🎄53」─1─中立国こそ徴兵制と軍隊が必要。スイスは各家庭に武器を配備していた。~No.176 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 中立国であればこそ、自由と自主独立、主権を守る為に、国民皆兵による「徴兵制」と最新武器を装備した強力な少数精鋭の「軍隊」(兵員数は関係ない)は必要である。
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 現代日本で流行っている平和都市宣言や非武装都市宣言は、無能であるが故に歴史の事実が理解できないと告白しているにすぎない。
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 スイスは、「いざ鎌倉」として、敵が侵略してきたら国民は一斉に蜂起して各家庭に配備している武器を持って敵軍を攻撃した。
 戦わないスイス人には、生きる資格はなかった。
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 中世以来。スイスは、バチカンに傭兵を出し、ローマ教皇を守っていた。
 つまり、スイス人はローマ教皇の軍隊・兵士であった。
 スイスの中立は、ローマ・カトリック教会によって保証されていた。
 バチカン市国は、正規軍隊を持っていなかったが、スイス傭兵部隊を持っていた。
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 ロルフ・ドベリ「たしかに我々には、危機に対する抵抗力があるのかもしれません。2度の世界大戦についていえば、他国を攻撃しなかったことは何よりも評価できます。
 ただそれはスイス自身の実力というよりは、偶然の産物です。スイスはここ数百年間、他国を攻撃したことがありません。国防の観点からすれば、ドイツがスイスを侵攻することは可能だったし、実際にヒトラーはそうした計画を立てていました。ところが第二次世界大戦の激戦地スターリングラード(現ボルゴグラード)で、ドイツのスイスに対する侵攻をソ連が難しくさせた。この事実は我々にとって、僥倖(ぎょうこう)にほかなりません。他国に比べてスイスが特別に危機に強いのではなく、たんにラッキーだった要素が大きいでしょう。
 スイスは小さな国なので、大きな軍隊をもつ国に簡単に侵略されてしまいます。だからら我々は自国の守りを固め、他国を攻撃しない方法をとったのです。
 一方で、現在の日本は尊敬すべき素晴らしい国ですが、第二次世界大戦前には膨張主義と自信過剰に陥っていたと思います。とくに、アメリカと戦って勝とうとした点は理解しかねます。日本が単一民族に近く、均一化された市民社会だったことも、政策行動に何かしらの影響を与えているのかもしれません」
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 信念を持った目的であれば、如何なる手段も、理由に関係なく、全てが正当化される。
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 主権在民国民主権とは、国民は武器を持って祖国を守る義務の事である。
 命を犠牲にして国を守らない者には、国民としての主権はない。
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 ルソー「国家が市民に向かって『お前の死ぬ事が国家に役立つのだ』という時、市民は祖国の為に死ななければならない」(『社会契約論』)
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 スイスでは、国民皆兵によって国防が義務化され、侵略者に対して武器を取って徹底抗戦すると宣言していた。
 スイスでは、祖国を守る戦争は「正義」とされている。
 第二次世界大戦中。スイス空軍は、自国上空を通過するドイツ軍機も連合軍機も全てに対して攻撃を加えた。
 永世中立国スイスは、武装抵抗を国是として、如何なる交戦国の味方もしなければ敵にもならないとして、自国領に侵攻した全ての軍隊に対して攻撃し、ウッカリにせよ判断ミスにせよ弁解無用で発砲した。
 武力行使をしなければ、中立義務違反として交戦国の攻撃を受けるからである。
 中立を守る為には、命を犠牲にする厳しい義務が存在した。
 中立国である以上は、非武装無抵抗主義を取ることは有り得なかった。
 日本の反戦平和市民団体が主張する非武装中立などは、紛争が起きやすい地域の国では今だかって存在しなかった。
 非暴力無抵抗主義や非武装中立論を掲げる反戦平和の日本人は、歴史を理解する能力がなく、普通の子供以下の知能しかない。
 2013年 徴兵制の是非を問う国民投票では、7割以上が存続に賛成票を投じた。
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 SWIswissinfo,ch
 大戦中のスイスの中立性に合格点
 第2次世界大戦中、ドイツとの国境シャフハウゼン付近で、国境を監視するスイス兵 Keystone
 第2次世界大戦中、永世中立国であるスイスの中立性は他の中立国と比較しても、一貫して保たれていた。これまで当時の政治、経済界のやり方が批判され続けてきたスイスだが、多少「安堵」するような報告書が、アメリカの歴史学者、ハーバート・レーゲンボーゲン氏によりこのほどドイツ語で出版された。
 このコンテンツは 2006/12/15 15:262006/12/15 15:26
 今から15年ほど前、アメリカやユダヤ人団体から大戦中のスイスの中立性に対する非難が沸騰。政府はこれを受けベルジエー教授を中心とした独立委員会を形成し、当時の実態を解明するようにと指令した。その報告書でも、スイス政冶・経済界に対する厳しい非難がなされたが、これを覆す報告がアメリカ人の手によって出版されたことが今回、注目されている。
 レーゲンボーゲン氏とスイスの歴史家ヴァルター・ホーファー氏は2001年に『ヒトラー、西欧とスイス1936〜1945年』を執筆したが、今回は大戦中のスイスの役割にフォーカスした研究を行い『比較 第2次世界大戦中の国際舞台におけるスイスの政治』と題して発表した。
 他国との比較でスイスを見つめる
 スイスと比較したのは同じく中立の立場にあったスペイン、ポルトガルスウェーデン、トルコ、フランスのヴィシィー政権、アメリカ ( 1941年まで中立 )の6カ国。この研究書によるとスイスが唯一、一貫して中立を保ち、ドイツと戦えば負けることが大いに予想された中、大国ドイツの脅威に対し武装したと評価している。
 一方、敵対する国々の狭間でスイスは、必ずしも常に中立ではなかったとはいえ、他の中立国はスイスより多くの妥協をしていたとも指摘されている。例としてスウェーデン国内をドイツ軍が通過したことや、スペイン人による東欧前線に駐屯するドイツ軍への参加 ( Blaue Division ) などが挙げられている。
 また、スイス人が一番注目したい点であるスイスの銀行とナチスの金塊問題については「アメリカは、中立にあった時点では当然の権利としてナチスと取引したが、参戦した途端、他の中立国も持っているはずの同等の権利を否定しようとした」と手厳しい。
 スイスだけが戦争を長引かせたというのは間違い
 ホーファー氏とレーゲンボーゲン氏が2001年に共同執筆した報告書の中でも、スイスはドイツと経済的な協力をして、戦争を長引かせたが、他の国はドイツに自然資源を調達した。こうした協力はドイツが戦争を続けるにあたり、スイスの行為より重要な意味があったと指摘しているが、今回の研究書でも繰り返してこの点が強調されている。
 また難民政策については、スイス政府はユダヤ人の保護に全力を尽くしたわけではないという。しかし、スイスが大量虐殺の協力者であり、ナチスの最終目的達成のために協力したという批判は、的確ではないという。さらに、スイス政府の依頼でまとめ上げられた連邦工科大学のベルジエー教授の「ベルジエー報告」が指す「スイスはナチスドイツと同等の犯罪者」であるという理論は間違っているとレーゲンボーゲン氏は断言している。
 今回発表された研究書は結果的に「ベルジエー報告」を非難する内容になっているが、特に新しい要素は基本的に出てはこなかった。中立諸国の経済、政治面から概要がまとめられているという点で、評価されよう。
 swissinfo、オワルド・デュボワ ( SDA/ATS ) 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )
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 「ベルジエー報告書」
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 『比較 第2次世界大戦中の国際舞台におけるスイスの政治』
 ベルジエー教授による歴史研究グループ
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 ウィキペディア
 スイスの歴史ではスイス連邦の歴史について述べる。
 スイス連邦は、1848年以来カントンと呼ばれる州による連邦共和制をとってきた。スイス連邦の原型がつくられたのは今から700年以上前のことであるため、見方によっては現存する世界最古の共和国であるということもできよう。連邦が成立する1291年以前の歴史に関しては、本稿では現在のスイス領で起こった歴史的出来事について概説していくこととする。1291年以降、永久盟約によって結成された不安定な連合体がどのように発展・拡大していったかを簡潔にまとめる。
 2つの世界大戦(1914年-1945年)
 「戦時国際法#スイスの自衛努力」および「スイス軍#歴史」も参照
 第一次世界大戦第二次世界大戦では中立ゆえにすべての陣営がスイスを舞台に国際諜報・外交・通商を行った。スイスは政治難民たちの避難地ともなった。1917年に始まったダダイスムの動きは戦争に対する文化的反応ともいうべきもので、スイスに逃れてきた芸術家たちによって推進された。レーニンチューリヒに逃れていたが、そこから直接ペトログラードに向かってロシア革命を指導した。1919年、カトリック保守派が二人の大臣を出した。そして1873年以来絶えていた教皇庁との外交関係も回復した。1920年国民投票で非ドイツ語圏が賛成に回り、スイスは国際連盟の一員となった(1938年脱退)。
 化学工業が生産力を持て余した戦間期ナチスはスイス国内で反ユダヤ主義の扇動を行った。その立役者となったヴィルヘルム・グストロフはユダヤ人の若者に射殺され、故郷のドイツで国葬されている。1932年、ファシストを糾弾する左翼とスイス軍の部隊がジュネーヴで衝突している。あらゆる政策をめぐり国民投票が連続し、どれも否決されていった。1935年、スイス・フランを切り下げた。1938年、絶対中立を認められた。しかしナチス・ドイツポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した事で、スイスでも緊張が高まり43万人の民兵が兵役に動員され、アンリ・ギザン将軍のもとで非常体制がとられた(軍最高司令官による統治体制は非常時のみ行われる)。1940年5月11日、ドイツがベルギーに侵攻すると、スイスでは国民総動員の態勢がとられ、史上初めて15,000人の女性兵士も動員された。スイスは中立を標榜していたため、難民の受け入れはしていなかったが、それでも26,000人のユダヤ難民を受け入れている(ただし、同時に相当数のユダヤ人の入国を拒否した事や、密入国を許可した警察担当者が戦後になって有罪となった事実もある)。連合軍はスイス側のドイツ寄りの中立を牽制するためか、チューリヒバーゼルなどの国境の都市に空襲(表向きは誤爆としている)を行っており、1944年4月1日に行われた米軍によるルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインへの空爆ではスイス領シャフハウゼンへの誤爆を引き起こし40名の死者を出している(第二次世界大戦におけるスイスへの空襲(英語版))。また、しばしば両陣営の航空機による領空侵犯が行われており、空軍が出動して強制着陸を行わせるなどした他、戦闘も発生している。
 1940年から44年にかけて、スイスの国境に隣接する地域は全てドイツとその同盟国であるイタリアに占領されており、この時期のスイスは枢軸国によって生殺与奪の権利を握られていた事情もあった(実際にドイツはフランス降伏後、極秘裏にスイス侵攻作戦(タンネンバウム作戦)を計画していたが、実行されなかった)。このような状況下において、スイス政府としては「中立違反」の非難を受けたとしても、ドイツ側とある程度の妥協をせざるを得ない側面もあった。
 1945年初頭のマニラの戦いにおいて、戦闘に巻き込まれた在比スイス人が多数死亡する事案が発生したことで、政府は日本との断交を検討したが結果的に見送られ、8月14日のポツダム宣言受諾の連合国への通知は、スイス政府を仲介して行われた。
 大戦中にスイス銀行が金を中心とするナチスの資産の隠し場所となったことが戦後に明らかとなり、1995年から2000年にかけて詳細な調査が行われた。スイスのこの行為は重大な中立違反であるとして国際的な非難を受けた。ナチスの資産と称するものはほとんどが迫害したユダヤ人から巻き上げたものだったといわれている。スイスは1952年に旧連合国側に対して中立違反の賠償金を支払っているが、1999年にアメリカのホロコースト基金に対し、改めて12億ドルを支払っている。
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