(北ヨーロッパ人種)。北ヨーロッパに居住し、明色の体表をもち、長頭、長身。
(2)アルプス亜人種。アルプス地方を中心とした中部ヨーロッパに居住し、明色の体表をもつが、短頭で体つきはずんぐりしている。
(3)地中海亜人種。地中海沿岸に居住し、やや浅黒い皮膚と濃色の虹彩、黒髪をもち、長頭。
(4)東欧亜人種(東ヨーロッパ人種)。東ヨーロッパに居住し、体表の色素が著しく薄く、短頭。
(5)ディナール亜人種。バルカン半島に居住し、濃色の毛髪と虹彩をもち、短頭、長身。
(6)南東亜人種。アラビア半島に居住し、浅黒い皮膚と濃色の虹彩と毛髪をもち、体つきはほっそりしている。
(7)アナトリア亜人種。西南アジアに居住し、アルプス亜人種に似ているが、短頭で肉厚な鼻をもつ。
(8)インド・アフガン亜人種。イラン、アフガニスタン、インド北部に居住し、体表の色素が濃く、やや幅広い鼻をもつ。骨格的にはコーカソイドだが、皮膚色が濃いため、「黒い白人」とよばれることもある。
 このような分布は15世紀ごろのものであり、その後、ヨーロッパ諸国が世界各地に植民地をもつに及び、コーカソイドは先住民を駆逐して、地球上の温暖な地方に広く分布するようになった。たとえば北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカなどには、北西ヨーロッパからの人々が広く植民した。また中央および南アメリカには、イベリア半島、のちには北西ヨーロッパやイタリアの住民が大量に移住し、先住民(インディオ)との混血を進めた。シベリアには東欧亜人種が大幅に移住している。
 なお、アイヌは、欧米の学者によって長年、コーカソイドと考えられていたが、最近の日本人学者はそのように考えず、モンゴロイドの古型とみなしている。
 [香原志勢]
 [参照項目] | 人種
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「コーカソイド」の解説
 コーカソイド Caucasoid
 白色人種,ヨーロッパ人種ともいう。三大人種の一つで,人口が最も多い。一般に体表の色素沈着が少いが,その程度には変異が多い。皮膚の色が薄いのは,紫外線の弱い高緯度地域で生じた突然変異の結果と考えられている。全体として,二重瞼で,鼻が狭く突出している。唇は薄く,咀嚼器は発達しておらず,歯は小さい。頭型は亜人種ごとに変異が著しく,身長は中ないし高身長。毛髪は波状を呈するものが多く,一般に多毛であり,体臭が強い。分類には諸説があるが,ヨーロッパでは北ヨーロッパ,東ヨーロッパ,ディナール,アルプス,地中海 (これは北アフリカにも分布) の5人種,アジアでは南東,インド=アフガン,アルメニアなどの人種があげられる。アイヌ,オーストラリア先住民,ベッダ族をコーカソイドに含める説もあるが,疑問も多い。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 じんぶん堂TOP 歴史・社会 現生人類はネアンデルタール人と混血していた 『遺伝人類学入門』より
 2020.04.14
 現生人類はネアンデルタール人と混血していた 『遺伝人類学入門』より
 original image:Bruder / stock.adobe.com
 近年、世界中の人類集団の遺伝子のバリエーションについて、大規模な研究が数多くなされている。そうした中、中央アジアから東アジアにかけてチンギス・ハンの持っていたY染色体のタイプが爆発的に拡散しているという仮説が提起された。この仮説を追うことを糸口として、遺伝子の研究方法から、人類の祖先の辿り方、進化と遺伝の捉え方まで、ゲノム時代にわれわれのルーツを追究する意義について、縦横無尽に解説した『遺伝人類学入門』より、ネアンデルタール人についての一節を紹介します。
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 ネアンデルタール人は本当に滅びたのか
 分子時計を利用すると、アフリカ人と非アフリカ人を含むクラスターの分岐が約10万年前と計算されました。遺伝子の分岐年代は集団の分岐よりも古いと考えられるため、現生人類の誕生は古く見積もっても10万年前、アフリカから現生人類が外へ出たのは、10 万年前よりは新しい出来事と考えられます。最近のゲノム全体の情報を用いた研究では、現生人類の出アフリカは7万~6万年前と言われています。そして少なくとも1万3000~4000年前には、人類はアメリカ大陸へも進出したと考えられています。
 このように人類は、非常に短い時間で地球上のあらゆる大陸に拡散していきました。器用に火を使い、また、狩りなどで得た獲物から加工した毛皮を身に纏っていたことが幸いして、寒い所にも適応することができたと考えられています。ホモ・サピエンスはその類いまれな適応力により、驚異的な速度で世界中に広まった生物種であると言えます。
 アフリカ大陸で誕生した祖先はヨーロッパ、東アジア、オーストラリア、そしてアメリカ大陸に拡散しました。アフリカ単一起源説に基づくならば、現生人類が東アジアや東南アジアに辿り着く前からそこに住んでいた北京原人ジャワ原人は絶滅したことになります。
 ヨーロッパ大陸ではホモ・エレクトス段階の化石が見つかっていませんが、ネアンデルタール人の化石は見つかります。ネアンデルタール人ホモ・サピエンスとは別種と考えられてきましたから、アフリカ単一起源説に立てば、ネアンデルタール人も絶滅したことになります。でも、そう簡単に片付けるわけにはいきません。
 解剖学的特徴を見ると、ネアンデルタール人は私たちホモ・サピエンスのバリエーションの中には含まれません。逸脱しています。でも、他の化石人類と比べれば、ホモ・サピエンスと非常に近い人類だったと言えます。
 ネアンデルタール人は本当に滅びたのでしょうか。先ほども述べたようにヨーロッパからはホモ・エレクトスの化石は発見されておらず、その代わりにネアンデルタール人の化石が発見されています。このため、ホモ・エレクトス段階では当時のヨーロッパの環境に適応できなかったけれど、ネアンデルタール人の段階でそれが可能になったと言えるかもしれません。
 クロマニヨン人ネアンデルタール人
 そして、もう一つの人類が登場します。クロマニヨン人です。かつてヨーロッパ大陸にはクロマニヨン人がいました。ネアンデルタール人はヒトとは別種であるとされ、ホモ・ネアンデルターレンシスという学名を付けられていますが、クロマニヨン人ホモ・サピエンスです。なんとなく原始的なイメージを持っている人も多いかもしれませんが、私たちと同じ「解剖学的現代人」です。
 たとえば、ラスコー洞窟に残されている精密かつ写実的な壁画を描いたのはクロマニヨン人です。今の私たちと解剖学的に同等の脳を持ち、おそらく同等の知能を持っていたはずです。小惑星探査機「はやぶさ」を開発した脳とこの壁画を描いた脳には、もちろん神経ネットワークには違いが存在したかもしれませんが、解剖学的な違いは存在しなかったということです。
 ヨーロッパではクロマニヨン人と同時期に、ネアンデルタール人が存在しました。このためネアンデルタール人クロマニヨン人と混血しなかったのか、もし絶滅したとしたら、クロマニヨン人と争って絶滅したのか、については以前から大きな疑問でした。
 そこで、ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出して調査した分子人類学者がスバンテ・ペーボです。ペーボは、ドイツのライプチヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所の進化遺伝子部門の責任者を務めています。1999年4月から2年間、私はこの研究所のポスドク研究員でした。ペーボはスウェーデン人で、ノーベル賞受賞者を多数輩出して有名なウプサラ大学で博士号を取った後、カリフォルニア大学バークレー校のアラン・C・ウィルソンの研究室でポスドクをし、30代の若さでミュンヘン大学の教授となりました。その後、1998年にマックス・プランク進化人類学研究所の創設に深くかかわりました。
 ペーボがネアンデルタール人のDNA分析に初めて成功したのは、ミュンヘン大学にいた頃です。彼が指導する学生だったマティアス・クリングスが中心となり、ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出しました。そして、その中に含まれるミトコンドリアDNAをPCR法で増幅し、Dループ領域と呼ばれるミトコンドリアDNAの複製起点の周辺領域にある約500文字(塩基対)の塩基配列を決定しました。Dループは変異率が高く、近縁な種同士でも塩基の違いが蓄積されているため、比較しやすいのです。
 決定した塩基配列をもとにヒトとヒトのペアで約500文字を比較し、異なる文字の数をカウントしました。たとえばDNAの配列が500文字中10個異なるペアは、全体の8パーセントほど存在します。アフリカ、アジア、ヨーロッパ、さらにはアメリカ大陸まで含めて、五大陸全ての出身者2051人について、全てのペアについて違っていた文字の数を調べ、全体の何パーセントがその文字の違いを持つか、調べたのです。するとだいたい互いに7~8個違うペアがピークに来ました。次に2051人のヒトと59匹のチンパンジーのペアでミスマッチ分布を見てみると、500文字中50~60文字ほど違っており、ちょうど55文字のところにピークが来ます。
 さらに2051人のヒトとネアンデルタール人のペアでミスマッチ分布を見てみると、500文字中25~26文字のところにピークが来ます。チンパンジーのミスマッチ分布とは全然重ならないので、ネアンデルタール人チンパンジーよりもだいぶヒトに近いと言えますが、ヒトの分布とも重なりません。つまりヒトのミトコンドリアDNAのバリエーション(違い)とは重なり合わないということがネアンデルタール人のDNAを調べて分かったのです。
 現生人類はネアンデルタール人と混血していた
 ネアンデルタール人ミトコンドリアDNAの一部を読んだというペーボの論文が発表されると、アメリカの雑誌「TIME」に“All in the Family”というタイトルのイラストが掲載されました。大きな木の一番下の枝にオランウータンが、その少し上の枝にゴリラが、そしてチンパンジーボノボの枝が描かれていて、そこから少し上の枝にはウォール街を歩いていそうなスーツ姿の人間が腰掛けています。人間の枝の少し手前で枝が折れて木から落ちてしまった原始人として描かれたネアンデルタール人は、途方に暮れたように立ち尽くしています。
 ネアンデルタール人が進化の樹から落ち、脱落してしまった。ネアンデルタール人は私たちホモ・サピエンスにつながらない種としてマスコミでも大々的に報じられ、研究者の多くは問題が解決したことに安堵しましたが、科学というのはそう単純なものではありません。さらに研究が進むと、これを覆す結果が出てきました。
 前述のようにスバンテ・ペーボのグループはミトコンドリアDNAの配列のおよそ500文字を比較して「ネアンデルタール人ホモ・サピエンスとは別種である」という結論を導きました。
 続いて彼らはネアンデルタール人の骨から取り出した細胞核のDNA(核DNA)の分析を開始しました。ネアンデルタール人ミトコンドリアDNAについての最初の論文出版から約10年後の2006年、ネアンデルタール人の核DNAの0.04パーセントを解読した、という論文を発表しました。その論文では、ミトコンドリアDNAの結論を核DNAが裏付けたという内容でした。
 さらに彼らはネアンデルタール人のゲノム解読を進め、2010年には「ネアンデルタール人のドラフト全ゲノム配列」を報告する論文が発表されました。その論文の中で、非アフリカ人のゲノムの中に、ネアンデルタール人のゲノムから受け継いだと思われる多型が1~4パーセント存在することが報告されました。この結果は、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスが分岐した後、どこかの時点、どこかの地点で、両者が再会し、混血した可能性を示していると解釈できます。
 この本の著者
 太田博樹(おおた・ひろき)
 1968年生まれ。東京大学大学院理学系研究科修了、博士(理学)。マックス・プランク進化人類学研究所、イエール大学の研究員、東京大学大学院新領域創成科学研究科助教などを経て現在、北里大学医学部解剖学・准教授。専門は人類集団遺伝学、ゲノム人類学。国際分子生物進化学会でW. Fitch賞受賞。編著書に『ヒトは病気とともに進化した』(長谷川眞理子氏との共編、勁草書房)など。
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 ヨーロッパ(ポルトガル語オランダ語: Europa ポルトガル語: [ew.ˈɾɔ.pɐ] オランダ語: [øːˈroːpaː, ʏˑˈroːpaˑ])又は欧州(おうしゅう)は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴
 先史時代
 詳細は「先史ヨーロッパ」を参照
 マルタ島のジュガンティー
 ヨーロッパに定住した初期のヒト科は、約180万年前にジョージアにいたホモ・ゲオルギクスである。他にも、スペインのアタプエルカからは、約100万年前のヒト科の化石が発見された。ドイツのネアンデル谷を名の由来とするネアンデルタール人がヨーロッパに現れたのは約15万年前であり、紀元前28,000年頃には気候変動などの要因から、ポルトガルに最後の足跡を残し絶滅した。彼らに取って代わったのがクロマニョン人であり、ヨーロッパには4.3万年前から4.0万年前頃に進出した。
 新石器時代には、作物の栽培や家畜飼育の開始、定住人口が著しく増え、土器の使用も広範囲に及んだ。これらは紀元前7000頃に、農業の先進地であるアナトリア半島や近東からの影響を受けたギリシアバルカン半島で始まり、南東ヨーロッパからドナウ川ライン川の渓谷を伝って線形陶器文化を形成し、地中海沿岸経由には紀元前4500年から前3000年頃に伝播した。これら新石器時代の文化は中央ヨーロッパから西や北端まで達し、さらに銅器の製法技術が伝わった。新石器時代の西ヨーロッパは、大規模な農耕集落ではなく土手道付き囲い地やクルガンまたは巨石古墳のような遺跡で特徴づけられる。戦斧文化の隆盛がヨーロッパを石器時代から銅器時代へと転換させた。この期間、マルタの巨石神殿群やストーンヘンジなどの巨石遺跡が西または南ヨーロッパで建設された。ヨーロッパの鉄器時代は紀元前800年頃に、ハルシュタット文化が担い始まった。
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 クロマニョン人Cro-Magnon man)とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。1868年、クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ・ラルテによって研究された。その後、ヨーロッパ、北アフリカ各地でも発見された。
 現在ではクロマニョン人を、現世人類と合わせて解剖学的現代人(英語: anatomically modern human) (AMH) と呼ぶことがある。またネアンデルタール人を、従来の日本語では旧人と呼ぶのに対し(ネアンデルタール人以外にも、25万年前に新人段階に達する前の、現代型サピエンスの直接の祖先である古代型サピエンス等も旧人段階の人類とみなすことがある)、クロマニョン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを、従来の日本語では新人と呼ぶこともある。
 進化の様相
 現生人類の分布拡大図。 Currat & Excoffier (2004)よる。
 後期旧石器時代に属し、約4万 - 1万年前のものと考えられる。
 身体的特徴
 骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている。コーカソイドの直接の祖先である可能性が高い。
 180センチメートル前後の長身、頭が大きく、直顎で、頤が見られる。歯は小さく、旧人のような眼窩上隆起や額の後退は見られず、乳様突起が発達している。きわめて現代人に似ていたが、筋骨は強壮であったと思われる。
 遺伝子
 2003年のクロマニョン人の遺伝子調査ではハプログループN (mtDNA)(ともに子系統を含む)が確認された。
 2015年の遺伝子調査では、13,000年前のスイスのクロマニョン人がハプログループI2a (Y染色体)、ハプログループU5b1h (mtDNA) に属すことがわかった。
 また、旧石器時代チェコ(30,000年前)、ベルギー(35,000年前)、 ロシア西部ヴラジーミル州スンギール遺跡(約34,000年前)の人骨はハプログループC1a2 (Y染色体)に属していた。
 これによりクロマニョン人は現在のヨーロッパ人の祖先の一部であることが明らかになった。
 ヨーロッパ進出の第一波はハプログループC1a2、第二波はハプログループIと考えられる。
 文化
 クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパ、北アフリカに分布した人類で、現代人と同じホモ・サピエンス (Homo sapiens) に属し、コーカソイドに入ると考えられるが、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていた。
 一部の学者によれば、狩猟採集生活をし、イヌ以外の家畜を持たず、農耕も知らなかった(資源が豊富だったのでより効率の高い食糧生産方法が必要なかった)ため、ノウマ・ヤギュウ・マンモス等の大動物が減少・絶滅すると共に彼らも滅亡したとされる。
 小さくて鋭い狩りに向いている精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残す。
 研究史
 クロマニョン洞窟での発見以来、同種の人類化石がヨーロッパ各地で発見された。南フランスでは19世紀末にシャンスラード人(Chancelade man)・グリマルディ人(Grimaldi Man)が発掘されているが、発見当初、前者はエスキモー(イヌイット)に、後者はネグロイドに類似するとされた。しかしその後否定され、いずれも広義のクロマニョン人に含まれるとされている。
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